独立系映画スタジオの美学

表現物は、全て独りによって作られるものとは限らない。

ある種の人々は、展覧会に並ぶ全ての作品は作家たちが独断で作りあげ、その後からプロデューサーやキュレーターが並べ上げると考えているが、作品制作における判断という意味では、それは間違いだ。

たとえば美術の領域では、ギャラリーや美術館での展示に際してキュレーターが監督となり、作家たちと対話をしながら一緒に展示物を作り上げていく。作品が公にされている限り、作家以外の判断が制作に介在することを考慮すべきだ。

この構造は、資本と技術が大人数の手によって作られる「映画」という領域において、より顕著となる。映画スタジオは単なる出資者ではない。それは監督と共に、作品のDNAそのものを書き換える「第二の監督」なのだ。本稿では、巨大資本から自立した「独立系映画スタジオ」をいくつか取り上げ、彼らが映画文化において刻んできた固有の判断(キュレーション)を浮き彫りにしたい。

「独立系映画スタジオ」とは

そもそも記事の題名にもある「独立系映画スタジオ」とは何を指すか?

それは、大手企業の傘下で莫大な他事業の利益をそのまま製作費に充てられるメジャースタジオとは一線を画す。独立系映画スタジオとは、自社で資金調達から配給までを完結させる映画スタジオを指し、その構造は、一見すると脆弱だが、裏を返せば「表現の自由」を担保する大きなアドバンテージとなる。

メジャーは「絶対に外せない」興行収入のために王道映画を作り続けるのに対し、独立系は配給段階でミニマムな資金回収を設計することで、先進的な映画の実験場を確保する。それゆえに、作家自身が自らの城(スタジオ)を築き、自身の表現を守りながら他作家の制作を支援するというシステムがしばしば誕生するのである。

1. エリック・ロメール:Les Films du Losange

戦後フランス映画界を震撼させたヌーヴェルヴァーグ。ジャン=リュック・ゴダールらの活動によって映画文化に大きな影響を与えたこの運動は、即興的な撮影を取り入れ、従来の演劇的な映画文化に新たな可能性を提示した。この潮流から現れた巨匠エリック・ロメールは、自身の表現により柔軟性を持たせるため、1962年に映画スタジオ「Les Films du Losange」を設立する。

ロメールはここを拠点に、連作『六つの教訓話』という映画史に残るシリーズの制作を開始した。注目すべきは、この極小のスタジオが、映画の作品商標を巧みに運用することで資金を循環させている点だ。現在までにミヒャエル・ハネケらの傑作を含む80本以上のライセンスを保有している。この資金繰りを卓越した経営センスで動かしてきたのが、本スタジオの代表であり名プロデューサー、マルガレット・メネゴズである。彼女の経営スキルとロメールの審美眼が交差し、60年代にひっそりと始まったスタジオは、フランス映画史のアーカイブとしての役割も果たしている。

2. アピチャッポン:Kick the Machine Films

時代と国を跨ぎ、タイの現代映画に目を向ければ、スタジオは「政治的シェルター」としての機能を持つ。映画監督アピチャッポン・ウィーラーセタクルが1999年に設立した「Kick the Machine Films」がそれだ。

アピチャッポンの映画は、タイの土着的な神話と静寂な空気を交差させた詩的なものだが、それを語る上でタイの過酷な政治事情は無視できない。上映前には国王への起立が義務付けられ、検閲が日常化しているこの国において、直接的な政治批判は大きなリスクとなる。アピチャッポン自身も、非常にわかりづらい方法で政治的なメッセージを映画に取り入れている。アピチャッポンは、自身の国際的な人脈と資金を元手に、このスタジオを通じて若い作家たちの尖鋭的な表現を支援し続けている。大手がリスクを恐れて忌避する表現を自前のスタジオで担保する。ここでのスタジオの「判断」とは、単なる美学的チョイスではなく、政治的弾圧に対する抵抗なのだ。

最後に、日本における大規模な独立系スタジオの老舗、東京テアトル(1946年設立)の功績に触れておきたい。彼らの戦略は、制作から興行(映画館)までを一貫して行うシステムにある。

このスタジオは他事業の運営と並行して、テアトル新宿やキネカ大森といった個性的な劇場を運営することで、彼らは独自の資金回収ラインを確保している。これにより、日本の映画文化に「ミニシアター」という豊穣なジャンルを定着させたのである。『さかなのこ』や『南極料理人』に代表される彼らの作品群は、決してハリウッド的なメガヒットを狙うものではない。

3. 東京テアトル

メジャーの熾烈な競争からゆるやかに離脱し、インディーズの実験性をメジャーの流通に乗せる。この絶妙な「架け橋」としての経営判断こそが、日本の映画ファンに多様な選択肢を提示し続けてきた。東京テアトルは興行を自らコントロールすることで、映画文化そのものを耕し続けているのだ。

不可視の共犯者

映画のクレジットに流れる無数のスタジオのロゴ。それらは単なる資金の出どころの証明ではない。ロメールの自由も、アピチャッポンの抵抗も、東京テアトルの文化的多様性も、スタジオという「枠組み(システム)」がもたらした判断の産物だ。

私たちがスクリーンに見る光と影の裏側には、常にこうした不可視の共犯者たちの、冷徹で、かつ情熱的な「キュレーション」が存在しているのである。

【インタビュー】出水ぽすかの緻密な世界 – 後編

前編では、出水ぽすかの創作の原点や、美術から漫画へと至る過程を聞いた。後編では、作画という役割への向き合い方、コラボレーション、そして現在の制作について掘り下げていく。

作画という立場で描くということ

りんご飴の工場 (2025)

作画として作品に関わる際、原作を読んだときのイメージはどのように立ち上がるのでしょうか。

出水ぽすか(以下:出水) – そうですね…これ描きたいなと思ったら、すぐ手が動く感じではあります。他の人と比べたことがないので分からないですが、多分そういうところはあると思います。

絵を描くとき、最初に浮かぶのは背景とキャラクターのどちらですか?

出水 – 今はキャラクターですね。昔は背景だった気もするのですが、漫画を描くようになってからは「まずキャラを描かないと」という意識が強いです。

一方で背景も印象的です。

出水 – 背景については構図を考えることが多いです。奥行きや近景と遠景の対比などシーンによってどんな場面が適切かをフレキシブルに描き分けている気がします。

散歩する時にスマホは置いていく

朝はパン(2025)

喫茶店で作業されると聞いたことがあります。

出水 – そうですね。今はあまり行けなくなったんですけど、昔はよく行っていました。遠方の気になる喫茶店にも行くこともあります。

目的は作業ですか?それとも気分転換?

出水 – どちらかというと、歩くことですね。家にいるとずっとこもってしまうので、外でいろんなものを見たいなと。

散歩のときに持っていくものはありますか?

出水 – 逆にスマホは持っていかないです。紙と鉛筆だけ。スマホを見てしまうと意味がないなと思って。だからよくスマホの歩数計がゼロなんです笑。

アナログとデジタルのあいだ

制作環境についても教えてください。現在はデジタル中心ですか?

出水 – 仕上げはデジタルですけど、下描きは今でも鉛筆です。完全デジタルだったのは『BEYBLADE X』の2022年くらいからですね。

紙と鉛筆を使い続ける理由は?

出水 – 楽だからですね。充電しなくていいので(笑)。

道具にこだわりはありますか?

出水 – 紙は普通のコピー用紙ですが、鉛筆は『約束のネバーランド』で作ってもらったグッズを使っています。グッズが発売されるとサンプルを頂けることがあるので、使えるグッズは全部使う派です。マグネットとか布団カバーも普通に使っていて、特に気に入っているのがオルゴールです。

影響と原風景

目を覚ませ、船だ (2016)

出水先生の描くキャラクターは西洋的な印象があります。

出水 – 学生時代は美術系を目指していたこともあってレンブラントなどの絵画や、国内アーティストでは井上直久の画集などを見ていました。あと子どもの頃にやっていた海外のゲームの影響が大きいと思います。親がパソコン好きで、Windows95とかにあったCDとか「洋ゲー」が家にいっぱいあったんです(笑)。父親が買い与えてくれて遊んでいましたが、ほとんどがもう手元にはありません。ただ、昔持っていた「little big Adventure」というゲームのリメイク版がsteamで登場したのですぐに購入しました(笑)。

実際に海外に行かれたことは?

