【インタビュー】ファンアートがいつしか… 若き才能、浦浦 浦ちゃんの描くあの“懐かしさ” の正体 – 後編

『目指せラーメンマスター』から繋がった初めてのコマーシャルワーク

 

二次創作などのイラストだけでなく、GIFやアニメーション作品も制作されています。最初からアニメーション志向だったのでしょうか。

浦浦 浦ちゃん – ずっとイラストがメインでした。ただ、美術高校時代に課題でアニメーションを作った経験があって、描き方自体は知っていたんです。それで試しに作ったのが『目指せラーメンマスター』です。Instagramに投稿したところ、それがきっかけで仕事につながりました。今はアニメーションの仕事も多いですが、基本的にはイラストレーターだと思っています。

初めて世に出したアニメーション作品がきっかけで、マクドナルドの仕事につながったと。

浦浦 浦ちゃん – 本当に運が良かったと思います。最初にメールが来た時はただひたすらに驚きました。打ち合わせを重ねるごとに本当に僕にお仕事が来たんだと気持ちの整理がついて。納品後に実際に公開されて、反響をいただきありがたい気持ちでいっぱいでした。その経験が今のお仕事にもつながっています。

制作時に強く意識していたことや、依頼にあたっての注文などはありましたか?

浦浦 浦ちゃん – その時はかなり自由にやらせて頂けたので、とにかく頑張らないとと思っていました。何が正解か分からなかったので、できる限り細部までこだわって描き切りました。

商業デビュー後、自主制作への向き合い方に変化はありましたか?

浦浦 浦ちゃん – むしろ逆で、二次創作を続けてきたからこそ、今の仕事につながったと思っています。イラストレーター志望の人の中には「二次創作を描くべきか、一次創作を描くべきか」で悩む人も多いと思いますが、僕の場合は二次創作を続けていたからこそ企業様や版元様に見つけていただけて、お仕事として公式イラストを描かせていただくことができました。なので、今後とも全力で楽しんで自主制作として二次創作をしていきたいです。

クライアントワークと自主制作の違い

『日本三國』 第4話「聖夷政変」エピソードイラスト

コマーシャルワークと自主制作では、意識の切り替えも大きいのでしょうか。

浦浦 浦ちゃん – かなり違います。今では仕事としてお話を頂くことも増えて、ものによってはコンプライアンス面でのルールがたくさんあったりもします。例えば飲食系のお仕事であれば表現上の制約がありますし、お酒の案件ならお酒特有の注意点もあります。本当に細かなルールがたくさんあるんです。だから自主制作は自由に遊べる場所で、クライアントワークは決められた枠組みの中でどう楽しむかという違いがありますね。

その中でも譲れないこだわりは何でしょうか。

浦浦 浦ちゃん – 一番は「影」の描き方です。首の下や目元、その他の影ができる箇所にあえて影を描かないようにしています。スタイルとして「影」を描かないことで、一目見て浦浦 浦の絵だと認識してもらいやすくなる、つまり個性を出す効果もありつつ、アニメーション作業における影を描く工数を省略出来るので、僕にとっては大きなこだわりと言えるかもしれません。

『ええええ』

アニメーション制作ではチームで作業することも多いと思いますが、その点はどう考えていますか?

浦浦 浦ちゃん – 基本的にアニメーションは背景から人物、効果を含めて1人で描いてます。過去に数回、数カットの着彩だけお手伝いしてもらったことはあるのですが、できる限り1人での制作をモットーにしています。1人で作業すると責任も成果も全部1人で抱え込めるので、その方が僕の性に合っているんです。商業アニメーションのお話をいただくこともあるんですが、アニメ業界にはアニメ業界の作法があって、僕には僕の描き方がある。そこを無理に合わせようとすると迷惑をかけてしまう気がして、基本的にはお断りしているんです。もちろん興味はあるし、やってみたいとも思うのですが…。でも今は、自分のやり方で責任を持って作れる範囲の仕事を続けたいと思っています。

自然と沸き立つ「描きたい」という欲求

新たなオリジナル作品『やっちゃった』は、これまでのアニメーション作品と異なり、短編映画のような作品でした。どのような経緯で制作されたのでしょうか。

浦浦 浦ちゃん – 自主制作をずっと投稿できていなかったんです。ありがたいことですが、仕事ばかりで自分の絵を描けない時期が続いていて、SNSのフォロワーも少しずつ減っていました。SNSのアルゴリズムも理解していたので、「ゴールデンウィークに何か出したい」という気持ちもあって。そうした焦りと、「絵を描きたい」という欲求が重なって生まれた作品でした。

『やっちゃった』もそうでしたが、浦浦さんの作品には「見たことある気がする風景」が描かれている印象があります。イメージはどこから湧いてきますか?

浦浦 浦ちゃん – 高校時代の自分の感覚かもしれません。少し恥ずかしい話なのですが、今でも“青春”が大好きなんです。創作にはいろいろな感情の揺さぶり方があると思うんです。怖さだったり、笑いだったり、共感だったり。でも、僕自身一番心を動かされるのは、青春特有のドキドキなんです。夏のじめっとした空気だったり、日陰のコンクリートの匂いだったり、道路の落書きとか、ブルーシートの上に雨水が溜まっている様子とか。意識して見ているわけではないけど、みんな一度は見たことがあるもの。そういう細部を積み重ねることで、日常の空気感は自然と伝わると思っています。

『学校帰りのコンビニ』

潜在的な記憶を刺激しているような感覚ですね。

浦浦 浦ちゃん – 本当にそんな感じだと思います。「あ、これ知ってる」「見たことある」と感じてもらえたら嬉しいですね。それと、僕は割と何でもかんでも「可愛い」と思ってしまう性格でして。何かを見て「可愛いな」と思ったら、すぐスマホにメモしています。そのメモの中からアイデアを拾って作品にすることも多いです。

最近メモしたもので印象的なものはありますか?

浦浦 浦ちゃん – 小学校の前を通った時に雨が降っていたんですけど、小学生が三人、傘を持っているのに傘を差さず、全力疾走していたんです。そういう何気ない瞬間を作品にできたらいいなと思っています。

まさに浦浦 浦さんの作品に漂う空気感ですね。最後に、これからイラストやアニメーションを志す方々に何かアドバイスを頂けますか?

浦浦 浦ちゃん – 難しいですね(笑)。僕がアニメーター、イラストレーターになった時とは世の中のあり方が違うのでアドバイスにはならないかも知れませんが…。とにかく描き続けることだと思います。「継続は力なり」という言葉は僕の中で最も説得力があって最も残酷な正論だとつくづく感じているので。

FANQ – 募集質問コーナー

最後に、事前に募集した「浦浦 浦ちゃん」への読者質問を掲載します。たくさんのご応募ありがとうございました。
ここに掲載されていないものも記事内の所々で話に登場するので、是非じっくり読んでみて下さい。
今後も様々なアーティストで実施予定ですので、そちらも合わせてチェックしてみて下さい!

  • 制作が行き詰まった時はどうやって解消していますか?
    • 浦浦 浦ちゃん – その時はもう何も描かないです。友達と遊んだり、全然違うことをやります。
  • 普段は1日のうちどのくらいの時間絵を描いていますか?
    • 浦浦 浦ちゃん – 日によっては朝起きてすぐ描き始めてそのまま寝てしまうこともあれば、全然描かない日もあります。今日もペンは持っているんですけど、何を描こうかなと考えながらまだ線一本も描いていないです(笑)。
  • 絵を描いている時に流すBGMなど教えてください。
    • 浦浦 浦ちゃん – アニメをずっとローテーションしていて、今は『けいおん!』のフェーズに入りました。目の前にiPadを置いて、アニメをずっと流しています。
  • 好きなブランドはありますか。
    • 浦浦 浦ちゃん – 最近はコムデギャルソンにハマっています。
  • 絵以外の趣味はありますか?
    • 浦浦 浦ちゃん – 昼寝が好きです。
  • よく観るYouTubeチャンネルはありますか?
    • 浦浦 浦ちゃん – ニュースチャンネルと、流行ってる音楽もYouTubeで聴いています。あとはkemioさん推しです。それ以外はほとんど見ていないですね。
  • 影響を受けた作家さんはいますか?
    • 浦浦 浦ちゃん – みなはむさんの作品を高校生の時に見て冷や汗をかきました(笑)。自分が目指したい方向の最前線にいる方で、今でもすごく好きです。

【インタビュー】ファンアートがいつしか… 若き才能・浦浦 浦ちゃんの描くあの“懐かしさ” の正体 – 前編

弱冠22歳で日本マクドナルドから仕事の依頼が舞い込んだ。公式WebCMの制作依頼だ。だが、当時の浦浦 浦ちゃんはアニメーションの制作経験がたったの一度しかなかったという。繰り返すが、たったの一度だ。

『目指せラーメンマスター』と題されたわずか7秒の作品が、担当者の目に留まった。この作品はいかにして出来上がったのだろう。そしてその後、彼が歩んだ道のりは一体どんな景色なのか。今や『日本三國』のエピソードイラストや『怪獣8号 THE GAME』のプロモーションアニメーションを手掛けるまでに至った若き才能に迫る、初の単独インタビュー。

絵描き家族のもとで生まれ育って

『無題』

ご家族の影響で絵を描き始めたんだとか。

浦浦 浦ちゃん – 父が車のデザイナーをしていて、家がお絵描き家族みたいな感じだったんです。画材も揃っていたし、父も美大に行っていたことがあって。姉二人も絵が上手くて、一緒になって描いていました。

当時はどんな絵を?

浦浦 浦ちゃん – ずっとドラゴンを描いていましたね。今でも「何か描いて」と言われたらドラゴンを描くようにしています。一番描き慣れているし、描いていて楽しいので。あとは、その時々で流行っていたコンテンツのキャラクターもよく描いていました。風景画もずっと好きで、今でも描いています。

「ドラゴン」はちょっと意外でした。今の作風からは少し離れていますね。

浦浦 浦ちゃん – そうかも知れません(笑)。

「絵を描くこと」を仕事として意識し始めたのはいつ頃ですか?

浦浦 浦ちゃん – 子どもの頃から「絵で生活できたらいいな」という気持ちはありました。ただ、変に現実主義なところもあって、「そんなの無理だろうな」と思っていて。本格的に意識したのは大学3回生くらいです。就職活動への不安もあって、フリーランスという選択肢を考えるようになりました。当時はInstagramもXもフォロワーが10万人を超えていて、ある人から「君ならいけるよ」と背中を押してもらえたことも大きかったと思います。

カリフォルニアで過ごした大学時代

『日常』

その頃はカリフォルニアの大学に通われていた?

