Y – ようやく人に会える、マスクを外して集まれる。あのパーティーは僕なりの「祝祭」でした。1日1日の積み重ねが365日になり、それがようやく他者と共有される場になった。あの時感じた「1日の実感」は、今の僕の創作活動の土台に深く息づいています。
アルミハニカム:宇宙へ届ける「地球の美しさ」
「無題 」 / photo by Mikito Hyakuno
太陽への眼差しに加え、宇宙にも多大な興味があるそうですね。
Y – 2013年頃にJAXA(宇宙航空研究開発機構)から、実際に宇宙へ行って大気圏を越えて地球に還ってきたパネルを譲り受けたんです。アルミハニカムという素材で出来ているもので、これを生で見た時、このパネルが宇宙で出会ったかもしれない、惑星なのか、大気なのか、粒子なのか、魂なのか…。それらを反映した作品にしたいと思いました。
「無題 」 / photo by Mikito Hyakuno
その後発表されたプロジェクトが「Future Nature」ですね。
Y – そうです。アルミハニカムは人工衛星にも使われる非常に軽くて丈夫な素材です。これにキャンバスとして作品を描けば、物理的には、宇宙へ持っていくことが不可能じゃない。僕は「地球の美しいものを宇宙に届けたい」という想いで“Future Nature”というプロジェクトを続けているので、キャンバスとしてアルミハニカムを選ぶのは自分の中で一番しっくりくるんです。それを見た人が「これは宇宙まで行ける素材なんだ」と知った時、想像力が地球の外側まで広がっていく。ワクワクするじゃないですか。そうしたワクワクするような感覚を生み出すことが、アーティストとして大切だと思っています。
Y – そうですね。「大谷グランド・センター」は、大谷の歴史をどうやって未来に伝えられるかというのが最初の課題でした。まずは人をたくさん呼ぶ。その為にはインパクトのあるものが必要ですが、一時的にたくさんの人を集めるだけでは意味をなさない。フィールドリサーチや土地の歴史を辿ると、古くからある大谷石の存在や、70年代頃に構想されていた「大谷テクノパーク」という、SF映画バリの地下施設を作ろうという計画の存在が浮かび上がってきました。結局実現はしませんでしたが、そこには「トランストーン」という空間があって…とか、「なんだそれ」ってなるじゃないですか。大谷の魅力を伝えるというのは、そうした過去の歴史に目を向けることが非常に大切でした。
Y – 輪島塗には数百年の歴史と伝統があります。でも、僕はその伝統を忠実に継承する立場ではないからこそ、新しい表現で伝統工芸に向き合えると思いました。 職人さんに提案したのは、これまでの輪島塗ではあまり使われてこなかった鮮やかな色漆(いろうるし)のグラデーションです。まずはCGを使ってシミュレーションを作成し、「こういう色の繋がりを持つ杯(さかずき)を作れませんか?」とお伝えしました。
「SAKAZUKI」 / photo by Mikito Hyakuno
職人さんの反応はいかがでしたか?
Y – 最初は「やったことがない」と驚かれましたが、面白がってご協力頂けました。出来上がったものは、輪島の工芸作品としての美しさを保ちながら、これまでにない色彩を放っています。これを見た人が「漆ってこんなに綺麗なんだ」と再発見してくれる。それこそが、僕がやる意味だと思っています。大谷のプロジェクトもそうですが、土地の歴史や伝統を自分なりに解釈し、未来へ繋ぐために何ができるかを常に思っていますね。
「とにかく、たくさん作ること」
YOSHIROTTEN / photo by Mikito Hyakuno
最後に、これから創作の道を志す若い世代に向けて、メッセージをお願いします。
Y – シンプルですが「とにかく、めちゃくちゃたくさん作ること」です。 そして、作ったものをどう扱うか、徹底的に向き合ってほしいです。今の時代、発表する手段はいくらでもあります。勇気を持って世に出してみるのも一つの方法です。表現したいという想いがあるのなら、その一歩を恐れずに踏み出し、継続してやり切ること。楽しみながら。それがすべてだと思います。