出水 – 大人になってからは時々旅行にも行きます。連載やコロナ禍で最近は行けてないんですが…。マダガスカルやポルトガル、タイやモンゴルでの思い出が印象的です。

なかなか珍しい旅行先…。

出水 – マダガスカルは、ドリームワークス・アニメーションによる『マダガスカル』が好きで実際に見てみたかったんです。現実は色々大変だなって思いました。もともとフランス領だったこともあり、食事はフランスの影響が強く残っていました。お腹も壊したりしたけど…。

旅先マダガスカルでの風景

コラボレーションでも消えない“個性”

CHANELや荒木飛呂彦さんなどバリエーション豊かなコラボレーションをされていますが、そんな中でどのように個性を出していますか?

出水 – 個性を出そうとしているわけではないんですが、隠そうとしても出てしまうものだと思っていて。なので、私はむしろ全力でコラボレーションする相手に合わせにいくようにしています。それでも結局出てしまうので、それでちょうどいいかなと。

SNSとの向き合い方についても教えてください。

出水 – Xはどうしても編集さんとかも見ているのもあって、仕事の延長みたいに感じてしまうこともあります。だからpixivは癒やしの場ですね。趣味の絵を投稿したり。色々なSNSをやっているんですけど、どれもが自分の一部なんですが、それぞれの役割や関わり方が違っています。

社会的な発信についてはどう考えていますか?

出水 – あまり創作と関係のないことは、無理に発信しなくていいかなと思っています。もちろん家族と話し合ったり考えることはありますけど、それを作品の場に持ち込むかは別なので。

最後に、これから挑戦したいことを教えてください。

出水 – 大きな挑戦というよりは、とにかく趣味の絵を描き続けたいですね。果物の絵とか、宇宙のイラストとか。ラフだけ描いて放置しているものがいっぱいあって。ありがたいことに趣味の時間をなかなか取れないのですが、自由に絵を描くのをやめたくないなと思っています。それがなくなると人生じゃなくなるので。

出水ぽすかの描く作品からは言葉以上の何かを受け取ることができる。それは仕事であっても趣味の絵であっても変わらない。そこには一貫した「自分が見た世界をどう描くか」という問いがあるからだ。淡々と語る一言一言にも出水自身の鋭い視点が垣間見えたインタビューとなった。これから描かれるのはどんな景色だろう。でもきっとまた、私たちをどこか素敵な場所へと連れていってくれるのだろう。

【インタビュー】加賀美健の、ホントの話 – 後編

「トイレを見ると人となりが分かる」って話を聞いたことがある。何度回数を重ねてもインタビューは毎回緊張するもので、それが時々膀胱を刺激してきて困っている。この日もあいにくで、アトリエでトイレをお借りした。戸を開けると大小様々なすっぽんが20本近くあって、「ああ、おれは今加賀美さんの所に来ているんだ」と、改めて実感した。

とまあ、後編です。

流行ったら飽きられちゃうから

他人からの評価が気になることはありますか?

K – んー、例えば流行ったらそれを続けるのって難しいよね。流行りが終わっちゃったら大変だし。

流行らないように気をつけている?

K – 俺、絶対流行んないもん。別に流行るようなことしてないから、それは安心してる(笑)。わかんない、流行ったら流行ったで嬉しいのかもしれないけど、SNSとかで「いいね」が増えてきたら、それはもう危険信号。だって、流行るってことは理解されるってことだから。例えば、僕が1つの絵を描いて、「これこそが加賀美健だ」みたいな形で人気が出たとしたら、もうそれしかないじゃない。僕はやりたいことがいっぱいあるので、何が加賀美健なのか、いつまでもわからないような状態にしておきたい。ステッカーとかは結構目につくけど、やっぱりそれだけじゃない。色々と揺さぶっていた方が、見てる側も飽きないと思うし、何より自分も飽きないから。だからこんだけ色々やってるんですよ。セパバス(SEPARATE BATH & TOILET)もそうだし、「STRANGE STORE(ストレンジストア)だってそうなんです。

恥ずかしさも作品になるパフォーマンス

様々な活動の中で、海外での活動も積極的ですよね。日本と比べて反応の違いは感じますか?

K – 感じますね。僕、英語喋れないんだけど。

えっ、喋れないんですか?

K – 喋れないですよ。でも、海外の観客はノリがいい部分はある。僕はアートフェアとかでパフォーマンスをするんですけど、海外の人は面白いと思ってバーっと見に来る。日本人はシャイだし、空気を読むじゃない。僕のやるパフォーマンス、結構クセが強いから。

どんなことを?

K – 似顔絵なんだけど、男には「男性器」を描いてあげて、女性には「胸」を描くっていう。その人を目の前にして、顔からその部分を想像して描く即興のパフォーマンス。

どんな反応になるんですか(笑)。

K – 笑ってたりね。どんなのが描かれるか周りの人からも見られるわけだから、恥ずかしいじゃない。実際に出して描いてるわけじゃないけど、僕が勝手に想像して描く。周りも笑ってる。それも全部含めて作品なんです。描かれた人も作品になっちゃうっていう。ただ、この前香港でやった時は、キュレーターの人から相談を受けて少し変えたんです。男女共に好きな方を選べて、両方描いてほしい人がいたら両方描いてあげるように。

ずっと変わらない姿

昔の写真とかインタビューを拝見しても、今と全然変わりませんよね。外見もそうだし、考え方だったり。

K – 逆にどういう風に変わるの?

例えば大きな挫折だったり、自分を変えざるを得ない状況ってたくさんあると思うんです。

K – 挫折か、そもそも挫折とか失敗とは思わないかな。

今回は失敗だったけど、もう一回やれば成功するかもみたいなことですか?

K – 成功するかもとも思わないですね。

え?

K – やり続けるってことですよ。別に好きだから、面白いからやってるだけで。だから面白くなかったらいつでもやめると思いますよ。それがたまたま仕事になってるだけで、仕事が先になっちゃったら多分大変なんじゃない。仕事にしないといけないってマインドになるから、そうすると多分とてつもなく作品がつまんなくなっちゃうと思う。

あー、なるほど!

K – だけど今の子たちって先に仕事にしようと焦っちゃうから。だから大変なのよ。アートなんてめちゃくちゃ時間かかるから。

そうですよね。

K – 1年が10年ぐらいかかる仕事なんで。って言うと、みんなやっぱり「あー…」ってなっちゃうみたい。

仕事と趣味の境界はどのように考えてますか?

K – もう一緒ですよ。むしろ趣味がないんで。仕事が趣味の延長に近いです。僕としてはただ好きなものを集めて作品にしたり、発表したりしてるだけです。

「アートなんて遅咲きの方が絶対いい」

趣味の延長で結果的に仕事になったとのことですが、食える、食えないはもちろん大事で、結婚やお子さんが生まれたりしたタイミングで心境に変化はありましたか?

K – ないです。なんとかなるだろうなと思って。もちろん全然仕事になんなかったら他の仕事すればいい話だから。

その覚悟みたいなものは常にあった?

K – 今でもあります。何もしないでは生活できないし。

日本でアート活動を始められて、最初の10年ほどはアルバイトを続けていたそうですが、当時は将来への不安とかもなかったですか?

K – ずっと不安ですよ。死ぬまで不安です。だって不安がなきゃ多分ダメなんじゃない。

なるほど。逆に。

K – だってあるでしょ?

ありますね(笑)。でもそれを何とかなくそうと努力しちゃうと思うんです。

K – でも、消えないでしょ?消えたら多分面白くないですよ。不安の質にもよるけど、漠然と「どうなんだろうな」みたいなものはずっと持ってるし。 

今もあると。

K – いや、ありますよ。もちろんある。考えすぎて体調を崩してしまったりしたら大変だから、そのバランスは大事だけどね。

あとは、バイトしてた時は長い目で見ていたから。いきなり仕事が来たら逆にそっちの方が不安かもしれない。いきなりブレイクとかしちゃったら、多分ブレイクってほら、「壊れる」って意味だから、そっちの方が怖いかな。

絶対遅咲きの方がいいんですよ、何でも。特にアートなんて遅咲きの方が絶対いい。年齢と順を追って、徐々に作品が高くなっていくのが理想的だよね。徐々に徐々に進んでいく。スタイルを崩さず。だからアートは時間がかかるの。おじいちゃんになった時にいい感じになるっていうのが最高だよね。

長時間お話を伺って、最初に目指した「本当の加賀美さんを知る」ことが出来たかは正直分からない。あとがきで簡単にまとめる、ましてや一言で彼の魅力を語ることも到底出来ない。ライターとしてはいけないのだろうが、もし言葉に出来たとしても、それをすることは野暮な気もしている。ただ一つ思ったことは、彼みたいな大人になりたい、それだけは確かだ。

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【インタビュー】加賀美健の、ホントの話 – 前編

大人が「うんち」で笑っていたら、僕はおかしいと思う。普通はそうなのだが、加賀美さんの作品に「うんち」のオブジェやイラストがあっても、納得できる。「うんち」どころではないモチーフが登場することも少なくない、それなのに品すら感じさせるのはどういうカラクリなのか。「実家帰れ」を始めとした手書き文字のステッカーで感じる、妙に腑に落ちるあの感じは何なのか。ずっと好きで見てきたのに、分かるようで分からない。いや全く分からない。今日こそは、本当の加賀美健の輪郭だけでも捉えるぞと、意気込んでアトリエのインターフォンを押した。

返信があまりにも速い

今日までのメールのやり取り、人生で出会った方で一番返信が早かったです。冗談抜きで1分経たないで返ってくるくらいの感覚というか。

加賀美健(以下:K) – せっかちだからね。

そういう理由なんですか。早いっていう次元じゃないと思うんですよ。

K – AIみたいでしょ?よく怖がられるもん(笑)。「ちゃんとしよう」というより、社会人としてやりやすいじゃん、そっちの方が。気持ちよく仕事できた方が絶対いいし、僕もそっちの方がやりやすい。ただそれだけですよ。

いつでも返せるように構えているんですか?

