ホテルのロビーがギャラリーに。作品化していく宿泊空間

休みが近づくとなんとなく航空券の予約サイトやちょっといいホテルを調べてしまう。仕事やタスクに追われている現代人たちにはそんなプチ現実逃避をしている人も多いかもしれない。

日本が観光立国を推進し、全国に国内外の観光客が訪れている。地域によっては宿泊施設の不足などが叫ばれるなか、最近ではアートを切り口にしたホテルが各地で登場し盛り上がりを見せている。ギャラリー化するホテルの潮流を探る。

ホテルとアートの蜜月

かつてホテルは上流階級の人々のためだけのものであった。高額な宿泊費の他にもドレスコードなど、豪華できらびやかな空間性が求められた。ホテルのエントランスやロビーには美しい生花や装飾とともに、西洋画やブロンズ彫刻といった古典的なアート作品が置かれていた。

ベネッセハウスミュージアム

転換のきっかけとなったのは間違いなく「ベネッセハウス直島」だろう。瀬戸内国際芸術祭の立役者でもあるベネッセが「自然・建築・アートの共生」をコンセプトに、1992年に開館した美術館とホテルが一体となった施設だ。草間彌生やイ・ウファン、ルーチョ・フォンタナなどのアートとともに眠れるホテルとして海外のアートや旅行メディアなどでもたびたび取り上げられ、日本におけるアートツーリズムの始まりの地となった。ベネッセハウス直島で実践された、現代アート作品と宿泊体験を繋ぎ合わせるスタイルは、非日常体験を楽しむことのできるホテルが鑑賞体験もできる場所として確立することになった。

用事がなくても行ってしまうーーー作品化するような空間

今では様々な宿泊施設で現代アートを楽しむことができる。自身のブランディングに長けているAce Hotel(エースホテル)は、世界中のエキサイティングな都市に唯一無二の宿泊体験を提案するホテルを開業している。日本では旧京都中央電話局をリノベーションした新風館という商業施設にAce Hotel 京都をオープンさせており、隈研吾が建築設計を行なっている。

Ace Hotel公式サイトより

Ace Hotelの魅力はそのデザイン性の高さにあるだろう。決して華美ではないエントランス空間だが、地元の人ですらふらっと立ち寄ってしまうようなアットホームな空間。地域に関連するアーティストの作品や使われているインテリアにものれんや陶磁器、照明などのクラフト作品も点在し、空間そのものがアートギャラリーのような印象だ。定期的に音楽やカルチャーイベントが行われ、様々な人が訪れる文化的なサロンのような場所になっている。ラウンジや客室の至る所に染色家・アーティストの柚木沙弥郎の手がけた作品が飾られている。またホテル内のレストランMr. Maurice’s Italian(ミスター・モーリスズ・イタリアン)ではバークレーで活動するアーティスト、Alexander Kori Girard (アレキサンダー・コリ・ジラード)の床や可動壁のデザインを鑑賞することもできる。

Ace Hotelの例から分かるように、ホテルのロビーの役割が変わりつつある。かつてはチェックインや待ち合わせといった通過点の空間から、これからのホテル体験の象徴や、お客さんに世界観を最初に伝える空間、そして用事がなくても行ってしまいたくなるような場所づくりを徹底的に行なっている。

続いて紹介するのは空間自体が作品化し、その場でしか味わうことのできない鑑賞体験ができる施設だ。

アートストレージ化している共用部

台東区の蔵前にあるKAIKA 東京 by THE SHARE HOTELSは現代アート作品を収蔵・公開する「アートストレージ」とホテルが一体となった施設だ。倉庫ビルをリノベーションした建物内に、複数の“見せる収蔵庫”スペースがあり、作品が展示されている。アートギャラリーと連動しているため、現代アート作品は日々入れ替わり、館内で無料で体験できる。その他にも企画展や「KAIKA TOKYO AWARD」など公募で選ばれた作品も常時展示されている。公開保管というコンセプトの作品を見ているかのようだ。

色の配色が見事。

広島県尾道にあるLOGは1963年築の集合住宅をリノベーションして生まれたホテルで、インドの設計グループSTUDIO MUMBAIが建築設計を行なっている。和紙や土といった自然素材の使い方が印象的で、光の入り方や質感の違いがまるで美術作品かのよう。客室や共用空間の作り、素材やディテールに美しさがあり、空間自体が展示のようになっている。

なぜここまでホテルがアートと蜜月になったのか。それはホテル自体の世界観を一瞬で伝え差別化要素として機能するためだと考えられる。特に共用部においては人の出入りが多く目につきやすい。ホテルのロビーを最も身近なアート鑑賞の場と捉えると、ホテルで過ごす退屈な時間が、一気にエキサイティングな時間へと変わるかもしれない。

アートとエンタメを横断する「音声ガイド」という新たな展覧会の楽しみ方。

今や展覧会において「音声ガイド」が、メインコンテンツにも劣らないエンターテインメントへと変わりつつある。

かつての音声ガイドは、作品の解説文を専門のアナウンサーが淡々と読み上げる教科書のような存在だった。しかし現代においては、アートとの関わりが深い俳優や人気の声優、アイドルといった様々なゲストの音声が、耳から新しい鑑賞体験を提供してくれる。これはもしかして、アート業界における日本独自のコンテンツとして確立するのかもしれない。

アーティストとのコラボレーションも務めた俳優たちの甘い音声

アートを愛する俳優の音声ガイドへの起用は、聴取者たちが作品を楽しむための案内人としての役割を果たす。2025年9月から東京国立博物館で開催された特別展「運慶」でガイドを務めた俳優の高橋一生は、自身が仏像への深い関心をよせている。

高橋一生のガイドは、作品の解説だけにとどまらず「仏像」という作品との向き合い方を共有してくれる。関連するインタビューでは「(音声ガイド)うるさかったら外していただいて」とも語っているほどだ。それは観客に作品と一対一で対峙する豊かさを気づかせ、運慶展ならではの静謐な空間を守ってくれているよう。数々のアニメーションや吹き替えで経験のある高橋一生の低く落ち着いた声は、木彫の仏像が持つ数百年という時の重なりを観客の耳に訴えかける。

「モネ 睡蓮のとき」展公式サイトより

2024年から国立西洋美術館や京都市京セラ美術館にて開催された「モネ 睡蓮のとき」展で音声ガイドを務めた俳優の石田ゆり子は、10代の頃に訪れたパリでモネの作品に触れた自身の原体験を語る。現代アーティストのフィリップ・パレーノと「メンブレン」という作品で声のコラボレーションを交わしている石田ゆりこ。アートにも造詣が深い彼女の透明感のある声は、モネが描いた光の揺らぎと重なるようだ。鑑賞者と同じ目線で語りかける彼女の音声ガイドは、作品にぬくもりと優しさをもたらしてくれる。

