【インタビュー】もう1人のプリマドンナ。りく Ligtonの夢の続き – 後編

彼女自身の大胆さ、彼女の生み出すアニメーションのダイナミックさは、時にあのヒロインと重なって見える。「主役って大変だわ」と歌い上げた星街すいせいに負けじと存在感を放つ若き才能、りく Ligtonとは一体どんな人物なのか。これは、もう1人のプリマドンナの物語。

彗星の勉強から始まった『プリマドンナ』のMV制作

アニメーションを作る際、最初の工程はどんなことから始めるのでしょうか?

りく Ligton(以下:りく) – 基本的にまずは資料集めです。星街すいせいさんの『プリマドンナ』のMVでは、彼女というキャラクターに「彗星」や「天体」のモチーフがあったので、まずは宇宙望遠鏡の本などを買って勉強することから始めました。そこから何か良い要素を拾ってこれないかなと。 あとは、楽曲に「女優・星街すいせいの1週間」というコンセプトがあったので、ファッションショーの動画やブランドのギフトカタログなどを集めました。今回はGUCCIの2018年コレクションのルックをかなり参考にしています。ギフトカタログがイラストで作られていたのですが、リアリズムに徹した絵でありながらそこにファンタジー要素もあって、世界観がとてもお洒落なんです。そういった様々な資料からインスピレーションを広げて、絵コンテに落とし込んでいきました。

星街すいせいさんを描く際、特に意識したことありますか?

りく – 彼女の活動ポリシーやキャラクター性に「強い女性像」があると思います。私も強い女性を描くのが好きで得意分野だったので、あまり何かを意識して変えなくても自然に描けそうだという予感がありました。

「2分52秒」をどう使うか。ストーリーテリングを切り捨てる選択

星街すいせい 『プリマドンナ』MV内の衣装差分。女優コンセプトでの衣装デザインとなっている。

『プリマドンナ』は星街すいせいさんの独立後初となるMV作品ですよね。制作にあたって、何か特別な指示などはあったのですか?

りく – 実は、指示は限りなく少なかったんです。「女優コンセプトで、星街すいせいの1週間みたいなMVにできたら」という大枠のテーマを頂いただけで、あとは自由に任せていただきました。私はその方が作りやすかったので、ありがたかったですね。

「2分52秒」という短い尺をどう使うか、最初に考えたことは何でしょうか。

りく – 2分52秒は凄く短いので、やりたいことを詰め込みすぎると中身がごちゃごちゃになってしまいます。だから今回は、ストーリーテリング的な部分はあえてバッサリ切り捨てました。 物語を作るとなると、カットごとに緩急をつけたり、間を持たせる構成にしたりする必要があります。しかし、今回の曲は構成が非常にシンプルだったので、この短い尺で無理に物語を語ろうとしても視聴者に意図が伝わらないなと。だから今回はストーリーを語ることはせず、「見ていて気持ちいい映像」に全振りすることに決めました。

特にこだわったところを教えてください。

星街すいせい 『プリマドンナ』MV内の衣装差分。女優コンセプトでの衣装デザインとなっている。

りく – 全画面、毎秒・毎コマが「美しい画面」であることです。私は自分の作る作品の中に1枚も汚いものを混ぜたくないみたいな欲求があるんです。 棚に好きなものを綺麗に並べていくように、MVの2分52秒間をすべて美しい絵で埋めたかった。ルック(映像の見た目)はとにかく綺麗なものにしたい、という点には徹底的にこだわりました。

大ヒット作の舞台裏に隠された青春ストーリー

背景の描き込みやデザイン的な要素も強く感じました。その部分は美大時代のデザイン科の経験が活かされているのでは?

りく – 背景はChavoomさんというアーティストの方が一人で全て描いてくれています。お仕事するのは過去に作ったEveさんの楽曲「虎狼来」mvから2回目で、とても信頼している方です。デザイン周りは、多摩美術大学時代の同級生に頼みました。私はデザインができないので、前回のEveさんのMVや今回の『プリマドンナ』も含め、信頼できる同級生たちにお願いしています。今回はデザインと作画の両面で多摩美時代の同級生が4人ほど関わってくれているんです。

そんな青春ストーリーが隠れていたのですね…!

りく – たまたま学生時代の友人だったというだけで、みんなすでにプロの現場で何年も生き抜いてきたプロフェッショナルばかりです。大人になってもこうして集まれるのは嬉しいですね。 現場の雰囲気もすごく温かくて。制作のDiscordがあるのですが、私が納品報告をした時にみんながブワーッとスタンプで盛大に祝ってくれたんです。本当に居心地の良い現場でした。

『プリマドンナ』MV納品時のDiscord

1日50枚の原画。制作期間3ヶ月の舞台裏

制作期間はどれくらいですか?

りく – 丸3ヶ月ほどです。納品の4〜5日前になって「これ、終わらないな」と気づき、現実的な計算をしてみたんです。そうしたら「あと150枚あるから、1枚20分の計算で16時間、これを3日間描き続ければ終わる」という計算になりまして(笑)。 最終日の3日前くらいからは、1日2時間睡眠で、ひたすら1日50枚を描く生活をしていました。不可能だと思いましたが、実行してみたらなんとか間に合いました。

過酷ですね……。その3ヶ月間、精神的に落ち込むようなことはありませんでしたか?

りく – それは全くなかったです。MV制作は楽しいことばかりで、参加してくれた方々の技術のおかげもあって、辛い瞬間は全くなかったですね。今回は撮影監督の千葉大輔さんと二人三脚で作ったのですが、千葉さんがクライアントとの連絡や他のアニメーターとの連携をすべて引き受けてくださったので、私は描くことだけに100%専念できました。それも大きかったですね。

趣味と仕事の境界線はない。1日10時間超のルーティン

『プリマドンナ』MVの2分37秒時点の原画

この3ヶ月間、絵の合間に趣味として絵を描いたりはしましたか?

りく – 合間にもたくさん描きます。特に絵コンテの期間は、採用されなかったアイデアもたくさん出るので、それを別の機会に使うためにノートに描き留めています。 ずっと絵を描いて生きてきたので、自分の中で趣味と仕事の境界線は限りなく“ない”に等しいですね。

制作期間中の1日のスケジュールはどのようなものでしたか?

りく – MVを作っていた頃は、12時頃に起きて13時から19時まで一気に仕事。お腹が減ったらご飯を食べて、少し休憩してから21〜22時頃に再開し、深夜の3〜4時まで描く……という、ただの夜型生活です(笑)。 ただ、1日10時間はデフォルトで描いていますね。ずっと座っていると腰を悪くするので、昇降式のデスクを使って、立ったり座ったり動きながら描いています。

あの時遊んだポケモンカードが、今では______。

ここからはポケモンカードついても聞かせて下さい。
幼少期から「ポケモン」が好きでよく描いていたとのことですが、今ではポケモンカードのイラストも手掛けています。ひとつ夢が叶ったのでは?

りく – そうですね。子供の頃はポケモンカードで遊んだりもしていたのですが、まさか自分が描く側になるなんて想像もしていなかったです。もしタイムマシンがあったら、自分が描いたカードを過去の自分に送ってあげたいです。きっと腰を抜かすほど驚くでしょうね(笑)。

ちなみに、今でもポケカで遊ぶことはあるのですか?

りく – 描き始めてから再開したのですが、私にはカードゲームの才能がなかったみたいで(笑)。勝負事に負けるのが嫌いなのに、全然勝てないんですよ。だから悔しくてやめちゃいました。「自分で描いてるんだから強いだろう」とか思って始めたのですが、現実のバトルは厳しかったです…。

りくの描く夢の続き。いつかは「2時間の大作」を

Gravity

幼少期からの夢だったポケモンカードのイラストまで手掛け、大活躍されているりくさんですが、今、描いていた夢のどのあたりまで来ましたか?

りく – 難しいですが……「3割」ですね。まだまだこれからです。

これから挑戦したいことはありますか?

りく – やはりアニメーションに軸を置きたいです。今は短編を何本か作らせていただいていますが、ゆくゆくは20分、1時間、そして最終的には「2時間尺の長編映画」にも挑戦したいと思っています。 もちろん、技術的にも資金的にも、今すぐ2時間の大作を作ることは不可能です。いつかそれを形にできるように、今は短いものからコツコツと作って地盤を固めている段階です。いつか脚本も自分で手掛けた映画を作れたらいいな、と。

それが最終目標なのですね。

りく – そうですね。そこに向けて着々と進んでいきたいです。これから先、「りくさんが作るフィルムってこういうルック、こういうクオリティだよね」という共通認識が業界や視聴者の皆さんの間に生まれたらいいなと思っています。 それに、周囲の人にお手伝いをお願いする際も、「りくさんの作品だからクオリティは妥協できないな」と思ってもらえたら、より良い作品が生み出せるはず。そういう共通認識と信頼のビジョンを作っていきたいです。

未来のクリエイターへ、そして過去の自分へ贈る言葉

最後に、これからイラストレーターやアニメーターを目指す若い人たちへアドバイスやメッセージをいただけますか。

りく – 私自身がまだ若手だと思っているので、アドバイスというおこがましいものは何もないのですが(笑)。

では、もし過去の若い自分に一つだけ言葉をかけられるとしたら、何と伝えますか?

