海を見せられなかったけれど。久保田雅人が「ワクワクさん」として走り抜けた23年間 – 前編

どうして、「ワクワクさん」なのか。

それには明確な理由があった。これまでそれなりの数のアーティストに話を聞いてきたが、その中で、生まれや育ちが全く異なる彼ら、彼らの作品・作風に、環境がもたらす影響は少なからずあったと思う。

それぞれが十色の人生を歩み、今の作家人生を歩んでいる。

そんな中、ひょっとすると、NHK Eテレで23年に渡り放送されてきた『つくってあそぼ』が、彼らの創作の原体験だったかもしれないのだ。

記憶の片隅に残っているあの「赤い帽子のおじさん」に話を聞くべきだ。頭の中でイメージが固まった。物心がつくかつかないかのちょうどその頃の、薄れつつある記憶を握りしめて。

エピソード0 – ワクワクさんがワクワクさんになる前

紙パックで作った自作の筆箱からペンを取り出す「ワクワクさん」こと久保田雅人さん

23年間「ワクワクさん」として活動されてきた久保田さんですが、幼い頃からものづくりに触れる環境があったのでしょうか?

久保田 雅人(以下、久保田) – 私は昭和36年(1961年)生まれでして、我々の世代は、自分たちでおもちゃを作るのが当たり前の時代だったんです。それから、プラモデルブームというのもありました。私も本当にプラモデルが好きで、色々なものを自分で作っていました。そして何より、うちの父親がとても器用な人だったんです。

お父様は何かを作るお仕事だったのですか?

久保田 – それが、普通のサラリーマンでした。ただ、ものすごく器用で、家にはあらゆる大工道具が揃っていました。例えば、ご家庭にノコギリといったら、普通は1本あればいい方ですよね?

そうですね。私の家には1本もありません(笑)。

久保田 – そうかもしれませんね。でも、うちには10数種類ありました。

サラリーマンのご家庭なのに、ですか!?

久保田 – それだけじゃありません。普通は家にない「カンナ」も、細工用のものまでありましたし、「ノミ」だけでも10数本。そんな道具が揃っている環境で育ちましたから、子供の頃から「自分で作る」というのが当たり前だったんです。

巨大凧と「仕掛け付き」の犬小屋

この日はお馴染みの赤い帽子はお預け。後に登場する“大人の事情”で被れないんだとか。

お父様からの影響は相当大きかったのですね。

久保田 – そうですね。ある時、父親が突然「正月用の凧を作ろう」と言い出しまして。まず竹を買ってくるところから始まるんです。それを自分でナタで割いて、小刀で削って細くして、木綿糸で結んで組む。さらに自分で糊を調合して和紙を貼る。そうやって、畳一畳分ぐらいの巨大な凧を作っちゃったんですよ。

畳一畳分! 相当な大きさですよね?

久保田 – このテーブル(取材時の机)と同じくらいですね。それを揚げに行ったら、こんなにも大きな凧が本当に小さく見えるほど、グーンと高く上がったんです。そんな父親のもとで育ったので、自然とものづくりが好きになりました。

お父様は、完全に趣味として大工仕事をされていたのでしょうか。

久保田 – これといった趣味はなかったようですが、とにかく大工仕事が好きでしたね。一度、犬小屋を作った時も凄かったんです。普通の小屋とは訳が違って、中が掃除しやすいように屋根が開く。しかも、ただ開くだけじゃない。開けた途端に、仕込んである「つっかえ棒」が自然に下りてきて、手を離しても屋根が閉まらないようになっているんです。

すごい、 プロの仕事ですね。

久保田 – 掃除が終わった後、その棒をちょっとはたけば、パタンと閉まる。そんな仕掛けがついた犬小屋を自分で作ってしまうサラリーマンでした。実家を引っ越して50年以上経ちますが、父親が作った棚は今も現役で使えています。子供心に「なんでうちの父親は宮大工にならなかったんだろう」と思うくらい器用でしたね。私のものづくり好きは、間違いなく父親から来ています。

凝り性が加速した、高校時代のプラモデル制作


小・中学校、高校と進む中で、やはり放課後は工作をされていたんですか?

久保田 – 小学生の頃はそうでもなかったのですが、高校時代は帰宅してからずっとプラモデルを作っていました。当時はタミヤの「1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ」や、ハセガワの「1/700 ウォーターラインシリーズ(戦艦)」、あとは飛行機ですね。例えば飛行機を作るなら、まず雑誌を買ってきて、零戦の内部写真などを徹底的に調べる。そして、キットには入っていない部品をプラ板で自作して足していくんです。さらに、小さな人形の「口」を開けて表情をつけたり。設計図は描かず、頭の中で「ああだろう、こうだろう」と考えながら即興で改造していました。

お父様譲りのこだわり具合ですね。

久保田 – いきなり機体の色を塗るのではなく、まずは下地に「銀色」を塗るんです。その上から本来の色を塗り、乾いた後に少しだけ削る。そうすると下地の銀色が出てきて、使い古した金属の質感が出るんですよ。嫌なガキでしょう?(笑)

日本史の先生になるはずが、なぜか「劇団」へ

そんな高校時代を経て、やはり進路も美術系を考えられたのですか?

久保田 – 実は日本史の先生になる予定だったんです。高校で日本史に興味を持ち、大学は文学部に進みました。私はよく「芸大や美大、保育系の学校出身」だと思われがちなのですが、美術も芸術も、学校で勉強したことは一度もないんです。

教員免許も取られたんだとか。

久保田 – 一応取りました。でも、大学4年生で教育実習に行ったり、採用試験の勉強をしたりしているうちに「……俺、これ無理だな」と思ってしまったんです。試験に受かる自信もないし、実習もうまくいかない。
そんな時、たまたま立ち読みした雑誌に、三ツ矢雄二さんが座長、田中真弓さんが副座長を務める劇団「プロジェクト・レヴュー」の第1期生募集が出ていたんです。

運命の歯車が動き始める

この日、つくってあそんだものは後ほどご紹介

久保田 – 当時はプラモデルの傍ら、落語もやっていたんです。その流れで「ちょっと芝居をやってみよう」と思い立ち、勢いで応募しました。ただ、当時はとにかく貧乏で、オーディションの費用が払えなかったんです…。友達に借りましたよ。その上、オーディション費を現金書留で送る送料すらもなかったんです。それもまた別の友達から借りて、どうにか応募しました。

お父様は急な進路変更を許してくれたのですか?

久保田 – 凄く怒られました。当然ですよね、大学4年までいって急に「劇団に入る」なんて言い出したんですから。実は大学に入学した時も一悶着あったんです。父親からは将来を考えて「経済学部か経営学部に行け」と言われていたんですが、私はどうしても日本史がやりたかった。必死に頼み込んで許可をもらった代わりの条件が、「1単位でも落としたら学費を全額止める」というシビアなものでした。

留年ではなく「1単位」でも、ですか。

久保田 – そう、だから入試よりも勉強しましたよ。その結果、人生で唯一の表彰状をもらい、1年間だけ特待生(授業料免除)になりました。

それはすごい! お父様も喜ばれたのでは?

久保田 – 一度収めた授業料が「現金」でバックされて、約束通り勉強したし、「もしかするとくれるかな…?」と思っていたんですが、全額回収されてしまいました(笑)。厳しい父親でしたが、出してもらった学費ですから文句は言えませんね。

大道具係から「ワクワクさん」誕生へ

「ワクワクさん」でお馴染みの久保田雅人さん

劇団に入ってからも、ものづくりの経験は活かされたのでしょうか。

久保田 – 劇団は大道具・小道具も自分たちで作りますから、私は実家から父親の道具を持って行って、若手に教えながらガンガン作っていました。もともとミュージカル劇団だったのですが、結局一度もソロで歌わせてもらえず、途中から完全にお笑い担当でしたけどね(笑)。そんな中ある時、田中真弓さんから「NHKで高見のっぽさんの後継者を探している」というお話を頂いて。「うちで大道具・小道具を作っていて、喋らせるとちょっと面白いのがいるから」と、私を推薦してくださった。

それが26歳の時ですね。

久保田 – そうです。それまでも教育番組や民放のレポーター、CMなど、オーディションは山ほど受けてきましたが、全部落ちていました。受かったのは、デビュー作とワクワクさんだけです。

そうして平成元年の6月頃、「ワクワクおじさん」という名前のパイロット版(試作番組)が始まったんです。

後編に続く。

【「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」スペシャル対談第二弾】Mika Pikazo × ORIHARA「創作は私たちを幸せにするか」 – 後編

「短歌×イラスト」という異色な掛け算に加え、総勢50名もの作家が一堂に介した大規模展覧会「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」。

BAMによるスペシャル対談シリーズ第二弾では、イラストレーター・イメージディレクターとして活躍するORIHARAと、Mika Pikazoによる対談が実現した。
彼女たちが語ったイラストへの想いは、希望か、絶望か______。

世界旅行で見つけた自分のルーツ

「いい子だね」 / ORIHARA

前編ではORIHARAさんの一世一代の大旅行のお話が出ましたが、何か制作に影響はありましたか?

ORIHARA – 世界のあちこちを回っているうちに、この国や街の雰囲気が、肌に合うなと感じる場所があったんです。スコットランドの薄暗い空の色は、自分の魂にしっくりくるものを感じました。ただ、元々私の“魂の原点”は京都にありまして。生まれ育ちは関係ないんですけれども、中学生の時に初めて京都に行った時に、「あ、私の人生ここにある」って思って。ちょっとくすんだ色を使うのも、神社や境内の木の色だったり、鳥居の赤色とかに惹かれるからなんです。基本的に少し時代が経ったものが好きなのかも知れません。それは、日本に帰ってきてからより強く感じました。Mika Pikazoさんはブラジルに住んでいたことがあるんですよね?

Mika Pikazo – そうなんです。高校卒業してから2年半ほど住んでいました。

ORIHARA -ブラジル出身のイラストレーターさんたちは彩度の高いイラストを描いていますし、スプレーアートの文化もありますよね。食べ物の色も日本とは大きく違っていて、ケーキもとてもカラフルで。だからMika Pikazoさんの「魂の色」は三原色なんだと、勝手に思っていました。

魂のルーツ――ブラジル、ラテン、そしてカラフルな色

「VICARIOUS」 / Mika Pikazo

Mika Pikazo – ラテン文化が持つ魅力に、魂が自然と流れていくというか、「あなたの魂はここにありますよ」って言われているように感じることはありますよね。私がカラフルな色が好きなのも、ブラジルだけではなくて、ラテン系の影響が強いんです。音楽だと、J-POPも海外のジャンルも好きですが、行き着く先は、やっぱりラテンになってしまう。
アメリカの音楽がパワフルなのに対して、イギリスの陰鬱な中の儚さとか、国によって印象が全然違う。そんな中で、ラテンは、凄く熱烈。あの熱烈とした感じが凄く好きなんです。生き物として生を謳歌しているというか。危ない部分は危ないんですけどね。太陽に照らされているような人類愛がある。

ORIHARA – アウトプットは、見るものや環境で決まるのかなって思っています。本人の原風景や、本人を取り巻く環境は、色の好みや色使いにすごく影響しますよね。ヨーロッパを回っていたとき、ローマやバルセロナにも行ったんですが、空の色を見ていると「Mikaさんの色だ…!」と思ったりしました。

Mika Pikazo – え、本当ですか!?行ってみたいな…(笑)。

Mika Pikazoの「エンジン」と「決断の力」

ORIHARA -Mika Pikazoさんの絵を見ていると、とにかく「思い切りがいい」というか……積んでいる「エンジンの大きさ」が、私とはまったく違うんじゃないかと感じることがあるんです。それこそラテンやアメリカンな感覚というか、とにかく「迷わずまっすぐ進んでいくな」という印象が強くて。

それは作品数の多さに対してなのか、それともブレない作風に対して、どちらのニュアンスですか?

