交錯するアートーミュージックビデオに取り込まれていく現代アーティストたち

楽曲の世界観を視覚的に表現するミュージックビデオ。遡れば1983年、マイケルジャクソンがリリースした「Thriller」のショートフィルムとも言えるミュージックビデオを境に、総合芸術としてのミュージックビデオというジャンルが確立されただろう。(2026年現在で11億回再生を誇る!)

ミュージックビデオは再生数が増え続けることに価値があり、複製を前提としたメディアである。一回性が魅力の「アート」とは真逆の存在であり、現代アーティストたちにとって最高の実験の場となる。ミュージックビデオを手掛けてきた三人の現代アーティストたちを取り上げ、交錯するアートと音楽の世界を考察する。

村上隆:ポップアートの文脈をミュージックビデオに落とし込む

村上隆にとってミュージックビデオは、単なるコラボレーションの場ではなく、自身の美術理論を実装するための拡張空間である。その象徴が、Kanye Westとの協業による「Good Morning」「Stronger」だろう。ここで見受けられるのは、村上自身が提唱する「スーパーフラット」ー日本画に端を発する平面性、キャラクター、カワイイの系譜ーだ。カニエ・ウエストという時代を切り開くカリスマの音楽作品に、マンガやアニメをモチーフとする村上隆の映像を全面的に流し込んだ。

重要なのは、これらのミュージックビデオが「楽曲のための映像」に留まらず、村上隆の作品世界の一部として機能している点である。キャラクターや色彩や構図は、のちの絵画や立体作品とも連続し、ミュージックビデオが一時的なプロモーションではなく、村上隆の美術作品群の一部として組み込まれている。

国民的ユニットとも言えるゆずであっても村上隆の考え方は変わらない。2002年にリリースされた「アゲイン2」という楽曲では、ミュージックビデオの中に村上隆の「お花」が印象的に登場する。その系譜は時代の寵児NewJeansへと続いている。2024年にリリースされた「Right Now」のミュージックビデオでは、パワーパフガールズとともに村上隆の「お花」が登場する。

村上隆はカニエウエストやゆず、NewJeansとのコラボレーションにおいていずれも長い友好関係を築き、完売必至のグッズなど話題には事欠かない。それも村上隆のキャリアにとっても欠かせない存在となっている。ミュージックビデオは従属的なメディアではなく、アートが大衆文化へと増殖するための戦略的装置として扱われているのだ。

蜷川実花:色彩感覚の舞台装置としてのミュージックビデオ

写真家や映画監督として知られる蜷川実花とミュージックビデオの関係性は、村上とは対照的である。蜷川は理論や美術史などを前面に押し出すのではなく感覚的だ。写真家として培った色彩感覚と被写体の扱い方を、そのまま映像空間へと移植する。AKB48「ヘビーローテーション」三代目 J Soul Brothers「花火」など、彼女が制作したMVに共通するのは彼女ならではの色彩、華々しい装飾物、そして被写体を美しく映し出す照明など画面を包み込む装置的な美術である。

蜷川のMVにおいて空間は感情や欲望を視覚化するセノグラフィーとして機能し、静止画として完成された構図を映像的なシークエンスとしてミュージックビデオに体現しているといえる。

ダミアン・ハースト:完全に現代アート化されたミュージックビデオ

最後に紹介するのはダミアン・ハーストだ。彼がミュージックビデオを制作していたことをするものは少ないかもしれない。イギリスを代表する現代作家であるダミアンは、30年以上にわたるキャリアの中で芸術、宗教、科学、そして生や死といったテーマを深く考察してきた。代表作であるサメを巨大な水槽でホルマリン漬けにした作品「生者の心における死の物理的不可能性」や、107点に及ぶ連作「桜」シリーズなど多岐に渡る。その中でダミアンは1995年にメンバーであるアレックスの大学時代の友人として親交のあるBlur「Country House」で監督を務めている。

作品内では彼の美術作品と同様に、生と死、滑稽さと不穏さが同居し楽曲の魅力と相まって何度も鑑賞してしまう味わい深さがある。ダミアン・ハーストはこのミュージックビデオが公開された年のターナー賞を受賞し、その立場を不動のものとした。

EDIT: Ryo Hamada

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