「2023年に、ソロファーストアルバム『HOSONO HOUSE』が50周年を迎えました。海外も含めて再評価頂けて、本人もとても喜んでいたんです。世間の声をちゃんと自覚できたようで、すごくいいきっかけになったのですが、同時に、『僕の近年作を誰も聴いてくれないかも…』みたいな、ちょっと寂しいことをおっしゃったんですね。だから、近年作をきちんと再発して、もう一度まとめるような企画をしようと。それが1年ほど前です。アナログレコードが一度に揃う機会もなかなかないので、近年の音楽にフォーカスした企画として、『HOSONO RECORD HOUSE』の実現に至りました。」
メインビジュアルの秘密 – ベートーヴェンとこれから細野晴臣
細野さんのスタジオには、ベートーヴェンの胸像が置かれている。
これは母方の祖父である中谷孝男さんが残したもので、今回の『Hosono Record House』のメインビジュアルとして登場する。もちろんこれは、単にあ̇っ̇た̇からではない。ピアノ調律師であった祖父の影響、中でも“クラシック”は、これからの細野晴臣の重要なピースとなるかもしれないのだ。
アニメーションの現場で長きに渡り活躍してきた米山は、2018年頃から、本格的にイラストレーターとしてのキャリアをスタートさせた。2019年の初個展「SHE」を皮切りに、2021年の「EGO」(anicoremix gallery)、2023年の個展「EYE」(PARCO MUSEUM TOKYO)と、意図してか、これまで2年おきに個展を開催してきた。 そして2025年、今回の『YONEYAMA MAI EXHIBITION “arc”』である。
昨今の原画への再評価や、米山の言うセル画の価値を認めることは、すなわちアニメーションを取り巻く細分化された職種に目を向けるということに繋がり、ひいては、度々問題になるアニメーターの労働環境・賃金などの問題に光をあてるきっかけになるかも知れない。アニメーションをハイエンドな銀座の街に持ち込んだ『YONEYAMA MAI EXHIBITION “arc”』は、そういった意味でも、非常に重要な意味合いを孕んでいる。
ひと目見れば彼の作品だとわかる。一度でも目にすれば脳裏に焼きつく作品群は、そのインパクトからはちょっと不思議なくらいにシンプル。それでいて、アイコニックなイラストに固執しない、自由で横ノリなスタイルは、憧れたアーティストたちの背中を追いかけることから始まった。仲間と始めたポッドキャスト「Too Young To Know」は、今や放送173回に及び、近年には「パペット」という操り人形シリーズ「THE KIDDING HEADS」も展開。自身の声と、時折見せるシュールな動きでパペットを操る、画面外のFace Oka。
Face – そうですね。あれは最初に練習しました。1週間もやれば意外と慣れるんです。定点カメラを置いて、下から手を入れて動かす感じで撮っています。ちょうどパペットが1〜2体できた頃に、Netflixで「エルモ(セサミストリート)」の声をやっているケビン・クラッシュのドキュメンタリー『セサミ・ストリートへ愛を込めて ~エルモに命を吹き込んだ人形師』を観たんです。「その人がどうして声優になったのか」という話が中心で、パペットの扱い方自体はそこまで説明していなかったんですけど、その周りにいたパペットアーティストや講師たちの動かし方を見て、「なるほど、こういうことか」と思って、見様見真似でやりました。
Face OkaとPABLO(パブロ)
特徴的な高い声も全部ご自身で?
Face – はい、全部僕がやっています。僕の中で出せる声のバリエーションが限られていて、基本的に「高い声」と「低い声」しかないんです(笑)。このキャラは高めの声なんで、そういう設定にしてます。
キャラクターごとに声を変えている?
Face – そうなんです。でもそれが今の悩みでもあって…。もともとマイク・ケリーのポスターみたいな作品を作りたくて、最初に「登場人物を7体にしよう」と決めて作り始めたんです。でも声のことは何も考えてなかった(笑)。結果、出せる声が3つくらいしかなくて。今のところ声を当てられているのは、パブロとぺティ、ジェニー、うちの猫をモチーフにしたピカビアだけです。ピカビアは「ニャー」としか言わない(笑)。この4体は声も定まっていて頻繁に登場するんですけど、他のキャラはまだ声が決まっていなくて。だから今、そのあたりをどう整理するか悩んでます。
「THE KIDDING HEADS」の舞台裏 – 設定編
KELLY(ケリー) / Face OkaJENNY(ジェニー) / Face OkaMIKE(マイク) / Face Oka
それぞれの人格も違うんですか?