ORIHARA –  両方ですが、第一に「信じる力」がバリ強いと勝手に思っています(笑)。

Mika Pikazo – へぇー! ORIHARAさんからそう見えているのは面白いですね。

ORIHARA – イラストって、常に「選択」の連続じゃないですか。色や構図を決める時、悩みが増えて、時間が掛かるほど精神的な体力が削られていく。Mika Pikazoさんも実際には悩まれているとは思いますが、傍から見ていると「これでいく」という決断を早い段階で下しているイメージがあるんです。もの凄い速さでラフスケッチを描いている姿が目に浮かぶんです(笑)。1日は24時間しかないので、その思い切りと決め切りで作品の量産数が決まってくると思っていて、それが筆の速さにも繋がっているし、色使いの力強さにも影響しているのかなと。

Mika Pikazo 当たっていると思います。もちろんラフを絞り出すまでは悩みますが、一度「これだ」というラフが描けたら、そこから完成までは絶対にブレないようにしています。

ORIHARA –  やっぱり。強い……!

Mika Pikazo 逆に、制作途中でポージングや色味を大幅に変えなきゃいけなくなると、パニックになってしまうんです。「あ、完成形が見えなくなった、どうしよう!」って。最初にゴールを決めているからこそ、設計図が狂うと慌ててしまうんですよね。最初のラフの感動をいかに切り崩さないかが大事になってくる。ORIHARAさんはその辺りはどうですか?

ORIHARA –  私は「厚塗り」が苦手で、全体を少しずつ整えていく作業ができないんです。線画で全てが決まらないと塗れない「究極の順番人間」ですね。 だから、お仕事だと描きやすいんです。先方や自分の魂が「これが正解」と言ってくれれば、迷わず進める。でも、これが「自主制作」になると、途端にうだうだしてしまうタイプで…。

Mika Pikazo 自主制作だと、また別の悩みが出てきますよね。

ORIHARA – そうなんです。「もっといい表現があるかも」って、締め切りがないと永遠に悩んでしまう。だから、Mikaさんの「これでいきます!」という潔さは、本当に見習いたいです。

Mika Pikazo 私も、大作的な絵を描く時は最初から最後まで悩みますよ。「本当にこれでいいのか」って。もう少し気楽に考えて作りたいって思うくらい、自分の気持ちが、作品としてのカタルシスに向かわないと、作品を終わらせられないんです。

個展「UNDER VOYAGER」メインビジュアル / Mika Pikazo

ORIHARA –  Mika Pikazoさんの場合、その「悩む時間」の配分が上手いんだと思います。例えば100枚描く展示会があるとして、全部で悩むのではなく、「一番悩むべき場所」をロジカルに決めている。悩むことが必ずしも正義ではないから、量産すべきところと、深く潜るところを切り分けている「ロジカルなエンジン」だなって。

“自由”の難しさと、スランプの正体

Mika Pikazo 確かに、その辺りはロジカルかもしれません。ただ、展示会となると感情が乗りすぎて、それが「悩み」に変わることもあります。空間のテーマを決め、それを拡張しようとすればするほど、感情が無限に浮かび上がってきて、収拾がつかなくなるというか……。イラスト単体ではその絵だけに気持ちを集中させればいいけど、展示会はもっと膨大な、複雑な感情が自分を乗っ取ってしまう。

ORIHARA –  想いが強すぎると、プレッシャーで腕が重くなりますよね。

Mika Pikazo そう、腕が重いんです。ちょっと話が逸れるかもしれませんが、スランプって、インプット不足だけでなく「自分の中の感情や責任が重くなりすぎた時」に起きやすい気がしていて。

ORIHARA – 分かります。

Mika Pikazo 正解が見つけづらくなるんですよね。「頭の中でこんなことが浮かぶならもっと深いところを伝えられる作品を作れるはずだ」とか、「この感情をもっといい形で昇華すべきなんじゃないか」とか。自分の感情には底がないから、どこまでも沈んでいってしまう。

ORIHARA –  お仕事だと、あくまで「エンタメ」という枠組みの制限のおかげで、基礎体力で乗り切れるんです。でも、“自由”を与えられると、エンタメから外れたような、もっと深い「高尚」なところに行かなければいけない気がして、悩んでしまいます。

Mika Pikazo 広告などの仕事はある意味「制限」があるからこそ、どこまで伸ばしていいか明確ですよね。でも展示は、全てを自分で決めなきゃいけない。自由度が高すぎると、エヴァンゲリヲンのシンクロ率じゃないですけど、どこかでブレが生じ始める。

ORIHARA – 「自由」ってなんて難しい言葉なんだろう、って毎回思いますね。私は言語化してから絵を描くタイプなので、「言葉にならない感情」を形にする難しさを今回の展示からすごく感じました。

「感情展」にどう向き合ったのか

「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」メインビジュアル / Mika Pikazo

コマーシャルワークと自主制作の違いについてお話がありましたが、今回の『感情展』はかなり自主制作的な側面が強いと思います。制作において悩んだことや、抱いた感情について教えてください。

Mika Pikazo 今回は私がディレクターとして「感情」というテーマを設定したので、自分が出したお題に対して、ある種「クライアントワーク」としてイラストを描いた感覚なんです。沢山の感情が渦巻く展示にしたいからこそ「捉えきれない感情を、見ている人に複数個の感情がブレて表現されるものを描こう」と思って。その導入として、感情を決めつけない、あやふやなものを提供したかったんです。いかに「気持ちを落ち着けて描くか」を意識しました。なにかの感情に支配されないこと。描き込みの要素が多くて作業としては大変な絵ではあるのですが、そこに想いを「込めすぎない」というか。力が入っている状態なんだけれど、あえて力を抜く。軽い気持ちを維持した状態で感情を捉えるべきだ、と考えながら描いていました。

ORIHARAさんの今回の作品『鏡』についてはいかがですか?

「鏡」 / ORIHARA 

ORIHARA – 「言葉にならない感情」というお題をいただいたのですが……私、自分自身の放つ「言葉」をあまり信用していないんです。

Mika Pikazo どういうことですか?

ORIHARA – これは言葉そのものの話ではないのですが、私自身は自分の気持ちを伝える言葉を選ぶとき、自分を「高尚」に見せようとしてしまうタイプなんです。自分の内面を実物よりも少し綺麗に「ラミネート」して出そうとしてしまう。でも、散々泣いてボロボロになった後に、ようやく出てくる情けない言葉が「本音」であって、それ以外はすべて、ある種の「武装」なんです。だから今回の作品では、これまでインタビューなどで話してきたような「美しい言葉」を全部削ぎ落とした後の、一番醜くて原始的な気持ちを描きたいと思って、『鏡』という作品を描きました。

Mika Pikazo なるほど……。でも私、この絵はすごく「優しい絵」だなと感じました。自分のファッションや言葉って、いくらでも知識で武装したり、よく見せたりできるじゃないですか。でも、作っている最中にそれが全部剥がれ落ちてしまう瞬間って確かにある。 さっきORIHARAさんが言っていた「信じる力」というのは、そういう自分自身を受け入れること、ともに生きていくことなんだと、今思いました。醜さも含めて自分を認めるという『鏡』の在り方は、すごく優しさに満ちていると感じました。

ORIHARA – 嬉しいです。結局、「愛されたい」とか「目立ちたい」といった原始的な感情を出すのは恥ずかしいことだと思って生きてきたんです。そんなもの外に出したって誰も聞いてくれないし、自分はもっと複雑なところにフォーカスして絵を描くんだ、と信じて数年間やってきました。でも最近、自分が嫌悪を感じる感情や対象こそが、本当は自分が一番持っていたり、なりたかったりしたものだと気づいて。「まあいいか、愛されたいですよ私も」という気持ちになれました。それを込めて描いたので、それが優しさとして伝わったなら、私は今、自分を許せているのかもしれません。

創作は「幸福」をもたらすのか、それとも…

お2人にとって、絵を描くことは幸せですか?創作を通しての悩み、苦しみを聞くと、ある種の呪いのようにも聞こえるのですが…。

Mika Pikazo –  私の場合、制作自体にすごく時間がかかりますし、常に自問自答を繰り返してしまいます。しかも、その自問自答が悪い方向へ行くことが多い。描き切るまでずっとネガティブというか、他人から見たら「そこまで考えなくてもいいんじゃない?」というところまで沈んでいってしまう。 そう考えると、作っている最中が幸せかと言われれば、あまり幸せそうではないなと自分でも思います。ただ、「絵が一番、苦しまない」とも思うんです。

どういうことですか?

Mika Pikazo –  絵以外の現実が辛すぎる、という感覚が強いんです。楽しいとか幸せとかを感じないというわけではなく、沢山の嬉しい思い出があっても、器の底が欠けてしまっている。日々過ごす中で直面する「現実」から逃避できる場所が「絵」なんです。自分が向き合いたくないものから逃げて、自分が信じたいものに向き合わせてくれる。 「絵を描いていたから、かすり傷で済んだ」という感覚。それくらい現実には大変なことが多いと感じてしまうので、私にとって絵を描くことは「幸せ」というより、「救い」なんだと思います。

言語を超えた「コミュニケーション」としての絵

自分に他の能力があれば、「絵」以外の手段でも構わない?

Mika Pikazo –  もし楽器が扱えたら音楽でも良かったのかもしれません。でも、絵が一番、自分の理想や想像したものを理想の形で吐き出せるんです。 以前、言葉が全く喋れない状態でブラジルへ行ったことがありました。その時、メモ帳に絵を描くと、現地の人に自分の言いたいことが伝わったんです。翻訳機能も使わずに、「これが欲しい」「ここへ行きたい」という意思が、「絵」を通して伝わった。その原体験もあって、私にとって絵は言語に匹敵する、あるいはそれを超えるものなんです。

ブラジル在住時の玄関先の風景

ORIHARAさんはどのように考えますか?

ORIHARA – 絵には「人を幸せにする力」があるとは思います。ただ、私自身が絵に幸せにしてもらったことは、自認では一度もないんです。

 一度も、ですか。

ORIHARA – ファンの方やクライアント、見てくれる第三者のところに届いて、コミュニケーションが生まれたとき、初めて幸せか不幸かが決まると思っています。絵を描くことそれ自体は、私的には基本的に悩みをもたらしてばかりの「とんでもない趣味」ですから(笑)。自分のためだけに描いたこともほとんどないし、ただ「伝わってほしい」から絵を描いているんだと思います。

チーム戦への転換。Mika Pikazoが目指す「遠く」への道

ORIHARA – せっかくの機会なので、これまでの流れに関係なく聞いてみたいことがあるんです。Mika Pikazoさんは、多くのアシスタントさんと一緒にお仕事をされていますよね。ご自身の限られた時間をどう使い、どこまでを「自分の絵」として認識して割り切っているのか。制作とは全く別の脳を使う作業だと思うのですが、どのように考えていらっしゃいますか?

