【インタビュー】多様性とは言うけれど。ぬごですが。が描く「普通」の正体 – 後編

「普通」という議論そのものを描く

「普通」をテーマに作品を描くぬごですが。さんですが、多様性が謳われる昨今、何をもって普通と呼ぶのか、その定義も難しくなっています。ぬごですが。さんは、何を「普通」として見つめ、描いているのでしょうか。

ぬごですが。 – 「普通」という言葉を使ったとき、「それは普通じゃない」と思う人もいれば、「これってあるあるだよね」と受け取る人もいますよね。「普通はこうあるべき」という規範のように捉える人もいるはずです。僕は、その言葉が出たときに生まれる議論や意識のズレも含めて、丸ごと描きたいと思っています。作品によってアプローチは変わりますが、「普通ってなんだろう?」という問いそのものを描き出すことが、僕の表現したいことなんです。

「がんばれって聴きたくない、 」

「それも普通だよね」と肯定する優しさがある一方で、「普通」という枠組みを作ることで、そこから溢れ落ちてしまう人がいる残酷さも孕んでいるように感じます。

ぬごですが。 – そこはすごく意識しています。僕自身、ぼーっと生きていたら「普通」から漏れ落ちてしまう側の人間だと思っているので。

世の中には、周囲と目配せしながらすり合わせて作る「よそ行きの普通」と、一人になったときに「まあ、これくらいなら許せるか」と思える「自分だけの普通」の2つがあると思うんです。僕は小・中学生の頃、その「よそ行きの普通」にうまく馴染めず、こぼれ落ちていたと思います。テストにしても、自分の中の普通でいいと思っていたら平均点も取れなかったり。でも優秀な人たちは「80点取るのが普通、本当は100点に行きたい」と思っている。そうした「普通のズレ」を体験したときに、「えっ、面白いな」と感じたんです。

だからこそ、落ちこぼれる側としての普通も、無意識に誰かを置き去りにしてしまっている側としての普通も、両方の視点を拾い上げて作品に込めたいと思っています。その中でも特に、いわゆるスター性のある記号的なキャラクターや、目立ちすぎる表現は描かないようにしています。

「普通」でもいいと思えた、あるバンドの1曲。

「親友にはなりたくなかった。 」

「普通」を表現し続けるために、ご自身の中で大切にしているスタンスはありますか?

ぬごですが。 – 僕自身も「普通」という感覚を持ち続けていなければならない、と思っています。たとえどれだけイラストレーターとして知名度が上がったり、お金を稼げたとしても、普通の生活や感覚が好きでありたい。同時に、自分が30代になったら、30代なりのリアルな感覚を出していきたいとも思います。自分自身の等身大の「普通」をブレさせないことが、表現の説得力に繋がると思っています。

そうして「普通であること」を肯定的に捉えられるようになったのには、何かきっかけがあったのでしょうか。

ぬごですが。 – BUMP OF CHICKENの『才悩人応援歌』という曲に出会ったのが大きなきっかけです。「才能」の「能」が「悩む」という漢字になっている、才能に悩む人への歌なんです。「自分には才能があったけど、もっとすごい人がいたよね」とか「好きなバンドがメジャー化したらちょっと微妙になったよね」とか、誰もが一度は共感してしまうような心情が歌われていて。僕も「わかる」と思って聴いていたんです。

「最後の顔 」

「自分に向けられた歌だ」と。

ぬごですが。 – 完全に自分に歌われた歌だと思っていました。でも、Cメロあたりで「これは君に歌った歌だと思ったよね。でも違うんだよ、みんなに歌った歌なんだよ」という趣旨の歌詞が出てくるんです。それを聴いたとき、「えっ、僕だけじゃなくてみんな思ってたんや」と頭を殴られたような衝撃を受けました。自分が世界の主人公だと思っていたのに、一瞬で「有象無象」のひとりになれたんです。

「有象無象にな̇れ̇た̇」というのは、ぬごですが。さんにとって救いだったのでしょうか。

ぬごですが。 – すごく楽になりました。実は14歳くらいまで「自分は世界の主人公なのに、ぼーっと生きてきてしまった。ここからどう巻き返せばいいんだろう」と、勝手に重荷を背負っていたんです(笑)。でもこの曲のおかげで、「みんなもこんなもんなんだ」「世界ではなく、自分の人生の主人公であればいいんだ」と思えて。そこで「自分って普通なんだ」という強固な自覚が生まれました。同時に「普通って実はすごく面白いものなんだ」と気づくことができたんです。

「普通」を描くとき、なぜ「女性」を描くのか

「吸えないのに」

「普通」というテーマを表現するにあたって、描く対象がいつも女性のイラストになっています。その理由は何でしょうか。

ぬごですが。 – シンプルに、男性である僕から見て女性を描くのが好きだということもあります。それから、ファッションにおいても女性服の方が表現の幅が広く、時代に合わせてどんどん変化していくからです。移り変わりがあるからこそ、描いていて飽きないというのもあります。

ただ、ぬごですが。さんの作品に登場する女性は、メイクや服が個性的で特徴的なことも多く、初めて見る人からは「普通」とは少し遠く映ることもあるのではないでしょうか。

ぬごですが。 – そう見えるかもしれませんね。僕個人としては、「少しだけ先の普通」を描くようにしています。トップアイドルやインフルエンサーが発信した先鋭的なメイクが、最終的に大衆へ普及していく。僕が描くのは、インフルエンサーの人たちが真似し始めるくらいのタイミングの、「普通」になる少し前のものなんです。

「また映画は途中で終わった、 」

今はSNSの影響で流行の速度が速すぎるので、完全に普及し切ったものを描いても見向きもされなくなってしまいます。数年後に振り返ったときに「あ、この時代の普通ってこうだったよね」と思えるような、少しだけ先回りした“リアル”を意識してメイクやファッションを描くようにしています。

時代を身にまとう「こころちゃん」のリアリティ

「夢の中だけ、」

以前はトー横や地雷系といったカルチャーを描かれていましたが、最近はあまり描かれなくなりましたね。

ぬごですが。 – そうですね。それらのカルチャーが世の中に普及し切ったというのもありますが、一番の理由は、僕自身がその渦中にいるわけではないからです。当事者でもない僕が外側から記号としてだけ描いて、そこに自分なりの「普通」を乗せてしまうと、それは「嘘」になってしまう。

「普通を描く」と言いながら地に足の着いていない嘘を描いてしまったら、それは不誠実だし、ドラマのない日常を丁寧に拾い上げたいというテーマからも反してしまうと思うんです。

では、嘘をつかない表現のために、具体的にどのような意識で人物を描いているのでしょうか。

ぬごですが。 – ここ1〜2年描いている黒髪の女性は、すべて「同じ一人の子」という設定で描いています。実在する知人を原型にしつつ、モデリングして作っていきました。

「VISUAL」

すべて同じ女性だったのですね。髪型や服装が異なるので、作品ごとに別の人物だと思っていました。

ぬごですが。 – 現実の僕たちも髪を切るし、毎日違う服を着ますよね。アニメのキャラクターのように、何年もずっと同じ服・同じ髪型のまま変わらないことの方が「普通」ではない。時間が経過し、生活しているリアルさを持たせたかったんです。この子には「こころちゃん」という名前をつけていて、僕の架空の事務所に所属してモデルを務めてもらっているような感覚で、一緒に作品作りをしています。

「リセットマラソン」

部屋で一人で過ごす姿や、どこかアンニュイな表情が多いのも、そのリアリティと関係しているのでしょうか。

ぬごですが。 – そうですね。彼女の暗い表情の理由は、主に「社会や他者との繋がり」にあると思っています。逆に、家で一人でいるときや好きなことに没頭しているときが一番幸せで、笑顔を見せているんじゃないかなって。

外の社会に出ると生きづらさを感じるけれど、一人で過ごす時間はとても穏やかで幸せ。そんな現代を生きる人の姿として、自分自身の感情も重ね合わせながら描いているんです。

「選ぶか選ばれるか。 」

特別なドラマがなくても、日々悩み、傷つきながら、ただそこに存在する。「普通」を肯定し、その愛おしさを描き出すぬごですが。のまなざしは、擦り減りがちな私たちの日常を静かに温めてくれる。私たちが「自分だけの普通」を愛せる限り、描き出される世界はどこまでも豊かで、美しいだろう。

【インタビュー】多様性とは言うけれど。ぬごですが。が描く「普通」の正体 – 前編

ぬごですが。は、「普通」をテーマに作品を描くアーティストだ。それでいて彼の描く作品は、女性がほとんど。彼女たちは、時にスーツ、時に奇抜な服装に身を包み、どこか陰を感じさせる表情を湛えている。一見すると「普通」からは程遠い。そのギャップが興味を惹いた。

格差の広がりや先の見えない景気、SNS越しに映る他人の輝かしい暮らし。いまのZ世代を取り巻く環境には、明るい希望よりも社会への違和感や不信感、静かな諦めが横たわっている。「時代に翻弄されながらもそれを引き受けて生きていく僕らは『普通』で、世の中がおかしい」。そう訴えているように思えた。彼が捉える時代の姿、描き出す「普通」の正体を、彼の口から聞きたい。このようなことを企画書にまとめ、取材が始まった。

道端に落ちていたぼろぼろのポスター

FOCUS ON MIKU「はじまり、 」

まずは、絵を描き始めたきっかけを教えてください。

ぬごですが。 – 中学2年か3年生の頃に絵を描き始めました。よくある「気づいたらずっと描いていた」みたいなことではなくて、はっきりしたきっかけがあったんです。当時友達みんなでゲームセンターに通っていた道があって、ある日、その道中に“ポスター”が落ちていたんです。「あのポスターなんやろう」ってみんなで拾ったら、初音ミクのポスターでした。

道端に落ちているような物だったのでボロボロだったのですが、スマホも無く、今ほどものを見る機会も無い時代だったので、それがすごく珍しかったんです。みんな「欲しい!」となって、じゃんけんの結果僕が勝ち取りました(笑)。それを家に持ち帰って、受験勉強をしているふりをしながら、ふと模写してみたのが、絵を描くきっかけになったんです。

なんとなくうまく描けたので友達にあげたらすごく喜んでくれて。それまで何かで褒められるとか、やったことがうまくいくという経験があまりなかったので、それをきっかけに絵を描くことに一気にのめり込んでいきました。

初音ミクはもともと知っていたのですか?