K – いや、そういうわけじゃないです。 ポンと来たらパッと見るじゃない。 だって仕事中ですよ。少し考えなきゃいけない内容だったら一旦置くけど、基本的にすぐ返信する。ジャッジが早いっていうのはあるかもしれないですね。 別に考えてもしょうがないので。 

それは作品もそうですか?

K – 早い。作品の方が早い。

慣れたリズムで生み出す作品たち

この日は加賀美さんのスタジオにお邪魔してのインタビュー。スタジオ内での写真も合わせてお届けする。

それは一体何故ですか?やはりせっかちだから?

K – そうですね。あとは、このリズムでずっとやってきてるから。

自分の気持ちいいテンポみたいな。

K – そうそう。

創作において熟考したり悩んだりすることはありますか?

K – ないですね。それが良いか悪いかではないと思うけど、僕の場合はただ本当に“早い”っていうだけです。

制作が早いと必然的に作品の数も多くなると思いますが、世に出してしまって後悔したことはありますか?

K – すぐ忘れちゃうから、次って感じで。インスタもすごいスピードで上がるでしょ。アイデアとかのメモ代わりに使っているんですけど、あれでも抑えてるんですよ。本当だと1日100投稿くらいできちゃうんだけど、それだとまた怖がられるから(笑)。

メッセージを込めない創作スタイル

様々なタイプのアーティストの方がいる中で、例えば「感情」と創作活動が密接に繋がっている方もいますよね。加賀美さんの制作においてその辺りはどう関わってきますか?

K – 創作への影響とかは絶対あると思います。じゃあどんな感情ですかって言われたら難しいけど。基本的に作品にメッセージを入れないようにしていて。そういうものには全く興味がないかな。人一倍ニュースも見るし、頭の中では色々考えているけど、それを作品に込めるかどうかは全くの別物。作品に落とし込んで、それを人に見せることには全く興味がないです。それよりももうちょっとわからないものを表現したいから。今後も自分の表現とか発言とかでそういったことは一切ないと思う。

海外のアーティストの方だと、そういった「メッセージ性」が強い人が多い印象があります。

K – そういう方が評価されるからね。

加賀美さんは日本でのアーティスト活動を始める前、1年半ほどサンフランシスコに住んでいらっしゃいますが、その時の影響はありますか?

K – そういう意味で言うとないと思う。やっぱりよくわからないものが好きです。

加賀美フォントの、ホントの話

あの「加賀美フォント」が出てきたのはいつ頃なんですか?

K – あれはね、もうお店を作ってから。ストレンジストア。16年前。

そんなに前なんですね。

K – そう。「実家帰れ」とか適当にステッカーに書いて、それを友達に配ってたの。で、友達が携帯の裏とかに貼るでしょ。それを見た別の友達が「なんだこれ?」ってなる。もうそっからどんどんどんどん。適当なシールに日本語で変な文字を書いたりして、インスタに上げてたの。そしたらそれが広がっていって。

一目で加賀美さんの文字だと分かります。実は相当練習されているんじゃないですか?

K – 昔からずっとあの字ですよ(笑)。キース・ヘリングとかピカソとかウォーホルとか、有名なアーティストの字って見ればわかるでしょ。自分の字で書いてるから、必ずサインとかにも個性が残る。僕の場合は、白い紙に日本語で書くっていうのを作品にする人があんまりいなかったから、ずっと続けるうちにイメージが付いたんじゃないですかね。だから、ほんとは紙とペンさえあれば誰でもできますよ。ただ、僕の字はちょっと癖があるから、見ると結構忘れないでしょ。

本当はめちゃくちゃ計算して書いているのかな、と(笑)。

K – してない。してたら寒いでしょ。しててこれやってたら、逆にすごいけどね(笑)。

まあそうですね(笑)。フォントとして登録などはされてない?

K – してないしてない。登録なんて多分できないです。今日「あ」を書いたとしたら、明日の「あ」は違うから。丁寧に書けって言われても書けないし、もうこれが普通。仕事で字を書く依頼もたくさん受けてるけど、基本的に全部一発書き。毎日普通に字を書くのと、何ら変わりないです。

アーティストには「イライラ」が必要

書いている内容はシニカルでありながら、嫌な感じが一切しないのが本当に不思議で。そこは注意していますか?

K – そこは気をつけてる。あんまり強すぎちゃうとね。書いてる内容は結構インパクトあるんだけど、この字でなんとなくまとまってるっていうか。これを綺麗な文字で書いてたりしたら、面白くないじゃない。

内容自体は加賀美さんの本心ですか? お話ししているとすごく穏やかな印象で、そこのギャップが不思議です。

K – いや、考えてることはこういうことですよ。頭の中は常にシニカルだし。で、割と常にイライラしてるんで。絶対イライラしてなきゃダメなんですよ、アーティストは。イライラしてる方が、作品は面白くなる。

加賀美健にとって、アートって何?

コマーシャルワークとアート活動は分けて考えていますか?

K – 同一線上なんだけど、一緒かと言ったらちょっと違うかも。気持ちの持ちようというか。ギャラリーでの展示とか海外の時は、もうちょっと現代美術の文脈に寄せて頭を作る。

具体的にどういったことでしょう。

K – 海外なら、キャンバスに書く日本語を英語に変えるとか、それくらい。でも、そうすることでアートとして考える。……まあ、難しくてね。そう言われると。

加賀美さんは美大には通われていないですが、昔からアートがお好きですよね。自由なスタイルを見ていると、どこからがアートだと考えているのか気になります。STRANGE STORE(ストレンジストア)もお店自体が作品で買うことが出来たり、インスタだって、あれ自体に作品性があるように思えます。

K – その辺りは難しい。でも、全部アートって言うと卑怯だよね。

まあそうですね。

K – だけど、結局アートって、文脈だったりそういうのを分かってないと楽しくないジャンルなんですよ。興味が無いスポーツの試合とか見ないでしょ?それと一緒なんですよ。アートに興味がなかったらアートなんて見ない。で、値段が高いと「なんでこんなのが高いんだ」って文句を言う。だけど、アートの文脈を多少なりとも知ってたら、意外と面白いと思います。

知識があるから楽しめる、と。

K – 演歌だって聴かない人は聴かないけど、好きな人はその人のルーツまですごい詳しいじゃない。それと同じ。アートって範囲が広すぎて説明できないけど、ジャンルや仕組みを知れば知るほど楽しめるものだから。

ご自身のそのアート文脈での立ち位置についてはどのように考えていますか?

K – 自分のやっていることに関しては、全てアート活動としてやってるかな。それを言葉で説明するのは難しいし、僕の中での解釈があって楽しんでいる感覚。例えそれを誰かに説明しても多分面白くもないし。だから僕の活動を見て、「なにこれ」って引っかかる人が面白いがってくれればいいんじゃないかな。

後編では、アーティストを続ける理由とその覚悟、「遅咲きの方が100%いい」と語る意図を紐解きます。海外での衝撃パフォーマンスのお話も。

お楽しみに!

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【インタビュー】出水ぽすかの緻密な世界 – 前編

出水ぽすかは幻想的な風景と緻密なキャラクターデザインが魅力的なイラストレーター・漫画家だ。『約束のネバーランド』の作画では全世界にその名が知られるようになった。ずっと絵を書き続けていたというその半生を、出水本人の言葉を通して創作の原点と生活のことについて伺った。

モンスターのイラストから始まった出水ぽすかの原点

まず最初に、漫画やイラストを始めたきっかけを教えてください。

出水ぽすか(以下:出水) – どこを最初にするか難しいのですが、投稿でいうとpixivに上げ始めたのは2008年くらいだったと思います。当時は「人外系」と言われるジャンルやモンスターなどのイラストを描いていましたですね。

オリジナルですか?

