【インタビュー】もう1人のプリマドンナ。りく Ligtonの夢の続き – 後編

彼女自身の大胆さ、彼女の生み出すアニメーションのダイナミックさは、時にあのヒロインと重なって見える。「主役って大変だわ」と歌い上げた星街すいせいに負けじと存在感を放つ若き才能、りく Ligtonとは一体どんな人物なのか。これは、もう1人のプリマドンナの物語。

彗星の勉強から始まった『プリマドンナ』のMV制作

アニメーションを作る際、最初の工程はどんなことから始めるのでしょうか?

りく Ligton(以下:りく) – 基本的にまずは資料集めです。星街すいせいさんの『プリマドンナ』のMVでは、彼女というキャラクターに「彗星」や「天体」のモチーフがあったので、まずは宇宙望遠鏡の本などを買って勉強することから始めました。そこから何か良い要素を拾ってこれないかなと。 あとは、楽曲に「女優・星街すいせいの1週間」というコンセプトがあったので、ファッションショーの動画やブランドのギフトカタログなどを集めました。今回はGUCCIの2018年コレクションのルックをかなり参考にしています。ギフトカタログがイラストで作られていたのですが、リアリズムに徹した絵でありながらそこにファンタジー要素もあって、世界観がとてもお洒落なんです。そういった様々な資料からインスピレーションを広げて、絵コンテに落とし込んでいきました。

星街すいせいさんを描く際、特に意識したことありますか?

りく – 彼女の活動ポリシーやキャラクター性に「強い女性像」があると思います。私も強い女性を描くのが好きで得意分野だったので、あまり何かを意識して変えなくても自然に描けそうだという予感がありました。

「2分52秒」をどう使うか。ストーリーテリングを切り捨てる選択

星街すいせい 『プリマドンナ』MV内の衣装差分。女優コンセプトでの衣装デザインとなっている。

『プリマドンナ』は星街すいせいさんの独立後初となるMV作品ですよね。制作にあたって、何か特別な指示などはあったのですか?

りく – 実は、指示は限りなく少なかったんです。「女優コンセプトで、星街すいせいの1週間みたいなMVにできたら」という大枠のテーマを頂いただけで、あとは自由に任せていただきました。私はその方が作りやすかったので、ありがたかったですね。

「2分52秒」という短い尺をどう使うか、最初に考えたことは何でしょうか。

りく – 2分52秒は凄く短いので、やりたいことを詰め込みすぎると中身がごちゃごちゃになってしまいます。だから今回は、ストーリーテリング的な部分はあえてバッサリ切り捨てました。 物語を作るとなると、カットごとに緩急をつけたり、間を持たせる構成にしたりする必要があります。しかし、今回の曲は構成が非常にシンプルだったので、この短い尺で無理に物語を語ろうとしても視聴者に意図が伝わらないなと。だから今回はストーリーを語ることはせず、「見ていて気持ちいい映像」に全振りすることに決めました。

特にこだわったところを教えてください。

星街すいせい 『プリマドンナ』MV内の衣装差分。女優コンセプトでの衣装デザインとなっている。

りく – 全画面、毎秒・毎コマが「美しい画面」であることです。私は自分の作る作品の中に1枚も汚いものを混ぜたくないみたいな欲求があるんです。 棚に好きなものを綺麗に並べていくように、MVの2分52秒間をすべて美しい絵で埋めたかった。ルック(映像の見た目)はとにかく綺麗なものにしたい、という点には徹底的にこだわりました。

大ヒット作の舞台裏に隠された青春ストーリー

背景の描き込みやデザイン的な要素も強く感じました。その部分は美大時代のデザイン科の経験が活かされているのでは?

りく – 背景はChavoomさんというアーティストの方が一人で全て描いてくれています。お仕事するのは過去に作ったEveさんの楽曲「虎狼来」mvから2回目で、とても信頼している方です。デザイン周りは、多摩美術大学時代の同級生に頼みました。私はデザインができないので、前回のEveさんのMVや今回の『プリマドンナ』も含め、信頼できる同級生たちにお願いしています。今回はデザインと作画の両面で多摩美時代の同級生が4人ほど関わってくれているんです。

そんな青春ストーリーが隠れていたのですね…!

りく – たまたま学生時代の友人だったというだけで、みんなすでにプロの現場で何年も生き抜いてきたプロフェッショナルばかりです。大人になってもこうして集まれるのは嬉しいですね。 現場の雰囲気もすごく温かくて。制作のDiscordがあるのですが、私が納品報告をした時にみんながブワーッとスタンプで盛大に祝ってくれたんです。本当に居心地の良い現場でした。

『プリマドンナ』MV納品時のDiscord

1日50枚の原画。制作期間3ヶ月の舞台裏

制作期間はどれくらいですか?

りく – 丸3ヶ月ほどです。納品の4〜5日前になって「これ、終わらないな」と気づき、現実的な計算をしてみたんです。そうしたら「あと150枚あるから、1枚20分の計算で16時間、これを3日間描き続ければ終わる」という計算になりまして(笑)。 最終日の3日前くらいからは、1日2時間睡眠で、ひたすら1日50枚を描く生活をしていました。不可能だと思いましたが、実行してみたらなんとか間に合いました。

過酷ですね……。その3ヶ月間、精神的に落ち込むようなことはありませんでしたか?

りく – それは全くなかったです。MV制作は楽しいことばかりで、参加してくれた方々の技術のおかげもあって、辛い瞬間は全くなかったですね。今回は撮影監督の千葉大輔さんと二人三脚で作ったのですが、千葉さんがクライアントとの連絡や他のアニメーターとの連携をすべて引き受けてくださったので、私は描くことだけに100%専念できました。それも大きかったですね。

趣味と仕事の境界線はない。1日10時間超のルーティン

『プリマドンナ』MVの2分37秒時点の原画

この3ヶ月間、絵の合間に趣味として絵を描いたりはしましたか?

りく – 合間にもたくさん描きます。特に絵コンテの期間は、採用されなかったアイデアもたくさん出るので、それを別の機会に使うためにノートに描き留めています。 ずっと絵を描いて生きてきたので、自分の中で趣味と仕事の境界線は限りなく“ない”に等しいですね。

制作期間中の1日のスケジュールはどのようなものでしたか?

りく – MVを作っていた頃は、12時頃に起きて13時から19時まで一気に仕事。お腹が減ったらご飯を食べて、少し休憩してから21〜22時頃に再開し、深夜の3〜4時まで描く……という、ただの夜型生活です(笑)。 ただ、1日10時間はデフォルトで描いていますね。ずっと座っていると腰を悪くするので、昇降式のデスクを使って、立ったり座ったり動きながら描いています。

あの時遊んだポケモンカードが、今では______。

ここからはポケモンカードついても聞かせて下さい。
幼少期から「ポケモン」が好きでよく描いていたとのことですが、今ではポケモンカードのイラストも手掛けています。ひとつ夢が叶ったのでは?

りく – そうですね。子供の頃はポケモンカードで遊んだりもしていたのですが、まさか自分が描く側になるなんて想像もしていなかったです。もしタイムマシンがあったら、自分が描いたカードを過去の自分に送ってあげたいです。きっと腰を抜かすほど驚くでしょうね(笑)。

ちなみに、今でもポケカで遊ぶことはあるのですか?

りく – 描き始めてから再開したのですが、私にはカードゲームの才能がなかったみたいで(笑)。勝負事に負けるのが嫌いなのに、全然勝てないんですよ。だから悔しくてやめちゃいました。「自分で描いてるんだから強いだろう」とか思って始めたのですが、現実のバトルは厳しかったです…。

りくの描く夢の続き。いつかは「2時間の大作」を

Gravity

幼少期からの夢だったポケモンカードのイラストまで手掛け、大活躍されているりくさんですが、今、描いていた夢のどのあたりまで来ましたか?

りく – 難しいですが……「3割」ですね。まだまだこれからです。

これから挑戦したいことはありますか?

りく – やはりアニメーションに軸を置きたいです。今は短編を何本か作らせていただいていますが、ゆくゆくは20分、1時間、そして最終的には「2時間尺の長編映画」にも挑戦したいと思っています。 もちろん、技術的にも資金的にも、今すぐ2時間の大作を作ることは不可能です。いつかそれを形にできるように、今は短いものからコツコツと作って地盤を固めている段階です。いつか脚本も自分で手掛けた映画を作れたらいいな、と。

それが最終目標なのですね。

りく – そうですね。そこに向けて着々と進んでいきたいです。これから先、「りくさんが作るフィルムってこういうルック、こういうクオリティだよね」という共通認識が業界や視聴者の皆さんの間に生まれたらいいなと思っています。 それに、周囲の人にお手伝いをお願いする際も、「りくさんの作品だからクオリティは妥協できないな」と思ってもらえたら、より良い作品が生み出せるはず。そういう共通認識と信頼のビジョンを作っていきたいです。

未来のクリエイターへ、そして過去の自分へ贈る言葉

最後に、これからイラストレーターやアニメーターを目指す若い人たちへアドバイスやメッセージをいただけますか。

りく – 私自身がまだ若手だと思っているので、アドバイスというおこがましいものは何もないのですが(笑)。

では、もし過去の若い自分に一つだけ言葉をかけられるとしたら、何と伝えますか?

りく – 「描くのをやめるな」ですね。とにかくひたすら描き続けろ、と伝えたいです。

FAQ – 募集質問コーナー

最後に、事前に募集した「りく Ligtonさん」への読者質問を掲載します。たくさんのご応募ありがとうございました。
ここに掲載されていないものも記事内の所々で話に登場するので、是非じっくり読んでみて下さい。今後も様々なアーティストで実施予定ですので、そちらも合わせてチェックしてみて下さい!

Q – ここ最近で衝撃を受けたアニメ作品は?

A – 『スパイダーマン:スパイダーバース』です。2Dの作画アニメではありませんが、画面からアニメーターの熱量がビシビシ伝わってくるところが大好きです。登場する様々なスパイダーマンごとに作風や原画のタッチが全く異なるのに、映像のルックとストーリーが完璧に融合している。単なる見た目の面白さだけでなく、「映画としての面白さ」に昇華されている点に衝撃を受けました。

Q – ご自身が描かれた中で、一番気に入っているポケモンカードは?

A – ムウマージのイラストです。アートレアではない通常のノーマルカードなのですが、夜が似合う紫色のゴーストポケモンを、あえて真昼間の広場にいるシチュエーションで描いたんです。それが自分の中で凄く上手くハマった感覚がありました。

Q – りくさんにとって青色は特別な色ですか?

A – 青は幼稚園の頃からずっと好きでした。なぜなのか自分でもうまく言語化したことはないのですが、青色ってバリエーションがすごく多い気がするんです。あと、水や海が好きでよく描くのですが、それらも青色だから、自分の好きなものが全て「青」に詰まっているのかもしれません。
小学校に上がるとき、親が赤いランドセルを買ってきてくれたことがありました。その時、3歳下の妹に、ついでに水色の自由帳も買ってきたんです。ランドセルと自由帳が並んでいるのを見て、ランドセルそっちのけで水色の自由帳が欲しくて「そっちが良かった!」と泣いた記憶があります(笑)。

Q – 絵とは離れた趣味などはありますか?

A – あまりないのですが、レゴ(LEGO)が好きです。ちょっとコレクター気質で、たくさん買っています。 最近のレゴはクオリティが凄くて、中には6万円や7万円するような高価なキットもあります。組み立てるのにすごく時間がかかるので、最近は積みレゴ(買ってそのまま積んでしまう状態)になっています(笑)。

Q – 集中が途切れたときや、煮詰まったときのリフレッシュ方法は?

A – 散歩に出かけます。外に出られないほど忙しいときは、家の中をウロウロしたりストレッチをしたりします。もっとしっかりリフレッシュしたいときは、キッチンに立ってパスタを茹でます(笑)。

Q – 目を描く時のこだわりはありますか?

A – 最近周りの方から言われ始めてこだわるようになりました。同時に「逆張り」のような意識も働きまして(笑)。眼球の情報量は逆に極限まで少なくしつつ、強い目力を表現できるように工夫しています。眼球の描き込みを減らす代わりに、白目とのバランスや、まつ毛のラインの引き方を意識することで、「強い目力」が出るようにコントロールしています。

【インタビュー】もう1人のプリマドンナ。りく Ligtonの夢の続き – 前編

プリマドンナとは、イタリア語のprima(第一の)とdonna(女性)が合わさった言葉で、通常はオペラにおける花形歌手、ヒロインを意味する。オリコン1位の獲得、日本武道館でのソロライブを成功させるなど、今やVtuberとして絶大な人気を誇る星街すいせいの最新楽曲には、もってこいのタイトルだった。

ところが、この楽曲にはもう1人のプリマドンナが存在する。

リリースから10日、YouTubeでの再生回数はすでに170万回に及ぶミュージックビデオを手掛けたのが、もう1人のヒロイン、りく Ligtonだ。
イラストレーター・アニメーターとして若くから最前線で戦う彼女が、2分52秒の大ヒットMVをいかにして作り上げたのか。「ポケモンカード」のイラスト、『呪術廻戦』や『チェンソーマン』のアニメーション原画を任されてきた彼女の謎に包まれた足跡から、最新作へと繋がる一幕の舞台を、今、じっくりと鑑賞しよう。

「ポケモン」、「初音ミク」に熱中した幼少期

Smile

りく Ligton(以下:りく) – 物心がついた時から絵を描いていました。中でも「ポケモン」が凄く好きで、幼少期はよく「ポケモン」の絵を描いていたと思います。そんな中、小学校4年生あたりで初めて「初音ミク」を知りました。当時は今ほどの人気もないし、「なんだこれ、面白い!」と衝撃を受けたのを覚えています。それからだんだんと女の子のイラストも描くようになっていきました。

当時はデジタルとアナログのどちらで描いていましたか?