ぬごですが。 – 好きでしたね。ニコニコ動画が好きで、初音ミクのゲームや音ゲーもやっていましたし、まさにそのゲームをやりに友達とゲームセンターに向かっている途中でポスターを見つけたんです。

美術の学校には行かなかった

「飾って隠す 」

BAMでも多くのイラストレーターの方々に取材をしてきましたが、みなさん幼い頃から絵を描いていたという方が多くて。中学生から描き始めたというのは比較的遅い方ですね。

ぬごですが。 – 自分でもそう思います。だからこそ高校は普通科に進み、部活にも入りませんでした。途中から美術の学校への進学も考えたのですが、「もう遅いかな」と思ってしまって。「ちゃんと勉強しないといけないんじゃないか」とか、「絵で食べていくってどういうことかも全然わからない」という状況でした。

それでも絵を描き続けていた?

ぬごですが。 – そうですね。アニメの模写をずっとしていて、録画した『けいおん!』などを一時停止しながら描いていました。オリジナルを描くという発想もほとんどなかったんです。

「絵」の世界を広げてくれた、2人のイラストレーターとの出会い

「知らない所へ 」

ぬごですが。 – 絵を描き始めたのもたまたまで、アニメが好きになったのも、夜中に目が覚めてテレビをつけたらたまたまやっていたからなんです。「え、こんな時間にアニメやってるんだ」と驚いたくらいで。今思うと、本当に視野が狭かったと思います。当時は自分から何か新しいものを探しにいこう、という気持ちがなかったんです。

「模写」が中心だった当時から、現在の作風に至った転換点は何だったのでしょうか。

ぬごですが。 – これも偶然なのですが、SNSで流れてきた2つのイラストを見たのが大きなきっかけになりました。作者を調べると、雪下まゆさんとざしきわらしさんというイラストレーターの方でした。ちょうど同時期にお二人の絵が目に入ってきて、それが衝撃だったんです。

「どれくらい普通に生きれてるんだろう 」

具体的にどのような衝撃だったのでしょうか。

ぬごですが。 – 当時の僕は、絵のジャンルには、アニメイラストや絵画、水墨画、抽象画など、「美術の授業でちょっと見たことあるやつ」くらいしかないと思っていたんです。「絵を描く」ということは、そのどれかに当てはまるものしかないと、勝手に縛られていました。でも、お二人の絵はそのどれでもなくて。僕の中で、「名前のない絵を描かれた」と思ったんです。

ジャンルの外だったんですね。

ぬごですが。 – そうなんです。「え、そんなんしていいんや」と、本当に衝撃でした。今思えば当然いいに決まっているのですが、何故か当時はそう思えなくて。それまでは二次創作しか描いていなかったのが、お二人の作品を見て、「僕もやってみようかな」と、そこで一気に作風が変化しました。絵を描くことを通して自分の内面を出していけるようになったんです。

ぼーっと生きていたら、「普通」にたどってくる道

「現実のはじまり、夢の終わり。 」

お話を伺っていると、本当に偶然の出来事の積み重ねというか。何か特別な体験があったわけではないのですね。

ぬごですが。 – そうなんです。今の活動の大きなテーマは「普通を描く」ということです。僕がたどってきた道は、ぼーっと生きていると普通にたどってくるような道だったと思うんです。美術の学校に行くわけでもなく、地元の友達と近くの学校に進んで、そこで出会った人たちと仲良くなって。絵を描き始めたのも、特に自分から何を探すわけでもなく、たまたま拾ったポスター、たまたま見たアニメがきっかけだったり。だからこそ、そんな自分が見てきた「普通」を描いた作品は、多くの人にも共感しやすいのではないかと思っています。

「泣く事は減った、悲しい事は増えるけど、 」

特別な何かを描くのではなく、あくまで「普通」を描くと。

ぬごですが。 – そうですね。そこに意味があると思っています。作品を一番届けたい相手も、僕と同じように普通に生きてきた人たちなんです。

特別な境遇、出色した才能があるわけでもない。ぬごですが。は、いわゆる「普通」の生活を軸に作品を描き出す。だが、多様性が謳われる昨今、普通の輪郭は確実に揺らいでいる。ぬごですが。の見つめる「普通」、絵を描くことで炙り出すその世界とは一体何なのか。後編ではもう少し迫ってみたいと思う。

【インタビュー】ドット絵から3Dへ。過渡期を知るゲームキャラクターデザイナー吉川達哉の創作論 – 後編

前編では、ドット絵から3Dポリゴンへ、ゲーム業界を巡るテクノロジーが激変を遂げた転換期について話を訊いた。

続く後編では、完全3D化へと舵を切った『ブレス オブ ファイアV ドラゴンクォーター』以降の別̇次̇元̇の話。ボタンひとつを描くのに、ひとつのキャラクターを描くほどにまで描き込む「情報密度」の恐怖、『デビル メイ クライ 4』で突き詰めた3D空間での強度。そして独立15周年個展「Xv」に込められた「修行」としての想いまで。どれだけ表現技法が変わろうともブレることのない、吉川達哉氏の根底に流れるキャラクター論の核心に迫る。

文字通り「次元」が変わる、全く新しい3D表現

『ブレス オブ ファイアIV うつろわざるもの』を経て、続くシリーズ5作目『ブレス オブ ファイアV ドラゴンクォーター』で作品は完全な3D表現へと舵を切ることになります。クリエイティブ面において、3D化はどのような表現の広がりをもたらしたのでしょうか。

吉川 – そこは本当に劇的な変化でした。ドット絵というのは本質的に「一方向から見た1枚の絵」なので、どれだけアニメーションさせてもカメラアングルを大きく動かすような空間演出には限界があったんです。

それが3Dになった瞬間、キャラクターの後ろへカメラが回り込んだり、背景を含めた動的なカメラワークが可能になりました。ポリゴンの重なりや表示のバグなど当時は特有の苦労もありましたが、ゲーム内のデモシーンを含めて、映像としてのメリハリや演出の幅は一変しました。表現のツールとして、開発陣が抱いた期待感も非常に大きかったですね。

奥行きが求める「情報密度」の恐怖______脳が騙されなくなった時代

「RED PINK」

画面を自在に動かせるようになったことで、キャラクターを「デザインする側」の意識には具体的にどのような変化が求められたのでしょうか。

吉川 – ここが一番恐ろしいところで(笑)。2Dのイラストであれば、一方向からの情報密度を高めておけば、多少ごまかしが利くというか、イラストとして「間」が持ったんです。しかし、まったく同じデザインをそのまま3Dの立体空間に持っていくと、一気に情報量が足りなくなってスカスカに見えてしまう。人間って、立体や奥行きを感じた瞬間に、脳が「そこにあって当然の情報」を無意識に求め始めるんです。

脳が求める「当然の情報」とは、具体的にどのようなものでしょうか?

吉川 – たとえばドット絵なら、腰のベルトなんて茶色の帯のテクスチャが描いてあれば十分に成立していました。ですが3Dになると、「縫い目はどうなっているのか」「革が擦れた痕はあるか」「エッジのほつれはどうか」といった、リアリティ、普段見ている当たり前を、見る人の脳が要求し始めるんです。

漫画やセル画のアニメならシンプルな影だけで格好よく見えていたキャラクターも、3D空間に置かれた途端に物足りなくなってしまう。デザイナーは、その「3Dにしたときに発生する物足りなさ」を予見し、あらかじめデザイン段階で密度を仕込んでおかなければならなくなったんです。

『デビル メイ クライ 4』で突き詰めた、ボタンひとつへの徹底考察

「Devil Duck」

特にハイエンドなリアルさを追求する作品になると、その密度の補完作業は想像を絶する領域になりそうですね。

吉川 – 僕が携わった中で一番難しく、しんどかったのは間違いなく『デビル メイ クライ 4』ですね。世界観がリアルに寄れば寄るほど、ごまかしが一切通用しなくなります。自分自身で描いていても、「現実世界にこんな構造の服があったらおかしいだろ」と葛藤する毎日でした。

3Dモデラーさんからも、「このジャケットのボタンの付け根、縫い目はどう終わっていますか?」「コートが裏返ったときの裏地の縫い目を見せてください」という確認が入るわけです。

服の構造や縫製まで理解していなければ、3Dのキャラクターデザインが成立しないと。

吉川 – そうなんです。たとえば主人公のネロが着ているコートには、消防士の防火服に使われるような金属フックのボタンを採用しました。デザインとしてすごく格好いいと思って提案したのですが、それを実際にポリゴンで立体化してもらうためには、僕自身がそのフックの構造を完全に理解し、3Dモデラーさんにも構造を共有しなければならない。

アニメや漫画のデザインなら「丸いボタン」を描いておけば済んでいたところが、金属なのか、木なのか、貝なのか。穴は何個あって、どう固定されているのか。ボタンひとつを描くだけで、キャラクター1体を一から生み出すのと同じくらいの考察と調べ物が必要になりました。いい加減な絵は一切描けないという恐怖と隣り合わせの現場でしたね。

たとえどれだけ時代が変わろうとも

「Blank Angel」

これまで、ドット絵から3Dへと技術が進化し、激変していく制作現場の実態を伺ってきました。では逆に、その中でも変わらなかったキャラクター論や哲学とは、一体何でしょうか。