出水 – そうですね。もともとRPGのゲームを作りたいなと思っていて、そのためのキャラクターを描いていました。pixivってイラスト中心なので、とにかく画力を上げたいなって思ってました。やっぱり絵が上手い人が多くて。

雪道特別快速 (2012)

影響を受けたものはありますか?

出水 – 子どもの頃は『ポケットモンスター』とか『ファイナルファンタジー』がドンピシャの世代でした。そういうファンタジーやモンスターの影響は大きいと思います。当然のようにそういうゲームで遊んでいたので、自然と将来ゲームが作れたらいいなと思っていました。

自身のスケッチやイラストを人に見せることはありましたか?

出水 – 大学が美術系だったので、見せる機会はありましたね。あとは、中学高校の頃から学校のパンフレットに絵を描いたりとかもしたので、当時から人に見せたいとは思って絵を描いていたと思います。

進路に悩んだこともあった

もともと美術の道に進もうと思っていたんですか?

出水 – 高校の頃から漫画は好きで投稿や持ち込みもしていたんですけど、最初から一本でいく自信はなかったですね。大学も教育系の大学から美術系へ入り直したりもしました。

そこから「絵を仕事にしよう」と決めたきっかけは?

出水 – 大学にいた時には就活もしていました。その中で入りたい企業や興味のある企業にいくつか落ちてしまって。その時点でイラストの仕事や読み切り漫画の連載もしていたので、「就職しなくてもなんとかなるかな」と思いました。今思うとその時には覚悟が決まっていました。

おにぎりに限る (2025)

大学では何を専攻されていましたか?

出水 – 先端芸術という、なんでもやるようなところですね。最初は日本画の勉強もしていたんですが、もっと漫画やイラストが描けるところとして先端芸術のコースを選びました。でもやっぱり見抜く人もいて、ファンの方から「日本画っぽいですね」と言われることもあります。

「セリフを作るのが苦手だった」行き着いた先が作画への道だった

漫画の持ち込みなどもされていたんですか?

出水 – はい。大学生で時間に余裕があったのでコンペに参加したりもしていました。とりあえず出して、通れば載るっていう感じなんですけど、連載までこぎつけた作品であってもあまりうまく行かなかった部分も多かったです。子供向けの作品というのもあるんですが、自分ではセリフを作るのがあまり上手くないような気がして。

その後、作画としての仕事にシフトしていくわけですが、最初はいつ頃ですか?

出水 – 完全に作画として入ったのは白井カイウさんとの『約束のネバーランド』が初めてです。その前からゲーム作品のコミカライズや4コマ漫画など、原作ありの仕事もしていたので新人の時から作画の経験はありました。

「目で見た風景」を描く

出水さんの作品は緻密な空間表現が印象的ですが、意識されていることはありますか?

出水 – 厳密に描き分けているわけではないんですが、「目で見た景色を再現したい」というのは常にあります。不動産マジックってあるじゃないですか。写真ではめちゃくちゃかっこいいけど実際行ってみたらそうでもなかった、みたいな。カメラとは違って、人間は首や目を動かすことができたり、気になるものを注視したり、見ているのに目に入らないものがあったり、動きや時間を含んで物をとらえていると考えています。だから、そういうものを表現したいと思って、人物にピントを合わせて背景をぼかしたり、逆に周囲も見えるように魚眼っぽくしたり。人って目の前にものがあるとそこに注目してしまうので、そういった人間の生理的な視点は意識しています。ここに自分がいたら、どこを見るかな、という感じです。

階段の多い街でして (2023)

ロケハンはされますか?

出水 – 本当はしたいのですが、スケジュール的に必ず行けているわけではないです。ファンタジー作品が多いので難しいというのもあります。だから、今まで見たものをパッチワークのように組み合わせることも多いです。

日常の風景も作品に活かされている?

出水 – 漫画だと具体的にここ、というのはないんですがpixivのイラストはほとんどそうです。

写真派?記憶派?

出水 – うーん、両方ですね。撮る場合もあるんですけど、やっぱ記憶だけだと曖昧でぐにゃぐにゃしててよくわかんないなっていうのもあります。

最近よくご飯の絵とか描いてますけど、写真を見ながら描くと完全にそのお店になってしまうので、記憶と照らし合わせて「こんな感じだったかも?」というイメージで描いています。分からないところはちょっと調べたりしながら。

後編では、作画という役割への意識、コラボレーションの考え方、そして現在の制作環境とこれからについて聞く。

アートな事件特集

アートは、その本質において常に社会からの「逸脱」を孕んでいる。哲学者イマヌエル・カントがントが美的判断を「一切の関心にかかわりがない」*1 としたように、アートは私たちの生活の関心の外側にある。しかし、その「外側」にあるはずの純粋な美しさが、社会の法、経済、あるいは道徳の境界線と触れ合ったとき、そこには避けられない摩擦が生まれる。

それは時に世論を焚き付け、時に「事件」や「裁判」へと発展することもある。この記事では、アートが法廷や犯罪の場に引きずり出された三つの事例を紹介する。そこに見えるのは、私たちの生活とアートの関係の揺らぎと、表現を飼い慣らそうとする社会の圧力である。

1. アンディ・ウォーホルのプリンス(2017年)

ポップ・アートの巨匠、アンディ・ウォーホルは、資本主義の産業システムそのものを作品制作システムに取り入れた。彼はテレビや雑誌同様、複製と流用によってアメリカ社会の現状を美術に持ち込んだのだ。しかし、彼の死後、その「流用」の正当性が現代の法廷によって厳しく裁かれることとなった。

2017年に端を発したウォーホル財団と写真家リン・ゴールドスミスとの裁判。争点は、1984年に制作されたロックスター・プリンスの肖像画シリーズ(通称:プリンス・シリーズ)が、素材となった写真の「フェアユース(公正な利用)」に該当するか否かであった。

Orange Prince / Andy Warhol / 引用元:https://en.wikipedia.org/wiki/Orange_Prince

フェアユースとは、アメリカ法において、著作物が公正な利用であれば著作権者の許可なく著作物を使用しても良いとするアイデアで、これまで、ジェフ・クーンズの事例*2 に見られるように、美術作品における流用はフェアユースのもと容認される傾向にあった。

しかし、2023年の米国最高裁はウォーホル側に敗訴の審判を下した。裁判所は、ウォーホルの加工が素材写真に新たな美術的意味をもたらしていないとし、フェアユースには当たらないとした。

この判決は、流用と再構築によって拡張してきた現代美術の表現に対し、法が明確な「境界線」を引き直したことを意味する。かつて資本主義に制作の全てを捧げたウォーホルの手法が、現代の資本主義な権利保護によって封じ込められたのは、皮肉というほかない。

2. 赤瀬川原平の「千円札裁判」(19653年)

ウォーホルが資本主義のイメージを流用したとすれば、1960年代の日本において、国家の象徴である「通貨」を流用することで、社会制度そのものを挑発したのが赤瀬川原平である。

1963年、前衛芸術グループ「ハイレッド・センター」の一員として活動していた赤瀬川は、赤瀬川原平は1963年に模型の千円札に手を加えた印刷作品と、千円札を200倍に拡大模写した作品「復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)」を制作、読売アンデパンダン展で発表した。これが通貨模造の罪に問われた際、赤瀬川とその周辺の表現者たちは、法廷という場を美術館へと変化させるという、前代未聞のハプニングを敢行した。

証人として出廷した作家、中西夏之や高松次郎は法廷内で自作の陳列を行い、特別弁護人として瀧口修造や針生一郎といった美術批評家たちが前衛美術についての説明を裁判官に行うため出廷した。赤瀬川は、裁判そのものを作品へと変容させ、法制度の崖際で戯れたのだった。

結果として、最高裁は「表現の自由は無制限ではない」として執行猶予付きの有罪判決を下したが、この「事件」が残した爪痕は深い。赤瀬川は流用や複製という行為を通じて、法制度を逆に表現の場として乗っ取ってしまったのだ。ウォーホルとは逆に、その制度自体に美術を持ち込んだ彼の制作方法は、今なお日本の戦後美術史における過激な「作品」として光を放っている。ちなみに赤瀬川は、裁判に協力してくれた人物たちに「木の葉のお札」を一軒一軒回って渡したという。最後まで抜かりのない戯れ具合だ。

3. ルーヴル美術館窃盗事件(2025年)