Y – 自然をテーマにしている時点で、僕はコントロールしようとは思っていません。むしろ、その状況と親和することが、最も自然な作品の在り方だと思っています。 以前、僕の育った鹿児島県にある公立美術館「霧島アートの森」で個展を開催しました。そこでは、自然光の入る美術館のトップライトが全開放された部分を生かして、時間帯によって空間がオレンジ色に染まったりと、空間全体を使った光の作品を作りました。雨が降ればより没入感のある暗い空間になるし、晴れれば光がパーンと入ってくる。それは僕にもコントロールできません。
予期せぬことが起きる面白さ、というわけですね。
FUTURE NATURE Ⅱ in Kagoshima / photo by Yasuyuki TAKAKI
Y – 霧島や大谷のプロジェクトでは、ハンドスキャナーを持ち歩いて、岩肌や土、葉っぱの表面をなぞってデジタルデータに変換する作業を行いました。これは視覚的な「記録」に近い行為です。特に今回の大谷でのプロジェクトでは、大谷石の特徴である「ミソ」と呼ばれる穴に注目しました。(※脚注:およそ1200万年前に誕生した凝灰岩である大谷石には、「ミソ」と呼ばれる茶色の斑点がある。これは、火山岩が粘土化して出来たもので、長い年月を経て、その箇所は抜け落ちていく)
「霧島百景」 / 鹿児島県のいろいろな場所でフィールドスキャニングした50分間ほどの映像作品。 / photo by Mikito Hyakuno
目に見えない光をデータとして抽出するのですね。
Y – はい。例えば、霧島の噴気地帯(温泉の煙が上がっている場所)で分光器を向けると、赤外線の数値が高いだとか、可視光線はこれくらいだというグラフが出る。その場所の、その瞬間にしか存在しない「光の組成」をキャプチャーするんです。それをそのまま出すのではなく、得られたデータを元に「この数値の動きが美しい」と感じる部分を抽出して、さらにその場所で抱いたイメージで着色していく。そうすることで、僕らの目には見えていなかったけれど、確かにそこに存在していた光を「デジタル上の絵画」として作り上げていきます。
「Menhir 2」 / ビューイングルーム内の不可視光線を分光器によってリアルタイムで映し出す。室内の自然光の入り方、窓の締め具合、照明の有無で、刻一刻と変化してく。目に見えない「光」が、生き物のように動き出す。記事内での変化にもご注目。 / photo by Mikito Hyakuno
Y – 形は違えど、その時代における「新しい技術や表現」を使って、見たこともないものを作ろうとしていたはずです。 今の僕たちがアートとして発表することの意味は、この時代のテクノロジーを使って、前の時代の人たちにはできなかった表現を追求し形に残すことにあると思っています。「今ならこれができる」という可能性を追求することが、作家の役割の1つではないでしょうか。
Mika Pikazo – ラテン文化が持つ魅力に、魂が自然と流れていくというか、「あなたの魂はここにありますよ」って言われているように感じることはありますよね。私がカラフルな色が好きなのも、ブラジルだけではなくて、ラテン系の影響が強いんです。音楽だと、J-POPも海外のジャンルも好きですが、行き着く先は、やっぱりラテンになってしまう。 アメリカの音楽がパワフルなのに対して、イギリスの陰鬱な中の儚さとか、国によって印象が全然違う。そんな中で、ラテンは、凄く熱烈。あの熱烈とした感じが凄く好きなんです。生き物として生を謳歌しているというか。危ない部分は危ないんですけどね。太陽に照らされているような人類愛がある。
Mika Pikazo –当たっていると思います。もちろんラフを絞り出すまでは悩みますが、一度「これだ」というラフが描けたら、そこから完成までは絶対にブレないようにしています。
ORIHARA – やっぱり。強い……!
Mika Pikazo – 逆に、制作途中でポージングや色味を大幅に変えなきゃいけなくなると、パニックになってしまうんです。「あ、完成形が見えなくなった、どうしよう!」って。最初にゴールを決めているからこそ、設計図が狂うと慌ててしまうんですよね。最初のラフの感動をいかに切り崩さないかが大事になってくる。ORIHARAさんはその辺りはどうですか?
