“読む文化”の変化。マンガ雑誌が教えてくれること

「MANGA」。日本発祥のコミック・アートでありながら、世界的にそのままの語で通用するほどに広く普及するサブ(もはやサブでもない)カルチャー。子どもたちが夢中になり、大人も熱狂し、いまや多くのメディアでの展開を経て、日本における一大ビジネスでもある存在だ。あなたの時代の漫画体験はどうだっただろう? 兄弟から貸してもらったり、本屋さんで立ち読みをしたり、友達と学校で回し読みをしたり、病院の待ち時間の楽しみだったり……。ときに付録を集め、読者アンケートに応募する。今なら、「話読み」をしたり、SNSに感想を投稿したりといった具合だろうか。各世代それぞれの素晴らしい作品と、漫画文化が存在し、それはこの日本における数少ない国民の“共通言語”のひとつでもあり「昨日のあの話読んだ?」と語り合える素晴らしき文化だ。そんな漫画文化を「漫画雑誌」をヒントに駆け足ながらご紹介。

意外に長い漫画の歴史。

そもそもの漫画のルーツといわれているのは平安時代に遡る。巻物に擬人化した動物たちの愉快な姿を描いた『鳥獣人物戯画(鳥獣戯画)』に由来するとされる。18世紀初頭には、江戸の町民文化と結びつき、葛飾北斎による『北斎漫画』などの戯画本や、浮世絵の一分野としての戯画・風刺画が数多く生み出されることとなる。独特にデフォルメした絵柄がその出発点である。

『北斎漫画』 Wikimedia commonsより引用(Public domain)

そんな可愛らしいタッチの絵は江戸時代の子どもにも人気で、子ども向けの絵本が発売される。大河ドラマ『べらぼう』にも描かれたような出版文化の隆盛もそれを後押しした。『源平盛衰記』や『桃太郎宝蔵入』といった赤色(正確には丹色)の表紙をしたこれらは、「赤本」と呼ばれ、明治、大正、第二次大戦を挟んで戦後へと「赤本」文化が形をかえながら引き継がれていくのだ。

「子どもの読み物」の逆襲

新聞や雑誌の中で連載される形で『正チャンの冒険』や『のらくろ』といった名作も生まれた戦前の漫画界。第二次世界大戦中は物資や情報統制が起こり、漫画文化には一時的な衰退が起こる。それを打ち破ったのが手塚治虫だ。子ども向けで内容も低俗とみなされた「赤本」の世界で革命を起こした。1947年に発表した『新宝島』がロングセラーとなり、『ロスト・ワールド』、『メトロポリス』といった名作を次々に発表(藤子不二雄Aによる自伝的名作『まんが道』にもその際の感動が記されているのは有名な話)。50年代には貸本(レンタル)用に作られた漫画、いわゆる「貸本漫画」が広く流通する。『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげるや『カムイ伝』で知られる白土三平といったスターたちもここから誕生する。

日本が高度経済成長期を迎える50代後半から60年代。仕事で追われる人々の生活サイクルが月単位から週単位へと変化していくように、雑誌の世界も月刊から週刊へと変化。その流れをキャッチして少年漫画誌に取り入れたのが、1959年に登場する『少年マガジン』(講談社)、『少年サンデー』(小学館)だ。子ども向け路線を明確に打ち、手塚治虫、赤塚不二夫、藤子不二雄、石ノ森章太郎ら通称『トキワ荘』組の有名漫画家たちを組んだ『少年サンデー』。対してちばてつや、さいとう・たかを、水木しげる、楳図かずお、ジョージ秋山、永井豪、松本零士ら独自の異才たちが活躍し、劇画・スポ根路線を開拓していくこととなる。週刊『少女フレンド』、週刊『マーガレット』など少女漫画誌が創刊したのもこの60年代前半だ。

カウンターカルチャーとしての漫画雑誌

1960年代後半、全共闘運動の最中に言われた「右手にジャーナル、左手にマガジン」。週刊誌「朝日ジャーナル」と「週刊少年マガジン」のことだ。硬派な雑誌と並んでマンガが若者のライフスタイルに大きな影響を与えはじめた時代。64年には、日本初の青年漫画誌『月刊漫画ガロ』が登場する。白土三平の劇画『カムイ伝』を連載するために創刊されたこちら。週刊漫画雑誌のスタイルが広がったことで活躍の場を失いつつあった貸本漫画家への発表の場の提供・新人の発掘の場になり、それは結果として漫画界に“オルタナティヴ”な価値を広げていくカウンターな雑誌となっていく。手塚治虫がこの影響を受けて創刊した『COM』とともに、「漫画」のイメージや概念を拡張/変化させていく。

 

週刊少年ジャンプと漫画の未来。

週刊少年漫画雑誌の熾烈な売上競争が続いたのが80年代だ。この時代から王者として漫画雑誌界に君臨することとなったのが、「友情・努力・勝利」を編集方針に掲げる『週刊少年ジャンプ』(1968年創刊)だ。伝説の漫画編集者、鳥嶋和彦氏が見出した鳥山明による『Dr.スランプ』、『キャプテン翼』『キン肉マン』『北斗の拳』『SLAM DUNK』『幽☆遊☆白書』など多くの人気作が登場し、アニメ化などメディアミックスを活用した戦略で一人勝ち。売り上げは鰻登りに。公称発行部数は1994年12月の1995年3・4号で653万部の歴代最高部数を達成するまでに成長する。