最後に、より現代的、かつ暴力的な形でのアートと社会の接触例を挙げたい。2025年、世界で最も堅牢な美の殿堂の一つ、パリ・ルーヴル美術館を襲った大胆な窃盗事件である。

4人組の窃盗団は、開館直後の午前9時、クレーン車で2階の窓を壊して侵入。彼らは蛍光ベストを着用して作業員に扮し、フランス王室ゆかりの宝飾品を総額155億円相当を強奪した。スクーターで逃走するという、スパイ映画的のようなその手口は、美術館の脆さを白日の下にさらした。

この事件の特筆すべき点は、犯行の「物理的な粗暴さ」にある。芸術品が持つ歴史的・文化的文脈を一切剥ぎ取り、ただの「換金可能な物質(宝石と金)」として扱うその暴力性は、私たちが美術品に投影している「オーラ」がいかに人間の欲望の前では非力であるかを突きつける。盗まれた宝飾品が解体され、裏市場へと消えていく過程は、純粋な美しさが世俗的な欲望から強奪されていくプロセスそのものだろう。館長はこの件によって辞任したが、その結末は、美術館という制度が、物理的な「破壊」や「暴力」に対して無力である現状を示している。

鏡としての「事件」

これらの「事件」は、アートが単なる鑑賞の対象ではなく、社会を揺さぶる「異物」であることを再認識させる。ウォーホルは「権利」を、赤瀬川は「法」を、そしてルーヴルの窃盗団は「物理的な障壁」を、それぞれが異なる形で境界線を犯した。

アートが事件になるとき、私たちは初めて、普段は不可視化されている「社会のルール」や「価値の拠り所」を自覚する。表現が法に敗北し、あるいは暴力に屈したとしても、その衝突の跡に刻まれた問い——「何が表現を価値づけるのか」——こそが、私たちがアートと向き合い続ける唯一の理由なのかもしれない。

*1  カント『判断力批判』(篠田英雄訳・岩波文庫)
*2 https://www.kottolaw.com/column/190620.html

箱ごと、「遊べるアート」としてのボードゲーム

最近ボードゲームの箱って、やけにかっこよくない?

そう感じている人は、きっと少なくないはずだ。かつては内容をそのまま伝えるだけのパッケージが主流だったのに、書店やセレクトショップに並ぶ最近のボードゲームたちは、箱そのものが洗練されたオブジェのような存在感を放っている。

ルールより前に、まず「見た目」で選ぶ時代

大きな転換点となったのが、Kickstarterに代表されるクラウドファンディングの普及だ。大手メーカーを通さなくても独立制作できるようになったことで、グラフィックデザイナーやイラストレーターが自らゲームを開発するケースが急増し、ボードゲームのデザイン水準を一気に引き上げた。さらにSNSとの相性も良く、最近は「ゲームの面白さ」より先に「見た目のかっこよさ」が注目を集めている。

そして日本でも、独自の感性でボードゲームをつくるクリエイターが増えている。
東京・南青山を拠点とするオインクゲームズは、シリーズ累計120万部を突破した日本発の小箱ボードゲームメーカーとして、デザインと遊びごたえを両立させた作品を世界に発信し続けている。

触れて、遊んで、飾れる──5つの作品を紹介

買う理由は「かっこいいから」でいい。そんな5作品を紹介する。

Modern Art(モダンアート)

ニューゲームズオーダー公式サイトより

1992年に生まれ、競りゲームの原点とも呼ばれるライナー・クニツィア設計の名作 。プレイヤーが画商となって5人の架空の画家の絵画を競りにかけ、最も稼いだ人が勝利するというシンプルなルールながら、ラウンド終了時の絵の価値は画家の人気度によって決まるため、巧みに市場をコントロールしていくという深みがある。初版から一貫してそのシックで渋いビジュアルは本物のアートギャラリーさながらの空気を漂わせる。

Canvas(キャンバス)

ジェリージェリーストア公式サイトより

Kickstarterで16,000人以上のバッカー(支援者)を集めた話題作で、画家として芸術祭への出展を目前に控えた画家として、イラストカードを組み合わせて絵画を仕上げていくゲーム。透明なカードを重ね合わせることで毎回異なる絵画が生まれる。箱にフック掛けの穴が空いており、壁に掛けて収納できるという細部へのこだわりまで、「アートとして飾る」ことを前提に設計された一作。

Scythe(サイズ大鎌戦役)

ポーランドのアーティスト、ヤクブ・ロザルスキの油絵を世界観のベースにした重量級ゲーム。蒸気と自然が混在するレトロフューチャーな世界に、巨大メカが佇む圧倒的なビジュアルが特徴で、アートワークの世界観そのものがこのゲームの大きな魅力となっている。ゲームとしての戦略性の高さはもちろん、ボードに広がる絵画的な世界観を眺めるだけでも充分に価値がある。

MOSAIC(モザイク)

ゲームズマーケット公式サイトより

岐阜県多治見市産の美しいモザイクタイルをコマに使った、囲碁やオセロのような陣取り型のボードゲーム。手に取るとずっしりとした陶器の重みがあり、盤上に並べるほどにタイルの色が映え、ゲームが進むにつれて思わず見惚れるような盤面が生まれる。多治見のふるさと納税返礼品にも選ばれており、地域の工芸とゲームデザインが融合した、日本ならではのプロダクトアートだ。 

Petiquette(ペチケ)

オインクゲームズ公式サイトより

動物・帽子・数字の組み合わせからなるカードを使い、ランダムに並んだ5枚の中に入れるのに最もふさわしいカードを考えるゲーム。平岡久典氏による動物たちのイラストは版画のように静謐で美しく、カードを並べるだけで棚に飾りたくなる。答えはひとつではなく、他プレイヤーの美的感覚や思考回路を読みながら答えを合わせていく。つまり、遊ぶこと自体がお互いの美意識を交換するような、不思議な体験になっている。

「アートの入口」としてのボードゲーム

アートは壁に飾るもの、という思い込みがまだ根強い。でもボードゲームは違う。手に取れて、遊べて、棚に飾れる。来客時にテーブルに広げれば、それ自体がコミュニケーションのきっかけになる。数千円から一万円前後という価格帯も、アートを「生活の中に置く」最初のステップとしてはちょうどいい。

箱を開けずに飾りたいと思う日も、誰かを呼んで一緒に遊ぶ日も。そんな二重の楽しみ方ができるボードゲームは、生活の中に自然に置ける、最も身近なアートのひとつなのかもしれない。

【インタビュー】YOSHIROTTENの奏るテクノロジーと自然のセッション – 後編

テクノロジーを駆使して自然を捉え直すアーティスト、YOSHIROTTEN。前編では、余白から生まれる偶発性、自然というアンコントロールな要素を作品に組み込むどっしりとしたアティチュードが見て取れる。光や石、そこにあ̇る̇も̇の̇やあ̇っ̇たも̇の̇に想いを馳せる彼のフィルターを通すなら、東京という都市はどのように映るのだろう。

YOSHIROTTEN(以下、Y) – 僕は自然豊かな鹿児島で育ち、東京ではクラブカルチャー、夜の世界に面白さを見出してきました。そこでは若い頃から多くの時間を過ごしたし、たくさんの友人や仲間がいる。 東京に関して言うなら、夜にこそ、都会のリアルな姿が鮮明に映し出されるのだと思います。渋谷の地下のクラブなんかで自由に音に身を委ねる人々の姿が、僕の思う東京の好きな風景かもしれません。逆に昼の明るい時間には、森や山の中などの自然の中に身を置き、太陽の光を浴びる。僕にとってはそのどちらも必要な時間だと感じています。

コロナ禍で見つめ直した「1日」の重みと、太陽のポートレート

国立競技場で開催された「SUN」 

パンデミックの最中にスタートしたプロジェクト「SUN」では、365日毎日異なる太陽を描き続けていましたね。あの時期にこの活動を始めたことには、どのような決意があったのでしょうか。

Y – コロナ禍になり、予定していた展示やイベントがすべて白紙になりました。創作しても発表する場がない。クリエイターだけでなく、人類が等しく直面した壁だったと思います。あの閉塞的な時間の中で、ただ僕は、「とにかく作り続けていかなければならない」と強く思ったんです。

国立競技場で開催された「SUN」 

あの時、世界中の人々が同時に「今日という1日」を強く実感していたと思います。外出もままならず、目にするのは何日も同じ景色でした。それでも毎朝昇ってくる太陽とその日の感情は、同じではなかった。その体験を形にすることは、作家として非常に自然な衝動でした。