Mika Pikazo – 私も、大作的な絵を描く時は最初から最後まで悩みますよ。「本当にこれでいいのか」って。もう少し気楽に考えて作りたいって思うくらい、自分の気持ちが、作品としてのカタルシスに向かわないと、作品を終わらせられないんです。
個展「UNDER VOYAGER」メインビジュアル / Mika Pikazo
ORIHARA – Mika Pikazoさんの場合、その「悩む時間」の配分が上手いんだと思います。例えば100枚描く展示会があるとして、全部で悩むのではなく、「一番悩むべき場所」をロジカルに決めている。悩むことが必ずしも正義ではないから、量産すべきところと、深く潜るところを切り分けている「ロジカルなエンジン」だなって。
“自由”の難しさと、スランプの正体
Mika Pikazo – 確かに、その辺りはロジカルかもしれません。ただ、展示会となると感情が乗りすぎて、それが「悩み」に変わることもあります。空間のテーマを決め、それを拡張しようとすればするほど、感情が無限に浮かび上がってきて、収拾がつかなくなるというか……。イラスト単体ではその絵だけに気持ちを集中させればいいけど、展示会はもっと膨大な、複雑な感情が自分を乗っ取ってしまう。
ORIHARA – 想いが強すぎると、プレッシャーで腕が重くなりますよね。
Mika Pikazo – そう、腕が重いんです。ちょっと話が逸れるかもしれませんが、スランプって、インプット不足だけでなく「自分の中の感情や責任が重くなりすぎた時」に起きやすい気がしていて。
ORIHARA – 分かります。
Mika Pikazo – 正解が見つけづらくなるんですよね。「頭の中でこんなことが浮かぶならもっと深いところを伝えられる作品を作れるはずだ」とか、「この感情をもっといい形で昇華すべきなんじゃないか」とか。自分の感情には底がないから、どこまでも沈んでいってしまう。
Mika Pikazo – 今回は私がディレクターとして「感情」というテーマを設定したので、自分が出したお題に対して、ある種「クライアントワーク」としてイラストを描いた感覚なんです。沢山の感情が渦巻く展示にしたいからこそ「捉えきれない感情を、見ている人に複数個の感情がブレて表現されるものを描こう」と思って。その導入として、感情を決めつけない、あやふやなものを提供したかったんです。いかに「気持ちを落ち着けて描くか」を意識しました。なにかの感情に支配されないこと。描き込みの要素が多くて作業としては大変な絵ではあるのですが、そこに想いを「込めすぎない」というか。力が入っている状態なんだけれど、あえて力を抜く。軽い気持ちを維持した状態で感情を捉えるべきだ、と考えながら描いていました。
Mika Pikazo – なるほど……。でも私、この絵はすごく「優しい絵」だなと感じました。自分のファッションや言葉って、いくらでも知識で武装したり、よく見せたりできるじゃないですか。でも、作っている最中にそれが全部剥がれ落ちてしまう瞬間って確かにある。 さっきORIHARAさんが言っていた「信じる力」というのは、そういう自分自身を受け入れること、ともに生きていくことなんだと、今思いました。醜さも含めて自分を認めるという『鏡』の在り方は、すごく優しさに満ちていると感じました。
Mika Pikazo – 私の場合、制作自体にすごく時間がかかりますし、常に自問自答を繰り返してしまいます。しかも、その自問自答が悪い方向へ行くことが多い。描き切るまでずっとネガティブというか、他人から見たら「そこまで考えなくてもいいんじゃない?」というところまで沈んでいってしまう。 そう考えると、作っている最中が幸せかと言われれば、あまり幸せそうではないなと自分でも思います。ただ、「絵が一番、苦しまない」とも思うんです。
どういうことですか?
Mika Pikazo – 絵以外の現実が辛すぎる、という感覚が強いんです。楽しいとか幸せとかを感じないというわけではなく、沢山の嬉しい思い出があっても、器の底が欠けてしまっている。日々過ごす中で直面する「現実」から逃避できる場所が「絵」なんです。自分が向き合いたくないものから逃げて、自分が信じたいものに向き合わせてくれる。 「絵を描いていたから、かすり傷で済んだ」という感覚。それくらい現実には大変なことが多いと感じてしまうので、私にとって絵を描くことは「幸せ」というより、「救い」なんだと思います。
言語を超えた「コミュニケーション」としての絵
自分に他の能力があれば、「絵」以外の手段でも構わない?
Mika Pikazo – もし楽器が扱えたら音楽でも良かったのかもしれません。でも、絵が一番、自分の理想や想像したものを理想の形で吐き出せるんです。 以前、言葉が全く喋れない状態でブラジルへ行ったことがありました。その時、メモ帳に絵を描くと、現地の人に自分の言いたいことが伝わったんです。翻訳機能も使わずに、「これが欲しい」「ここへ行きたい」という意思が、「絵」を通して伝わった。その原体験もあって、私にとって絵は言語に匹敵する、あるいはそれを超えるものなんです。
Mika Pikazo – もちろん「ここは自分で描く」というラインはあります。最終的な仕上げには必ず自分の手を入れますが、自分一人の手では描けないくらい、もっとたくさんのものを作りたいという思いが強いので、スピードを重視して分担しています。だれかに描いてもらった部分があっても、「これは自分の絵である」と思えるのは、ロジカルというより感覚的なものかもしれません。