Face – そうですね。ただ、まだそこまで作り込めていなくて、今後もう少し固めたいと思っています。性格や背景をまとめた資料を作って、キャラごとの企画書を整理しています。パペットの番組を持つことが目標です。テレビでも、配信でも、YouTubeでもいいんですけど、ちゃんとシリーズとして成立する作品を作りたいと思っています。
彼らは謎の生物なのか、それとも人間的なニュアンスのどちらになるんですか?
Face – 「エルモ」とかだと、何かわからない生物じゃないですか。動物のようでもあり、抽象的でもある。僕はそうじゃなくて、「人間のパペット」を作りたかった。そこに差別化の意識がありますね。
マイク・ケリーのポスター
マイク・ケリーの作品とも違いますよね。
Face – そうですね。僕が意識しているのは、どちらかというと昔のNHKの『ハッチポッチステーション』。あの番組って、人間という設定のキャラクターが出てくるじゃないですか。ああいう“人間の形をしたパペット”の世界観が好きで、近いものをやりたいと思ってます。
ミシンとの衝撃の出会い
「THE KIDDING HEADS」シリーズ以前にミシンを使った経験はありましたか?
Face – 本格的には今回が初めてで、もともとミシンの知識も全くなかったんです。買おうと思った時も、どこで買えばいいのか分からなくて、とりあえずハンズ(旧東急ハンズ)に行ったんですよ。年配の店員さんがいて、詳しそうだったので聞いてみたんですよね。そしたら、「これだよ、これしかないよ。これ以外はありえない」って一点張りで(笑)。値段を聞いたら40万円くらいして、「えっ!」って、かなり衝撃でした。でもその方が、「高いけど、それだけの価値はある」と言うんです。半分騙された気持ちで買ったんですけど、使ってみたら本当に良かったですね。家庭用ミシンって、硬い生地を縫おうとすると針が折れちゃったりするじゃないですか。逆に工業用ミシンだと、薄い生地が縫いづらかったりもするんですね。でもこのミシンは、その中間というか、どんな素材にも対応できる感じで、すごく万能なんです。
購入以来ずっと使っているというミシン
職業用ミシンではあるんですか?
Face – いや、そこが謎なんですよ(笑)。厳密には職業用って感じでもないんです。でも、そう見えますよね。僕も初めて見たとき、「これ何なんだ?」って思いました。部品が壊れたときのパーツを買えるのがハンズしかなくて、しかも高い(笑)。それでも今もずっと使っています。
「THE KIDDING HEADS」の舞台裏 – 製作編
パペットは全てご自身の手作業で作っているんですよね。
Face – そうですね。生地屋に行って、頭の中にあるイメージに合いそうな生地を探して買ってきます。最初、どうやって作るのかなと思って調べたんですけど、なかなか情報が出てこなくて。調べていくうちに、日本のパペット協会みたいなところにたどり着いたんです。すごく昔のサイトに飛んだんですけど、そこに簡単な標本が出ていて、すぐに買いました。
じゃあ、その協会の出している作り方をベースに?
Face – そうですね。協会の出している“正解”というか、基本の作り方に則って作っているんですけど、ベースが一緒なだけで、あとは全部自分で考えています。どう個性をつけるかという部分は完全に試行錯誤ですね。正直、ミシンも3年前くらいにノリで買って始めたので、パターンの概念もほとんどないような状態でした(笑)。
「THE KIDDING HEADS」制作の参考になったという資料
DIYみたいな感覚なんですね。せっかくなので、頭から順に教えて頂けますか?
Face – 頭の作り方が本当にわからなくて。こういう形にしたいというイメージはあったんですけど、やり方が全然わからなかった。粘土などで立体を作るのとは違って、布で立体を作るのは難しかったです。試行錯誤しながら頭の部分は手で縫いました。
Face – このキャラクターは、以前ニューバランスさんとご一緒したときに、CMに登場させてもらったことがあって。そのときに僕自身がアイロンプリントで作ったものなんです。
胸についている缶バッジも印象的です。
Face – 缶バッジは単純に僕が好きなんです(笑)。この赤い缶バッジは、僕の好きなアーティストの言葉をモチーフにして、自分で作ってつけたものです。もうひとつは、僕が好きなブランドの缶バッジですね。どちらも、自分の「好き」を身につけている感覚です。
靴もかわいいですね。これは…?
Face – これは最近仕事で頂いた人形が、たまたまこの靴を履いていたんです。「あ、これ使えるじゃん!」と思って、勝手に履かせちゃいました(笑)。サイズもぴったりで。そういう偶然の組み合わせがけっこう面白くて、気に入っています。
新宿の交差点、ウェストハムファンの合言葉
PETTI(ペティ) / Face Oka
ペティは、サッカーチームのウェストハムのユニフォームを着ていますが、もしかしてファンですか…?