浦浦 浦ちゃん – そうですね。もともとアメリカへの憧れがあって。映画『ベイマックス』のヒロみたいな天才少年に憧れていましたし、ピクサー作品も大好きでした。ピクサーのスタジオって、自分のデスクを自由に飾れるんですよ。会社員に窮屈なイメージを持っていた当時の僕には、それがすごく自由でかっこよく見えて。父も「学校なんて行かなくていい。行くならアメリカだ!」みたいな人だったので。いろいろ重なって留学を決めました。ただ、英語は全然話せなかったので、向こうでは勉強漬けでしたけどね。

コロナ禍に描き続けた二次創作

現在の活動につながる転機は、やはりコロナ禍だったのでしょうか。

浦浦 浦ちゃん – そうですね。授業が全てオンラインになって、絵を描く時間が増えたんです。

二次創作で浦浦 浦ちゃんさんを知った方も多いと思います。クロスオーバー作品には多くのキャラクターが登場しますが、あの発想はどこから生まれるのでしょうか。

浦浦 浦ちゃん – 例えば大食いキャラクターを描こうと思ったら、『進撃の巨人』にもいるし、『ONE PIECE』にもいるし、『銀魂』にもいる。だったら全員集めた方が面白いんじゃないかというイメージです。最初から人数を決めているわけではなくて、「このキャラも描きたいな」と足していきます。結果的に毎回すごい人数になっていますね(笑)。

『いっぱい食べるキミが好き』

ただ並べるだけでは面白くない。二次創作でのマイルール

二次創作を描く上で大切にしていることはありますか?

浦浦 浦ちゃん – 一番は原作へのリスペクトです。そのキャラクターがしないことは絶対にさせないようにしています。例えば、承太郎ならふざけないだろうとか、デクなら相手の能力をメモするだろうとか。そのキャラクターならどう振る舞うかを考えながら描いています。あとは、見て頂いた方々に楽しんで欲しいので、出来るだけキャラの個性を拾えるよう努力しています。

作品ごとに絵柄が異なるキャラクターを同じ画面に描くのは難しそうです。

浦浦 浦ちゃん – キャラクターは原作に寄せます。ただ、僕自身は顔の描き方で個性を出すタイプではないと思っていて。例えば、多くの作家さんはそれぞれ特徴的な顔の描写表現が決まってあると思うんですが、僕はあまり決めないようにしています。だからこそ、影を落とさない塗り方だったり、色使いだったり、ブラシの使い方だけは固定化してるので、絵柄の寄せに集中して、同時に僕らしさも表現しようとは努めています。

『タクシーの中にて』

赤みを帯びた色彩も、どこか懐かしさを連想させるようで印象的です。

浦浦 浦ちゃん – 初めは単純に自分なりの「可愛い」に突っ走って色味を決めていた感じでした。ただ、この色味を使うにつれて僕の作家性が色彩と結びついてしまい、今では僕の絵だと気づいてもらうために自分らしい色味に頑張って寄せている状況です。もはや呪いに近いですね(笑)。

細かな描き込みも魅力のひとつですが、特にこだわった小ネタはありますか?

浦浦 浦ちゃん – 『NARUTO』のファンアートは特にこだわって描きました。ファンしか気付かないようなネタを大量に仕込んでいるんです。ただ、そういう細かい部分って意外と伝わらないこともあって。『チェンソーマン』のファンアートでデンジに『コロコロコミック』を持たせたことがあったんですが、「『ジャンプ』じゃないの?」と言われたり。でも原作では本当に『コロコロコミック』を読んでいるんですよ。逆に僕が間違えることもありますし、そのやり取りも含めて面白いですね。

後編ではいよいよ、唐突に思えた日本マクドナルドからの制作依頼の背景に迫ります。商業作品と自主制作の狭間で、浦浦 浦ちゃんがどうしても譲れないものとは。そして、彼の作品の最大の魅力である、懐かしくエモーショナルな情景の秘密に迫ります。お楽しみに。

【レポート】勝ち負けより大切なこと – 『キャプテン翼』高橋陽一×柿谷曜一朗の描く未来

1981年に連載をスタートし、世界100か国以上で翻訳・放映されてきた『キャプテン翼』。
その存在は、日本サッカーの歴史とほぼ重なるように歩んできた。Jリーグの誕生とともに育った世代が大人になり、かつてピッチで「翼君」の技を真似た少年たちが今や代表選手や解説者として活躍している。そして2026年、その物語はついに「アート」という新たな形をまとって世界を旅し始める。

キャプテン翼 One World One Team アートエキシビション 2026

プロジェクトに先立ちスペシャルトークセッション「Football×Art」が東急プラザ原宿「ハラカド」にて開催された

サンフランシスコを皮切りに、ニューヨーク、シンガポール、香港、ヨーロッパへと巡回するこのプロジェクトを記念し、漫画家・高橋陽一先生、元サッカー日本代表の柿谷曜一朗氏、本プロジェクトを主催した株式会社GAAAT代表取締役・徳橋佑輔氏へと話を伺った。世代を超えて「翼君」とともに歩んできたそれぞれが、サッカーとアートへの想いを語り合う________。

企画の原点──IPとアートが出会うとき

No.003 Tsubasa & Misaki

今回のプロジェクトに至ったきっかけを教えてください。

徳橋 – 私たちGAAATはIPとアートを掛け合わせ、新しい作品を生み出す事業を続けています。その文脈で『キャプテン翼』をアートという形で世界展開する企画を立ち上げました。今回の描き下ろし作品は世界で11点のみ、売り切れたらそれ以上はありません。

高橋先生は、今回このような形でアート展が開催されることについてどう感じていますか?

高橋 – 作品に選んでいただけたこと、本当に光栄です。世界中に『キャプテン翼』の読者がいますので、そういった方たちにアートという形で届けられたら嬉しいなと思っています。

『キャプテン翼』は、常にそばにいた

元日本代表・柿谷曜一朗氏。現役時代は作中の主人公・大空翼に負けず劣らずのファンタスティックなプレーで観客を魅了した。

柿谷さんにとって、『キャプテン翼』はどういう存在でしたか?

柿谷 – 僕自身、アクロバットなプレーやオーバーヘッドがずっと好きで。でもそれは「翼君を意識して」というよりは、僕が好きなプレーが自然と『キャプテン翼』に詰まっていた、そういうイメージでした。だから子供の頃から「翼君」という名前をひとり占めしてたくらい(笑)、本当に身近な存在でしたね。

原宿「ハラカド」ギャラリー展示の様子

印象に残っているキャラクターはいますか?

柿谷 – もちろん翼君なんですけど、岬君のような存在もすごく大切ですよね。翼君が翼君であり続けるには、一人では絶対に無理じゃないですか。僕は現役時代、香川さんと乾さんとずっと一緒にやっていたんですけど、あの二人がその存在に重なって見えていました。「僕にも岬君みたいな存在が欲しかったな」と思うこともあって…。
仲間がいたからこそ、一人一人のドラマが生まれる。翼君が翼君になれたのも、一人じゃない。そういうところが羨ましくもあり、「こういう選手になりたかった」と一番強く印象に残っているところです。

サッカーと漫画が互いを超えようとした時代

『キャプテン翼』の連載がスタートした1981年はJリーグすらまだ無い時代。後のサッカー人気に火をつけた『キャプテン翼』は、日本だけでなく世界中で愛されている。

高橋先生が作品を描き始めた当時は、漫画の中のプレーが現実を超えているとも言われていました。今の選手たちが実際にそれを体現していることについてはいかがですか?

高橋 – 本当に嬉しいですね。漫画を描きながら、「こういうプレーが見たい」という思いで描いていたシーンが、実際の選手によって演じられるたびにフィーチャーしていただいて。こういうのを見たかったんだよな、と毎回思います。

柿谷 – 練習の中で「先生が描いたんだからやらないと」という気持ちがあって(笑)。先生は絶対に無理なことは描いていないと思うんですよ。先生の頭の中は、誰よりもファンタジスタ。その想像に何とか応えようとする。それが「翼君みたいだったね」と言われた時の嬉しさにもつながって、モチベーションになっていました。むしろ先生が描けないようなプレーもしたいと思っていたぐらいで(笑)。

W杯2026、日本代表に何を期待するか

画像左:柿谷曜一朗氏 / 画像右:株式会社GAAAT代表取締・徳橋佑輔氏

まもなくFIFAワールドカップ2026が始まります。柿谷さんが日本代表に期待することは?

柿谷 – 「まずグループリーグを突破して」とか「ベスト8に行けたら御の字」みたいな考え方を、僕は捨てたいと思っています。選手たちが「優勝する」と公言している以上、サポーターも同じ目線で最高の景色を見る準備をしないといけない。戦っているのは選手だけじゃないですから。選ばれた26人を信じるだけです。

高橋先生が注目している選手は?

高橋 – 佐野海舟選手ですね。今まさに伸び盛りで、すごく効いている選手だと思っていて。彼次第のチームになるんじゃないかという見方もしています。

大会を通してお二人が見たいものはなんでしょうか。

柿谷 – 90分の中には、勝ち負けに関係ない、ただただ心を揺さぶられる瞬間がたくさんあるんです。目の前の相手を華麗な技で抜いても1点にはならない。でもその一瞬に感動する。今の組織的なサッカーの時代に、その台本を飛び出すようなプレーができる選手がなかなかいないと言われている。だからこそ、フランスのシェルキみたいに、試合中にリフティングやラボーナを仕掛けてくる選手が活躍するのを見たいんです。突出した個が輝く瞬間が今大会にあれば、と楽しみにしています。

高橋 – サッカーにはファッションみたいに流行があって、組織的なサッカーが整備されると、それを崩すための新しいサッカーが生まれます。その循環がまた今回のワールドカップでも見られると思っていて。個人の突出した選手が出てきて、また流れが変わるかもしれない。そういう新しいプレー、違うサッカーが見られたら嬉しいですね。

世界平和への想いを作品に込めて

No.005 Exhibition-exclusive artwork


高橋先生、今回の描き下ろし作品に込めた思いを聞かせてください。

高橋 – 今回のテーマは「世界平和」です。世界で戦争が起きている今、嫌だなという気持ちがずっとあって。もともと翼の物語の中でも世界平和はテーマの一つとして描いてきました。今回はその想いを改めて込めて、世界中の人たちが仲良くなれるようにという願いを一枚のイラストに落とし込みました。試合中はもちろん相手に勝つために全力を尽くすけれど、試合が終わったらお互いを認め合って仲良くなれる。そのスポーツとしての美しい瞬間を描きたかったんです。本当は11人以上描いた方がよかったかなとも思うんですが、サッカーは11人で戦うスポーツ。そして今回の作品も世界11点。だから11人に絞りました。

柿谷さんは、作品をご覧になって何を感じましたか?

柿谷 – 鳩が可愛いですよね、左上の(笑)。でも真剣に言うと、世界平和ってすごく大きい言葉じゃないですか。言葉で伝えようとしてもなかなか伝わらないんですよ。でもこの作品を見るだけで、そういう想いが伝わってくる。僕たちサッカーをやっている側は、ピッチの上では人種も国境も関係なく夢中になれる。その感覚を、一枚の絵で体現してしまっている。そんな作品だと思いました。

一枚の絵に込める緊張感──漫画と「止め絵」の違い

トークセッションの中、高橋先生による直筆のサインが書き込まれた

キャプテン翼はページをめくるたびに臨場感や躍動感が生まれますが、一枚絵のイラストでそれを表現するのは難しさもあるのではないでしょうか。描き分けの意識や、今後のアート活動の展望を聞かせてください。

高橋 – 漫画の時はページという連続した時間の中でプレーの動きを描けますが、一枚絵ではその一瞬にすべてを集約しなければいけません。だからこそ、どの瞬間を切り取るか、その選択がすべてになります。構図や表情のひとつひとつもとことん突き詰めます。普段の漫画は前後の流れも意識しながら描いているので、ある意味では流れに乗れる部分もある。でもこういう「止めの絵」は、それができない分より緊張感があって。いろんなところにこだわって、本当に自分が納得できる一点を残そうという気持ちで臨みました。

漫画が「アート」として世界を旅するということ

2026年6月のサンフランシスコにはじまり、約1年にわたり世界11都市を巡回する「キャプテン翼 One World One Team アートエキシビション 2026」。2027年1月のフィナーレを東京で迎えるビッグプロジェクトだ。

漫画がアート作品として世界を巡回することについてどう感じていますか?

