【インタビュー】ハレルヤ!ロンザエモンが絶望を乗り越えた先の景色 – 前編

ある歌の中で、「あと一歩だけ前に進もう」という歌詞がある。あと一歩、あと一歩。どれだけ進めばいいのだろう。先の未来が真っ暗に見えて、それでも日々を生きなくてはいけない。

「僕、自分の人生を振り返って、思ったようにうまくいったことが二十代の前半は本当になくて。」

今やSNSで絶大な人気を誇るイラストレーター・ロンザエモンが振り返る壮絶な過去。頑張っても報われない世の中で、それでも闘う全ての人へ送る____________。

人気漫画に夢中だった島の少年

絵を描き始めた時のことを教えて下さい。

ロンザエモン – 1990年生まれで、描き始めたのが96年頃。デジタルで描くなんて情報はまだない時代でした。クレヨンと色鉛筆、ノートがあれば十分で、とにかく『ポケモン』や『ドラゴンボール』、『SLAM DUNK』、『NARUTO』など、見よう見まねで色々描いていたと思います。

生まれ育った奄美大島の風景を描いたりも?

ロンザエモン – そうですね。ただ、当時は特別なものとは思っていなくて。街中にはハイビスカスが普通に生えていたし、よく捕まえていた黄緑色のトカゲなんて、島を出たら高い値段で売られていて驚きました(笑)。大人になって後から思い返すと、ジブリの世界みたいな場所に住んでいたんだなって思います(笑)。

島にいながら、ジャンプを教科書にして

ふと目が合う

中学生頃から漫画家を目指し始めたそうですね。

ロンザエモン – その頃には、ノートにコマ割りして描き始めていました。で、「ジャンプ」の本編ももちろん読むんですけど、毎月の受賞ページをかじりつくように見ていました。受賞者の年齢と作品内容まで全部追って、何ヶ月後かに雑誌に読み切りで載ってくるのを名前まで覚えて「あ、この前のだ」って勝手に認識したりして(笑)。

完全に独学で、ジャンプが教科書だったんですね。

ロンザエモン – 高校の最後には原稿用紙とインクを買ってきて、一話丸々描いたりしていました。ちょうどある先生がジャンプ誌上でアシスタントを募集していたんですけど、奄美在住なのに応募しちゃって。「来年島から出ます」って書き添えて(笑)。高校卒業まで島から出ていないので、井の中の蛙というか、周りよりちょっと上手かもって思いながら描き続けていました。

夢を阻んだ、突然のリストラ

トライ&エラー

漫画家を目指すにあたって、進路はどのように考えていましたか?

ロンザエモン – 本当は進学して、同じように描いてる人たちと関われるようなところに進みたかったんです。地元では進学校だったので、同級生の大半は大学か専門学校に行くんですけど、家庭の事情で進学できないということになってしまって…。それが最初の大きな転換点でした。

お父様のリストラですね。

ロンザエモン – そう、会社が買収されてしまったんです。それもあって、周りが進学する中自分だけ就職して、しかも島に1年残ることになって。その時は相当メンタルにきていました。同級生がそれぞれの道に進んでいく中で、自分だけ取り残されたような感覚。進学できていたら、もっと違った未来があったかもな、という気持ちはずっとあります。

その後、島を出てからはどのようなことを?

ロンザエモン – 鹿児島のプログラム系の会社に入ったんですけど、全然合わなくて半年くらいで辞めちゃって。それで福岡に一番仲良い子がいたんで、そこに転がり込みました。バイトしながらもう一度漫画を描こうと半年かけて一話描き上げて、福岡でジャンプの編集者が見てくれる機会に持ち込んだんです。

満を持していざ、ジャンプへ

棘を抜いていく

ロンザエモン – 相当な時間をかけて、当時の自分の全てを注ぎ込むような渾身の作品を持っていったんです。島にいた時から絵だけは褒められてきたし、それなりに自信もありました。ところが、返ってきた言葉は、いわゆる「ボツ」。島を出てから2年半ぐらい経っていたので、結構がっつり心折られました。

その頃、どれくらいのペースで描いていたんですか?

ロンザエモン – コンビニで8時間働いて、家に帰ってきたら寝るギリギリまで描く。45ページの原稿を一人で、背景もキャラクターも全部描いて。そんな生活を半年間続けた結果がそれでした。しかも当時は今と違って、世の中に作品を出すには出版社を通す以外の方法がないに等しかったんです。「ボツ」と言われたことで、完全にその道が閉ざされた、「人に見せるに値しない」と言われたような気がしました。

追い打ちをかけた大病

ロンザエモン – さらに悪いのが、ちょうどそのタイミングで、特定疾患という国の指定の消化系の病気になって。進学も諦めて、就職も続かなくて、漫画もボツになって…。20代の前半は本当に何もうまくいかなかった。入院自体は2ヶ月くらいで済んだんですけど、その後も体調的に働けない期間が1年近く続いていました。

精神的にもかなり追い詰められていたんじゃないですか。

ロンザエモン – 毎日自分の人生じゃないと思って過ごしてました。コンビニバイトしてた時の同僚の大学生が「飲み会あるから休みます」とか言ってて、俺は絵描く時間が減るやんとか思ったり。

ラムネ・ノムネ

気力もなくなって、その時は流石に絵からも離れてしまったのでは?

ロンザエモン – むしろ、毎日何かしらは描いていました。自分に残っていたのは絵だけだったし、逆にフルタイムで仕事をしてない分、負担がかからない範囲で一枚描いたり、顔のパターンを描いたり。手が下手くそだから手だけ描いて、気づいたら1日が終わっていたり。体調的にはしんどかったのですが、それでも絵は、上手くなりたいから。一枚のもの、単発のものをたくさん描いていました。後から振り返ったら、それが一枚絵として成立する、今のようなイラストの描き方を探してたのかもしれません。

「おれがしたいのはこれじゃない」

社会復帰してからはどうされましたか?

ロンザエモン – ハローワーク系の職業訓練でPhotoshopとIllustratorを学べるところに行ったんですけど、そこの先生がたまたま『ヤングジャンプ』で受賞歴がある方で。漫画描いてたって話したら激励されて、まだやめないでおこうかなって(笑)。で、社会復帰してからはコールセンターで4、5年働いていました。コールセンターで頑張って残業しても、俺がしたいのはこれじゃないって思いながら、どんなに時間が短くなっても絵は毎日描き続けていました。

もがき続けた20代前半。諦めるチャンス、逃げ出すチャンスは、人生にはいくらでも用意されている。それでも、絵だけは手放さなかった。手放せなかった。ロンザエモンが、いかにして今の活躍に至ったのか。いかにして、絶望の淵から這い上がったのか。人生からしたら短すぎるインタビューの時間で、分かることはあまりに少ない。それでも、溢れてくるこの感情は何なのか。彼と話し、改めて思う。頑張っても報われない世界の中で、「それでも」と。

後編へ続く。

GAAAT ARCHIVE EXHIBITION

期間:2026/06/12(金)〜2026/06/15(月)
場所:東急プラザ原宿「ハラカド」3F THE COFFE BREW CLUBギャラリー
展示アーティスト:coalowl / 焦茶 / ロンザエモン / リチャード君
予約リンク:https://gallery.gaaat.com/collections/gaaat-archive-exhibition

コーヒー1杯で世界中のアート作品にふれる – アートを体験できるカフェ6選

コーヒー片手に気鋭のアーティストの作品を楽しむ

個性的なアートギャラリーが点在する東京・谷中にオープンした『スターバックスカフェ&アートギャラリー 谷中御殿坂』。

広々とした店内には印象的なアートが展示される。 / Starbucks Coffee公式サイトより

「藝と珈琲の交差点」をコンセプトに店内に専用のギャラリースペースが併設されている。一年を通して、複数のアーティストが参加し、アーティストやスタッフがコミュニケーションを重ねながら展示を制作していく「テーマ展」、気鋭アーティストの作品が並ぶ「フェア展」、公募を行い新しい才能を発掘する「パブリック展」が入替形式で展開され、アーティストの多彩な作品に出会えることができる国内初の店舗となる。芸術大学が近く、アートラヴァーが集まる街であることを活かし、コーヒーとアートが織りなす唯一無二の体験を届けてくれるカフェだ。

日本全国には様々なアートを楽しむことができるカフェが存在している。BAM読者におすすめしたい6選をご紹介していこう。

LURF GALLERY(東京・代官山)

ヴィンテージ家具に囲まれたぬくもりのある店内。 /  LURF GALLERY公式サイトより

2022年に代官山でオープンしたギャラリー&カフェ。1階が広々としたカフェ、2階が展示スペースになっており、企画された展示に合わせてカフェに展示される作品も入れ替わる。

現代美術やイラスト、写真などを用いた作品の展示が定期的に開催され、カフェの家具には、1930年代のデンマークヴィンテージ家具で揃えられている。展示を見るためだけでなく、ゆっくりと作品を鑑賞しながら、こだわりのコーヒーやドリンク、フードを楽しむことができる。展示によって販売される、アパレルやオリジナルグラスといったファンにはたまらないグッズも要チェック。

LURF GALLERY

住所:東京都渋谷区猿楽町28-13 Roob1-1F 2F
東急東横線「代官山駅」より徒歩5分
OPEN 11:00-19:00(不定休)

WHAT CAFE(東京・天王洲)

現代風の店内には若手作家たちの作品が並ぶ。 / WHAT CAFE公式サイトより

新たな現代アートのスポットとして注目を集める東京・天王洲エリア。倉庫業で知られる寺田倉庫が運営する『WHAT CAFE』は、日本のアート業界の未来を担うアーティストたちによる現代アート作品を展示・販売する施設だ。