没入感を加速させる音のプロたち

確かな情報の中に、独自の表現を取り入れながら音声ガイドを吹き込むスペシャリストたちは、異なる角度から作品に光をあてる。

力強くも繊細な画風で自らの芸術の探究に生涯を捧げた画家「田中一村展」や、国立科学博物館などで開催された特別展「毒」などでガイドを担当した声優の中村悠一。彼の音声ガイドは聴取者を物語の世界へと引き込む。声優ならではの緩急や表現力を活かして、画家が命を削った制作の息づかいを目の前で体験しているように脳内に再現する。田中一村展では一村本人の語りを担当しており、展示室を見る場から体験する場へと変えたようだった。

特別展「毒」で音声ガイドを務めるのは「呪術廻戦」で五条悟の声を担当した声優の中村悠一

乃木坂46のメンバーであった齋藤飛鳥は、国立新美術館で開催される「テート美術館-YBA&BEYOND 世界を変えた90s英国アート」展で音声ガイドを務めた。俳優としても頭角を表しつつある齋藤飛鳥は、テート美術館の持つ名作を独特の言語感覚と視点で捉える。齋藤飛鳥のファンはもちろん、率直な感性が同じ時代を生きる世代とアートをつなぐ声の架け橋となるだろう。

スターたち自身がノリツッコミ。浜田雅功の音声ガイドにみるエンタメの可能性

2026年に麻布台ヒルズギャラリーで開催された浜田雅功展 「空を横切る飛行雲」は、これまでの音声ガイドの概念を完全に破壊した。ダウンタウンの浜田って絵描いてたんだ、と思う人も多いだろう。本展では彼の独特すぎる絵画を、日本屈指のクリエイターが本気で美術品としてセットアップしていた。会場構成にドットアーキテクツが務めた。

浜田雅功展 「空を横切る飛行雲」の会場の様子

なんと音声ガイドに選ばれたのは前期を担当する木村拓哉イチローと後期を担当する役所広司綾瀬はるか。単体で聞いても十分聞き応えがありそうなスターたちだが、音声ガイドという枠を飛び越え作品を見ながら2人が「これ、何なんですかね(笑)」「ここ、おかしいでしょ!」と本気でツッコミを入れるオーディオコメンタリー形式だった。

もちろん、スターたちはご存知の通り声も素敵。浜田雅功との関係性あっての内容に、鑑賞しながらくすくす笑う声も聞こえてくる。音声ガイドがもはや解説ではなく、展示の一部として機能する演出装置になった一例だろう。隣で感想を言い合うかのように聴取できる音声ガイドの形式は、新しいエンタメとなっている。

これからの展覧会において、音声ガイドはさらに多様性を帯びてくるだろう。直接見て楽しむことができる体験を提供する展覧会というメディアにおいて、音声ガイドもまた基本的にはその場でしか体験することのできないものだ。もちろん「音声ガイドなんてただのおまけでしょ?」と思う方もいるだろう。しかし、チームラボのデジタルミュージアムやイマーシブミュージアムなど、五感を使った体験を提供している展覧会も増えてきた。今まで音声ガイドを使ってこなかったという人も、目で見るだけでなく耳で聞くという“第3の目”のような音声ガイドを一度試してみてはいかがだろうか。

なぜ、いまドラマはアートを必要としているのか。大衆化からの脱却とこれからのドラマの姿

ドラマをアートと呼ぶかは人それぞれだが、近年ドラマというメディアが変革の時を迎えていることは間違いない。あえて賛否を呼ぶ表現や、現代アーティストとのコラボレーション、映画的手法が「朝ドラ」や「大河ドラマ」といった保守的に見える枠組みにも入り込んできている。アートワーク、炎上や賛否、映画監督のドラマへの参加などかつてのドラマでは起こりえなかった現象を一本の線で結び、現在のドラマが置かれている地点を整理していく。

新世代の朝ドラにみるドラマ表現の変革

常に話題となるドラマの放送枠がある。「HERO」「やまとなでしこ」「海の始まり」などを送り出したフジテレビの”月9”、放送開始から60年以上の歴史を持ち「JIN-仁-」「半沢直樹」を送り出したTBSの日曜劇場、そして長期間にわたって放送され、出演した俳優や女優のキャリアの中でも大きな意味を持つNHKの”朝ドラ”と”大河ドラマ”。

2024年に放送された朝ドラ「虎に翼」では、100年前の日本で史上初めて法曹の世界に飛び込んだ1人の女性の苦悩と希望を追った実話に基づく物語だ。筆者を含むたくさんの視聴者の心を動かした。しかし「虎に翼」のオープニングを見たとき、多くの視聴者は一瞬戸惑ったはずだ。米津玄師の楽曲とともに流れる抽象化された身体、揺らぐ輪郭。朝の時間帯に流れる国民的ドラマの入り口としてはあまりに異質だった。「朝ドラらしくない」「重い」「よく分からない」という声が上がる一方で、強い支持も生まれた。

ドラマにとってアートとは装飾の一つに過ぎなかった

ドラマとアートについて、少しだけ過去に遡ってみよう。かつてのドラマにおけるアートワークは装飾に近い役割を担ってきた。美しい風景、流麗な書、時代考証に裏打ちされた衣装や美術。それらは作品に品格をもたらすが、視聴者に特定の解釈を迫るものではなかった。特にオープニングに関して言えば、物語に入る前の助走としての役割のみが与えられてきた。

1980年代以降テレビドラマは絶頂期を迎えることになるが、以降も同時に視聴者にとっての最大公約数的な「わかりやすさ」が作品の基本だった。

そんな中での転換点の一つが、大河ドラマ「いだてん」のオープニング映像だ。過去と現代をクロスオーバーさせ、コラージュ的で速度感のあるオープニングは、これまでの大河像を裏切った。この時に初めて、オープニング映像自体が作品の主題を抽象化して提示する役割を担った。

「いだてん」のタイトルバック。題字は横尾忠則、作画は山口晃が手がける。

「虎に翼」のオープニングは、「いだてん」の頃と比べてさらに踏み込んだ作品になっている。シシヤマザキによるアートワークは、物語の時代や人物を説明しない代わりに、このドラマ独自の視点と新しい切り口を示す。法や制度に押し込められてきた女性たちの身体、揺らぐアイデンティティ。それは物語の背景というには、あまりにも示唆に富む。オープニングは入口ではなく、宣言文になったのである。

炎上から考察する大衆化からの脱却ーアートワークの変化と映画界の参入

こうした変化はときに賛否を生んできた。抽象的で説明をしない表現は、視聴者に解釈の余地を委ねることになる。「いだてん」が大河ドラマらしくないと評され、「虎に翼」が政治的であると批判された。国民的なコンテンツとも言える「朝ドラ」や「大河ドラマ」においては、特に中立を保つべきという意見も理解できる。

「いだてん」以降のドラマにおけるアート表現には明確な価値観が含まれており、それが火種となって賛否を生む。しかしそれはアートが単なる装飾ではなく、意味を持って機能している証拠でもある。炎上や賛否は、ドラマというメディアが新たなフェーズを迎え、誰もが楽しめるコンテンツからの脱却を目指している動きとも言える。