高橋 – 漫画って、これまで芸術の中でも少し低く見られていた部分があったと思うんです。でも自分は毎日毎日、魂を込めて描いてきた。それがちゃんとアートとして認められて、世に発表できる。世界中を回って展覧会をすることは、ずっと抱いていた夢の一つだったので、漫画家として本当に嬉しいことです。
今回の作品は、普段僕が水彩絵の具で描いているものを、MCA(メタルキャンバスアート)という特殊な加工で何層にも仕上げていただいていて。油絵のようにシワや立体感が浮き上がっていて、耐久性も計算されている。普通の印刷物とは全く違う仕様です。

時代も国境も越えて、いざ世界へ

原宿「ハラカド」ギャラリー展示の様子

この作品展を通して届けたい想いや、改めて想うことはありますか?

柿谷 – 子供たちがサッカーを夢中に追いかける途中に、『キャプテン翼』は絶対にそばにあると思うんです。技の名前や選手の特技って、大人になってから「あれって本当にできるのかも」と気づくんですよ(笑)。子供の時は純粋に「すごい、やりたい」と夢中になれる。その『キャプテン翼』の世界を、僕自身もこれからもっと子供たちに伝えていきたい。こういう技があって、こういう世界があるんだよって。「翼君」みたいな選手が一人でも増えてくれたら嬉しいです。

高橋 – 『キャプテン翼』はもともと漫画、つまり絵と物語がセットのものです。今回それが、サッカーとアートという要素とうまくコラボして、世界に届けられるというのがとても嬉しく思います。ただの絵として見るのではなく、『キャプテン翼』という物語ごとアートを感じてもらえたら。世界中の人たちに、今回の想いが届けばいいなと思っています。

「2026 FIFAワールドカップ」の開催が、いよいよ間近に迫っている。

1991年のJリーグ発足から実に35年、日本の“W杯優勝”の夢は、4度、ベスト8の壁に阻まれてきた。過去最高との呼び声高いSAMURAI BLUEはこの壁を突破し、新たな景色を見られるだろうか。

「 日本のワールドカップ優勝 それは一生かなわないはかない夢かもしれない・・・だけどおれたちは・・・おれたちは・・・」

翼の想いが現実になる日を切に願って。

キャプテン翼 One World One Team アートエキシビション 2026

■ プロジェクト概要
アメリカ2都市での開催を皮切りに、世界11都市を巡回予定の本展では、高橋陽一氏による描き下ろし作品に加え、『キャプテン翼』の世界がアートとして生まれ変わったMCA(メタルキャンバスアート)、その他グッズ展開が予定されています。
各都市の会場情報・会期・販売方式、購入条件、VIP枠の詳細は確定次第、公式LPにて順次公開します。

■ サンフランシスコ展 開催概要
会期:2026年6月13日(土)〜 2026年6月21日(日)
会場:GCS Agency
住所:236 Powell St, San Francisco, CA 94102, United States
開場時間:12:00〜18:00

■ ニューヨーク展 開催概要
会期:2026年7月19日(日)〜 2026年7月21日(火)
会場:Jutta Gallery
住所:104 Charlton St #1E, New York, NY 10014, United States
開場時間:12:00〜18:00

※販売方式・購入条件等の詳細は公式LPにてご案内します。
https://gallery.gaaat.com/en-us/pages/captain_tsubasa

■ その他の開催予定(会場・詳細は確定次第公開)
※開催地・会期は現時点の予定です。今後の世界情勢や社会状況により変更となる可能性があります。
シンガポール:2026年8月
香港:2026年9月
ベルリン:2026年10月
ミラノ:2026年10月
パリ:2026年11月
バルセロナ:2026年12月
台北:2026年12月
ドバイ:2026年12月
東京:2027年1月

■ 主要作品(抜粋)
本展では No.001〜No.016 に加え、Commission Work を含む計17点を展開します。
以下、主要作品として No.001/No.002/No.003/No.005 を抜粋紹介

【No.001 Captain Tsubasa】(世界に1点)
販売:ニューヨークにてウェブオークション(予定)
エディション:1
サイズ:1,470(H)× 1,180(W)mm

【No.002 Tsubasa Overhead Kick】
価格:990,000円
エディション:11
サイズ:1,064(H)× 763(W)mm

【No.003 Tsubasa & Misaki】
価格:990,000円
エディション:11
サイズ:1,064(H)× 763(W)mm

【No.005 Exhibition-exclusive artwork】
価格:4,950,000円
エディション:11
サイズ:763(H)× 1,064(W)mm

※価格・仕様・販売方式は現時点の情報であり、会場・販売状況等により変更となる可能性があります。

■ GAAAT 独自のアートテクノロジー「Metal Canvas Art(MCA)」とは?
「Metal Canvas Art(MCA)」は、GAAATが提案する新しいアート体験です。専門の職人が一つひとつ丁寧に手作りで仕上げるメタルキャンバスアートは、メタル素材ならではの重厚感と美しさを持ちながら、作品の立体感が際立つ独自の没入体験を提供します。さらに、優れた耐久性を備えており、日光や湿度に強く、長期間にわたりその美しさを楽しむことができます。
デジタルデータを32層に分割する特殊なデータ設計技術を駆使し、凹凸や色味の繊細な表現を実現しました。

■GAAATについて

GAAATは、アートとテクノロジーの力で、IPコンテンツの表現と体験を新しい次元へ拡張するアートブランドです。私たちは、独自の技術とクリエイションによって、世界観や感情の奥行きを空間的・体験的に広げ、IPが持つ力をアートとして再定義します。

WEB:https://gaaat.com/
GAAAT Gallery(EC):https://gallery.gaaat.com/
Instagram:https://instagram.com/gaaat_art
X:https://x.com/gaaat_art

【インタビュー】ハレルヤ!ロンザエモンが絶望を乗り越えた先の景色 – 後編

何をやってもうまくいかない、病気もした。20代の前半を辛酸を舐めて過ごしたロンザエモンは、いかにして今の活躍に至るのか。事態が好転するその前に、依然、現実はあまりに残酷だ。

再び倒れた、三十歳の冬

30歳の時にもう一度体調を崩されたそうですね。

ロンザエモン – ちょうどコロナの時期あたりに持病をもう一段階悪くしてしまって。手術もして、体重も四十九キロまで落ちて。また1年半ぐらい働けない状態になりました。もう本当に人生のどん底でしたね。

それでも絵を描き続けてこられた“支え”のようなものはありましたか?

ロンザエモン – うまく行かなくても、絵を描くこと自体がシンプルに楽しかったんです。 主観でしかないですが、絵は上達してるな、良くなってるはずだという謎の自信があって。漫画は人からの評価で確かに面白くない時があったのですが、絵だけは根拠のない自信があった。辞めそうになった時にぱっと描いたらすごくいいのが描けたなと思っちゃったり。自分の絵が悪いからやめようと思ったことは一度もなかったんです。

どん底で手にした「まあいいか」の精神

不意に撮ってもキメるクセ

うまくいかない日々の中で、お笑いが支えのひとつだったそうですね?

ロンザエモン – そうなんです。毎年欠かさず「M-1」を観ていました。変な人生でしたけど、ずっと暗い気持ちでいても仕方ないし。これも時間が経ったら笑い話にしようと思いながらやっていたら、「まあいいか」で済ませられるメンタルになっていった。焦りがあるからしんどかったのも絶対あると思うんです。でも、それをお笑いが紛らわせてくれた。それに、お笑いって色々な見方ができると思っていて。

どういうことでしょう?

ロンザエモン – お笑いって、結構色々なエンタメに通じるんですよ。お笑いをやってる人たちって、生きてて起こる、ちょっと変な出来事とか、嫌なことを笑いに変えてしまうじゃないですか。そのものの見方って、アートと一緒な気がするんです。嫌なことも笑えるんじゃないかな、みたいな。それが自分を支えてくれてました。

奄美で最期を迎えたあの画家のように

ヘンシン

地元・奄美大島にゆかりのある画家、田中一村の存在も大きかったと伺いました。

ロンザエモン – 田中一村って、若い時に神童と言われていたんですけど、画業の世界でなかなか成果が出せなくて。住むところを転々として、最終的に奄美大島に行き着いたんです。そこにある自然や生物に魅了されて、晩年の作品はずっと奄美の動植物ばかり描いてたんです。安い賃金で働いたお金をほぼ全て画材につぎ込んで、ほとんど作品を人に見せないまま亡くなって。近所の人が「田中さん大丈夫?」って家を開けたら、作品が山のように出てきたっていう。

転々として、評価されず、それでも描き続けた。自分と重なる部分があったんですか?

ロンザエモン – かっこいいなと思って。流石に死ぬまでには評価されたいとは思いますけど、死ぬまで描いてる人はかっこいい。やめずに続けてさえいれば、死ぬ頃には一番いい絵が描けてるんだろうなと思ったら、やめる理由が見つけられなくて。振り返ったら地元にそういう人が既にいたんだなって。世の中にはそんな人がいたんだと思ったし、田中一村のような覚悟は持っていたかったんです。

どん底を見たからこそ

裏ワザなど無シ

結果的に漫画ではなく、イラストがSNSで大反響を呼びましたね。

ロンザエモン – それまでは、ガールズイラストを描くのが恥ずかしいとか、ユーザーに媚びすぎていないかとか、売れる為の絵はどうなんだ、みたいな余計なことをいろいろと考えていたんです。ずっと何もうまくいかない状態が続いて、精神的にも追い詰められて、最後に、そういうのが全て、どうでもよくなったんです。

余計な感情や“意味”を捨てて、売れる為にやれる事は全てやる、という方向に舵を切ったんですね。

ロンザエモン – 音楽でいうインディーズとメジャーみたいな話で、メジャーでやってない俺かっこいいじゃなくて、メジャーで戦って、ちゃんと順位付けされて自分の立ち位置を考えようと思ったんです。当時の自分の認識では、ガールズイラストでSNSをやるのが一番のメジャーシーン、売れる為の定石だと思ったので、そこでちゃんと勝負しようと。そこで攻めて、戦っていれば、いつか自分が本当に描きたいものも見てもらえるはずだと思って。

カッコつけて

具体的にどんなことから始めたんですか?