約800㎡もの広々とした空間に、数十〜百点規模の作品が並び、食事をしながら鑑賞することができる。また会期ごとにすべての作品を入れ替えることで、数多くのアーティストの作品を紹介している。さらに展示内容と連動したワークショップやイベント、アートファン同士の交流会などを開催しており、アートを五感で楽しみ体験できる空間となっている。

WHAT CAFE

住所:東京都品川区東品川2-1-11
東京モノレール羽田空港線「天王洲アイル駅」より徒歩5分
東京臨海高速鉄道りんかい線「天王洲アイル駅」より徒歩4分
JR「品川駅」より徒歩15分
OPEN 11:00-18:00(不定休)

Gallery&Bakery Tokyo 8分(東京・京橋)

マテリアルが美しいカフェ&ギャラリー。ビルに入居する他のギャラリーも訪れてほしい。 / ArtSticker公式サイトより

東京・京橋のアートコンプレックスとしても知られるTODA BUILDINGの一階に入居する『Gallery&Bakery Tokyo 8分』。アートギャラリーとベーカリー&カフェが併設し、東京駅から徒歩8分のためこの名前がついた。多くのビジネスパーソンが行き交い、美術館や伝統的なギャラリーも集積する京橋で、パンやコーヒーを買うことの延長線上にアートの鑑賞を楽しむことができる。

ベーカリー&カフェはNY発祥の「THE CITY BAKERY」、展示は現代アートのプラットフォーム「ArtSticker」が運営している。

Gallery&Bakery Tokyo 8分

住所:東京都中央区京橋1-7-1 TODA BUILDING 1Fスペース
東京メトロ銀座線「京橋駅」から徒歩3分
東京メトロ銀座線「日本橋駅」から徒歩5分
JR「東京駅」から徒歩8分
OPEN 8:00-19:00(無休)

FabCafe Fuji(山梨・富士吉田)


2022年11月にオープンした『FabCafe Fuji』。世界各国に展開しているFabCafeシリーズが富士山のふもとにも根を下ろした。空き家をリノベーションした店内で、富士吉田ならではのこだわりの食の提供と、地場産業であるテキスタイルを中心としたクリエイティブコミュニティを育むために、展示やワークショップ、イベントなどを企画・運営している。近年、外国人観光客が急増し、注目を集めるこのエリアで、地域文化とデジタルファブリケーション、そしてアートをつなぐ唯一無二のギャラリーカフェとなっている。

FabCafe Fuji

住所:山梨県富士吉田市下吉田3丁目5-16
東京駅、渋谷駅、新宿駅から高速バスで約2時間
高速バス停「中央道下吉田駅」「富士山駅」から徒歩約20分
富士急行線「下吉田駅」から徒歩5分
OPEN 8:00-17:00(火曜定休(祝日営業))

concept store SEE?(兵庫・三宮)

店内には若い女性客や学生の姿も。 / CONCEPT STORE SEE?公式サイトより

ギャラリースペースとカフェが融合した場所である『concept store SEE?』。モダンな家具が配置され、そこにいるだけでもワクワクしてくる店内。そこでは様々なジャンルのアートやカルチャーを間近で体験することができる。地域の人々が、アートをきっかけとした新たな価値観と出会い、コミュニケーションの発信地として機能している。展示作品は約1ヶ月ごとに入れ替わり、購入することもできる。どこを切り取っても絵になる店内では、カラフルなドリンクやスイーツが提供される。

concept store SEE?

住所:兵庫県神戸市中央区中山手通4丁目 11-20
OPEN 13:00-19:00(金曜定休)

cassette(福岡・唐人町)

個人の邸宅のようなくつろぎと上品さを兼ね備えた店内。 / cassette公式サイトより

美術館やギャラリー、骨董屋などがひしめく文化エリアである福岡・唐人町にある『cassette』は1階にカフェを有する地下1階から地上2階のアートスペースだ。1980年代に建てられたモダンな建物が、建築家・二俣公一の手によってリノベーションされており、日光がふんだんに取り入れられながらも、静謐な空間になっている。今までに、福岡出身のアーティストであるKYNEや、イラストレーター・アーティストの永井博などの展示を行っており、地域の人々だけでなく、県外からの来訪者も多いアートスペースだ。

cassette

住所:福岡県福岡市中央区唐人町1丁目2−8
OPEN 11:00-19:00(水曜定休)

「たまごっち」はなぜ4度もブームになったのか? “育てる” カルチャーの30年史

1996年、日本の学校でひとつの “禁止令” が広まった。
小さなたまご型のガジェットが授業中に鳴り止まず、先生たちを困らせたからだ。数時間ほうっておくと「死んでしまう」デジタルペットに、子どもたちは本気で感情移入した。

それから約30年。2026年、たまごっちは発売30周年を迎えた。

2022年から2023年にかけて売上は2倍に膨らみ、2025年7月発売の新シリーズ『Tamagotchi Paradise』は予約開始直後に前作比400%を超える申し込みを集め、2025年8月には累計出荷数が1億個を突破。単なるノスタルジー消費では説明がつかない数字だ。

「所有」から「関係性」への転換

開発のきっかけは、子どもたちに「ペットを飼育する大変さを伝えたい」という思いから。しかし当初、社内の反応は冷ややかだったという。子ども向けにもかかわらず “キャラクターが死んでしまう” というリアルな設定に、「刺激が強すぎる」「行き過ぎでは」という懸念の声が上がった。企画書の段階では腕時計型だったデザインも、製造コストを抑えるためボールチェーン型へと変更された。ヒットを見込んだ主力商品というより、ぎりぎりで形になった試みだった。

潮目が変わったのは発売前のテストセールス。女子学生を中心に想定をはるかに超えるペースで売れはじめ、いよいよ1996年に正式発売。翌年には新語・流行語大賞にノミネートされるほどの社会現象となった。この現象を「玩具ブーム」として片付けると、本質を見失ってしまう。たまごっちが変えたのは、消費のあり方そのものだった。それまでの玩具が「モノを所有する」体験であったのに対し、たまごっちは「関係性を育てる」体験を提供した。ポケベルすら普及前の時代に、デジタルの命と継続的な関係を結ぶという概念は、当時の感覚では革命的だった。

ガラケー時代の「共有する育て方」

2000年代に入ると、赤外線通信機能を得たたまごっちは「ひとり遊び」から「共有体験」へと進化する。友達同士でキャラクターを「つなぐ」文化は、当時のガラケー、プロフ交換、絵文字など、「いつでもつながっている」ことが友情の証であった時代と見事に重なる。

たまごっちは常にその時代のコミュニケーション文法を吸収してきた。赤外線通信、カラー液晶、タッチ液晶、Wi-Fi機能と、30年間で全38種類を発売。2000年代の「つながり」、2010年代の「スマートフォン連携」、そして現在の「Tamaverse」というグローバルなオンラインコミュニティへ。世界中で大流行しているゲームプラットフォームであるRoblox上で展開した「Tamagotchi Party」は、世界累計訪問数1,290万回を突破している。

Roblox Tamagotchi Party / PR TIMESより

第4次ブームは「Y2K」だけでは説明出来ない

現在のブームは、平成リバイバルやY2Kファッションとの親和性だけで語られることが多い。確かに、たまごっちをバッグチャームとして持ち歩くスタイルは「バーキン化(birkinification)」と呼ばれるパーソナライズ文化と共鳴し、MAX&Co.とのコラボカプセルコレクションも生まれた。しかしそれはあくまで入口に過ぎない。

MEQRI(メクリ)」×「たまごっち」によるコラボレーション / PR TIMESより

バンダイのトイ企画担当者は、「ファッションアイテムとして話題を作れている点は意識し、本体もクリアなデザインを取り入れたりしている」と言う。ただ同時に、「絶対に変わらないコンセプト」があるとも断言する。発売当初からフォルムも直感的な操作性も変えていないその核心こそが、世代を超えて刺さり続ける理由だ。

再ブームをけん引しているのはまさに二つの層ではないだろうか。

ひとつは「平成女児売れ」と呼ばれる現象。90年代後半から2000年代前半に小中学生だった女性が大人になり、子どもの頃に手が届かなかった商品を “大人買い” する動き。もうひとつは、ドット絵のキャラクターとシンプルな育成体験を新鮮に受け取るZ世代・α世代だ。かつてのブームを直接知らない世代が、むしろ「はじめての体験」としてたまごっちを選んでいる。

よくよく考えてみると、「育てる」という行為自体も現代の推し活と構造的に共通点がある。VTuberの配信を見守り、ぬいぐるみに話しかけ、スマホゲームのキャラクターを育成する。今の若い世代にとって、「画面の中の存在に感情移入する」ことは特別でも異常でもない日常だ。たまごっちはその感覚を、1996年に先取りしていた。

海を越えて広がる推し活コミュニティ


最も象徴的なのが、海外で自発的に生まれたファンコミュニティの存在だ。カナダ・トロントの「Toronto Tamagotchi Club」はInstagramフォロワーが4900人を超え、定期ミートアップには毎回約50人が集まる。その存在に触発されたロンドンでも同様のクラブが発足し、2025年8月にはトロントで「たまごっちの結婚式」と銘打ったファンイベントまで開催された。参加者がそれぞれのデジタルペットを「結婚」させ、誓いの言葉を交わすという光景は、もはやIPへの感情移入を超えた、コミュニティ文化の誕生だ。