吉川 – 表現ツールや画面の解像度がどれだけ変わろうと、僕自身のキャラクター作りの根本にある思想や哲学は、最初から今までまったく変わっていません。

その根底にあるのは、「日常的な観察」と「人間や生物に対する共通認識」です。たとえば、街や日常で人を見かけたときに「あ、この人は強そうだな」「優しそうだな」と感じたり、あるいはゾウという動物を見たときに「絶対に強いけれど、目がつぶらで優しいな」と感じたりしますよね。世界中の人たちが、対象の外見や目元から無意識に感じ取っている普遍的なイメージや記号があると思うんです。

キャラクターをデザインするときは、まずその世界共通の人間観察から得た感覚やフィードバックをベースにします。そこに映画やドラマ、漫画などを観て蓄積してきた「自分が面白いと思うキャラクター像」や、少しばかりの自分のこだわりを掛け合わせていく。そしてゲーム制作であれば、ディレクターの意志や世界観とすり合わせながら落とし込んでいく。この構築プロセスは、ドット絵だろうが3Dだろうが、今でも一切ブレていません。

キャラクターデザインと「一枚絵」______独立15年目の筋トレと修行

「三毛化け猫娘」

今回の独立15周年個展に展示される作品群は、吉川さんがXなどで精力的に発表されてきたオリジナルのイラストレーションが中心です。ゲームのための「キャラクターデザイン」と、完成された「一枚のイラストレーション」を描くことの違いはどこにありますか?

吉川 – 作業の目的と性質がまったく違います。今回の展示会に向けて描いた作品では、いわゆる「キャラクターデザイン」という工程からは離れたところにあります。

ゲームにおけるキャラクターデザインとは、ディレクターや企画、現場のチームと調整を重ねながら、そのキャラクターの魅力を究極まで磨き上げていく作業です。それに対して今回の個展に向けた一枚絵は、これまで培ってきた「キャラクターを安定して描く技術」を土台にしつつ、限られた期間の中で「いかに画面として気持ちよく成立させるか」という工程をひたすら鍛錬する。いわば筋肉トレーニングや修行のような感覚で描いています。

「修行」とおっしゃる背景には、独立15周年を迎えた今、どのような想いがあるのでしょうか。

吉川 – 企業さんからご依頼いただいて描いた仕事の絵は、当然ですがすべて企業さんのものです。素晴らしい仕事である反面、自分だけのものではないという切なさもどこかにあったりします。だからこそ、自分で生み出したオリジナルのキャラクターを1枚の完成された絵として仕上げることで、「自分だけの作品」として世に存在させたかったんです。もっと言うと、自分の中の「これならお金を出してでも欲しいと思えるか?」という厳しいハードルと向き合い、プレッシャーに打ち勝つための修行でもあります。自分が心から欲しいと思えない絵を描いても無駄な作業になってしまいますから、限られた時間を使って徹底的に自分自身の欲求と向き合いました。

吉川さんの描く一枚絵は、デジタルでありながら鉛筆のラインやアナログのランダムな「かすれ」が非常に印象的です。描き手としての質感へのこだわりについてもお聞かせください。

吉川 – 元々カプコンに入社した当時、ポスターなどのイラストはすべて画用紙に絵の具で描かれていた時代だったんです。時代とともに「PCの方が早いし便利だ」とデジタルへ移行していきましたが、僕自身はどうしても鉛筆の線の風合いが好きで、ずっと残したかったんです。完璧にコントロールされすぎない、紙と鉛筆が擦れたときに生まれるランダム性や不確実性みたいな。そういうアナログな「手触り」みたいなものが、今も僕の表現の根底に心地よく残っているのだと思います。

デジタルのニュアンスをいかにアナログに落とし込むか______複製技術「MCA」との出会い

「狼喰い羊」

そんな中、今回の展示作品では、アートブランド・GAAATが展開する「MCA(メタルキャンバスアート)」を用いて立体感やマテリアルの質感まで緻密に再現されています。この表現手法を選んだ理由を教えてください。

吉川 – 個展の開催が決まったとき、既存の紙媒体へのプリントアウトでは、どこか物足りなさを感じていたんです。デジタルの絵というのは本来、画面の中でピクセルが集まって構成されるものですが、それを紙というマテリアルで表現するとどうしてもニュアンスが落ちてしまう。

そんな時にGAAATさんの技術を見せていただき、「これしかない」と直感しました。デジタルが持つ独特の情報量や画面の空気感を、紙や画面とはまた違う不思議な質感で空間に再現してくれる。展示作品をご覧いただく方にとっても、普段目にしない新しい視覚体験を提供できるのではないでしょうか。

「もっと上手くなりたい」______技術の波を越えて続く探求

「雷音」

最後に、独立15周年を迎えた今、キャリアを振り返り吉川さんが感じていること、そして今後の展望についてお聞かせください。

吉川 – 今こうして個展に向けて絵を描いているものでも、もちろんキャラクターデザインでも、僕の中にはずっと「絵が上手くなりたい」というシンプルな欲求が強くあり続けています。

何年経験を積んでも「上手くなりたい」という思いは消えません。もっと上手くなって、自分が納得できる満足のいく作品を描き、それをSNSや作品展、あるいは新しいお仕事として皆さんに見てもらいたい。自分自身も心から楽しみ、そして見てくれるファンの方々も一緒に楽しんでもらえるように、ちょっとずつでも前に進んでいけたらと思っています。

ドット絵の1ピクセルに命を吹き込んだ時代から、3D空間におけるリアルな表現への挑戦、そして自分自身と向き合う一枚絵への挑戦まで。道具やテクノロジーがどれだけ進化しても、吉川達哉氏が描き出すキャラクターたちには、時代を超えた「生きている人間のリアリティ」と熱量が宿り続けている。独立15周年という節目に提示された圧倒的な描線と美学を、ぜひ個展の会場で体感してほしい。

吉川達哉個展 |Xv – Tatsuya Yoshikawa Art Exhibition

・会期:2026年10月16日(金)〜10月19日(月)
・営業時間:11:00〜21:00 ※初日のみ16時開場
・会場:GAAAT GALLERY(〒150-0001 東京都渋谷区神宮前六丁目20番10号MIYASHITA PARK South 3階)
・公式サイト:https://gallery.gaaat.com/pages/tatsuya-yoshikawa

【インタビュー】ドット絵から3Dへ。過渡期を知るゲームキャラクターデザイナー吉川達哉の創作論 – 前編

名作RPG『ブレス オブ ファイア』シリーズや、スタイリッシュアクションの金字塔『デビル メイ クライ 4』など、数々の作品で印象的なキャラクターを生み出してきたイラストレーター・キャラクターデザイナーの吉川達哉氏。
個展「Xv」の開催を控え、独立15周年という大きな節目を迎えた彼のキャリアは、日本のゲーム史における技術革新と重なりながら歩みを続けてきた。

1992年にカプコンへ入社し、ドット絵が主流だった2D時代から、画面の奥行きと立体感が求められる3Dポリゴン時代へ。解像度や、文字通り「次元」が激変する過渡期において、制作現場の最前線では一体何が起きていたのか。
インタビュー前編では、当事者である吉川氏にしか語り得ない大転換期の裏話から、制約の中で研ぎ澄まされたドット絵の美学、そして名作『ブレス オブ ファイアIV うつろわざるもの』で辿り着いたビジュアル表現の到達点について話を訊いた。

アクション全盛期に求めた「思考型ゲーム」の魅力

吉川さんがカプコンに入社されたのは1992年ですよね。当時は対戦型格闘ゲームの大ブームもあり、採用倍率も非常に高かった時期かと思います。最初からゲームのキャラクターデザイナーを目指されていたのでしょうか。

吉川 – そうですね。元々はグラフィックデザイナーという道も考えていて、漫画も好きでしたし、ゲームも日常的に遊んでいました。ただ、当時流行っていたアクションゲームや格闘ゲームよりは、横スクロールのシューティングや『ポピュラス』のようなシミュレーションゲーム、いわゆる少し大人しめでじっくり頭を使う「思考型」のゲームが好きだったんです。

そんな中でグラフィックデザインの仕事を探しつつ求人情報を見ていると、ゲーム業界の募集が目に入って。それなら「大阪で大きな会社を受けてみよう」と思ったのが、カプコンに応募したきっかけでした。

「雷音 弐」

学生時代やカプコンに入社される前後では、具体的にどのようなゲームで遊んでいましたか?

吉川 – 一番ハマっていたのは、先ほど名前を出した『ポピュラス』ですね。土地を整地して文明を発達させて、人間がどんどん増えていくようなシステムに夢中になりました。あとは、ファミコンのディスクシステムなどで展開されていた『フェアリーテイル』(発売日: 1989年4月28日 / 発売元: ソフトプロ)のようなファンタジックな世界観のシミュレーションや、後にスーパーファミコンで出た『伝説のオウガバトル』のようなシミュレーションもよく遊んでいました。

ドット絵から3D表現への大転換

吉川さんが入社された当時のゲーム開発は、ドット絵による2D表現が主流でした。そこから時代の変化とともに、表現の主流は3Dポリゴンへと移行していきます。この技術的な転換期の中、現場ではどのような変化があったのでしょうか。

吉川 – それはもう、「激変」という言葉では足りないくらいの衝撃でしたね。3Dへの移行によって、現場のドット絵職人の方々も技術や制作スタイルの変革を余儀なくされました。ただ、その感覚の違いがあまりにも大きすぎて、変化を受け入れられずに会社を離れていく方をたくさん見てきましたし、特に当時の若いスタッフの中には表現のギャップに耐え切れずに辞めてしまう人もいて…。現場に残った人たちも、長い間表現を模索しているような状況でした。

「RED & WHITE」

ドット絵と3D制作では、具体的にどういったことが変わるのでしょうか。

吉川 – まったく違う種類の作業の連続でした。ドット絵というのは、どれだけ解像度が低く色数に制限があろうと、本質的には手で絵を描く作業なんです。それは描く人の絵心やセンスに直結してきます。

一方で3Dの技術は、ツールを扱うための専門知識はもちろん、当時は少ないポリゴン数でいかにモデルを滑らかに見せ、プログラム上で動かすかという、まったく異なる思考回路が求められます。何の絵も貼られていないグレーの立体ポリゴンを作り、そこにテクスチャという2Dの画像を貼り付けていく。作業工程も思考も根本から違っていたので、当時の「絵を描く感覚」を重視するクリエイターたちにとっては、非常にストレスの大きい移行期間だったと思います。

吉川さんご自身は、その移行期をどのように乗り越えられたのですか?