ロンザエモン – バストアップの女の子の絵で、ユーザーと目線が合う構図を多くしようとか、サムネに強い絵にしようとか。まず認知を取れるだけ取って、あとは好きな絵を描こうという狙いがありました。ありがたいことに今は見て頂ける方も増えて、描きたいものを自由に描くことも増えてきています。

可能性のあることは、何だって

イラスト以外にも、noteやポッドキャスト、脚本など幅広く手がけていますね。

ロンザエモン – これも意図的にやっています。イラストを描くこともSNSをやることもnoteを書くことも、別々の角度から別々に効果があることで。自分の一番の武器は絵ですが、武器は多い方がいいかなと思います。

脚本を書けるのも漫画での挫折が活きているのでは?

ロンザエモン – 複数の人間がどういうセリフを言ってどういう感情になるかっていうのは漫画でずっとやっていたので。あと、お笑いが好きだから、実はコントのつもりで書いたりもしていたんです。

向かい風

フリーランスとして続けていく上で、心がけていることはありますか?

ロンザエモン – やめないことだと思います。最近のお笑いの人たちも、四十になってから世に出て仕事がいっぱい来たとかってありますよね。絵描きにもそういう人は多い。自分がやってることが時代と合ってくるとか、奇跡的にトレンドと合致してくるとか、それまでの人生経験があるからできた作品が生まれる、とか。色々なパターンがあると思うんです。やめないで続けていれば、そういった何かしらのきっかけが巡ってくるんじゃないでしょうか。

新しい表現の可能性

GAAAT ARCHIVE EXHIBITION

最後に、現在実施中の特別展についてお聞かせください。ご自身のデジタル作品が、MCA(メタルキャンバスアート)として展示されました。

ロンザエモン – 本来、デジタルとアナログの境界ってあまりないと思っていて。僕としては、アナログで描ける技術を使ってデジタルの絵を描いているんです。だから、デジタルでも筆のタッチが残るような描き方を意識していて、アナログで描かれている作品と同じように、1つの作品として見ていただきたいんです。

そういった考えに至ったきっかけはありますか?

ロンザエモン – イラストレーターや漫画家って、技術がとんでもなくすごいじゃないですか。線が重なってるだけで立体に見えるとか、例えば『NARUTO』の絵だと、点が2個描かれてるだけで鼻の穴に見えるとか。でも商業的な側面が強いからか、そのすごさがアートとしてあまり評価されないことがもったいなくて。自分がやっているのも、先人たちの上手な絵を真似てこの絵ができあがっています。アナログだろうがデジタルだろうが、すごい人たちの絵の表現力がもっともっと広まっていけば嬉しいです。

その辺り、MCAに期待することはありますか?

ロンザエモン – まだまだ自分1人ではデジタルとアナログの境界線を形にするところまで出来ていなかったのですが、MCAにはまさにそれを実現できる可能性があると思います。自分が表現したかったことがこれで再現されるかもしれないと思っています。

GAAAT ARCHIVE EXHIBITION

期間:2026/06/12(金)〜2026/06/15(月)
場所:東急プラザ原宿「ハラカド」3F THE COFFE BREW CLUBギャラリー
展示アーティスト:coalowl / 焦茶 / ロンザエモン / リチャード君
予約リンク:https://gallery.gaaat.com/collections/gaaat-archive-exhibition

【インタビュー】ハレルヤ!ロンザエモンが絶望を乗り越えた先の景色 – 前編

ある歌の中で、「あと一歩だけ前に進もう」という歌詞がある。あと一歩、あと一歩。どれだけ進めばいいのだろう。先の未来が真っ暗に見えて、それでも日々を生きなくてはいけない。

「僕、自分の人生を振り返って、思ったようにうまくいったことが二十代の前半は本当になくて。」

今やSNSで絶大な人気を誇るイラストレーター・ロンザエモンが振り返る壮絶な過去。頑張っても報われない世の中で、それでも闘う全ての人へ送る____________。

人気漫画に夢中だった島の少年

絵を描き始めた時のことを教えて下さい。

ロンザエモン – 1990年生まれで、描き始めたのが96年頃。デジタルで描くなんて情報はまだない時代でした。クレヨンと色鉛筆、ノートがあれば十分で、とにかく『ポケモン』や『ドラゴンボール』、『SLAM DUNK』、『NARUTO』など、見よう見まねで色々描いていたと思います。

生まれ育った奄美大島の風景を描いたりも?

ロンザエモン – そうですね。ただ、当時は特別なものとは思っていなくて。街中にはハイビスカスが普通に生えていたし、よく捕まえていた黄緑色のトカゲなんて、島を出たら高い値段で売られていて驚きました(笑)。大人になって後から思い返すと、ジブリの世界みたいな場所に住んでいたんだなって思います(笑)。

島にいながら、ジャンプを教科書にして

ふと目が合う

中学生頃から漫画家を目指し始めたそうですね。

ロンザエモン – その頃には、ノートにコマ割りして描き始めていました。で、「ジャンプ」の本編ももちろん読むんですけど、毎月の受賞ページをかじりつくように見ていました。受賞者の年齢と作品内容まで全部追って、何ヶ月後かに雑誌に読み切りで載ってくるのを名前まで覚えて「あ、この前のだ」って勝手に認識したりして(笑)。

完全に独学で、ジャンプが教科書だったんですね。

ロンザエモン – 高校の最後には原稿用紙とインクを買ってきて、一話丸々描いたりしていました。ちょうどある先生がジャンプ誌上でアシスタントを募集していたんですけど、奄美在住なのに応募しちゃって。「来年島から出ます」って書き添えて(笑)。高校卒業まで島から出ていないので、井の中の蛙というか、周りよりちょっと上手かもって思いながら描き続けていました。

夢を阻んだ、突然のリストラ

トライ&エラー

漫画家を目指すにあたって、進路はどのように考えていましたか?

ロンザエモン – 本当は進学して、同じように描いてる人たちと関われるようなところに進みたかったんです。地元では進学校だったので、同級生の大半は大学か専門学校に行くんですけど、家庭の事情で進学できないということになってしまって…。それが最初の大きな転換点でした。

お父様のリストラですね。

ロンザエモン – そう、会社が買収されてしまったんです。それもあって、周りが進学する中自分だけ就職して、しかも島に1年残ることになって。その時は相当メンタルにきていました。同級生がそれぞれの道に進んでいく中で、自分だけ取り残されたような感覚。進学できていたら、もっと違った未来があったかもな、という気持ちはずっとあります。

その後、島を出てからはどのようなことを?

ロンザエモン – 鹿児島のプログラム系の会社に入ったんですけど、全然合わなくて半年くらいで辞めちゃって。それで福岡に一番仲良い子がいたんで、そこに転がり込みました。バイトしながらもう一度漫画を描こうと半年かけて一話描き上げて、福岡でジャンプの編集者が見てくれる機会に持ち込んだんです。

満を持していざ、ジャンプへ

棘を抜いていく

ロンザエモン – 相当な時間をかけて、当時の自分の全てを注ぎ込むような渾身の作品を持っていったんです。島にいた時から絵だけは褒められてきたし、それなりに自信もありました。ところが、返ってきた言葉は、いわゆる「ボツ」。島を出てから2年半ぐらい経っていたので、結構がっつり心折られました。

その頃、どれくらいのペースで描いていたんですか?

ロンザエモン – コンビニで8時間働いて、家に帰ってきたら寝るギリギリまで描く。45ページの原稿を一人で、背景もキャラクターも全部描いて。そんな生活を半年間続けた結果がそれでした。しかも当時は今と違って、世の中に作品を出すには出版社を通す以外の方法がないに等しかったんです。「ボツ」と言われたことで、完全にその道が閉ざされた、「人に見せるに値しない」と言われたような気がしました。

追い打ちをかけた大病

ロンザエモン – さらに悪いのが、ちょうどそのタイミングで、特定疾患という国の指定の消化系の病気になって。進学も諦めて、就職も続かなくて、漫画もボツになって…。20代の前半は本当に何もうまくいかなかった。入院自体は2ヶ月くらいで済んだんですけど、その後も体調的に働けない期間が1年近く続いていました。

精神的にもかなり追い詰められていたんじゃないですか。

ロンザエモン – 毎日自分の人生じゃないと思って過ごしてました。コンビニバイトしてた時の同僚の大学生が「飲み会あるから休みます」とか言ってて、俺は絵描く時間が減るやんとか思ったり。

ラムネ・ノムネ

気力もなくなって、その時は流石に絵からも離れてしまったのでは?

ロンザエモン – むしろ、毎日何かしらは描いていました。自分に残っていたのは絵だけだったし、逆にフルタイムで仕事をしてない分、負担がかからない範囲で一枚描いたり、顔のパターンを描いたり。手が下手くそだから手だけ描いて、気づいたら1日が終わっていたり。体調的にはしんどかったのですが、それでも絵は、上手くなりたいから。一枚のもの、単発のものをたくさん描いていました。後から振り返ったら、それが一枚絵として成立する、今のようなイラストの描き方を探してたのかもしれません。

「おれがしたいのはこれじゃない」

社会復帰してからはどうされましたか?

ロンザエモン – ハローワーク系の職業訓練でPhotoshopとIllustratorを学べるところに行ったんですけど、そこの先生がたまたま『ヤングジャンプ』で受賞歴がある方で。漫画描いてたって話したら激励されて、まだやめないでおこうかなって(笑)。で、社会復帰してからはコールセンターで4、5年働いていました。コールセンターで頑張って残業しても、俺がしたいのはこれじゃないって思いながら、どんなに時間が短くなっても絵は毎日描き続けていました。

もがき続けた20代前半。諦めるチャンス、逃げ出すチャンスは、人生にはいくらでも用意されている。それでも、絵だけは手放さなかった。手放せなかった。ロンザエモンが、いかにして今の活躍に至ったのか。いかにして、絶望の淵から這い上がったのか。人生からしたら短すぎるインタビューの時間で、分かることはあまりに少ない。それでも、溢れてくるこの感情は何なのか。彼と話し、改めて思う。頑張っても報われない世界の中で、「それでも」と。

後編へ続く。

GAAAT ARCHIVE EXHIBITION

期間:2026/06/12(金)〜2026/06/15(月)
場所:東急プラザ原宿「ハラカド」3F THE COFFE BREW CLUBギャラリー
展示アーティスト:coalowl / 焦茶 / ロンザエモン / リチャード君
予約リンク:https://gallery.gaaat.com/collections/gaaat-archive-exhibition

【インタビュー】“恥”をピュアに、ハイカラに。冠木佐和子の作品世界 – 後編

数々の広告やクライアントワークを手掛け、アニメーション作品は名だたる映画祭で高評価を獲得してきた冠木佐和子。前編では世界的に活躍する彼女のルーツに迫った。後編ではもう一つ踏み込んで、無二の創作の哲学に触れたい。

絵コンテを描かない、即興のアニメーション

「She Held Her Tongue」

アニメーションの最初の設計図として重要な役割を果たす「絵コンテ」を描かないと伺いました。理由を教えて下さい。

冠木 – 流石にクライアントワークになると色々な事情もあって描かないといけないのですが、個人でやる時は描かないです。「絵コンテ」があると、それに沿ってただアニメーションを作っていく「作業」みたいになってしまって。それが楽しくないんです。

その場の思いつきやひらめきをダイレクトに表現したい、という感覚ですか?