りく – 「描くのをやめるな」ですね。とにかくひたすら描き続けろ、と伝えたいです。

FAQ – 募集質問コーナー

最後に、事前に募集した「りく Ligtonさん」への読者質問を掲載します。たくさんのご応募ありがとうございました。
ここに掲載されていないものも記事内の所々で話に登場するので、是非じっくり読んでみて下さい。今後も様々なアーティストで実施予定ですので、そちらも合わせてチェックしてみて下さい!

Q – ここ最近で衝撃を受けたアニメ作品は?

A – 『スパイダーマン:スパイダーバース』です。2Dの作画アニメではありませんが、画面からアニメーターの熱量がビシビシ伝わってくるところが大好きです。登場する様々なスパイダーマンごとに作風や原画のタッチが全く異なるのに、映像のルックとストーリーが完璧に融合している。単なる見た目の面白さだけでなく、「映画としての面白さ」に昇華されている点に衝撃を受けました。

Q – ご自身が描かれた中で、一番気に入っているポケモンカードは?

A – ムウマージのイラストです。アートレアではない通常のノーマルカードなのですが、夜が似合う紫色のゴーストポケモンを、あえて真昼間の広場にいるシチュエーションで描いたんです。それが自分の中で凄く上手くハマった感覚がありました。

Q – りくさんにとって青色は特別な色ですか?

A – 青は幼稚園の頃からずっと好きでした。なぜなのか自分でもうまく言語化したことはないのですが、青色ってバリエーションがすごく多い気がするんです。あと、水や海が好きでよく描くのですが、それらも青色だから、自分の好きなものが全て「青」に詰まっているのかもしれません。
小学校に上がるとき、親が赤いランドセルを買ってきてくれたことがありました。その時、3歳下の妹に、ついでに水色の自由帳も買ってきたんです。ランドセルと自由帳が並んでいるのを見て、ランドセルそっちのけで水色の自由帳が欲しくて「そっちが良かった!」と泣いた記憶があります(笑)。

Q – 絵とは離れた趣味などはありますか?

A – あまりないのですが、レゴ(LEGO)が好きです。ちょっとコレクター気質で、たくさん買っています。 最近のレゴはクオリティが凄くて、中には6万円や7万円するような高価なキットもあります。組み立てるのにすごく時間がかかるので、最近は積みレゴ(買ってそのまま積んでしまう状態)になっています(笑)。

Q – 集中が途切れたときや、煮詰まったときのリフレッシュ方法は?

A – 散歩に出かけます。外に出られないほど忙しいときは、家の中をウロウロしたりストレッチをしたりします。もっとしっかりリフレッシュしたいときは、キッチンに立ってパスタを茹でます(笑)。

Q – 目を描く時のこだわりはありますか?

A – 最近周りの方から言われ始めてこだわるようになりました。同時に「逆張り」のような意識も働きまして(笑)。眼球の情報量は逆に極限まで少なくしつつ、強い目力を表現できるように工夫しています。眼球の描き込みを減らす代わりに、白目とのバランスや、まつ毛のラインの引き方を意識することで、「強い目力」が出るようにコントロールしています。

【インタビュー】もう1人のプリマドンナ。りく Ligtonの夢の続き – 前編

プリマドンナとは、イタリア語のprima(第一の)とdonna(女性)が合わさった言葉で、通常はオペラにおける花形歌手、ヒロインを意味する。オリコン1位の獲得、日本武道館でのソロライブを成功させるなど、今やVtuberとして絶大な人気を誇る星街すいせいの最新楽曲には、もってこいのタイトルだった。

ところが、この楽曲にはもう1人のプリマドンナが存在する。

リリースから10日、YouTubeでの再生回数はすでに170万回に及ぶミュージックビデオを手掛けたのが、もう1人のヒロイン、りく Ligtonだ。
イラストレーター・アニメーターとして若くから最前線で戦う彼女が、2分52秒の大ヒットMVをいかにして作り上げたのか。「ポケモンカード」のイラスト、『呪術廻戦』や『チェンソーマン』のアニメーション原画を任されてきた彼女の謎に包まれた足跡から、最新作へと繋がる一幕の舞台を、今、じっくりと鑑賞しよう。

「ポケモン」、「初音ミク」に熱中した幼少期

Smile

りく Ligton(以下:りく) – 物心がついた時から絵を描いていました。中でも「ポケモン」が凄く好きで、幼少期はよく「ポケモン」の絵を描いていたと思います。そんな中、小学校4年生あたりで初めて「初音ミク」を知りました。当時は今ほどの人気もないし、「なんだこれ、面白い!」と衝撃を受けたのを覚えています。それからだんだんと女の子のイラストも描くようになっていきました。

当時はデジタルとアナログのどちらで描いていましたか?

りく – 親がパソコンに詳しかったのもあって、早い段階からデジタルで描いていました。ただ、最初はペンタブを持っていなかったのでマウスを使って曲線ツールで描いたりしていました。小学生の時に両親と「英検5級に受かったら板タブレットを買ってあげる」という約束をしたんです。無事に合格して買ってもらいました(笑)。

放課後や休み時間もずっと絵を描いているようなタイプでしたか?

りく – 当時は今と環境が違ったのもあって、オタクだとバレないように運動部に所属したり、絵を描いているのも周囲には秘密にしていたんです。高校生くらいまでは本当に孤独に絵を描いていました。だから、大学では同じように絵を描いている友達が欲しいなと思って美大に進んだんです。

絵を描く仲間を求めて美術大学へ。そこで出会ったアニメーションの衝撃

AM5:00

多摩美術大学のデザイン科ですね。

りく – そうです。多摩美の中でもデザイン科は特に倍率が高かったので、「倍率が高いということは絵の上手い人が集まっているのでは?」と思い受験しました。

入学してからはいかがでしたか?

りく – デザイン学科なので当然デザインをメインに学ぶわけですが、自分にはデザインセンスが無く、結局イラストばかり描いていましたね。

この時点で15年以上絵を描いていらっしゃると思うのですが、それまでは1枚の静止した絵を描いていた中で、それを動かしたくなった、アニメーションに初めて興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか?

りく – 19歳の時に観た『プロメア』という映画に衝撃を受けたんです。何と言うか、画面から描き手の顔が見えるぐらいの熱量を感じたんです。本当にお絵描きを楽しみながら作っているのが感じられて、それが自分にとって強い衝撃で。「自分もアニメ描いてみたい!」と思いました。
幸運なことに、そのすぐ後に大学の授業でアニメーションを作る授業があったんです。そこから一気にアニメーションの世界にのめり込んでいきました。

その時に作ったアニメーションで覚えていることはありますか?

りく – 初めて動いた時は本当に感動しました。絵を5枚ほど描いて繋げたら、動いてるんです…!

ちょっと不思議というか。

りく – そうなんです。これだと腕と頭だけで体が全く動いていないのですが、それでも「アニメだ!」と感動しました。

ポニテメイド

ただ、今思い出しました…!小学生の頃に持っていたDSiに元から入っている「うごメモ」というものがあって、それを使うとピクセル単位の小さな画面に絵を描いて、簡単なアニメが作れるんです。ボカロの曲のMVとかを自分なりに作って遊んでいたのが、今思うとアニメーション制作の原体験ですね。
そういうこともありつつ、大学時代は少しずつSNSにアニメーション作品を上げていって、それがきっかけで最初のお仕事を頂きました。

学生時代に舞い込んだMV依頼

DUSTSELLの楽曲MV『CULT』ですね。在学中に大きなお仕事を抱えていたのは大変だったのでは?

りく – 不真面目な学生だったと思います(笑)。美大の課題って大量にあるんです。それよりも仕事だったりSNSに作品をアップしている方が楽しかったので、とにかくそっちにリソースを割いて、余ったわずかな時間に課題を詰め込んで、最低限単位を落とさないようにしていました。周りの友達もそういう人が多かったので、切磋琢磨しながら、大学生活のほとんどずっと絵を描いていたと思います。

『CULT』の制作にはどのくらい掛かりましたか?

りく – 色塗りの部分は大学の友達に手伝って貰いながら、1ヶ月ほどで作ったと思います。

たった1ヶ月ですか…。本格的にアニメーションを学び始めて数ヶ月で作り上げたとは思えない完成度です。

りく – ただ、実は「絵」が上手く描けない感覚がずっとあったんです。

「絵の上手さ以外の魅力が自分にはあるかもしれない」

りく – 画力コンプレックスと言うか、「一枚絵」だと思ったように描けないという感覚がずっとあったんです。可愛い顔が描けない、色も塗って完成したはずが、なぜか締まらない、上手くいかない…。でも、何故そうなってしまうのかずっと分からなかったんです。

それが、アニメーション制作を通して変わってきた?