同じ文脈で理解できるのが、映画監督によるドラマ演出だ。Netflixで公開されている「舞妓さんちのまかないさん」では総合演出を「万引き家族」や「そして父になる」で知られる是枝裕和が手がける。現在放送中の日本テレビ「冬のなんかさ、春のなんかね」では「愛がなんだ」や「あの頃。」で知られる今泉力哉が監督・脚本を手がけている。

ドラマが映画監督らによって制作される背景には、感情を説明しない演出や人物を裁かない視点に評価が高まっているからだろう。彼らは飽和状態にあるラブコメや医療ドラマ、刑事ドラマでみられるドラマティックな演出とは距離をおいている。

大九明子はピン芸人としてキャリアをスタートさせた異色の経歴を持つ映画監督で、2023年に放送された「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」では監督脚本を担当し、その年のドラマアカデミー賞を受賞した。物語の起伏よりも生活の積み重ねを表現した作風は、障がいやシングルマザーといった社会問題を取り込みながらも、自然と自分を重ねて作品の世界に入り込んでしまう。

分かりやすさを手放した先のドラマの姿

ドラマにおけるアートワークの変化や映画的な手法の採用には、評価軸が視聴率一辺倒から変化し、配信ドラマの普及とともにドラマの個性を重要視するという背景がある。そのとき、アーティストや映画監督は最適なパートナーとなる。

「エルピス」(2022)ではアートワークをアーティストの吉田ユニが手がけた。

現在のドラマでは、脚本や演出、アートワークがそれぞれ意味を持ち始めた。オープニングはスキップされる前提ではなく読み解く対象になったように、ドラマは単なる物語ではなく、総合的な表現メディアへと近づいている。

テレビやドラマが経済的な苦境に立たされている中、かつての分かりやすさという鎧を捨て、より軽やかになった作品はきっと再び私たちの心を動かす作品となるだろう。ドラマがアートと手を取り合い新たな価値観を獲得していく姿を楽しみに見守っていきたい。

交錯するアートーミュージックビデオに取り込まれていく現代アーティストたち

楽曲の世界観を視覚的に表現するミュージックビデオ。遡れば1983年、マイケルジャクソンがリリースした「Thriller」のショートフィルムとも言えるミュージックビデオを境に、総合芸術としてのミュージックビデオというジャンルが確立されただろう。(2026年現在で11億回再生を誇る!)

ミュージックビデオは再生数が増え続けることに価値があり、複製を前提としたメディアである。一回性が魅力の「アート」とは真逆の存在であり、現代アーティストたちにとって最高の実験の場となる。ミュージックビデオを手掛けてきた三人の現代アーティストたちを取り上げ、交錯するアートと音楽の世界を考察する。

村上隆:ポップアートの文脈をミュージックビデオに落とし込む

村上隆にとってミュージックビデオは、単なるコラボレーションの場ではなく、自身の美術理論を実装するための拡張空間である。その象徴が、Kanye Westとの協業による「Good Morning」「Stronger」だろう。ここで見受けられるのは、村上自身が提唱する「スーパーフラット」ー日本画に端を発する平面性、キャラクター、カワイイの系譜ーだ。カニエ・ウエストという時代を切り開くカリスマの音楽作品に、マンガやアニメをモチーフとする村上隆の映像を全面的に流し込んだ。

重要なのは、これらのミュージックビデオが「楽曲のための映像」に留まらず、村上隆の作品世界の一部として機能している点である。キャラクターや色彩や構図は、のちの絵画や立体作品とも連続し、ミュージックビデオが一時的なプロモーションではなく、村上隆の美術作品群の一部として組み込まれている。

国民的ユニットとも言えるゆずであっても村上隆の考え方は変わらない。2002年にリリースされた「アゲイン2」という楽曲では、ミュージックビデオの中に村上隆の「お花」が印象的に登場する。その系譜は時代の寵児NewJeansへと続いている。2024年にリリースされた「Right Now」のミュージックビデオでは、パワーパフガールズとともに村上隆の「お花」が登場する。

村上隆はカニエウエストやゆず、NewJeansとのコラボレーションにおいていずれも長い友好関係を築き、完売必至のグッズなど話題には事欠かない。それも村上隆のキャリアにとっても欠かせない存在となっている。ミュージックビデオは従属的なメディアではなく、アートが大衆文化へと増殖するための戦略的装置として扱われているのだ。

蜷川実花:色彩感覚の舞台装置としてのミュージックビデオ

写真家や映画監督として知られる蜷川実花とミュージックビデオの関係性は、村上とは対照的である。蜷川は理論や美術史などを前面に押し出すのではなく感覚的だ。写真家として培った色彩感覚と被写体の扱い方を、そのまま映像空間へと移植する。AKB48「ヘビーローテーション」三代目 J Soul Brothers「花火」など、彼女が制作したMVに共通するのは彼女ならではの色彩、華々しい装飾物、そして被写体を美しく映し出す照明など画面を包み込む装置的な美術である。

蜷川のMVにおいて空間は感情や欲望を視覚化するセノグラフィーとして機能し、静止画として完成された構図を映像的なシークエンスとしてミュージックビデオに体現しているといえる。

ダミアン・ハースト:完全に現代アート化されたミュージックビデオ

最後に紹介するのはダミアン・ハーストだ。彼がミュージックビデオを制作していたことをするものは少ないかもしれない。イギリスを代表する現代作家であるダミアンは、30年以上にわたるキャリアの中で芸術、宗教、科学、そして生や死といったテーマを深く考察してきた。代表作であるサメを巨大な水槽でホルマリン漬けにした作品「生者の心における死の物理的不可能性」や、107点に及ぶ連作「桜」シリーズなど多岐に渡る。その中でダミアンは1995年にメンバーであるアレックスの大学時代の友人として親交のあるBlur「Country House」で監督を務めている。

作品内では彼の美術作品と同様に、生と死、滑稽さと不穏さが同居し楽曲の魅力と相まって何度も鑑賞してしまう味わい深さがある。ダミアン・ハーストはこのミュージックビデオが公開された年のターナー賞を受賞し、その立場を不動のものとした。

Namjooningがもたらすアートトリップの可能性。ポップアイコンBTS・RMとたどる世界のアートスポット

次世代のアートトリップ「Namjooning」

インターネットが飛躍的に進化することによって、全世界の音楽をオンタイムで楽しむことができるようになった。音楽のグローバル化が生み出したスターといえば韓国のBTS(防弾少年団)だろう。新曲がアップロードされれば瞬く間にヒットチャートにランクインし、彼らが着用したアイテムにはプレミアが付き、彼らが訪れた場所にはファンたち(ARMYと呼ばれている)が押し寄せる。

この現象はアート業界にも波及している。BTSのリーダーRMは生粋のアートラヴァーとして知られており、ファンがRMの訪れた美術館やギャラリーに行くことをナムジュニング(RMの本名はキム・ナムジュン)と呼び、2025年12月までにインスタグラム上では「#Namjooning」のハッシュタグとともに約17万件ものコンテンツが投稿されていた。BTSがアートに興味を持つきっかけになるファンも多いようだ。