冠木 – 描きながら「この次どうしよう」と考えるのが好きなんです。そこが面白いなと思っています。

設計図がないと、全体をまとめ上げるのが難しそうにも思えます。

冠木 – そんなこともないですよ。そっちの方が楽しくて、むしろいい作品ができる気がします。

ということは、描き始める前はもちろん、描いている最中もご自身でさえ最後にどうなるのかわからないという状態なんですか?

冠木 – そうですね。作っている途中に「そろそろ終わりかな」と意識し始めて、終わりに近づくように展開を考えていく感じです。

アイデアはどこから湧いてきますか?日常生活でふっと降ってくるのか、机に向かって「やるぞ」と絞り出すのか。

冠木 – 「やるぞ」ってならないとダメですね。腰を据えて、締め切りギリギリで提出するみたいな。

意外です。日常の中でふっと降ってきて、ガーッと描き始めるイメージを勝手に持っていました。

冠木 – 自分の作品だとそうですけど、仕事になると、ちゃんと机に向かって「やるぞ」と決めないとなかなか難しいですね。

「たこやきストーリー」

アニメーション制作で失敗したことはありますか?

冠木 – 普通、1秒間に12枚とか15枚、24枚で描くんですけど、間違えて1秒を30枚に設定していたことがあって。描いても描いても終わらないなと思っていたら、設定が30枚になっていて、すごく大変でした。『たこやきストーリー』という作品で、すごくヌルヌル動くんです(笑)。

イラストとアニメーション、描き分けの意識

「ぺ」

一枚絵を描く時と、アニメーションとして描く時で意識の違いはありますか?

冠木 – イラストでは、アニメーションだとできないような細かい絵や細い線を思い切りやりまくれるんです。なので、アニメーションでできないことをイラストでやって、イラストでできないことをアニメーションでやるみたいな感覚ですね。

アニメーションをつくる時は音楽を聴いたりしていますか?あれだけ大きな動きをつくるのは無音だと難しそうな気もします。

冠木 – 今、波があって。音楽を聴く時期、ポッドキャストを聴く時期、無音の時期、その三周期があるんです。その中でも今は無音の状態で制作しています。

「やつら」に面白がってほしい

「サウスポー」

アニメーション制作で一番意識していることを教えて下さい。

冠木 – 自分が見ていて面白い、飽きない、というところですね。あとは、老若男女に面白がってもらえたら嬉しいです。

夜中に見たら爆笑してしまいました。

冠木 – ありがとうございます。子どもに好かれたいという想いはずっとあって。ああいう純粋な眼差しを持ったや̇つ̇ら̇に面白がってほしいんです。

「やつら」(笑)。『おかあさんにないしょ』などを見ていると、とてもそうは思えないんですが、子どもに向けた意識もあるんですね。それは大人の裏表ある感じや「穢れ」みたいなものへの拒否反応だったりするんでしょうか。

冠木 – そういうネガティブな方向ではなくて、自分が子どものときに見て楽しかったとか、そういうものを作る人に自分もなりたいというのがあって。何もない“まっさらな状態”のやつらに面白がってもらって、影響を与えたい、みたいな感覚なんです。

『クレヨンしんちゃん』のノリ

「おかあさんにないしょ」 / https://youtu.be/p2i574dM_kI?si=-72miWvtPzhUO-et

作品にはエロティックで強烈なモチーフが多い印象ですが、一方で不思議と生々しさは排除されている印象があります。そのあたりは意識されているんでしょうか。

冠木 – 何というか、『クレヨンしんちゃん』みたいなノリなんです。うんことかおしっことか、「そういうの面白いよね」みたいな。そのノリがまだ残っていて、そこに肉付けされていって今の形になっているんだと思います。だからこそ、生々しくなっちゃうとちょっとずれてくるんです。

お尻という「ちょうどいい」モチーフ

「roe」

「お尻」を描くこと、凄く多いですよね?

冠木 – そうですね。お尻って凄くちょうどいいモチーフな気がするんです。あんまり生々しくもないし、可愛いし。でも、ちょっと面白い場所じゃないですか。

確かに、そう言われると面白く見えてきます。

冠木 – でも、普通にセクシーな部位でもあるし。まあ、単純に好きなんですけど(笑)。なので、お尻を重点的に描いている感じはあります。

過去の個展で「Butt Therapy」(お尻セラピー)というタイトルのものもありますが、由来を教えて下さい。

冠木 – 小さいお尻が出た人間をたくさん描くことが多かったんです。それをしていると心が落ち着いて、瞑想的なヒーリング効果が得られるので付けた名前です。

何度もたくさん描いていく行為が瞑想に近いということなんですね。

冠木 – そうですね。

横尾忠則、小村雪岱──影響を受けた作家たち

『Young Punch』表紙イラスト

作風に影響を受けた方はいますか?

冠木 – 横尾忠則さんとか。60年代、70年代のグラフィックデザインが好きです。あとは予備校に通っていた時期の影響もあります。「美大に受かりやすい構図」とか、「余白を大事にしろ」とか、基本的なことですけど、そういうものの影響はすごくありますね。

色使いについてのこだわりはありますか?

冠木 – 色使いは小学生ぐらいから変わっていなくて。当時から好きな色は大体決まっていて、原色っぽいもの。一番好きなのはピンクと青ですね。最近は、彩度の薄い浮世絵っぽい色も使い始めました。

「open」

浮世絵や黄表紙のような、江戸時代の艶っぽい作品からの影響も感じます。

冠木 – 浮世絵も好きですね。5年ぐらい前に、小村雪岱という日本画家の展示を観に行って、その人の影響はすごく受けていると思います。

確かに、余白の使い方や雰囲気に共通するものを感じますね。昔の方なのに、どこかモダンというか。

冠木 – かっこいいですよね。色とか、人物の使い方、構図とかは参考になります。

「人物の使い方」というのは?

冠木 – 見え方というか、後ろ姿の哀愁とか、そういったところですかね。

映画や音楽など、他の創作物からヒントを得ることもありますか?

冠木 – あります、大いにありますね。

例えばどんな作品でしょう。

冠木 – 映画だと、アレハンドロ・ホドロフスキーの『ホーリー・マウンテン』とか。音楽だと決まったものは無いですが、去年の春はサンバをすごく聴いていました。

アナログへの憧れと、「ガチムチ」への目標

「needle」 / 先日卵子凍結を行ったという冠木さん。プロセスや経験が辛くも面白かったそうで、同時期に制作した作品の多くに卵子凍結の色が反映されている。特にポーランドで開催された映画祭「Animocje」(2026年4月21日〜4月/26日開催)で審査員を務めつつ行った展示では、展示作品のほとんどが卵子凍結のニュアンスを含んでいた。制作時期の出来事がダイレクトに作品に反映されている。

最後に、今後挑戦してみたいことはありますか?

冠木 – 先月が忙しすぎて、画面を見すぎてゲロ吐きそうになったんです。「デジタル疲れるな…」と思って、今はアナログの方に興味があります。ずっとやりたいとは思っていたんですけど、消しゴムのカスとかゴミがいっぱい出るじゃないですか。それが嫌で(笑)。ただ、私の作品で展示をするとなると、どうしてもプリントになってしまうんです。それをアナログならキャンバスに描いてそのまま展示できるから、羨ましいなって思います。やっぱり強さが違うというか。

現物としての強さ、ですね。

冠木 – そうですね。あと、今年の目標はガチムチになることです。

ガチムチというのは…?

冠木 – 体をでっかくしたいですね。プロテインもめっちゃ飲んでますよ。

ええ!意外です。一番鍛えたい部位は?

冠木 – お尻とか。

やっぱりお尻なんですね。

冠木 – 見た目で分かりやすいのは肩とか、二の腕ですよね。一回ボクシングジムにも行ったんですけど、体育会系のノリが辛すぎてやめました。

それも悪ふざけの一環なんですか?

冠木 – いや、それはガチです。

予測不能で即興的なアニメーション。確かなルーツを感じさせるイラストレーション。内から出るお尻への偏愛。シュール。作風の大胆さや唯一無二性といった第一の印象の奥に、そうした様々な要素が何層にも重なり合って作り上げられるのが冠木の作品群だ。印象は細部に宿るというが、冠木のそれは、強烈さ故に、静かに、しかし確かに控えている。荒唐無稽でもなければ、単なる悪ふざけに収まることもない。それこそが、冠木が現代的なアーティストたる所以かも知れない。

【インタビュー】“恥”をピュアに、ハイカラに。冠木佐和子の作品世界 – 前編

確かに、YouTubeにアップされた冠木佐和子のアニメーション作品を見ると、コメントに散見される意見は至極真っ当かも知れない。

うねうねとした奇妙奇天烈な動き。人間の“恥部”を隠すどころか曝け出した、異常とも思える作品群。それでも作品たちは、規制の厳しいYouTubeというプラットフォームにおいて、動画の消去やアカウントの停止を被らずにいる。

それはひとえに、彼女の作品が紛れもない「アート」として認められてきた証とも取れる。現に彼女のアニメーションは、世界の名だたる映画祭で評価されてきた。

「肛門的重苦 Ketsujiru Juke」 / ANAL JUKE – anal juice – (English subtitles) / https://youtu.be/oOa3skIlBIc?si=9sbI8LniLA0unNgg

アニメーションだけではない。彼女の一枚絵のイラスト表現は、明らかに横尾忠則や日本の伝統文化・浮世絵の系譜に連なる。冠木の表現する極めて日本的な「恥」の文化は、それでいてハイカラで、現代的だ。稀有のアーティスト・冠木佐和子が今、気になる。

冠木佐和子は、一体どのようにして育ったのか

「gohan」

冠木 – 小さい頃から絵を描いていましたが、シンプルな線で描いて、ベタ塗りするみたいなのは今と変わらないと思います。当時からパソコンのマウスでオリジナルの絵を描いていて、インターネットの「お絵かき掲示板」に投稿していました。

その当時からオリジナルの絵を描いていたんですね。

冠木 – そうですね。モチーフは日常的に自分が気になっているものとか、その時感じていることでした。中学生の時は制服がセーラー服だったのもあって、セーラー服の女の子を描いたりしていました。

その時は今に通づるような、いわゆる「エロい」要素も含まれていましたか?

冠木 – ずっとそうですね。それしかできることがなくて。運動もできないし、勉強も好きじゃない。でも絵が描けたので、将来は自然とそういう風になるだろうなと思っていました。

「flossing」

放課後はどのように過ごしていましたか?

冠木 – 中学2年の頃は学校をサボりがちになって、一人で遊んだりしていました。地元が江東区なんですけど、東京都現代美術館が近くにあって、中学生無料だったんです。常設展とか図書館に行ったり。あと、近くの公園でアリを拾ったりしてました(笑)。アリ育成キットみたいなのが流行っていて、それに入れて飼ってたんですけど、ある日突然それを振りたい衝動に駆られて、思いっきり振ったんです。そしたらみんな死んじゃって。なんか怖くなって、それから育てなくなりましたね。

……振ったんですね。

冠木 – あと、家のベランダから中学の校庭が見えて、体育の授業やってる時とかにそいつらに向かって氷投げたりとか。今考えるとマジヤバ中学生です(笑)。

サブカル好きはいつからですか?