りく – そう思います。それまでは厚塗りでイラストを描くことが多かったのですが、それだと1枚描くだけで物凄く時間がかかるんです。時間をかけている間にゲシュタルト崩壊を起こして良し悪しが判断できなくなっていくことがよくあって。アニメーションは枚数を沢山書かなければいけないので、一枚に長く時間をかけていられないんです。なのでアニメをやることで時間をかけ過ぎる癖が抜けていった感覚はあります。

あともうひとつ解決に繋がったのが、「絵の上手さ以外の魅力が自分にはあるかもしれない」という考えでした。

具体的にどういったところですか?

りく – アニメーションの“動き”としての見せ方だったり、動画そのものの構成だったり。アニメーションには一枚絵だけでは表現できないその他のたくさんの要素があります。そういったところは凄く得意だし、やっていて楽しいところですね。

大ヒット作の現場で味わった「自分の絵柄が描けない」という挫折

呪術廻戦44話イメージボード

お話を聞いていると、アニメーションが得意で、順調にステップアップしてきた印象を受けますが、これまでに挫折を味わったことはありましたか?

りく – それで言ったら、アニメーション制作会社に入社した時ですね。

具体的にどのような挫折だったのでしょうか。

りく – 商業アニメの現場では、描くものが「自分の絵柄」ではないんです。私が入社して最初に携わったのは『チェンソーマン』でした。もちろんそれは光栄で凄いことなのですが、当然ながら『チェンソーマン』の絵柄に合わせて描かなければなりません。 ただ、私はそれが本当に苦手で、全く描けなかったんです。「この絵柄が描けないなら、何もできないじゃないか…」と、当時は強い挫折感を味わいました。

自我を消して作品に徹する難しさ、あるいは「エゴではいけない」という葛藤があったのですね。

りく – そうですね。商業アニメをやる時は、あくまで人の作品にお邪魔している、手伝わせてもらっているという感覚は今でも強いです。

自由を求めて。『超かぐや姫!』で突き詰めた“自分の個性”

そこからフリーランスになったきっかけや、当時の思いを教えてください。

りく – 他社の仕事にも挑戦したかったのが一番の理由です。MAPPAに在籍していた頃、コロリドから『超かぐや姫!』の原画のお誘いをいただきました。その作品にがっつり参加したいと思ったのですが、会社に所属したままだと調整が難しく、思い切って独立を決めました。タイミング的にもちょうど2年経った頃だったので、一旦離れて他の会社も見てみようかなと。

この時は原画としてのみ参加されたのですか?

りく – 原画だけでなく、自分の担当パートの作画監督もやらせていただきました。通常、原画マンのラフに対して作画監督が修正を入れるのですが、私のパートは自分で自分の絵に修正を入れて、最終画面までの責任を持たせていただけたので、パート一連でまとまりのある画面が作れたんじゃないかなと思います。 また、『超かぐや姫』は監督の山下清悟さんのオリジナル作品だったので、山下さんや演出の中山直哉さんにやりたい事を直接相談しながら進められたのも大きかったです。そういう自由な環境でやりたいとちょうど思っていた時期だったので、本当に良いタイミングで参加させていただけた作品でした。

『チェンソーマン』や『呪術廻戦』のような大人気作品の現場を離れることに、恐れやリスクは感じませんでしたか?

りく – それは全くなかったですね。 もっと自分で考えて決めたことを表現したいという欲求が強かったんです。なので、恐れよりも「もっと自由なことがしたい」というポジティブな気持ちの方が勝っていました。

制約のない「自由」の中で、自分の正解を追い求める

受験の時も敢えて倍率の高い学科へ挑戦されたり、今回も自由を求めて独立されたり…その思い切りの強さは作品のダイナミックさにも影響しているのでしょうか。

りく – どうですかね…?でも、「常に新しいものを作りたい」という気持ちはあります。一つの表現に挑戦して形にできたら、次はもう別の新しい表現に行きたくなるんです。

以前、別のイラストレーターの方から「制約がある方がむしろやりやすい」「自由って何て難しいんだろう」というお話も伺った(関連記事:Mika Pikazo × ORIHARA「創作は私たちを幸せにするか」 – 前編)のですが、りくさんはそういった感覚はありませんか?

りく – 面白いですね、むしろ私は真逆です。誰かの要望や思想、「他人の正解」に応えなければならないやり方だと、「これは正解なのかな、間違っているのかな」と考えすぎて萎縮してしまい、手が止まってしまうんです。 逆に、自由であれば自分が答えを出していいわけですよね。何をやっても自分の正解になる。その方が私にとっては圧倒的に楽ですし、やっていて楽しいんです。

敢えて倍率の高い学科を受験したかと思えば、自由を求めて大ヒット作に携われる環境を手放してしまう。彼女の大胆さは、時にあのヒロインに重なって見える。と同時に、星街すいせいが『プリマドンナ』で歌った「譲れないわ MY STAGE」、その舞台裏が、いよいよ気になってきた。

後編では、そんな最新MV『プリマドンナ』の制作の舞台裏を紐解いていこう。
最後には事前募集した質問への回答も。お楽しみに!

後編へ続く

独立系映画スタジオの美学

表現物は、全て独りによって作られるものとは限らない。

ある種の人々は、展覧会に並ぶ全ての作品は作家たちが独断で作りあげ、その後からプロデューサーやキュレーターが並べ上げると考えているが、作品制作における判断という意味では、それは間違いだ。

たとえば美術の領域では、ギャラリーや美術館での展示に際してキュレーターが監督となり、作家たちと対話をしながら一緒に展示物を作り上げていく。作品が公にされている限り、作家以外の判断が制作に介在することを考慮すべきだ。

この構造は、資本と技術が大人数の手によって作られる「映画」という領域において、より顕著となる。映画スタジオは単なる出資者ではない。それは監督と共に、作品のDNAそのものを書き換える「第二の監督」なのだ。本稿では、巨大資本から自立した「独立系映画スタジオ」をいくつか取り上げ、彼らが映画文化において刻んできた固有の判断(キュレーション)を浮き彫りにしたい。

「独立系映画スタジオ」とは

そもそも記事の題名にもある「独立系映画スタジオ」とは何を指すか?

それは、大手企業の傘下で莫大な他事業の利益をそのまま製作費に充てられるメジャースタジオとは一線を画す。独立系映画スタジオとは、自社で資金調達から配給までを完結させる映画スタジオを指し、その構造は、一見すると脆弱だが、裏を返せば「表現の自由」を担保する大きなアドバンテージとなる。

メジャーは「絶対に外せない」興行収入のために王道映画を作り続けるのに対し、独立系は配給段階でミニマムな資金回収を設計することで、先進的な映画の実験場を確保する。それゆえに、作家自身が自らの城(スタジオ)を築き、自身の表現を守りながら他作家の制作を支援するというシステムがしばしば誕生するのである。

1. エリック・ロメール:Les Films du Losange

戦後フランス映画界を震撼させたヌーヴェルヴァーグ。ジャン=リュック・ゴダールらの活動によって映画文化に大きな影響を与えたこの運動は、即興的な撮影を取り入れ、従来の演劇的な映画文化に新たな可能性を提示した。この潮流から現れた巨匠エリック・ロメールは、自身の表現により柔軟性を持たせるため、1962年に映画スタジオ「Les Films du Losange」を設立する。

ロメールはここを拠点に、連作『六つの教訓話』という映画史に残るシリーズの制作を開始した。注目すべきは、この極小のスタジオが、映画の作品商標を巧みに運用することで資金を循環させている点だ。現在までにミヒャエル・ハネケらの傑作を含む80本以上のライセンスを保有している。この資金繰りを卓越した経営センスで動かしてきたのが、本スタジオの代表であり名プロデューサー、マルガレット・メネゴズである。彼女の経営スキルとロメールの審美眼が交差し、60年代にひっそりと始まったスタジオは、フランス映画史のアーカイブとしての役割も果たしている。

2. アピチャッポン:Kick the Machine Films

時代と国を跨ぎ、タイの現代映画に目を向ければ、スタジオは「政治的シェルター」としての機能を持つ。映画監督アピチャッポン・ウィーラーセタクルが1999年に設立した「Kick the Machine Films」がそれだ。

アピチャッポンの映画は、タイの土着的な神話と静寂な空気を交差させた詩的なものだが、それを語る上でタイの過酷な政治事情は無視できない。上映前には国王への起立が義務付けられ、検閲が日常化しているこの国において、直接的な政治批判は大きなリスクとなる。アピチャッポン自身も、非常にわかりづらい方法で政治的なメッセージを映画に取り入れている。アピチャッポンは、自身の国際的な人脈と資金を元手に、このスタジオを通じて若い作家たちの尖鋭的な表現を支援し続けている。大手がリスクを恐れて忌避する表現を自前のスタジオで担保する。ここでのスタジオの「判断」とは、単なる美学的チョイスではなく、政治的弾圧に対する抵抗なのだ。

最後に、日本における大規模な独立系スタジオの老舗、東京テアトル(1946年設立)の功績に触れておきたい。彼らの戦略は、制作から興行(映画館)までを一貫して行うシステムにある。