RMがアート、とりわけ近現代の作品に興味を持ちだしたのには彼らしいきっかけがあった。世界中をライブや撮影で飛び回るBTS。長期の滞在になることもしばしば。ちょっとした空き時間にシカゴ美術館を訪れ、そこでみたスーラやピカソ、モネの作品に強い感銘を受けたのだ。教科書などでも紹介される歴史的なアーティストたちだが、実物を見る機会はなかなかない。本物の持つ圧倒的な筆致と迫力に圧倒されたRMはアートに傾倒し世界中のアートスポットに訪れるまでにいたった。

せっかくなので僕たちも、Namjooningの旅に出かけてみよう。

SKAC(SKWAT KAMEARI ART CENTRE)

本やレコードがずらりと並ぶ店内

日本からはこんなアートスポットをご紹介。「SKAC」は亀有駅から徒歩10分程度のJR常磐線高架下スペースに位置する。建築家の中村圭佑が率いる設計事務所「DAIKEI MILLS」のメンバーを中心として構成されたチーム「SKWAT」による再開発プロジェクトだ。かつては青山エリアに知る人ぞ知るアートスペースとして運営されていたが、2024年にここ亀有に移転。1階にはアートブックを取り扱う「twelvebooks」、ロンドンに続き2店舗目となるレコードショップ「VDS(Vinyl Delivery Service)」、カフェスペース、ギャラリーが併設され、2階には「DAIKEI MILLS」のスタジオが入居している。

twelvebooksでは国内最大級のアートブックの取り揃えで海外から取り寄せたタイトルも多い。倉庫がそのまま店になったような作りとなっており何時間でも滞在してしまう。RMは自身の名前と同じ「R/M」(上田義彦+後藤繁雄(YOSHIHIKO UEDA + SHIGEO GOTO))を抱えた写真を投稿した。

リウム美術館(Leeum Museum of Art)

韓国ではサムスン文化財団が運営するリウム美術館に。ソウルを代表する私設美術館として様々な展示が企画されており、RMも企画展のレセプションにゲストとして登場。リウム美術館は作品もさることながら建築が素晴らしい。3つの棟で構成されそれぞれの建物をマリオ・ボッタ、ジャン・ヌーヴェル、レム・コールハースが設計している。

左から児童教育文化センター、M1、M2。それぞれを地下空間が繋いでいる。

M1を担当したマリオ・ボッタはスイスの建築家で東京のワタリウム美術館の設計も担当している。レンガで仕上げられた外観と、内部の螺旋階段の神々しさに打ちのめされてしまいそう。M2を担当したジャン・ヌーヴェルはフランスの建築家でルーヴル・アブダビや東京の電通本社ビルを設計している。光の魔術師の異名をもち、地下空間にも光が入り込むデザインになっている。最後に児童教育文化センターを担当したレム・コールハースはミラノにあるプラダ財団美術館や福岡のNexus World Housingを手がけているオランダ出身の建築家だ。ガラスとコンクリート、鉄でできた近代的な建築で入れ子状に部屋が構成されている。

チナティ・ファンデーション(Chinati Foundation)

最後に紹介するのは、アメリカ合衆国テキサス州の砂漠地帯マーファに建てられた現代美術館チナティ・ファンデーションだ。現代アーティストであるドナルド・ジャッドが設立したアートスペースで340エーカーにも及ぶ敷地の中にコレクションが収められている。

John Chamberlain Building, 2022. Photo by Alex Marks

限られた数のアーティストによる大型インスタレーション作品の恒久展示を理念としており、韓国人アーティストユン・ヒョングンの平面作品も展示されている。ユン・ヒョングンはRMの個人コレクションの中にも名を連ねる作家で、「Yun」という楽曲を制作するほど思いを寄せている。単色画で著名なユンは日本統制時代の韓国で育ち、朝鮮戦争や独裁政権を経る中で政治的な理由によって4回の投獄を経験した。

21世紀で最も影響力のあるアーティストの1人、BTSのRMは未来のアートに何をもたらすのか。2026年からはサンフランシスコのSFMOMAで自身がキュレーターを務める展示が予定されている。RMが感じた感動を「Namjooning」によって追体験する楽しみはファンにとってもアートラヴァーにとっても希望の一手になるかもしれない。

【インタビュー】原田ちあきが語るイラストと日常ー自分っぽさと健やかさと。 – 後編

前編に続いてイラストレーター・アーティストとして独特の色彩とキャラクター、ポエティックなセリフで大活躍する原田ちあきのインタビューをお届けする。

ペンが動かなくなったスランプを「ホラー」が救ってくれた

もし答えづらかったらスルーしていただいて大丈夫なのですが、「この人はちょっとライバルだな」と感じる方はいますか?

原田ちあき – 昔はいっぱいライバル視していた人がいました(笑)。ただそれぞれがそれぞれの好きなことをしていればいいんじゃないか、と思い始めてから他人のことはあまり気にならなくなりました。永遠のライバル、というか憧れでいうと楳図かずお先生です。最終的には楳図さんみたいな元気なおばあちゃん…になりたいです

過去のインタビューで、「ホラーを書きたい」とおっしゃっていたのを拝見しました。楳図かずおさん(関連記事:楳図かずお、恐怖から大美術へ。)など、影響を受けた作家さんもホラー作品を作っています。原田ちあき版ホラー作品の進捗はいかがですか?

原田ちあき – 実は書籍で出したい!という企画が数年前から持ち上がっているんです。ただちょっと頓挫している状態で。出したい気持ちはすごくあるので、続きをちゃんと書かなければならないと思っています。出版社の皆さまにも本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです…(苦笑)。

それは楽しみです!ホラーをやりたいと思ったきっかけはあるんですか?

原田ちあき – もともと、私のイラストって悪口みたいな言葉を使うことも多かったんです。みんなが心の中で思ってるけど口には出さないようなことを描きたくて。でも、あるタイミングから、特にTwitterでは“レスバトル”する人が増えたり、思ったことを簡単につぶやくようになってきた気がして。そんなタイムラインの中に私のイラストだけがポンと現れたら、逆にものすごく嫌な気持ちになっちゃう人もいるかもしれないな、と感じたんです。

2013年に公開された「あの娘への最後のお願い」

その頃ちょうど私生活もいろいろとぐちゃぐちゃになってしまっていて、体調を崩したり、引っ越しを余儀なくされたり、いろんなことが重なってしまって。コロナの時期も相まってしばらく元気が出ない時期が続き、イラストやエッセイが描けなくなってしまったんです。でも何かを描きたいし、生活も支えなきゃいけない。見てくれている人たちにも絵を届け続けたい。その中で悪口だけじゃダメだな、自分の好きなものをもう一度よく考えてみようと思ったときに、ふとホラーが思いついたんです。

ホームページにこっそり「ホラーっぽいテイストのイラストが描けます」と書いてみたら怪談系YouTuberさんや都市伝説・事件系のYouTuberさんから依頼をいただけるようになって。ホラー作品をつくり出してから、自分にもまだ表現できるものがあるんだと思えてすごく嬉しかったです。

SNSと社会と。みんなが自分だけの仕事をすればいい。

今は誰でも自由に発信できる一方で見られる側になるリスクも大きいと思います。SNSを駆使してきた作家として意識していることはありますか?