りく – 親がパソコンに詳しかったのもあって、早い段階からデジタルで描いていました。ただ、最初はペンタブを持っていなかったのでマウスを使って曲線ツールで描いたりしていました。小学生の時に両親と「英検5級に受かったら板タブレットを買ってあげる」という約束をしたんです。無事に合格して買ってもらいました(笑)。

放課後や休み時間もずっと絵を描いているようなタイプでしたか?

りく – 当時は今と環境が違ったのもあって、オタクだとバレないように運動部に所属したり、絵を描いているのも周囲には秘密にしていたんです。高校生くらいまでは本当に孤独に絵を描いていました。だから、大学では同じように絵を描いている友達が欲しいなと思って美大に進んだんです。

絵を描く仲間を求めて美術大学へ。そこで出会ったアニメーションの衝撃

AM5:00

多摩美術大学のデザイン科ですね。

りく – そうです。多摩美の中でもデザイン科は特に倍率が高かったので、「倍率が高いということは絵の上手い人が集まっているのでは?」と思い受験しました。

入学してからはいかがでしたか?

りく – デザイン学科なので当然デザインをメインに学ぶわけですが、自分にはデザインセンスが無く、結局イラストばかり描いていましたね。

この時点で15年以上絵を描いていらっしゃると思うのですが、それまでは1枚の静止した絵を描いていた中で、それを動かしたくなった、アニメーションに初めて興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?

りく – 19歳の時に観た『プロメア』という映画に衝撃を受けたんです。何と言うか、画面から描き手の顔が見えるぐらいの熱量を感じたんです。本当にお絵描きを楽しみながら作っているのが感じられて、それが自分にとって強い衝撃で。「自分もアニメ描いてみたい!」と思いました。
幸運なことに、そのすぐ後に大学の授業でアニメーションを作る授業があったんです。そこから一気にアニメーションの世界にのめり込んでいきました。

その時に作ったアニメーションで覚えていることはありますか?

りく – 初めて動いた時は本当に感動しました。絵を5枚ほど描いて繋げたら、動いてるんです…!

ちょっと不思議というか。

りく – そうなんです。これだと腕と頭だけで体が全く動いていないのですが、それでも「アニメだ!」と感動しました。

ポニテメイド

ただ、今思い出しました…!小学生の頃に持っていたDSiに元から入っている「うごメモ」というものがあって、それを使うとピクセル単位の小さな画面に絵を描いて、簡単なアニメが作れるんです。ボカロの曲のMVとかを自分なりに作って遊んでいたのが、今思うとアニメーション制作の原体験ですね。
そういうこともありつつ、大学時代は少しずつSNSにアニメーション作品を上げていって、それがきっかけで最初のお仕事を頂きました。

学生時代に舞い込んだMV依頼

DUSTSELLの楽曲MV『CULT』ですね。在学中に大きなお仕事を抱えていたのは大変だったのでは?

りく – 不真面目な学生だったと思います(笑)。美大の課題って大量にあるんです。それよりも仕事だったりSNSに作品をアップしている方が楽しかったので、とにかくそっちにリソースを割いて、余ったわずかな時間に課題を詰め込んで、最低限単位を落とさないようにしていました。周りの友達もそういう人が多かったので、切磋琢磨しながら、大学生活のほとんどずっと絵を描いていたと思います。

『CULT』の制作にはどのくらい掛かりましたか?

りく – 色塗りの部分は大学の友達に手伝って貰いながら、1ヶ月ほどで作ったと思います。

たった1ヶ月ですか…。本格的にアニメーションを学び始めて数ヶ月で作り上げたとは思えない完成度です。

りく – ただ、実は「絵」が上手く描けない感覚がずっとあったんです。

「絵の上手さ以外の魅力が自分にはあるかもしれない」

りく – 画力コンプレックスと言うか、「一枚絵」だと思ったように描けないという感覚がずっとあったんです。可愛い顔が描けない、色も塗って完成したはずが、なぜか締まらない、上手くいかない…。でも、何故そうなってしまうのかずっと分からなかったんです。

それが、アニメーション制作を通して変わってきた?

りく – そう思います。それまでは厚塗りでイラストを描くことが多かったのですが、それだと1枚描くだけで物凄く時間がかかるんです。時間をかけている間にゲシュタルト崩壊を起こして良し悪しが判断できなくなっていくことがよくあって。アニメーションは枚数を沢山書かなければいけないので、一枚に長く時間をかけていられないんです。なのでアニメをやることで時間をかけ過ぎる癖が抜けていった感覚はあります。

あともうひとつ解決に繋がったのが、「絵の上手さ以外の魅力が自分にはあるかもしれない」という考えでした。

具体的にどういったところですか?

りく – アニメーションの“動き”としての見せ方だったり、動画そのものの構成だったり。アニメーションには一枚絵だけでは表現できないその他のたくさんの要素があります。そういったところは凄く得意だし、やっていて楽しいところですね。

大ヒット作の現場で味わった「自分の絵柄が描けない」という挫折

呪術廻戦44話イメージボード

お話を聞いていると、アニメーションが得意で、順調にステップアップしてきた印象を受けますが、これまでに挫折を味わったことはありましたか?

りく – それで言ったら、アニメーション制作会社に入社した時ですね。

具体的にどのような挫折だったのでしょうか。

りく – 商業アニメの現場では、描くものが「自分の絵柄」ではないんです。私が入社して最初に携わったのは『チェンソーマン』でした。もちろんそれは光栄で凄いことなのですが、当然ながら『チェンソーマン』の絵柄に合わせて描かなければなりません。 ただ、私はそれが本当に苦手で、全く描けなかったんです。「この絵柄が描けないなら、何もできないじゃないか…」と、当時は強い挫折感を味わいました。

自我を消して作品に徹する難しさ、あるいは「エゴではいけない」という葛藤があったのですね。

りく – そうですね。商業アニメをやる時は、あくまで人の作品にお邪魔している、手伝わせてもらっているという感覚は今でも強いです。

自由を求めて。『超かぐや姫!』で突き詰めた“自分の個性”

そこからフリーランスになったきっかけや、当時の思いを教えてください。

りく – 他社の仕事にも挑戦したかったのが一番の理由です。MAPPAに在籍していた頃、コロリドから『超かぐや姫!』の原画のお誘いをいただきました。その作品にがっつり参加したいと思ったのですが、会社に所属したままだと調整が難しく、思い切って独立を決めました。タイミング的にもちょうど2年経った頃だったので、一旦離れて他の会社も見てみようかなと。

この時は原画としてのみ参加されたのですか?

りく – 原画だけでなく、自分の担当パートの作画監督もやらせていただきました。通常、原画マンのラフに対して作画監督が修正を入れるのですが、私のパートは自分で自分の絵に修正を入れて、最終画面までの責任を持たせていただけたので、パート一連でまとまりのある画面が作れたんじゃないかなと思います。 また、『超かぐや姫』は監督の山下清悟さんのオリジナル作品だったので、山下さんや演出の中山直哉さんにやりたい事を直接相談しながら進められたのも大きかったです。そういう自由な環境でやりたいとちょうど思っていた時期だったので、本当に良いタイミングで参加させていただけた作品でした。

『チェンソーマン』や『呪術廻戦』のような大人気作品の現場を離れることに、恐れやリスクは感じませんでしたか?

りく – それは全くなかったですね。 もっと自分で考えて決めたことを表現したいという欲求が強かったんです。なので、恐れよりも「もっと自由なことがしたい」というポジティブな気持ちの方が勝っていました。

制約のない「自由」の中で、自分の正解を追い求める

受験の時も敢えて倍率の高い学科へ挑戦されたり、今回も自由を求めて独立されたり…その思い切りの強さは作品のダイナミックさにも影響しているのでしょうか。

りく – どうですかね…?でも、「常に新しいものを作りたい」という気持ちはあります。一つの表現に挑戦して形にできたら、次はもう別の新しい表現に行きたくなるんです。

以前、別のイラストレーターの方から「制約がある方がむしろやりやすい」「自由って何て難しいんだろう」というお話も伺った(関連記事:Mika Pikazo × ORIHARA「創作は私たちを幸せにするか」 – 前編)のですが、りくさんはそういった感覚はありませんか?

りく – 面白いですね、むしろ私は真逆です。誰かの要望や思想、「他人の正解」に応えなければならないやり方だと、「これは正解なのかな、間違っているのかな」と考えすぎて萎縮してしまい、手が止まってしまうんです。 逆に、自由であれば自分が答えを出していいわけですよね。何をやっても自分の正解になる。その方が私にとっては圧倒的に楽ですし、やっていて楽しいんです。

敢えて倍率の高い学科を受験したかと思えば、自由を求めて大ヒット作に携われる環境を手放してしまう。彼女の大胆さは、時にあのヒロインに重なって見える。と同時に、星街すいせいが『プリマドンナ』で歌った「譲れないわ MY STAGE」、その舞台裏が、いよいよ気になってきた。

後編では、そんな最新MV『プリマドンナ』の制作の舞台裏を紐解いていこう。
最後には事前募集した質問への回答も。お楽しみに!

後編へ続く

【インタビュー】加賀美健の、ホントの話 – 後編

「トイレを見ると人となりが分かる」って話を聞いたことがある。何度回数を重ねてもインタビューは毎回緊張するもので、それが時々膀胱を刺激してきて困っている。この日もあいにくで、アトリエでトイレをお借りした。戸を開けると大小様々なすっぽんが20本近くあって、「ああ、おれは今加賀美さんの所に来ているんだ」と、改めて実感した。

とまあ、後編です。

流行ったら飽きられちゃうから

他人からの評価が気になることはありますか?

K – んー、例えば流行ったらそれを続けるのって難しいよね。流行りが終わっちゃったら大変だし。

流行らないように気をつけている?

K – 俺、絶対流行んないもん。別に流行るようなことしてないから、それは安心してる(笑)。わかんない、流行ったら流行ったで嬉しいのかもしれないけど、SNSとかで「いいね」が増えてきたら、それはもう危険信号。だって、流行るってことは理解されるってことだから。例えば、僕が1つの絵を描いて、「これこそが加賀美健だ」みたいな形で人気が出たとしたら、もうそれしかないじゃない。僕はやりたいことがいっぱいあるので、何が加賀美健なのか、いつまでもわからないような状態にしておきたい。ステッカーとかは結構目につくけど、やっぱりそれだけじゃない。色々と揺さぶっていた方が、見てる側も飽きないと思うし、何より自分も飽きないから。だからこんだけ色々やってるんですよ。セパバス(SEPARATE BATH & TOILET)もそうだし、「STRANGE STORE(ストレンジストア)だってそうなんです。

恥ずかしさも作品になるパフォーマンス

様々な活動の中で、海外での活動も積極的ですよね。日本と比べて反応の違いは感じますか?

K – 感じますね。僕、英語喋れないんだけど。

えっ、喋れないんですか?

K – 喋れないですよ。でも、海外の観客はノリがいい部分はある。僕はアートフェアとかでパフォーマンスをするんですけど、海外の人は面白いと思ってバーっと見に来る。日本人はシャイだし、空気を読むじゃない。僕のやるパフォーマンス、結構クセが強いから。

どんなことを?

K – 似顔絵なんだけど、男には「男性器」を描いてあげて、女性には「胸」を描くっていう。その人を目の前にして、顔からその部分を想像して描く即興のパフォーマンス。

どんな反応になるんですか(笑)。

K – 笑ってたりね。どんなのが描かれるか周りの人からも見られるわけだから、恥ずかしいじゃない。実際に出して描いてるわけじゃないけど、僕が勝手に想像して描く。周りも笑ってる。それも全部含めて作品なんです。描かれた人も作品になっちゃうっていう。ただ、この前香港でやった時は、キュレーターの人から相談を受けて少し変えたんです。男女共に好きな方を選べて、両方描いてほしい人がいたら両方描いてあげるように。

ずっと変わらない姿

昔の写真とかインタビューを拝見しても、今と全然変わりませんよね。外見もそうだし、考え方だったり。

K – 逆にどういう風に変わるの?