このスタジオは他事業の運営と並行して、テアトル新宿やキネカ大森といった個性的な劇場を運営することで、彼らは独自の資金回収ラインを確保している。これにより、日本の映画文化に「ミニシアター」という豊穣なジャンルを定着させたのである。『さかなのこ』や『南極料理人』に代表される彼らの作品群は、決してハリウッド的なメガヒットを狙うものではない。

3. 東京テアトル

メジャーの熾烈な競争からゆるやかに離脱し、インディーズの実験性をメジャーの流通に乗せる。この絶妙な「架け橋」としての経営判断こそが、日本の映画ファンに多様な選択肢を提示し続けてきた。東京テアトルは興行を自らコントロールすることで、映画文化そのものを耕し続けているのだ。

不可視の共犯者

映画のクレジットに流れる無数のスタジオのロゴ。それらは単なる資金の出どころの証明ではない。ロメールの自由も、アピチャッポンの抵抗も、東京テアトルの文化的多様性も、スタジオという「枠組み(システム)」がもたらした判断の産物だ。

私たちがスクリーンに見る光と影の裏側には、常にこうした不可視の共犯者たちの、冷徹で、かつ情熱的な「キュレーション」が存在しているのである。

【インタビュー】出水ぽすかの緻密な世界 – 後編

前編では、出水ぽすかの創作の原点や、美術から漫画へと至る過程を聞いた。後編では、作画という役割への向き合い方、コラボレーション、そして現在の制作について掘り下げていく。

作画という立場で描くということ

りんご飴の工場 (2025)

作画として作品に関わる際、原作を読んだときのイメージはどのように立ち上がるのでしょうか。

出水ぽすか(以下:出水) – そうですね…これ描きたいなと思ったら、すぐ手が動く感じではあります。他の人と比べたことがないので分からないですが、多分そういうところはあると思います。

絵を描くとき、最初に浮かぶのは背景とキャラクターのどちらですか?

出水 – 今はキャラクターですね。昔は背景だった気もするのですが、漫画を描くようになってからは「まずキャラを描かないと」という意識が強いです。

一方で背景も印象的です。

出水 – 背景については構図を考えることが多いです。奥行きや近景と遠景の対比などシーンによってどんな場面が適切かをフレキシブルに描き分けている気がします。

散歩する時にスマホは置いていく

朝はパン(2025)

喫茶店で作業されると聞いたことがあります。

出水 – そうですね。今はあまり行けなくなったんですけど、昔はよく行っていました。遠方の気になる喫茶店にも行くこともあります。

目的は作業ですか?それとも気分転換?

出水 – どちらかというと、歩くことですね。家にいるとずっとこもってしまうので、外でいろんなものを見たいなと。

散歩のときに持っていくものはありますか?

出水 – 逆にスマホは持っていかないです。紙と鉛筆だけ。スマホを見てしまうと意味がないなと思って。だからよくスマホの歩数計がゼロなんです笑。

アナログとデジタルのあいだ

制作環境についても教えてください。現在はデジタル中心ですか?

出水 – 仕上げはデジタルですけど、下描きは今でも鉛筆です。完全デジタルだったのは『BEYBLADE X』の2022年くらいからですね。

紙と鉛筆を使い続ける理由は?

出水 – 楽だからですね。充電しなくていいので(笑)。

道具にこだわりはありますか?

出水 – 紙は普通のコピー用紙ですが、鉛筆は『約束のネバーランド』で作ってもらったグッズを使っています。グッズが発売されるとサンプルを頂けることがあるので、使えるグッズは全部使う派です。マグネットとか布団カバーも普通に使っていて、特に気に入っているのがオルゴールです。

影響と原風景

目を覚ませ、船だ (2016)

出水先生の描くキャラクターは西洋的な印象があります。

出水 – 学生時代は美術系を目指していたこともあってレンブラントなどの絵画や、国内アーティストでは井上直久の画集などを見ていました。あと子どもの頃にやっていた海外のゲームの影響が大きいと思います。親がパソコン好きで、Windows95とかにあったCDとか「洋ゲー」が家にいっぱいあったんです(笑)。父親が買い与えてくれて遊んでいましたが、ほとんどがもう手元にはありません。ただ、昔持っていた「little big Adventure」というゲームのリメイク版がsteamで登場したのですぐに購入しました(笑)。

実際に海外に行かれたことは?

出水 – 大人になってからは時々旅行にも行きます。連載やコロナ禍で最近は行けてないんですが…。マダガスカルやポルトガル、タイやモンゴルでの思い出が印象的です。

なかなか珍しい旅行先…。

出水 – マダガスカルは、ドリームワークス・アニメーションによる『マダガスカル』が好きで実際に見てみたかったんです。現実は色々大変だなって思いました。もともとフランス領だったこともあり、食事はフランスの影響が強く残っていました。お腹も壊したりしたけど…。

旅先マダガスカルでの風景

コラボレーションでも消えない“個性”

CHANELや荒木飛呂彦さんなどバリエーション豊かなコラボレーションをされていますが、そんな中でどのように個性を出していますか?

出水 – 個性を出そうとしているわけではないんですが、隠そうとしても出てしまうものだと思っていて。なので、私はむしろ全力でコラボレーションする相手に合わせにいくようにしています。それでも結局出てしまうので、それでちょうどいいかなと。

SNSとの向き合い方についても教えてください。

出水 – Xはどうしても編集さんとかも見ているのもあって、仕事の延長みたいに感じてしまうこともあります。だからpixivは癒やしの場ですね。趣味の絵を投稿したり。色々なSNSをやっているんですけど、どれもが自分の一部なんですが、それぞれの役割や関わり方が違っています。

社会的な発信についてはどう考えていますか?

出水 – あまり創作と関係のないことは、無理に発信しなくていいかなと思っています。もちろん家族と話し合ったり考えることはありますけど、それを作品の場に持ち込むかは別なので。

最後に、これから挑戦したいことを教えてください。

出水 – 大きな挑戦というよりは、とにかく趣味の絵を描き続けたいですね。果物の絵とか、宇宙のイラストとか。ラフだけ描いて放置しているものがいっぱいあって。ありがたいことに趣味の時間をなかなか取れないのですが、自由に絵を描くのをやめたくないなと思っています。それがなくなると人生じゃなくなるので。

出水ぽすかの描く作品からは言葉以上の何かを受け取ることができる。それは仕事であっても趣味の絵であっても変わらない。そこには一貫した「自分が見た世界をどう描くか」という問いがあるからだ。淡々と語る一言一言にも出水自身の鋭い視点が垣間見えたインタビューとなった。これから描かれるのはどんな景色だろう。でもきっとまた、私たちをどこか素敵な場所へと連れていってくれるのだろう。

【インタビュー】加賀美健の、ホントの話 – 後編

「トイレを見ると人となりが分かる」って話を聞いたことがある。何度回数を重ねてもインタビューは毎回緊張するもので、それが時々膀胱を刺激してきて困っている。この日もあいにくで、アトリエでトイレをお借りした。戸を開けると大小様々なすっぽんが20本近くあって、「ああ、おれは今加賀美さんの所に来ているんだ」と、改めて実感した。

とまあ、後編です。

流行ったら飽きられちゃうから

他人からの評価が気になることはありますか?

K – んー、例えば流行ったらそれを続けるのって難しいよね。流行りが終わっちゃったら大変だし。

流行らないように気をつけている?

K – 俺、絶対流行んないもん。別に流行るようなことしてないから、それは安心してる(笑)。わかんない、流行ったら流行ったで嬉しいのかもしれないけど、SNSとかで「いいね」が増えてきたら、それはもう危険信号。だって、流行るってことは理解されるってことだから。例えば、僕が1つの絵を描いて、「これこそが加賀美健だ」みたいな形で人気が出たとしたら、もうそれしかないじゃない。僕はやりたいことがいっぱいあるので、何が加賀美健なのか、いつまでもわからないような状態にしておきたい。ステッカーとかは結構目につくけど、やっぱりそれだけじゃない。色々と揺さぶっていた方が、見てる側も飽きないと思うし、何より自分も飽きないから。だからこんだけ色々やってるんですよ。セパバス(SEPARATE BATH & TOILET)もそうだし、「STRANGE STORE(ストレンジストア)だってそうなんです。

恥ずかしさも作品になるパフォーマンス

様々な活動の中で、海外での活動も積極的ですよね。日本と比べて反応の違いは感じますか?

K – 感じますね。僕、英語喋れないんだけど。

えっ、喋れないんですか?

K – 喋れないですよ。でも、海外の観客はノリがいい部分はある。僕はアートフェアとかでパフォーマンスをするんですけど、海外の人は面白いと思ってバーっと見に来る。日本人はシャイだし、空気を読むじゃない。僕のやるパフォーマンス、結構クセが強いから。

どんなことを?