原田ちあき – あまりお会いする機会がないのですが、見てくださっている方のことが本当に好きなんです。私のグッズを持ってくれたり、「好き」と言うのってもしかしたらちょっと勇気がいることかもしれない。だからこそ、その人たちが恥ずかしい思いをしないようにしたいんです。
自分が過激なことをツイートして炎上したりしたら、見てくれている人が嫌な気持ちになったり、恥ずかしくなったりするかもしれない。それだけは絶対に嫌で。みんなには凪のような人生、ハッピーな人生を送ってほしいという気持ちでいてもらえるように常に意識しています。

アーティストの中には、SNSで社会的・政治的な発言を積極的にされる方もいらっしゃると思います。原田さんはどのような距離で社会と付き合っていますか?

原田ちあき – 私の場合は遠くからじっと見ている、というのが近いかもしれません。先日も、友達のミュージシャンが政治的なツイートをして大炎上してしまったことがあったんですけど、だからといって「友達をやめよう」とはまったく思わなくて。ミュージシャンだから、イラストレーターだから、とカテゴライズされがちですけど、最近思うのはみんな“自分だけの仕事”をしているということなんですよね。

同じような絵を描いていても、私の仕事は私のもので、その人の仕事はその人のもの。政治的なコメントをすることも含めて、その人のスタイルであり仕事なんだと思っています。

原田ちあきの日常。子育てによって少しずつ成仏していく親への反発

ファッションや見た目にこだわりはありますか?

原田ちあき – 実は、ファッションにはあまり興味がなくて…。服も、髪も、ネイルも、そんなにこだわっていないんです。昔は自分なりにすごく考えていたと思うんですが、実は母が過干渉なタイプで、着るもの全てが決められていて、20代前半くらいで初めて自分で選んだ服を着たときも、「それ似合ってない」「変だね」と言われ続けていて。その反動もあって、反骨精神で派手な色の服を着ていた時期があったんだと思います。

お休みの日には、お子さんと一緒に出かけたりもしますか?

原田ちあき – 最近は増えてきましたね。自分が子どもの頃、親に遊びに連れて行ってもらった記憶があまりなかったので、小さい頃の自分がしてほしかったことを子どもにしてあげたいと思っていて。特別な場所じゃなくてもいいから、1日1回は散歩に行くとか、家の中でも一緒に家事をしたり、遊んだりしています。

それが結果的に、自分の心の健康にもすごく良くて。私のほうが遊んでもらっているような感覚もありますね。

パパの骨を獅子舞に食べさせる

ご両親とのお話をもう少し聞かせてください。

原田ちあき – 昔は本当に仲が悪くて、小学校5年生くらいの時に父がふわっといなくなってしまったんです。そのころの家は空気も悪くて、お父さんと一緒にいるなんて嫌だ!と思っていて。その結果父とは別居することになりました。そこから、母の干渉の対象が私だけになってしまって、ずっとぶつかり合っていました。

最近も喧嘩ばかりで本当に仲が悪かったんですが、孫が生まれてから、母や、父と父のパートナーも遊びに来てくれたりして。ちょっとずつですが仲良くなってきました。

私自身もなんでこんなに親が許せないんだろうという気持ちが、子育てによって少しずつ成仏していくような感覚があります。お互いに距離ができたことで、生きやすさにつながってきました。

最近手がけていることや、これからやってみたいことについてお伺いできればと思います。

原田ちあき – やりたいことは本当にたくさんあります。またエッセイも書きたいですし、ホラーもやりたいです。それから、コロナ以降のスランプの影響もあって、元々の悪口のイラストに完全には戻れていない感覚があるんですが、子どもが幼稚園に行くようになって自分の時間がもう少し取れるようになったら、女の子をもっと細かく描いていきたいなと思っています。
あと、ずっと興味があるのが、自分のイラストと言葉を翻訳して、海外に向けて発信してみることです。以前、台湾や中華圏で翻訳版の本を出していただいたことがあったのですが、今度は英語圏にも出してみたい、いろんな国の人に見てもらいたい、という気持ちがあります。

中国語版作品の数々

現在は、子育てエッセイ漫画の出版のお話をいただいていて、それを無事に出したいなと思っています。そこまではなんとか、寿命が尽きることなく頑張りたいですね(笑)。

原田ちあきは、仕事場からの1時間のインタビューでは収まりきらないほどの夢を語ってくれた。SNS、イラスト、アート、そして子育て。様々なフィールドを耕し続ける原田ちあきの勇姿を、時に笑い、時に涙しながら見守っていきたい。

【インタビュー】原田ちあきが語るイラストと日常ー自分っぽさと健やかさと。- 前編

原田ちあきはイラストレーターであり、クリエイターであり、母である。全盛期のTwitterで、鮮やかな色彩の中で独特のキャラクターが悪口を放つという世界観は絶大な支持を集めた。原田は、自身を取りまく環境や感情に合わせて、さまざまな表現に挑戦してきたアーティストだ。そんな原田ちあきを解明するインタビューを前後編に渡ってお届けする。

自分っぽいことをしたいー枠にとらわれない原田ちあきの挑戦のはじまり

今日はよろしくお願いします!まずはこれまでの歩みについて、少しお伺いできればと思います。いつ頃から今のようなスタイルで絵を描き始められたのか、簡単に教えていただいてもよろしいですか?

原田ちあき – イラストを描き始めたのは二十歳を少し過ぎた頃で、少し遅めのスタートでした。その頃はTwitter全盛期で。Webマンガやエッセイなどのお仕事をTwitter経由でいただくことがすごく増えました。

なので、私は「Twitter発の作家」の一人だと思います。Twitterにすごく育ててもらったし、助けられてきた人生だなと感じています。

特別醜いのは私だけじゃないって安心したい

さて、ここからは原田さんご自身の人柄や普段の暮らしの部分に少しフォーカスしてお伺いできればと思っています。最初にTwitterで画像をアップしようと思ったきっかけはありますか?

原田ちあき – きっかけ…わりと小さい頃からパソコンを買い与えられていました。当時としては少し早いほうだったと思います。インターネットも早めに引いてもらっていて、当時はBBSやお絵描き掲示板、ブログにmixiとさまざまな交流サイトが流行していました。それらを渡り歩きながら、インターネットの中で絵を描いて遊んでいた延長線上に、Twitterがありました。

当時はネタツイートがバズったりして、フォロワーが増えていくのがものすごく楽しかったんです。どうやったらもっとフォロワーが増えるんだろう?って考えながら、イラストをアップしていきました。 色をつけてみたらどうかな?…セリフをつけてマンガにしてみたら?…というように、フォロワーを増やすための実験場としてTwitterを使っていました。

ネタツイートやいろんな投稿の延長線上に、今のスタイルやマンガ、イラストがある、という感覚なんですね。

原田ちあき – あと、漠然と「何者か」になりたかったのかもしれないです(笑)。

さまざまなフィールドで活躍されていますが、イラストレーター、デザイナー、大学講師など、それぞれの仕事をする中で自分らしさとして大事にしているポイントはありますか?