CASETiFYとのコラボが示す、ファッションIPとしての地位

「Tamagotchi」×CASETiFYによるコラボレーション / PR TIMESより

たまごっちのグローバルな浸透を象徴するもうひとつの出来事が、2026年5月29日に発売されたばかりのCASETiFY × Tamagotchiコレクションだ。

CASETiFYは香港発・世界展開するライフスタイル系テックアクセサリーブランドで、Supreme、Pokemon、NBAといった超一線級のIPとのコラボで知られる。そのCASETiFYがたまごっちを選んだという事実は、たまごっちが「懐かしの玩具」の域を完全に超えたことを示している。

コレクションの内容は、ピクセルアートを現代的に昇華したスマホケースやストラップ、カスタマイズ可能なキャリーオンスーツケース、さらにはCASETiFY限定シェルを纏った本物のたまごっちデバイスまで多岐にわたる。コレクターを刺激する「CASETiFY たまごっち チェイスカード」も同封されており、まるで推しのグッズ感覚だ。

リアル展開も見逃せない。CASETiFY STUDiO 渋谷PARCOおよび韓国のCASETiFY Dosan フラッグシップストアでは限定ポップアップが開催中で、香港Comic Con(5月29〜31日)にも出展された。日本・韓国・香港を同時に動かす規模のコラボは、たまごっちが「世界に誇れるIP」として認知されたことを意味するのではないか。

たまごっちが映す「現代的な孤独」と「小さな愛着」

SNS上では、TikTokで「#tamagotchi」が数千万再生を記録し、コレクターによるカスタムシェルやデコレーション動画が連日投稿される。ここで注目すべきは、その動機の多様さだ。「懐かしいから」という層だけでなく、「スマホより通知が少なくて落ち着く」「何かを世話することで生活にリズムが生まれる」という声が目立つ。

たまごっちは、デジタルと物理が溶け合う時代における「小さな愛着の器」として機能している。ひとつの画面に無限の情報が流れ込む現代において、たった三つのボタンしかない小さなデバイスへの感情移入は、むしろ新鮮な体験として映る。

たまごっちは、時代ごとのコミュニケーション文化を映す鏡だった。

「所有」から「育成」へ。「ひとり遊び」から「共有体験」へ。そして今、「推し活」「コミュニティ」「愛着を持ち歩く文化」へ。
1億個という数字は、単なる玩具の売上ではなく、日本発の「育てる文化」が30年かけて世界へ根を張った証だ。

ファッションショーがワカラナイ!

服は好きだけど、パリコレやランウェイはわからない!と感じる人も多いだろう。一見すると奇抜で、時には理解を拒むようなものすらあるけど、なぜだか目が離せない…。この記事では、そんな不思議なファッションの世界を、アートの視点から紐解いてみたい。


一直線に伸びたランウェイを堂々たる姿でモデルが歩いてくる。その姿は、日々、誰かを見て思う“お洒落”とは違ったりする。ここでは、必ずしもデイリーに着るものを提示している訳ではない。「アート」が美術館やお金持ちの家の中にしかないように、ここでいう「ファッション」は、ランウェイやセレブのパーティなどに限った話。服の造形的側面を高めるべく、それが存在する場所を限定するという、一種の方法論に近い。

それでも昨今のファッションは、その「場所」から飛び出し、私たちの「生活」と「アート」の間をゆらゆらと行き来することに新たな可能性を見出している。そうした昨今の潮流を、3つのキーワードと共に駆け足で紹介する。

意外な組み合わせを楽しむ:Maison Margiela、sacai

「君主たち」 / エドガー・エンデ /ドイツの シュルレアリスム画家であり、かの絵本作家・ミヒャエル・エンデの父親でもある。

何か変なものをみた時に「シュールだね」なんていう人がいるが、シュールという言葉はシュルレアリスムに由来している。シュルレアリスムは、本来結びつかないもの同士を組み合わせることで、意識の外側にある現実(超現実)をあぶり出す美術運動だ。この手法は現代ファッションにも多大な影響を与えている。

今年5月に東京と京都で大規模な個展を開催した美術作家マルタン・マルジェラは、Maison Margielaの創設者でもある伝説的なファッションデザイナーだ。彼の衣服は常に、衣服と別のものを意図しない形で組み合わせることで作られてきた。例えば2001年に作られたベストは、古着の手袋のみで構成されている。

Artisinal white glove top

彼は一見価値のない安物の手袋でベストを作ることで、着用者の身体に触れるような色気を導き出し、衣服産業における価値の転換を図った。

現代では阿部千登勢が手掛けるsacaiが、最も洗練された「シュール」を体現している。

彼女の作る服はマルジェラとは異なり「え、そこでつなぐの?!」と声が出るような縫製が魅力だ。ニットとシャツ、コートとジャケットなど、別々の生活服を切り貼りするようにして作られた衣服は、結果として見たことのないシルエットやドレープを作り出す。

sacai Spring &Summer 2026 Collection

Maison Margielaもsacaiも、身近なものの不意な組み合わせが、気づかなかった美を提示する。それこそがファッション的なシュールさの醍醐味だ。

アートとデザインの融合:Dior、visvim

「りんぼく」 / ウィリアム・モリス

ファッションは、単に見た目が美しいだけでなく、社会に対する「問い」や「行動」であることもある。19世紀イギリスの作家ウィリアム・モリスが提唱した「アーツ・アンド・クラフツ」運動は、工業革命による手仕事の減少を批判し、生活とアートの一体化を目指した。この精神は、現代のブランドにも脈々と受け継がれている。

代官山に「パビリオン」と名付られた美しい店舗を構えるDior。創業者のクリスチャン・ディオールは、時代と呼応した服作りが特徴だ。「ニュールック」と呼ばれる彼の初期作は、なんと戦時中であるにもかかわらずとても動きづらい。

Christian Dior; Spring-Summer 1947 / wikimedia commonsより

このシルエットは戦時中の貧しい人々の心を刺激し、デモ運動まで起こったという。ディオールは、ただ美しい服を作ったのではなく、戦争にもへこたれない優雅な女性のための服、あるいはそうなれる服を作っていた。生活には向かないシルエットがむしろ生活を刺激するような挑発は、彼の作品が生活とアートと強く関わり合っている証拠だ。

また中村ヒロキによるvisvimは、ヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻」というアイデアを背景に持っている。社会彫刻とは、あらゆる人間活動は社会という素材を形作る彫刻活動であるというアイデアだ。

彼の美しい素材の探究から職人の技術までを徹底する姿勢は、単なる服作りを超えた社会活動でもある。「Social Sculpture」と名付けられた定番ジーンズは、名の通り職人と着用者の関係を通じて完成する「彫刻」といえるだろう。

「見えないもの」をアートする:THE ROW、Fragment

私たちの生活は目に見えるものだけで成り立っているわけではない。現代アートもまた、目には見えない「概念」や「イメージ」を作品化してきた。例えば画家・河原温は、1960年代から、カンヴァスに日付だけを描く「日付絵画」というシリーズを展開している。この作品は一日丸ごと使って描かれたと言われているのに、それを記録した写真は一切残っていない。何が本当で何が嘘なのか…もしそれが嘘だとしても、日付絵画の向こうに河原温の1日を感じてしまう…というのが河原の目論見なのだ。つまり彼の作品は、鑑賞者の想像力そのものでもあると言える。現代ファッションもまた、形のない「ブランドイメージ」や「先入観」をデザインの対象としている。

2006年にオルセン姉妹によって設立されたTHE ROWは、極めてシンプルなデザインの中に最高級の素材を封じ込めている。特筆すべきは、彼女たちの宣伝方法だ。SNSやルックブックにおいて、服と並んで彫刻や建築の写真を提示することで、着用者の中で、彫刻の曲線と縫い目の曲線が等しく美しいことに気づかせようとしてくれている。

また藤原ヒロシ率いるFragmentは、服を作らずに「イメージ」を操作するプロジェクトだ。

Louis VuittonやMonclerといったラグジュアリーブランドとのコラボレーションにおいて、彼はロゴを載せて色を黒に変えるといった最小限のデザインしか行わない。

MONCLER FRAGMENT/MONCLERはコラボレーションラインとして定期的に他デザイナーを招いている

一見すると手抜きのようにも思えるデザインは、しかし、そのわずかな変化が、相手ブランドが持つ「伝統」という重苦しいイメージを、現代的な「ストリートの文脈」へと一気に書き換える。最小限のデザインの変化だけで服のイメージを全く変えてしまう手つきは、ものを媒介として「ブランド」という形のないものをデザインする現代アート的手法と言える。THE ROWはブランドを通じてもののイメージを、Fragmentはものを通じてブランドのイメージを作り替えているのだ。

ファッションを読み解く双眼鏡

最近ではJWアンダーソンが手がけたLOEWEのように、これら3つの要素を絶妙にミックスしたブランドも多い。

ファッションショーをただ「着るための服」としてではなく、「何を使って、どんな新しいことを提案しているんだろう?」という視点で眺めてみよう。この3つの傾向は、きっとファッションの世界を見渡す双眼鏡となってくれるだろう。

【レポート】「櫃田伸也ー通り過ぎた風景」に見た縦横無尽な風景

「櫃田伸也-通り過ぎた風景」が豊田市美術館で開幕

風景を切り取るための方法にはどんなものがあるだろうか。人は記録や記憶を使ってかけがえのない風景を残しておくのだろう。今も愛知県にアトリエを構える櫃田伸也は一貫して「風景」を描き続けているアーティストだ。現在豊田市美術館では過去最大となる回顧展『櫃田伸也-通り過ぎた風景』が開催中だ。

1941年に東京に生まれ、東京藝術大学に在学中は展覧会だけでなく映画や芝居を見て回った。芸術に限らず様々なカルチャーに関心を持っていたことは、展示されている櫃田のスクラップブックからも明らかだ。ポストカードやフライヤー、中には雑誌の広告や教科書の切り抜きまで多岐にわたる。そんな櫃田が描く絵画たちは抽象と具体、実存と本質、自由と不自由を軽やかに行き来する。