その後、国立競技場で開催されたフリーイベントでの「SUN」のインスタレーションは、多くの人に解放感を与えましたね。

Y – ようやく人に会える、マスクを外して集まれる。あのパーティーは僕なりの「祝祭」でした。1日1日の積み重ねが365日になり、それがようやく他者と共有される場になった。あの時感じた「1日の実感」は、今の僕の創作活動の土台に深く息づいています。

アルミハニカム:宇宙へ届ける「地球の美しさ」

「無題 」 / photo by Mikito Hyakuno

太陽への眼差しに加え、宇宙にも多大な興味があるそうですね。

Y – 2013年頃にJAXA(宇宙航空研究開発機構)から、実際に宇宙へ行って大気圏を越えて地球に還ってきたパネルを譲り受けたんです。アルミハニカムという素材で出来ているもので、これを生で見た時、このパネルが宇宙で出会ったかもしれない、惑星なのか、大気なのか、粒子なのか、魂なのか…。それらを反映した作品にしたいと思いました。

「無題 」 / photo by Mikito Hyakuno

その後発表されたプロジェクトが「Future Nature」ですね。

Y – そうです。アルミハニカムは人工衛星にも使われる非常に軽くて丈夫な素材です。これにキャンバスとして作品を描けば、物理的には、宇宙へ持っていくことが不可能じゃない。僕は「地球の美しいものを宇宙に届けたい」という想いで“Future Nature”というプロジェクトを続けているので、キャンバスとしてアルミハニカムを選ぶのは自分の中で一番しっくりくるんです。それを見た人が「これは宇宙まで行ける素材なんだ」と知った時、想像力が地球の外側まで広がっていく。ワクワクするじゃないですか。そうしたワクワクするような感覚を生み出すことが、アーティストとして大切だと思っています。

「アート」で感動するということ

ビューイングルームの展示風景 / photo by Mikito Hyakuno

自然の中に創作のヒントを見つけて、全く独自の作品を作り上げるYOSHIROTTENさんですが、他のアーティストの作品からヒントを得たり影響を受けることはありますか?

Y – 色々ありますが、具体的にこの人がといったことはないですね。
ただ、一昨年に、ずっと行きたかった南仏にあるヴィクトル・ヴァザルリという大好きなアーティストの美術館「Fondation Vasarely」に行ったんです。僕と同じように元々デザイナーだった彼は、平面から彫刻へと表現を拡張し、最終的に自分だけの美術館を作り上げてしまった。その偉業には憧れるものがあります。完成して30年、40年後に僕が行って、感動する。イサム・ノグチのモエレ沼公園もそうだし、篠田桃紅さんの当時のアトリエを移設した場所を訪れた時にも、全身に鳥肌が立ったのを覚えています。 それは1つの作品を観てというより、作家の全体像、文脈の中でこの作品を作ることが出来たという事実に直面した時に、より感じるものです。あとは、自分が20代の頃から憧れていた場所に訪れた時、変わらず感動できたことが嬉しかった。

事務所の本棚には人工衛星や宇宙の本がずらり。 / photo by Mikito Hyakuno
ヴィクトル・ヴァザルリの作品集なども。 / photo by Mikito Hyakuno

メディアとして機能するYOSHIROTTENの作品

ビューイングルームの様子  / photo by Mikito Hyakuno

ご自身の作品が観られる立場としてはどうでしょうか。今回の「大谷グランド・センター」もそうですが、大谷の地において、ある種ハブスポット的な役割も持ち合わせています。作品を通して、既存のものの価値を新たにする点は、メディア的な役割とも言えますね。

Y – そうですね。「大谷グランド・センター」は、大谷の歴史をどうやって未来に伝えられるかというのが最初の課題でした。まずは人をたくさん呼ぶ。その為にはインパクトのあるものが必要ですが、一時的にたくさんの人を集めるだけでは意味をなさない。フィールドリサーチや土地の歴史を辿ると、古くからある大谷石の存在や、70年代頃に構想されていた「大谷テクノパーク」という、SF映画バリの地下施設を作ろうという計画の存在が浮かび上がってきました。結局実現はしませんでしたが、そこには「トランストーン」という空間があって…とか、「なんだそれ」ってなるじゃないですか。大谷の魅力を伝えるというのは、そうした過去の歴史に目を向けることが非常に大切でした。

大谷石。「ミソ」と呼ばれる穴が最大の特徴だ。

過去に実施された伝統工芸である「輪島塗」とのコラボレーションでも、現代的なアプローチを通して全く新しい作品に仕上げていますね。漆器という歴史ある媒体をどう捉えましたか?

Y – 輪島塗には数百年の歴史と伝統があります。でも、僕はその伝統を忠実に継承する立場ではないからこそ、新しい表現で伝統工芸に向き合えると思いました。
職人さんに提案したのは、これまでの輪島塗ではあまり使われてこなかった鮮やかな色漆(いろうるし)のグラデーションです。まずはCGを使ってシミュレーションを作成し、「こういう色の繋がりを持つ杯(さかずき)を作れませんか?」とお伝えしました。

「SAKAZUKI」 / photo by Mikito Hyakuno

職人さんの反応はいかがでしたか?

Y – 最初は「やったことがない」と驚かれましたが、面白がってご協力頂けました。出来上がったものは、輪島の工芸作品としての美しさを保ちながら、これまでにない色彩を放っています。これを見た人が「漆ってこんなに綺麗なんだ」と再発見してくれる。それこそが、僕がやる意味だと思っています。大谷のプロジェクトもそうですが、土地の歴史や伝統を自分なりに解釈し、未来へ繋ぐために何ができるかを常に思っていますね。

「とにかく、たくさん作ること」

YOSHIROTTEN / photo by Mikito Hyakuno

最後に、これから創作の道を志す若い世代に向けて、メッセージをお願いします。

Y – シンプルですが「とにかく、めちゃくちゃたくさん作ること」です。
そして、作ったものをどう扱うか、徹底的に向き合ってほしいです。今の時代、発表する手段はいくらでもあります。勇気を持って世に出してみるのも一つの方法です。表現したいという想いがあるのなら、その一歩を恐れずに踏み出し、継続してやり切ること。楽しみながら。それがすべてだと思います。

大谷グランド・センター

所在地:栃木県宇都宮市大谷町1396-29
アクセス:JR「宇都宮」駅より車で約30分/関東バス「大谷観音前」下車すぐ
入館パス:大人(18歳以上)・中人 500円 / 小学生以下無料
グランドパス:大人(18歳以上) 1800円 / 中人 1500円 / 小学生以下無料
公式サイト:https://oya-grand-center.com

【インタビュー】YOSHIROTTENの奏るテクノロジーと自然のセッション – 前編

これまでの作品が展示されている自身のビューイングルームの様子 / photo by Mikito Hyakuno

グラフィック、空間インスタレーション、映像。メディアの境界を軽やかに飛び越え、独自の色彩感覚と光の表現で世界を魅了するアーティスト、YOSHIROTTEN(ヨシロットン)。 一見すると無機質で先鋭的なデジタル表現に見える彼の作品群の根底には、驚くほど純粋な「自然への畏敬」と、フィールドワークに基づいた緻密なデータ観測がある。

今回、彼が栃木県宇都宮市の大谷(おおや)で手掛けた最新プロジェクトから、霧島での大規模な個展、そして「分光器」を用いた独自の制作手法までを深く掘り下げた。テクノロジーというフィルターを通して、彼は一体どのような「自然」を見つめているのか。初公開となるビューイングルームの様子と共にお届け。

「2回訪れてほしい」という言葉に込められた、時空を味わう体験

大谷グランド・センター / photo by Ryo Kobayashi

ご自身の初となる常設展示を手掛けた「大谷グランド・センター」について、「ここには1日に2回来てほしい」とお話しされていましたね。その言葉の真意について改めて教えていただけますか。

YOSHIROTTEN(以下、Y) – 大谷の現場に初めて行ったのが、2019年の11月でした。その時は昼過ぎから夕方にかけての時間帯で、次に訪れたのが朝だったんです。同じ場所なのに光の入り方によって空間の表情が劇的に変わることに驚かされました。

「山本園大谷グランドセンター」跡地。およそ30年の時を経て「大谷グランド・センター」として新たに生まれ変わった。

現代アートと食の複合施設としてオープンしたこの場所は、前身の施設が閉館してから長い間廃墟になっていました。もともとそこは、岩肌が剥き出しになった場所に浴場があるユニークな建築だったのですが、単に「面白い建物の中にアートを置く」という発想ではなく、そこに入ってくる外からの光や、窓の外に見える大谷の街並みが、時間とともにどう照らされていくか。その「変化」そのものを作品にしたいと考えたんです。

そこに流れる「時間」や「光」を体験してほしいということですね。

Yなので、元の建物をそのまま活かせるところはなるべく残し、あえて開いたままの窓も塞がない選択をしました。窓にオレンジ色のフィルターを貼ることで、大谷の街をその色越しに眺める。でも夕方になれば、街は見えなくなり、空間の体感は刻々と変わっていきます。

YOSHIROTTENが手掛けた初の常設展示「大谷石景」 / photo by Ryo Kobayashi

「2回訪れてほしい」と言ったのは、たとえば朝に作品を見てから、近くの大谷資料館や大谷観音、お蕎麦屋さんなんかを巡って、夕方にまた戻ってくる。そうすると、光のある時間帯は大谷の街並みと作品がゆるやかに繋がっていて、日が落ちてからは、この空間に没入して作品と向き合う時間が生まれる。その体験は、展示会場の中だけで完結するものではなく、帰り道や日常の中でも「時間の移ろい」に意識が向くきっかけになると思うんです。そういう風に日々を楽しめるようになることまで含めて、作品として提示したいと思っています。

自然という「コントロールできないもの」との親和

FUTURE NATURE Ⅱ in Kagoshima / photo by Yasuyuki TAKAKI

自然現象を作品に取り入れる場合、アーティストとしての作品の「コントロール」と、自然の「偶発性」のバランスをどのように取っていますか?