Mika Pikazo もちろん「ここは自分で描く」というラインはあります。最終的な仕上げには必ず自分の手を入れますが、自分一人の手では描けないくらい、もっとたくさんのものを作りたいという思いが強いので、スピードを重視して分担しています。だれかに描いてもらった部分があっても、「これは自分の絵である」と思えるのは、ロジカルというより感覚的なものかもしれません。

ORIHARA – それって、人によっては「自分で描いてないじゃん」と見えるかもしれないけれど、Mikaさんのチームプレーって、もっと「向こうに行きたい」という概念に向かっている気がするんです。

現代美術家・村上隆さんのカイカイキキに近しいものを感じますね。

ORIHARA – Mikaさんは「深さ」というより「遠く」に行きたい人なんだなと感じました。この消費の早い社会で、自分一人で描く限界を超えて、どこまで「団体戦」で遠くへ行けるか。それが現代におけるイラスト表現の可能性なのかもしれませんね。

作家としての寿命と「今」かけるべき熱量

作家として生涯あとどれほどの作品を残せるかなど、残り時間について考えたりしますか?

Mika Pikazo 凄く考えていますね。これは20歳ぐらいのときから考えてきました。今の自分と同じようにこれからもずっと描けるかを全く信じていなくて(笑)。5年後、10年後に体を壊しているかもしれないし、描く時間が取れなくなるかもしれない。実際に20代ではまったく思いつかなかったことが目の前に広がるようになりました。だからいつでも終わってしまうリスクを考えて、今のうちに出来ることはやっておきたいんです。私自身は死ぬまで苦悩しながら筆を握っている作家が大好きなので、そうでありたいと思っていますが、 「来月10枚描こう」と思っても、状況次第では3枚しか描けないかもしれない。だから、次の展示、その次の展示まで「道筋」を決めていたりします。

ORIHARA – プロデューサーみたいですね。

Mika Pikazo そうかもしれません(笑)。ORIHARAさんはどうですか?

ORIHARA:私は、もちろんずっと見てもらえる存在だとは思っていないので、残り時間というよりは「あと2、3年で突然死ぬかもしれないし…世界がどうなっているかもわからないし……」という、時限爆弾の残り時間への焦りのようなものがあります。なので、「今見せるべき最短で最高の絵を描かなきゃ」という思考はあります。「あと50枚しか描けない」としたら、その50枚をどれだけ早く、悔いの残らないアイデアで選択するか、という感じです。

その1枚に対して、出し惜しみなどはしないですか?

ORIHARA – 出し惜しみできるほど、私は絵が上手くないぞ、と思っているので(笑)。1枚1枚に詰めたいことを詰め切った上で、伝えたいことが伝わってほしいタイプです。

「感情展」を訪れる方々へ

角川武蔵野ミュージアムにて開催中の「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」

最後に、この「感情展」に来場される方々へメッセージをお願いします。

Mika Pikazo 今回はディレクターとしての側面もありますが、イラストと短歌を掛け合わせるなど、あえてイメージを使わない表現を多く取り入れました。参加頂いた方々、一人ひとり違う「感情」というものに真摯に向き合って作ってくださっています。展示作品を通して、自分自身の感情や、誰かを見た時の思いを照らし合わせて、「今の自分自身の答え」のようなものを探っていただけたら嬉しいです。

ORIHARA – 創作が救いになるかはわかりませんし、今見て必ずその場で何かを感じる必要もないと思います。それでも、ここで見たものが、なんとなく誰かの人生の棚に入って、いつか思い出したときに、悩みや幸福の足がかりや大義やきっかけになり得るのであれば。それがプラスでもマイナスでも、いつか人生に使える棚にしまっていただけたら、いち絵描きとしてはこれほど嬉しいことはありません。

Mika Pikazo 嬉しい。本当にそうですね。ORIHARAさんありがとうございました!

「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」

会期:2026年2月13日~2026年3月29日
会場:角川武蔵野ミュージアム
アドレス:埼玉県所沢市東所沢和田3丁目31−3 ところざわサクラタウン
休廊:火曜
開館時間:10:00~18:00(最終入館:17:30)
※休館日、営業時間は変更となる場合があります。最新情報は公式HPよりご確認ください。
公式サイト:https://kadcul.com/event/251

【「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」スペシャル対談第二弾】Mika Pikazo × ORIHARA「創作は私たちを幸せにするか」 – 前編

日本を代表するイラストレーターでありアートディレクターのMika Pikazo。彼女がクリエイティブディレクションを務める「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」が、角川武蔵野ミュージアムで開催されている。

「短歌×イラスト」という異色な掛け算に加え、総勢50名もの作家が一堂に介した大規模展覧会。本展に合わせたBAMによるスペシャル対談シリーズ第二弾では、イラストレーター・イメージディレクターとして活躍するORIHARAと、Mika Pikazoによる対談の前後編をお届けする。

イラストレーターと、もう一つの肩書き

「10年目もよろしくね」 / ORIHARA

まずは「肩書き」について聞かせて下さい。
お2人とも2つの肩書きをお持ちで、Mikaさんが「イラストレーター / アートディレクター」なのに対して、ORIHARAさんは「イラストレーター / イメージディレクター」として活動していますね。

ORIHARA – 私の場合、イラストレーターとイメージディレクターで脳みその使い方を分けています。イメージディレクターの仕事について敢えて言葉にするなら、「世界中の誰の為でもなく、ただ1人のたったその人のために捧げる仕事」といったイメージです。(関連記事:見えない顔、見える感性 – ORIHARAが紡ぐ人間の複雑さ 【前編】

それに対してイラストレーターとしては、そのスイッチを逆に切り替える。内側の部分よりも外装の部分に気を使いたいと言いますか、広告的な意味合いが強いものになるんです。みなさんが「ORIHARAの絵ってこういうのだよね」と言ってくださるような部分をより強調しながら、一目で「ORIHARA」とわかるように意識しながら描いています。

Mika Pikazo – 確かにORIHARAさんの絵って、「あ、ORIHARAさんのだ」ってすぐに分かる絵をしていますよね。初めてORIHARAさんの絵に触れたのがAdoさんのイラストで、作品を見ていく中で、「叫び」が聞こえてくるというか、“何か”をすごく渇望しているんだろうな、手をグッと伸ばしているんだろうなというものが感じられて。そういった部分が、多くの人に響いているんだろうなと思いました。

ORIHARA – ありがとうございます…!

一方Mikaさんもイラストレーターだけでなくアートディレクターとして活動されていますが、2つの顔を持つという点において、ORIHARAさんと通ずるものはありますか?

 Mika Pikazo – 凄くありますね。私はこれまで、「人の感情が揺り動かされ反射的に目を奪われてしまう絵はどんなモノだろうか」ということをかなり意識して描いてきました。特に20代はその傾向が強かったなと思います。ただ、そうして積み上げていくうちに、ふと「反骨精神」のようなものが以前より湧いてくることがあるんです。「絶対に輪郭を捉えさせないぞ」といった感覚。それは自分自身のためでもあり、見ている人を驚かせたいという気持ちでもあります。自分の「コントロールしたい意志」とは別に、自然と湧き上がってくる“何か”があるような感覚、というか…。

ORIHARA – 凄く分かります。こうした方がいいと頭では分かっているけれど、「それだけが私の全てではありません」という、別の部分が出てくる。

Mika Pikazo – 意外とそうした側面を楽しんでくれる方もいて、そういったところから始まるアイデアや画風もあるんだ、というのは最近になって感じています。

ORIHARA – Mika Pikazoさんのイラストといえば三原色を活かした鮮やかなイメージがありますが、時々、ライティングが強めの白みがかったイラストが出てくると、「おっ!」と思います(笑)!

Mika Pikazo – 嬉しいです(笑)。あえて色彩や得意なモチーフ・技法に制限をかけたり、普段描く表現と違うものを求められたりすると面白いですよね。逆にORIHARAさんは、いつもと違うものを描いた時に「いいね」と言われると、どう感じますか? それが自信や嬉しさに繋がることはありますか?

「オリハラブランド」という“ハンコ”からの脱却

「EYE」 / ORIHARA

ORIHARA – やっぱり嬉しいですね。ORIHARAらしい絵を描き続けていると、ときどき「他人の借り物」を描いているような感覚になることがあるんです。受け手が作ってくれた「ORIHARAブランド」というイメージ像。その期待に応え続けることが、同じ「ハンコ」を押し続けているように感じられることもあって。もちろん同じ絵を描いているわけではないのですが、「いつも同じものばかり届けていないだろうか?」と自問自答してしまいます。

Mika Pikazo – なるほど。

ORIHARA – だから、たまに違うものを描いて、それが「いいね」と言われると、素直に「バリ嬉しい!」ってなります(笑)。

Mika Pikazo – バリ嬉しい(笑)。すごく解ります。

広告的視点と「出力先」で決まる表現

展示会「ILY GIRL」東急プラザ表参道原宿エントランスデザイン / Mika Pikazo

Mika Pikazo – ORIHARAさんはどういった風に描かれているのかなと気になっていましたが、お話を伺っていると、かなり「広告的な視点」も強い方なんだなと分かりました。今の活動の規模感や見られ方に、しっかりその辺りが入っているんですね。

ORIHARA – そうですね。私は、「どこで出すか」によって、描き方をかなり変えています。大きな広告として掲載されるイラストなのか、YouTubeのサムネイルという小さな枠で目立つべきなのか。あるいは雑誌という媒体の中で目を引くべきなのか。イラストを描く時には「出力先」から逆算して考えています。 Mika Pikazoさんも様々な媒体のお仕事をされていますが、その辺りってMika Pikazoさんはどう捉えていらっしゃいますか?

Mika Pikazo – 例えば私がAdoさんの1stアルバムの駅内広告を描かせていただいた時は、誰もがAdoさんを知っているという状況の中で、どうやって足を止めさせるかを考えました。

「FLOWER CAKE」 / Mika Pikazo

広告に関しては、自分らしさよりも「インパクト」を重視します。興味を持った人や知っている人が「Mika Pikazoの絵だ」と、分かってくれる人が1割いれば十分だと思っていて。クライアントワークについては、その案件の大事な要素を自分にインストールして、その目的のために描くという感覚が強いです。

Adoさんの話が出ましたが、ORIHARAさんはAdoさんのイメージディレクターを務めていますよね?

ORIHARA – 昨年にAdoさんの世界ツアー『Ado WORLD TOUR 2025 “Hibana” Powered by Crunchyroll』が開催されていたんです。元々観に行こうと思っていたのですが、ちょうど1人で旅をしたいと考えていたタイミングと重なったこともあり、ヨーロッパを中心に色々と回ってきました。

2ヶ月でおよそ10カ国を巡る、弾丸一人旅の裏側

フランスで訪れたモン・サン・ミシェル

Mika Pikazo – 完全に一人で行かれたんですか?すごすぎる!

ORIHARA – そうなんです。日本を出てから2ヶ月間、飛行機やホテルも全部自分で手配して、いろいろな国を巡って、最後にアメリカに行って帰ってきました。世界一周とまではいきませんが、10カ国くらいは回ったと思います。

Mika Pikazo – すごい行動力! 10カ国も!

ORIHARA – イラストレーターはどこでも仕事ができるから、旅先にも道具を持っていってあちこち移動しながら仕事をしていました。

Mika Pikazo – その時はiPadで制作されていたんですか?

ORIHARA – いえ、iPadの他に液タブとパソコンを担いで行きました(笑)。

Mika Pikazo – すご…(笑)。バイタリティがある…!