例えば大きな挫折だったり、自分を変えざるを得ない状況ってたくさんあると思うんです。

K – 挫折か、そもそも挫折とか失敗とは思わないかな。

今回は失敗だったけど、もう一回やれば成功するかもみたいなことですか?

K – 成功するかもとも思わないですね。

え?

K – やり続けるってことですよ。別に好きだから、面白いからやってるだけで。だから面白くなかったらいつでもやめると思いますよ。それがたまたま仕事になってるだけで、仕事が先になっちゃったら多分大変なんじゃない。仕事にしないといけないってマインドになるから、そうすると多分とてつもなく作品がつまんなくなっちゃうと思う。

あー、なるほど!

K – だけど今の子たちって先に仕事にしようと焦っちゃうから。だから大変なのよ。アートなんてめちゃくちゃ時間かかるから。

そうですよね。

K – 1年が10年ぐらいかかる仕事なんで。って言うと、みんなやっぱり「あー…」ってなっちゃうみたい。

仕事と趣味の境界はどのように考えてますか?

K – もう一緒ですよ。むしろ趣味がないんで。仕事が趣味の延長に近いです。僕としてはただ好きなものを集めて作品にしたり、発表したりしてるだけです。

「アートなんて遅咲きの方が絶対いい」

趣味の延長で結果的に仕事になったとのことですが、食える、食えないはもちろん大事で、結婚やお子さんが生まれたりしたタイミングで心境に変化はありましたか?

K – ないです。なんとかなるだろうなと思って。もちろん全然仕事になんなかったら他の仕事すればいい話だから。

その覚悟みたいなものは常にあった?

K – 今でもあります。何もしないでは生活できないし。

日本でアート活動を始められて、最初の10年ほどはアルバイトを続けていたそうですが、当時は将来への不安とかもなかったですか?

K – ずっと不安ですよ。死ぬまで不安です。だって不安がなきゃ多分ダメなんじゃない。

なるほど。逆に。

K – だってあるでしょ?

ありますね(笑)。でもそれを何とかなくそうと努力しちゃうと思うんです。

K – でも、消えないでしょ?消えたら多分面白くないですよ。不安の質にもよるけど、漠然と「どうなんだろうな」みたいなものはずっと持ってるし。 

今もあると。

K – いや、ありますよ。もちろんある。考えすぎて体調を崩してしまったりしたら大変だから、そのバランスは大事だけどね。

あとは、バイトしてた時は長い目で見ていたから。いきなり仕事が来たら逆にそっちの方が不安かもしれない。いきなりブレイクとかしちゃったら、多分ブレイクってほら、「壊れる」って意味だから、そっちの方が怖いかな。

絶対遅咲きの方がいいんですよ、何でも。特にアートなんて遅咲きの方が絶対いい。年齢と順を追って、徐々に作品が高くなっていくのが理想的だよね。徐々に徐々に進んでいく。スタイルを崩さず。だからアートは時間がかかるの。おじいちゃんになった時にいい感じになるっていうのが最高だよね。

長時間お話を伺って、最初に目指した「本当の加賀美さんを知る」ことが出来たかは正直分からない。あとがきで簡単にまとめる、ましてや一言で彼の魅力を語ることも到底出来ない。ライターとしてはいけないのだろうが、もし言葉に出来たとしても、それをすることは野暮な気もしている。ただ一つ思ったことは、彼みたいな大人になりたい、それだけは確かだ。

STRANGE STORE

住所:東京都渋谷区鶯谷町12-3 フローラ代官山301
電話番号:03-3496-5611
営業日時:Instagramにてご確認ください。
公式Instagram:https://www.instagram.com/store_strange/
公式サイト:https://strangestore.shop

【インタビュー】加賀美健の、ホントの話 – 前編

大人が「うんち」で笑っていたら、僕はおかしいと思う。普通はそうなのだが、加賀美さんの作品に「うんち」のオブジェやイラストがあっても、納得できる。「うんち」どころではないモチーフが登場することも少なくない、それなのに品すら感じさせるのはどういうカラクリなのか。「実家帰れ」を始めとした手書き文字のステッカーで感じる、妙に腑に落ちるあの感じは何なのか。ずっと好きで見てきたのに、分かるようで分からない。いや全く分からない。今日こそは、本当の加賀美健の輪郭だけでも捉えるぞと、意気込んでアトリエのインターフォンを押した。

返信があまりにも速い

今日までのメールのやり取り、人生で出会った方で一番返信が早かったです。冗談抜きで1分経たないで返ってくるくらいの感覚というか。

加賀美健(以下:K) – せっかちだからね。

そういう理由なんですか。早いっていう次元じゃないと思うんですよ。

K – AIみたいでしょ?よく怖がられるもん(笑)。「ちゃんとしよう」というより、社会人としてやりやすいじゃん、そっちの方が。気持ちよく仕事できた方が絶対いいし、僕もそっちの方がやりやすい。ただそれだけですよ。

いつでも返せるように構えているんですか?

K – いや、そういうわけじゃないです。 ポンと来たらパッと見るじゃない。 だって仕事中ですよ。少し考えなきゃいけない内容だったら一旦置くけど、基本的にすぐ返信する。ジャッジが早いっていうのはあるかもしれないですね。 別に考えてもしょうがないので。 

それは作品もそうですか?

K – 早い。作品の方が早い。

慣れたリズムで生み出す作品たち

この日は加賀美さんのスタジオにお邪魔してのインタビュー。スタジオ内での写真も合わせてお届けする。

それは一体何故ですか?やはりせっかちだから?

K – そうですね。あとは、このリズムでずっとやってきてるから。

自分の気持ちいいテンポみたいな。

K – そうそう。

創作において熟考したり悩んだりすることはありますか?

K – ないですね。それが良いか悪いかではないと思うけど、僕の場合はただ本当に“早い”っていうだけです。

制作が早いと必然的に作品の数も多くなると思いますが、世に出してしまって後悔したことはありますか?

K – すぐ忘れちゃうから、次って感じで。インスタもすごいスピードで上がるでしょ。アイデアとかのメモ代わりに使っているんですけど、あれでも抑えてるんですよ。本当だと1日100投稿くらいできちゃうんだけど、それだとまた怖がられるから(笑)。

メッセージを込めない創作スタイル

様々なタイプのアーティストの方がいる中で、例えば「感情」と創作活動が密接に繋がっている方もいますよね。加賀美さんの制作においてその辺りはどう関わってきますか?

K – 創作への影響とかは絶対あると思います。じゃあどんな感情ですかって言われたら難しいけど。基本的に作品にメッセージを入れないようにしていて。そういうものには全く興味がないかな。人一倍ニュースも見るし、頭の中では色々考えているけど、それを作品に込めるかどうかは全くの別物。作品に落とし込んで、それを人に見せることには全く興味がないです。それよりももうちょっとわからないものを表現したいから。今後も自分の表現とか発言とかでそういったことは一切ないと思う。

海外のアーティストの方だと、そういった「メッセージ性」が強い人が多い印象があります。

K – そういう方が評価されるからね。

加賀美さんは日本でのアーティスト活動を始める前、1年半ほどサンフランシスコに住んでいらっしゃいますが、その時の影響はありますか?

K – そういう意味で言うとないと思う。やっぱりよくわからないものが好きです。

加賀美フォントの、ホントの話

あの「加賀美フォント」が出てきたのはいつ頃なんですか?

K – あれはね、もうお店を作ってから。ストレンジストア。16年前。

そんなに前なんですね。

K – そう。「実家帰れ」とか適当にステッカーに書いて、それを友達に配ってたの。で、友達が携帯の裏とかに貼るでしょ。それを見た別の友達が「なんだこれ?」ってなる。もうそっからどんどんどんどん。適当なシールに日本語で変な文字を書いたりして、インスタに上げてたの。そしたらそれが広がっていって。

一目で加賀美さんの文字だと分かります。実は相当練習されているんじゃないですか?

K – 昔からずっとあの字ですよ(笑)。キース・ヘリングとかピカソとかウォーホルとか、有名なアーティストの字って見ればわかるでしょ。自分の字で書いてるから、必ずサインとかにも個性が残る。僕の場合は、白い紙に日本語で書くっていうのを作品にする人があんまりいなかったから、ずっと続けるうちにイメージが付いたんじゃないですかね。だから、ほんとは紙とペンさえあれば誰でもできますよ。ただ、僕の字はちょっと癖があるから、見ると結構忘れないでしょ。

本当はめちゃくちゃ計算して書いているのかな、と(笑)。

K – してない。してたら寒いでしょ。しててこれやってたら、逆にすごいけどね(笑)。

まあそうですね(笑)。フォントとして登録などはされてない?

K – してないしてない。登録なんて多分できないです。今日「あ」を書いたとしたら、明日の「あ」は違うから。丁寧に書けって言われても書けないし、もうこれが普通。仕事で字を書く依頼もたくさん受けてるけど、基本的に全部一発書き。毎日普通に字を書くのと、何ら変わりないです。

アーティストには「イライラ」が必要

書いている内容はシニカルでありながら、嫌な感じが一切しないのが本当に不思議で。そこは注意していますか?

K – そこは気をつけてる。あんまり強すぎちゃうとね。書いてる内容は結構インパクトあるんだけど、この字でなんとなくまとまってるっていうか。これを綺麗な文字で書いてたりしたら、面白くないじゃない。

内容自体は加賀美さんの本心ですか? お話ししているとすごく穏やかな印象で、そこのギャップが不思議です。

K – いや、考えてることはこういうことですよ。頭の中は常にシニカルだし。で、割と常にイライラしてるんで。絶対イライラしてなきゃダメなんですよ、アーティストは。イライラしてる方が、作品は面白くなる。

加賀美健にとって、アートって何?

コマーシャルワークとアート活動は分けて考えていますか?

K – 同一線上なんだけど、一緒かと言ったらちょっと違うかも。気持ちの持ちようというか。ギャラリーでの展示とか海外の時は、もうちょっと現代美術の文脈に寄せて頭を作る。

具体的にどういったことでしょう。

K – 海外なら、キャンバスに書く日本語を英語に変えるとか、それくらい。でも、そうすることでアートとして考える。……まあ、難しくてね。そう言われると。

加賀美さんは美大には通われていないですが、昔からアートがお好きですよね。自由なスタイルを見ていると、どこからがアートだと考えているのか気になります。STRANGE STORE(ストレンジストア)もお店自体が作品で買うことが出来たり、インスタだって、あれ自体に作品性があるように思えます。

K – その辺りは難しい。でも、全部アートって言うと卑怯だよね。

まあそうですね。

K – だけど、結局アートって、文脈だったりそういうのを分かってないと楽しくないジャンルなんですよ。興味が無いスポーツの試合とか見ないでしょ?それと一緒なんですよ。アートに興味がなかったらアートなんて見ない。で、値段が高いと「なんでこんなのが高いんだ」って文句を言う。だけど、アートの文脈を多少なりとも知ってたら、意外と面白いと思います。

知識があるから楽しめる、と。

K – 演歌だって聴かない人は聴かないけど、好きな人はその人のルーツまですごい詳しいじゃない。それと同じ。アートって範囲が広すぎて説明できないけど、ジャンルや仕組みを知れば知るほど楽しめるものだから。

ご自身のそのアート文脈での立ち位置についてはどのように考えていますか?

K – 自分のやっていることに関しては、全てアート活動としてやってるかな。それを言葉で説明するのは難しいし、僕の中での解釈があって楽しんでいる感覚。例えそれを誰かに説明しても多分面白くもないし。だから僕の活動を見て、「なにこれ」って引っかかる人が面白いがってくれればいいんじゃないかな。

後編では、アーティストを続ける理由とその覚悟、「遅咲きの方が100%いい」と語る意図を紐解きます。海外での衝撃パフォーマンスのお話も。

お楽しみに!