原田ちあき – 常に“自分っぽいこと”をしていたい、という意識が強いかもしれません。特に講師の仕事をする上で「原田ちあきってなんとなくふわっと作家になった人」というふうに見えているかもしれない。でも実際には、作家としてどうやって仕事を取れるようになったかという自分なりの経緯があって。それを講師として伝えられたらいいなと思っています。ただ「みんなもこれを真似しろ」ということではなくて、私はこうやってやってきたよ、こういう横道の逸れ方もあるよ、というのをひとつの例として見てもらえたらいいなと。

どんな仕事にしても、“自分らしいもの”作りたい、という感覚で続けています。

いつか絶対に「あの時アイツを選んでおけばよかった」って後悔させてやるんだ

絵のモチーフについても原田さんらしさが表れていますよね!

原田ちあき – そうですね、とくに女の子を描くのはすごく好きです。逆に男の人を描こうと思ったことはあまりなくて。

確かに、ご家族の絵は拝見しますが、男性キャラクターは少ない印象です。

原田ちあき – そうですね。お仕事で男性を描かせていただくことはありますが、基本的には女の子や、泣いている子を描くのがすごく好きです。そういうモチーフを見ると、「あ、私っぽいな」と思ってくれる方が多いみたいで。

逆に、男の人や、笑っている女の子などは描きづらかったりしますか?

原田ちあき – まったく描けないわけではないんですけど、自分が描きたい“感じ”とは少し違う気がします。モチーフの捉え方というか…自分の中でしっくり来るのは、やっぱり泣いている女の子なんですよね。

「子どもができたから変わったよね」とだけは言われたくない

以前の作品では、強い言葉やピリッと辛口のフレーズも多かった印象がありますが、最近の作品はより自己啓発的で、多くの人が“うんうん”と頷けるような言葉が増えているように感じます。イラストに関しても、セリフと少し距離を置かれたような印象もあって。

原田ちあき – もし変化があるとすれば一番大きいのは子どもを自宅で保育していることですね。子どもが朝5時に起きて、夜7時くらいに寝るまで、ずっと一緒にいます。そこから少し家事をして、夜中の1時ぐらいまで絵を描いたり、メールチェックをしたりという生活なんですけど、以前に比べると、絵に費やせる時間が圧倒的に減ったんです。なので今は時間を節約するという感覚もありつつ、“今できることをやる”というのを、この3〜4年ずっと続けている感じです。劇的に自分が変わったというよりは、限られた時間でできることを必死でやっているという感覚に近いですね。

制作のプロセス自体が整理されてきたのかもしれないですね。セリフ付きの作品はどんな流れで制作されるんですか?

原田ちあき – 常にiPhoneのメモに思ったことをひたすら書き溜めていて…!時間があるときにそのメモを見返して、「これなら今描けそうだな」と思うものから描いていきます。子育てをする以前はとにかくずっと描いていたんですけど、最近はとにかく時間をうまく使うことを一番に考えています。

あと自分のテンションを読めるようになってきて(笑)。今は何を書きたいのか・書けそうなのかという素直な気持ちで描くものを使い分けています。

お子さんが生まれて、仕事への向き合い方や考え方は変わりましたか?

原田ちあき – うーん…なんというか、「結局、続けちゃうもんね〜」という感覚が強いです(笑)。大変なことは増えたけれど、やっぱり描いちゃうし、やめられないという気持ちがあります。

よく「子どもができたら丸くなりそう」とか「作風変わりそう」と言われがちですけど、子どもがいても、結婚していても、嫌なことは起こるじゃないですか。それはたぶん誰しもそうで、すごい美女でも、お金持ちでも、タワマンに住んでいる人にだって嫌なことはある。だから、家族がいるから、幸せそうに見えるから、こういうテイストのものを書いちゃいけない、みたいにはあまり思いたくなくて。「子どもができたから変わったよね」とだけは言われたくないんです。 そこにはちょっとしたプライドがありますね。

私は「案外普通」。

インタビュー序盤に自分は案外“普通”なんじゃないかと思う瞬間があるとおっしゃっていたのが印象的でした。美大や専門学校などでは、いかに個性を出すか、自分の色を出すか、ということをすごく考えると思うのですが、 逆に「自分は普通かもしれない」と感じたタイミングって、どんな時だったのでしょうか?

原田ちあき – 結構若い時から思っていたように思います。過去を振り返って見ても「私だけが経験していること」は少ないと思っていて。若い頃には「これは大事件だ」と思っていた出来事も、今振り返ると失恋した時のほうがよっぽどしんどかったな、と思うことも多くて(笑)。

「コンテンツとして見たときに、特別ドラマティックではない人生」だけど、その中でどうやって作品にしていくか、という感じで捉えているところがあります。あと、よく病んでる人だって誤解されてしまうんですけど、私の作品って元気じゃないと描けないんです(笑)。

和気あいあいと進んだインタビュー。自身を俯瞰できる客観性と、柔らかな口ぶりが特徴的だった原田ちあきの最大のスランプや家族との関係など、さらにパーソナルな部分まで後編では掘り下げていく。

alter.2025, Tokyo  イベントレポートーデザインとアートのはざまで

芸術の秋。全国で様々なアートフェアやイベントが目白押しの中、今回が初の開催となる「alter.2025, Tokyo」(以下alter.)。プロダクトデザインという切り口から、様々な領域で活躍するクリエーターを迎え、次世代のデザインのあり方を思索する実験的なデザインイベントだ。alter.(アルター)という名前の通り、現在の成熟し飽和しきった現在のポスト“デザイン”時代のオルタナティブを提案する。

既存のデザインイベントを覆す

Exhibitionエリアの会場風景

デザインされたプロダクトをカッコいい会場に展示する。それだけではきっと既存のイベントやアートフェアと変わらないように見えるかもしれない。alter.では出展者をコミッティメンバーが選出し、彼らのプロジェクトに対して最大300万円の助成を行う。

メガギャラリーや後ろ盾となる企業を持つギャラリー、若手でもグループ単位でイベントに参加する場合も多く、作品の見せ方一つとっても資金力が大きなウェイトを占めてしまったり、高額な参加費がかかってしまったりする。一方alter.では、アイデアベースの実験的なプロジェクトや普段の領域とは異なる分野でのプロジェクトなどを発表することができる。

コミッティメンバーには、世界の現代アートの最高権威でもあるニューヨーク近代美術館(MoMA) キュレーターの Tanja Hwangやパリのポンピドゥセンターのキュレーター Olivier Zeitoun、グローバルなデザインシーンを牽引するデザインスタジオFormafantasma、世界の都市文化を舞台に活動する設計者/「SKWAT」から代表の中村圭佑、国際的なデザインメディア/プラットフォームである「say hi to_ 」主宰のKristen de La Vallièreの5組で構成された。コンセプチュアルなアプローチをどう構成するか、というキュレーション的な視点を持つTanjaとOlivier、実際のもの作りや環境的な視点を持つFormafantasmaの2人と中村、そしてそれらを編集しテキスト的な視点で魅力を考察するKristenという非常にバランスの取れたチームであることが伺える。