K – 似顔絵なんだけど、男には「男性器」を描いてあげて、女性には「胸」を描くっていう。その人を目の前にして、顔からその部分を想像して描く即興のパフォーマンス。

どんな反応になるんですか(笑)。

K – 笑ってたりね。どんなのが描かれるか周りの人からも見られるわけだから、恥ずかしいじゃない。実際に出して描いてるわけじゃないけど、僕が勝手に想像して描く。周りも笑ってる。それも全部含めて作品なんです。描かれた人も作品になっちゃうっていう。ただ、この前香港でやった時は、キュレーターの人から相談を受けて少し変えたんです。男女共に好きな方を選べて、両方描いてほしい人がいたら両方描いてあげるように。

ずっと変わらない姿

昔の写真とかインタビューを拝見しても、今と全然変わりませんよね。外見もそうだし、考え方だったり。

K – 逆にどういう風に変わるの?

例えば大きな挫折だったり、自分を変えざるを得ない状況ってたくさんあると思うんです。

K – 挫折か、そもそも挫折とか失敗とは思わないかな。

今回は失敗だったけど、もう一回やれば成功するかもみたいなことですか?

K – 成功するかもとも思わないですね。

え?

K – やり続けるってことですよ。別に好きだから、面白いからやってるだけで。だから面白くなかったらいつでもやめると思いますよ。それがたまたま仕事になってるだけで、仕事が先になっちゃったら多分大変なんじゃない。仕事にしないといけないってマインドになるから、そうすると多分とてつもなく作品がつまんなくなっちゃうと思う。

あー、なるほど!

K – だけど今の子たちって先に仕事にしようと焦っちゃうから。だから大変なのよ。アートなんてめちゃくちゃ時間かかるから。

そうですよね。

K – 1年が10年ぐらいかかる仕事なんで。って言うと、みんなやっぱり「あー…」ってなっちゃうみたい。

仕事と趣味の境界はどのように考えてますか?

K – もう一緒ですよ。むしろ趣味がないんで。仕事が趣味の延長に近いです。僕としてはただ好きなものを集めて作品にしたり、発表したりしてるだけです。

「アートなんて遅咲きの方が絶対いい」

趣味の延長で結果的に仕事になったとのことですが、食える、食えないはもちろん大事で、結婚やお子さんが生まれたりしたタイミングで心境に変化はありましたか?

K – ないです。なんとかなるだろうなと思って。もちろん全然仕事になんなかったら他の仕事すればいい話だから。

その覚悟みたいなものは常にあった?

K – 今でもあります。何もしないでは生活できないし。

日本でアート活動を始められて、最初の10年ほどはアルバイトを続けていたそうですが、当時は将来への不安とかもなかったですか?

K – ずっと不安ですよ。死ぬまで不安です。だって不安がなきゃ多分ダメなんじゃない。

なるほど。逆に。

K – だってあるでしょ?

ありますね(笑)。でもそれを何とかなくそうと努力しちゃうと思うんです。

K – でも、消えないでしょ?消えたら多分面白くないですよ。不安の質にもよるけど、漠然と「どうなんだろうな」みたいなものはずっと持ってるし。 

今もあると。

K – いや、ありますよ。もちろんある。考えすぎて体調を崩してしまったりしたら大変だから、そのバランスは大事だけどね。

あとは、バイトしてた時は長い目で見ていたから。いきなり仕事が来たら逆にそっちの方が不安かもしれない。いきなりブレイクとかしちゃったら、多分ブレイクってほら、「壊れる」って意味だから、そっちの方が怖いかな。

絶対遅咲きの方がいいんですよ、何でも。特にアートなんて遅咲きの方が絶対いい。年齢と順を追って、徐々に作品が高くなっていくのが理想的だよね。徐々に徐々に進んでいく。スタイルを崩さず。だからアートは時間がかかるの。おじいちゃんになった時にいい感じになるっていうのが最高だよね。

長時間お話を伺って、最初に目指した「本当の加賀美さんを知る」ことが出来たかは正直分からない。あとがきで簡単にまとめる、ましてや一言で彼の魅力を語ることも到底出来ない。ライターとしてはいけないのだろうが、もし言葉に出来たとしても、それをすることは野暮な気もしている。ただ一つ思ったことは、彼みたいな大人になりたい、それだけは確かだ。

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【インタビュー】加賀美健の、ホントの話 – 前編

大人が「うんち」で笑っていたら、僕はおかしいと思う。普通はそうなのだが、加賀美さんの作品に「うんち」のオブジェやイラストがあっても、納得できる。「うんち」どころではないモチーフが登場することも少なくない、それなのに品すら感じさせるのはどういうカラクリなのか。「実家帰れ」を始めとした手書き文字のステッカーで感じる、妙に腑に落ちるあの感じは何なのか。ずっと好きで見てきたのに、分かるようで分からない。いや全く分からない。今日こそは、本当の加賀美健の輪郭だけでも捉えるぞと、意気込んでアトリエのインターフォンを押した。

返信があまりにも速い

今日までのメールのやり取り、人生で出会った方で一番返信が早かったです。冗談抜きで1分経たないで返ってくるくらいの感覚というか。

加賀美健(以下:K) – せっかちだからね。

そういう理由なんですか。早いっていう次元じゃないと思うんですよ。

K – AIみたいでしょ?よく怖がられるもん(笑)。「ちゃんとしよう」というより、社会人としてやりやすいじゃん、そっちの方が。気持ちよく仕事できた方が絶対いいし、僕もそっちの方がやりやすい。ただそれだけですよ。

いつでも返せるように構えているんですか?

K – いや、そういうわけじゃないです。 ポンと来たらパッと見るじゃない。 だって仕事中ですよ。少し考えなきゃいけない内容だったら一旦置くけど、基本的にすぐ返信する。ジャッジが早いっていうのはあるかもしれないですね。 別に考えてもしょうがないので。 

それは作品もそうですか?

K – 早い。作品の方が早い。

慣れたリズムで生み出す作品たち

この日は加賀美さんのスタジオにお邪魔してのインタビュー。スタジオ内での写真も合わせてお届けする。

それは一体何故ですか?やはりせっかちだから?

K – そうですね。あとは、このリズムでずっとやってきてるから。

自分の気持ちいいテンポみたいな。

K – そうそう。

創作において熟考したり悩んだりすることはありますか?

K – ないですね。それが良いか悪いかではないと思うけど、僕の場合はただ本当に“早い”っていうだけです。

制作が早いと必然的に作品の数も多くなると思いますが、世に出してしまって後悔したことはありますか?

K – すぐ忘れちゃうから、次って感じで。インスタもすごいスピードで上がるでしょ。アイデアとかのメモ代わりに使っているんですけど、あれでも抑えてるんですよ。本当だと1日100投稿くらいできちゃうんだけど、それだとまた怖がられるから(笑)。

メッセージを込めない創作スタイル

様々なタイプのアーティストの方がいる中で、例えば「感情」と創作活動が密接に繋がっている方もいますよね。加賀美さんの制作においてその辺りはどう関わってきますか?

K – 創作への影響とかは絶対あると思います。じゃあどんな感情ですかって言われたら難しいけど。基本的に作品にメッセージを入れないようにしていて。そういうものには全く興味がないかな。人一倍ニュースも見るし、頭の中では色々考えているけど、それを作品に込めるかどうかは全くの別物。作品に落とし込んで、それを人に見せることには全く興味がないです。それよりももうちょっとわからないものを表現したいから。今後も自分の表現とか発言とかでそういったことは一切ないと思う。

海外のアーティストの方だと、そういった「メッセージ性」が強い人が多い印象があります。

K – そういう方が評価されるからね。

加賀美さんは日本でのアーティスト活動を始める前、1年半ほどサンフランシスコに住んでいらっしゃいますが、その時の影響はありますか?

K – そういう意味で言うとないと思う。やっぱりよくわからないものが好きです。

加賀美フォントの、ホントの話

あの「加賀美フォント」が出てきたのはいつ頃なんですか?

K – あれはね、もうお店を作ってから。ストレンジストア。16年前。

そんなに前なんですね。

K – そう。「実家帰れ」とか適当にステッカーに書いて、それを友達に配ってたの。で、友達が携帯の裏とかに貼るでしょ。それを見た別の友達が「なんだこれ?」ってなる。もうそっからどんどんどんどん。適当なシールに日本語で変な文字を書いたりして、インスタに上げてたの。そしたらそれが広がっていって。

一目で加賀美さんの文字だと分かります。実は相当練習されているんじゃないですか?

K – 昔からずっとあの字ですよ(笑)。キース・ヘリングとかピカソとかウォーホルとか、有名なアーティストの字って見ればわかるでしょ。自分の字で書いてるから、必ずサインとかにも個性が残る。僕の場合は、白い紙に日本語で書くっていうのを作品にする人があんまりいなかったから、ずっと続けるうちにイメージが付いたんじゃないですかね。だから、ほんとは紙とペンさえあれば誰でもできますよ。ただ、僕の字はちょっと癖があるから、見ると結構忘れないでしょ。

本当はめちゃくちゃ計算して書いているのかな、と(笑)。

K – してない。してたら寒いでしょ。しててこれやってたら、逆にすごいけどね(笑)。

まあそうですね(笑)。フォントとして登録などはされてない?