STRANGE STORE

住所:東京都渋谷区鶯谷町12-3 フローラ代官山301
電話番号:03-3496-5611
営業日時:Instagramにてご確認ください。
公式Instagram:https://www.instagram.com/store_strange/
公式サイト:https://strangestore.shop

【インタビュー】YOSHIROTTENの奏るテクノロジーと自然のセッション – 後編

テクノロジーを駆使して自然を捉え直すアーティスト、YOSHIROTTEN。前編では、余白から生まれる偶発性、自然というアンコントロールな要素を作品に組み込むどっしりとしたアティチュードが見て取れる。光や石、そこにあ̇る̇も̇の̇やあ̇っ̇たも̇の̇に想いを馳せる彼のフィルターを通すなら、東京という都市はどのように映るのだろう。

YOSHIROTTEN(以下、Y) – 僕は自然豊かな鹿児島で育ち、東京ではクラブカルチャー、夜の世界に面白さを見出してきました。そこでは若い頃から多くの時間を過ごしたし、たくさんの友人や仲間がいる。 東京に関して言うなら、夜にこそ、都会のリアルな姿が鮮明に映し出されるのだと思います。渋谷の地下のクラブなんかで自由に音に身を委ねる人々の姿が、僕の思う東京の好きな風景かもしれません。逆に昼の明るい時間には、森や山の中などの自然の中に身を置き、太陽の光を浴びる。僕にとってはそのどちらも必要な時間だと感じています。

コロナ禍で見つめ直した「1日」の重みと、太陽のポートレート

国立競技場で開催された「SUN」 

パンデミックの最中にスタートしたプロジェクト「SUN」では、365日毎日異なる太陽を描き続けていましたね。あの時期にこの活動を始めたことには、どのような決意があったのでしょうか。

Y – コロナ禍になり、予定していた展示やイベントがすべて白紙になりました。創作しても発表する場がない。クリエイターだけでなく、人類が等しく直面した壁だったと思います。あの閉塞的な時間の中で、ただ僕は、「とにかく作り続けていかなければならない」と強く思ったんです。

国立競技場で開催された「SUN」 

あの時、世界中の人々が同時に「今日という1日」を強く実感していたと思います。外出もままならず、目にするのは何日も同じ景色でした。それでも毎朝昇ってくる太陽とその日の感情は、同じではなかった。その体験を形にすることは、作家として非常に自然な衝動でした。

その後、国立競技場で開催されたフリーイベントでの「SUN」のインスタレーションは、多くの人に解放感を与えましたね。

Y – ようやく人に会える、マスクを外して集まれる。あのパーティーは僕なりの「祝祭」でした。1日1日の積み重ねが365日になり、それがようやく他者と共有される場になった。あの時感じた「1日の実感」は、今の僕の創作活動の土台に深く息づいています。

アルミハニカム:宇宙へ届ける「地球の美しさ」

「無題 」 / photo by Mikito Hyakuno

太陽への眼差しに加え、宇宙にも多大な興味があるそうですね。

Y – 2013年頃にJAXA(宇宙航空研究開発機構)から、実際に宇宙へ行って大気圏を越えて地球に還ってきたパネルを譲り受けたんです。アルミハニカムという素材で出来ているもので、これを生で見た時、このパネルが宇宙で出会ったかもしれない、惑星なのか、大気なのか、粒子なのか、魂なのか…。それらを反映した作品にしたいと思いました。

「無題 」 / photo by Mikito Hyakuno

その後発表されたプロジェクトが「Future Nature」ですね。

Y – そうです。アルミハニカムは人工衛星にも使われる非常に軽くて丈夫な素材です。これにキャンバスとして作品を描けば、物理的には、宇宙へ持っていくことが不可能じゃない。僕は「地球の美しいものを宇宙に届けたい」という想いで“Future Nature”というプロジェクトを続けているので、キャンバスとしてアルミハニカムを選ぶのは自分の中で一番しっくりくるんです。それを見た人が「これは宇宙まで行ける素材なんだ」と知った時、想像力が地球の外側まで広がっていく。ワクワクするじゃないですか。そうしたワクワクするような感覚を生み出すことが、アーティストとして大切だと思っています。

「アート」で感動するということ

ビューイングルームの展示風景 / photo by Mikito Hyakuno

自然の中に創作のヒントを見つけて、全く独自の作品を作り上げるYOSHIROTTENさんですが、他のアーティストの作品からヒントを得たり影響を受けることはありますか?

Y – 色々ありますが、具体的にこの人がといったことはないですね。
ただ、一昨年に、ずっと行きたかった南仏にあるヴィクトル・ヴァザルリという大好きなアーティストの美術館「Fondation Vasarely」に行ったんです。僕と同じように元々デザイナーだった彼は、平面から彫刻へと表現を拡張し、最終的に自分だけの美術館を作り上げてしまった。その偉業には憧れるものがあります。完成して30年、40年後に僕が行って、感動する。イサム・ノグチのモエレ沼公園もそうだし、篠田桃紅さんの当時のアトリエを移設した場所を訪れた時にも、全身に鳥肌が立ったのを覚えています。 それは1つの作品を観てというより、作家の全体像、文脈の中でこの作品を作ることが出来たという事実に直面した時に、より感じるものです。あとは、自分が20代の頃から憧れていた場所に訪れた時、変わらず感動できたことが嬉しかった。

事務所の本棚には人工衛星や宇宙の本がずらり。 / photo by Mikito Hyakuno
ヴィクトル・ヴァザルリの作品集なども。 / photo by Mikito Hyakuno

メディアとして機能するYOSHIROTTENの作品

ビューイングルームの様子  / photo by Mikito Hyakuno

ご自身の作品が観られる立場としてはどうでしょうか。今回の「大谷グランド・センター」もそうですが、大谷の地において、ある種ハブスポット的な役割も持ち合わせています。作品を通して、既存のものの価値を新たにする点は、メディア的な役割とも言えますね。

Y – そうですね。「大谷グランド・センター」は、大谷の歴史をどうやって未来に伝えられるかというのが最初の課題でした。まずは人をたくさん呼ぶ。その為にはインパクトのあるものが必要ですが、一時的にたくさんの人を集めるだけでは意味をなさない。フィールドリサーチや土地の歴史を辿ると、古くからある大谷石の存在や、70年代頃に構想されていた「大谷テクノパーク」という、SF映画バリの地下施設を作ろうという計画の存在が浮かび上がってきました。結局実現はしませんでしたが、そこには「トランストーン」という空間があって…とか、「なんだそれ」ってなるじゃないですか。大谷の魅力を伝えるというのは、そうした過去の歴史に目を向けることが非常に大切でした。

大谷石。「ミソ」と呼ばれる穴が最大の特徴だ。

過去に実施された伝統工芸である「輪島塗」とのコラボレーションでも、現代的なアプローチを通して全く新しい作品に仕上げていますね。漆器という歴史ある媒体をどう捉えましたか?

Y – 輪島塗には数百年の歴史と伝統があります。でも、僕はその伝統を忠実に継承する立場ではないからこそ、新しい表現で伝統工芸に向き合えると思いました。
職人さんに提案したのは、これまでの輪島塗ではあまり使われてこなかった鮮やかな色漆(いろうるし)のグラデーションです。まずはCGを使ってシミュレーションを作成し、「こういう色の繋がりを持つ杯(さかずき)を作れませんか?」とお伝えしました。

「SAKAZUKI」 / photo by Mikito Hyakuno

職人さんの反応はいかがでしたか?

Y – 最初は「やったことがない」と驚かれましたが、面白がってご協力頂けました。出来上がったものは、輪島の工芸作品としての美しさを保ちながら、これまでにない色彩を放っています。これを見た人が「漆ってこんなに綺麗なんだ」と再発見してくれる。それこそが、僕がやる意味だと思っています。大谷のプロジェクトもそうですが、土地の歴史や伝統を自分なりに解釈し、未来へ繋ぐために何ができるかを常に思っていますね。

「とにかく、たくさん作ること」

YOSHIROTTEN / photo by Mikito Hyakuno

最後に、これから創作の道を志す若い世代に向けて、メッセージをお願いします。

Y – シンプルですが「とにかく、めちゃくちゃたくさん作ること」です。
そして、作ったものをどう扱うか、徹底的に向き合ってほしいです。今の時代、発表する手段はいくらでもあります。勇気を持って世に出してみるのも一つの方法です。表現したいという想いがあるのなら、その一歩を恐れずに踏み出し、継続してやり切ること。楽しみながら。それがすべてだと思います。

大谷グランド・センター

所在地:栃木県宇都宮市大谷町1396-29
アクセス:JR「宇都宮」駅より車で約30分/関東バス「大谷観音前」下車すぐ
入館パス:大人(18歳以上)・中人 500円 / 小学生以下無料
グランドパス:大人(18歳以上) 1800円 / 中人 1500円 / 小学生以下無料
公式サイト:https://oya-grand-center.com

【インタビュー】YOSHIROTTENの奏るテクノロジーと自然のセッション – 前編

これまでの作品が展示されている自身のビューイングルームの様子 / photo by Mikito Hyakuno

グラフィック、空間インスタレーション、映像。メディアの境界を軽やかに飛び越え、独自の色彩感覚と光の表現で世界を魅了するアーティスト、YOSHIROTTEN(ヨシロットン)。 一見すると無機質で先鋭的なデジタル表現に見える彼の作品群の根底には、驚くほど純粋な「自然への畏敬」と、フィールドワークに基づいた緻密なデータ観測がある。

今回、彼が栃木県宇都宮市の大谷(おおや)で手掛けた最新プロジェクトから、霧島での大規模な個展、そして「分光器」を用いた独自の制作手法までを深く掘り下げた。テクノロジーというフィルターを通して、彼は一体どのような「自然」を見つめているのか。初公開となるビューイングルームの様子と共にお届け。

「2回訪れてほしい」という言葉に込められた、時空を味わう体験

大谷グランド・センター / photo by Ryo Kobayashi

ご自身の初となる常設展示を手掛けた「大谷グランド・センター」について、「ここには1日に2回来てほしい」とお話しされていましたね。その言葉の真意について改めて教えていただけますか。

YOSHIROTTEN(以下、Y) – 大谷の現場に初めて行ったのが、2019年の11月でした。その時は昼過ぎから夕方にかけての時間帯で、次に訪れたのが朝だったんです。同じ場所なのに光の入り方によって空間の表情が劇的に変わることに驚かされました。

「山本園大谷グランドセンター」跡地。およそ30年の時を経て「大谷グランド・センター」として新たに生まれ変わった。

現代アートと食の複合施設としてオープンしたこの場所は、前身の施設が閉館してから長い間廃墟になっていました。もともとそこは、岩肌が剥き出しになった場所に浴場があるユニークな建築だったのですが、単に「面白い建物の中にアートを置く」という発想ではなく、そこに入ってくる外からの光や、窓の外に見える大谷の街並みが、時間とともにどう照らされていくか。その「変化」そのものを作品にしたいと考えたんです。

そこに流れる「時間」や「光」を体験してほしいということですね。

Yなので、元の建物をそのまま活かせるところはなるべく残し、あえて開いたままの窓も塞がない選択をしました。窓にオレンジ色のフィルターを貼ることで、大谷の街をその色越しに眺める。でも夕方になれば、街は見えなくなり、空間の体感は刻々と変わっていきます。

YOSHIROTTENが手掛けた初の常設展示「大谷石景」 / photo by Ryo Kobayashi

「2回訪れてほしい」と言ったのは、たとえば朝に作品を見てから、近くの大谷資料館や大谷観音、お蕎麦屋さんなんかを巡って、夕方にまた戻ってくる。そうすると、光のある時間帯は大谷の街並みと作品がゆるやかに繋がっていて、日が落ちてからは、この空間に没入して作品と向き合う時間が生まれる。その体験は、展示会場の中だけで完結するものではなく、帰り道や日常の中でも「時間の移ろい」に意識が向くきっかけになると思うんです。そういう風に日々を楽しめるようになることまで含めて、作品として提示したいと思っています。

自然という「コントロールできないもの」との親和

FUTURE NATURE Ⅱ in Kagoshima / photo by Yasuyuki TAKAKI

自然現象を作品に取り入れる場合、アーティストとしての作品の「コントロール」と、自然の「偶発性」のバランスをどのように取っていますか?

Y – 自然をテーマにしている時点で、僕はコントロールしようとは思っていません。むしろ、その状況と親和することが、最も自然な作品の在り方だと思っています。
以前、僕の育った鹿児島県にある公立美術館「霧島アートの森」で個展を開催しました。そこでは、自然光の入る美術館のトップライトが全開放された部分を生かして、時間帯によって空間がオレンジ色に染まったりと、空間全体を使った光の作品を作りました。雨が降ればより没入感のある暗い空間になるし、晴れれば光がパーンと入ってくる。それは僕にもコントロールできません。

予期せぬことが起きる面白さ、というわけですね。

FUTURE NATURE Ⅱ in Kagoshima / photo by Yasuyuki TAKAKI

霧島でのオープニングの日は、ものすごい霧が出たんです。「これ、演出なの?」ってみんなに聞かれるくらい(笑)。僕が数年かけてフィールドワークした中でも見たことがないような美しい霧が、その日に偶然起きた。
最終日には、それまでは入ってこなかった角度から西日が差し込んで、ある作品にだけスポットライトのように光が当たっていたんです。これも狙ったのか度々聞かれましたが、そうではないんです。完全な「余白」から生まれた現象。窓を閉じなかったからこそ起きた奇跡です。余白を残すということも自分の制作においては重要な要素です。

FUTURE NATURE Ⅱ in Kagoshima / photo by Kazuki Miyamae

分光器とスキャナー:見えなくともそこにある“何か”へ想い馳せる

大谷各地でのフィールドリサーチ / photo by Kazuki Miyamae

YOSHIROTTENさんの制作スタイルを語る上で欠かせないのが、フィールドワークとテクノロジーの活用です。具体的にどのような調査を行っているのでしょうか?

