アートな最先端テクノロジー

表現の歴史は常に、新しい技術とともに可能性を広げてきた。

例えば1800年代中盤に初めて持ち出し可能なチューブ式絵の具が開発された。それにより、これまで室内で描くしかなかった画家たちは、初めて外の世界で絵画を描けるようになった。光や風を肌身で受け取った画家たちの筆跡が、後に印象派へと繋がっていったのだ。

それから200年。私たちは、当時とは比較にならないほどの速さで生まれる新しい技術に囲まれている。では、今の最先端技術は、私たちの表現をどう変えていくのだろうか?この記事では、美術表現という観点から現代テクノロジーを捉えてみたいと思う。

知覚のためのテクノロジー:三上晴子と落合陽一

戦後、メディアアートが独自の発展を見せた日本の現代美術において、技術は私たちの知覚そのものを顕在化させる装置として機能してきた。

その中でも三上晴子はまさにテクノロジーアートの先駆者と言えるだろう。彼女は自身の活動目標を「知覚の美術館」の建設とし、テクノロジーを媒介に人間の知覚に訴えかける作品を制作し続けた。

NTTインターコミュニケーション・センターより

たとえば鑑賞者の体重を感知して変化す映像インスタレーション「gravicells—重力と抵抗」や、無数のカメラが鑑賞者を監視する映像作品「欲望のコード」など、現代テクノロジーを使って私たちが生活下で使用している知覚の働きを顕在化する作品を作っている。

こうしたテーマは、現代において落合陽一の「デジタルネイチャー」というテーマへと引き継がれていると言えるだろう。デジタルとアナログ、テクノロジーと自然が区別できなくなった現代において、落合は光や音、振動といった物理現象を精密なアルゴリズムで制御し、新たな自然の在り方を提示する。

超音波でシャボン玉を制御する「A Colloidal Display」や、音声データを彫刻化する「Re-Materialization of Waves」。彼の作品は、テクノロジーと自然と知覚が一体となる世界を鑑賞者が体験するためのものとして機能している。

身体の拡張としてのVR:ジャクソンカキと花形慎

2010年代後半から一般への普及が加速したVR。身体と連動してバーチャル空間内のアバターを動かす技術と併用して使われることで、Vtuberなどのポップカルチャーを生み出したのは記憶に新しいだろう。

しかし日本の現代美術…特にパフォーマンスの文脈では、バーチャル空間への没入は身体の拡張の可能性として使用されている。

ジャクソンカキという作家は、クラブミュージックや映像作品も作る多彩なパフォーマーだ。

彼はパフォーマンスで人間以外のアバターを演じることで、VR技術によって演劇性を再発見しようとしている。演者がVRゴーグルをつけてパフォーマンスを行うことで、演者は自然な動物の動きをするために普段行わないような動きを求められることとなるのだ。

花形慎というパフォーマーもまた、VR技術を駆使してパフォーマンスを行っている。彼はVRを通じて身体の機能を入れ替えることで、デジタル技術と融合した「キメラ」という身体像を提示している。「技術的嵌合地帯-CHIMERI」という作品では、彼は足の先にカメラをつけ、それをVRゴーグルに繋ぐことで、足に眼の役割を持たせている。

ゴーグルをかけてデジタル世界に没入すさまは一見すると外側に開かれていないように思えるが、2人のように、VRはわたしたちの身体に新しい感性を授けてくれる。彼らはこれまで人間が持ちえなかったものを使いこなすことで、人間の身体機能を拡張しているのだ。

未知の他者としてのAI:岸裕真と九段理江

現在、社会に最も巨大な衝撃を与えているのはAIの汎用化だろう。生成AIの登場は、表現の民主化をもたらす一方で、イラストレーター需要の低下や著作権が問題視されるようになった。そうした現状に呼応して、近年では美術表現にもAIを取り入れる動向が見受けられる。

√K Contemporaryより

岸裕真という作家は、AIを共同制作者と認め、AIと対話しながら制作を行っている。彼はAIの開発者としての経験から、2019年より独自のAIの開発と学習データの設計を起点に制作を開始。AIを人間の模造品ではなく「Alien Intelligence(エイリアンの知性)」と捉えて、制作やキュレーションを任せている。

九段理江という小説作家もまた、AIを自らの小説の制作に組み込んでいる。「東京都同情塔」という作品では、全体の5%ほどをAIに執筆させた。同作品では「AI-built」という架空のAIが登場し、登場人物と対話するシーンにてAIが使用されている。

テクノロジーと人間

あらゆるテクノロジーは人間が有している機能の延長ではなく、人間が持っていない機能を授けてくれるものでもある。AIやVR、数多くの「テクノロジー」という未知の知性と対話しながら制作することによって、これまでの人間が持つはずのない知覚や身体を授かる時が来るのではないだろうか。それを人間性の崩壊と考えるか、新しい人間の可能性と考えるかは、この先の人々の役目かもしれない。

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