確かに、YouTubeにアップされた冠木佐和子のアニメーション作品を見ると、コメントに散見される意見は至極真っ当かも知れない。
うねうねとした奇妙奇天烈な動き。人間の“恥部”を隠すどころか曝け出した、異常とも思える作品群。それでも作品たちは、規制の厳しいYouTubeというプラットフォームにおいて、動画の消去やアカウントの停止を被らずにいる。
それはひとえに、彼女の作品が紛れもない「アート」として認められてきた証とも取れる。現に彼女のアニメーションは、世界の名だたる映画祭で評価されてきた。

アニメーションだけではない。彼女の一枚絵のイラスト表現は、明らかに横尾忠則や日本の伝統文化・浮世絵の系譜に連なる。冠木の表現する極めて日本的な「恥」の文化は、それでいてハイカラで、現代的だ。稀有のアーティスト・冠木佐和子が今、気になる。
冠木佐和子は、一体どのようにして育ったのか

冠木 – 小さい頃から絵を描いていましたが、シンプルな線で描いて、ベタ塗りするみたいなのは今と変わらないと思います。当時からパソコンのマウスでオリジナルの絵を描いていて、インターネットの「お絵かき掲示板」に投稿していました。
その当時からオリジナルの絵を描いていたんですね。
冠木 – そうですね。モチーフは日常的に自分が気になっているものとか、その時感じていることでした。中学生の時は制服がセーラー服だったのもあって、セーラー服の女の子を描いたりしていました。
その時は今に通づるような、いわゆる「エロい」要素も含まれていましたか?
冠木 – ずっとそうですね。それしかできることがなくて。運動もできないし、勉強も好きじゃない。でも絵が描けたので、将来は自然とそういう風になるだろうなと思っていました。

放課後はどのように過ごしていましたか?
冠木 – 中学2年の頃は学校をサボりがちになって、一人で遊んだりしていました。地元が江東区なんですけど、東京都現代美術館が近くにあって、中学生無料だったんです。常設展とか図書館に行ったり。あと、近くの公園でアリを拾ったりしてました(笑)。アリ育成キットみたいなのが流行っていて、それに入れて飼ってたんですけど、ある日突然それを振りたい衝動に駆られて、思いっきり振ったんです。そしたらみんな死んじゃって。なんか怖くなって、それから育てなくなりましたね。
……振ったんですね。
冠木 – あと、家のベランダから中学の校庭が見えて、体育の授業やってる時とかにそいつらに向かって氷投げたりとか。今考えるとマジヤバ中学生です(笑)。
サブカル好きはいつからですか?
冠木 – 小学5年生の時に観ていたNHKの『金曜かきこみTV』という番組で、みんなでゆるキャラを考えようみたいなコーナーがあったんです。その時に私の絵が採用されて、みうらじゅんにめちゃめちゃ褒められたんです。そこからみうらじゅんが好きになって、サブカル方面に行ってしまった気がします。当時は大槻ケンヂとか、そっち系の小説とかも読んでいました。
困ったら2ちゃんねる。相談の末進学した多摩美術大学

大学受験では東京藝大を目指していたそうですね。
冠木 – なんとなく美大に行きたいなというのはずっとあって。藝大が一番いいという理由で目指していました。でも、落ちてしまって。多摩美には受かったので、浪人するか多摩美に入るかを「2ちゃんねる」で相談しました。
なかなか珍しい相談先ですね(笑)。
冠木 – 困ったら2ちゃんねるに相談みたいな(笑)。小学校の卒業式の前日に前髪を切りすぎた時も、「前髪切りすぎた。どうしよう」みたいなのを2ちゃんねるに相談していました。ずっとそういう感じですね。
結果的に多摩美のグラフィックデザイン科へ進学され、そこで初めてアニメーションの授業があったそうですね。
冠木 – そう、グラフィックの2年生の時に全員アニメーションをやらされるんです。生まれて初めてアニメーションを作りました。「面白いな」とは思ったんですけど、大変すぎて。1秒作るのに何枚も描かなきゃいけないし、二度とやりたくないなって思いました。寿命が削れてる感じがして。だから今でもイラストレーターになりたいなと思ってます。
今でもですか?
冠木 – そうですね(笑)。
「物が変態するのがアニメーションの良さだ」
作品を提出した時、教授の反応がかなり良かったとか。
冠木 – 褒められてちょっと調子に乗っちゃって。その作品は今もYouTubeで見れます。「⚪︎」っていうタイトルで。

初期の作品とは思えない程オリジナリティに溢れていますが、アイデアはどういったところから湧いてきますか?
冠木 – あまり何も考えてないんですけど、当時の先生が、「物が変態するのがアニメーションの良さだ」と言っていて。ぐにゃぐにゃいろんなものに変わるみたいな。そういうことは意識していたと思います。
卒業後、まさかのアダルトビデオ制作会社へ

卒業後はアダルトビデオの制作会社に就職されたそうですね。一体何が起きたのでしょうか。
冠木 – 映像はずっと好きだったし、周りもみんな就活していたので、「受かったら面白そうだな」みたいなノリで受けたら、受かっちゃって。日本の映画監督にはAV出身の人もいるし、実写の勉強になるんじゃないかみたいな気持ちもあるにはあるにはありましたが、今思えば完全に悪ノリですね。
会社ではどのような仕事をしていましたか?
冠木 – 私、全然使えなかったみたいです。ADだったんですけど、ほとんどただ現場にいるだけ。そのうち卒業制作が映画祭にノミネートされて、仕事を休んで映画祭に行ったりしてたら、周りの人に「もうアニメーションに戻った方がいいんじゃない?」って言われて、結局半年ぐらいで辞めました。
それから、また突然多摩美の大学院へと進学されているのが驚きで。これにはどういった経緯が?
冠木 – 藝大コンプレックスがずっとあって、どうしても藝大の大学院に行きたかったんです。でも、受けようと思ったら締め切り日が過ぎてて。多摩美がまだ締め切っていなかったので、結局多摩美の院に行きました(笑)。理由としては集中して作品を作れる猶予期間が欲しかったというのもありました。
院ではどんなことを学ばれていましたか?
冠木 – 席を置いてるだけで、基本的に自分の作品制作に集中してました。教授がいるから、締め切りとかプレッシャーがある。そういう環境が欲しかったんです。
幼少期から今と変わらない作風だと語る冠木。放課後の衝撃的な遊び方から、進学、進路にまつわる話まで、前編では稀有のアーティスト・冠木佐和子がいかにして生まれたのか、その原点に迫った。後編ではもうひとつ、彼女の制作の裏側、作品に込められた想いを紐解いていこう。お楽しみに。