Y霧島や大谷のプロジェクトでは、ハンドスキャナーを持ち歩いて、岩肌や土、葉っぱの表面をなぞってデジタルデータに変換する作業を行いました。これは視覚的な「記録」に近い行為です。特に今回の大谷でのプロジェクトでは、大谷石の特徴である「ミソ」と呼ばれる穴に注目しました。(※脚注:およそ1200万年前に誕生した凝灰岩である大谷石には、「ミソ」と呼ばれる茶色の斑点がある。これは、火山岩が粘土化して出来たもので、長い年月を経て、その箇所は抜け落ちていく)

大谷石の最大の特徴である「ミソ」

「この穴の中にあった石の粒たちは、どこへ行ったんだろう?」という想像から、スキャンした石の粒が空間を浮遊するような映像作品を作り、プロジェクションで元々ある石自体に光を当てました。テクノロジーを使うことで、肉眼では捉えられない自然の深層や、その場所が持つ記憶を可視化していく感覚です。

大谷石をハンドスキャンし、観測していく。

普段の制作のもう一つのアプローチとして「分光器」を使った制作があります。僕らが通常見ている世界は「可視光線」ですが、その隣には赤外線や紫外線など、僕らの目には映らない様々な光が存在しています。それらを捉えることができる分光器を各地のフィールドワークに持ち込みました。

「霧島百景」 / 鹿児島県のいろいろな場所でフィールドスキャニングした50分間ほどの映像作品。 / photo by Mikito Hyakuno

目に見えない光をデータとして抽出するのですね。

Yはい。例えば、霧島の噴気地帯(温泉の煙が上がっている場所)で分光器を向けると、赤外線の数値が高いだとか、可視光線はこれくらいだというグラフが出る。その場所の、その瞬間にしか存在しない「光の組成」をキャプチャーするんです。それをそのまま出すのではなく、得られたデータを元に「この数値の動きが美しい」と感じる部分を抽出して、さらにその場所で抱いたイメージで着色していく。そうすることで、僕らの目には見えていなかったけれど、確かにそこに存在していた光を「デジタル上の絵画」として作り上げていきます。

「Menhir 2」 / ビューイングルーム内の不可視光線を分光器によってリアルタイムで映し出す。室内の自然光の入り方、窓の締め具合、照明の有無で、刻一刻と変化してく。目に見えない「光」が、生き物のように動き出す。記事内での変化にもご注目。 / photo by Mikito Hyakuno

最新技術を使っているけれど、やっていることは印象派の画家が光を捉えようとしていた営みに近いようにも感じます。もしテクノロジーが存在しない中世に生まれていたとしても、やはり何かを作っていたと思いますか?

Y形は違えど、その時代における「新しい技術や表現」を使って、見たこともないものを作ろうとしていたはずです。
今の僕たちがアートとして発表することの意味は、この時代のテクノロジーを使って、前の時代の人たちにはできなかった表現を追求し形に残すことにあると思っています。「今ならこれができる」という可能性を追求することが、作家の役割の1つではないでしょうか。

後編では、自身の作品、アーティスト活動がメディアとして機能するような側面、そして、彼自身の太陽や宇宙への憧憬がちらりと姿を表します。お楽しみに。

大谷グランド・センター

所在地:栃木県宇都宮市大谷町1396-29
アクセス:JR「宇都宮」駅より車で約30分/関東バス「大谷観音前」下車すぐ
入館パス:大人(18歳以上)・中人 500円 / 小学生以下無料
グランドパス:大人(18歳以上) 1800円 / 中人 1500円 / 小学生以下無料
公式サイト:https://oya-grand-center.com

海を見せられなかったけれど。久保田雅人が「ワクワクさん」として走り抜けた23年間 – 後編

「ワクワクさん」になるずっと前から、物作りと共にあった久保田さん。ただ、あくまで父親同様、それを仕事にしようなどとは考えてもいない。そんな彼が経験した学生時代の挫折、ちょっとの思い切りが、後に23年続く長寿番組『つくってあそぼ』を生み出すことになる。駆け出しの彼は、そんなことを知る由もない。

幼稚園を駆け回った20代

久保田 雅人(以下:久保田) – 平成元年の6月頃に、パイロット版『ワクワクおじさん』が始まったんです。当時はまだ26、7歳。その後の12月にもう1本、試作番組を作りました。その時に初めて登場したのが「ゴロリくん」です。「レギュラーになるわけないな…」と思っていたら、忘れもしません、平成2年4月3日からレギュラー放送が決まりまして。それからが本当に大変でした。

生活が一変したのでしょうか?

久保田 – というより、そもそも私は工作の勉̇強̇なんてしたことがなかったですから。その上、番組の対象は保育所や幼稚園の子供たち。普段作っていたプラモデルとは全く違う制作をやらなければいけなかったんです。
子供がどこまで理解できるのか、何が面白いと思うのか、全くわからない。そこで、NHKに視聴協力をしてくださっている幼稚園に自分から電話をして、「こういう番組をやることになったので、お邪魔してもよろしいでしょうか」とお願いして回ることから始めました。

幼稚園を回って、具体的にどのようなことをしていたのですか?

久保田 – 子供たちの前で実際に工作をして、どういうことがウケるのか、どんな喋り方が面白いのかを自分の頭に叩き込むんです。そこから勉強しないといけなかった。「ワクワクさん」になってからの方が大変でしたね。

「父」になったことで訪れた、3年目の転機

「ワクワクさん」でお馴染みの久保田雅人さん

久保田 – 手応えを感じるまでに3年かかりました。3年経って、ようやく「ゴロリくん」とも上手く噛み合うようになり、人に見せられるものになったと思います。

何か大きな転機があったのでしょうか?

久保田 – 自分が父親になったんです。「『ワクワクさん』、良くなったね」と言われるようになったのは、そこからなんですよ。自然と子供に対する接し方や、見せ方、喋り方が変わったんでしょうね。

不思議な巡り合わせですね。

久保田 – 不思議なものです。最初はEテレの最短記録を作るんじゃないかと思うくらい、自分でもオンエアを見て「ダメだな」と思っていましたから。まさか23年も、番組終了後も含めて30年以上も続くなんて思ってもみませんでしたね。

「ワクワクさん」でお馴染みの久保田雅人さん。この日つくってあそんだものは最後にご紹介

「のり弁」か、フランス料理か。

長く続けていく中で、どんな悩みがありましたか?

久保田 – 番組で紹介する工作のアイデアは、すべて造形作家のヒダオサム先生によるものです。つまり、ヒダ先生が「名作曲家」だとしたら、私と「ゴロリくん」は「名演奏家」でなければならない。どんなに素晴らしい楽曲でも、演奏が悪ければ評価されません。どうすればより良く見せられるか、これは今でも私の課題です。ただ、一時「失敗したな」と思う時期もありました。

どういうことでしょうか。

久保田 – イベントなどを重ねるうちに、「欲」が出てくるんです。もっと大きな会場でやりたい、もっと長いストーリー性のあるものをやりたい……。でも、それは間違いでした。お客様や子供たちの受けが良くなかったり、意図が伝わっていなかったり。その時に気づいたのが「のり弁」の精神です。

のり弁、ですか。

久保田 – スタートは「のり弁」なんです。それがいつの間にか「幕の内弁当」になり、さらに「重箱」になり、最終的には「フランス料理のフルコース」を目指してしまう。だけど、お客様が来てくださるのは、最初の「のり弁」が美味しかったからなんです。
だから、もう一度「のり弁」に戻ろうと。より良い「のり弁」を作ろうという思いに至りました。アーティストの方も同じかも知れません。自分がなぜ最初に支持されたのか、その根本を忘れてしまってはいけないんです。

美術界の「裾野」を広げるという使命

ご自身のやりたいことと、求められることのバランスに気づかれたのですね。

久保田 – やりたいことは次々に出てきます。でも根本は忘れてはいけない。私と「ゴロリくん」の仕事は、アートや美術という大きなピラミッドの一番下、「裾野」を広げることだったんです。

今、最前線で活躍しているクリエイターの方々も、間違いなく見ていた世代だと思います。

久保田 – ありがたいことです。以前、東京藝術大学の助教授の方が「私のスタートは『ワクワクさん』でした」と言ってくださったことがあって。改めて、私たちの仕事は、この裾野を広げることにあったんだと感じました。だから、そこから先は皆さんにてっぺんを目指してほしい。それが一番嬉しいです。

30年来の相棒、「ゴロリくん」との三重奏

「ワクワクさん」でお馴染みの久保田雅人さん

長い活動の中で、一番こだわったことは何ですか?

久保田 – 3人で、『つくってあそぶ』ということです。「ゴロリくん」の操演(中に入っている)の古市次靖くん、そして声を当てる中村秀利さんの3人で、延々と会議をしました。「あれが違う、これが違う」と。

あの「ゴロリくん」との会話は、そんな風に作り込まれていたのですね。

久保田 – ただ、よくやっていたゲームのコーナーでは台本がないんですよ。「用意スタート。以下実況中継風アドリブ」としか書いてありません(笑)。最後も「勝者:わーい/敗者:くぅ残念」だけ。つまり「真剣に遊んでいいよ」ということなんです。
その様子に、中村さんがモニターを見ながら即興で声を当てていました。後アテは無理です。「ゴロリくん」の動きを見てその場で当てる「生アテ」なんです。まさに三位一体。息が合うまでには時間がかかりましたが、あの会話のアドリブ合戦こそが番組の楽しみだったんですね。

忖度なしで、「ゴロリくん」が勝つことも多かったですよね。

久保田 – 彼は年長者を敬う気持ちがないですから、真剣に勝ちにきます(笑)。でも、それでいいんです。子供は大人の嘘を見抜きます。何回目にどっちが勝つとか、そんな段取りは面白くない。ガチンコでやっているからこそ、楽しんでもらえたんだと思います。

素敵な話ですね…。今でもお会いになるのですか?

久保田 – 「ゴロリくん」(古市さん)とは、今でも月に1、2回は飲みに行っていますよ。彼とは10歳ほど離れていますが、意見を戦わせることで良いものが生まれます。操演者としての工作、「ゴロリくん」としての工作、「ワクワクさん」としての工作。リードするのは私ですが、二人で一緒に作ることで一つのものが完成する。だから、タイトルが『つくってあそぼ』なんです。「作る」こと自体も遊びですが、その作ったもので「いかにして遊ぶか」までを紹介するから『つくってあそぼ』なんです。

私生活のすべてを捧げた「ワクワクさん」としての23年間

NHK時代は発信できなかった多くのことをYouTubeでは実践できると語る久保田さん。
当時の番組には、「材料がどこに売っているか」の問い合わせが殺到していたが、具体的な店舗名・商品名を発信することが出来なかったんだそう。親御さんたちの知りたい「どこで買えるか」の情報が盛りだくさんのYouTubeチャンネルだ。

子供たちの憧れであり続けるために、私生活での制約も多かったのではないでしょうか。

久保田 – NHKの教育番組の出演者には、いろいろな制約があります。まず、「日焼け」は厳禁。9月に収録したものが12月に放送されることもありますから、真っ黒に日焼けした顔で「メリークリスマス」なんて言えません。それから指輪もダメ、ピアスもダメ。収録の時に外しても痕が残りますからね。さらに、海外旅行も基本的には控えます。

海外旅行までですか?

久保田 – 万が一、向こうで何かあって帰ってこれなくなったらどうするんだ、ということです。横断歩道を必ず渡るとか、そういった立ち振る舞いも徹底していました。おかげで、私の子供たちは父親と夏の海に行ったことがありません。お父さんが日焼けできないから、近所の公営屋内プールだけ。夏の海に行けない理由がお父さんにあるというのは、子供たちには可哀想なことをしたと思います。

タイムスリップしても、もう一度。

「ワクワクさん」でお馴染みの久保田雅人さん

久保田雅人としての私生活の多くを犠牲にした上で「ワクワクさん」が成り立っていたのですね。もし、大学4年生の時、立ち読みした瞬間に戻れるとしたら、またその本を手に取りますか?