建築に伸びやかに配置される作品

気持ちのいい自然光が注ぐ展示室1

展示は2つのセクションで構成されている。2階の展示室1では、木材の格子で組まれた什器に1960年代から、未完成のままで置かれていた作品までを網羅的に展示している。様々なアプローチを試行錯誤してきた櫃田自身の頭の中を少しだけ覗けるような仕組みになっている。

会場デザインも見所の一つだ。美術館建築の名手として知られる谷口吉生設計の豊田市美術館。2階まで吹き抜けとなり間接的に自然光が注ぐ展示室に、壁面と展示什器、床置きに至るまで様々な角度で絵画が交差するように配置されている。会場構成を手がけたのは、地元愛知県で活動する建築事務所の「STUDIO大」と「おどり場」の協業によるものだ。あらゆる作品に描かれた線が空間の中で縦横無尽につながっていくようだ。

作品同士が関連しあうかのように配置されている

続く展示室では3部屋にかけておおよそ制作年代順に櫃田の代表作や資料が並べられていく。徐々に大きなキャンバスを用いたり、意識的に接続されたキャンバス、そして90年代を境に表出していく山水への関心など、体系的に櫃田の作品と対峙することができる。興味深いのは、近年になって櫃田自身が過去の作品に加筆をしていることだ。足りない色彩を絵筆と時にはテープなどを用いて加えていく工程は、まるで変わりゆく風景の一瞬一瞬を留めているかのようだ。

体系的に櫃田の作品を鑑賞することができる

櫃田が描き出す風景とは

近年の作品では、感覚的な線とフレッシュな色彩で構成された生き生きとした表情の作品を見ることができる。2008年頃から徐々に櫃田の体を蝕むパーキンソン病の影響は計り知れないだろう。それと同時にあらゆる制約から解き放たれた自由な線に、一種の希望すら見出してしまう。

櫃田が描き続ける風景とは何なのか。少なくとも私には、目の前で見えている視覚的な景色を描く以上に、その場所の匂いや音、そこに吹く風、身体と心で得る感覚を絵画に写しとることのように感じられた。

《四季山水》1980s-2023
自身が使用していた作業机をキャンバスとして使用した作品。

 一通り作品を見終わると、最初の吹き抜けの部屋へと戻っていく。何度でも作品を見直したくなるような濃密な体験ができる展覧会だった。同時開催として、櫃田伸也と同時代に活躍した作家や、愛知県立芸術大学や東京藝術大学での教員としての側面を感じられる作品によるコレクション展が開催されている。合わせてチェックしてもらいたい。

展示室4

「櫃田伸也ー通り過ぎた風景」

会場:豊田市美術館(愛知県豊田市小坂本町8-5-1)
会期:2026年4月4日(土)~6月21日(日) 
休館日:月曜日 ※5月4日は開館
営業時間:10:00〜17:30(入場は17:00まで)
※営業時間は変更になる場合があります。最新情報は公式サイトをご確認ください。
観覧料:一般1,300円、高校・大学生900円、中学生以下無料
公式サイト:https://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/hitsuda2026

【インタビュー】“恥”をピュアに、ハイカラに。冠木佐和子の作品世界 – 後編

数々の広告やクライアントワークを手掛け、アニメーション作品は名だたる映画祭で高評価を獲得してきた冠木佐和子。前編では世界的に活躍する彼女のルーツに迫った。後編ではもう一つ踏み込んで、無二の創作の哲学に触れたい。

絵コンテを描かない、即興のアニメーション

「She Held Her Tongue」

アニメーションの最初の設計図として重要な役割を果たす「絵コンテ」を描かないと伺いました。理由を教えて下さい。

冠木 – 流石にクライアントワークになると色々な事情もあって描かないといけないのですが、個人でやる時は描かないです。「絵コンテ」があると、それに沿ってただアニメーションを作っていく「作業」みたいになってしまって。それが楽しくないんです。

その場の思いつきやひらめきをダイレクトに表現したい、という感覚ですか?

冠木 – 描きながら「この次どうしよう」と考えるのが好きなんです。そこが面白いなと思っています。

設計図がないと、全体をまとめ上げるのが難しそうにも思えます。

冠木 – そんなこともないですよ。そっちの方が楽しくて、むしろいい作品ができる気がします。

ということは、描き始める前はもちろん、描いている最中もご自身でさえ最後にどうなるのかわからないという状態なんですか?

冠木 – そうですね。作っている途中に「そろそろ終わりかな」と意識し始めて、終わりに近づくように展開を考えていく感じです。

アイデアはどこから湧いてきますか?日常生活でふっと降ってくるのか、机に向かって「やるぞ」と絞り出すのか。

冠木 – 「やるぞ」ってならないとダメですね。腰を据えて、締め切りギリギリで提出するみたいな。

意外です。日常の中でふっと降ってきて、ガーッと描き始めるイメージを勝手に持っていました。

冠木 – 自分の作品だとそうですけど、仕事になると、ちゃんと机に向かって「やるぞ」と決めないとなかなか難しいですね。

「たこやきストーリー」

アニメーション制作で失敗したことはありますか?

冠木 – 普通、1秒間に12枚とか15枚、24枚で描くんですけど、間違えて1秒を30枚に設定していたことがあって。描いても描いても終わらないなと思っていたら、設定が30枚になっていて、すごく大変でした。『たこやきストーリー』という作品で、すごくヌルヌル動くんです(笑)。

イラストとアニメーション、描き分けの意識

「ぺ」

一枚絵を描く時と、アニメーションとして描く時で意識の違いはありますか?

冠木 – イラストでは、アニメーションだとできないような細かい絵や細い線を思い切りやりまくれるんです。なので、アニメーションでできないことをイラストでやって、イラストでできないことをアニメーションでやるみたいな感覚ですね。

アニメーションをつくる時は音楽を聴いたりしていますか?あれだけ大きな動きをつくるのは無音だと難しそうな気もします。

冠木 – 今、波があって。音楽を聴く時期、ポッドキャストを聴く時期、無音の時期、その三周期があるんです。その中でも今は無音の状態で制作しています。

「やつら」に面白がってほしい

「サウスポー」

アニメーション制作で一番意識していることを教えて下さい。

冠木 – 自分が見ていて面白い、飽きない、というところですね。あとは、老若男女に面白がってもらえたら嬉しいです。

夜中に見たら爆笑してしまいました。

冠木 – ありがとうございます。子どもに好かれたいという想いはずっとあって。ああいう純粋な眼差しを持ったや̇つ̇ら̇に面白がってほしいんです。

「やつら」(笑)。『おかあさんにないしょ』などを見ていると、とてもそうは思えないんですが、子どもに向けた意識もあるんですね。それは大人の裏表ある感じや「穢れ」みたいなものへの拒否反応だったりするんでしょうか。

冠木 – そういうネガティブな方向ではなくて、自分が子どものときに見て楽しかったとか、そういうものを作る人に自分もなりたいというのがあって。何もない“まっさらな状態”のやつらに面白がってもらって、影響を与えたい、みたいな感覚なんです。

『クレヨンしんちゃん』のノリ

「おかあさんにないしょ」 / https://youtu.be/p2i574dM_kI?si=-72miWvtPzhUO-et

作品にはエロティックで強烈なモチーフが多い印象ですが、一方で不思議と生々しさは排除されている印象があります。そのあたりは意識されているんでしょうか。

冠木 – 何というか、『クレヨンしんちゃん』みたいなノリなんです。うんことかおしっことか、「そういうの面白いよね」みたいな。そのノリがまだ残っていて、そこに肉付けされていって今の形になっているんだと思います。だからこそ、生々しくなっちゃうとちょっとずれてくるんです。

お尻という「ちょうどいい」モチーフ

「roe」

「お尻」を描くこと、凄く多いですよね?

冠木 – そうですね。お尻って凄くちょうどいいモチーフな気がするんです。あんまり生々しくもないし、可愛いし。でも、ちょっと面白い場所じゃないですか。

確かに、そう言われると面白く見えてきます。

冠木 – でも、普通にセクシーな部位でもあるし。まあ、単純に好きなんですけど(笑)。なので、お尻を重点的に描いている感じはあります。

過去の個展で「Butt Therapy」(お尻セラピー)というタイトルのものもありますが、由来を教えて下さい。

冠木 – 小さいお尻が出た人間をたくさん描くことが多かったんです。それをしていると心が落ち着いて、瞑想的なヒーリング効果が得られるので付けた名前です。

何度もたくさん描いていく行為が瞑想に近いということなんですね。

冠木 – そうですね。

横尾忠則、小村雪岱──影響を受けた作家たち

『Young Punch』表紙イラスト

作風に影響を受けた方はいますか?

冠木 – 横尾忠則さんとか。60年代、70年代のグラフィックデザインが好きです。あとは予備校に通っていた時期の影響もあります。「美大に受かりやすい構図」とか、「余白を大事にしろ」とか、基本的なことですけど、そういうものの影響はすごくありますね。

色使いについてのこだわりはありますか?

冠木 – 色使いは小学生ぐらいから変わっていなくて。当時から好きな色は大体決まっていて、原色っぽいもの。一番好きなのはピンクと青ですね。最近は、彩度の薄い浮世絵っぽい色も使い始めました。

「open」

浮世絵や黄表紙のような、江戸時代の艶っぽい作品からの影響も感じます。

冠木 – 浮世絵も好きですね。5年ぐらい前に、小村雪岱という日本画家の展示を観に行って、その人の影響はすごく受けていると思います。

確かに、余白の使い方や雰囲気に共通するものを感じますね。昔の方なのに、どこかモダンというか。

冠木 – かっこいいですよね。色とか、人物の使い方、構図とかは参考になります。

「人物の使い方」というのは?