吉川 – 僕自身は3Dという表現自体にそこまで抵抗はありませんでした。ただ、当時は会社からデザインや作画の面で大きく期待されていた時期でもあったので、3Dツールを極めるというよりは、新しい時代に合わせた「デザインの特化」へと舵を切っていったんです。

「1ドットの制約」が生んだメリハリの美学

「メイドの拳」

ドット絵の時代と3Dの時代では、キャラクターデザインの組み立て方や発想そのものも変わってくるのでしょうか。

吉川 – 仕上がりに対する想定が根本からまったく違います。ドット絵は解像度が極めて低いので、あらかじめ「ドットに変換したときにどう映るか」を先回りし、仕上がりを想定したデザインを仕込む必要がありました。

たとえば、キャラクターの腕にリストバンドや手袋を付けるデザインがあるとします。ドット絵の世界では、このパーツひとつがあるだけで手首と拳の境目が明確になり、キャラクターのシルエットやポーズにぐっとメリハリが出るんです。もしリストバンドがないと、画面上では手首から先が同じ肌色の塊として繋がって見えてしまう。ブラウン管モニターの滲みも考慮しながら、同系統の色が隣り合ってボケてしまわないよう、明確なコントラストを意識して衣装やパーツを配置していました。

ドット絵の制約そのものが、衣装やパーツといったキャラクターデザインの理由になっていたのですね。

吉川 – そうですね。コントラストをしっかりとつけて、メリハリを表現できるように想定をしておく。ただ、そればかりだと面白くないドットデザインになってしまうので、そこは難しいところ。逆に3Dポリゴンの場合だと、同系色のデザインが隣り合わせに配置されていても、うまく表現できたりするんです。

カプコンに受け継がれる「ドットの美学」と現代での新しい形

「赤鬼青鬼」

そうした制限の中での差別化や表現の追求は、クリエイター個人の工夫だったのでしょうか。それともカプコンとしてのノウハウがあったのですか?

吉川 – カプコン社内には、アーケード時代から活躍されていた安田朗さんをはじめとする偉大な先輩方が築き上げた、圧倒的なドット絵の研究成果とノウハウが共有されていました。現場のデザイナーさんの経験と知識だったり、顔の輪郭をいかに表現するか、といった細かいイメージも、共通認識として持っていました。「良いドット」を打てば、きちんと評価してもらえますから。

そうしたドット絵時代に培われた「引き算とメリハリ」の感覚は、表現が自由になった現代のクリエイティブにも活きていると感じますか?

吉川 – すごく活きていると感じます。特にデフォルメされたキャラクターやイラストを描くとき、パーツのバランスや密度のメリハリをどうつけるかという感覚は、まさにドット絵をデザインしていた頃の経験がベースになっています。

今ではインディーゲームを中心に、ドット絵は「制約ゆえの表現」ではなく、「その美しさや愛らしさを選んで使う手法」として再評価されていますよね。道具や技術が変わっても、限られた要素の中でキャラクターの個性を最大限に引き出すという哲学は、今も僕の中で生き続けています。

安田朗氏からの助言______『ブレス オブ ファイアIII』で叩き込まれたプロのボーダーライン

カプコン時代、『ブレス オブ ファイア』シリーズなどの名作を手がけられた吉川さんですが、シリーズを追っていくと『III』から『IV』にかけて描き方や絵柄が劇的に変化しているのが分かります。まず『III』の制作期には、どのような変化があったのでしょうか。

吉川 – 『ブレス オブ ファイアIII』を制作していた頃、当時社内で絶大な信頼を集めていた安田朗さんから、プロとしての「絵の価値」について教えをいただく機会があったんです。

「お客さんがお金を払って買うレベルに達する絵には、こういうボーダーラインがあるんだよ」と。これについて話すには、それだけで何時間もかかってしまいますね(笑)。簡単に説明すると、人体の骨格構造やデッサン力を根本から徹底して理解し、違和感のない佇まいを描けているかといった、クリエイターとしての基礎姿勢について深く教えていただきました。

「RED」

安田さんからの教えは、クリエイターとしての吉川さんにどのような影響を与えましたか?

吉川 – 自分の描き方や意識がガラッと変わるほどの衝撃でしたね。言われたことを消化し、再現しようと必死に挑戦した期間は、自分の成長を感じられて嬉しい反面、プロの壁の高さを思い知らされる非常に苦しい時期でもありました。

でも、その壁を乗り越えたことで自分の描く絵の説得力が一段上がったと実感できたし、何よりカプコンにおける安田さんのデザインに対する信頼は絶対的でした。だからこそ、続く『IV』ではその教えと信頼を後ろ盾にしつつ、自分のやりたいビジュアル表現を徹底的に押し込むことができたんです。

ディレクターとの雑談から立ち上がった『ブレス オブ ファイアIV』の世界観

そうして迎えた『ブレス オブ ファイアIV うつろわざるもの』ですが、先にストーリーや簡単な絵コンテがあってデザインを起こすのか、あるいは同時並行だったのか、どのようなプロセスでキャラクターデザインや世界観の構築が始まっていくのでしょうか。

吉川 – 『ブレス オブ ファイアIV うつろわざるもの』のときは、ストーリーが細部まで決まり切っていない早期の段階から動き出していました。同期のディレクターと雑談を交わしながら、「こういう世界観はどうだろう」とアイデアを出し合い、僕が自由にラフイラストを描いたり、ドット絵の表現方法を実験したりする模索の期間をしっかりいただいたんです。

当時描いたアイデア段階のラフや構想段階のスケッチは、後に資料集などにもたくさん収録されています。テキストによる設定資料や絵コンテを渡されて描くというよりは、開発の初期段階からビジュアル主導で世界観を膨らませていくようなアプローチでしたね。

時代への抗いと、トータルデザインで掴んだ集大成

「MELTED RED」

『ブレス オブ ファイアIV うつろわざるもの』は、今なおゲームファンから「グラフィックと世界観の完成度が極めて高い作品」として高く評価されています。トータルデザインを統一するために、現場でどのような工夫をされていたのですか?

吉川 – この作品に関しては、ドット絵の表現手法や色使い、画面内での映え方に確信が持てるまで、僕ひとりで事前に研究を重ねていました。その研究結果をベースに、「このドット表現で統一しよう」と現場へ提案したんです。

さらに、キャラクターだけでなく背景美術の担当の方とも綿密にコミュニケーションを取り、「こういう色合いで世界観をまとめたい」というイメージを共有しました。その意図を見事に汲み取って再現してくれたおかげで、作品全体のトーンに強い統一感を生み出すことができたのだと思います。ひとりの人間がブレずにビジュアルの芯を通せる環境があったからこそ、あそこまでのビジュアル表現が実現できたのかなと。

当時のゲーム業界はまさに3Dへの過渡期でしたが、そうしたテクノロジーの潮流との葛藤はありましたか?

吉川 – 時代としては会社からも「3D技術を取り入れろ」という強い要求がありました。実際『ブレス オブ ファイアIV うつろわざるもの』でも、背景や一部の大型ボスなどには3Dポリゴンを採用していました。

ですが、個人的な理想を言えば、背景もすべて含めてフルドットの作品として仕上げたかったんです。それができれば、カプコンにおける「ドット絵技術のひとつの到達点・集大成」として綺麗な区切りをつけられたのではないか、という思いもありました。時代の波には抗えませんでしたが、あの制限の中で突き詰めた表現とトータルデザインの追求は、今振り返っても自信を持って「美しかった」と言える成果だったと思っています。

『ブレス オブ ファイアIV うつろわざるもの』でドット絵表現のひとつの到達点を見た吉川氏。それでも早過ぎる時代の流れは、「完全3Dポリゴン」という新たな表現へと突き進んでいく。
後編では、シリーズ5作目『ブレス オブ ファイアV ドラゴンクォーター』での完全3D化がもたらした空間演出の革新、3Dゆえに突きつけられる「情報密度」の恐怖、そして独立15周年を迎えた現在の一枚絵への挑戦を訊いた。どれだけ時代が変わろうとも、決して揺るがない「良いキャラクター」とは__________。
後編に続く。

吉川達哉個展 |Xv – Tatsuya Yoshikawa Art Exhibition

・会期:2026年10月16日(金)〜10月19日(月)
・営業時間:11:00〜21:00 ※初日のみ16時開場
・会場:GAAAT GALLERY(〒150-0001 東京都渋谷区神宮前六丁目20番10号MIYASHITA PARK South 3階)
・公式サイト:https://gallery.gaaat.com/pages/tatsuya-yoshikawa

【連載】アート事件簿 Vol.3 – エドゥアール・マネの意思表示

近代以降のアートそのものが、「事件」とともに幕を開けている。「西洋美術史における最大級のスキャンダル」と呼ばれる事件を巻き起こした“犯人”は、19世紀フランスの画家、エドゥアール・マネ。