「離れたら偽物になってしまう」

『Hibana』キービジュアル / ORIHARA 

Mika Pikazo – ヨーロッパを旅しながらも、その先々にAdoさんのツアーという「自分の人生と深く繋がっているもの」がちゃんと存在しているというか、未知の世界と、自分がよく知るものが連結している感じが、すごく素敵だなと思いました。

ORIHARA – 離れてしまったら、描くものが偽物になってしまうので。やっぱり「ライブ」という場所が、一番「本人」が見える瞬間だと思うんです。 ツアー中、彼女は日本にいないわけで、その離れている間に、彼女はどんどん変わっていく。それなのに、それを見ていない私が「分かっています」という顔をして描くのは、ものすごく嘘をついているような気がするんです。

Mika Pikazo – なるほど、そういう感覚なんですね。面白い。

ORIHARA – その人がその土地で何に感銘を受けたのか、何を見たのか。少しでも近いところで自分も体感したいという気持ちがあったんです。元々一番ファンでいようとしているので、一緒に行動したとかは全くないです。あくまでファンの人と同じ距離で得たものをAdoとして出すのが私のお仕事です。なので、本当にただ追っかけていただけの人なんです(笑)。ライブになると現れて、突然消える、みたいな。勝手に関係のないスコットランドにも行ったりしていましたし(笑)。

この旅で訪れたスコットランドのエディンバラ。ORIHARAさん曰く、スコットランドの薄暗い空の色が魂にしっくりきたんだとか。

Mika Pikazo – すごくいいお話ですね。以前、あるダンサーペアの方の話を聞いたことがあって。 その二人は、常にある一定の近い距離にいるからこそ出せる「シンクロ感」があるそうで、逆に少しでも離れてしまうと、その「同期」がズレてしまう。 今のORIHARAさんのお話を聞いて、まさにその「同期」を大切にされているんだなと腑に落ちました。それだけ本気でAdoさんと向き合っているんだなって。

ORIHARA – ありがたいです。そうやって何かを追求するのが、私にとっての「絵」なのかもしれません。

Mika Pikazo – 確かに、絵は自分を裏切らない……と言いたいけれど、たまに描けなくなって自分を裏切ることもある。でも、ずっとそばにいてくれたのはやっぱり「絵」なんですよね。

ORIHARA – そうですね。人間よりも信用できるのは、絵と、犬だけだと思っています(笑)。

Mika Pikazo – 犬! いいですね(笑)。

ORIHARA – 絵は私を1人にしなかったから……。その割にはリソースがかかりすぎるし、本当に手のかかる面倒な趣味だなって思いますけどね(笑)。

後編では、見てきたものが作品に与える影響に始まり、創作の背景や哲学について、第一線を走る2人ならではの対話が盛りだくさん!絵を描くことは、2人にとって「幸せ」なのか、それとも…。

お楽しみに!

「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」

会期:2026年2月13日~2026年3月29日
会場:角川武蔵野ミュージアム
アドレス:埼玉県所沢市東所沢和田3丁目31−3 ところざわサクラタウン
休廊:火曜
開館時間:10:00~18:00(最終入館:17:30)
※休館日、営業時間は変更となる場合があります。最新情報は公式HPよりご確認ください。
公式サイト:https://kadcul.com/event/251

【イベントレポート】“58分”の結晶。「劇場アニメ ルックバック展 ―押山清高 線の感情」レポート

作中にて藤野がサインをした京本の半纏の“背中”

藤本タツキの読み切り漫画を原作とした劇場アニメ『ルックバック』は、公開後瞬く間に話題となり、大ヒットを記録した。その熱狂は公開から1年半ほど経った今も冷めやらず、本年2026年には実写映画化が予定されている。

麻布台ヒルズギャラリーにて開催中の「劇場アニメ ルックバック展 ―押山清高 線の感情」では、膨大な量の原画が展示されている他、作中に登場したシーンの再現や、様々な仕掛けがなされている。

作品のストーリーの意味するところや細かな設定についてはあちこちで考察が為されているのでそちらに委ねて、今回は、この展示を通して見えてくる本作の「アニメーション表現」としての特異性について触れてみたい。

再評価されつつある原画の尊さ

作画トンネル

会場を入るとまず現れるのが、「作画トンネル」と呼ばれるエリア。監督を務めた押山清高氏をはじめ、参加したアニメーターによる膨大な量の原画の“一部”を体感することができる。

昨年末に開催された米山舞の個展『YONEYAMA MAI EXHIBITION “arc”』(関連記事:4次元で観る『YONEYAMA MAI EXHIBITION “arc”』)や、本展示と同時期に開催中の『攻殻機動隊展』など、いわゆるアニメーターの中間成果物を展示する試みは近年増えつつあるが、『ルックバック』において、その意味合いは若干異なる。

これにはまず、アニメーターの役割を説明する必要がある。

作画トンネルに飾られる膨大な原画の数々

原画マンと動画マン

アニメーターの仕事は、主に「原画」と「動画」と呼ばれる大きく2つの種類に分けられる。

「原画」を簡単に言うなら、アニメーションの動きの要点を描く「設計図」であり、ラフ的なイメージのもの。対して、その指示に従い「間」を埋めて滑らかな動きに仕上げるものが「動画」と呼ばれる。それぞれを担うアニメーターのことを、業界では「原画マン」「動画マン」と呼んでいる。

「動画」には「原画」を清書する意味合いも含まれる為、通常では「原画」は中間成果物としての意味合いが強かった。言い換えれば、「動画」とは、「原画」で現れるアニメーターの個性を均質に平すために排除していく工程とも言える。時折耳にする「作画崩壊」を防ぐために、作品全体を通して“線”を均一化し、クオリティの防衛ラインとして機能するのだ。

展示のタイトルにある、「線の感情」の意図するところが、この辺りの事情に関わってくる。

エンドロールに流れた謎の肩書き

劇場アニメ『ルックバック』は、ここが面白い。

いつもの癖で映画のエンドロールまで大人しく座っていると、サラッと流れた謎の肩書きが引っかかる。

これまで語ってきた「原画」でも「動画」でもない(どちらでもあるとも言える)、「原動画」という馴染みのない肩書きが採用されている。これは押山監督の考案によるものなんだそう。

「原動画」として連なった8人の名前、業界に存在していなかった肩書きのクレジットは、一体何を意味するのだろう。

作画トンネルに飾られる膨大な数の原画

線の感情

押山氏は、「原画」から剥ぎ取られてしまうアニメーター毎の「味」を、そのまま画面に反映させたかったのかもしれない。

本来「動画マン」によって濾過されるべき線の「雑味」をそのまま採用した表現は、関わった「原動画マン」の表現をダイレクトに作品に反映できる。

「原動画」を務めた8人のうちの1人、井上俊之氏は『AKIRA』や『魔女の宅急便』、『攻殻機動隊』などで原画や作画監督を担ってきた業界を代表するアニメーター。「神」とさえ言われる彼を筆頭としたトッププロたちの息吹が、作品のワンシーンに、“線の感情”として凝縮されている。

押山氏は、そうした絵を描く者としての矜持やリスペクトの現れとして、「原動画」という新たな呼称を生み出したのだろう。

およそ「1分」のスキップ

劇場アニメ版で印象的な「スキップ」のシーンを3Dゴーグルで観ることができる

さらに注目したいのが、同作の象徴的なシーンである、田圃道をスキップする藤野の描写だ。58分の作品時間に対して、およそ1分という膨大な時間を「スキップ」に当てた潔さ、末恐ろしさ…。

会場では、スキップの名シーンを3DCGゴーグルで体感できるので、是非試してみて欲しい。

58分、その裏側

最後に、時間的な描写・展示設計について触れて終わりとしたい。

映画としては短い「58分」の作品に、一体どれだけの絵が描かれてきたかは、これまでの話で想像がつくはずだ。

僕らが楽しんで鑑賞出来るのは、普段は知り得ない、そうしたアニメーターの血と汗と涙の結晶に他ならない。

劇場アニメ化・展示開催にあたっては、そうした、制作にかかる「時間」に対する描写が強調されているように思える。

劇場アニメの冒頭シーンでは、幼い藤野が夜遅くまで自室の机に向かい、絵を描くシーンが原作から追加されている。それは、朝も昼も夜も、ひたすらに筆を取り続けていることを強調したもので、エンディングでは、原作同様に漫画家になった藤野が編集部に残り、夜通し机に向かう姿で締めくくられる。

「劇場アニメ ルックバック展 ―押山清高 線の感情」においても、そうした時間を強調した展示が印象的だ。

藤野の自室を忠実に再現したエリアでは、窓の外から差し込む光が、朝・昼・晩と、刻々と変化していく。

展示会場で再現された藤野の自室
展示会場で再現された京本の自室へと続く廊下

原作からさらに強調された「時間」の描写は、わずか「58分」という上映時間に、どれだけの絵が描かれ、時間がかけられてきたか、我々の知る由もなかった作家の“跡”が込められている。「原動画」を1つの作品としてまとめ上げた気の遠くなるような制作手法は、絵を描く喜びや苦しみを描いた作品内容と共鳴することで、より一層深い意味合いを生み出している。

展示される1枚1枚が、この名作を作り上げたピースだ。

閉幕まで残り数日に迫った今、まだの人はもちろん、一度訪れた人ももう一度足を運んで、原動画に込められた「線」に宿る作家の魂の痕跡を、目で見て、体で感じて欲しい。

<「劇場アニメ ルックバック展」メインビジュアル> 
© 藤本タツキ/集英社 © 2024「ルックバック」製作委員会 ©「劇場アニメ ルックバック展」実行委員会

「劇場アニメ ルックバック展 ―押山清高 線の感情」

会場:麻布台ヒルズ ギャラリー(東京都港区虎ノ門5-8-1 麻布台ヒルズ ガーデンプラザA MB 階)
会期:2026年1月16日(金)~3月29日(日) ※会期中無休
営業時間:10:00~18:00(最終入館17:30)
※営業時間は変更になる場合があります。最新情報は公式サイトをご確認ください。
前売チケット:一般(高校生以上)2,300円、子供(4歳~中学生)1,500円(来館予定日前日まで)
当日チケット:一般(高校生以上)2,500円、子供(4歳~中学生)1,700円
公式サイト:https://www.azabudai-hills.com/azabudaihillsgallery/sp/lookback-ex/

【「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」スペシャル対談第一弾】Mika Pikazo × 青松輝が語る、創作と感情の距離 – 後編

日本を代表するイラストレーターでありアートディレクターのMika Pikazo。彼女がクリエイティブディレクションを務める「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」が、角川武蔵野ミュージアムで開催されている。

「短歌×イラスト」という異色な掛け算に加え、総勢50名もの作家が一堂に介した大規模展覧会。既に会場に行った人はもちろん、これからの人も、足踏みしている人も、これを読めば、きっともっと、展示が楽しくなるはず。

前編に引き続き、今話題のYouTuberベテランちとしての顔を持ちながら、現代短歌の旗手として活躍する歌人・青松輝×Mika Pikazoによる対談の後編を、展示会場の様子と共にお届け。

Mika Pikazo / 「愛、恐れ」

「もめている状態」こそが、最も信頼できる

青松輝

青松 – 僕は「良い感情」も薄いタイプなので、それを表現して誰かと繋がってしまうことに、ある種の怖さを感じることがあります。自分の「楽しい」という純度を正しく共有できる自信がない。だからこそ、マイナスなことや暗いことを書く方がしっくりくるんです。

Mika – それは、純度が下がってしまうのが嫌だからですか?

青松 – うーん、「魂が通じ合う」みたいなことは、後から嘘になる可能性があるじゃないですか。それは愛なのか、友情なのかわかりませんが…。でも、「分かり合えていない」、「もめている」という状態は、絶対に動かない事実ですよね。殴り合いをしていれば、それはもうマイナスで確定というか。そっちの方が、僕にとっては嘘がない、誠実なものに感じられるんです。

Mika – 面白い……! つまり、「喧嘩している」という揺るぎない前提があるからこそ、逆に安心して対話ができる、みたいな。

青松 – そうです。憎しみや嫌悪って、自分に嘘をついてまで抱く必要がないものなので。自分にとっても他人にとっても、一番信じられる状態なんじゃないかと思っています。

それは、誰かと信頼し合った後に「裏切られる」のが怖い、という意味も含まれますか?