冠木 – 見え方というか、後ろ姿の哀愁とか、そういったところですかね。

映画や音楽など、他の創作物からヒントを得ることもありますか?

冠木 – あります、大いにありますね。

例えばどんな作品でしょう。

冠木 – 映画だと、アレハンドロ・ホドロフスキーの『ホーリー・マウンテン』とか。音楽だと決まったものは無いですが、去年の春はサンバをすごく聴いていました。

アナログへの憧れと、「ガチムチ」への目標

「needle」 / 先日卵子凍結を行ったという冠木さん。プロセスや経験が辛くも面白かったそうで、同時期に制作した作品の多くに卵子凍結の色が反映されている。特にポーランドで開催された映画祭「Animocje」(2026年4月21日〜4月/26日開催)で審査員を務めつつ行った展示では、展示作品のほとんどが卵子凍結のニュアンスを含んでいた。制作時期の出来事がダイレクトに作品に反映されている。

最後に、今後挑戦してみたいことはありますか?

冠木 – 先月が忙しすぎて、画面を見すぎてゲロ吐きそうになったんです。「デジタル疲れるな…」と思って、今はアナログの方に興味があります。ずっとやりたいとは思っていたんですけど、消しゴムのカスとかゴミがいっぱい出るじゃないですか。それが嫌で(笑)。ただ、私の作品で展示をするとなると、どうしてもプリントになってしまうんです。それをアナログならキャンバスに描いてそのまま展示できるから、羨ましいなって思います。やっぱり強さが違うというか。

現物としての強さ、ですね。

冠木 – そうですね。あと、今年の目標はガチムチになることです。

ガチムチというのは…?

冠木 – 体をでっかくしたいですね。プロテインもめっちゃ飲んでますよ。

ええ!意外です。一番鍛えたい部位は?

冠木 – お尻とか。

やっぱりお尻なんですね。

冠木 – 見た目で分かりやすいのは肩とか、二の腕ですよね。一回ボクシングジムにも行ったんですけど、体育会系のノリが辛すぎてやめました。

それも悪ふざけの一環なんですか?

冠木 – いや、それはガチです。

予測不能で即興的なアニメーション。確かなルーツを感じさせるイラストレーション。内から出るお尻への偏愛。シュール。作風の大胆さや唯一無二性といった第一の印象の奥に、そうした様々な要素が何層にも重なり合って作り上げられるのが冠木の作品群だ。印象は細部に宿るというが、冠木のそれは、強烈さ故に、静かに、しかし確かに控えている。荒唐無稽でもなければ、単なる悪ふざけに収まることもない。それこそが、冠木が現代的なアーティストたる所以かも知れない。

【インタビュー】“恥”をピュアに、ハイカラに。冠木佐和子の作品世界 – 前編

確かに、YouTubeにアップされた冠木佐和子のアニメーション作品を見ると、コメントに散見される意見は至極真っ当かも知れない。

うねうねとした奇妙奇天烈な動き。人間の“恥部”を隠すどころか曝け出した、異常とも思える作品群。それでも作品たちは、規制の厳しいYouTubeというプラットフォームにおいて、動画の消去やアカウントの停止を被らずにいる。

それはひとえに、彼女の作品が紛れもない「アート」として認められてきた証とも取れる。現に彼女のアニメーションは、世界の名だたる映画祭で評価されてきた。

「肛門的重苦 Ketsujiru Juke」 / ANAL JUKE – anal juice – (English subtitles) / https://youtu.be/oOa3skIlBIc?si=9sbI8LniLA0unNgg

アニメーションだけではない。彼女の一枚絵のイラスト表現は、明らかに横尾忠則や日本の伝統文化・浮世絵の系譜に連なる。冠木の表現する極めて日本的な「恥」の文化は、それでいてハイカラで、現代的だ。稀有のアーティスト・冠木佐和子が今、気になる。

冠木佐和子は、一体どのようにして育ったのか

「gohan」

冠木 – 小さい頃から絵を描いていましたが、シンプルな線で描いて、ベタ塗りするみたいなのは今と変わらないと思います。当時からパソコンのマウスでオリジナルの絵を描いていて、インターネットの「お絵かき掲示板」に投稿していました。

その当時からオリジナルの絵を描いていたんですね。

冠木 – そうですね。モチーフは日常的に自分が気になっているものとか、その時感じていることでした。中学生の時は制服がセーラー服だったのもあって、セーラー服の女の子を描いたりしていました。

その時は今に通づるような、いわゆる「エロい」要素も含まれていましたか?

冠木 – ずっとそうですね。それしかできることがなくて。運動もできないし、勉強も好きじゃない。でも絵が描けたので、将来は自然とそういう風になるだろうなと思っていました。

「flossing」

放課後はどのように過ごしていましたか?

冠木 – 中学2年の頃は学校をサボりがちになって、一人で遊んだりしていました。地元が江東区なんですけど、東京都現代美術館が近くにあって、中学生無料だったんです。常設展とか図書館に行ったり。あと、近くの公園でアリを拾ったりしてました(笑)。アリ育成キットみたいなのが流行っていて、それに入れて飼ってたんですけど、ある日突然それを振りたい衝動に駆られて、思いっきり振ったんです。そしたらみんな死んじゃって。なんか怖くなって、それから育てなくなりましたね。

……振ったんですね。

冠木 – あと、家のベランダから中学の校庭が見えて、体育の授業やってる時とかにそいつらに向かって氷投げたりとか。今考えるとマジヤバ中学生です(笑)。

サブカル好きはいつからですか?

冠木 – 小学5年生の時に観ていたNHKの『金曜かきこみTV』という番組で、みんなでゆるキャラを考えようみたいなコーナーがあったんです。その時に私の絵が採用されて、みうらじゅんにめちゃめちゃ褒められたんです。そこからみうらじゅんが好きになって、サブカル方面に行ってしまった気がします。当時は大槻ケンヂとか、そっち系の小説とかも読んでいました。

困ったら2ちゃんねる。相談の末進学した多摩美術大学

「cocktail」

大学受験では東京藝大を目指していたそうですね。

冠木 – なんとなく美大に行きたいなというのはずっとあって。藝大が一番いいという理由で目指していました。でも、落ちてしまって。多摩美には受かったので、浪人するか多摩美に入るかを「2ちゃんねる」で相談しました。

なかなか珍しい相談先ですね(笑)。

冠木 – 困ったら2ちゃんねるに相談みたいな(笑)。小学校の卒業式の前日に前髪を切りすぎた時も、「前髪切りすぎた。どうしよう」みたいなのを2ちゃんねるに相談していました。ずっとそういう感じですね。

結果的に多摩美のグラフィックデザイン科へ進学され、そこで初めてアニメーションの授業があったそうですね。

冠木 – そう、グラフィックの2年生の時に全員アニメーションをやらされるんです。生まれて初めてアニメーションを作りました。「面白いな」とは思ったんですけど、大変すぎて。1秒作るのに何枚も描かなきゃいけないし、二度とやりたくないなって思いました。寿命が削れてる感じがして。だから今でもイラストレーターになりたいなと思ってます。

今でもですか?

冠木 – そうですね(笑)。

「物が変態するのがアニメーションの良さだ」

作品を提出した時、教授の反応がかなり良かったとか。

冠木 – 褒められてちょっと調子に乗っちゃって。その作品は今もYouTubeで見れます。「⚪︎」っていうタイトルで。

「⚪︎」 / https://youtu.be/uffFiAZLqZ4?si=pkLvMPKYlFqmrnwP

初期の作品とは思えない程オリジナリティに溢れていますが、アイデアはどういったところから湧いてきますか?

冠木 – あまり何も考えてないんですけど、当時の先生が、「物が変態するのがアニメーションの良さだ」と言っていて。ぐにゃぐにゃいろんなものに変わるみたいな。そういうことは意識していたと思います。

卒業後、まさかのアダルトビデオ制作会社へ

「spa」

卒業後はアダルトビデオの制作会社に就職されたそうですね。一体何が起きたのでしょうか。

冠木 – 映像はずっと好きだったし、周りもみんな就活していたので、「受かったら面白そうだな」みたいなノリで受けたら、受かっちゃって。日本の映画監督にはAV出身の人もいるし、実写の勉強になるんじゃないかみたいな気持ちもあるにはあるにはありましたが、今思えば完全に悪ノリですね。

会社ではどのような仕事をしていましたか?

冠木 – 私、全然使えなかったみたいです。ADだったんですけど、ほとんどただ現場にいるだけ。そのうち卒業制作が映画祭にノミネートされて、仕事を休んで映画祭に行ったりしてたら、周りの人に「もうアニメーションに戻った方がいいんじゃない?」って言われて、結局半年ぐらいで辞めました。

それから、また突然多摩美の大学院へと進学されているのが驚きで。これにはどういった経緯が?

冠木 – 藝大コンプレックスがずっとあって、どうしても藝大の大学院に行きたかったんです。でも、受けようと思ったら締め切り日が過ぎてて。多摩美がまだ締め切っていなかったので、結局多摩美の院に行きました(笑)。理由としては集中して作品を作れる猶予期間が欲しかったというのもありました。

院ではどんなことを学ばれていましたか?