Face – そう、ウェストハムのファンなんです。だからこのパペットにも今シーズンのウェストハムのユニフォームを着せています。子ども用サイズのセットで、上とショーツが一緒に売っているものを買ってきました。
アイアンズ(ウェストハムファンの愛称)…。かなりニッチですよね(笑)?
Face – そうですね(笑)。仕事でよく海外に行く知り合いがいて、その方に「ちょっと今度スペイン行きましょうよ」って軽いノリで言ったら、ほんとに「行きましょう」ってなって(笑)。その流れで彼らは仕事でロンドンに行かなきゃいけなかったんです。高校までサッカーをしていたので、ロンドン行くんだったらせっかくだし「プレミアリーグ観ようよ!」という話になって。ただ、その時に飛び込みでいきなり買えるチケットが、プレミアリーグだとウェストハムしかなかったんです。選手も1人も知らなかったんですけど、行ってみたらめちゃくちゃ面白くて。そこから完全にハマっちゃっていました。今は最下位から2番目くらいなので、頑張って欲しいですね…(笑)。
羨ましいです…。
Face – 普段からウェストハムのマフラーを付けることが多いのですが、新宿の交差点で外国人にいきなり、「アイアンズ!」って声掛けられたのが面白かったですね(笑)。(ウェストハムのチームエンブレムには、ハンマーがバツの字にクロスしたマークが施されており、ファンの間では手をクロスさせて挨拶がわりにしているんだとか)ちゃんとファンだったので、すぐに反応できてよかったです(笑)。
Face – もちろん、変わらずありますね。ただ、今のアート業界を見ていると、少し距離を感じている部分もあります。少し前にアートバブルがありましたけど、その時期は「もしかしたら僕らのやっているアートの立ち位置も、もう少し上に行けるんじゃないか」という希望があったんです。でも、バブルが落ち着いたタイミングで、やっぱりその可能性をあまり感じられなかった。
いわゆる“アートブーム”の時、買われ方や市場の熱量も独特でしたよね。
Face – そうですね。ブームのとき、「誰が買ってたんだろう」と考えると、アートへの見方が純粋な鑑賞というより“投資”の側面が強かったと思います。例えば「全部売れた!」と話題になっても、「誰が買ったのか」というところまでは、あまり誰も気にしていなかった。そこを考えると、個人的には「本当に意味のある購入だったのか?」と疑問に思うこともあります。作品やアーティストのファンの手に渡っていないのであれば、それは僕のやりたいこととは少し違うなと感じたんです。だから今、バブルが落ち着いたタイミングで改めて考えると、僕が最終的に目指している場所、“美術史に残る”という目標は、ちょっと遠のいたというか、「やっぱり遠かったんだな」と再認識している感じがあります。
Face – 額面の話だけじゃなくて、どういう形で評価されて、残るか。年表に名前が残るというよりも、作品そのものが“意味を持って残る”という形で、面白い展開になればいいなと思っています。だから、「アート史に残る」目標としては今もありますけど、具体的にイメージできるわけではないといった感じです。それに今は、あまりそこを意識しすぎるのも良くない気もしていて。やりたいことをやっていく中で、タイミングが合ってうまくハマっていけば嬉しいです。
ひと目見れば彼の作品だとわかる。一度でも目にすれば脳裏に焼きつく作品群は、そのインパクトからはちょっと不思議なくらいにシンプル。それでいて、アイコニックなイラストに固執しない、自由で横ノリなスタイルは、憧れたアーティストたちの背中を追いかけることから始まった。仲間と始めたポッドキャスト「Too Young To Know」は、今や放送173回に及び、近年には「パペット」という操り人形シリーズ「THE KIDDING HEADS」も展開。自身の声と、時折見せるシュールな動きでパペットを操る、画面外のFace Oka。
Face Oka(以下:Face) – 高校は普通科だったんですが、そのまま大学の美術系に進めるコースがあったんです。そのまま進学して、大学では芸術を専攻していました。高校までサッカーもやっていましたが、続けていたのはイラストや絵でした。幼少期からサラリーマンにはなりたくなかったんです。大学も2年で中退してしまって。
在学中の2年間はどのような生活でしたか?