ベラスケスやゴヤに影響を受け、ギュスターヴ・クールベの流れを汲む写実主義を志向していたマネは、次第に荒々しい筆致や大胆な構図など、独自の「表現」を試みるようになり、当時の批評家たちやサロン(官展)から反感を買い始める。

そんなマネが1860年代に発表した代表作《草上の昼食》(1863年)と《オランピア》(1865年)は、絵画界にスキャンダルを巻き起こしたことで知られている。

《草上の昼食》(1863年) / エドゥアール・マネ / Wikimedia Commonsより

当時、女性の裸体は神話画や歴史画の中で、女神やニンフ(ギリシャ神話に登場する自然の精霊、下級の女神)として理想化して描かれるのが常識だった。もっと言うと、ルネサンス期以降のキリスト教美術では直接的に描きにくかった人間の裸体、ヌードを表現する口実として、神話画や歴史画が機能していた側面もあった。

ところがこの2作品では、そうした寓意的な“配慮”を加えず、同時代を生きる生身の女性の裸体をありのままに描いたのである。

飽和した伝統的表現を打ち砕き、19世紀パリの“現代”を冷徹に描き出したマネは、社会の道徳観そのものを根底から揺るがし、主題やテーマにおいても、造形性や技法においても、「自由」に絵を描くとはどういうことかを問うたのだ。

《オランピア》(1865年) / エドゥアール・マネ / Wikimedia Commonsより

《草上の昼食》は画家の登竜門であるサロンに落選して「落選展」で公開され、《オランピア》はサロンに入選したものの、いずれも多くの嘲笑と困惑を呼んだ。近代化が進み、写真の発明によって“絵画”の存在意義が問われ始めた時代に、表現することの意味を問うたマネは、まさに「事件」だった。

映画と劇伴、その不可分の関係

筆者がはじめて手にしたアルバムはフィルム・スタジオ・オーケストラによる『不滅の映画音楽』だった。そのタイトル通り、「いつの時代にも愛され、語り継がれる」ことを選定基準とした映画音楽のベスト盤だ。「エデンの東」「男と女」「ロミオとジュリエット」「太陽がいっぱい」「ニュー・シネマ・パラダイス」……。長年愛される名作映画には名曲がある。何気なく手にした一枚から子どもながらに(作品を観たことがないにもかかわらず)場面を想像し、その美しさにうっとりしていた。

 映画における音楽とは大きな存在。映像を彩る雰囲気であり、触ることができない画面の奥の質感であり、鑑賞者の潜在意識の中に意味を伝える力だ。映像の背景で、アクション、セリフのタイミングに合わせ、ミリ数秒単位でサウンドの起伏を設計する「劇伴(げきばん)」は、何も往年の名作に限らず、現代においても存在感は健在。本稿では、その魅力的な世界についてお伝えしたい。

音楽を重視したカルト映画の巨匠。

「音楽は映画の50パーセント」とは、カルト的人気を誇る巨匠、デヴィッド・リンチが「SoundWorks Collection」のインタビューにて答えた言葉だ。示唆に富むこの言葉の真意について、ハリウッドの映画音響にフォーカスした世界初のドキュメンタリー映画『ようこそ映画音響の世界へ』のなかで、リンチはこのように語っている。

「人は人生の最深部を知りたいと思うものだ。行動や感情の底に広がる果てしない意識の海、抽象的な映画では音が大きな役割を担う」。

『ブルーベルベット』や『ツインピークス』『イレイザーヘッド』など、実際にリンチの作品を観てみればわかる。轟音のようなノイズや美しいメロディが、怪しげな街や奇怪な登場人物が描く幻想に共鳴し、作品の謎を深め、観客に忘れられない場面を残している。

リンチは、映像と音は「美しく融合するべき」といい、彼の映画において音は目に見えない登場人物として存在しているのだ。だからこそ、ある意味で“リンチ作品以外にはしっくりこない”独特な劇伴が(時にリンチ自身も作曲し)魅力的に仕上がっている。LPは中古市場でも手に入る。劇伴とともに日常から映画の世界へ溶けこんでみるのはいかがだろう。

78年のデビュー作『イレイザーヘッド』のサウンドトラックの多くをリンチ自身が作曲。主人公ヘンリー・スペンサーの自宅に置かれる「ラジエーターに住む女性」が演奏する曲。数々のロックバンドがカバーする名曲だ。

ショート動画にも強い? 日本が誇る劇伴の巨匠。

 ショート動画の世界においては、最初の数秒で視聴者の離脱を防ぐ強いインパクトが重要といわれる。実際「バズ」を起こす音楽も、転調を多様したり、歌詞に違和感を持たせたり、開始から数秒の間で人を飽きさせない工夫がなされている。ショートとは真逆の映画の世界の音楽にもかかわらず、人気を博しているのが久石譲だ。

2020年に海外で最も再生された国内アーティストとしてLiSAやRADWIMPS、ONE OK ROCKと並びランクインしているほか、’25年に開設された公式TikTokアカウントはこの一年で70.6万人以上のフォロワーを獲得。『菊次郎の夏』で使用された「Summer」や『ハウルの動く城』での劇伴「人生のメリーゴーランド(Merry-Go-Round of Life)」などの代表曲を用いたショート動画やライブ映像は、国内外問わず数万〜数十万以上のいいねを集める人気コンテンツに。ハッシュタグ「#久石譲」や「#joehisaishi」が付いたユーザーによる投稿も多く見受けられ、国内外におけるスタジオジブリ作品の人気と共に、現代でも多くの支持があるアーティストだ。それらの動画で共通しているのがエモーショナルな映像の演出だ。

 大学在学中にミニマル・ミュージックに出会い、20代の大半の時間をミニマル・ミュージックの作曲家として過ごした久石譲。ミニマル・ミュージックとは、短いフレーズを何回も繰り返し、それが少しずつずれていくことで微細な変化を聴かせていく音楽の方法論。テリー・ライリーやフィリップ・グラス、スティーヴ・ライヒなどに代表される、60年代半ばのアメリカで生まれた“シンプル”な音楽だ。

テート・モダンで開催されたテリー・ライリーによる演奏。

 ライヒの《砂漠の音楽》の日本初公演の開催など、ここ日本におけるミニマル・ミュージックを広めた第一人者でもある久石。映画音楽においても、反復構造を土台にしながら、そこに日本的な情緒とオーケストラの厚みを重ねる独自の作曲が感じられる。「メロディだけを書けば単なる娯楽になってしまうが、そこにミニマルの構成手法を組み合わせることで表現の幅が広がる」と語る。

何度もリフレインするショート動画にも“強い”ミニマルの要素と情緒。それは反復と構成というロジカルな設計の上に成り立っている。宮崎駿作品や北野武作品のテーマ曲が、映画にもコンサートにもショート動画にもそれ単体の曲として存在感を示すのは、作家の設計思想の強度を示しているのだ。

音響を緻密に構築する、映画音楽の“魔法使い”。

 作曲家にとって、その美学は様々あるが、「なぜこのシーンに音楽が必要なのか」「なぜここでオーケストラが鳴るのか」を自問することが作曲の出発点だと述べるのは、ハンス・ジマーだ。

ドイツ出身の作曲家であり、これまでに12回のアカデミー賞ノミネート、15回のゴールデングローブ賞ノミネート、4回のグラミー賞受賞など、数多くの受賞経験を有する、最も著名な映画音楽作曲家の一人。『ライオン・キング』や『パイレーツ・オブ・カリビアン』などのディズニー作品、『ダークナイト』や『インセプション』などのクリストファー・ノーラン監督とのタッグ。『DUNE/デューン 砂の惑星』など革新的なSF作品まで、その幅広さと奥深さ、知名度、現代のスピルバーグとも称されるノーラン監督との仕事を見るに、『ジョーズ』や『スターウォーズ』の劇伴を手がけたジョン・ウィリアムズを彷彿とさせる。

 実際、映画『ハリー・ポッターと賢者の石』(2001)から第3作『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(2004)までを手がけたジョン・ウィリアムズの仕事を受け継ぎ、’26年末に公開されるHBOの新ドラマ版『ハリー・ポッター』ではハンス・ジマーが音楽を手がけることになっている。その点も要注目なのだが、余談はここまで……。

新ドラマ版『ハリー・ポッター』(HBO)予告

 ハンス・ジマーを特徴づけるのは、伝統的なオーケストラとシンセサイザーを融合させた、壮大なサウンドスケープだ。そして様々な映画ジャンルに適応できるように設計された、映像に完全に一体化した緻密な音楽だ。それがさらに斬新なかたちで昇華されたのが『DUNE/デューン 砂の惑星』だろう。従来のオーケストラをほぼ排し、電子的に加工した弦や金管、民族楽器を組み合わせて未知の惑星の音響世界を作り上げた一作。まずジマーは映像の色彩や撮影方法から音の質感を発想することからはじめた。人々の情動を揺さぶるダイナミックな旋律よりも、リズム、音圧、質感そのものに着目し、金属のこすれる音や、砂の動きの音を素材として加工しながら音響世界を構築する。劇伴を“音楽”から音響体験の“デザイン”へと拡張した、巨匠の進化がみられるのだ。

画面を飛び出し“その場所の音”を探す、新たなる巨匠。

 1984年にスウェーデンで生まれ、2007年からロサンゼルスで映画音楽などを学んだルドウィグ・ゴランソン。チャイルディッシュ・ガンビーノ、チャンス・ザ・ラッパー、ハイムなどヒップホップシーンからロックバンドまで数多くのアーティストを手がけるプロデューサーとしての一面ももつ。気鋭のプロデューサーは、かつての学友であったライアン・クーグラー監督とのタッグ(『フルートベール駅で』、『クリード』)で、その名を映画界に知らしめることとなる。