冠木 – 席を置いてるだけで、基本的に自分の作品制作に集中してました。教授がいるから、締め切りとかプレッシャーがある。そういう環境が欲しかったんです。

幼少期から今と変わらない作風だと語る冠木。放課後の衝撃的な遊び方から、進学、進路にまつわる話まで、前編では稀有のアーティスト・冠木佐和子がいかにして生まれたのか、その原点に迫った。後編ではもうひとつ、彼女の制作の裏側、作品に込められた想いを紐解いていこう。お楽しみに。

ガチャガチャは現代の美術館?

駅ビルのガチャガチャコーナーで、つい立ち止まってしまったことはないだろうか。コインを入れるわけでもなく、ただ見本を一通り眺めて、「これ誰が考えたんだろう」などと考えていると気づけば5分くらい経っている。あの行為、よく考えると「買い物」というより「鑑賞」に近いような気がしてくる。

なぜいま、大人がガチャガチャに向かうのか

かつてガチャガチャは子どもの遊びだった。少なくとも、そういうことになっていた。でもいま、都市部にはガシャポンのデパートやガチャガチャの森をはじめとする、フロアいっぱいにガチャガチャが並ぶ専門店が増え、まるで“聖地”のように人々が回遊する光景が生まれている。

TikTokでは「#ガチャガチャ」タグの動画が58万本近く投稿されており、SNSで話題になった商品は発売直後に売り切れることも珍しくない。SNSで入荷情報を発信する店舗もあり、ファンはそれをチェックしてから足を運ぶ。一方で、”ご当地ガチャ”も全国各地で続々と登場していて、旅先や街歩きの途中にふと回したガチャガチャがそのままお土産や旅の記憶になることも。能動的に探す人も、偶然出会う人も、それぞれのルートでガチャガチャに引き寄せられている。

背景にあるのは、商品そのものの変化だ。いまのガチャガチャは、300〜500円という価格帯からは想像できないクオリティを持っている。造形の精度、企画のアイデア、ディテールへのこだわり。それらが、ちゃんとある。

500円で買えるのに、なぜこんなに「本気」なのか

ジャンルで見ると、その「本気度」はさらによくわかる。

ネイチャーテクニカラー

ミニチュア系でいえば、ケンエレファントの「純喫茶ミニチュアコレクション」はパッケージのタイポグラフィやソーダ水の透明感まで公式監修のもと再現した、日本の食文化のアーカイブとも呼べる一品。いきもんの「ネイチャーテクニカラー」は動物や魚、鳥類から深海生物までもを図鑑的な精度で造形し、台座まで含めてひとつの博物展示として成立している。

フィギュア系は振り幅がさらに広い。
海洋堂の「カプセルQミュージアム 仏像立体図録」は阿修羅像や風神・雷神を博物館水準の塗装で再現し、奇譚クラブの「AIP はしもとみおシリーズ」は木彫彫刻家の作品を木目やノミ跡まで忠実に再現している。

カプセルQミュージアム 仏像立体図録

コンセプト系では、ケンエレファントの「beco+81 アートエモーショナル コレクション」は人気イラストレーターbeco+81の少しダークで可愛い世界観をフィギュア化。「call me」「checkmate」といった概念を現代美術的な構成で造形。
同じくケンエレファントの「ヨシタケシンスケ『きになったらかえばいい』」は、絵本作家ヨシタケシンスケの哲学的でユーモラスなイラストを立体化したシリーズ。単なるキャラクターグッズとは一線を画し、「視点の転換」や「日常への愛着」というコンセプト自体がフィギュアに宿っている。

ヨシタケシンスケ『きになったらかえばいい

「商品」と「作品」の線引きが、揺れている

美術館の展示室では、作品は選ばれ、並べられ、定期的に更新される。ガチャガチャ売り場でも、似たことが起きている。数百種類が密度高く並び、新作が入れ替わり、季節やトレンドに合わせてラインナップが動く。「何を置くか」という判断が、売り場全体の印象をつくる。偶然性も、体験の一部だ。何が出るかわからないランダム性は、美術館のそれとは違う。でも「思いがけないものに出会う」という感覚は、どこか鑑賞に近い。

近年、ガチャガチャとアートの距離は明らかに縮まっている。

彫刻家・近藤大輔による「DAISUKE KONDO art collection」は、記号化されたミニマルな動物造形で、余分な装飾を排したフォルムはモダンなインテリアとも相性が良さそう。
イラストレーターHONGAMAの「HONGAMA ミニチュアコレクション」は、独特の線の歪みや色彩をそのまま三次元に落とし込んだ、「動くイラストレーション」とでも呼びたくなる新鮮な体験。他にも、東京藝術大学とコラボした活版印刷のガチャガチャなど、アートの文脈にがっちり根を張った企画も生まれている。

制作者に作家性があり、コンセプトがあり、造形に意図がある。それは商品なのか、作品なのか。その問い自体が、もう古くなっているのかもしれない。好きな作家やシリーズを追いかけ、集めて、交換して、棚に飾る。その一連の行為は、推し活とも呼べるし、小さなコレクションとも呼べる。アートと推し活の境界が曖昧になっているのは、ガチャガチャの売り場がそれを自然に許している場所だからかもしれない。

それでも、美術館とは違う

とはいえ、ガチャガチャ売り場を美術館と同一視するのは無理がある。美術館には収蔵・保存・解説・批評・歴史化という機能がある。作品に文脈が与えられ、時間をかけて価値が積み上げられる。ガチャガチャの商品は入れ替わりが早く、作者の名前も表に出にくい。ランダム性は魅力である一方、鑑賞の文脈が担保されるわけではない。似ているからこそ、その違いははっきりと見える。むしろ両方を見ることで、「鑑賞とは何か」という問いが少し開く気がする。

ガチャガチャコーナーで立ち止まって、「これ誰が考えたんだろう」と思う。その行為は、たぶん鑑賞だ。価格が安くて、偶然性があって、持ち帰れる。その軽やかさが、日常に美意識を混ぜ込んでいる。

制度のある場所だけが、美と出会う場所ではない。いまの都市で、私たちはどこで「いいもの」に出会っているだろう。その答えのひとつが、あのガチャガチャコーナーの前にある気がする。

【インタビュー】もう1人のプリマドンナ。りく Ligtonの夢の続き – 後編

彼女自身の大胆さ、彼女の生み出すアニメーションのダイナミックさは、時にあのヒロインと重なって見える。「主役って大変だわ」と歌い上げた星街すいせいに負けじと存在感を放つ若き才能、りく Ligtonとは一体どんな人物なのか。これは、もう1人のプリマドンナの物語。

彗星の勉強から始まった『プリマドンナ』のMV制作

アニメーションを作る際、最初の工程はどんなことから始めるのでしょうか?

りく Ligton(以下:りく) – 基本的にまずは資料集めです。星街すいせいさんの『プリマドンナ』のMVでは、彼女というキャラクターに「彗星」や「天体」のモチーフがあったので、まずは宇宙望遠鏡の本などを買って勉強することから始めました。そこから何か良い要素を拾ってこれないかなと。 あとは、楽曲に「女優・星街すいせいの1週間」というコンセプトがあったので、ファッションショーの動画やブランドのギフトカタログなどを集めました。今回はGUCCIの2018年コレクションのルックをかなり参考にしています。ギフトカタログがイラストで作られていたのですが、リアリズムに徹した絵でありながらそこにファンタジー要素もあって、世界観がとてもお洒落なんです。そういった様々な資料からインスピレーションを広げて、絵コンテに落とし込んでいきました。

星街すいせいさんを描く際、特に意識したことありますか?

りく – 彼女の活動ポリシーやキャラクター性に「強い女性像」があると思います。私も強い女性を描くのが好きで得意分野だったので、あまり何かを意識して変えなくても自然に描けそうだという予感がありました。

「2分52秒」をどう使うか。ストーリーテリングを切り捨てる選択

星街すいせい 『プリマドンナ』MV内の衣装差分。女優コンセプトでの衣装デザインとなっている。

『プリマドンナ』は星街すいせいさんの独立後初となるMV作品ですよね。制作にあたって、何か特別な指示などはあったのですか?

りく – 実は、指示は限りなく少なかったんです。「女優コンセプトで、星街すいせいの1週間みたいなMVにできたら」という大枠のテーマを頂いただけで、あとは自由に任せていただきました。私はその方が作りやすかったので、ありがたかったですね。

「2分52秒」という短い尺をどう使うか、最初に考えたことは何でしょうか。

りく – 2分52秒は凄く短いので、やりたいことを詰め込みすぎると中身がごちゃごちゃになってしまいます。だから今回は、ストーリーテリング的な部分はあえてバッサリ切り捨てました。 物語を作るとなると、カットごとに緩急をつけたり、間を持たせる構成にしたりする必要があります。しかし、今回の曲は構成が非常にシンプルだったので、この短い尺で無理に物語を語ろうとしても視聴者に意図が伝わらないなと。だから今回はストーリーを語ることはせず、「見ていて気持ちいい映像」に全振りすることに決めました。

特にこだわったところを教えてください。

星街すいせい 『プリマドンナ』MV内の衣装差分。女優コンセプトでの衣装デザインとなっている。

りく – 全画面、毎秒・毎コマが「美しい画面」であることです。私は自分の作る作品の中に1枚も汚いものを混ぜたくないみたいな欲求があるんです。 棚に好きなものを綺麗に並べていくように、MVの2分52秒間をすべて美しい絵で埋めたかった。ルック(映像の見た目)はとにかく綺麗なものにしたい、という点には徹底的にこだわりました。

大ヒット作の舞台裏に隠された青春ストーリー

背景の描き込みやデザイン的な要素も強く感じました。その部分は美大時代のデザイン科の経験が活かされているのでは?