会場で行われたコミッティメンバーたちとのトークセッション

35歳以下のメンバーを中心とした11組・計56名が参加し、2025年11月7日(金)~9日(日)の3日間の会期で開催された。

アイデアから作品化までのプロセスが一直線化された新作が並ぶ

夜の日本橋の賑わいを抜けて、COREDO室町の中にある日本橋三井ホールへ。日本の金融の中心街である日本橋、多くのビジネスパーソンを横目に会場へと辿り着くとライトに照らされた“alter.”の文字。その奥に回り続ける透明なレコードのキャプションには、alter.を構成する4つの指針が記されていた。alter.は変えるという意味を持ち、全てを入れ替えるのではなく一部を作り替えて全体をよくすることだと書いてある。そう言われてみると、ホール自体の硬派で落ち着いたイメージを残しながら会場が構成されており、ここにも“alter.”の概念が表出しているようだ。会場のディレクションを行うのは、美術展やブックディレクションなど多角的な表現活動を行うRondadeだ。ライトのサインに沿って歩いて行くと、Kristen de La Vallièreの作品、そして展示作品数が最多のExhibitionエリアへと到着する。

packing list / MULTISTANDARD 玉山拓郎×河野未彩 Voidbark

packing list ; MULTISTANDARD

鮮やかなブルーのパンチカーペットの床の上に、参加者によって制作されたプロダクトの数々が美しく整理された工場のように展示されている。先ず目に入ったのは、様々な形のオブジェを縄で縛り上げた MULTISTANDARDによる「packing list」だ。ものを輸送する際に行われる梱包作業を着想に、こと日本において国際的なアートマーケットの未発達、アーティストのドメスティック化、そして立地的なハンディキャップなどを問い直す作品だ。作品を輸送するためだけに使われる梱包のブラックボックス化を逆手にとり、梱包するという行為自体が作品となる。また、この縄の形状は石工職人たち独自の輸送システムがモチーフで、最後の結び目を結び終えた瞬間に、作品制作と梱包作業が同時に完了するようになる。

Product and Space ; 玉山拓郎 / 河野未彩

家具や空間そのものをモチーフに制作をするアーティスト玉山拓郎は視覚ディレクター/グラフィックアーティストとして活動する河野未彩との共同制作によって巨大なライト作品「Product and Space」を制作した。

オープニングレセプションで行われたアオイヤマダのパフォーマンス

オープニングレセプションでは、アオイヤマダがこの作品をきっかけにパフォーマンスを行った。パイプの柔軟な形状に合わせて自由に配置されたディスク型のライトは、単なる照明器具を超えて、空間の形や私たちの新体制をより強く感じることができるプロダクトだ。個人的にはこのライトの下をくぐったり、腰掛けたりしてみたい(笑)。

Voidbarkー一番手前側が「真樺のスツール」

デザイナー、製材業、写真家、家具職人の4人で構成されたVoidbarkは、木材の樹皮に着目した。建築家具材の中で、年間50トン以上の樹皮は廃棄されるか樹皮の形状をとどめずに消費されている。樹皮は見た目の面白さだけでなく、分厚く強度も内包している。「真樺のスツール」は、特徴的な表皮のパターンとシンプルな構造が唯一無二の仕上がりとなっている。

近年、ものづくりの世界で耳にする、「テクノロジー」と「クラフトマンシップ」。どちらも大切にすべき概念ではあるが、“またか…”と心の中で唱えてしまう感も否めない。alter.で展示された作品は、あえてプロダクトデザインと区切ることで使用用途を定義している。そして身近にある疑問や課題をコンセプトとして思索することにより、小さな改変にとどまっていることが魅力のように感じた。大掛かりなテクノロジーや大義なクラフトマンシップではないリアルなものづくりを、このストレンジなデザインイベントで感じることができた。

和菓子の中にみる感性と色彩の宇宙

今世の中でちょっとだけブームになっているお菓子がある。それは和菓子だ。和菓子と聞くと古くから日本に伝わる伝統を受け継ぐといったクラシカルな印象を持つかもしれない。古くから練り切りや飴細工など、造形的な指向のある和菓子。食べられてしまうという一瞬の儚さを切り取った和菓子に、世界中の人々が共鳴している。

そんな和菓子に新たな風を吹き込んだニューエイジたちや、伝統を守りながら新たに芸術的な和菓子のあり方に挑戦する老舗、和菓子を切り口に作品を制作するアーティストまで、和菓子とアートの最前線を特集してみよう。

和菓子発祥の島から発信する新たなかたち

現在でも食べられている和菓子の発祥は、江戸時代から外国との交流が盛んだった長崎県にあるとも言われている。砂糖の入手が比較的容易だったことを受けて多くの和菓子がこの地で制作されていた。

長崎県平戸にて開催された“Sweet Hirado”は、定期的に茶会というイベントを介して新たな和菓子のかたちを提案している。

2016年からスタートしたこのプロジェクトではオランダ人アーティストのINA-MATTとRoosmarijn Pallandt を招き、平戸にある老舗の菓子屋とコラボレートした和菓子を発表した。

開催された「sweet hirado」の様子

茶会で使われる茶器や器は特別にデザインされた地元・長崎県の三川内焼やオランダのガラス器、シルバー器などを使用しており、目でも楽しむことができるようになっている。

アーティストたちは、約200年前に平戸藩主松浦凞公が町民の為に作ったお菓子図鑑“百菓之図”からインスピレーションを受け、新たな伝統と革新のお菓子の“平戸菓子”を製作し世界へと発信している。

制作された24種類の和菓子は、それぞれが独自のストーリーを添えてWebにて公開されている。画面を見ているだけでもうっとりしてくる和菓子たち。イベント以外では、Webからのオーダーを受け付けているそうだ。

和菓子を“うつわ”から考える

2025年で10回目を迎えた「うつわと和菓子」展。武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科陶磁専攻の学生23名が、老舗和菓子屋「とらや」の菓子を題材に制作した器の企画展示だ。

和菓子を楽しむ行為を、味や見た目だけでなく空間的な広がりの中で考え、和菓子を盛る“うつわ”をテーマに作品制作に取り組んだ展示だ。学生たちは、普段とらやで研鑚を積んでいる和菓子職人たちによる和菓子作りのワークショップを体験し、和菓子の意匠にこめられた日本の多彩な季節感や心情を学び、「和菓子」と「うつわ」の関係性を再構成する。

また、この展示でコラボレートした「とらや」は日本を代表する和菓子屋でありながら、主要店舗にてギャラリーを併設しており、2024年の1月から東京ミッドタウン店にて「和菓子とマンガ」が開催された。

8作品全10冊のマンガを紹介しながら、和菓子が登場するシーンを抜粋。和菓子屋が舞台といった作品や和菓子が主題の作品だけでなく、読んでいくうちに思わず和菓子に興味を惹かれるものや、「このお菓子を食べてみたい!」と感じられる作品をセレクトし、アートの視点から「和菓子」のイメージを変化させるような展示を開催している。