青松 – 裏切られるのが怖いというより、「裏切ったと思わせる」のが怖いのかもしれません。一種の期待値コントロールですね。最初から嫌なことを書くことで、自分を「加害者」のポジションに置いておく。

加害者になることで、自分を守っている?

青松 – 「僕はこういう嫌な面がある人間ですよ」と先に納得させておくことで、後から「実はヤバい奴だった」と思われるリスクを減らしたいというか。だから、しんどい思いをしながらも明るい作品を描き続けているMikaさんは、本当に偉いなと尊敬します。

Mika – 私は逆に、青松さんのように敢えて「嫌なこと」を言える人はすごいなと思います。私はどこかで「良い人」ぶりたいわけではないけれど、嫌味を言うのが怖くて。

青松 – 毒にまみれるのが怖い、ということですか。

Mika – そうなんです。言い返したいことがあっても、それを言葉にすることで自分自身が毒に侵されていくような気がして。だからこそ、SNSなどで言い返せなかった悔しさを吐露している人を見ると、「意図的に毒を扱える人」への憧れのようなものを感じますね。

作品の落̇と̇し̇所̇

CHAPTER 4「複雑な感情」の様子

Mika – 私は結構完璧主義なところがあって、完成までの30〜70%の状態でずっと悩んでしまうんです。色々な感情が渦巻きながらも、最後は結局勢いで突っ切っていくことになるんですけど、青松さんは短歌を詠む時はどこまで突き詰めますか?

青松 – 完璧主義の中でも、減点方式に近いかもしれないです。ただ、それだときりがないことももちろんあります。そういう時はあとで見返して、「ぬるさ」があるかを考えます。自分の中で「ぬるい」と思ったら、その部分を変えていく。それを繰り返して、ギリギリ許せるな、というところでリリースしています。作品自体がぬるいかどうかだけではなくて、自分がその作品を書いて発表した、そのこと自体がぬるいかどうかという感覚もあります。

Mika – わかります。それを出しちゃっていいのか、みたいな。

青松 – 逆に言うと、アウトプットしたものが客観的に見てぬるかったとしても、自分の中で冒険している部分とか、新たに発見した部分があれば、それは許せるんです。

Mika – 甘えと言うか、手癖と言うか…。それを出してしまうと、むしろ自分にダメージが返ってくるような感じがしますよね。自分自身を責めてしまう。

青松 – 短歌を書いてない人からすると一見凄く思えるようなテクニックというか、キャッチーでわかりやすいものを出したとしても、自分の中では他のやり方が出来るから、やる意味がないから辞める、みたいなこともあります。

Mika – 凄くわかります…!私もそうなった時は辞めますね。「同じじゃん、これ」みたいな。

ひとつの歌が示す分岐点

CHAPTER 2「時代を越える感情」の様子

今日(けふ)もまたぴあのの下にうづくまり人を憎めり汗かきながら

現代語訳
今日もまたピアノの下にうずくまるようにして、身体一杯、心一杯に人を憎む。汗をかきながら。

今回の展示区画のひとつである「時代を越える感情」では、近代短歌に対して現代の歌人が返歌する試みがあります。青松さんは上の岡本かの子さんの歌への返歌として、次のように詠んでいます。

ピアノから音が鳴るのはそのピアノがきみを拒んでいるから さっど

この2つの歌を見た時、Mikaさんはどのように感じましたか?

Mika – 岡本かの子さんのこの歌を見た時に、 私は、ピアノと自分が「一心同体」のようなイメージを持ちました。何か嫌なことがあって、自分の一部なのか、唯一の拠り所なのか、ピアノの下に潜り込む様子。ピアノが心の安定剤であり、救いであるようなイメージです。だから、青松さんが「ピアノが拒んでいる」という“拒絶”のニュアンスで解釈されたのが衝撃でした。

青松 – 僕はむしろ、「ピアノ大好きっ子」のようなイメージは全然していなかったです。以前ピアノをゴキブリに例えたことがあって。グランドピアノの蓋を開けた時の姿や、内側の構造、黒光りした直線的な感じが、ゴキブリの持つ無機質さや羽を開いた時の内側が見える生々しさに似ている気がするんです。嫌いなものの隣って、あんまり落ち着かないですよね(笑)。それが拒絶のニュアンスに繋がったんだと思います。

Mika – 一つの歌でも、これほど解釈が変わってくるのは本当に面白いですね。青松さんは、人生の経歴だけでなく考え方の根本が私と違っていて、まったく想像してない答えが返ってくる。

青松 – 本当にそうですね。

「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」が、角川武蔵野ミュージアムで絶賛開催中

「感情」という同じテーマを扱いながら、自らを作品に没入させるMika Pikazoと、精巧な装置として「感情」を設計したり発見していく青松輝。手法や言葉は違えど、二人の言葉の端々からは「表現」に対する誠実さと、底知れぬ熱量が伝わってくる。短歌とイラスト。一見なんの関わりもない2つの表現領域・様々な作家の「感情」が交差する「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」は、3月29日まで。

ぜひ会場に足を運んで、揺れる自分の“感情”を見つけにいこう。

「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」

会期:2026年2月13日~2026年3月29日
会場:角川武蔵野ミュージアム
アドレス:埼玉県所沢市東所沢和田3丁目31−3 ところざわサクラタウン
休廊:火曜
開館時間:10:00~18:00(最終入館:17:30)
※休館日、営業時間は変更となる場合があります。最新情報は公式HPよりご確認ください。
公式サイト:https://kadcul.com/event/251

【「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」スペシャル対談第一弾】Mika Pikazo × 青松輝が語る、創作と感情の距離 – 前編

日本を代表するイラストレーターでありアートディレクターのMika Pikazo。彼女がクリエイティブディレクションを務める「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」が、角川武蔵野ミュージアムで開催されている。

「短歌×イラスト」という異色な掛け算に加え、総勢50名もの作家が一堂に介した大規模展覧会。既に会場に行った人はもちろん、これからの人も、足踏みしている人も、これを読めば、きっともっと、展示が楽しくなるはず。

本展示に合わせたBAMによるスペシャル対談シリーズ第一弾では、今話題のYouTuberベテランちとしての顔を持ちながら、現代短歌の旗手として活躍する歌人・青松輝×Mika Pikazoによる、ジャンルを飛び越えた対談を前後編に渡ってお届け。

角川武蔵野ミュージアムで開催中の「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」

「この人と私、全然違う人生を歩んでるな」

まずは、お互いの印象について聞かせてください。

Mika Pikazo(以下:Mika) – 青松さんのことはYouTuberのベテランちさんとして元々知っていたのですが、短歌を初めて拝見した時は、そのギャップに凄く驚きました。
私は高校卒業後すぐにブラジルに渡って2年半ほど過ごしていたので、灘中高、そして今も東大の医学部に在籍されている青松さんは、私とは全く違う人生を歩んでいる方なんだろうなと、ある種の恐れ多さと同時に、すごく気になる方でした。

ベテランち名義でのYouTube活動

青松 – 僕は今回の展示でMikaさんのイラストを見た時に、特徴的な色が印象に残りました。31音で表現する短歌と比べて圧倒的に情報量が多いのに、パキッとしていて、キャッチーで。絵のことは詳しくないですが、不思議な魅力がありますよね。

Mika – 嬉しいです!

青松 – サービス精神旺盛な人なんだろうなというイメージが浮かびました。見ていて楽しくなるような。

Mika Pikazo /「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」メインビジュアル

Mika – 青松さんの短歌は、YouTuberとしての姿とはずいぶん空気感が違いますよね。かなりエッジが効いているというか、現代短歌の中でも、一人だけスタイルが別次元にいるというか。

青松 – YouTubeはその時の瞬発力だったり、自由に喋っているだけです(笑)。説明は難しいですが、街の色々なところに公園を作っていく、マクドナルドを出店していくような感覚です。それに比べて短歌は31音しかない中で、一音一音考えていかないといけない。

Mika – 初めて聞きました(笑)。マクドナルドを出店していく…。

青松 – 自分の中のイメージではそんな感じです(笑)。あとは、街のあちこちに何か置いていくような、志のないバンクシーとか。

短歌での活動を敢えて言葉にするならどういったイメージですか?

青松 – 短歌では、水をろ過していってるような感覚です。水をろ過して飲むイメージ。
よく2つのキャラクターの違いに驚かれますが、自分の中ではどっちが本当でどっちが嘘とかはないんです。表裏一体でありながら、自分の中にある特定の側面をデフォルメしてキャラクター化しているような感覚です。

SNS時代にどう向き合うか

YouTubeの話が出ましたが、創作物を世に出す前にSNSで感情を吐露してしまうと、創作へのエネルギーがそこで完結してしまう(一段落ついてしまう)こともあるかと思います。
お二人はSNSと創作のバランスをどのように考えていますか?

Mika –  以前までは、「完成した絵と、展示の情報だけを正確に出そう」という気持ちが強くなっていました。本当は自分の中にある感情や想いが溢れ出して、それを膨大な文字数で伝えたかったのですが、クリエイターとして、「絵だけを見せたほうがいいのではないか」と自制していたんです。でも、そうやって自分を律していくうちに、どんどんネット上で「静かな人」になってしまって……。最近は逆に、「もっとちゃんとネットの中に存在して、自分が感じていることを素直に喋ったほうがいいんじゃないか」という気持ちに変化してきています。ファンの方とのダイレクトなやり取りや、リアルな反応が見えるSNSの良さを、もう一度ポジティブに捉え直しているところです。
青松さんは、ちょうどXでも話題になってましたね…!?


(取材日のちょうど数日前、ベテランちとコムドット・やまとによる「YouTuberは職業か否か」を巡ったX上のリプライ合戦の火蓋が切られた)

青松 – 僕の場合、SNS上での立ち振る舞いすべてにおいて、「本当の自分を吐露している」という感覚は全くないんですよね。

それは、いわゆる「プロレス」のような、見せ方としてのエンターテインメントに近いのでしょうか?

青松 – そうですね。今回の件に限らず、僕にとってSNS上の自分は、「精巧なフィギュア」や「アバター」を作っているイメージに近いんです。なので、プライベートアカウントも持っていませんし、一般的な意味での「SNSで日常や本音を呟く」という使い方は、あえてしていないのかもしれません。

お話を聞いていると、すごく「メタ認知」的ですよね。自分という存在を客観的に見て、二つのキャラクターを戦略的に動かしているというか。

青松 – あえてそうしたというよりは、自然とそうなっていったという方が近いと思います。自分という人間のある側面を適当に配置していくことで、創作と発信のバランスを保っているんだと思います。

作品を世に出すことへの意識

Mika Pikazo / 『VISIONS』

お二人は作品を作る際、より多くの人に届けたいという「マス」への意識と、特定の人に刺さればいいという意識、どちらが強いのでしょうか?