りく – 背景はChavoomさんというアーティストの方が一人で全て描いてくれています。お仕事するのは過去に作ったEveさんの楽曲「虎狼来」mvから2回目で、とても信頼している方です。デザイン周りは、多摩美術大学時代の同級生に頼みました。私はデザインができないので、前回のEveさんのMVや今回の『プリマドンナ』も含め、信頼できる同級生たちにお願いしています。今回はデザインと作画の両面で多摩美時代の同級生が4人ほど関わってくれているんです。

そんな青春ストーリーが隠れていたのですね…!

りく – たまたま学生時代の友人だったというだけで、みんなすでにプロの現場で何年も生き抜いてきたプロフェッショナルばかりです。大人になってもこうして集まれるのは嬉しいですね。 現場の雰囲気もすごく温かくて。制作のDiscordがあるのですが、私が納品報告をした時にみんながブワーッとスタンプで盛大に祝ってくれたんです。本当に居心地の良い現場でした。

『プリマドンナ』MV納品時のDiscord

1日50枚の原画。制作期間3ヶ月の舞台裏

制作期間はどれくらいですか?

りく – 丸3ヶ月ほどです。納品の4〜5日前になって「これ、終わらないな」と気づき、現実的な計算をしてみたんです。そうしたら「あと150枚あるから、1枚20分の計算で16時間、これを3日間描き続ければ終わる」という計算になりまして(笑)。 最終日の3日前くらいからは、1日2時間睡眠で、ひたすら1日50枚を描く生活をしていました。不可能だと思いましたが、実行してみたらなんとか間に合いました。

過酷ですね……。その3ヶ月間、精神的に落ち込むようなことはありませんでしたか?

りく – それは全くなかったです。MV制作は楽しいことばかりで、参加してくれた方々の技術のおかげもあって、辛い瞬間は全くなかったですね。今回は撮影監督の千葉大輔さんと二人三脚で作ったのですが、千葉さんがクライアントとの連絡や他のアニメーターとの連携をすべて引き受けてくださったので、私は描くことだけに100%専念できました。それも大きかったですね。

趣味と仕事の境界線はない。1日10時間超のルーティン

『プリマドンナ』MVの2分37秒時点の原画

この3ヶ月間、絵の合間に趣味として絵を描いたりはしましたか?

りく – 合間にもたくさん描きます。特に絵コンテの期間は、採用されなかったアイデアもたくさん出るので、それを別の機会に使うためにノートに描き留めています。 ずっと絵を描いて生きてきたので、自分の中で趣味と仕事の境界線は限りなく“ない”に等しいですね。

制作期間中の1日のスケジュールはどのようなものでしたか?

りく – MVを作っていた頃は、12時頃に起きて13時から19時まで一気に仕事。お腹が減ったらご飯を食べて、少し休憩してから21〜22時頃に再開し、深夜の3〜4時まで描く……という、ただの夜型生活です(笑)。 ただ、1日10時間はデフォルトで描いていますね。ずっと座っていると腰を悪くするので、昇降式のデスクを使って、立ったり座ったり動きながら描いています。

あの時遊んだポケモンカードが、今では______。

ここからはポケモンカードついても聞かせて下さい。
幼少期から「ポケモン」が好きでよく描いていたとのことですが、今ではポケモンカードのイラストも手掛けています。ひとつ夢が叶ったのでは?

りく – そうですね。子供の頃はポケモンカードで遊んだりもしていたのですが、まさか自分が描く側になるなんて想像もしていなかったです。もしタイムマシンがあったら、自分が描いたカードを過去の自分に送ってあげたいです。きっと腰を抜かすほど驚くでしょうね(笑)。

ちなみに、今でもポケカで遊ぶことはあるのですか?

りく – 描き始めてから再開したのですが、私にはカードゲームの才能がなかったみたいで(笑)。勝負事に負けるのが嫌いなのに、全然勝てないんですよ。だから悔しくてやめちゃいました。「自分で描いてるんだから強いだろう」とか思って始めたのですが、現実のバトルは厳しかったです…。

りくの描く夢の続き。いつかは「2時間の大作」を。

Gravity

幼少期からの夢だったポケモンカードのイラストまで手掛け、大活躍されているりくさんですが、今、描いていた夢のどのあたりまで来ましたか?

りく – 難しいですが……「3割」ですね。まだまだこれからです。

これから挑戦したいことはありますか?

りく – やはりアニメーションに軸を置きたいです。今は短編を何本か作らせていただいていますが、ゆくゆくは20分、1時間、そして最終的には「2時間尺の長編映画」にも挑戦したいと思っています。 もちろん、技術的にも資金的にも、今すぐ2時間の大作を作ることは不可能です。いつかそれを形にできるように、今は短いものからコツコツと作って地盤を固めている段階です。いつか脚本も自分で手掛けた映画を作れたらいいな、と。

それが最終目標なのですね。

りく – そうですね。そこに向けて着々と進んでいきたいです。これから先、「りくさんが作るフィルムってこういうルック、こういうクオリティだよね」という共通認識が業界や視聴者の皆さんの間に生まれたらいいなと思っています。 それに、周囲の人にお手伝いをお願いする際も、「りくさんの作品だからクオリティは妥協できないな」と思ってもらえたら、より良い作品が生み出せるはず。そういう共通認識と信頼のビジョンを作っていきたいです。

未来のクリエイターへ、そして過去の自分へ贈る言葉

最後に、これからイラストレーターやアニメーターを目指す若い人たちへアドバイスやメッセージをいただけますか。

りく – 私自身がまだ若手だと思っているので、アドバイスというおこがましいものは何もないのですが(笑)。

では、もし過去の若い自分に一つだけ言葉をかけられるとしたら、何と伝えますか?

りく – 「描くのをやめるな」ですね。とにかくひたすら描き続けろ、と伝えたいです。

FAQ – 募集質問コーナー

最後に、事前に募集した「りく Ligtonさん」への読者質問を掲載します。たくさんのご応募ありがとうございました。
ここに掲載されていないものも記事内の所々で話に登場するので、是非じっくり読んでみて下さい。今後も様々なアーティストで実施予定ですので、そちらも合わせてチェックしてみて下さい!

Q – ここ最近で衝撃を受けたアニメ作品は?

A – 『スパイダーマン:スパイダーバース』です。2Dの作画アニメではありませんが、画面からアニメーターの熱量がビシビシ伝わってくるところが大好きです。登場する様々なスパイダーマンごとに作風や原画のタッチが全く異なるのに、映像のルックとストーリーが完璧に融合している。単なる見た目の面白さだけでなく、「映画としての面白さ」に昇華されている点に衝撃を受けました。

Q – ご自身が描かれた中で、一番気に入っているポケモンカードは?

A – ムウマージのイラストです。アートレアではない通常のノーマルカードなのですが、夜が似合う紫色のゴーストポケモンを、あえて真昼間の広場にいるシチュエーションで描いたんです。それが自分の中で凄く上手くハマった感覚がありました。

Q – りくさんにとって青色は特別な色ですか?

A – 青は幼稚園の頃からずっと好きでした。なぜなのか自分でもうまく言語化したことはないのですが、青色ってバリエーションがすごく多い気がするんです。あと、水や海が好きでよく描くのですが、それらも青色だから、自分の好きなものが全て「青」に詰まっているのかもしれません。
小学校に上がるとき、親が赤いランドセルを買ってきてくれたことがありました。その時、3歳下の妹に、ついでに水色の自由帳も買ってきたんです。ランドセルと自由帳が並んでいるのを見て、ランドセルそっちのけで水色の自由帳が欲しくて「そっちが良かった!」と泣いた記憶があります(笑)。

Q – 絵とは離れた趣味などはありますか?

A – あまりないのですが、レゴ(LEGO)が好きです。ちょっとコレクター気質で、たくさん買っています。 最近のレゴはクオリティが凄くて、中には6万円や7万円するような高価なキットもあります。組み立てるのにすごく時間がかかるので、最近は積みレゴ(買ってそのまま積んでしまう状態)になっています(笑)。

Q – 集中が途切れたときや、煮詰まったときのリフレッシュ方法は?

A – 散歩に出かけます。外に出られないほど忙しいときは、家の中をウロウロしたりストレッチをしたりします。もっとしっかりリフレッシュしたいときは、キッチンに立ってパスタを茹でます(笑)。

Q – 目を描く時のこだわりはありますか?

A – 最近周りの方から言われ始めてこだわるようになりました。同時に「逆張り」のような意識も働きまして(笑)。眼球の情報量は逆に極限まで少なくしつつ、強い目力を表現できるように工夫しています。眼球の描き込みを減らす代わりに、白目とのバランスや、まつ毛のラインの引き方を意識することで、「強い目力」が出るようにコントロールしています。

【インタビュー】もう1人のプリマドンナ。りく Ligtonの夢の続き – 前編

プリマドンナとは、イタリア語のprima(第一の)とdonna(女性)が合わさった言葉で、通常はオペラにおける花形歌手、ヒロインを意味する。オリコン1位の獲得、日本武道館でのソロライブを成功させるなど、今やVtuberとして絶大な人気を誇る星街すいせいの最新楽曲には、もってこいのタイトルだった。

ところが、この楽曲にはもう1人のプリマドンナが存在する。

リリースから10日、YouTubeでの再生回数はすでに170万回に及ぶミュージックビデオを手掛けたのが、もう1人のヒロイン、りく Ligtonだ。
イラストレーター・アニメーターとして若くから最前線で戦う彼女が、2分52秒の大ヒットMVをいかにして作り上げたのか。「ポケモンカード」のイラスト、『呪術廻戦』や『チェンソーマン』のアニメーション原画を任されてきた彼女の謎に包まれた足跡から、最新作へと繋がる一幕の舞台を、今、じっくりと鑑賞しよう。

「ポケモン」、「初音ミク」に熱中した幼少期

Smile

りく Ligton(以下:りく) – 物心がついた時から絵を描いていました。中でも「ポケモン」が凄く好きで、幼少期はよく「ポケモン」の絵を描いていたと思います。そんな中、小学校4年生あたりで初めて「初音ミク」を知りました。当時は今ほどの人気もないし、「なんだこれ、面白い!」と衝撃を受けたのを覚えています。それからだんだんと女の子のイラストも描くようになっていきました。

当時はデジタルとアナログのどちらで描いていましたか?