久保田 – そうですね…。もう一度戻っても、同じことをやるでしょうね。「ワクワクさん」として生きてきた人生に後悔はありません。
もちろん「もっと勉強して大学院に行きたかったな」という思いもどこかにありますが、この道に後悔はありません、楽しかったですから。番組を見た子供たちがものづくりを楽しんでくれた、それだけでやって良かったと思えます。

ご自身のお子さんも誇らしかったと思います。

久保田 – 一つだけ父親として良かったのは、「自分の我が子に胸を張って見せられる番組」をやれたことです。ただ、家で子供と一緒に工作をすることはありませんでした。家では「工作はお父さんの仕事」と伝えていました。

「遊び」ではなく、あくまで「仕事」として。

久保田 – そうしないと、お父さんが仕事をしているのか遊んでいるのか分からなくなってしまいますからね(笑)。

インタビューが終わり、用意した部屋を一度空にする。わざわざ着替えて頂いた「仕事着」を脱ぎ、普段の久保田雅人としての姿に戻る為だ。出てきた久保田さんは、どこにでもいる、普通の男。23年もの長距離走の中には、子供にはもちろん、大人にさえ見えない様々な葛藤、制約を孕んでいる。「海を見せられなかった子供たちには申し訳ないことをした」と語る彼に悲哀を感じなかった訳ではない。ただ、あの時、あの本屋に戻れたとして、もう一度その本を手に取ると言い切った彼の目は、高く舞い上がった凧を見上げるように、穏やかなものだった。

最後に、この日に久保田さんが教えてくれた工作をご紹介

1 – 1枚の色画用紙を用意します。

2 – 縦3等分に折り目を付けましょう。

3 – 線に沿ってハサミで切り、細長い3枚の紙にしましょう。

4 – さて、使うのは一枚です。ここがポイント。半分から少しだけずらして折ります。

5 – 真ん中に少しだけ切り込みを入れ、切り込みに合わせて半分に折ります。

6 – そうすると、あら不思議。上下にスライドさせると、噴水のように2つの紙が膨らみます。

7 – さて、これでどうやって遊びましょうか。

8 – ペンで目や鼻を描いて、リボンのような形にあらかじめ切った赤い画用紙を間に貼り付けると…。

9 – はい、ヘビさんになりました!!!

海を見せられなかったけれど。久保田雅人が「ワクワクさん」として走り抜けた23年間 – 前編

どうして、「ワクワクさん」なのか。

それには明確な理由があった。これまでそれなりの数のアーティストに話を聞いてきたが、その中で、生まれや育ちが全く異なる彼ら、彼らの作品・作風に、環境がもたらす影響は少なからずあったと思う。

それぞれが十色の人生を歩み、今の作家人生を歩んでいる。

そんな中、ひょっとすると、NHK Eテレで23年に渡り放送されてきた『つくってあそぼ』が、彼らの創作の原体験だったかもしれないのだ。

記憶の片隅に残っているあの「赤い帽子のおじさん」に話を聞くべきだ。頭の中でイメージが固まった。物心がつくかつかないかのちょうどその頃の、薄れつつある記憶を握りしめて。

エピソード0 – ワクワクさんがワクワクさんになる前

紙パックで作った自作の筆箱からペンを取り出す「ワクワクさん」こと久保田雅人さん

23年間「ワクワクさん」として活動されてきた久保田さんですが、幼い頃からものづくりに触れる環境があったのでしょうか?

久保田 雅人(以下、久保田) – 私は昭和36年(1961年)生まれでして、我々の世代は、自分たちでおもちゃを作るのが当たり前の時代だったんです。それから、プラモデルブームというのもありました。私も本当にプラモデルが好きで、色々なものを自分で作っていました。そして何より、うちの父親がとても器用な人だったんです。

お父様は何かを作るお仕事だったのですか?

久保田 – それが、普通のサラリーマンでした。ただ、ものすごく器用で、家にはあらゆる大工道具が揃っていました。例えば、ご家庭にノコギリといったら、普通は1本あればいい方ですよね?

そうですね。私の家には1本もありません(笑)。

久保田 – そうかもしれませんね。でも、うちには10数種類ありました。

サラリーマンのご家庭なのに、ですか!?

久保田 – それだけじゃありません。普通は家にない「カンナ」も、細工用のものまでありましたし、「ノミ」だけでも10数本。そんな道具が揃っている環境で育ちましたから、子供の頃から「自分で作る」というのが当たり前だったんです。

巨大凧と「仕掛け付き」の犬小屋

この日はお馴染みの赤い帽子はお預け。後に登場する“大人の事情”で被れないんだとか。

お父様からの影響は相当大きかったのですね。

久保田 – そうですね。ある時、父親が突然「正月用の凧を作ろう」と言い出しまして。まず竹を買ってくるところから始まるんです。それを自分でナタで割いて、小刀で削って細くして、木綿糸で結んで組む。さらに自分で糊を調合して和紙を貼る。そうやって、畳一畳分ぐらいの巨大な凧を作っちゃったんですよ。

畳一畳分! 相当な大きさですよね?

久保田 – このテーブル(取材時の机)と同じくらいですね。それを揚げに行ったら、こんなにも大きな凧が本当に小さく見えるほど、グーンと高く上がったんです。そんな父親のもとで育ったので、自然とものづくりが好きになりました。

お父様は、完全に趣味として大工仕事をされていたのでしょうか。

久保田 – これといった趣味はなかったようですが、とにかく大工仕事が好きでしたね。一度、犬小屋を作った時も凄かったんです。普通の小屋とは訳が違って、中が掃除しやすいように屋根が開く。しかも、ただ開くだけじゃない。開けた途端に、仕込んである「つっかえ棒」が自然に下りてきて、手を離しても屋根が閉まらないようになっているんです。

すごい、 プロの仕事ですね。

久保田 – 掃除が終わった後、その棒をちょっとはたけば、パタンと閉まる。そんな仕掛けがついた犬小屋を自分で作ってしまうサラリーマンでした。実家を引っ越して50年以上経ちますが、父親が作った棚は今も現役で使えています。子供心に「なんでうちの父親は宮大工にならなかったんだろう」と思うくらい器用でしたね。私のものづくり好きは、間違いなく父親から来ています。

凝り性が加速した、高校時代のプラモデル制作


小・中学校、高校と進む中で、やはり放課後は工作をされていたんですか?

久保田 – 小学生の頃はそうでもなかったのですが、高校時代は帰宅してからずっとプラモデルを作っていました。当時はタミヤの「1/35 ミリタリーミニチュアシリーズ」や、ハセガワの「1/700 ウォーターラインシリーズ(戦艦)」、あとは飛行機ですね。例えば飛行機を作るなら、まず雑誌を買ってきて、零戦の内部写真などを徹底的に調べる。そして、キットには入っていない部品をプラ板で自作して足していくんです。さらに、小さな人形の「口」を開けて表情をつけたり。設計図は描かず、頭の中で「ああだろう、こうだろう」と考えながら即興で改造していました。

お父様譲りのこだわり具合ですね。

久保田 – いきなり機体の色を塗るのではなく、まずは下地に「銀色」を塗るんです。その上から本来の色を塗り、乾いた後に少しだけ削る。そうすると下地の銀色が出てきて、使い古した金属の質感が出るんですよ。嫌なガキでしょう?(笑)

日本史の先生になるはずが、なぜか「劇団」へ

そんな高校時代を経て、やはり進路も美術系を考えられたのですか?

久保田 – 実は日本史の先生になる予定だったんです。高校で日本史に興味を持ち、大学は文学部に進みました。私はよく「芸大や美大、保育系の学校出身」だと思われがちなのですが、美術も芸術も、学校で勉強したことは一度もないんです。

教員免許も取られたんだとか。

久保田 – 一応取りました。でも、大学4年生で教育実習に行ったり、採用試験の勉強をしたりしているうちに「……俺、これ無理だな」と思ってしまったんです。試験に受かる自信もないし、実習もうまくいかない。
そんな時、たまたま立ち読みした雑誌に、三ツ矢雄二さんが座長、田中真弓さんが副座長を務める劇団「プロジェクト・レヴュー」の第1期生募集が出ていたんです。

運命の歯車が動き始める

この日、つくってあそんだものは後ほどご紹介

久保田 – 当時はプラモデルの傍ら、落語もやっていたんです。その流れで「ちょっと芝居をやってみよう」と思い立ち、勢いで応募しました。ただ、当時はとにかく貧乏で、オーディションの費用が払えなかったんです…。友達に借りましたよ。その上、オーディション費を現金書留で送る送料すらもなかったんです。それもまた別の友達から借りて、どうにか応募しました。

お父様は急な進路変更を許してくれたのですか?

久保田 – 凄く怒られました。当然ですよね、大学4年までいって急に「劇団に入る」なんて言い出したんですから。実は大学に入学した時も一悶着あったんです。父親からは将来を考えて「経済学部か経営学部に行け」と言われていたんですが、私はどうしても日本史がやりたかった。必死に頼み込んで許可をもらった代わりの条件が、「1単位でも落としたら学費を全額止める」というシビアなものでした。

留年ではなく「1単位」でも、ですか。

久保田 – そう、だから入試よりも勉強しましたよ。その結果、人生で唯一の表彰状をもらい、1年間だけ特待生(授業料免除)になりました。

それはすごい! お父様も喜ばれたのでは?

久保田 – 一度収めた授業料が「現金」でバックされて、約束通り勉強したし、「もしかするとくれるかな…?」と思っていたんですが、全額回収されてしまいました(笑)。厳しい父親でしたが、出してもらった学費ですから文句は言えませんね。

大道具係から「ワクワクさん」誕生へ

「ワクワクさん」でお馴染みの久保田雅人さん

劇団に入ってからも、ものづくりの経験は活かされたのでしょうか。

久保田 – 劇団は大道具・小道具も自分たちで作りますから、私は実家から父親の道具を持って行って、若手に教えながらガンガン作っていました。もともとミュージカル劇団だったのですが、結局一度もソロで歌わせてもらえず、途中から完全にお笑い担当でしたけどね(笑)。そんな中ある時、田中真弓さんから「NHKで高見のっぽさんの後継者を探している」というお話を頂いて。「うちで大道具・小道具を作っていて、喋らせるとちょっと面白いのがいるから」と、私を推薦してくださった。

それが26歳の時ですね。

久保田 – そうです。それまでも教育番組や民放のレポーター、CMなど、オーディションは山ほど受けてきましたが、全部落ちていました。受かったのは、デビュー作とワクワクさんだけです。

そうして平成元年の6月頃、「ワクワクおじさん」という名前のパイロット版(試作番組)が始まったんです。

後編に続く。

【「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」スペシャル対談第二弾】Mika Pikazo × ORIHARA「創作は私たちを幸せにするか」 – 後編

「短歌×イラスト」という異色な掛け算に加え、総勢50名もの作家が一堂に介した大規模展覧会「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」。

BAMによるスペシャル対談シリーズ第二弾では、イラストレーター・イメージディレクターとして活躍するORIHARAと、Mika Pikazoによる対談が実現した。
彼女たちが語ったイラストへの想いは、希望か、絶望か______。

世界旅行で見つけた自分のルーツ

「いい子だね」 / ORIHARA

前編ではORIHARAさんの一世一代の大旅行のお話が出ましたが、何か制作に影響はありましたか?

ORIHARA – 世界のあちこちを回っているうちに、この国や街の雰囲気が、肌に合うなと感じる場所があったんです。スコットランドの薄暗い空の色は、自分の魂にしっくりくるものを感じました。ただ、元々私の“魂の原点”は京都にありまして。生まれ育ちは関係ないんですけれども、中学生の時に初めて京都に行った時に、「あ、私の人生ここにある」って思って。ちょっとくすんだ色を使うのも、神社や境内の木の色だったり、鳥居の赤色とかに惹かれるからなんです。基本的に少し時代が経ったものが好きなのかも知れません。それは、日本に帰ってきてからより強く感じました。Mika Pikazoさんはブラジルに住んでいたことがあるんですよね?

Mika Pikazo – そうなんです。高校卒業してから2年半ほど住んでいました。

ORIHARA -ブラジル出身のイラストレーターさんたちは彩度の高いイラストを描いていますし、スプレーアートの文化もありますよね。食べ物の色も日本とは大きく違っていて、ケーキもとてもカラフルで。だからMika Pikazoさんの「魂の色」は三原色なんだと、勝手に思っていました。

魂のルーツ――ブラジル、ラテン、そしてカラフルな色

「VICARIOUS」 / Mika Pikazo

Mika Pikazo – ラテン文化が持つ魅力に、魂が自然と流れていくというか、「あなたの魂はここにありますよ」って言われているように感じることはありますよね。私がカラフルな色が好きなのも、ブラジルだけではなくて、ラテン系の影響が強いんです。音楽だと、J-POPも海外のジャンルも好きですが、行き着く先は、やっぱりラテンになってしまう。
アメリカの音楽がパワフルなのに対して、イギリスの陰鬱な中の儚さとか、国によって印象が全然違う。そんな中で、ラテンは、凄く熱烈。あの熱烈とした感じが凄く好きなんです。生き物として生を謳歌しているというか。危ない部分は危ないんですけどね。太陽に照らされているような人類愛がある。

ORIHARA – アウトプットは、見るものや環境で決まるのかなって思っています。本人の原風景や、本人を取り巻く環境は、色の好みや色使いにすごく影響しますよね。ヨーロッパを回っていたとき、ローマやバルセロナにも行ったんですが、空の色を見ていると「Mikaさんの色だ…!」と思ったりしました。

Mika Pikazo – え、本当ですか!?行ってみたいな…(笑)。

Mika Pikazoの「エンジン」と「決断の力」

ORIHARA -Mika Pikazoさんの絵を見ていると、とにかく「思い切りがいい」というか……積んでいる「エンジンの大きさ」が、私とはまったく違うんじゃないかと感じることがあるんです。それこそラテンやアメリカンな感覚というか、とにかく「迷わずまっすぐ進んでいくな」という印象が強くて。

それは作品数の多さに対してなのか、それともブレない作風に対して、どちらのニュアンスですか?