そして『ブラックパンサー』『オッペンハイマー』でアカデミー賞作曲賞を受賞。2026年3月に発表された第98回アカデミー賞では『罪人たち』で3度目となる作曲賞を受賞。いまやおしもおされぬハリウッドを代表する作曲家だ。

 ルドウィグ・ゴランソンの仕事を貫くのは、机上で音楽を作らない姿勢だ。『ブラックパンサー』では、脚本を読んだ後、架空の国・ワカンダを音で表現するにはアフリカに行くしかないと考え、実際に西アフリカへ約一か月間の取材旅行に出た。セネガルへ赴き、現地の音楽家バーバ・マールらと交流を重ね、伝統楽器の演奏をそのまま録音してキャラクターのテーマに組み込んだのだ。西洋のオーケストラをそのまま伝統音楽の上に重ねるとアフリカらしさが消えてしまうからこそ、両者を対等な立場で融合させる創意工夫がスコアに詰め込まれている。

 一方、世界初の原子爆弾の開発を指揮した「原爆の父」として知られる理論物理学者オッペンハイマーを描いた映画『オッペンハイマー』では、打楽器を一切使わず、ヴァイオリンを中心とした主題に電子音を重ね、静かな緊張感を表現している。主人公の内面、時間の経過を恐ろしい手腕で描くノーラン監督の画面に応答するように、『ブラックパンサー』とは正反対の方法を選んだ。同じ作曲家が、題材に応じてこれほど異なる音の語彙を使い分けられること、それがゴランソンの強みだろう。

オデュッセイア映画本編予告動画

 その姿勢がさらに徹底されたのが、クリストファー・ノーラン監督と組んだ2026年公開の『オデュッセイア』である。ノーラン監督はゴランソンに対し、古代叙事詩を描くこの作品で「西洋的なオーケストラを使わない」ことを求めたとか。実際、ゴランソンは青銅器時代の響きを再現するため、古代ギリシャの二本管楽器アウロスや竪琴のリラといった、当時実在した楽器そのものを探し出して演奏させるという驚くべきアプローチを採っている(!)。これは『ブラックパンサー』でアフリカに赴いた発想と同じで、既存の映画音楽の様式をそのまま流用するのではなく、その物語が本来持っていた“土地”に自ら足を運んで探しにいくという方法論だ。映像をよく理解し、リアリティあるものとして音楽を提示する。プロデューサー的側面ももちながら、数多くのアプローチを持つ作曲家・ゴランソン。映画音楽の“今”はまず、公開中の『オデュッセイア』を劇場で観ていただきたい。

【連載】アート事件簿 Vol.2 ジョン・ガリアーノのMET回顧展が開催見送りに 過去の差別発言めぐり批判

ニューヨークのメトロポリタン美術館(MET)で2027年春に予定されていた、ファッションデザイナー、ジョン・ガリアーノの大規模展「John Galliano: Horizons」の開催が中止となった。
Metとガリアーノは8月31日、共同声明で発表。7月31日の発表から約1カ月での方針転換となった。背景には、ガリアーノが過去に行った反ユダヤ的・人種差別的な発言をめぐる批判がある。

7月31日の展覧会発表直後から集まった批判

ジョン・ガリアーノ(2010年) / Wikipedia Commonsより

「John Galliano: Horizons」は、ガリアーノの約40年にわたるキャリアをたどる、初の大規模な美術館展として企画された。METは7月31日の発表で、1984年のセントラル・セント・マーチンズ卒業コレクションから、自身のブランドや、ジバンシィ、クリスチャン・ディオール、メゾン・マルジェラでの仕事までを扱うと説明していた。

一方で、発表直後から問題視されたのが、ガリアーノの過去の言動だった。ガリアーノは、2010年と2011年にパリで反ユダヤ的、人種差別的、反アジア的な発言をしたことが問題となり、2011年にはクリスチャン・ディオールのクリエイティブ・ディレクターを解任されている。同年、パリの裁判所は人種や宗教、民族、出自を理由とする公然の侮辱について有罪判決を下した。

今回の展覧会では、ガリアーノの過去の言動も、そのキャリアをたどる上での重要な転換点として扱われる予定だった。METは、2010年と2011年の言動による「断絶」を第1部「Bearings」の冒頭で取り上げ、ガリアーノの美的業績と倫理的責任、美術館による評価の関係を考察する構成になると説明していた。

しかし発表後には、過去の言動への批判に加え、METがガリアーノを大規模展の主役として取り上げること自体が適切なのかという懸念が、政治関係者やユダヤ人コミュニティや政治関係者らから示された。

「ヨム・ハショア」と重なるメット・ガラ ガリアーノの展覧会をめぐる懸念

さらに議論に拍車をかけたのが、展覧会とメット・ガラの開催時期だった。

2027年のメット・ガラは当初、5月3日に開催される予定だった。この日の夜は、ホロコーストの犠牲者を追悼する「ヨム・ハショア(ホロコースト記念日)」の開始と重なる。一方、ガリアーノの展覧会「John Galliano: Horizons」は、メット・ガラの6日後となる5月9日に開幕する予定だった。

ガリアーノが2011年に反ユダヤ的・人種差別的な発言をめぐって問題となった経緯に加え、メット・ガラの開催予定日がヨム・ハショアと重なることもあり、ガリアーノを取り上げることへの懸念や批判はさらに広がった。

8月31日、METとガリアーノが開催見送りを発表

メトロポリタン美術館 / Wikimedia Commonsより

こうした批判が続くなか、METとジョン・ガリアーノは8月31日、「John Galliano: Horizons」を予定どおり開催しないと共同で発表した。METの館長兼CEO、マックス・ホラインは、ガリアーノとの慎重な協議を重ねた結果、展覧会を進めないことを決めたと説明している。

METのコスチューム・インスティテュートのキュレーター、アンドリュー・ボルトンは、今回の展覧会が引き起こした「痛みと懸念」を認識しているとし、開催見送りを支持すると表明した。

ガリアーノも声明で、METから自身の作品を扱う展覧会を提案されたことへの感謝を示す一方、過去の言動によって生じた痛み、とりわけユダヤ人とアジア系コミュニティに与えた苦痛について、責任を負い、深く申し訳なく思っていると述べた。また、自身をめぐる議論がMETを難しい立場に置いたり、コスチューム・インスティテュートの活動から注意をそらしたりすることを望まないと説明している。

また、METの理事であるアナ・ウィンターは、ガリアーノが展覧会を開催しないと決断したことについて「正しい決断」だと述べ、ガリアーノとMETを全面的に支持すると表明した。

「展覧会を中止する必要はなかった」との意見も

一方で、今回の開催見送りをめぐっては異なる意見も出ている。
9月1日付の『ニューヨーク・タイムズ』で、ファッション評論家のロビン・ギヴァンは、「中止すべきだったのは展覧会ではなく、Met Galaだった」と主張した。

ガリアーノの作品を美術館で取り上げること自体は、彼のファッション界への功績だけでなく、過去の差別的な言動も含めて、その評価を批判的に検証する機会になり得る。
一方で、メット・ガラのような祝賀的なイベントで彼を称えることは、過去の言動を踏まえた上でなお彼を顕彰することにつながるとして、より問題が大きいと指摘した。

METは今後、2027年春の新たなコスチューム・インスティテュート展と、2027年のメット・ガラについて詳細を発表するとしている。

【インタビュー】「咲き誇って一気に散る。その一瞬の煌めきを描きたい。」初個展「擬花」で見せたミツ蜂の儚さと諦観、伸ばした手 – 後編

前編では、彫刻科での卒業制作からGuiano『月』へと至る、ミツ蜂の「マイナスをプラスに変える」感性をたどった。後編では、その儚さの源泉にある3つの映画と、初個展「擬花」に込めた思いに迫る。

「飛び降りる瞬間ではなく、その直前を」——3つの映画が照らす儚さ

『春嵐』

ミツ蜂さんの作品に共通して漂う儚さや命の煌めきについて、他の創作物から直接的に影響を受けたエピソードはありますか?

ミツ蜂 – 映画が好きで、最近だと『国宝』を映画館で3回観に行きました。吉沢亮さんが演じる女形の儚さや美しさ、特に化粧が崩れながら屋上で夜中に踊っているシーンにはすごく惹かれましたね。「ここを描きたい」と思う瞬間がいくつもありました。

どこか、卒業制作やGuianoさんの『月』のMVとも通じるものがあるように感じます。

ミツ蜂 – そうだと思います。それから、映画『リリイ・シュシュのすべて』も記憶に強く残っています。劇中で女の子が鉄塔から飛び降りてしまうのですが、その直前の過去の回想で、凧を揚げてすごく楽しそうにはしゃいで遊ぶシーンがあるんです。でも次の瞬間には、倒れている。私が描くときに意識しているのは、飛び降りる瞬間そのものよりも、その直前の「全てのエネルギーを出し切って遊んでいる姿」なんです。月詠みさんのMVを描くときもまさにそんなマインドでした。

『ミセス・タイムリープ』

「死」そのものではなく、絶望の直前に生を全開にして咲き誇る瞬間のエネルギーですね。

ミツ蜂 – はい。浅野いにお先生の『おやすみプンプン』でも、女の子が亡くなる前に海で大はしゃぎするシーンがあるんです。その3つの作品のシーンが全部すごく好きで。私の作品に出てくる「花」も、だいたい満開のまま散りかけていたり、ほぼ散っていたりします。咲き誇って一気に散る一瞬の煌めきを描きたいという感覚は、これらの作品体験と深く繋がっている気がします。

負の感情を吐き出し、自己を浄化する——初個展「擬花」に込められた2つの意味

『オイタナシー』

そして今回、初の個展「擬花」が開催されます。コマーシャルワークで誰̇か̇の楽曲を描いてきたミツ蜂さんが、完全に自分だけの世界を表現する場となりますが、どのような気持ちで臨まれましたか?