りく – 親がパソコンに詳しかったのもあって、早い段階からデジタルで描いていました。ただ、最初はペンタブを持っていなかったのでマウスを使って曲線ツールで描いたりしていました。小学生の時に両親と「英検5級に受かったら板タブレットを買ってあげる」という約束をしたんです。無事に合格して買ってもらいました(笑)。

放課後や休み時間もずっと絵を描いているようなタイプでしたか?

りく – 当時は今と環境が違ったのもあって、オタクだとバレないように運動部に所属したり、絵を描いているのも周囲には秘密にしていたんです。高校生くらいまでは本当に孤独に絵を描いていました。だから、大学では同じように絵を描いている友達が欲しいなと思って美大に進んだんです。

絵を描く仲間を求めて美術大学へ。そこで出会ったアニメーションの衝撃

AM5:00

多摩美術大学のデザイン科ですね。

りく – そうです。多摩美の中でもデザイン科は特に倍率が高かったので、「倍率が高いということは絵の上手い人が集まっているのでは?」と思い受験しました。

入学してからはいかがでしたか?

りく – デザイン学科なので当然デザインをメインに学ぶわけですが、自分にはデザインセンスが無く、結局イラストばかり描いていましたね。

この時点で15年以上絵を描いていらっしゃると思うのですが、それまでは1枚の静止した絵を描いていた中で、それを動かしたくなった、アニメーションに初めて興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?

りく – 19歳の時に観た『プロメア』という映画に衝撃を受けたんです。何と言うか、画面から描き手の顔が見えるぐらいの熱量を感じたんです。本当にお絵描きを楽しみながら作っているのが感じられて、それが自分にとって強い衝撃で。「自分もアニメ描いてみたい!」と思いました。
幸運なことに、そのすぐ後に大学の授業でアニメーションを作る授業があったんです。そこから一気にアニメーションの世界にのめり込んでいきました。

その時に作ったアニメーションで覚えていることはありますか?

りく – 初めて動いた時は本当に感動しました。絵を5枚ほど描いて繋げたら、動いてるんです…!

ちょっと不思議というか。

りく – そうなんです。これだと腕と頭だけで体が全く動いていないのですが、それでも「アニメだ!」と感動しました。

ポニテメイド

ただ、今思い出しました…!小学生の頃に持っていたDSiに元から入っている「うごメモ」というものがあって、それを使うとピクセル単位の小さな画面に絵を描いて、簡単なアニメが作れるんです。ボカロの曲のMVとかを自分なりに作って遊んでいたのが、今思うとアニメーション制作の原体験ですね。
そういうこともありつつ、大学時代は少しずつSNSにアニメーション作品を上げていって、それがきっかけで最初のお仕事を頂きました。

学生時代に舞い込んだMV依頼

DUSTSELLの楽曲MV『CULT』ですね。在学中に大きなお仕事を抱えていたのは大変だったのでは?

りく – 不真面目な学生だったと思います(笑)。美大の課題って大量にあるんです。それよりも仕事だったりSNSに作品をアップしている方が楽しかったので、とにかくそっちにリソースを割いて、余ったわずかな時間に課題を詰め込んで、最低限単位を落とさないようにしていました。周りの友達もそういう人が多かったので、切磋琢磨しながら、大学生活のほとんどずっと絵を描いていたと思います。

『CULT』の制作にはどのくらい掛かりましたか?

りく – 色塗りの部分は大学の友達に手伝って貰いながら、1ヶ月ほどで作ったと思います。

たった1ヶ月ですか…。本格的にアニメーションを学び始めて数ヶ月で作り上げたとは思えない完成度です。

りく – ただ、実は「絵」が上手く描けない感覚がずっとあったんです。

「絵の上手さ以外の魅力が自分にはあるかもしれない」

りく – 画力コンプレックスと言うか、「一枚絵」だと思ったように描けないという感覚がずっとあったんです。可愛い顔が描けない、色も塗って完成したはずが、なぜか締まらない、上手くいかない…。でも、何故そうなってしまうのかずっと分からなかったんです。

それが、アニメーション制作を通して変わってきた?

りく – そう思います。それまでは厚塗りでイラストを描くことが多かったのですが、それだと1枚描くだけで物凄く時間がかかるんです。時間をかけている間にゲシュタルト崩壊を起こして良し悪しが判断できなくなっていくことがよくあって。アニメーションは枚数を沢山書かなければいけないので、一枚に長く時間をかけていられないんです。なのでアニメをやることで時間をかけ過ぎる癖が抜けていった感覚はあります。

あともうひとつ解決に繋がったのが、「絵の上手さ以外の魅力が自分にはあるかもしれない」という考えでした。

具体的にどういったところですか?

りく – アニメーションの“動き”としての見せ方だったり、動画そのものの構成だったり。アニメーションには一枚絵だけでは表現できないその他のたくさんの要素があります。そういったところは凄く得意だし、やっていて楽しいところですね。

大ヒット作の現場で味わった「自分の絵柄が描けない」という挫折

呪術廻戦44話イメージボード

お話を聞いていると、アニメーションが得意で、順調にステップアップしてきた印象を受けますが、これまでに挫折を味わったことはありましたか?

りく – それで言ったら、アニメーション制作会社に入社した時ですね。

具体的にどのような挫折だったのでしょうか。

りく – 商業アニメの現場では、描くものが「自分の絵柄」ではないんです。私が入社して最初に携わったのは『チェンソーマン』でした。もちろんそれは光栄で凄いことなのですが、当然ながら『チェンソーマン』の絵柄に合わせて描かなければなりません。 ただ、私はそれが本当に苦手で、全く描けなかったんです。「この絵柄が描けないなら、何もできないじゃないか…」と、当時は強い挫折感を味わいました。

自我を消して作品に徹する難しさ、あるいは「エゴではいけない」という葛藤があったのですね。

りく – そうですね。商業アニメをやる時は、あくまで人の作品にお邪魔している、手伝わせてもらっているという感覚は今でも強いです。

自由を求めて。『超かぐや姫!』で突き詰めた“自分の個性”

そこからフリーランスになったきっかけや、当時の思いを教えてください。

りく – 他社の仕事にも挑戦したかったのが一番の理由です。MAPPAに在籍していた頃、コロリドから『超かぐや姫!』の原画のお誘いをいただきました。その作品にがっつり参加したいと思ったのですが、会社に所属したままだと調整が難しく、思い切って独立を決めました。タイミング的にもちょうど2年経った頃だったので、一旦離れて他の会社も見てみようかなと。

この時は原画としてのみ参加されたのですか?

りく – 原画だけでなく、自分の担当パートの作画監督もやらせていただきました。通常、原画マンのラフに対して作画監督が修正を入れるのですが、私のパートは自分で自分の絵に修正を入れて、最終画面までの責任を持たせていただけたので、パート一連でまとまりのある画面が作れたんじゃないかなと思います。 また、『超かぐや姫』は監督の山下清悟さんのオリジナル作品だったので、山下さんや演出の中山直哉さんにやりたい事を直接相談しながら進められたのも大きかったです。そういう自由な環境でやりたいとちょうど思っていた時期だったので、本当に良いタイミングで参加させていただけた作品でした。

『チェンソーマン』や『呪術廻戦』のような大人気作品の現場を離れることに、恐れやリスクは感じませんでしたか?

りく – それは全くなかったですね。 もっと自分で考えて決めたことを表現したいという欲求が強かったんです。なので、恐れよりも「もっと自由なことがしたい」というポジティブな気持ちの方が勝っていました。

制約のない「自由」の中で、自分の正解を追い求める

受験の時も敢えて倍率の高い学科へ挑戦されたり、今回も自由を求めて独立されたり…その思い切りの強さは作品のダイナミックさにも影響しているのでしょうか。

りく – どうですかね…?でも、「常に新しいものを作りたい」という気持ちはあります。一つの表現に挑戦して形にできたら、次はもう別の新しい表現に行きたくなるんです。

以前、別のイラストレーターの方から「制約がある方がむしろやりやすい」「自由って何て難しいんだろう」というお話も伺った(関連記事:Mika Pikazo × ORIHARA「創作は私たちを幸せにするか」 – 前編)のですが、りくさんはそういった感覚はありませんか?

りく – 面白いですね、むしろ私は真逆です。誰かの要望や思想、「他人の正解」に応えなければならないやり方だと、「これは正解なのかな、間違っているのかな」と考えすぎて萎縮してしまい、手が止まってしまうんです。 逆に、自由であれば自分が答えを出していいわけですよね。何をやっても自分の正解になる。その方が私にとっては圧倒的に楽ですし、やっていて楽しいんです。

敢えて倍率の高い学科を受験したかと思えば、自由を求めて大ヒット作に携われる環境を手放してしまう。彼女の大胆さは、時にあのヒロインに重なって見える。と同時に、星街すいせいが『プリマドンナ』で歌った「譲れないわ MY STAGE」、その舞台裏が、いよいよ気になってきた。

後編では、そんな最新MV『プリマドンナ』の制作の舞台裏を紐解いていこう。
最後には事前募集した質問への回答も。お楽しみに!

後編へ続く

人気記事

RANKING