K – してないしてない。登録なんて多分できないです。今日「あ」を書いたとしたら、明日の「あ」は違うから。丁寧に書けって言われても書けないし、もうこれが普通。仕事で字を書く依頼もたくさん受けてるけど、基本的に全部一発書き。毎日普通に字を書くのと、何ら変わりないです。

アーティストには「イライラ」が必要

書いている内容はシニカルでありながら、嫌な感じが一切しないのが本当に不思議で。そこは注意していますか?

K – そこは気をつけてる。あんまり強すぎちゃうとね。書いてる内容は結構インパクトあるんだけど、この字でなんとなくまとまってるっていうか。これを綺麗な文字で書いてたりしたら、面白くないじゃない。

内容自体は加賀美さんの本心ですか? お話ししているとすごく穏やかな印象で、そこのギャップが不思議です。

K – いや、考えてることはこういうことですよ。頭の中は常にシニカルだし。で、割と常にイライラしてるんで。絶対イライラしてなきゃダメなんですよ、アーティストは。イライラしてる方が、作品は面白くなる。

加賀美健にとって、アートって何?

コマーシャルワークとアート活動は分けて考えていますか?

K – 同一線上なんだけど、一緒かと言ったらちょっと違うかも。気持ちの持ちようというか。ギャラリーでの展示とか海外の時は、もうちょっと現代美術の文脈に寄せて頭を作る。

具体的にどういったことでしょう。

K – 海外なら、キャンバスに書く日本語を英語に変えるとか、それくらい。でも、そうすることでアートとして考える。……まあ、難しくてね。そう言われると。

加賀美さんは美大には通われていないですが、昔からアートがお好きですよね。自由なスタイルを見ていると、どこからがアートだと考えているのか気になります。STRANGE STORE(ストレンジストア)もお店自体が作品で買うことが出来たり、インスタだって、あれ自体に作品性があるように思えます。

K – その辺りは難しい。でも、全部アートって言うと卑怯だよね。

まあそうですね。

K – だけど、結局アートって、文脈だったりそういうのを分かってないと楽しくないジャンルなんですよ。興味が無いスポーツの試合とか見ないでしょ?それと一緒なんですよ。アートに興味がなかったらアートなんて見ない。で、値段が高いと「なんでこんなのが高いんだ」って文句を言う。だけど、アートの文脈を多少なりとも知ってたら、意外と面白いと思います。

知識があるから楽しめる、と。

K – 演歌だって聴かない人は聴かないけど、好きな人はその人のルーツまですごい詳しいじゃない。それと同じ。アートって範囲が広すぎて説明できないけど、ジャンルや仕組みを知れば知るほど楽しめるものだから。

ご自身のそのアート文脈での立ち位置についてはどのように考えていますか?

K – 自分のやっていることに関しては、全てアート活動としてやってるかな。それを言葉で説明するのは難しいし、僕の中での解釈があって楽しんでいる感覚。例えそれを誰かに説明しても多分面白くもないし。だから僕の活動を見て、「なにこれ」って引っかかる人が面白いがってくれればいいんじゃないかな。

後編では、アーティストを続ける理由とその覚悟、「遅咲きの方が100%いい」と語る意図を紐解きます。海外での衝撃パフォーマンスのお話も。

お楽しみに!

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【インタビュー】出水ぽすかの緻密な世界 – 前編

出水ぽすかは幻想的な風景と緻密なキャラクターデザインが魅力的なイラストレーター・漫画家だ。『約束のネバーランド』の作画では全世界にその名が知られるようになった。ずっと絵を書き続けていたというその半生を、出水本人の言葉を通して創作の原点と生活のことについて伺った。

モンスターのイラストから始まった出水ぽすかの原点

まず最初に、漫画やイラストを始めたきっかけを教えてください。

出水ぽすか(以下:出水) – どこを最初にするか難しいのですが、投稿でいうとpixivに上げ始めたのは2008年くらいだったと思います。当時は「人外系」と言われるジャンルやモンスターなどのイラストを描いていましたですね。

オリジナルですか?

出水 – そうですね。もともとRPGのゲームを作りたいなと思っていて、そのためのキャラクターを描いていました。pixivってイラスト中心なので、とにかく画力を上げたいなって思ってました。やっぱり絵が上手い人が多くて。

雪道特別快速 (2012)

影響を受けたものはありますか?

出水 – 子どもの頃は『ポケットモンスター』とか『ファイナルファンタジー』がドンピシャの世代でした。そういうファンタジーやモンスターの影響は大きいと思います。当然のようにそういうゲームで遊んでいたので、自然と将来ゲームが作れたらいいなと思っていました。

自身のスケッチやイラストを人に見せることはありましたか?

出水 – 大学が美術系だったので、見せる機会はありましたね。あとは、中学高校の頃から学校のパンフレットに絵を描いたりとかもしたので、当時から人に見せたいとは思って絵を描いていたと思います。

進路に悩んだこともあった

もともと美術の道に進もうと思っていたんですか?

出水 – 高校の頃から漫画は好きで投稿や持ち込みもしていたんですけど、最初から一本でいく自信はなかったですね。大学も教育系の大学から美術系へ入り直したりもしました。

そこから「絵を仕事にしよう」と決めたきっかけは?

出水 – 大学にいた時には就活もしていました。その中で入りたい企業や興味のある企業にいくつか落ちてしまって。その時点でイラストの仕事や読み切り漫画の連載もしていたので、「就職しなくてもなんとかなるかな」と思いました。今思うとその時には覚悟が決まっていました。

おにぎりに限る (2025)

大学では何を専攻されていましたか?

出水 – 先端芸術という、なんでもやるようなところですね。最初は日本画の勉強もしていたんですが、もっと漫画やイラストが描けるところとして先端芸術のコースを選びました。でもやっぱり見抜く人もいて、ファンの方から「日本画っぽいですね」と言われることもあります。

「セリフを作るのが苦手だった」行き着いた先が作画への道だった

漫画の持ち込みなどもされていたんですか?

出水 – はい。大学生で時間に余裕があったのでコンペに参加したりもしていました。とりあえず出して、通れば載るっていう感じなんですけど、連載までこぎつけた作品であってもあまりうまく行かなかった部分も多かったです。子供向けの作品というのもあるんですが、自分ではセリフを作るのがあまり上手くないような気がして。

その後、作画としての仕事にシフトしていくわけですが、最初はいつ頃ですか?

出水 – 完全に作画として入ったのは白井カイウさんとの『約束のネバーランド』が初めてです。その前からゲーム作品のコミカライズや4コマ漫画など、原作ありの仕事もしていたので新人の時から作画の経験はありました。

「目で見た風景」を描く

出水さんの作品は緻密な空間表現が印象的ですが、意識されていることはありますか?

出水 – 厳密に描き分けているわけではないんですが、「目で見た景色を再現したい」というのは常にあります。不動産マジックってあるじゃないですか。写真ではめちゃくちゃかっこいいけど実際行ってみたらそうでもなかった、みたいな。カメラとは違って、人間は首や目を動かすことができたり、気になるものを注視したり、見ているのに目に入らないものがあったり、動きや時間を含んで物をとらえていると考えています。だから、そういうものを表現したいと思って、人物にピントを合わせて背景をぼかしたり、逆に周囲も見えるように魚眼っぽくしたり。人って目の前にものがあるとそこに注目してしまうので、そういった人間の生理的な視点は意識しています。ここに自分がいたら、どこを見るかな、という感じです。

階段の多い街でして (2023)

ロケハンはされますか?

出水 – 本当はしたいのですが、スケジュール的に必ず行けているわけではないです。ファンタジー作品が多いので難しいというのもあります。だから、今まで見たものをパッチワークのように組み合わせることも多いです。

日常の風景も作品に活かされている?

出水 – 漫画だと具体的にここ、というのはないんですがpixivのイラストはほとんどそうです。

写真派?記憶派?

出水 – うーん、両方ですね。撮る場合もあるんですけど、やっぱ記憶だけだと曖昧でぐにゃぐにゃしててよくわかんないなっていうのもあります。

最近よくご飯の絵とか描いてますけど、写真を見ながら描くと完全にそのお店になってしまうので、記憶と照らし合わせて「こんな感じだったかも?」というイメージで描いています。分からないところはちょっと調べたりしながら。

後編では、作画という役割への意識、コラボレーションの考え方、そして現在の制作環境とこれからについて聞く。

アートな事件特集

アートは、その本質において常に社会からの「逸脱」を孕んでいる。哲学者イマヌエル・カントがントが美的判断を「一切の関心にかかわりがない」*1 としたように、アートは私たちの生活の関心の外側にある。しかし、その「外側」にあるはずの純粋な美しさが、社会の法、経済、あるいは道徳の境界線と触れ合ったとき、そこには避けられない摩擦が生まれる。

それは時に世論を焚き付け、時に「事件」や「裁判」へと発展することもある。この記事では、アートが法廷や犯罪の場に引きずり出された三つの事例を紹介する。そこに見えるのは、私たちの生活とアートの関係の揺らぎと、表現を飼い慣らそうとする社会の圧力である。

1. アンディ・ウォーホルのプリンス(2017年)