ミツ蜂 – 自分の世界観が表現できていたら嬉しいなと思っています。今回は「感情展」の時に描いたイラストを元に、制服の花瓶や、その他の原画を制作しました。制服の花瓶はずっと立体物として作りたかったので、良い機会だったと思います。

「感情展」の話も出ましたが、個展の原画や立体物の制作において、ご自身の内面や感情はどのように関わっているのでしょうか。

ミツ蜂 – 普段から「負の感情」をエネルギーにすることが多いです。絵を描くこと自体が自分にとってのストレス発散であり、毒や悪いものを描いて吐き出すことで「浄化」している感覚なんです。だから逆に、明るい絵を描いている時の方が「根暗な自分を隠して嘘をついている」ような後ろめたい感覚になってストレスが溜まってしまう。ダークで切ない絵を描いている時こそ、ようやく本当の自分を出せている気がします。

『choke it choke it』

今回の個展タイトルである「擬花」という言葉も、そうしたミツ蜂さんの内面世界と関わりがあるのでしょうか。

ミツ蜂 – そうですね。これも、まず最初にタイトルから決めました。社会に溶け込むために自分を取り繕って過ごしていると、「自分だけ周りと違うんじゃないか」という孤立感や生きづらさを感じることがあって。もし同じような感覚を持っている人がいたら「一人じゃないよ」と寄り添いたいという思いがありました。

『僕は僕の速さで』

また、「擬花」という言葉にはもう一つ、別の漢字で植物用語としての意味もあります。ひまわりのように小さな花の集合体が集まって、一つの大きな花に見せている状態のことを、偽りの花と書いて「偽花」と呼ぶんです。社会という集団の中で取り繕う自分の姿や、自分の手で花という作品を構成していく感覚とすごく重なって。その両方の意味を込めてこのタイトルにしました。

満開のまま散る花、アネモネの花言葉、そして「ミツ蜂」という名

「花」は、月詠みさんの『死よりうるわし』MVの1分19秒あたりに一瞬チラッと映ったり、その他の作品にも度々登場します。特別なモチーフですか?

ミツ蜂 – 花には「花言葉」がありますよね。それによって多くを語らずとも意味を込められるのがありがたくて。特にアネモネの「裏切られた」「見捨てられた」といった少し怖い花言葉が好きです。

もしかして、活動名義の「ミツ蜂」もお花から取ったお名前ですか?

ミツ蜂 – 実は、たまたまなんです(笑)。本名から取ってつけた名前なんですが、今となってはこの名前でよかったなと思います。

『向日葵』

もう一つの大切なモチーフ

また、「花」と同じくらい頻繁に登場するのが、「制服」のモチーフです。これにも何か思い入れがあるのでしょうか。

ミツ蜂 – 制服については、私の中で「高校時代の女社会」が一番周囲と比較しなきゃいけなくて息苦しかったと思っているんです。みんな同じ服を着ているからこそ、かえって自分の異質さが浮き彫りになってしまうような。過去に描いた『合わない』というイラストも、4人の制服の女の子のうち1人だけがズレている違和感を描いたものでした。そういった日常のモヤモヤや密かな毒、感情の揺らぎを、作品として昇華できればと思っています。

『合わない』

メインビジュアルにも、額縁や制服のリボンに留まる蛾やスズメバチといった印象的なモチーフが配置されていますね。

ミツ蜂 – 額縁は「絵画のように美しい最高のシーンを切り取る」イメージで描きました。リボンのスズメバチや蛾は、日常会話の冗談や、カフカの『変身』をイメージして描いた過去作からの派生で、自分の中にある毒や醜いものを象徴的に表現しています。

初個展「擬花」メインビジュアル

個展はまさに、そうした私の自己満足とも言えるこだわりを詰め込んだ空間になっています。でも、そうやって吐き出した私的な世界を、こんなにも多くの方が楽しみにして見てくださることに本当に感謝しかありません。ぜひ会場で、その空気感を感じ取っていただけたら嬉しいです。

自らの内面にある負の感情や日常の違和感を、芸術という形で美しく昇華させてきたミツ蜂。誰かに見せるためだけでなく、自らを浄化するように生み出された作品たちは、社会の片隅で取り繕いながら生きる私たちの心に静かに寄り添い、確かな救いを与えてくれる。一枚の絵の向こう側に広がる物語と、そこに息づく命の煌めきを、ぜひ会場で体感してほしい。

■ミツ蜂 個展「擬花 -ギカ-」

・会期:2026年9月18日(金)〜9月23日(水)
・営業時間:11:00〜21:00(変更の場合があります。詳しくは公式サイトをください)
・会場:GAAAT GALLERY(〒150-0001 東京都渋谷区神宮前六丁目20番10号 MIYASHITA PARK South 3階)
・公式サイト:https://gallery.gaaat.com/pages/mitsubachi?srsltid=AU7gw4Xb3NUXt3JCbfPG8mkHA9MpufNNbfYf0tMmqKbKCuXBFicBPy-_

【インタビュー】「咲き誇って一気に散る。その一瞬の煌めきを描きたい。」初個展「擬花」で見せたミツ蜂の儚さと諦観、伸ばした手 – 前編

美術大学の彫刻科を卒業しながら、イラストレーターとして活躍するミツ蜂。特にMVイラストの分野では、Guianoやめいちゃん、月詠みなど、第一線で活躍する数々のアーティストの作品を手がけている。そんな彼女の描く作品はどこか儚げで、淡い微笑を湛えているもの、どことも言えない宙を見つめているもの、様々な表情を捉えている。彼女の描くそれは救いなのか、諦観なのか。

BAMでは、ミツ蜂の初となる個展「擬花」に合わせてインタビューを行った。MVイラストでは常に誰̇か̇を描いてきた作家が、自分だけの表現の場で一体何を見せてくれるのか。前後編の単独インタビューでお届けする。

「死の淵から、生を取り戻していく」——金属専攻の卒業制作が原点

『まにまに』

普段はMVイラストを多く手がけるミツ蜂さんですが、音楽プロジェクト・月詠みさんによる楽曲『死よりうるわし』では、クレジットにイラストだけでなくアニメーション担当としても名を連ねているのが印象的でした。実際にやってみていかがでしたか?

ミツ蜂 – アニメーションの良さでもある「キャラクターが走っている」とか「振り向いた仕草」とか、そういう所作を描きたいという欲は、正直あまりないんです。ただ、一枚絵を軸にしたアニメーションには前々からすごく興味がありました。Guianoさんの『光線歌』でも、アニメーションを取り入れています。実は大学の卒業制作でも、彫刻作品と合わせてループのアニメーションを制作しました。

インスタレーションのようなイメージですね。在籍された彫刻科の提出課題としてアニメーションは意外な発想だったのでは?

ミツ蜂 – そうかもしれません。真ん中に金属の立体作品を置いて、その周りに液晶を3枚並べて、ループしたアニメーションを音楽と一緒に流すという作品でした。真ん中に設置したのは40センチほどの女の子の彫刻です。ボロボロになった女の子を金継ぎのように溶接することで表現し、アニメーションではその女の子が少しづつ回復に向かうイメージを描きました。

金沢美術工芸大学彫刻科の卒業制作として制作された。中央の立体作品と、それを囲む3枚の液晶に映し出されたアニメーションによって、死の淵から生を取り戻していく様を表現している。

「メロディーより先に、まず言葉がある」——タイトルを起点にした制作

卒業制作から一貫して、ミツ蜂さんの作品には言葉やコンセプトが強く息づいているように感じます。数々のMVイラストを手がける際、まず楽曲のどこを見て制作に入るのでしょうか。

ミツ蜂 – まず最初に意識するのはタイトルです。楽曲のタイトルを一番大事にしているかもしれない。次に歌詞、その次に曲調です。色合いなどは曲調から決めています。

メロディーよりも先に、まず言葉があるんですね。

ミツ蜂 – そうですね。

吉田ユニ、マグリット、川瀬巴水——イラストの外から「構図」を掴む

「apple」

MVイラストでは楽曲のイメージに寄り添いながらも、その中でミツ蜂さんの絵柄も確かに存在感があるように感じます。特にこだわっているのはどんな所でしょうか?

ミツ蜂 – 全ての作品に共通して言えるのは、構図だと思います。バランスや発想、着眼点などは吉田ユニさんの作品から影響を受けています。マグリットも好きです。

新版画の木版画家・川瀬巴水からの影響もあると伺いました。イラスト以外のジャンルからの影響が大きいのですね。

「汚れている状態を、最も美しく見せる」——Guiano『月』で楽曲とイラストが噛み合った瞬間

Guiano『月』MVイラスト

その「構図」と作家性が見事に噛み合ったのが、Guianoさんの『月』のMVイラストのように思います。卒業制作の金継ぎにも通じる、つぎはぎや破れかかったスカートをまとった女の子が描かれていますね。

ミツ蜂 – そうですね。学生時代からずっと、「マイナスのものをプラスに変えるエネルギー」のようなことを考えていて。『月』のイラストも、服が破れた女の子が踊っているのですが、「自分が汚れている状態を最も美しく見せる」という、楽曲自体のコンセプトとすごくマッチして、「噛み合った」という感覚がありました。構図も含めて自分の作風を反映して描くことができた、とても印象に残っている作品です。

マイナスをプラスの方向に描く、というのはミツ蜂さんの作品全体に通底しているものなのでしょうか。

ミツ蜂 – 全部ではないかもしれないですけど、かなり自分の根っこになっている気がします。

「マイナスのものを、プラスに変える」。学生時代から彼女の根底にあるその感覚は、やがて「死の直前にこそ宿る煌めき」というモチーフへと結びついていく。彼女の描く儚さは、救いなのか、諦観なのか——その輪郭は、後編で語られる「3つの映画」によって、はっきりと姿を表すはずだ。そして、初個展「擬花」をはじめ、これまで作品に度々登場する、2つの大切なモチーフとは。(続く)