Mika Pikazo – 凄く考えていますね。これは20歳ぐらいのときから考えてきました。今の自分と同じようにこれからもずっと描けるかを全く信じていなくて(笑)。5年後、10年後に体を壊しているかもしれないし、描く時間が取れなくなるかもしれない。実際に20代ではまったく思いつかなかったことが目の前に広がるようになりました。だからいつでも終わってしまうリスクを考えて、今のうちに出来ることはやっておきたいんです。私自身は死ぬまで苦悩しながら筆を握っている作家が大好きなので、そうでありたいと思っていますが、 「来月10枚描こう」と思っても、状況次第では3枚しか描けないかもしれない。だから、次の展示、その次の展示まで「道筋」を決めていたりします。
Mika Pikazo – 今回はディレクターとしての側面もありますが、イラストと短歌を掛け合わせるなど、あえてイメージを使わない表現を多く取り入れました。参加頂いた方々、一人ひとり違う「感情」というものに真摯に向き合って作ってくださっています。展示作品を通して、自分自身の感情や、誰かを見た時の思いを照らし合わせて、「今の自分自身の答え」のようなものを探っていただけたら嬉しいです。
Mika Pikazo – 確かにORIHARAさんの絵って、「あ、ORIHARAさんのだ」ってすぐに分かる絵をしていますよね。初めてORIHARAさんの絵に触れたのがAdoさんのイラストで、作品を見ていく中で、「叫び」が聞こえてくるというか、“何か”をすごく渇望しているんだろうな、手をグッと伸ばしているんだろうなというものが感じられて。そういった部分が、多くの人に響いているんだろうなと思いました。
Mika Pikazo – 凄くありますね。私はこれまで、「人の感情が揺り動かされ反射的に目を奪われてしまう絵はどんなモノだろうか」ということをかなり意識して描いてきました。特に20代はその傾向が強かったなと思います。ただ、そうして積み上げていくうちに、ふと「反骨精神」のようなものが以前より湧いてくることがあるんです。「絶対に輪郭を捉えさせないぞ」といった感覚。それは自分自身のためでもあり、見ている人を驚かせたいという気持ちでもあります。自分の「コントロールしたい意志」とは別に、自然と湧き上がってくる“何か”があるような感覚、というか…。
ORIHARA – 昨年にAdoさんの世界ツアー『Ado WORLD TOUR 2025 “Hibana” Powered by Crunchyroll』が開催されていたんです。元々観に行こうと思っていたのですが、ちょうど1人で旅をしたいと考えていたタイミングと重なったこともあり、ヨーロッパを中心に色々と回ってきました。
昨年末に開催された米山舞の個展『YONEYAMA MAI EXHIBITION “arc”』(関連記事:4次元で観る『YONEYAMA MAI EXHIBITION “arc”』)や、本展示と同時期に開催中の『攻殻機動隊展』など、いわゆるアニメーターの中間成果物を展示する試みは近年増えつつあるが、『ルックバック』において、その意味合いは若干異なる。
Mika – 岡本かの子さんのこの歌を見た時に、 私は、ピアノと自分が「一心同体」のようなイメージを持ちました。何か嫌なことがあって、自分の一部なのか、唯一の拠り所なのか、ピアノの下に潜り込む様子。ピアノが心の安定剤であり、救いであるようなイメージです。だから、青松さんが「ピアノが拒んでいる」という“拒絶”のニュアンスで解釈されたのが衝撃でした。
Mika Pikazo(以下:Mika) – 青松さんのことはYouTuberのベテランちさんとして元々知っていたのですが、短歌を初めて拝見した時は、そのギャップに凄く驚きました。 私は高校卒業後すぐにブラジルに渡って2年半ほど過ごしていたので、灘中高、そして今も東大の医学部に在籍されている青松さんは、私とは全く違う人生を歩んでいる方なんだろうなと、ある種の恐れ多さと同時に、すごく気になる方でした。
Mika – 以前までは、「完成した絵と、展示の情報だけを正確に出そう」という気持ちが強くなっていました。本当は自分の中にある感情や想いが溢れ出して、それを膨大な文字数で伝えたかったのですが、クリエイターとして、「絵だけを見せたほうがいいのではないか」と自制していたんです。でも、そうやって自分を律していくうちに、どんどんネット上で「静かな人」になってしまって……。最近は逆に、「もっとちゃんとネットの中に存在して、自分が感じていることを素直に喋ったほうがいいんじゃないか」という気持ちに変化してきています。ファンの方とのダイレクトなやり取りや、リアルな反応が見えるSNSの良さを、もう一度ポジティブに捉え直しているところです。 青松さんは、ちょうどXでも話題になってましたね…!? (取材日のちょうど数日前、ベテランちとコムドット・やまとによる「YouTuberは職業か否か」を巡ったX上のリプライ合戦の火蓋が切られた)
Mika – 絵に対しては加点方式で描いていて、自分に対しては減点方式ですね。今のMika Pikazoとしての自分ではなく、学生時代や子供の頃の自分を思い出して、「あの頃の自分に届けたい」という想いで描いています。だから、完成した絵が自信満々に見えたり、楽しそうに見えたりするのは、当時の自分が「そうありたかった姿」を投影しているからなのかも知れません。
Mika – 私は義憤ばかりかもしれません。普段、人と接している時に正直な気持ちを言えなかったり、うまく言葉に出来なかったり……ああ、あのときああ言えばよかったなっていうのをずっと心の奥底にためています。そういう時に溜まった攻撃的な部分や、自分の器の狭さみたいなものを全部、絵や展示会にぶつけて爆発させている感覚です。