Face – ほとんど何もしていなかったですね(笑)。高校からそのまま仲のいい友達も多くて、本当に自由に過ごしていました。友達が出ている全然関係ない授業に顔を出したりとか(笑)。あとは服が好きだったのもあって、アパレルでアルバイトをやっていました。当時、町田の大学に通ってたんですが、町田に「MARUKAWA」っていうお店があったんです。ジーンズメイトみたいなところで、そこでアルバイトしてました。すごく楽しくて入り浸ってました(笑)。
僕も地元が町田で…!!当時はどの辺りで遊んでいましたか?
Face – そうなんですね!!町田はもう本当にどこにでも行ってました。古着が好きだったので、「DESERTSNOW」とか。
「DAMAGE DONE」とか(笑)!
Face – ですね(笑)。「MARUKAWA」では、フィッティングルームに自由に絵を飾らせてもらったりもしていました。あとは、大学時代に25歳くらいの同級生がいて、彼はアートを本格的にやりたいタイプで、企画展をよく開いていたんです。それにいつも参加させてもらっていました。そのうちにだんだん大学から足が遠のいていって…。
Face Oka
当時、大学の授業で学んでいたことは今に繋がっていますか?
Face – 絵を描くのは好きなんですけど、「学んで描く」というのがあまり好きじゃなくて。今思うと、そこをちゃんと学べていたらよかったなとは思います。いろいろやっていく中で、自分がやりたいことを表現できなかったりするのは、やっぱり技術的な面もあるので。そこは今、補わないといけないところですね。
大学を中退してからは何を?
Face – それからSTUSSYで働くようになりました。当時は、カウズやバリー・マッギーらのアーティストを筆頭に、「売れたらTシャツを出せる」という流れがあった。ショップ店員としてだけではなくて、その「自分のTシャツを出す」ということに凄く憧れがありました。だから休みの時間には、ひたすらに絵を描いていましたね。
当時はどのような絵を描いていましたか?
Face – 当時からストリートのカルチャーは好きだったのですが、本当にゴリゴリのグラフィカルな文字にはあまり興味がなかったんです。なんと言うか、バリー・マッギーやカウズ、元を辿るとキース・ヘリングもそうですけど、グラフィティなんだけど、ちょっとグラフィティーじゃないというか。キャラクターを作ったり、色々なことをやっている人たちが好きだったので、常にオリジナルのキャラクターみたいなものを探っていたんだと思います。
Face – ジェームズ・ジャーヴィスからの影響はかなりありますね。彼の作品にはピンクが多用されていて、あとは、Perks And Mini(P.A.M.)というブランドの服で、蛍光ピンク色っぽい感じのキャラクターがいるんです。発色がいいカラーを使うブランドで、そこのグラフィックからの影響もあると思います。
Face – マイク・ケリーですね。今やっているパペット作品もそうですし、彼の影響は大きいです。あとはポール・マッカーシーとか。結構ハードコアな作風の人なんですけど、そうした海外のアーティストには強く影響を受けています。
会社の名前「ピカビア」にも意味があるそうですね。
Face – これはフランシス・ピカビアというフランスのアーティストから取っています。彼はマルセル・デュシャンと同時代の作家で、ダダイズムのメンバーのひとりでした。この人は、本当に“これがピカビアの作風”と呼べるものがないくらい、常に違うことをやり続けていたんです。その時々で作風がどんどん変わっていく。その自由さや、既存の枠に収まらない姿勢にすごく憧れています。
アトリエの様子
以前の個展のタイトル「都合の悪い存在」にも、その影響があったとか。
Face – そうですね。このタイトルは、ピカビアがかつて評価されたときに「都合の悪い存在」だと言われたというエピソードから来ています。流行や時代の空気に迎合せず、常に違うことをしていた。ちょっとカウンター的というか、反骨精神のある人だったんですよ。みんなが言っていることや思っていることと違うことをやっていたから、周りからしたら「都合の悪い存在」だったんでしょうね(笑)。
まさにアンチテーゼの体現者ですね。
Face – そうですね。デュシャンの「泉」もそうですが、「アートは絵を描くことだけではない」という感覚はあると思います。
軽やかな横ノリの如く
例えば「絵」において、全く別のスタイルにトライしてみたくなることはありますか?
Face – 好きなものはずっと変わっていなくて、例えばこの絵だと、黒くて太い線があって、キャラクターがあって、というものですが、もっと写実的なものを描いてみたい気持ちはあります。今の作風に固執していることは全くなくて、他にも色々な方向で試してみたいです。
Face Oka
カウズやバリー・マッギー、キース・ヘリングのように?