ORIHARA –  両方ですが、第一に「信じる力」がバリ強いと勝手に思っています(笑)。

Mika Pikazo – へぇー! ORIHARAさんからそう見えているのは面白いですね。

ORIHARA – イラストって、常に「選択」の連続じゃないですか。色や構図を決める時、悩みが増えて、時間が掛かるほど精神的な体力が削られていく。Mika Pikazoさんも実際には悩まれているとは思いますが、傍から見ていると「これでいく」という決断を早い段階で下しているイメージがあるんです。もの凄い速さでラフスケッチを描いている姿が目に浮かぶんです(笑)。1日は24時間しかないので、その思い切りと決め切りで作品の量産数が決まってくると思っていて、それが筆の速さにも繋がっているし、色使いの力強さにも影響しているのかなと。

Mika Pikazo 当たっていると思います。もちろんラフを絞り出すまでは悩みますが、一度「これだ」というラフが描けたら、そこから完成までは絶対にブレないようにしています。

ORIHARA –  やっぱり。強い……!

Mika Pikazo 逆に、制作途中でポージングや色味を大幅に変えなきゃいけなくなると、パニックになってしまうんです。「あ、完成形が見えなくなった、どうしよう!」って。最初にゴールを決めているからこそ、設計図が狂うと慌ててしまうんですよね。最初のラフの感動をいかに切り崩さないかが大事になってくる。ORIHARAさんはその辺りはどうですか?

ORIHARA –  私は「厚塗り」が苦手で、全体を少しずつ整えていく作業ができないんです。線画で全てが決まらないと塗れない「究極の順番人間」ですね。 だから、お仕事だと描きやすいんです。先方や自分の魂が「これが正解」と言ってくれれば、迷わず進める。でも、これが「自主制作」になると、途端にうだうだしてしまうタイプで…。

Mika Pikazo 自主制作だと、また別の悩みが出てきますよね。

ORIHARA – そうなんです。「もっといい表現があるかも」って、締め切りがないと永遠に悩んでしまう。だから、Mikaさんの「これでいきます!」という潔さは、本当に見習いたいです。

Mika Pikazo 私も、大作的な絵を描く時は最初から最後まで悩みますよ。「本当にこれでいいのか」って。もう少し気楽に考えて作りたいって思うくらい、自分の気持ちが、作品としてのカタルシスに向かわないと、作品を終わらせられないんです。

個展「UNDER VOYAGER」メインビジュアル / Mika Pikazo

ORIHARA –  Mika Pikazoさんの場合、その「悩む時間」の配分が上手いんだと思います。例えば100枚描く展示会があるとして、全部で悩むのではなく、「一番悩むべき場所」をロジカルに決めている。悩むことが必ずしも正義ではないから、量産すべきところと、深く潜るところを切り分けている「ロジカルなエンジン」だなって。

“自由”の難しさと、スランプの正体

Mika Pikazo 確かに、その辺りはロジカルかもしれません。ただ、展示会となると感情が乗りすぎて、それが「悩み」に変わることもあります。空間のテーマを決め、それを拡張しようとすればするほど、感情が無限に浮かび上がってきて、収拾がつかなくなるというか……。イラスト単体ではその絵だけに気持ちを集中させればいいけど、展示会はもっと膨大な、複雑な感情が自分を乗っ取ってしまう。

ORIHARA –  想いが強すぎると、プレッシャーで腕が重くなりますよね。

Mika Pikazo そう、腕が重いんです。ちょっと話が逸れるかもしれませんが、スランプって、インプット不足だけでなく「自分の中の感情や責任が重くなりすぎた時」に起きやすい気がしていて。

ORIHARA – 分かります。

Mika Pikazo 正解が見つけづらくなるんですよね。「頭の中でこんなことが浮かぶならもっと深いところを伝えられる作品を作れるはずだ」とか、「この感情をもっといい形で昇華すべきなんじゃないか」とか。自分の感情には底がないから、どこまでも沈んでいってしまう。

ORIHARA –  お仕事だと、あくまで「エンタメ」という枠組みの制限のおかげで、基礎体力で乗り切れるんです。でも、“自由”を与えられると、エンタメから外れたような、もっと深い「高尚」なところに行かなければいけない気がして、悩んでしまいます。

Mika Pikazo 広告などの仕事はある意味「制限」があるからこそ、どこまで伸ばしていいか明確ですよね。でも展示は、全てを自分で決めなきゃいけない。自由度が高すぎると、エヴァンゲリヲンのシンクロ率じゃないですけど、どこかでブレが生じ始める。

ORIHARA – 「自由」ってなんて難しい言葉なんだろう、って毎回思いますね。私は言語化してから絵を描くタイプなので、「言葉にならない感情」を形にする難しさを今回の展示からすごく感じました。

「感情展」にどう向き合ったのか

「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」メインビジュアル / Mika Pikazo

コマーシャルワークと自主制作の違いについてお話がありましたが、今回の『感情展』はかなり自主制作的な側面が強いと思います。制作において悩んだことや、抱いた感情について教えてください。

Mika Pikazo 今回は私がディレクターとして「感情」というテーマを設定したので、自分が出したお題に対して、ある種「クライアントワーク」としてイラストを描いた感覚なんです。沢山の感情が渦巻く展示にしたいからこそ「捉えきれない感情を、見ている人に複数個の感情がブレて表現されるものを描こう」と思って。その導入として、感情を決めつけない、あやふやなものを提供したかったんです。いかに「気持ちを落ち着けて描くか」を意識しました。なにかの感情に支配されないこと。描き込みの要素が多くて作業としては大変な絵ではあるのですが、そこに想いを「込めすぎない」というか。力が入っている状態なんだけれど、あえて力を抜く。軽い気持ちを維持した状態で感情を捉えるべきだ、と考えながら描いていました。

ORIHARAさんの今回の作品『鏡』についてはいかがですか?

「鏡」 / ORIHARA 

ORIHARA – 「言葉にならない感情」というお題をいただいたのですが……私、自分自身の放つ「言葉」をあまり信用していないんです。

Mika Pikazo どういうことですか?

ORIHARA – これは言葉そのものの話ではないのですが、私自身は自分の気持ちを伝える言葉を選ぶとき、自分を「高尚」に見せようとしてしまうタイプなんです。自分の内面を実物よりも少し綺麗に「ラミネート」して出そうとしてしまう。でも、散々泣いてボロボロになった後に、ようやく出てくる情けない言葉が「本音」であって、それ以外はすべて、ある種の「武装」なんです。だから今回の作品では、これまでインタビューなどで話してきたような「美しい言葉」を全部削ぎ落とした後の、一番醜くて原始的な気持ちを描きたいと思って、『鏡』という作品を描きました。

Mika Pikazo なるほど……。でも私、この絵はすごく「優しい絵」だなと感じました。自分のファッションや言葉って、いくらでも知識で武装したり、よく見せたりできるじゃないですか。でも、作っている最中にそれが全部剥がれ落ちてしまう瞬間って確かにある。 さっきORIHARAさんが言っていた「信じる力」というのは、そういう自分自身を受け入れること、ともに生きていくことなんだと、今思いました。醜さも含めて自分を認めるという『鏡』の在り方は、すごく優しさに満ちていると感じました。

ORIHARA – 嬉しいです。結局、「愛されたい」とか「目立ちたい」といった原始的な感情を出すのは恥ずかしいことだと思って生きてきたんです。そんなもの外に出したって誰も聞いてくれないし、自分はもっと複雑なところにフォーカスして絵を描くんだ、と信じて数年間やってきました。でも最近、自分が嫌悪を感じる感情や対象こそが、本当は自分が一番持っていたり、なりたかったりしたものだと気づいて。「まあいいか、愛されたいですよ私も」という気持ちになれました。それを込めて描いたので、それが優しさとして伝わったなら、私は今、自分を許せているのかもしれません。

創作は「幸福」をもたらすのか、それとも…

お2人にとって、絵を描くことは幸せですか?創作を通しての悩み、苦しみを聞くと、ある種の呪いのようにも聞こえるのですが…。

Mika Pikazo –  私の場合、制作自体にすごく時間がかかりますし、常に自問自答を繰り返してしまいます。しかも、その自問自答が悪い方向へ行くことが多い。描き切るまでずっとネガティブというか、他人から見たら「そこまで考えなくてもいいんじゃない?」というところまで沈んでいってしまう。 そう考えると、作っている最中が幸せかと言われれば、あまり幸せそうではないなと自分でも思います。ただ、「絵が一番、苦しまない」とも思うんです。

どういうことですか?

Mika Pikazo –  絵以外の現実が辛すぎる、という感覚が強いんです。楽しいとか幸せとかを感じないというわけではなく、沢山の嬉しい思い出があっても、器の底が欠けてしまっている。日々過ごす中で直面する「現実」から逃避できる場所が「絵」なんです。自分が向き合いたくないものから逃げて、自分が信じたいものに向き合わせてくれる。 「絵を描いていたから、かすり傷で済んだ」という感覚。それくらい現実には大変なことが多いと感じてしまうので、私にとって絵を描くことは「幸せ」というより、「救い」なんだと思います。

言語を超えた「コミュニケーション」としての絵

自分に他の能力があれば、「絵」以外の手段でも構わない?

Mika Pikazo –  もし楽器が扱えたら音楽でも良かったのかもしれません。でも、絵が一番、自分の理想や想像したものを理想の形で吐き出せるんです。 以前、言葉が全く喋れない状態でブラジルへ行ったことがありました。その時、メモ帳に絵を描くと、現地の人に自分の言いたいことが伝わったんです。翻訳機能も使わずに、「これが欲しい」「ここへ行きたい」という意思が、「絵」を通して伝わった。その原体験もあって、私にとって絵は言語に匹敵する、あるいはそれを超えるものなんです。

ブラジル在住時の玄関先の風景

ORIHARAさんはどのように考えますか?

ORIHARA – 絵には「人を幸せにする力」があるとは思います。ただ、私自身が絵に幸せにしてもらったことは、自認では一度もないんです。

 一度も、ですか。

ORIHARA – ファンの方やクライアント、見てくれる第三者のところに届いて、コミュニケーションが生まれたとき、初めて幸せか不幸かが決まると思っています。絵を描くことそれ自体は、私的には基本的に悩みをもたらしてばかりの「とんでもない趣味」ですから(笑)。自分のためだけに描いたこともほとんどないし、ただ「伝わってほしい」から絵を描いているんだと思います。

チーム戦への転換。Mika Pikazoが目指す「遠く」への道

ORIHARA – せっかくの機会なので、これまでの流れに関係なく聞いてみたいことがあるんです。Mika Pikazoさんは、多くのアシスタントさんと一緒にお仕事をされていますよね。ご自身の限られた時間をどう使い、どこまでを「自分の絵」として認識して割り切っているのか。制作とは全く別の脳を使う作業だと思うのですが、どのように考えていらっしゃいますか?

Mika Pikazo もちろん「ここは自分で描く」というラインはあります。最終的な仕上げには必ず自分の手を入れますが、自分一人の手では描けないくらい、もっとたくさんのものを作りたいという思いが強いので、スピードを重視して分担しています。だれかに描いてもらった部分があっても、「これは自分の絵である」と思えるのは、ロジカルというより感覚的なものかもしれません。

ORIHARA – それって、人によっては「自分で描いてないじゃん」と見えるかもしれないけれど、Mikaさんのチームプレーって、もっと「向こうに行きたい」という概念に向かっている気がするんです。

現代美術家・村上隆さんのカイカイキキに近しいものを感じますね。

ORIHARA – Mikaさんは「深さ」というより「遠く」に行きたい人なんだなと感じました。この消費の早い社会で、自分一人で描く限界を超えて、どこまで「団体戦」で遠くへ行けるか。それが現代におけるイラスト表現の可能性なのかもしれませんね。

作家としての寿命と「今」かけるべき熱量

作家として生涯あとどれほどの作品を残せるかなど、残り時間について考えたりしますか?

Mika Pikazo 凄く考えていますね。これは20歳ぐらいのときから考えてきました。今の自分と同じようにこれからもずっと描けるかを全く信じていなくて(笑)。5年後、10年後に体を壊しているかもしれないし、描く時間が取れなくなるかもしれない。実際に20代ではまったく思いつかなかったことが目の前に広がるようになりました。だからいつでも終わってしまうリスクを考えて、今のうちに出来ることはやっておきたいんです。私自身は死ぬまで苦悩しながら筆を握っている作家が大好きなので、そうでありたいと思っていますが、 「来月10枚描こう」と思っても、状況次第では3枚しか描けないかもしれない。だから、次の展示、その次の展示まで「道筋」を決めていたりします。

ORIHARA – プロデューサーみたいですね。

Mika Pikazo そうかもしれません(笑)。ORIHARAさんはどうですか?