青松 – 本音を言えば大勢に見てほしいですよ。でも、どこかに執着心というか、自分の性格の悪さみたいなものが出てしまう(笑)。短歌もYouTubeも、結局本当の「マス」にはなりきれていない自覚があります。ただ、その「性格が悪いなりの限界」までは行きたいなと思っていますね。

Mika – 私も多くの人に見てほしい気持ちは強いです。ただ、最近はその感覚が少し変わってきました。これまでは受け手を意識して自分を抑えていた部分があったのですが、今はもっと、自分自身のやりたいことに忠実でありたい。そこを解放した先に何があるのか、今は悩みながら模索している最中です。

青松 – イラストって爆発力がすごいじゃないですか。大勢に向けて描く時、何か「守るべきライン」はあるんですか?例えば、減点方式で絵を完成させるのか、加点方式で制作するのか。

Mika – 絵に対しては加点方式で描いていて、自分に対しては減点方式ですね。今のMika Pikazoとしての自分ではなく、学生時代や子供の頃の自分を思い出して、「あの頃の自分に届けたい」という想いで描いています。だから、完成した絵が自信満々に見えたり、楽しそうに見えたりするのは、当時の自分が「そうありたかった姿」を投影しているからなのかも知れません。

そもそも、何故つくるのか

青松輝による第一歌集『4』 / ナナロク社

創作の動機について、自分の中から湧き出るものを出したいのか、それとも世の中への「義憤」のような外的な要因なのか。どちらに近いですか?

Mika – 私は義憤ばかりかもしれません。普段、人と接している時に正直な気持ちを言えなかったり、うまく言葉に出来なかったり……ああ、あのときああ言えばよかったなっていうのをずっと心の奥底にためています。そういう時に溜まった攻撃的な部分や、自分の器の狭さみたいなものを全部、絵や展示会にぶつけて爆発させている感覚です。

青松 – それ、面白いですね。でも、上手い絵を描くと最終的に「綺麗」にまとまってしまうじゃないですか。本当は怒りがこもっているのに、見る人に「ただ綺麗だね」で終わらされてしまうことへの違和感はないですか?

Mika – 自分が込めた「怒り」が、「楽しさ」と捉えられたり。ある意味で隠してしまう自分の性格らしさなのかもしれないですね。ただ、それは受け手に委ねる部分でもあると思います。青松さんはその辺りどうですか?

青松 – 僕はもっと「興味本位」というか、無責任というか…。よく「車を作っている」と表現するんですけど、最終的に自分や読者の感情を乗せるにせよ、まずは「速いラジコン」を作りたい。だから、多少理解されなくても「まあ、ラジコンなんでいいでしょ」と距離を置けるんです。

Mika – その例えで言うなら、私は「車を自分で運転している」感覚です。運転席に座っているから、事故のリスクも怖いし、速度を出せているかどうかも全部自分自身に返ってくる。でも自分自身が気持ちよくなるように速く走りたい。

青松 – その「自分で運転している」からこそ、Mikaさんの絵は人の感情を動かすんでしょうね。僕は感情ってどこか「臭み」があるものだと思っていて。だから作品ごとに、「感情」を包むアクリル板の厚さをどれくらいにするか、あるいはビニール袋くらい薄くするか、という「ケースの厚み」を設計する作業をしているイメージなんです。

「感情に飲まれる」か「感情を掘り当てる」か

Mika Pikazo / 「愛、恐れ」

Mikaさんは感情に飲まれて逃げ出したくなることはありますか? 逆に青松さんは、感情が盛り上がってコントロールできなくなることは?

Mika – この2、3年は本当に必死でした。自分の感情を全部日記に書いて、そこからテーマを絞り出していたので……。今は逆に、「これでええか」って力を抜いた、逃げ出すような絵を描いてみたいと思っています。変に硬く向き合いすぎるから、逃避こそが今の自分の在り方へのカウンターになっている。

青松 – 僕は逆に、作っている最中に「あ、こんな感情があったんだ!」と掘り当てる感覚ですね。完全にロジックだけで作っていても面白くないので、予期せぬ感情が出てくると「やった!」と思います。基本的に感情が動きづらいタイプなんです。悩んだり病んだりはしないので、感情に飲まれたり、感情的になることもほとんどない。むしろ、短歌を通してそういった感情を見つけているのかもしれないです。

Mika – えー! それは面白いですね。そんなふうに考えたことない!

青松 – 自分の過去の経験を元に歌を作るわけですが、うまくできた時に初めて「あ、自分も感情が動かされているな」と感じる。でも同時に、「この元になった感情って、本当に僕の中にあったのかな?」と疑問に思うこともあるんです。短歌を作ったことで、後から「こういう感情があったはずだ」と思い込んでいるんじゃないか、という。

Mika – 感情を込めるというよりは、創作を通して感情に気が付くみたいな?

青松 – そう、それが楽しくてやっている面もあります。家庭用ロボットの「LOVOT(らぼっと)」が動いているのを見て、「あ、動いた動いた!」と喜ぶような感覚に近い(笑)。僕にとって短歌は、感情を育てている対象のようなものなんです。

Mika Pikazo / 「愛、恐れ」

プロセスが真逆ですね。Mikaさんは感情が先にあって絵にぶつける。青松さんは短歌を作った後に自分の感情に気づく。それでは青松さんの創作の「最初の動機」はどこにあるんですか?

青松 – 結局、「言語を触っているのが楽しい」という子供っぽいニュアンスだと思います。レゴを組み立てる延長線上で、かっこいい作品を作りたい。

Mika – 俯瞰して「作っている」感覚なんですね。私はイラストを描く時、自分自身が絵の中に入り込んでいる「一人称視点」なんです。

青松 – 絵の中にいて、そこで暴れているような感じ(笑)。

Mika – そうそう。キャラクターデザインの時は客観的になれるんですけど、一枚のイラストを描く時は、もう中から出られなくなってしまう。

青松 – それだけ真面目にやられているというか、やっぱり最初のイメージ通り、サービス精神が旺盛なんですね。

Mika – そうかも知れません(笑)。

後編では、お2人がどこを作品の完成とするか、その「落とし所」についてや、本展示で扱われた岡本かの子のとある歌について、2人の分かれた解釈を元に、それぞれの創作の哲学に踏み込みます。お楽しみに…!

「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」

会期:2026年2月13日~2026年3月29日
会場:角川武蔵野ミュージアム
アドレス:埼玉県所沢市東所沢和田3丁目31−3 ところざわサクラタウン
休廊:火曜
開館時間:10:00~18:00(最終入館:17:30)
※休館日、営業時間は変更となる場合があります。最新情報は公式HPよりご確認ください。
公式サイト:https://kadcul.com/event/251

「大谷グランド・センター」の今と昔と、これからと。

とある動物が“道具”を手にし、人類として歩み始めたのが、およそ400万年前。
そのはじめての“相棒”として選ばれたのが「石」だった訳だが、アスファルトに囲まれて生きる僕らからすると、ひょっとすると、それはありきたり過ぎる。

だが、現代を生きる僕らにとって、そんな、取るに足らないはずの「石」への印象はガラリと変わることになる___。

現代アーティスト・YOSHIROTTENが手掛けた「大谷グランド・センター」常設展「大谷石景」の展示風景

「大谷グランド・センター」誕生

「大谷グランド・センター」2Fのレストラン・カフェ

現代アーティストのYOSHIROTTENが、自身初となる常設展示を手掛けた「大谷グランド・センター」。
栃木県宇都宮市大谷町に誕生した「食とアート」の複合施設だ。

「大谷グランド・センター」入り口

この場所にはかつて、「山本園大谷グランドセンター」と呼ばれる入浴と食事が楽しめる観光施設が存在していた。1967年の開業以来、昭和期の盛隆を堺に、1985年頃、廃業。以降30年以上廃墟と化していた。

ところが。

今から10年前の2016年、この、文字通りの廃墟を購入したのが、宇都宮で事業を展開する印刷会社、「井上総合印刷」だ。

初めてこの場所を訪れた時の事を、代表取締役社長を務める井上加容子氏は次のように語る。

「何てすごいところなんだろう。言葉にならないような、建物の力を感じました。」(井上加容子)

「大谷石」の岩肌にひっつく、目を疑う建造物

「山本園大谷グランドセンター」営業当時の様子は画像としての情報が少なく、想像することしか出来ない。しかし廃業後の写真(おそらく井上さんの見た景色)を見るに、岩肌に抱きつくような建造物は、それでも異様な存在感を放ち、神秘的ですらある。

山本園大谷グランドセンター跡地

「山本園大谷グランドセンター」に限らず、かねてよりこの街は、「大谷石」と共に歩んできた。

日本有数の石材の名所であり、その出荷先には、フランク・ロイド・ライトが手掛けた旧帝国ホテルなど、一流の建築物にまで及んでいる。

採石場跡地

街の活気の少なくない部分を「大谷石」と共にしてきた大谷町だが、「山本園大谷グランドセンター」の閉園などの時代の流れと共に、次第に人の出入りが減り始めていた。

書き足された物語の続き

誰かにとって大切な“何か”を「伝え残す」。それが紙の出版物の力だと信じる人たちがいる。「井上総合印刷」の想いに賛同した人々の想いの結晶として、「大谷グランド・センター」はある。街の魅力やその場所の持つ“記憶”を伝え残すハブスポットとして、これからの大谷町の物語を継いでいくだろう。

その前に。

SF映画顔負け。「大谷テクノパーク構想」

実は、1980年代の後半、「山本園大谷グランドセンター」の廃業とちょうど同じ頃、「大谷テクノパーク構想」と銘打った大規模プロジェクトが存在していた。大谷石採掘跡の活用から、産業、観光を盛り上げようと企画されたもので、当時の報道では、「自然と最先端技術が融合する21世紀地底の国」との見出しが建てられているが、これが決して大袈裟ではない。


SF映画さながらのハイテク地底都市を思わせるプロジェクト案の中には、「メディカルZONE」、「アイデアZONE」、「スパイラルエレベーター」と、聞くだけで心踊る数々の計画が建てられていた。そのひとつとして、「アートZONE」もあったのだが、これらのプロジェクトは結果的に実現には至らなかった…。

ハイテクを前面に打ち出したSFチックなプロジェクトの想いは、時を経て、姿形を変え、「大谷グランド・センター」へと受け継がれている。

現代アーティスト・YOSHIROTTENの参画

「大谷グランド・センター」にて常設展示を手掛けたアーティスト・YOSHIROTTEN

緻密なフィールドワークとテクノロジーを駆使しながら、自然を見つめるアーティスト・YOSHIROTTENは、今回のプロジェクトにおいて、常設展として新たな映像インスタレーション「大谷石景」を手掛けている。

常設展「大谷石景」の展示風景

大谷石の最大の特徴と言っていい「ミソ」と呼ばれる穴は、火山岩が粘土化し、長い年月を経て抜け落ちていくことで生まれる。「穴の中にあった石の粒たちは、どこへ行ったんだろう?」という空想から、彼の作品に欠かせないハンドスキャナーによってスキャンした石の粒が空間を浮遊するような映像作品に仕上げた。

大谷石の特徴である「ミソ」と呼ばれる数々の穴

空間を漂う“音”は、大谷でのフィールドワークにて収集したものが素材となっている。

「昼と夕方でも異なる表情をみせる空間なので、1日のうちに2回来てもらえたら嬉しい」と語るのは、時間や季節と共に変化する空間を楽しむのと、一度センターの外に出て、大谷の街を巡って欲しいとの想いから。

「この場所が、ハブスポットとなることで、地元の人々にとっては誇りとなり、知らなかった人たちがこの街を好きになるきっかけになれば嬉しいです。」(YOSHIROTTEN)

YOSHIROTTEN / 「Transtone」改装前からこの場所にあった巨大な大谷石をそのまま活かし、「ミソ」の上からネオンを施した作品

関わった人たちが、口を揃えて大谷への深い愛情について語る様子を見ていると、「大谷石」の持つ不思議な力が、人々を再びこの地に集めようとしているとすら感じる。

ひとつの石と、とある街の物語。そこに集まる、たくさんの人々。

物語のこれからが楽しみだ。

大谷グランド・センター

所在地:栃木県宇都宮市大谷町1396-29
アクセス:JR「宇都宮」駅より車で約30分/関東バス「大谷観音前」下車すぐ
入館パス:大人(18歳以上)・中人 500円 / 小学生以下無料
グランドパス:大人(18歳以上) 1800円 / 中人 1500円 / 小学生以下無料
公式サイト:https://oya-grand-center.com

【インタビュー×イベントレポート】「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」で目の当たりにした“感情”の輪郭 – 後編

日本を代表するイラストレーターでありアートディレクターのMika Pikazo。彼女がクリエイティブディレクションを務める短歌とイラストの展覧会「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」が、角川武蔵野ミュージアムで開催中だ。

総勢39名ものイラストレーターと11名の歌人が一堂に会した大規模展示の見どころは?