■ミツ蜂 個展「擬花 -ギカ-」

・会期:2026年9月18日(金)〜9月23日(水)
・営業時間:11:00〜21:00(変更の場合があります。詳しくは公式サイトをください)
・会場:GAAAT GALLERY(〒150-0001 東京都渋谷区神宮前六丁目20番10号 MIYASHITA PARK South 3階)
・公式サイト:https://gallery.gaaat.com/pages/mitsubachi?srsltid=AU7gw4Xb3NUXt3JCbfPG8mkHA9MpufNNbfYf0tMmqKbKCuXBFicBPy-_

ライブ会場で、私たちは「物語」を読んでいる。ステージという名の巨大インスタレーション – 後編

前編では、国内外の野外フェスがいかに「会場そのもの」を巨大な没入型インスタレーションへと変貌させてきたかを見てきた。

後編となる今回は、一歩踏み込んで「ステージそのものが生み出す物語」、そしてアートとテクノロジーが交差するライブ表現の最前線に焦点を当てたい。

推しの「脳内ストーリー」を解読する楽しさ

アーティスト本人の頭の中にあるコンセプトを、美術監督や照明技師たちがどう理解し、どう「物理的な空間」に翻訳したのか。その制作秘話を知ると、ライブ鑑賞はもう一段面白くなる。そしてステージにちりばめられたモチーフや色使いから、観客が「伏線」を読み解き、SNSで考察をシェアすることで初めて完成する。これもまた、体験型アートならではの構造だ。

わかりやすい例が、2026年のコーチェラでヘッドライナーを務めたサブリナ・カーペンター。
ステージ全編を通して、彼女のセットは往年のハリウッド映画への壮大な讃歌として組み立てられていた。「SABRINAWOOD」の巨大サインを背に、ステージはレコーディングスタジオ→バー→ダンススタジオ→ブロードウェイ風の街並みへと次々に姿を変え、ウィル・フェレルやサム・エリオットら豪華ゲストの映像出演も加わり、もはや一本の映画のよう。曲間に張り巡らされた映画的引用を拾い集める作業は、謎解き的とも言える。観客参加型の考察があってこそ、このステージの楽しみがより一層深くなる。

ビヨンセ「Renaissance World Tour」の様子 / TAIT 公式サイトより

もう一つ、制作過程まで含めてまるごとアート作品として語られてきたのが、ビヨンセの「Renaissance World Tour」だ。
手がけたのは、舞台美術家として世界的に知られるエス・デヴリン。ステージ建築チームと2年近くをかけて、redlining(人種による住宅ローン差別の歴史)やロデオ文化の再解釈、監視社会への眼差しといった重いテーマを、LGBTQ+のボールカルチャーが持つ喜びと輝きで包み込むという構想を練り上げたという。完成したのは、巨大な円形ポータルを中心に据えた「穴の空いた、スタジアム規模の映画」ともいうべきステージだ。ショーの進行とともに、ステージはディスコ・カウボーイの世界からメタリックな宇宙空間へと姿を変え、フィナーレでビヨンセがミラーボールのような馬にまたがって登場した瞬間はSNSで大きな話題を呼んだ。

存在しないはずの“実体”を読む — 初音ミクがもたらした文化の転換点

2009年の初ライブ以来、国内外で絶大な人気を誇る初音ミク。2026年に開催された「HATSUNE MIKU EXPO 2026 North America」では、北米15都市を巡り、およそ10万人を動員した。 / ライブパフォーマンスの様子①(『DECORATOR』livetune feat. 初音ミク) / PRTIMESより

空間と身体性の関係性を語るうえで、どうしても外せない歴史的転換点がある。それが「初音ミク」をはじめとするバーチャルシンガーのライブ表現だ。

バーチャルシンガーが初めてリアルのライブ会場に姿を表したのは、2009年の『アニメロサマーライブ2009 -RE:BRIDGE-』のステージだ。およそ2万5千人が集まるさいたまスーパーアリーナで初音ミクが発した第一声、「みなさん、はじめまして。初音ミクです!」は、今なお語り継がれる伝説だ。

物理的には「実存しない」彼女が、ステージ上でバンドの演奏と同期し、完璧な振り付けで歌い踊る。ステージで私たちが目撃したのは、単なるキャラクターのホログラム投影ではない。

照明、音響、そして観客が掲げるペンライトの光の波が完璧に噛み合った瞬間、ステージ上の「光の粒子」は確固たる物理的実在感を持ってそこに立ち現れる。それは、メディアアートや彫刻が歴史的に取り組んできた「不在と存在」をめぐる問いを、大衆エンタテインメントの場で完璧に解いてみせた文化的大事件だった。観客自身が緑色の光を発して空間を満たすことで初めて作品が完成する構造も、極めて現代アート的と言えるだろう。

音と映像を同位相で刻む — VDJたちのライブ空間

そして音楽ライブにおける「映像」を、単なるバックビジュアルから「リアルタイムの即興彫刻」へと引き上げた立役者として、VDJも触れない訳にはいかない。

音をリミックスするように、映像をその場でカットアップし、エフェクトを掛け、音圧と完全同期させて空間に打ち出す。代表的な例として知られるのが、UKクラブカルチャーの伝説的ユニット「Coldcut」や彼らが設立したレーベルNinja TuneによるVJパフォーマンス、あるいは90年代後半〜2000年代にかけてクラブシーンを席巻した Hexstatic などのアプローチだ。

彼らのライブでは、スクリーンに映し出される映像は「飾り」ではない。音の周波数やビートと直接連動し、視覚と聴覚の境界を消失させる。目の前でめまぐるしく解体・再構築されていく映像群は、まるで抽象画がリアルタイムで描かれていくプロセスを見ているかのようだ。再生ボタンを押すだけのVJセットとは一線を画す、音と映像がその場で激突するセッション。あれもまた、二度と同じ瞬間を生み出せない「一回性のアート」だった。

空間そのものが意思を持つ — ラスベガス「Sphere」での革新的ライブ

そして今、没入型空間の究極系として世界の度肝を抜いているのが、ラスベガスに誕生した巨大球体アリーナ「Sphere(スフィア)」だ。

記念すべき初興行となった「U2:UV Achtung Baby Live at Sphere」や、続く Dead & Company の連続公演などは、それまでのライブ演出の概念を全く変えてしまった。会場全体を包み込む16K解像度の世界最大級超高精細LEDスクリーンの前では、もはや地上や天井の境界線すら消えてなくなってしまう。

U2の公演では、数千メートルの砂漠の風景が目の前に突如現れたかと思えば、巨大な数字のコードが視界を埋め尽くし、スタジアムそのものが歪んで崩壊していくような錯覚に陥せられた。観客は「ステージ上のバンドを見ている」のではなく、「バンドが解き放った世界観の胎内」に吸収される。建築、デジタルアート、音響システムが極限まで融合した Sphere のステージは、まさに2020年代における空間彫刻の最高峰だろう。

「現代アートの文脈」と溶け合うステージ

実は、このような最先端テクノロジーだけでなく、「現代アーティスト」がステージ制作の文脈に深く食い込んでいる例は、探すといくらでも見つかる。

静岡・伊豆の野外ダンスフェス「Rainbow Disco Club」では、アーティストのYOSHIROTTENが2019年と2022年にインスタレーションを発表。2022年は、コロナ禍のさなかに1日1枚、365日かけて手作業で着彩した銀色の太陽のイメージ群「SUN」シリーズを、光と映像を駆使した大規模インスタレーションとして披露し、ダンスフロアそのものを一つの作品に変えてしまった。

海の向こうでは、現代アーティストのトム・サックスが2002年に手がけた、高さ2.4メートル・幅3.6メートルの巨大スピーカー彫刻「Toyan’s」が、時を経て2016年のフランク・オーシャンの映像作品「Endless」の倉庫セットに登場。トム・サックスは彫刻を貸し出しただけでなく、作品内の階段の造作にまで助言していたという。

デザイナーや現代アーティスト自身が空間設計の根底に関わっているという事実こそが、「ライブ演出はアートである」という直感の何よりの裏付けになる。

拡張していくライブ体験 — ツアーグッズやIPで「物語の断片」を所有する

TYLER, THE CREATOR来日公演に合わせて開催されたPOP-UPストア『DON’T TAP THE GLASS』 / Sony Music Entertainment公式サイトより 

最後に、ライブ会場で気づけば自然と財布の紐が緩くなってしまう、油断できない「物販」も忘れてはいけない。会場の世界観が詰まった公式パンフレットやアートポスター、グッズを買うことは、大仰に言えばアーティストとクリエイターたちの思考の痕跡を部屋に持ち帰る行為とも言える。

その最たる例がタイラー・ザ・クリエイターだ。ツアーのたびに、自身のブランド〈GOLF WANG〉〈GOLF le FLEUR*〉と連動したポップアップストアを世界各地に展開し、アルバムごとのキャラクターや世界観をそのままグッズに落とし込んでいく。2025年の来日公演でも都内でポップアップイベントが開かれ、公演前から独自の期待感を醸成。彼にとってグッズは記念品ではなく、アルバムという物語世界を拡張する装置そのものになっている。

さあ、今夜のステージを読み解こう

ライブステージとは、一夜限りの儚い、でも巨大な物語体験だ。照明の切り替え一つ、映像と音の同調、透過スクリーンに浮かぶ光の一筋にまで思いを馳せ、演出の意図を深掘りしようとする。その視点は、現代アートを深く味わう力になるかもしれない。とまあ、そうは言っても、会場ではそんなこと忘れてただただ熱狂の渦に身を委ねる。結局は、それが一番なのかもしれない。

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