冠木 – 小学5年生の時に観ていたNHKの『金曜かきこみTV』という番組で、みんなでゆるキャラを考えようみたいなコーナーがあったんです。その時に私の絵が採用されて、みうらじゅんにめちゃめちゃ褒められたんです。そこからみうらじゅんが好きになって、サブカル方面に行ってしまった気がします。当時は大槻ケンヂとか、そっち系の小説とかも読んでいました。

困ったら2ちゃんねる。相談の末進学した多摩美術大学

「cocktail」

大学受験では東京藝大を目指していたそうですね。

冠木 – なんとなく美大に行きたいなというのはずっとあって。藝大が一番いいという理由で目指していました。でも、落ちてしまって。多摩美には受かったので、浪人するか多摩美に入るかを「2ちゃんねる」で相談しました。

なかなか珍しい相談先ですね(笑)。

冠木 – 困ったら2ちゃんねるに相談みたいな(笑)。小学校の卒業式の前日に前髪を切りすぎた時も、「前髪切りすぎた。どうしよう」みたいなのを2ちゃんねるに相談していました。ずっとそういう感じですね。

結果的に多摩美のグラフィックデザイン科へ進学され、そこで初めてアニメーションの授業があったそうですね。

冠木 – そう、グラフィックの2年生の時に全員アニメーションをやらされるんです。生まれて初めてアニメーションを作りました。「面白いな」とは思ったんですけど、大変すぎて。1秒作るのに何枚も描かなきゃいけないし、二度とやりたくないなって思いました。寿命が削れてる感じがして。だから今でもイラストレーターになりたいなと思ってます。

今でもですか?

冠木 – そうですね(笑)。

「物が変態するのがアニメーションの良さだ」

作品を提出した時、教授の反応がかなり良かったとか。

冠木 – 褒められてちょっと調子に乗っちゃって。その作品は今もYouTubeで見れます。「⚪︎」っていうタイトルで。

「⚪︎」 / https://youtu.be/uffFiAZLqZ4?si=pkLvMPKYlFqmrnwP

初期の作品とは思えない程オリジナリティに溢れていますが、アイデアはどういったところから湧いてきますか?

冠木 – あまり何も考えてないんですけど、当時の先生が、「物が変態するのがアニメーションの良さだ」と言っていて。ぐにゃぐにゃいろんなものに変わるみたいな。そういうことは意識していたと思います。

卒業後、まさかのアダルトビデオ制作会社へ

「spa」

卒業後はアダルトビデオの制作会社に就職されたそうですね。一体何が起きたのでしょうか。

冠木 – 映像はずっと好きだったし、周りもみんな就活していたので、「受かったら面白そうだな」みたいなノリで受けたら、受かっちゃって。日本の映画監督にはAV出身の人もいるし、実写の勉強になるんじゃないかみたいな気持ちもあるにはあるにはありましたが、今思えば完全に悪ノリですね。

会社ではどのような仕事をしていましたか?

冠木 – 私、全然使えなかったみたいです。ADだったんですけど、ほとんどただ現場にいるだけ。そのうち卒業制作が映画祭にノミネートされて、仕事を休んで映画祭に行ったりしてたら、周りの人に「もうアニメーションに戻った方がいいんじゃない?」って言われて、結局半年ぐらいで辞めました。

それから、また突然多摩美の大学院へと進学されているのが驚きで。これにはどういった経緯が?

冠木 – 藝大コンプレックスがずっとあって、どうしても藝大の大学院に行きたかったんです。でも、受けようと思ったら締め切り日が過ぎてて。多摩美がまだ締め切っていなかったので、結局多摩美の院に行きました(笑)。理由としては集中して作品を作れる猶予期間が欲しかったというのもありました。

院ではどんなことを学ばれていましたか?

冠木 – 席を置いてるだけで、基本的に自分の作品制作に集中してました。教授がいるから、締め切りとかプレッシャーがある。そういう環境が欲しかったんです。

幼少期から今と変わらない作風だと語る冠木。放課後の衝撃的な遊び方から、進学、進路にまつわる話まで、前編では稀有のアーティスト・冠木佐和子がいかにして生まれたのか、その原点に迫った。後編ではもうひとつ、彼女の制作の裏側、作品に込められた想いを紐解いていこう。お楽しみに。

【インタビュー】もう1人のプリマドンナ。りく Ligtonの夢の続き – 後編

彼女自身の大胆さ、彼女の生み出すアニメーションのダイナミックさは、時にあのヒロインと重なって見える。「主役って大変だわ」と歌い上げた星街すいせいに負けじと存在感を放つ若き才能、りく Ligtonとは一体どんな人物なのか。これは、もう1人のプリマドンナの物語。

彗星の勉強から始まった『プリマドンナ』のMV制作

アニメーションを作る際、最初の工程はどんなことから始めるのでしょうか?

りく Ligton(以下:りく) – 基本的にまずは資料集めです。星街すいせいさんの『プリマドンナ』のMVでは、彼女というキャラクターに「彗星」や「天体」のモチーフがあったので、まずは宇宙望遠鏡の本などを買って勉強することから始めました。そこから何か良い要素を拾ってこれないかなと。 あとは、楽曲に「女優・星街すいせいの1週間」というコンセプトがあったので、ファッションショーの動画やブランドのギフトカタログなどを集めました。今回はGUCCIの2018年コレクションのルックをかなり参考にしています。ギフトカタログがイラストで作られていたのですが、リアリズムに徹した絵でありながらそこにファンタジー要素もあって、世界観がとてもお洒落なんです。そういった様々な資料からインスピレーションを広げて、絵コンテに落とし込んでいきました。

星街すいせいさんを描く際、特に意識したことありますか?

りく – 彼女の活動ポリシーやキャラクター性に「強い女性像」があると思います。私も強い女性を描くのが好きで得意分野だったので、あまり何かを意識して変えなくても自然に描けそうだという予感がありました。

「2分52秒」をどう使うか。ストーリーテリングを切り捨てる選択

星街すいせい 『プリマドンナ』MV内の衣装差分。女優コンセプトでの衣装デザインとなっている。

『プリマドンナ』は星街すいせいさんの独立後初となるMV作品ですよね。制作にあたって、何か特別な指示などはあったのですか?

りく – 実は、指示は限りなく少なかったんです。「女優コンセプトで、星街すいせいの1週間みたいなMVにできたら」という大枠のテーマを頂いただけで、あとは自由に任せていただきました。私はその方が作りやすかったので、ありがたかったですね。

「2分52秒」という短い尺をどう使うか、最初に考えたことは何でしょうか。

りく – 2分52秒は凄く短いので、やりたいことを詰め込みすぎると中身がごちゃごちゃになってしまいます。だから今回は、ストーリーテリング的な部分はあえてバッサリ切り捨てました。 物語を作るとなると、カットごとに緩急をつけたり、間を持たせる構成にしたりする必要があります。しかし、今回の曲は構成が非常にシンプルだったので、この短い尺で無理に物語を語ろうとしても視聴者に意図が伝わらないなと。だから今回はストーリーを語ることはせず、「見ていて気持ちいい映像」に全振りすることに決めました。

特にこだわったところを教えてください。

星街すいせい 『プリマドンナ』MV内の衣装差分。女優コンセプトでの衣装デザインとなっている。

りく – 全画面、毎秒・毎コマが「美しい画面」であることです。私は自分の作る作品の中に1枚も汚いものを混ぜたくないみたいな欲求があるんです。 棚に好きなものを綺麗に並べていくように、MVの2分52秒間をすべて美しい絵で埋めたかった。ルック(映像の見た目)はとにかく綺麗なものにしたい、という点には徹底的にこだわりました。

大ヒット作の舞台裏に隠された青春ストーリー

背景の描き込みやデザイン的な要素も強く感じました。その部分は美大時代のデザイン科の経験が活かされているのでは?

りく – 背景はChavoomさんというアーティストの方が一人で全て描いてくれています。お仕事するのは過去に作ったEveさんの楽曲「虎狼来」mvから2回目で、とても信頼している方です。デザイン周りは、多摩美術大学時代の同級生に頼みました。私はデザインができないので、前回のEveさんのMVや今回の『プリマドンナ』も含め、信頼できる同級生たちにお願いしています。今回はデザインと作画の両面で多摩美時代の同級生が4人ほど関わってくれているんです。

そんな青春ストーリーが隠れていたのですね…!

りく – たまたま学生時代の友人だったというだけで、みんなすでにプロの現場で何年も生き抜いてきたプロフェッショナルばかりです。大人になってもこうして集まれるのは嬉しいですね。 現場の雰囲気もすごく温かくて。制作のDiscordがあるのですが、私が納品報告をした時にみんながブワーッとスタンプで盛大に祝ってくれたんです。本当に居心地の良い現場でした。

『プリマドンナ』MV納品時のDiscord

1日50枚の原画。制作期間3ヶ月の舞台裏

制作期間はどれくらいですか?

りく – 丸3ヶ月ほどです。納品の4〜5日前になって「これ、終わらないな」と気づき、現実的な計算をしてみたんです。そうしたら「あと150枚あるから、1枚20分の計算で16時間、これを3日間描き続ければ終わる」という計算になりまして(笑)。 最終日の3日前くらいからは、1日2時間睡眠で、ひたすら1日50枚を描く生活をしていました。不可能だと思いましたが、実行してみたらなんとか間に合いました。

過酷ですね……。その3ヶ月間、精神的に落ち込むようなことはありませんでしたか?

りく – それは全くなかったです。MV制作は楽しいことばかりで、参加してくれた方々の技術のおかげもあって、辛い瞬間は全くなかったですね。今回は撮影監督の千葉大輔さんと二人三脚で作ったのですが、千葉さんがクライアントとの連絡や他のアニメーターとの連携をすべて引き受けてくださったので、私は描くことだけに100%専念できました。それも大きかったですね。

趣味と仕事の境界線はない。1日10時間超のルーティン

『プリマドンナ』MVの2分37秒時点の原画

この3ヶ月間、絵の合間に趣味として絵を描いたりはしましたか?

りく – 合間にもたくさん描きます。特に絵コンテの期間は、採用されなかったアイデアもたくさん出るので、それを別の機会に使うためにノートに描き留めています。 ずっと絵を描いて生きてきたので、自分の中で趣味と仕事の境界線は限りなく“ない”に等しいですね。

制作期間中の1日のスケジュールはどのようなものでしたか?

りく – MVを作っていた頃は、12時頃に起きて13時から19時まで一気に仕事。お腹が減ったらご飯を食べて、少し休憩してから21〜22時頃に再開し、深夜の3〜4時まで描く……という、ただの夜型生活です(笑)。 ただ、1日10時間はデフォルトで描いていますね。ずっと座っていると腰を悪くするので、昇降式のデスクを使って、立ったり座ったり動きながら描いています。

あの時遊んだポケモンカードが、今では______。

ここからはポケモンカードついても聞かせて下さい。
幼少期から「ポケモン」が好きでよく描いていたとのことですが、今ではポケモンカードのイラストも手掛けています。ひとつ夢が叶ったのでは?

りく – そうですね。子供の頃はポケモンカードで遊んだりもしていたのですが、まさか自分が描く側になるなんて想像もしていなかったです。もしタイムマシンがあったら、自分が描いたカードを過去の自分に送ってあげたいです。きっと腰を抜かすほど驚くでしょうね(笑)。

ちなみに、今でもポケカで遊ぶことはあるのですか?

