夜の街「歌舞伎町」で開催されたオールナイトイベント「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」。現地に赴き、速報レポート執筆の為に奔走していた最中の偶然の出会いが、この記事へと繋がった。
出演者として参加していた活動弁士の麻生子八咫さん。僕はそこで初めて、「活弁」なるものを観ることになるのだが、「昔のもの」といった印象からは程遠い、全く驚きの体験をすることになる。その時に話を伺った麻生子八咫さんが、『月刊浅草』の副編集長であられた。
1970年の創業以来、半世紀以上続くタウン誌は、かの川端康成が筆を取り、名付けられた。今でも月末になると最新刊を手に、自転車で街を駆けながら配達に回る。人情の街、浅草の一端を垣間見たようで、顔が綻ぶ。
麻生さんとは「歌舞伎町」の後に何度かやりとりをしていて、今回の「寄稿」の話に限らず、色々なお話をしてくださった。中でも、当時公演のために滞在中だったロンドンで財布をスラれた話を、臨場感いっぱいに悔しさ滲ませながら、「敵ながら、凄技」と伝えてくれたりもした。
とまあ、縁あって、「浅草の街の文化に触れながら、BAMの話を750字で」という、僕たちとしてははじめての寄稿記事が実現したのだ。
以下、2026年1月号『月刊浅草』の連載「浅草はっけん」より。
浅草という街の編集力
浅草は、極めて編集的な街だ。
雑誌などの紙媒体が最新情報の主役だった時代はもう終わった。
情報があふれる今は、ただ“早い”だけでは価値にならない。
既に在る断片をどうつなぎ、新しい意味を生み出すか。以前にも増して、その“編集力”が問われている。
浅草で花開いたオペラ文化に、まさしくそうした視点が垣間見える。大正時代に興隆した「浅草オペラ」は、作曲家の佐々紅華、興行師の根岸吉之助、ダンサーの高木徳子らが中心となって展開された。
欧米の名作オペラを日本語に訳したものから、新たに作られたジャパンメイドの和製オペラ、童話などを題材とし日本独自の発展を遂げたお伽歌劇など、様々な形で大衆へと波及していく。当時の20銭ほどと比較的安価な値段で鑑賞でき、海外の文化を日本風にアレンジ、親しみやすく編集された。時代観を反映しながら人々に届ける姿勢は、現在の「活弁」と重なるものがある。
「月刊浅草」の副編集長を務める麻生子八咫さんは、活弁士としての顔も持ち合わせている。先日はチャップリンをはじめ、海外の無声映画を英語活弁として披露。その父であり師である麻生八咫さんは、無声映画にロックミュージックを加えて臨場感を演出した。そのアティテュードからは、歴史を途絶えさせまいとする覚悟を見ると同時に、在るものを違った視点で届ける、その編集力に魅せられている。
今在るものを異なる視点で提起し継いでゆく編集力は、我々「BAM」—アートの枠を超えた自由な感動を探求していくメディア—として見習わなければなるまい。アートに興味がない人に感動を届けることが出来たなら、私たちの仕事冥利に尽きると思う。
ときに、かっぱ橋道具街で長らく販売されていた食品サンプルは、制作体験で再び脚光を浴びている。同じものづくり。アートとしての価値やいかに。