Y – 自然をテーマにしている時点で、僕はコントロールしようとは思っていません。むしろ、その状況と親和することが、最も自然な作品の在り方だと思っています。
以前、僕の育った鹿児島県にある公立美術館「霧島アートの森」で個展を開催しました。そこでは、自然光の入る美術館のトップライトが全開放された部分を生かして、時間帯によって空間がオレンジ色に染まったりと、空間全体を使った光の作品を作りました。雨が降ればより没入感のある暗い空間になるし、晴れれば光がパーンと入ってくる。それは僕にもコントロールできません。

予期せぬことが起きる面白さ、というわけですね。

FUTURE NATURE Ⅱ in Kagoshima / photo by Yasuyuki TAKAKI

霧島でのオープニングの日は、ものすごい霧が出たんです。「これ、演出なの?」ってみんなに聞かれるくらい(笑)。僕が数年かけてフィールドワークした中でも見たことがないような美しい霧が、その日に偶然起きた。
最終日には、それまでは入ってこなかった角度から西日が差し込んで、ある作品にだけスポットライトのように光が当たっていたんです。これも狙ったのか度々聞かれましたが、そうではないんです。完全な「余白」から生まれた現象。窓を閉じなかったからこそ起きた奇跡です。余白を残すということも自分の制作においては重要な要素です。

FUTURE NATURE Ⅱ in Kagoshima / photo by Kazuki Miyamae

分光器とスキャナー:見えなくともそこにある“何か”へ想い馳せる

大谷各地でのフィールドリサーチ / photo by Kazuki Miyamae

YOSHIROTTENさんの制作スタイルを語る上で欠かせないのが、フィールドワークとテクノロジーの活用です。具体的にどのような調査を行っているのでしょうか?

Y霧島や大谷のプロジェクトでは、ハンドスキャナーを持ち歩いて、岩肌や土、葉っぱの表面をなぞってデジタルデータに変換する作業を行いました。これは視覚的な「記録」に近い行為です。特に今回の大谷でのプロジェクトでは、大谷石の特徴である「ミソ」と呼ばれる穴に注目しました。(※脚注:およそ1200万年前に誕生した凝灰岩である大谷石には、「ミソ」と呼ばれる茶色の斑点がある。これは、火山岩が粘土化して出来たもので、長い年月を経て、その箇所は抜け落ちていく)

大谷石の最大の特徴である「ミソ」

「この穴の中にあった石の粒たちは、どこへ行ったんだろう?」という想像から、スキャンした石の粒が空間を浮遊するような映像作品を作り、プロジェクションで元々ある石自体に光を当てました。テクノロジーを使うことで、肉眼では捉えられない自然の深層や、その場所が持つ記憶を可視化していく感覚です。

大谷石をハンドスキャンし、観測していく。

普段の制作のもう一つのアプローチとして「分光器」を使った制作があります。僕らが通常見ている世界は「可視光線」ですが、その隣には赤外線や紫外線など、僕らの目には映らない様々な光が存在しています。それらを捉えることができる分光器を各地のフィールドワークに持ち込みました。

「霧島百景」 / 鹿児島県のいろいろな場所でフィールドスキャニングした50分間ほどの映像作品。 / photo by Mikito Hyakuno

目に見えない光をデータとして抽出するのですね。

Yはい。例えば、霧島の噴気地帯(温泉の煙が上がっている場所)で分光器を向けると、赤外線の数値が高いだとか、可視光線はこれくらいだというグラフが出る。その場所の、その瞬間にしか存在しない「光の組成」をキャプチャーするんです。それをそのまま出すのではなく、得られたデータを元に「この数値の動きが美しい」と感じる部分を抽出して、さらにその場所で抱いたイメージで着色していく。そうすることで、僕らの目には見えていなかったけれど、確かにそこに存在していた光を「デジタル上の絵画」として作り上げていきます。

「Menhir 2」 / ビューイングルーム内の不可視光線を分光器によってリアルタイムで映し出す。室内の自然光の入り方、窓の締め具合、照明の有無で、刻一刻と変化してく。目に見えない「光」が、生き物のように動き出す。記事内での変化にもご注目。 / photo by Mikito Hyakuno

最新技術を使っているけれど、やっていることは印象派の画家が光を捉えようとしていた営みに近いようにも感じます。もしテクノロジーが存在しない中世に生まれていたとしても、やはり何かを作っていたと思いますか?

Y形は違えど、その時代における「新しい技術や表現」を使って、見たこともないものを作ろうとしていたはずです。
今の僕たちがアートとして発表することの意味は、この時代のテクノロジーを使って、前の時代の人たちにはできなかった表現を追求し形に残すことにあると思っています。「今ならこれができる」という可能性を追求することが、作家の役割の1つではないでしょうか。

後編では、自身の作品、アーティスト活動がメディアとして機能するような側面、そして、彼自身の太陽や宇宙への憧憬がちらりと姿を表します。お楽しみに。

大谷グランド・センター

所在地:栃木県宇都宮市大谷町1396-29
アクセス:JR「宇都宮」駅より車で約30分/関東バス「大谷観音前」下車すぐ
入館パス:大人(18歳以上)・中人 500円 / 小学生以下無料
グランドパス:大人(18歳以上) 1800円 / 中人 1500円 / 小学生以下無料
公式サイト:https://oya-grand-center.com

海を見せられなかったけれど。久保田雅人が「ワクワクさん」として走り抜けた23年間 – 後編

「ワクワクさん」になるずっと前から、物作りと共にあった久保田さん。ただ、あくまで父親同様、それを仕事にしようなどとは考えてもいない。そんな彼が経験した学生時代の挫折、ちょっとの思い切りが、後に23年続く長寿番組『つくってあそぼ』を生み出すことになる。駆け出しの彼は、そんなことを知る由もない。

幼稚園を駆け回った20代

久保田 雅人(以下:久保田) – 平成元年の6月頃に、パイロット版『ワクワクおじさん』が始まったんです。当時はまだ26、7歳。その後の12月にもう1本、試作番組を作りました。その時に初めて登場したのが「ゴロリくん」です。「レギュラーになるわけないな…」と思っていたら、忘れもしません、平成2年4月3日からレギュラー放送が決まりまして。それからが本当に大変でした。

生活が一変したのでしょうか?

久保田 – というより、そもそも私は工作の勉̇強̇なんてしたことがなかったですから。その上、番組の対象は保育所や幼稚園の子供たち。普段作っていたプラモデルとは全く違う制作をやらなければいけなかったんです。
子供がどこまで理解できるのか、何が面白いと思うのか、全くわからない。そこで、NHKに視聴協力をしてくださっている幼稚園に自分から電話をして、「こういう番組をやることになったので、お邪魔してもよろしいでしょうか」とお願いして回ることから始めました。

幼稚園を回って、具体的にどのようなことをしていたのですか?

久保田 – 子供たちの前で実際に工作をして、どういうことがウケるのか、どんな喋り方が面白いのかを自分の頭に叩き込むんです。そこから勉強しないといけなかった。「ワクワクさん」になってからの方が大変でしたね。

「父」になったことで訪れた、3年目の転機

「ワクワクさん」でお馴染みの久保田雅人さん

久保田 – 手応えを感じるまでに3年かかりました。3年経って、ようやく「ゴロリくん」とも上手く噛み合うようになり、人に見せられるものになったと思います。

何か大きな転機があったのでしょうか?