Mika Pikazo単独インタビューに加え、内覧会で出会った参加作家たちへのゲリラインタビューを収録した現地レポートを、前編に続いてお届けする。

会場でしか味わえない特別な「感情」体験

CHAPTER 3「言葉にできない感情」では、円形に連なったイラスト群が、中央に弾けた意味を成さない言葉の断片を取り囲んでいる。

さらに歩みを進めると現れるのは、CHAPTER 4「複雑な感情」と呼ばれる区画だ。

CHAPTER 4「複雑な感情」

「言葉にできない」感情を、なんとか人に伝えようと、我々は言葉を尽くす。日本語という世界的に見ても複雑な言語体系のなかで絞り出した、たった「31音」。短歌は、時に切実で、時に美しく、醜くもある。

この区画では、それぞれの作家が短歌とイラストを通して、自身の私的な感情を見つめると同時に、自分というフィルターを通して見える他人の姿を描き出す。

至る所に設置されたミラーには、「鏡に映る自分」「鏡に映った他人」「鏡に映った、他人に見られている自分」が映し出され、鑑賞者に「作品と対峙して何を感じるか」問いかけてくる。

CHAPTER 5「感情の表現」

続く最後の区画、CHAPTER 5「感情の表現」では、展示を通して抱いた感情を振り返りつつ、鑑賞者がそれぞれの想いを表現するエリアとなっている。展示に合わせて開催されていたpixivとの協同開催のコンテストで選ばれた数々の短歌(図録掲載されていないものも含まれるので必見)や、安倍𠮷俊のアイデア段階のラフから完成に至るまでの原画、更にはMika Pikazoによるメイキング映像など、会場でしか味わえない企画が用意されている。

安倍𠮷俊のラフ画

「感情」という抽象的なテーマに挑んだ作家たちは、何を感じ、何を想いながら作品を描いたのだろうか。

内覧会で出会った作家たちに実施したゲリラ取材を、ここに記録していこう。

ゲリラインタビュー集成

まのでまりな / 「entrelacer」

普段の制作では、線の気持ちよさや平面構成のようなニュアンスで絵を描くことが多く、感情をテーマにしたことがほとんどありませんでした。それもあって、頂いたテーマである「複雑な感情」について考えながら描いたのは凄く新鮮でした。ただ、呼んで頂いている以上、あくまでいつものスタイルは変えないで、感情の現れやすい「顔」を普段よりもピックアップしました。私自身、昨年末に銀座で個展をやらせていただく機会があって、そこでは描いたキャラクターについての人物像や物語を色々な人に聞かれたんです。その時に、自分が「人物」や「感情」に対して全然興味がなかったことに気がついたんです。この展示のお話を頂いたことも重なって、今後はもう少し違ったアプローチをしてみてもいいのかなと感じています。

浦浦 浦 / 「僕らのゴルディロックスゾーン」

広告などで頂くお仕事では明確に求められているものがあるのに対して、今回はかなり自由に描かせて頂きました。せっかくだし、普段できないようなことをやりたいと思い、普段は描かないモチーフやタッチで描けたことが凄く楽しかったです。健全で温かみのあると言うか、不特定多数の人が幸せになるような作品を求められることが多いですが、今回はどちらかというと自分の為に描きました。

これは僕の完全な持論ですが、人間は、1から10まで説明しないで、例えば1と2と、9と10だけを説明したとしても、間の3から8までを想像で補える生き物だと思うんです。今回のようにある程度余白のある表現であったとしても、観た人が頭の中で補完してくれるのではないかと思い、自由に楽しく描いてみました。

萩森じあ / 「青が溢れて花は咲く」

私自身、普段から絵を描く際はかなり感情を意識して描くタイプです。テーマで頂いていた「複雑な感情」も、私の作風を見て頂いたお話だと思うので、いつも通り描かせて頂きました。ただ、こうした大規模なミュージアムでイラストレーションを観る機会ってなかなか無いと思うので、イラストがこれからもっと身近な芸術活動として広まっていけば嬉しいです。

あんりふれ / 「無辜のあなたでいられない!」

普段のイラストでは求められるものを第一優先に描くのですが、今回は、自分の中にある、ものすごく私的な部分での作画ということで、すごく考えてしまいました。

イラストや絵は美しく描きたいのですが、「感情」は、必ずしも美しいものだけではない。醜さや生臭い部分をしっかり描いて、綺麗なだけでは済まさないように意識しながら描きました。自分の気持ちに嘘はつきたくないけれど、そもそも「感情」の度合いは、人によって異なりますよね。何を感じるか、とか、どこで爆発するのか、とか。
私的なものを描こうとする以上、ある程度の共感のラインと、そうではない自分だけの「感情」の境界線を描き分けるのが大変でした。

それもあって、今まで以上に「輪郭」がはっきりしたと思います。普段の制作では、絵にする時に、作品を客観視する時間があるんです。絵に近すぎると、あまり良くない絵を、良いと思い込んでしまうことがあるから。それを防ぐ為に一度切り離して遠くから眺めるのですが、今回それが、より具体的になったと思います。言い換えるなら、何が嫌いかがよく分かってきた。良くも悪くも知らなかった頃には戻れないので、それを避けようとするにしても、向かっていくにしても、進み方は変わってきてしまうと思います。

nobori / 「from now, from here」

「感情」について自分なりに考えた時に、「無」からいきなり生まれるものではないと思ったんです。人それぞれの背景や状況、行動や周りの環境など、色々な要素がトリガーになって生まれるものが「感情」だと思います。

普段からもそうですが、登場するキャラクターがなぜその「感情」になっているのか、背景にあるストーリーを意識して描いています。
今回の作品では、新しい街にやってきて、これから新たな日々がスタートするというような設定で描きました。何か新しいことが始まる時って、不安があったり、同時に、ワクワクした期待感のようなものもありますよね。そういった複雑な感情を作品に込めました。

今回の展示を通して、同じ「感情」というテーマでも、こんなにも色々な表現があることに驚きました。これまでの自分だけでは思い浮かばなかったような「感情」を、周りの方は感じていらっしゃるんだなと、新しい発見でした。

イラストレーターとしてのMika Pikazo

Mika Pikazo / 感情展メインビジュアル

今回描かせて頂いたメインビジュアルでは、私自身が森羅万象を見て全身で感じること、社会を見て思うことを、詰め込んで描きました。

女の子自身の表情はあまり強い表情ではなく、なんとも言葉にできないような揺らぎのある表現を意識し、中心に広がる色はすごく激しくエネルギッシュにしています。

彼女の周りには何か渦巻いているけれど、彼女自体にはあまり力が入ってないような状態にしたかったんです。 周りで起きていること、自分が思ってることも含めて、「受け入れる」様子。迎合しているというか、拒否しない様子を表現しました。 

クリエイティブディレクターとしてのMika Pikazo

最後に、これほどまでの大規模展示をディレクションしたMika Pikazoに、プレイヤーとは違った展示創作の裏側をインタビュー形式で深掘りしていこう。

Mika Pikazo

Mika Pikazo – これほどの規模で、多くの方にご協力いただく展示会は私にとっても初めての経験で、実はすごく緊張していました。今回参加頂いた方々は、私自身がずっと前から作品を拝見していて、純粋に大好きだった方々です。

感情をストレートに描く方もいれば、比喩を用いて読み手の想像力を掻き立てる方もいます。今回のテーマである「感情」は、分かりやすい設定があるわけではなく、ポジティブともネガティブとも言い表せられない、複雑で、なんとも言えない感情を絵にしてほしいという抽象的なものでした。

今の時代を代表する、個性も異なる皆さんの作品が、このテーマによってどう変化するのか。純粋に「この人の作る感情を見てみたい」と感じる方々にお声がけさせて頂きました。

空間を「浴びる」ための演出。鏡に映る「自分」と「他者」

Mika Pikazo

Mika Pikazo – コンセプトを固めるまでは、チームの皆さんと何度も試行錯誤を繰り返しました。私が全体の構成案(大ラフ)を作成し、そこにどういった仕掛けがあれば楽しんでもらえるか、どうすれば「感情」という流れを説明できるかを、コンセプトに関わってくださったマキシラさんと共に練り上げていきました。

「感情をからだで浴びる」という表現が印象的ですが、具体的にはどのような演出をされたのでしょうか?

Mika Pikazo – 象徴的なのは、最初のエリアである「感情の起源:愛と恐れの部屋」です。ここでは特殊なライティングを施し、日常で耳にするような環境音をBGMとして流しています。その空間で感じる音や光を「愛」と受け取るか「恐れ」と受け取るか。だれかにとって心地の良い音でも自分にとってある思い出が浮かんで苦い気持ちになるとか…。自身の記憶とリンクさせながら、五感で感じ取ってほしいと考えました。

次の「複雑な感情」のエリアでは、作品と一緒に多くの「ミラー(鏡)」を飾っていますね?

Mika Pikazo – 作品を鑑賞している最中に、ふと鏡越しに自分の姿や、同じ空間にいる他者の姿が入り込んでくるんです。それによって「これは自分と同じ気持ちだ」と共感するのか、あるいは「自分とは全く違う他者」を想像するのか。客観的な視点が混ざることで、より深く感情と向き合えるのではないかと考えました。

予想を超えてきた作品たち。ディレクションは「肉付け」の作業

Mika Pikazo

普段のイラスト制作と今回のディレクションでは、頭の使い方は違いましたか?

Mika Pikazo – 全く違いましたね。イラストを描くときは、自分自身の感情をグッと集中させて作品に落とし込む、いわば「自分との対話」です。でもディレクションは、多くのプロフェッショナルと対話を重ねながら、徐々に肉付けしていく作業でした。

イラストレーターの視点、短歌に精通した編集者の視点、そしてそのどちらもまだ詳しくない方がどう楽しんでくれるかという視点。自分一人では辿り着けない場所に、みんなで案を出し合いながら近づいていく感覚は、非常に新鮮で刺激的でした。

来場者へのメッセージ

Mika Pikazo / 『VISIONS』

最後に、これから来場される方々へメッセージをお願いします。

Mika Pikazo – 今回の展示会には、多くの作家さんが自身の思いを全力でぶつけた作品が揃っています。作家さんがどんな状況を想像してこれを描いたのかに思いを馳せると同時に、それを見た皆さんが「自分ならどう思うか」「自分はどんな時にこの感情を抱くのか」と、ご自身の心と対比しながら鑑賞していただけたら嬉しいです。

一枚の絵、一首の短歌を通じて、皆さんの中にある「なんとも言えない感情」を見つけるきっかけになれば幸いです。

「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」

会期:2026年2月13日~2026年3月29日
会場:角川武蔵野ミュージアム
アドレス:埼玉県所沢市東所沢和田3丁目31−3 ところざわサクラタウン
休廊:火曜
開館時間:10:00~18:00(最終入館:17:30)
※休館日、営業時間は変更となる場合があります。最新情報は公式HPよりご確認ください。
公式サイト:https://kadcul.com/event/251

【インタビュー×イベントレポート】「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」で目の当たりにした“感情”の輪郭 – 前編

日本を代表するイラストレーターでありアートディレクターのMika Pikazo。彼女がクリエイティブディレクションを務める短歌とイラストの展覧会「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」が、角川武蔵野ミュージアムで開催中だ。

総勢39名ものイラストレーターと11名の歌人が一堂に会した大規模展示の見どころは?