ポップ・アートの巨匠、アンディ・ウォーホルは、資本主義の産業システムそのものを作品制作システムに取り入れた。彼はテレビや雑誌同様、複製と流用によってアメリカ社会の現状を美術に持ち込んだのだ。しかし、彼の死後、その「流用」の正当性が現代の法廷によって厳しく裁かれることとなった。

2017年に端を発したウォーホル財団と写真家リン・ゴールドスミスとの裁判。争点は、1984年に制作されたロックスター・プリンスの肖像画シリーズ(通称:プリンス・シリーズ)が、素材となった写真の「フェアユース(公正な利用)」に該当するか否かであった。

Orange Prince / Andy Warhol / 引用元:https://en.wikipedia.org/wiki/Orange_Prince

フェアユースとは、アメリカ法において、著作物が公正な利用であれば著作権者の許可なく著作物を使用しても良いとするアイデアで、これまで、ジェフ・クーンズの事例*2 に見られるように、美術作品における流用はフェアユースのもと容認される傾向にあった。

しかし、2023年の米国最高裁はウォーホル側に敗訴の審判を下した。裁判所は、ウォーホルの加工が素材写真に新たな美術的意味をもたらしていないとし、フェアユースには当たらないとした。

この判決は、流用と再構築によって拡張してきた現代美術の表現に対し、法が明確な「境界線」を引き直したことを意味する。かつて資本主義に制作の全てを捧げたウォーホルの手法が、現代の資本主義な権利保護によって封じ込められたのは、皮肉というほかない。

2. 赤瀬川原平の「千円札裁判」(19653年)

ウォーホルが資本主義のイメージを流用したとすれば、1960年代の日本において、国家の象徴である「通貨」を流用することで、社会制度そのものを挑発したのが赤瀬川原平である。

1963年、前衛芸術グループ「ハイレッド・センター」の一員として活動していた赤瀬川は、赤瀬川原平は1963年に模型の千円札に手を加えた印刷作品と、千円札を200倍に拡大模写した作品「復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)」を制作、読売アンデパンダン展で発表した。これが通貨模造の罪に問われた際、赤瀬川とその周辺の表現者たちは、法廷という場を美術館へと変化させるという、前代未聞のハプニングを敢行した。

証人として出廷した作家、中西夏之や高松次郎は法廷内で自作の陳列を行い、特別弁護人として瀧口修造や針生一郎といった美術批評家たちが前衛美術についての説明を裁判官に行うため出廷した。赤瀬川は、裁判そのものを作品へと変容させ、法制度の崖際で戯れたのだった。

結果として、最高裁は「表現の自由は無制限ではない」として執行猶予付きの有罪判決を下したが、この「事件」が残した爪痕は深い。赤瀬川は流用や複製という行為を通じて、法制度を逆に表現の場として乗っ取ってしまったのだ。ウォーホルとは逆に、その制度自体に美術を持ち込んだ彼の制作方法は、今なお日本の戦後美術史における過激な「作品」として光を放っている。ちなみに赤瀬川は、裁判に協力してくれた人物たちに「木の葉のお札」を一軒一軒回って渡したという。最後まで抜かりのない戯れ具合だ。

3. ルーヴル美術館窃盗事件(2025年)

最後に、より現代的、かつ暴力的な形でのアートと社会の接触例を挙げたい。2025年、世界で最も堅牢な美の殿堂の一つ、パリ・ルーヴル美術館を襲った大胆な窃盗事件である。

4人組の窃盗団は、開館直後の午前9時、クレーン車で2階の窓を壊して侵入。彼らは蛍光ベストを着用して作業員に扮し、フランス王室ゆかりの宝飾品を総額155億円相当を強奪した。スクーターで逃走するという、スパイ映画的のようなその手口は、美術館の脆さを白日の下にさらした。

この事件の特筆すべき点は、犯行の「物理的な粗暴さ」にある。芸術品が持つ歴史的・文化的文脈を一切剥ぎ取り、ただの「換金可能な物質(宝石と金)」として扱うその暴力性は、私たちが美術品に投影している「オーラ」がいかに人間の欲望の前では非力であるかを突きつける。盗まれた宝飾品が解体され、裏市場へと消えていく過程は、純粋な美しさが世俗的な欲望から強奪されていくプロセスそのものだろう。館長はこの件によって辞任したが、その結末は、美術館という制度が、物理的な「破壊」や「暴力」に対して無力である現状を示している。

鏡としての「事件」

これらの「事件」は、アートが単なる鑑賞の対象ではなく、社会を揺さぶる「異物」であることを再認識させる。ウォーホルは「権利」を、赤瀬川は「法」を、そしてルーヴルの窃盗団は「物理的な障壁」を、それぞれが異なる形で境界線を犯した。

アートが事件になるとき、私たちは初めて、普段は不可視化されている「社会のルール」や「価値の拠り所」を自覚する。表現が法に敗北し、あるいは暴力に屈したとしても、その衝突の跡に刻まれた問い——「何が表現を価値づけるのか」——こそが、私たちがアートと向き合い続ける唯一の理由なのかもしれない。

*1  カント『判断力批判』(篠田英雄訳・岩波文庫)
*2 https://www.kottolaw.com/column/190620.html

箱ごと、「遊べるアート」としてのボードゲーム

最近ボードゲームの箱って、やけにかっこよくない?

そう感じている人は、きっと少なくないはずだ。かつては内容をそのまま伝えるだけのパッケージが主流だったのに、書店やセレクトショップに並ぶ最近のボードゲームたちは、箱そのものが洗練されたオブジェのような存在感を放っている。

ルールより前に、まず「見た目」で選ぶ時代

大きな転換点となったのが、Kickstarterに代表されるクラウドファンディングの普及だ。大手メーカーを通さなくても独立制作できるようになったことで、グラフィックデザイナーやイラストレーターが自らゲームを開発するケースが急増し、ボードゲームのデザイン水準を一気に引き上げた。さらにSNSとの相性も良く、最近は「ゲームの面白さ」より先に「見た目のかっこよさ」が注目を集めている。

そして日本でも、独自の感性でボードゲームをつくるクリエイターが増えている。
東京・南青山を拠点とするオインクゲームズは、シリーズ累計120万部を突破した日本発の小箱ボードゲームメーカーとして、デザインと遊びごたえを両立させた作品を世界に発信し続けている。

触れて、遊んで、飾れる──5つの作品を紹介

買う理由は「かっこいいから」でいい。そんな5作品を紹介する。

Modern Art(モダンアート)

ニューゲームズオーダー公式サイトより

1992年に生まれ、競りゲームの原点とも呼ばれるライナー・クニツィア設計の名作 。プレイヤーが画商となって5人の架空の画家の絵画を競りにかけ、最も稼いだ人が勝利するというシンプルなルールながら、ラウンド終了時の絵の価値は画家の人気度によって決まるため、巧みに市場をコントロールしていくという深みがある。初版から一貫してそのシックで渋いビジュアルは本物のアートギャラリーさながらの空気を漂わせる。

Canvas(キャンバス)

ジェリージェリーストア公式サイトより

Kickstarterで16,000人以上のバッカー(支援者)を集めた話題作で、画家として芸術祭への出展を目前に控えた画家として、イラストカードを組み合わせて絵画を仕上げていくゲーム。透明なカードを重ね合わせることで毎回異なる絵画が生まれる。箱にフック掛けの穴が空いており、壁に掛けて収納できるという細部へのこだわりまで、「アートとして飾る」ことを前提に設計された一作。

Scythe(サイズ大鎌戦役)

ポーランドのアーティスト、ヤクブ・ロザルスキの油絵を世界観のベースにした重量級ゲーム。蒸気と自然が混在するレトロフューチャーな世界に、巨大メカが佇む圧倒的なビジュアルが特徴で、アートワークの世界観そのものがこのゲームの大きな魅力となっている。ゲームとしての戦略性の高さはもちろん、ボードに広がる絵画的な世界観を眺めるだけでも充分に価値がある。

MOSAIC(モザイク)

ゲームズマーケット公式サイトより

岐阜県多治見市産の美しいモザイクタイルをコマに使った、囲碁やオセロのような陣取り型のボードゲーム。手に取るとずっしりとした陶器の重みがあり、盤上に並べるほどにタイルの色が映え、ゲームが進むにつれて思わず見惚れるような盤面が生まれる。多治見のふるさと納税返礼品にも選ばれており、地域の工芸とゲームデザインが融合した、日本ならではのプロダクトアートだ。 

Petiquette(ペチケ)

オインクゲームズ公式サイトより

動物・帽子・数字の組み合わせからなるカードを使い、ランダムに並んだ5枚の中に入れるのに最もふさわしいカードを考えるゲーム。平岡久典氏による動物たちのイラストは版画のように静謐で美しく、カードを並べるだけで棚に飾りたくなる。答えはひとつではなく、他プレイヤーの美的感覚や思考回路を読みながら答えを合わせていく。つまり、遊ぶこと自体がお互いの美意識を交換するような、不思議な体験になっている。