久保田 – 自分が父親になったんです。「『ワクワクさん』、良くなったね」と言われるようになったのは、そこからなんですよ。自然と子供に対する接し方や、見せ方、喋り方が変わったんでしょうね。

不思議な巡り合わせですね。

久保田 – 不思議なものです。最初はEテレの最短記録を作るんじゃないかと思うくらい、自分でもオンエアを見て「ダメだな」と思っていましたから。まさか23年も、番組終了後も含めて30年以上も続くなんて思ってもみませんでしたね。

「ワクワクさん」でお馴染みの久保田雅人さん。この日つくってあそんだものは最後にご紹介

「のり弁」か、フランス料理か。

長く続けていく中で、どんな悩みがありましたか?

久保田 – 番組で紹介する工作のアイデアは、すべて造形作家のヒダオサム先生によるものです。つまり、ヒダ先生が「名作曲家」だとしたら、私と「ゴロリくん」は「名演奏家」でなければならない。どんなに素晴らしい楽曲でも、演奏が悪ければ評価されません。どうすればより良く見せられるか、これは今でも私の課題です。ただ、一時「失敗したな」と思う時期もありました。

どういうことでしょうか。

久保田 – イベントなどを重ねるうちに、「欲」が出てくるんです。もっと大きな会場でやりたい、もっと長いストーリー性のあるものをやりたい……。でも、それは間違いでした。お客様や子供たちの受けが良くなかったり、意図が伝わっていなかったり。その時に気づいたのが「のり弁」の精神です。

のり弁、ですか。

久保田 – スタートは「のり弁」なんです。それがいつの間にか「幕の内弁当」になり、さらに「重箱」になり、最終的には「フランス料理のフルコース」を目指してしまう。だけど、お客様が来てくださるのは、最初の「のり弁」が美味しかったからなんです。
だから、もう一度「のり弁」に戻ろうと。より良い「のり弁」を作ろうという思いに至りました。アーティストの方も同じかも知れません。自分がなぜ最初に支持されたのか、その根本を忘れてしまってはいけないんです。

美術界の「裾野」を広げるという使命

ご自身のやりたいことと、求められることのバランスに気づかれたのですね。

久保田 – やりたいことは次々に出てきます。でも根本は忘れてはいけない。私と「ゴロリくん」の仕事は、アートや美術という大きなピラミッドの一番下、「裾野」を広げることだったんです。

今、最前線で活躍しているクリエイターの方々も、間違いなく見ていた世代だと思います。

久保田 – ありがたいことです。以前、東京藝術大学の助教授の方が「私のスタートは『ワクワクさん』でした」と言ってくださったことがあって。改めて、私たちの仕事は、この裾野を広げることにあったんだと感じました。だから、そこから先は皆さんにてっぺんを目指してほしい。それが一番嬉しいです。

30年来の相棒、「ゴロリくん」との三重奏

「ワクワクさん」でお馴染みの久保田雅人さん

長い活動の中で、一番こだわったことは何ですか?

久保田 – 3人で、『つくってあそぶ』ということです。「ゴロリくん」の操演(中に入っている)の古市次靖くん、そして声を当てる中村秀利さんの3人で、延々と会議をしました。「あれが違う、これが違う」と。

あの「ゴロリくん」との会話は、そんな風に作り込まれていたのですね。

久保田 – ただ、よくやっていたゲームのコーナーでは台本がないんですよ。「用意スタート。以下実況中継風アドリブ」としか書いてありません(笑)。最後も「勝者:わーい/敗者:くぅ残念」だけ。つまり「真剣に遊んでいいよ」ということなんです。
その様子に、中村さんがモニターを見ながら即興で声を当てていました。後アテは無理です。「ゴロリくん」の動きを見てその場で当てる「生アテ」なんです。まさに三位一体。息が合うまでには時間がかかりましたが、あの会話のアドリブ合戦こそが番組の楽しみだったんですね。

忖度なしで、「ゴロリくん」が勝つことも多かったですよね。

久保田 – 彼は年長者を敬う気持ちがないですから、真剣に勝ちにきます(笑)。でも、それでいいんです。子供は大人の嘘を見抜きます。何回目にどっちが勝つとか、そんな段取りは面白くない。ガチンコでやっているからこそ、楽しんでもらえたんだと思います。

素敵な話ですね…。今でもお会いになるのですか?

久保田 – 「ゴロリくん」(古市さん)とは、今でも月に1、2回は飲みに行っていますよ。彼とは10歳ほど離れていますが、意見を戦わせることで良いものが生まれます。操演者としての工作、「ゴロリくん」としての工作、「ワクワクさん」としての工作。リードするのは私ですが、二人で一緒に作ることで一つのものが完成する。だから、タイトルが『つくってあそぼ』なんです。「作る」こと自体も遊びですが、その作ったもので「いかにして遊ぶか」までを紹介するから『つくってあそぼ』なんです。

私生活のすべてを捧げた「ワクワクさん」としての23年間

NHK時代は発信できなかった多くのことをYouTubeでは実践できると語る久保田さん。
当時の番組には、「材料がどこに売っているか」の問い合わせが殺到していたが、具体的な店舗名・商品名を発信することが出来なかったんだそう。親御さんたちの知りたい「どこで買えるか」の情報が盛りだくさんのYouTubeチャンネルだ。

子供たちの憧れであり続けるために、私生活での制約も多かったのではないでしょうか。

久保田 – NHKの教育番組の出演者には、いろいろな制約があります。まず、「日焼け」は厳禁。9月に収録したものが12月に放送されることもありますから、真っ黒に日焼けした顔で「メリークリスマス」なんて言えません。それから指輪もダメ、ピアスもダメ。収録の時に外しても痕が残りますからね。さらに、海外旅行も基本的には控えます。

海外旅行までですか?

久保田 – 万が一、向こうで何かあって帰ってこれなくなったらどうするんだ、ということです。横断歩道を必ず渡るとか、そういった立ち振る舞いも徹底していました。おかげで、私の子供たちは父親と夏の海に行ったことがありません。お父さんが日焼けできないから、近所の公営屋内プールだけ。夏の海に行けない理由がお父さんにあるというのは、子供たちには可哀想なことをしたと思います。

タイムスリップしても、もう一度。

「ワクワクさん」でお馴染みの久保田雅人さん

久保田雅人としての私生活の多くを犠牲にした上で「ワクワクさん」が成り立っていたのですね。もし、大学4年生の時、立ち読みした瞬間に戻れるとしたら、またその本を手に取りますか?

久保田 – そうですね…。もう一度戻っても、同じことをやるでしょうね。「ワクワクさん」として生きてきた人生に後悔はありません。
もちろん「もっと勉強して大学院に行きたかったな」という思いもどこかにありますが、この道に後悔はありません、楽しかったですから。番組を見た子供たちがものづくりを楽しんでくれた、それだけでやって良かったと思えます。

ご自身のお子さんも誇らしかったと思います。

久保田 – 一つだけ父親として良かったのは、「自分の我が子に胸を張って見せられる番組」をやれたことです。ただ、家で子供と一緒に工作をすることはありませんでした。家では「工作はお父さんの仕事」と伝えていました。

「遊び」ではなく、あくまで「仕事」として。

久保田 – そうしないと、お父さんが仕事をしているのか遊んでいるのか分からなくなってしまいますからね(笑)。

インタビューが終わり、用意した部屋を一度空にする。わざわざ着替えて頂いた「仕事着」を脱ぎ、普段の久保田雅人としての姿に戻る為だ。出てきた久保田さんは、どこにでもいる、普通の男。23年もの長距離走の中には、子供にはもちろん、大人にさえ見えない様々な葛藤、制約を孕んでいる。「海を見せられなかった子供たちには申し訳ないことをした」と語る彼に悲哀を感じなかった訳ではない。ただ、あの時、あの本屋に戻れたとして、もう一度その本を手に取ると言い切った彼の目は、高く舞い上がった凧を見上げるように、穏やかなものだった。

最後に、この日に久保田さんが教えてくれた工作をご紹介

1 – 1枚の色画用紙を用意します。

2 – 縦3等分に折り目を付けましょう。

3 – 線に沿ってハサミで切り、細長い3枚の紙にしましょう。

4 – さて、使うのは一枚です。ここがポイント。半分から少しだけずらして折ります。

5 – 真ん中に少しだけ切り込みを入れ、切り込みに合わせて半分に折ります。

6 – そうすると、あら不思議。上下にスライドさせると、噴水のように2つの紙が膨らみます。

7 – さて、これでどうやって遊びましょうか。

8 – ペンで目や鼻を描いて、リボンのような形にあらかじめ切った赤い画用紙を間に貼り付けると…。

9 – はい、ヘビさんになりました!!!

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