Face – そうですね。当時代官山にサイラス(SILAS)というブランドがあったり、トッド・ジェームスが「AMOS TOYS」というフィギュアを作ったり。そうしたムーブメントがあったんです。いつか僕もやりたいという想いはどこかにずっとありました。
Face – このシリーズに関しては、実はあまり試行錯誤というのはなくて、もう僕の中ではこのスタイルで完結しているんです。なので、新しいことをやろうというときは、これとは違う方向で取り組むようにしています。たとえばパペット作品もそうですが、もし「油絵をもう一度やりたい」となった場合には、このスタイルでは描かないようにしています。
バケツに吐いた香水 / Face Oka
油絵を描くとしたら、どんな風になりそうですか?
Face – 実は過去にやっていて、2年ほど前に「Gallery Target」で久々に個展を開いたとき、多くの方がこのシリーズのような作品を期待して来られたと思うのですが、展示の8割は全く関係のない油絵でした。
それは何か意図があったのでしょうか?
Face – 意図というよりも、単純に「同じものを描き続けていてもな…」という感覚がありました。あとは、「ずっと同じことを続けるのが正しいとは限らない」とは思っていて、油絵にも挑戦したんです。それに加えて、「油絵を描く中で、このキャラクター(シリーズ)と組み合わせる方法はないか」みたいな実験もしています。展示でもそうした試みを見せていますが、常に実験している感覚です。
「自分がやる意味」とは何か
いろんな表現を横断していく中で、「自分がやる意味」をどのように考えていますか。
Face – 「平和ボケした日本人」という創作のテーマがあるんです。だから「ピース(平和)」というワードは、ずっと根本にあります。見た人がハッピーになることはもちろんですが、その中に“隠れた危機感”のようなものも込めたい。そういうメッセージをうまく表現できるアーティストになりたいと思っています。
創作は「自分のため」と「見る人のため」、どちらの比重が大きいですか?
Face – 基本的には、自分が喜ぶかどうかが一番の基準です。ただ、それだけだとやっぱり食べていくのは難しい部分もある。だから、そのバランスを取りながらやっています。将来的には、もっと有名になっていかないといけないなとも思っていて。その理由は単に名声がほしいとかではなくて、子どもたちのためや、次の世代につながる活動をしたいからなんです。自分の表現を通して、次につながるようなことをやっていきたいと思っています。
2025年11月1日からの3日間で開催された「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」。 Chim↑Pom from Smappa!Groupらがキュレーションを務めたオールナイトでのアートイベントは、東洋一の歓楽街と呼ばれる「歌舞伎町」を舞台に、街のあちらこちらに散らばった会場で、同時多発的に“何か”が起きている。
さて、歌舞伎町で一体何が起きていたのか。
鈴木喜兵衛から続く「歌舞伎町」のダイナミズム
「新宿歌舞伎町能舞台」
会場のひとつである「王城ビル」を後にして向かったのは、「新宿歌舞伎町能舞台」。先日のインタビューにて、Chim↑Pom from Smappa!Groupの卯城竜太さんは次のように語っていた。
そうした歴史の中で、1941年に誕生した「中島新宿能舞台」。2022年からは名称を変え、「新宿歌舞伎町能舞台」となる。ホスト事業を中心に展開するSmappa!Groupが施設を購入したのだ。会長の手塚マキさんは、歌舞伎町商店街振興組合常任理事を務めるなど、現在の「歌舞伎町」の文化的発展に尽力している。彼の話は【インタビュー】東洋一の歓楽街を回遊する。「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」の舞台裏 – 手塚マキ編で触れた通りだ。また、彼の著書『新宿・歌舞伎町 人はなぜ〈夜の街〉を求めるのか』に詳しい。
東洋一の歓楽街「歌舞伎町」を舞台に、3日間のオールナイトイベントとして幕を閉じた「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」。街のあちらこちらで同時多発的に、様々なイベントが巻き起こる。 戦後間もないこの地を「道義的繁華街」として復興すべく尽力した鈴木喜兵衛が、未来に託した願い、「歌舞伎町」命名に際した願いは、未だ旅の途上にある。「BENTENは長期的に考えている」と語る手塚マキさんの描くこれからの歌舞伎町が、未来の歴史にどう絡んでくるのか。街のダイナミズムは留まることを知らない。
「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」※イベントは終了しました。
2025年11月1日〜11月3日に開催された回遊型アートイベント「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」。「都市の再野生化」をテーマに掲げ、昨年の「BENTEN 2024」に続き、Chim↑Pom from Smappa!Groupらがキュレーションを務める。 当日は新宿歌舞伎町能舞台、王城ビル、デカメロン、WHITEHOUSE、東京砂漠などを回遊しながら、光と影の交錯するカオティックな都市のリアルを、文化としての「歌舞伎町」を味わうことができる。