りく – 描き始めてから再開したのですが、私にはカードゲームの才能がなかったみたいで(笑)。勝負事に負けるのが嫌いなのに、全然勝てないんですよ。だから悔しくてやめちゃいました。「自分で描いてるんだから強いだろう」とか思って始めたのですが、現実のバトルは厳しかったです…。

りくの描く夢の続き。いつかは「2時間の大作」を

Gravity

幼少期からの夢だったポケモンカードのイラストまで手掛け、大活躍されているりくさんですが、今、描いていた夢のどのあたりまで来ましたか?

りく – 難しいですが……「3割」ですね。まだまだこれからです。

これから挑戦したいことはありますか?

りく – やはりアニメーションに軸を置きたいです。今は短編を何本か作らせていただいていますが、ゆくゆくは20分、1時間、そして最終的には「2時間尺の長編映画」にも挑戦したいと思っています。 もちろん、技術的にも資金的にも、今すぐ2時間の大作を作ることは不可能です。いつかそれを形にできるように、今は短いものからコツコツと作って地盤を固めている段階です。いつか脚本も自分で手掛けた映画を作れたらいいな、と。

それが最終目標なのですね。

りく – そうですね。そこに向けて着々と進んでいきたいです。これから先、「りくさんが作るフィルムってこういうルック、こういうクオリティだよね」という共通認識が業界や視聴者の皆さんの間に生まれたらいいなと思っています。 それに、周囲の人にお手伝いをお願いする際も、「りくさんの作品だからクオリティは妥協できないな」と思ってもらえたら、より良い作品が生み出せるはず。そういう共通認識と信頼のビジョンを作っていきたいです。

未来のクリエイターへ、そして過去の自分へ贈る言葉

最後に、これからイラストレーターやアニメーターを目指す若い人たちへアドバイスやメッセージをいただけますか。

りく – 私自身がまだ若手だと思っているので、アドバイスというおこがましいものは何もないのですが(笑)。

では、もし過去の若い自分に一つだけ言葉をかけられるとしたら、何と伝えますか?

りく – 「描くのをやめるな」ですね。とにかくひたすら描き続けろ、と伝えたいです。

FAQ – 募集質問コーナー

最後に、事前に募集した「りく Ligtonさん」への読者質問を掲載します。たくさんのご応募ありがとうございました。
ここに掲載されていないものも記事内の所々で話に登場するので、是非じっくり読んでみて下さい。今後も様々なアーティストで実施予定ですので、そちらも合わせてチェックしてみて下さい!

Q – ここ最近で衝撃を受けたアニメ作品は?

A – 『スパイダーマン:スパイダーバース』です。2Dの作画アニメではありませんが、画面からアニメーターの熱量がビシビシ伝わってくるところが大好きです。登場する様々なスパイダーマンごとに作風や原画のタッチが全く異なるのに、映像のルックとストーリーが完璧に融合している。単なる見た目の面白さだけでなく、「映画としての面白さ」に昇華されている点に衝撃を受けました。

Q – ご自身が描かれた中で、一番気に入っているポケモンカードは?

A – ムウマージのイラストです。アートレアではない通常のノーマルカードなのですが、夜が似合う紫色のゴーストポケモンを、あえて真昼間の広場にいるシチュエーションで描いたんです。それが自分の中で凄く上手くハマった感覚がありました。

Q – りくさんにとって青色は特別な色ですか?

A – 青は幼稚園の頃からずっと好きでした。なぜなのか自分でもうまく言語化したことはないのですが、青色ってバリエーションがすごく多い気がするんです。あと、水や海が好きでよく描くのですが、それらも青色だから、自分の好きなものが全て「青」に詰まっているのかもしれません。
小学校に上がるとき、親が赤いランドセルを買ってきてくれたことがありました。その時、3歳下の妹に、ついでに水色の自由帳も買ってきたんです。ランドセルと自由帳が並んでいるのを見て、ランドセルそっちのけで水色の自由帳が欲しくて「そっちが良かった!」と泣いた記憶があります(笑)。

Q – 絵とは離れた趣味などはありますか?

A – あまりないのですが、レゴ(LEGO)が好きです。ちょっとコレクター気質で、たくさん買っています。 最近のレゴはクオリティが凄くて、中には6万円や7万円するような高価なキットもあります。組み立てるのにすごく時間がかかるので、最近は積みレゴ(買ってそのまま積んでしまう状態)になっています(笑)。

Q – 集中が途切れたときや、煮詰まったときのリフレッシュ方法は?

A – 散歩に出かけます。外に出られないほど忙しいときは、家の中をウロウロしたりストレッチをしたりします。もっとしっかりリフレッシュしたいときは、キッチンに立ってパスタを茹でます(笑)。

Q – 目を描く時のこだわりはありますか?

A – 最近周りの方から言われ始めてこだわるようになりました。同時に「逆張り」のような意識も働きまして(笑)。眼球の情報量は逆に極限まで少なくしつつ、強い目力を表現できるように工夫しています。眼球の描き込みを減らす代わりに、白目とのバランスや、まつ毛のラインの引き方を意識することで、「強い目力」が出るようにコントロールしています。

【インタビュー】もう1人のプリマドンナ。りく Ligtonの夢の続き – 前編

プリマドンナとは、イタリア語のprima(第一の)とdonna(女性)が合わさった言葉で、通常はオペラにおける花形歌手、ヒロインを意味する。オリコン1位の獲得、日本武道館でのソロライブを成功させるなど、今やVtuberとして絶大な人気を誇る星街すいせいの最新楽曲には、もってこいのタイトルだった。

ところが、この楽曲にはもう1人のプリマドンナが存在する。

リリースから10日、YouTubeでの再生回数はすでに170万回に及ぶミュージックビデオを手掛けたのが、もう1人のヒロイン、りく Ligtonだ。
イラストレーター・アニメーターとして若くから最前線で戦う彼女が、2分52秒の大ヒットMVをいかにして作り上げたのか。「ポケモンカード」のイラスト、『呪術廻戦』や『チェンソーマン』のアニメーション原画を任されてきた彼女の謎に包まれた足跡から、最新作へと繋がる一幕の舞台を、今、じっくりと鑑賞しよう。

「ポケモン」、「初音ミク」に熱中した幼少期

Smile

りく Ligton(以下:りく) – 物心がついた時から絵を描いていました。中でも「ポケモン」が凄く好きで、幼少期はよく「ポケモン」の絵を描いていたと思います。そんな中、小学校4年生あたりで初めて「初音ミク」を知りました。当時は今ほどの人気もないし、「なんだこれ、面白い!」と衝撃を受けたのを覚えています。それからだんだんと女の子のイラストも描くようになっていきました。

当時はデジタルとアナログのどちらで描いていましたか?

りく – 親がパソコンに詳しかったのもあって、早い段階からデジタルで描いていました。ただ、最初はペンタブを持っていなかったのでマウスを使って曲線ツールで描いたりしていました。小学生の時に両親と「英検5級に受かったら板タブレットを買ってあげる」という約束をしたんです。無事に合格して買ってもらいました(笑)。

放課後や休み時間もずっと絵を描いているようなタイプでしたか?

りく – 当時は今と環境が違ったのもあって、オタクだとバレないように運動部に所属したり、絵を描いているのも周囲には秘密にしていたんです。高校生くらいまでは本当に孤独に絵を描いていました。だから、大学では同じように絵を描いている友達が欲しいなと思って美大に進んだんです。

絵を描く仲間を求めて美術大学へ。そこで出会ったアニメーションの衝撃

AM5:00

多摩美術大学のデザイン科ですね。

りく – そうです。多摩美の中でもデザイン科は特に倍率が高かったので、「倍率が高いということは絵の上手い人が集まっているのでは?」と思い受験しました。

入学してからはいかがでしたか?

りく – デザイン学科なので当然デザインをメインに学ぶわけですが、自分にはデザインセンスが無く、結局イラストばかり描いていましたね。

この時点で15年以上絵を描いていらっしゃると思うのですが、それまでは1枚の静止した絵を描いていた中で、それを動かしたくなった、アニメーションに初めて興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?

りく – 19歳の時に観た『プロメア』という映画に衝撃を受けたんです。何と言うか、画面から描き手の顔が見えるぐらいの熱量を感じたんです。本当にお絵描きを楽しみながら作っているのが感じられて、それが自分にとって強い衝撃で。「自分もアニメ描いてみたい!」と思いました。
幸運なことに、そのすぐ後に大学の授業でアニメーションを作る授業があったんです。そこから一気にアニメーションの世界にのめり込んでいきました。

その時に作ったアニメーションで覚えていることはありますか?

りく – 初めて動いた時は本当に感動しました。絵を5枚ほど描いて繋げたら、動いてるんです…!

ちょっと不思議というか。

りく – そうなんです。これだと腕と頭だけで体が全く動いていないのですが、それでも「アニメだ!」と感動しました。

ポニテメイド

ただ、今思い出しました…!小学生の頃に持っていたDSiに元から入っている「うごメモ」というものがあって、それを使うとピクセル単位の小さな画面に絵を描いて、簡単なアニメが作れるんです。ボカロの曲のMVとかを自分なりに作って遊んでいたのが、今思うとアニメーション制作の原体験ですね。
そういうこともありつつ、大学時代は少しずつSNSにアニメーション作品を上げていって、それがきっかけで最初のお仕事を頂きました。

学生時代に舞い込んだMV依頼

DUSTSELLの楽曲MV『CULT』ですね。在学中に大きなお仕事を抱えていたのは大変だったのでは?

りく – 不真面目な学生だったと思います(笑)。美大の課題って大量にあるんです。それよりも仕事だったりSNSに作品をアップしている方が楽しかったので、とにかくそっちにリソースを割いて、余ったわずかな時間に課題を詰め込んで、最低限単位を落とさないようにしていました。周りの友達もそういう人が多かったので、切磋琢磨しながら、大学生活のほとんどずっと絵を描いていたと思います。

『CULT』の制作にはどのくらい掛かりましたか?

りく – 色塗りの部分は大学の友達に手伝って貰いながら、1ヶ月ほどで作ったと思います。

たった1ヶ月ですか…。本格的にアニメーションを学び始めて数ヶ月で作り上げたとは思えない完成度です。

りく – ただ、実は「絵」が上手く描けない感覚がずっとあったんです。

「絵の上手さ以外の魅力が自分にはあるかもしれない」

りく – 画力コンプレックスと言うか、「一枚絵」だと思ったように描けないという感覚がずっとあったんです。可愛い顔が描けない、色も塗って完成したはずが、なぜか締まらない、上手くいかない…。でも、何故そうなってしまうのかずっと分からなかったんです。

それが、アニメーション制作を通して変わってきた?

りく – そう思います。それまでは厚塗りでイラストを描くことが多かったのですが、それだと1枚描くだけで物凄く時間がかかるんです。時間をかけている間にゲシュタルト崩壊を起こして良し悪しが判断できなくなっていくことがよくあって。アニメーションは枚数を沢山書かなければいけないので、一枚に長く時間をかけていられないんです。なのでアニメをやることで時間をかけ過ぎる癖が抜けていった感覚はあります。

あともうひとつ解決に繋がったのが、「絵の上手さ以外の魅力が自分にはあるかもしれない」という考えでした。

具体的にどういったところですか?