ORIHARA:私は、もちろんずっと見てもらえる存在だとは思っていないので、残り時間というよりは「あと2、3年で突然死ぬかもしれないし…世界がどうなっているかもわからないし……」という、時限爆弾の残り時間への焦りのようなものがあります。なので、「今見せるべき最短で最高の絵を描かなきゃ」という思考はあります。「あと50枚しか描けない」としたら、その50枚をどれだけ早く、悔いの残らないアイデアで選択するか、という感じです。

その1枚に対して、出し惜しみなどはしないですか?

ORIHARA – 出し惜しみできるほど、私は絵が上手くないぞ、と思っているので(笑)。1枚1枚に詰めたいことを詰め切った上で、伝えたいことが伝わってほしいタイプです。

「感情展」を訪れる方々へ

角川武蔵野ミュージアムにて開催中の「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」

最後に、この「感情展」に来場される方々へメッセージをお願いします。

Mika Pikazo 今回はディレクターとしての側面もありますが、イラストと短歌を掛け合わせるなど、あえてイメージを使わない表現を多く取り入れました。参加頂いた方々、一人ひとり違う「感情」というものに真摯に向き合って作ってくださっています。展示作品を通して、自分自身の感情や、誰かを見た時の思いを照らし合わせて、「今の自分自身の答え」のようなものを探っていただけたら嬉しいです。

ORIHARA – 創作が救いになるかはわかりませんし、今見て必ずその場で何かを感じる必要もないと思います。それでも、ここで見たものが、なんとなく誰かの人生の棚に入って、いつか思い出したときに、悩みや幸福の足がかりや大義やきっかけになり得るのであれば。それがプラスでもマイナスでも、いつか人生に使える棚にしまっていただけたら、いち絵描きとしてはこれほど嬉しいことはありません。

Mika Pikazo 嬉しい。本当にそうですね。ORIHARAさんありがとうございました!

「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」

会期:2026年2月13日~2026年3月29日
会場:角川武蔵野ミュージアム
アドレス:埼玉県所沢市東所沢和田3丁目31−3 ところざわサクラタウン
休廊:火曜
開館時間:10:00~18:00(最終入館:17:30)
※休館日、営業時間は変更となる場合があります。最新情報は公式HPよりご確認ください。
公式サイト:https://kadcul.com/event/251

【「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」スペシャル対談第二弾】Mika Pikazo × ORIHARA「創作は私たちを幸せにするか」 – 前編

日本を代表するイラストレーターでありアートディレクターのMika Pikazo。彼女がクリエイティブディレクションを務める「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」が、角川武蔵野ミュージアムで開催されている。

「短歌×イラスト」という異色な掛け算に加え、総勢50名もの作家が一堂に介した大規模展覧会。本展に合わせたBAMによるスペシャル対談シリーズ第二弾では、イラストレーター・イメージディレクターとして活躍するORIHARAと、Mika Pikazoによる対談の前後編をお届けする。

イラストレーターと、もう一つの肩書き

「10年目もよろしくね」 / ORIHARA

まずは「肩書き」について聞かせて下さい。
お2人とも2つの肩書きをお持ちで、Mikaさんが「イラストレーター / アートディレクター」なのに対して、ORIHARAさんは「イラストレーター / イメージディレクター」として活動していますね。

ORIHARA – 私の場合、イラストレーターとイメージディレクターで脳みその使い方を分けています。イメージディレクターの仕事について敢えて言葉にするなら、「世界中の誰の為でもなく、ただ1人のたったその人のために捧げる仕事」といったイメージです。(関連記事:見えない顔、見える感性 – ORIHARAが紡ぐ人間の複雑さ 【前編】

それに対してイラストレーターとしては、そのスイッチを逆に切り替える。内側の部分よりも外装の部分に気を使いたいと言いますか、広告的な意味合いが強いものになるんです。みなさんが「ORIHARAの絵ってこういうのだよね」と言ってくださるような部分をより強調しながら、一目で「ORIHARA」とわかるように意識しながら描いています。

Mika Pikazo – 確かにORIHARAさんの絵って、「あ、ORIHARAさんのだ」ってすぐに分かる絵をしていますよね。初めてORIHARAさんの絵に触れたのがAdoさんのイラストで、作品を見ていく中で、「叫び」が聞こえてくるというか、“何か”をすごく渇望しているんだろうな、手をグッと伸ばしているんだろうなというものが感じられて。そういった部分が、多くの人に響いているんだろうなと思いました。

ORIHARA – ありがとうございます…!

一方Mikaさんもイラストレーターだけでなくアートディレクターとして活動されていますが、2つの顔を持つという点において、ORIHARAさんと通ずるものはありますか?

 Mika Pikazo – 凄くありますね。私はこれまで、「人の感情が揺り動かされ反射的に目を奪われてしまう絵はどんなモノだろうか」ということをかなり意識して描いてきました。特に20代はその傾向が強かったなと思います。ただ、そうして積み上げていくうちに、ふと「反骨精神」のようなものが以前より湧いてくることがあるんです。「絶対に輪郭を捉えさせないぞ」といった感覚。それは自分自身のためでもあり、見ている人を驚かせたいという気持ちでもあります。自分の「コントロールしたい意志」とは別に、自然と湧き上がってくる“何か”があるような感覚、というか…。

ORIHARA – 凄く分かります。こうした方がいいと頭では分かっているけれど、「それだけが私の全てではありません」という、別の部分が出てくる。

Mika Pikazo – 意外とそうした側面を楽しんでくれる方もいて、そういったところから始まるアイデアや画風もあるんだ、というのは最近になって感じています。

ORIHARA – Mika Pikazoさんのイラストといえば三原色を活かした鮮やかなイメージがありますが、時々、ライティングが強めの白みがかったイラストが出てくると、「おっ!」と思います(笑)!

Mika Pikazo – 嬉しいです(笑)。あえて色彩や得意なモチーフ・技法に制限をかけたり、普段描く表現と違うものを求められたりすると面白いですよね。逆にORIHARAさんは、いつもと違うものを描いた時に「いいね」と言われると、どう感じますか? それが自信や嬉しさに繋がることはありますか?

「オリハラブランド」という“ハンコ”からの脱却

「EYE」 / ORIHARA

ORIHARA – やっぱり嬉しいですね。ORIHARAらしい絵を描き続けていると、ときどき「他人の借り物」を描いているような感覚になることがあるんです。受け手が作ってくれた「ORIHARAブランド」というイメージ像。その期待に応え続けることが、同じ「ハンコ」を押し続けているように感じられることもあって。もちろん同じ絵を描いているわけではないのですが、「いつも同じものばかり届けていないだろうか?」と自問自答してしまいます。

Mika Pikazo – なるほど。

ORIHARA – だから、たまに違うものを描いて、それが「いいね」と言われると、素直に「バリ嬉しい!」ってなります(笑)。

Mika Pikazo – バリ嬉しい(笑)。すごく解ります。

広告的視点と「出力先」で決まる表現

展示会「ILY GIRL」東急プラザ表参道原宿エントランスデザイン / Mika Pikazo

Mika Pikazo – ORIHARAさんはどういった風に描かれているのかなと気になっていましたが、お話を伺っていると、かなり「広告的な視点」も強い方なんだなと分かりました。今の活動の規模感や見られ方に、しっかりその辺りが入っているんですね。

ORIHARA – そうですね。私は、「どこで出すか」によって、描き方をかなり変えています。大きな広告として掲載されるイラストなのか、YouTubeのサムネイルという小さな枠で目立つべきなのか。あるいは雑誌という媒体の中で目を引くべきなのか。イラストを描く時には「出力先」から逆算して考えています。 Mika Pikazoさんも様々な媒体のお仕事をされていますが、その辺りってMika Pikazoさんはどう捉えていらっしゃいますか?

Mika Pikazo – 例えば私がAdoさんの1stアルバムの駅内広告を描かせていただいた時は、誰もがAdoさんを知っているという状況の中で、どうやって足を止めさせるかを考えました。

「FLOWER CAKE」 / Mika Pikazo

広告に関しては、自分らしさよりも「インパクト」を重視します。興味を持った人や知っている人が「Mika Pikazoの絵だ」と、分かってくれる人が1割いれば十分だと思っていて。クライアントワークについては、その案件の大事な要素を自分にインストールして、その目的のために描くという感覚が強いです。

Adoさんの話が出ましたが、ORIHARAさんはAdoさんのイメージディレクターを務めていますよね?

ORIHARA – 昨年にAdoさんの世界ツアー『Ado WORLD TOUR 2025 “Hibana” Powered by Crunchyroll』が開催されていたんです。元々観に行こうと思っていたのですが、ちょうど1人で旅をしたいと考えていたタイミングと重なったこともあり、ヨーロッパを中心に色々と回ってきました。

2ヶ月でおよそ10カ国を巡る、弾丸一人旅の裏側

フランスで訪れたモン・サン・ミシェル

Mika Pikazo – 完全に一人で行かれたんですか?すごすぎる!

ORIHARA – そうなんです。日本を出てから2ヶ月間、飛行機やホテルも全部自分で手配して、いろいろな国を巡って、最後にアメリカに行って帰ってきました。世界一周とまではいきませんが、10カ国くらいは回ったと思います。

Mika Pikazo – すごい行動力! 10カ国も!

ORIHARA – イラストレーターはどこでも仕事ができるから、旅先にも道具を持っていってあちこち移動しながら仕事をしていました。

Mika Pikazo – その時はiPadで制作されていたんですか?

ORIHARA – いえ、iPadの他に液タブとパソコンを担いで行きました(笑)。

Mika Pikazo – すご…(笑)。バイタリティがある…!

「離れたら偽物になってしまう」

『Hibana』キービジュアル / ORIHARA 

Mika Pikazo – ヨーロッパを旅しながらも、その先々にAdoさんのツアーという「自分の人生と深く繋がっているもの」がちゃんと存在しているというか、未知の世界と、自分がよく知るものが連結している感じが、すごく素敵だなと思いました。

ORIHARA – 離れてしまったら、描くものが偽物になってしまうので。やっぱり「ライブ」という場所が、一番「本人」が見える瞬間だと思うんです。 ツアー中、彼女は日本にいないわけで、その離れている間に、彼女はどんどん変わっていく。それなのに、それを見ていない私が「分かっています」という顔をして描くのは、ものすごく嘘をついているような気がするんです。

Mika Pikazo – なるほど、そういう感覚なんですね。面白い。

ORIHARA – その人がその土地で何に感銘を受けたのか、何を見たのか。少しでも近いところで自分も体感したいという気持ちがあったんです。元々一番ファンでいようとしているので、一緒に行動したとかは全くないです。あくまでファンの人と同じ距離で得たものをAdoとして出すのが私のお仕事です。なので、本当にただ追っかけていただけの人なんです(笑)。ライブになると現れて、突然消える、みたいな。勝手に関係のないスコットランドにも行ったりしていましたし(笑)。

この旅で訪れたスコットランドのエディンバラ。ORIHARAさん曰く、スコットランドの薄暗い空の色が魂にしっくりきたんだとか。

Mika Pikazo – すごくいいお話ですね。以前、あるダンサーペアの方の話を聞いたことがあって。 その二人は、常にある一定の近い距離にいるからこそ出せる「シンクロ感」があるそうで、逆に少しでも離れてしまうと、その「同期」がズレてしまう。 今のORIHARAさんのお話を聞いて、まさにその「同期」を大切にされているんだなと腑に落ちました。それだけ本気でAdoさんと向き合っているんだなって。

ORIHARA – ありがたいです。そうやって何かを追求するのが、私にとっての「絵」なのかもしれません。

Mika Pikazo – 確かに、絵は自分を裏切らない……と言いたいけれど、たまに描けなくなって自分を裏切ることもある。でも、ずっとそばにいてくれたのはやっぱり「絵」なんですよね。

ORIHARA – そうですね。人間よりも信用できるのは、絵と、犬だけだと思っています(笑)。

Mika Pikazo – 犬! いいですね(笑)。

ORIHARA – 絵は私を1人にしなかったから……。その割にはリソースがかかりすぎるし、本当に手のかかる面倒な趣味だなって思いますけどね(笑)。

後編では、見てきたものが作品に与える影響に始まり、創作の背景や哲学について、第一線を走る2人ならではの対話が盛りだくさん!絵を描くことは、2人にとって「幸せ」なのか、それとも…。

お楽しみに!

「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」

会期:2026年2月13日~2026年3月29日
会場:角川武蔵野ミュージアム
アドレス:埼玉県所沢市東所沢和田3丁目31−3 ところざわサクラタウン
休廊:火曜
開館時間:10:00~18:00(最終入館:17:30)
※休館日、営業時間は変更となる場合があります。最新情報は公式HPよりご確認ください。
公式サイト:https://kadcul.com/event/251

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