「アートの入口」としてのボードゲーム

アートは壁に飾るもの、という思い込みがまだ根強い。でもボードゲームは違う。手に取れて、遊べて、棚に飾れる。来客時にテーブルに広げれば、それ自体がコミュニケーションのきっかけになる。数千円から一万円前後という価格帯も、アートを「生活の中に置く」最初のステップとしてはちょうどいい。

箱を開けずに飾りたいと思う日も、誰かを呼んで一緒に遊ぶ日も。そんな二重の楽しみ方ができるボードゲームは、生活の中に自然に置ける、最も身近なアートのひとつなのかもしれない。

【インタビュー】YOSHIROTTENの奏るテクノロジーと自然のセッション – 後編

テクノロジーを駆使して自然を捉え直すアーティスト、YOSHIROTTEN。前編では、余白から生まれる偶発性、自然というアンコントロールな要素を作品に組み込むどっしりとしたアティチュードが見て取れる。光や石、そこにあ̇る̇も̇の̇やあ̇っ̇たも̇の̇に想いを馳せる彼のフィルターを通すなら、東京という都市はどのように映るのだろう。

YOSHIROTTEN(以下、Y) – 僕は自然豊かな鹿児島で育ち、東京ではクラブカルチャー、夜の世界に面白さを見出してきました。そこでは若い頃から多くの時間を過ごしたし、たくさんの友人や仲間がいる。 東京に関して言うなら、夜にこそ、都会のリアルな姿が鮮明に映し出されるのだと思います。渋谷の地下のクラブなんかで自由に音に身を委ねる人々の姿が、僕の思う東京の好きな風景かもしれません。逆に昼の明るい時間には、森や山の中などの自然の中に身を置き、太陽の光を浴びる。僕にとってはそのどちらも必要な時間だと感じています。

コロナ禍で見つめ直した「1日」の重みと、太陽のポートレート

国立競技場で開催された「SUN」 

パンデミックの最中にスタートしたプロジェクト「SUN」では、365日毎日異なる太陽を描き続けていましたね。あの時期にこの活動を始めたことには、どのような決意があったのでしょうか。

Y – コロナ禍になり、予定していた展示やイベントがすべて白紙になりました。創作しても発表する場がない。クリエイターだけでなく、人類が等しく直面した壁だったと思います。あの閉塞的な時間の中で、ただ僕は、「とにかく作り続けていかなければならない」と強く思ったんです。

国立競技場で開催された「SUN」 

あの時、世界中の人々が同時に「今日という1日」を強く実感していたと思います。外出もままならず、目にするのは何日も同じ景色でした。それでも毎朝昇ってくる太陽とその日の感情は、同じではなかった。その体験を形にすることは、作家として非常に自然な衝動でした。

その後、国立競技場で開催されたフリーイベントでの「SUN」のインスタレーションは、多くの人に解放感を与えましたね。

Y – ようやく人に会える、マスクを外して集まれる。あのパーティーは僕なりの「祝祭」でした。1日1日の積み重ねが365日になり、それがようやく他者と共有される場になった。あの時感じた「1日の実感」は、今の僕の創作活動の土台に深く息づいています。

アルミハニカム:宇宙へ届ける「地球の美しさ」

「無題 」 / photo by Mikito Hyakuno

太陽への眼差しに加え、宇宙にも多大な興味があるそうですね。

Y – 2013年頃にJAXA(宇宙航空研究開発機構)から、実際に宇宙へ行って大気圏を越えて地球に還ってきたパネルを譲り受けたんです。アルミハニカムという素材で出来ているもので、これを生で見た時、このパネルが宇宙で出会ったかもしれない、惑星なのか、大気なのか、粒子なのか、魂なのか…。それらを反映した作品にしたいと思いました。

「無題 」 / photo by Mikito Hyakuno

その後発表されたプロジェクトが「Future Nature」ですね。

Y – そうです。アルミハニカムは人工衛星にも使われる非常に軽くて丈夫な素材です。これにキャンバスとして作品を描けば、物理的には、宇宙へ持っていくことが不可能じゃない。僕は「地球の美しいものを宇宙に届けたい」という想いで“Future Nature”というプロジェクトを続けているので、キャンバスとしてアルミハニカムを選ぶのは自分の中で一番しっくりくるんです。それを見た人が「これは宇宙まで行ける素材なんだ」と知った時、想像力が地球の外側まで広がっていく。ワクワクするじゃないですか。そうしたワクワクするような感覚を生み出すことが、アーティストとして大切だと思っています。

「アート」で感動するということ

ビューイングルームの展示風景 / photo by Mikito Hyakuno

自然の中に創作のヒントを見つけて、全く独自の作品を作り上げるYOSHIROTTENさんですが、他のアーティストの作品からヒントを得たり影響を受けることはありますか?

Y – 色々ありますが、具体的にこの人がといったことはないですね。
ただ、一昨年に、ずっと行きたかった南仏にあるヴィクトル・ヴァザルリという大好きなアーティストの美術館「Fondation Vasarely」に行ったんです。僕と同じように元々デザイナーだった彼は、平面から彫刻へと表現を拡張し、最終的に自分だけの美術館を作り上げてしまった。その偉業には憧れるものがあります。完成して30年、40年後に僕が行って、感動する。イサム・ノグチのモエレ沼公園もそうだし、篠田桃紅さんの当時のアトリエを移設した場所を訪れた時にも、全身に鳥肌が立ったのを覚えています。 それは1つの作品を観てというより、作家の全体像、文脈の中でこの作品を作ることが出来たという事実に直面した時に、より感じるものです。あとは、自分が20代の頃から憧れていた場所に訪れた時、変わらず感動できたことが嬉しかった。

事務所の本棚には人工衛星や宇宙の本がずらり。 / photo by Mikito Hyakuno
ヴィクトル・ヴァザルリの作品集なども。 / photo by Mikito Hyakuno

メディアとして機能するYOSHIROTTENの作品

ビューイングルームの様子  / photo by Mikito Hyakuno

ご自身の作品が観られる立場としてはどうでしょうか。今回の「大谷グランド・センター」もそうですが、大谷の地において、ある種ハブスポット的な役割も持ち合わせています。作品を通して、既存のものの価値を新たにする点は、メディア的な役割とも言えますね。

Y – そうですね。「大谷グランド・センター」は、大谷の歴史をどうやって未来に伝えられるかというのが最初の課題でした。まずは人をたくさん呼ぶ。その為にはインパクトのあるものが必要ですが、一時的にたくさんの人を集めるだけでは意味をなさない。フィールドリサーチや土地の歴史を辿ると、古くからある大谷石の存在や、70年代頃に構想されていた「大谷テクノパーク」という、SF映画バリの地下施設を作ろうという計画の存在が浮かび上がってきました。結局実現はしませんでしたが、そこには「トランストーン」という空間があって…とか、「なんだそれ」ってなるじゃないですか。大谷の魅力を伝えるというのは、そうした過去の歴史に目を向けることが非常に大切でした。

大谷石。「ミソ」と呼ばれる穴が最大の特徴だ。

過去に実施された伝統工芸である「輪島塗」とのコラボレーションでも、現代的なアプローチを通して全く新しい作品に仕上げていますね。漆器という歴史ある媒体をどう捉えましたか?

Y – 輪島塗には数百年の歴史と伝統があります。でも、僕はその伝統を忠実に継承する立場ではないからこそ、新しい表現で伝統工芸に向き合えると思いました。
職人さんに提案したのは、これまでの輪島塗ではあまり使われてこなかった鮮やかな色漆(いろうるし)のグラデーションです。まずはCGを使ってシミュレーションを作成し、「こういう色の繋がりを持つ杯(さかずき)を作れませんか?」とお伝えしました。

「SAKAZUKI」 / photo by Mikito Hyakuno

職人さんの反応はいかがでしたか?

Y – 最初は「やったことがない」と驚かれましたが、面白がってご協力頂けました。出来上がったものは、輪島の工芸作品としての美しさを保ちながら、これまでにない色彩を放っています。これを見た人が「漆ってこんなに綺麗なんだ」と再発見してくれる。それこそが、僕がやる意味だと思っています。大谷のプロジェクトもそうですが、土地の歴史や伝統を自分なりに解釈し、未来へ繋ぐために何ができるかを常に思っていますね。

「とにかく、たくさん作ること」

YOSHIROTTEN / photo by Mikito Hyakuno

最後に、これから創作の道を志す若い世代に向けて、メッセージをお願いします。

Y – シンプルですが「とにかく、めちゃくちゃたくさん作ること」です。
そして、作ったものをどう扱うか、徹底的に向き合ってほしいです。今の時代、発表する手段はいくらでもあります。勇気を持って世に出してみるのも一つの方法です。表現したいという想いがあるのなら、その一歩を恐れずに踏み出し、継続してやり切ること。楽しみながら。それがすべてだと思います。

大谷グランド・センター

所在地:栃木県宇都宮市大谷町1396-29
アクセス:JR「宇都宮」駅より車で約30分/関東バス「大谷観音前」下車すぐ
入館パス:大人(18歳以上)・中人 500円 / 小学生以下無料
グランドパス:大人(18歳以上) 1800円 / 中人 1500円 / 小学生以下無料
公式サイト:https://oya-grand-center.com

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