Mika Pikazo単独インタビューに加え、内覧会で出会った参加作家たちへのゲリラインタビューを収録しながら、前後編にわたって現地レポートをお届け。

短歌とイラストをどう組み合わせるか

「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」会場の様子

はじめて短歌に触れたのは、学生時代。教科書で触れた程度のものだったのが、大人になり、一冊の本に出会った。歌人の榊原紘による著書『推し短歌入門』だ。

「その本では、好きなアニメや映画の良かったシーンを、推し活のような感覚で短歌として詠むんです。その時に、いかにそのままの表現を使̇わ̇な̇い̇で詠むか。『嬉しい』、『悲しい』などの直接的な言葉を使わずに表現する方法が解説されているんです。」

Mikaさんのイラスト表現とはむしろ逆のアプローチですね?

「私はその時の感情をそのまま正直に描くことが多いです。短歌では、直接的な表現ではなく、物に例えたりしますよね。『悲しみ』の表現として『傘』とか『深夜』を使ったり。それでも、表現に先立つ『感情』はイラストとも共通しているはず。今回はそうした『感情』をテーマに、様々な角度から展示を構成しています。」

入り混じる愛と恐れ

5つのエリアからなる会場の最初を彩るのは、CHAPTER 1「感情の起源」。

直径3200cmのMika Pikazoによる大作「愛、恐れ」が構える。

対となる2つの作品は、それぞれ「愛」と「恐れ」という根源的な感情を描いており、一つの部屋を二分するように中央に背中合わせに展示されている。

Mika Pikazo / 「愛、恐れ」

突き詰めると「感情」とは、実態がなく本来共有のしようがない虚構かも知れない。それでも伝えることを諦められないのが人間が人間たる所以であり、その度に人は創作の力を信じてきた。

この区画で展示されている石川啄木と与謝野晶子の歌は、時を超えてMika Pikazoの内から滲む「愛」と「恐れ」と共鳴している。そしてそれは、そこに立ち入る鑑賞者である私たちにも語りかけてくる。

Mika Pikazo

「この2つの作品は、サーモグラフィーをモチーフに制作しました。赤や黄色だと体温が感じられるのに対して、青や水色だと死を連想させるようなニュアンスがありますよね。太陽を浴びているような生命力と、深海の中で恐怖のまま体が動かなくなっているような感覚をイメージしながら描きました。」

この2つの作品では、どちらから先に制作に入りましたか?

「『愛』を先に描き始めましたが、先に完成したのは『恐れ』を描いたものです。」

「恐れ」を描く時、気持ちは沈むものですか?

「凄く辛かったですね。敢えて怖い映像や音楽に触れたり、普段はなるべく考えたくないようなことをリフレインしながら描いていました。

逆に赤い絵の方、『愛』を描いた作品では、そうした『恐れ』を跳ね返すように描きました。自信を持ってそこに立っているように…。

ただ、『感情』は簡単には分けられません。幸せな気持ちの中には恐れもあるし、逆もそうだと思っています。

私自身、幸せな状態だと、いつ死んでもいいなと思ってしまう時があるんです。今が幸せで楽しんでいるのに、その先の、例えば『死』について考えている。 この明るさがずっと続けばいいな、ではなくて、楽しい時ほど終わってもいい、と思ってしまうことがあるので、そういった複雑さの中にある『愛、恐れ』を描きました。」

短歌は時代と国境を越えて

CHAPTER 2「時代を越える感情」の様子

続くCHAPTER 2「時代を越える感情」では、天井から吊るされた雄大な短歌幕が印象的だ。古物の置かれた台座を中心に対になるように展示された2つの幕。右側が近代歌人の詠んだ歌、それに対して左側の幕で現代の歌人が返歌をするという試みで、時を経ても変わらない人間の「感情」を明らかにする。

ここには冒頭で紹介した『推し短歌入門』の著者である榊原紘の作品も並んでいる。


そしてこの区画で注目したい点は、時代だけでなく、国境を超えていく短歌の姿だ。

今回の展示では、短歌の英訳に際し、ピーター・J・マクミランを招聘している。英訳『百人一首』をはじめ、様々な著書を手掛けてきた短歌英訳の第一人者で、参加した現代歌人の伊波真人は、彼による英訳を意識しながら歌を詠んだと語る。

「基本的に普段詠む歌は英訳されないので、凄く新鮮でした。ピーターさんは元々好きな方だったので、どのように翻訳されるのか意識しながら作った部分はあります。英訳されたものは自分のイメージとはまたちょっと違っていて非常に面白かったです。外国の方やイラストレーションファンの方々が初めて短歌に触れたり、その逆もあると思いますが、化学反応が起こるような素晴らしい展示だと思います。」

言葉にできない

CHAPTER 3「言葉にできない感情」の様子

漢字の部首などを解体し再構築した“存在しない言葉”が中央で弾けて、それらを取り囲むように、19のイラスト作品が円形に連なるCHAPTER 3「言葉にできない感情」。

現代を代表するイラストレーターの面々が、言葉にできない「感情」をイラストに託したこのエリアでは、内に向かって飾られたイラストの外面に、各作家の制作に際した想い、感情が記されている。

作品の説明に終始することの多いミュージアムの解説文としては珍しく、作品の持っている言葉のようなものや感情を詩的に吐露する文章は、感情をテーマにした展示ならではだ。それらは会場で体感して頂くとして、後編では、内覧会で居合わせた作家へのゲリラ取材をまとめて掲載。お楽しみに…!

「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」

会期:2026年2月13日~2026年3月29日
会場:角川武蔵野ミュージアム
アドレス:埼玉県所沢市東所沢和田3丁目31−3 ところざわサクラタウン
休廊:火曜
開館時間:10:00~18:00(最終入館:17:30)
※休館日、営業時間は変更となる場合があります。最新情報は公式HPよりご確認ください。
公式サイト:https://kadcul.com/event/251

【インタビュー】 感情を込めない。つのさめの描く無機質の美学- 後編

緻密な線を積み重ねることで生まれる、つのさめさんの不思議な世界観。後編では、彼女の思考を形作るプライベートな関心事や、現在連載中の漫画『キョンシーちゃん』に込めた想い、そしてクリエイターとして「細く長く」歩み続けるためのフラットな姿勢について話を訊いた。

「わからないもの」への好奇心とSF的思考

つのさめさんの作品には、魚や海辺のモチーフ、あるいはSF的な要素も登場します。ご自身のルーツとして、何か影響を受けているものはありますか?

つのさめ – 子供の頃は、いわゆる「ジャンプ漫画」や「ポケモン」といったポップなものが好きでした。でも、それとは別に図鑑を眺めるのが好きだったんです。魚、虫、そして宇宙。
大人になってから気づいたのですが、私は「自分が理解できないもの」に対して、ずっと強い好奇心を持っていたんだと思います。

それが、今の「情緒の読めない」作風に繋がっているのでしょうか。

つのさめ – そうですね。「感情を込めない」という作風も、絵を描きはじめた子供の頃からずいぶん経ってから気付いたものです。はじめのうちは「感情」を表現しないといけないとばかり思っていました。それが、自分の本当に好きなものに気がついて、時間をかけて徐々に今の作風に変わっていったんです。
最近は特にSF小説や、一般向けの科学解説書をよく読んでいます。科学に詳しいわけではないのですが、そこにある「まだ解明されていない不思議」や未知のものに触れるのが楽しいですね。

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最近、大阪万博(2025年)にもかなり熱心に通われていたとお聞きしました。

つのさめ – もう狂ったように通っていました(笑)。今はネットで何でも調べられますが、その場に行かないと体感できないものがあると思います。巨大な建造物や世界の衣装、最新のロボット……。二次元では表現しきれない「生の体験」に溢れていて、出不精な私にはすごく刺激的でした。

万博での体験が、絵に影響を与えることも?

つのさめ – 直接的に「これを描こう」となることは少ないですが、長期的な視点で見れば、自分の気持ちの方向性を変えてくれている気がします。特に落合陽一さんの「null2(ヌルヌル)」では、AIが自分そっくりの姿で語りかけてきて、自分の存在意義を問い直させられるような哲学的な面白さがありました。ああいう「攻めた内容」を大きな規模で見せてもらえるのは、一人のクリエイターとして純粋に感動しました。

メッセージを込めない、という選択

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ご自身の作品を通じて、読者に伝えたいメッセージなどはありますか?

つのさめ – 実はないんです。むしろ、意図的にメッセージが込もらないようにしているくらいです。

ちょっとわかる気がします。作品としての意義や作為性、メッセージ性から一切離れて、目の前の作品に純粋に感動するような。

つのさめ- 私は、パッと見て「何を考えているかわからない」温度感や、その場の空気感が「なんかいいな…」と思ってもらえるだけで十分なんです。自分が純粋に好きだと思った光景を、言葉にできないまま形にしたい。見る人にも、そのままを受け取ってもらえたら一番嬉しいですね。

現在連載中の漫画『キョンシーちゃん』では、イラストとはまた違うアプローチをされていますね。

つのさめ – 漫画はイラストと違って、どうしても「感情」を描かなければならないので、実は今でも悩みながら描いています。本来、私は感情を描くのが苦手なのですが、キャラクターが何を考えているかを読者に伝えるのは漫画としての醍醐味でもあります。「イラスト」と「漫画」、この両方の作風の差をどう埋めていくかが今の私の課題です。

「細く長く」続けていくことの豊かさ

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普段、制作に行き詰まることはありますか?また、そんな時のリフレッシュ方法があれば教えてください。

つのさめ – 構想を練る段階はいつも苦しいです(笑)。そんな時は散歩をしたり、本を読んだり、猫を撫でたり。ごく平凡な暮らしをしています。散歩中にポッドキャストを聴いているときや、あえて何も聴かずに歩いているときに、ふと「あ、これを描こう」とアイデアが降ってくることもありますね。

日々のルーティンの中で、創作が呼吸のように組み込まれているんですね。

つのさめ – ただ、今はまだまだ絵に向き合う時間が少ないと思うので、一日に6時間は机に向かうように頑張っています。一人だと集中が切れて本を読み始めてしまうので、友達と作業通話をして雑談しながら、自分を机に縛り付けています(笑)。

クロッキ421

最後に、今後の展望について教えてください。

つのさめ – 何か大きな野望があるわけではなく、今の状態を「細く長く」続けていけたらいいな、という気持ちが一番大きいです。仕事として受けるものも、できるだけ自分の趣味とかけ離れないように。自分が「いいな」と思えるものを、これからも淡々と、静かに積み重ねていきたいと思っています。

 つのさめさんの語り口は、その作品と同様にフラットで、どこか浮世離れした心地よさがあった。「わからないもの」を「わからないまま」愛でる。その潔いまでの無機質さが、かえって私たちの想像力を刺激し、彼女の描く緻密な白黒の世界へと深く沈み込ませてくれるのだろう。

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