独自の感性で和菓子をアップデートする新参者

菓子屋ここのつ

菓子屋ここのつは、日本に古くから伝わる伝統的な和菓子と製法を踏襲しながら独自の美意識の中でアップデートし、変えなくていい事と変えていくべき事を和菓子を通して伝えていく。

ここのつのインスタグラムの中に閉じ込められた菓子たちは、素朴ながらも息を呑むほどの美しさで人々の心をつかんでいった。現在は浅草の鳥越にて「菓子屋ここのつ茶寮」を営業しており完全予約制・写真撮影禁止という徹底された環境の中で全身でここのつの菓子を楽しむコースを楽しむことができる。

公式ウェブサイト「妄想写真家」より

主宰の溝口実穂さんは食物栄養科の短期大学を卒業後、京都と東京の和菓子店で修業を積み、23歳という若さで「菓子屋ここのつ」を立ち上げた。和菓子をとりまくルールや概念にとらわれず、日本の食材や季節、色彩を活かした新しい菓子を提案している。古くから和菓子作りに使われる素材を用いながら洋の技法を取り入れたり、旬の果物や食材を和菓子的な視点で再構築している。

食べられる彫刻としての和菓子

坂本志穂は、現代的な感性で和菓子をデザイン・再構築するフードアーティストだ。自身のブランド “紫をん”を主宰し、伝統的な和菓子の技法をベースに、見たことがないような和菓子の作品を国内外で発表している。

「sprout / 萌芽」公式Webサイトより

彼女は和菓子を食べられる彫刻と形容する。自然の中にある花の色や草木の匂い、季節の喜びといった日本に古くから存在している感性と、和菓子の持つ光や温度、湿度、時間といった目に見えない要素を結びつけた和菓子を制作している。徹底されたビジュアルや表現は、インスタグラムなどのSNSでも人気のコンテンツで、日本だけでなく海外からのファンも多い。

日本ならではの伝統と製法を生かした和菓子。見た目の美しさだけでなく、ほどよい甘さと季節感を味わえることも魅力の一つとなっているが、作家たちに共通しているのは、和菓子の持つ儚さだ。食べるのも惜しいような“アート”な和菓子を食卓に一品追加して、新しい感性を磨くきっかけにしてみたい。

【インタビュー】変換されていく景色ーYosca Maedaがピクセルアートで描く永遠と対話の世界-後編

行ったことがないはずの景色でも、どこか懐かしいと感じる。そんなピクセルアートを手がけるYosca Maeda。前編では制作のこと、名前に込められた思いなどを伺った。

デジタル画面で、いつでもどこからでもアクセスすることのできる作品から始まったYoscaMaedaの作品だが、2022年より毎年行っている個展では、よりインタラクティブなコミュニケーションを促す作品も制作しているという。

様々な表現にチャレンジすることで広がる可能性

個展では見せ方を工夫した作品も多く制作されていますよね。

Yosca Maeda:はい。今までに3回個展をさせていただいたのですが、毎回異なった表現にチャレンジしています。ピクセルアートというデジタルの作品を、リアルな空間で味わう時に何ができるんだろう?という問いを毎回考えるようにしていて。楽しみ方にはどんなバリエーションがあるかを探っています。デジタル作品の展示方法には、ある意味正解がないと思います。デジタル作品って、そこに存在して目で見ることはできるけれど決して触れることはできない。なので個展では作品により能動的に関わってもらえるようなシステムを試したいと思っています。

インタラクティブ性のある作品を展開した2024年の個展の様子。馬喰町NEORT++にて

例えば2024年の個展では、作品のモニターをカスタムしてダイアルをつけました。鑑賞者がそのダイアルを回すと、画面のピクセルが少しずつ変化していきます。最初は抽象的な形だったものが、次第に何かの景色に見えてくる。解像度の変化を通して、記憶が少しずつ輪郭を持ったり、また曖昧に戻っていったりする内的な感覚を表現しました。また、詩の断片の展示などもあわせておこないました。絵を描いてる時には気づかないけれど、後から見た時に音楽活動をしていた時に歌っていた言葉と重なる部分があったりするんです。時間によって文字が切り替わるようになっていて、この言葉とこの絵って実はつながっているな、という気づきもありました。

インタビューを通してYosca Maedaさんの言葉の選び方にとても魅力を感じていました。今までに影響を受けたものはありますか?

Yosca Maeda:生き方という点において岡本太郎さんは昔から好きなアーティストです。実家が岡本太郎美術館の近くにあったので、今でも年間パスポートを毎年買っていて、定期的に足を運びます。音楽だけの表現にこだわらず、ピクセルアートのキャリアをはじめることができたのも、様々なことにアグレッシブに挑戦し続ける岡本太郎さんの影響かもしれません。

未来のデジタルアートとは?

さまざまな表現者にとってAIやデジタル技術の進歩が大きな影響を与えています。そのような技術とどう向き合っていますか?

Yosca Maeda:デジタル技術と共にある表現者として、さまざまな新しい技術に対して興味はあります。ただ作品を制作している中で特に大切にしているのは過程です。AIによる生成は短時間で完成するという強みがある反面、作られる動機や過程が乏しい印象があります。過程にこそアーティストや作品が存在する理由があると思います。どんなに技術が発達しても、なぜその作品を作ったか、どれだけ時間をかけて向き合ってきたか、といった要素が味わいを生み、人と人が対話するために作品は存在しているはずです。

きっとこれから、デジタルのクオリティはもっと上がっていくと思うし、色々なことが更に便利になっていくでしょう。それでも作品の中にそれぞれの成長や結果、ストーリーを宿して欲しいなと思っています。

Light in Passing

Yosca Maedaさんは未来のデジタルアートをどのように考えますか?

Yosca Maeda:混沌とした世界になるんですかね。今でもすでに問題にはなっていますが、これは人が作った、これはAIが作った、などもその一つですよね。さらに色々なものが現れるとある地点で「では結局、本当にいいものってなんだろう?」と思う気がするんです。大量生産の一方で手づくりのものに魅力を感じる人がいるように、やっぱりそこに人がいて、どういう思いでどう作ったのか、作られたものは何であるか、みたいなコミュニケーションが大事なんじゃないかと思うんですよ。作り手と受け手が人である限り、その流れが崩れることはないと思うので。自分がやりたいことをもっと深く突き詰めていく、そんないい時代になる気もしています。

教員時代のご縁で、小学生向けのワークショップをしたことがあります。子どもたちには取り組みやすいサイズのキャンバスを使ってピクセルアートのアニメーションを作ってもらったのですが、その姿を見て、自分で作ることをとにかく楽しむ!みたいにシンプルに夢中になる感情も大事にしたいと思いました。

ーーー進む技術に対して目先の結果には惑わされたくない、と語っていたのが印象的だったYosca Maeda。しなやかさと力強さのある眼差しで見つめる、これからの未来を楽しみながら歩んでいきたい。

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