りく – アニメーションの“動き”としての見せ方だったり、動画そのものの構成だったり。アニメーションには一枚絵だけでは表現できないその他のたくさんの要素があります。そういったところは凄く得意だし、やっていて楽しいところですね。

大ヒット作の現場で味わった「自分の絵柄が描けない」という挫折

呪術廻戦44話イメージボード

お話を聞いていると、アニメーションが得意で、順調にステップアップしてきた印象を受けますが、これまでに挫折を味わったことはありましたか?

りく – それで言ったら、アニメーション制作会社に入社した時ですね。

具体的にどのような挫折だったのでしょうか。

りく – 商業アニメの現場では、描くものが「自分の絵柄」ではないんです。私が入社して最初に携わったのは『チェンソーマン』でした。もちろんそれは光栄で凄いことなのですが、当然ながら『チェンソーマン』の絵柄に合わせて描かなければなりません。 ただ、私はそれが本当に苦手で、全く描けなかったんです。「この絵柄が描けないなら、何もできないじゃないか…」と、当時は強い挫折感を味わいました。

自我を消して作品に徹する難しさ、あるいは「エゴではいけない」という葛藤があったのですね。

りく – そうですね。商業アニメをやる時は、あくまで人の作品にお邪魔している、手伝わせてもらっているという感覚は今でも強いです。

自由を求めて。『超かぐや姫!』で突き詰めた“自分の個性”

そこからフリーランスになったきっかけや、当時の思いを教えてください。

りく – 他社の仕事にも挑戦したかったのが一番の理由です。MAPPAに在籍していた頃、コロリドから『超かぐや姫!』の原画のお誘いをいただきました。その作品にがっつり参加したいと思ったのですが、会社に所属したままだと調整が難しく、思い切って独立を決めました。タイミング的にもちょうど2年経った頃だったので、一旦離れて他の会社も見てみようかなと。

この時は原画としてのみ参加されたのですか?

りく – 原画だけでなく、自分の担当パートの作画監督もやらせていただきました。通常、原画マンのラフに対して作画監督が修正を入れるのですが、私のパートは自分で自分の絵に修正を入れて、最終画面までの責任を持たせていただけたので、パート一連でまとまりのある画面が作れたんじゃないかなと思います。 また、『超かぐや姫』は監督の山下清悟さんのオリジナル作品だったので、山下さんや演出の中山直哉さんにやりたい事を直接相談しながら進められたのも大きかったです。そういう自由な環境でやりたいとちょうど思っていた時期だったので、本当に良いタイミングで参加させていただけた作品でした。

『チェンソーマン』や『呪術廻戦』のような大人気作品の現場を離れることに、恐れやリスクは感じませんでしたか?

りく – それは全くなかったですね。 もっと自分で考えて決めたことを表現したいという欲求が強かったんです。なので、恐れよりも「もっと自由なことがしたい」というポジティブな気持ちの方が勝っていました。

制約のない「自由」の中で、自分の正解を追い求める

受験の時も敢えて倍率の高い学科へ挑戦されたり、今回も自由を求めて独立されたり…その思い切りの強さは作品のダイナミックさにも影響しているのでしょうか。

りく – どうですかね…?でも、「常に新しいものを作りたい」という気持ちはあります。一つの表現に挑戦して形にできたら、次はもう別の新しい表現に行きたくなるんです。

以前、別のイラストレーターの方から「制約がある方がむしろやりやすい」「自由って何て難しいんだろう」というお話も伺った(関連記事:Mika Pikazo × ORIHARA「創作は私たちを幸せにするか」 – 前編)のですが、りくさんはそういった感覚はありませんか?

りく – 面白いですね、むしろ私は真逆です。誰かの要望や思想、「他人の正解」に応えなければならないやり方だと、「これは正解なのかな、間違っているのかな」と考えすぎて萎縮してしまい、手が止まってしまうんです。 逆に、自由であれば自分が答えを出していいわけですよね。何をやっても自分の正解になる。その方が私にとっては圧倒的に楽ですし、やっていて楽しいんです。

敢えて倍率の高い学科を受験したかと思えば、自由を求めて大ヒット作に携われる環境を手放してしまう。彼女の大胆さは、時にあのヒロインに重なって見える。と同時に、星街すいせいが『プリマドンナ』で歌った「譲れないわ MY STAGE」、その舞台裏が、いよいよ気になってきた。

後編では、そんな最新MV『プリマドンナ』の制作の舞台裏を紐解いていこう。
最後には事前募集した質問への回答も。お楽しみに!

後編へ続く

【インタビュー】加賀美健の、ホントの話 – 後編

「トイレを見ると人となりが分かる」って話を聞いたことがある。何度回数を重ねてもインタビューは毎回緊張するもので、それが時々膀胱を刺激してきて困っている。この日もあいにくで、アトリエでトイレをお借りした。戸を開けると大小様々なすっぽんが20本近くあって、「ああ、おれは今加賀美さんの所に来ているんだ」と、改めて実感した。

とまあ、後編です。

流行ったら飽きられちゃうから

他人からの評価が気になることはありますか?

K – んー、例えば流行ったらそれを続けるのって難しいよね。流行りが終わっちゃったら大変だし。

流行らないように気をつけている?

K – 俺、絶対流行んないもん。別に流行るようなことしてないから、それは安心してる(笑)。わかんない、流行ったら流行ったで嬉しいのかもしれないけど、SNSとかで「いいね」が増えてきたら、それはもう危険信号。だって、流行るってことは理解されるってことだから。例えば、僕が1つの絵を描いて、「これこそが加賀美健だ」みたいな形で人気が出たとしたら、もうそれしかないじゃない。僕はやりたいことがいっぱいあるので、何が加賀美健なのか、いつまでもわからないような状態にしておきたい。ステッカーとかは結構目につくけど、やっぱりそれだけじゃない。色々と揺さぶっていた方が、見てる側も飽きないと思うし、何より自分も飽きないから。だからこんだけ色々やってるんですよ。セパバス(SEPARATE BATH & TOILET)もそうだし、「STRANGE STORE(ストレンジストア)だってそうなんです。

恥ずかしさも作品になるパフォーマンス

様々な活動の中で、海外での活動も積極的ですよね。日本と比べて反応の違いは感じますか?

K – 感じますね。僕、英語喋れないんだけど。

えっ、喋れないんですか?

K – 喋れないですよ。でも、海外の観客はノリがいい部分はある。僕はアートフェアとかでパフォーマンスをするんですけど、海外の人は面白いと思ってバーっと見に来る。日本人はシャイだし、空気を読むじゃない。僕のやるパフォーマンス、結構クセが強いから。

どんなことを?

K – 似顔絵なんだけど、男には「男性器」を描いてあげて、女性には「胸」を描くっていう。その人を目の前にして、顔からその部分を想像して描く即興のパフォーマンス。

どんな反応になるんですか(笑)。

K – 笑ってたりね。どんなのが描かれるか周りの人からも見られるわけだから、恥ずかしいじゃない。実際に出して描いてるわけじゃないけど、僕が勝手に想像して描く。周りも笑ってる。それも全部含めて作品なんです。描かれた人も作品になっちゃうっていう。ただ、この前香港でやった時は、キュレーターの人から相談を受けて少し変えたんです。男女共に好きな方を選べて、両方描いてほしい人がいたら両方描いてあげるように。

ずっと変わらない姿

昔の写真とかインタビューを拝見しても、今と全然変わりませんよね。外見もそうだし、考え方だったり。

K – 逆にどういう風に変わるの?

例えば大きな挫折だったり、自分を変えざるを得ない状況ってたくさんあると思うんです。

K – 挫折か、そもそも挫折とか失敗とは思わないかな。

今回は失敗だったけど、もう一回やれば成功するかもみたいなことですか?

K – 成功するかもとも思わないですね。

え?

K – やり続けるってことですよ。別に好きだから、面白いからやってるだけで。だから面白くなかったらいつでもやめると思いますよ。それがたまたま仕事になってるだけで、仕事が先になっちゃったら多分大変なんじゃない。仕事にしないといけないってマインドになるから、そうすると多分とてつもなく作品がつまんなくなっちゃうと思う。

あー、なるほど!

K – だけど今の子たちって先に仕事にしようと焦っちゃうから。だから大変なのよ。アートなんてめちゃくちゃ時間かかるから。

そうですよね。

K – 1年が10年ぐらいかかる仕事なんで。って言うと、みんなやっぱり「あー…」ってなっちゃうみたい。

仕事と趣味の境界はどのように考えてますか?

K – もう一緒ですよ。むしろ趣味がないんで。仕事が趣味の延長に近いです。僕としてはただ好きなものを集めて作品にしたり、発表したりしてるだけです。

「アートなんて遅咲きの方が絶対いい」

趣味の延長で結果的に仕事になったとのことですが、食える、食えないはもちろん大事で、結婚やお子さんが生まれたりしたタイミングで心境に変化はありましたか?

K – ないです。なんとかなるだろうなと思って。もちろん全然仕事になんなかったら他の仕事すればいい話だから。

その覚悟みたいなものは常にあった?

K – 今でもあります。何もしないでは生活できないし。

日本でアート活動を始められて、最初の10年ほどはアルバイトを続けていたそうですが、当時は将来への不安とかもなかったですか?

K – ずっと不安ですよ。死ぬまで不安です。だって不安がなきゃ多分ダメなんじゃない。

なるほど。逆に。

K – だってあるでしょ?

ありますね(笑)。でもそれを何とかなくそうと努力しちゃうと思うんです。

K – でも、消えないでしょ?消えたら多分面白くないですよ。不安の質にもよるけど、漠然と「どうなんだろうな」みたいなものはずっと持ってるし。 

今もあると。

K – いや、ありますよ。もちろんある。考えすぎて体調を崩してしまったりしたら大変だから、そのバランスは大事だけどね。

あとは、バイトしてた時は長い目で見ていたから。いきなり仕事が来たら逆にそっちの方が不安かもしれない。いきなりブレイクとかしちゃったら、多分ブレイクってほら、「壊れる」って意味だから、そっちの方が怖いかな。

絶対遅咲きの方がいいんですよ、何でも。特にアートなんて遅咲きの方が絶対いい。年齢と順を追って、徐々に作品が高くなっていくのが理想的だよね。徐々に徐々に進んでいく。スタイルを崩さず。だからアートは時間がかかるの。おじいちゃんになった時にいい感じになるっていうのが最高だよね。

長時間お話を伺って、最初に目指した「本当の加賀美さんを知る」ことが出来たかは正直分からない。あとがきで簡単にまとめる、ましてや一言で彼の魅力を語ることも到底出来ない。ライターとしてはいけないのだろうが、もし言葉に出来たとしても、それをすることは野暮な気もしている。ただ一つ思ったことは、彼みたいな大人になりたい、それだけは確かだ。

STRANGE STORE

住所:東京都渋谷区鶯谷町12-3 フローラ代官山301
電話番号:03-3496-5611
営業日時:Instagramにてご確認ください。
公式Instagram:https://www.instagram.com/store_strange/
公式サイト:https://strangestore.shop

人気記事

RANKING