テクノロジーの発達とともに、いわゆる「出版不況」と呼ばれる状況を迎える21世紀。それでも『ONE PIECE』『NARUTO -ナルト-』『BLEACH』はじめここに書ききれないほどの名作を生み出す『週刊少年ジャンプ』。現在はアプリ『少年ジャンプ+』にもその場を広げている。『怪獣8号』『ダンダダン』『SPY×FAMILY』や読切作品ながら話題となった『ルックバック』など社会現象を起こすほどの作品を届け、雑誌が行なっていた「発掘と発表の場」はネット上へと広がりをみせた。小学館でも「サンデーうぇぶり」、講談社では「マガジンポケット」など漫画アプリへと提供の場を広げている。出版不況とともに、漫画文化は終焉ではなく変容へと向かっているのだ。

これからの漫画雑誌?

『AKIRA』『攻殻機動隊』など名作を生み出してきた青年マンガ誌『ヤングマガジン』は、この夏に特別増刊号『ヤングマガジンUSA』と名付けた英語版を発行した。『頭文字D』の作者しげの秀一や、『血の轍』で知られる押見修造の新作などを含めた多彩なジャンルの19作品が収録され、WEB版は特設サイトとSNSで公開。人気ランキングの集計などもアプリとSNSで行う模様で、国籍や媒体もミックスしつつ、日本の漫画文化の核心を伝えるーーそんな試みになりそうだ。

そもそも、そんな風にミックスされることで生み出される“雑味”こそ雑誌の良さであり、そんな「漫画雑誌」の“雑多な誌面”こそが漫画文化を生み出してきた。それは今、形を変えながらも、あらゆる国の、あらゆる状況の、あらゆる人々に届いている。ページを開くワクワク。漫画雑誌の素晴らしい精神は“ドラゴンボール”のごとく、今世界中に散らばっているのだ。

 

空前のラブブブームはなぜ起こったのか

「Fall in Wild」シリーズ

ちょっと不機嫌そうな顔、クリンとした目にきらりと光る9つのキバ、もふもふの体毛に覆われた不思議な妖精「Labubu/ラブブ」。中国で生まれた、この愛らしくも不気味なキャラクターは現在世界中をトリコにしている。

なぜラブブは世界を動かしたのか

ラブブは香港出身のイラストレーター、カシン・ルンが2015年に出版した絵本「The Monsters」に登場する妖精のキャラクターで、中国のおもちゃメーカー「ポップマートインターナショナルグループ」がキャラクターグッズを制作・販売している。2025年上半期の売上高は138億8000万元(約2850億円)で、前年の上半期と加え204.4%増という驚異的な売り上げを記録した。

ラブブは確かにかわいいけれど、ここまで人々が熱狂する理由は何なのか。一説によれば、K-POP界のカリスマであるBLACK PINKのLISAが大いに関係していると言われている。2024年半ばに彼女のインスタグラムに投稿されたラブブの姿は一部の熱狂的なファンによって買い占められ、海外のセレブにも波及していく。レディ・ガガやデュア・リパ、ラッパーのセントラル・シーなど男女問わずさまざまなセレブリティに愛用されてきた。

Lisa’s Secret Obsession with Labubus | Vanity Fair

こうしてありとあらゆるSNSに登場することになったラブブは熾烈な争奪戦となった。元々ブラインドボックス方式(中身が見えない状態で販売される)を採用していたことや、生産数が少ないことも相まって、二次流通市場でも高値で取引されるまでに至った。

ただのバッグチャームから富の象徴へ

はじめはかわいい人形として人々から愛されてきたラブブ。「推し活」アイテムのようにたくさんのラブブを身につけたり、ファンアートなどの二次元コンテンツによって消費されてきた。その後、セレブリティたちがたくさんのラブブを彼らの超高級ハンドバッグに付け出した。それにも背景がある。エルメスのバーキンやシャネルのマトラッセなど定番で歴史的なアイテムが流行し、個性を出しづらくなったために、バッグチャームが定番化していったからだ。セレブリティたちはそのほかのバッグチャームと同じようにラブブを活用し、ラブブは一気にステータスの象徴へとのし上がっていったのだ。

ラブブをチャームにするセレブたち

StockXなどのリセールサイトでも、2023年には年間100件以下だった取引数が、2025年には一日1000件超にまで激増し、VANSとコラボした限定モデルは1万ドル(約133万円)で売却。さらに世界で一体しかない限定モデルが108万元(約2200万円)という価格で取引されるまでに至ったのだ。

神格化する「ラブブ」ポップカルチャーへと続く波

ラブブは販売市場の席巻から始まり、さまざまなコンテンツに変換されている。ラブブのカスタマイズが進み、人間と同じようにタトゥーや歯のグリルを入れる個体や、オーダーメイドの衣装を着る個体の制作が増え、ファッションジャンルとの融合が進む。

私たちの間で流行しているものが、ラブブたちの間でも流行する。まるでラブブが生きているかのようにコレクターたちは振る舞い、最新のウェアやバッグ、アイテムを装着させるのだ。

またファンアートをデジタルプラットフォームに投稿したり、ラブブをモチーフにしたアート作品など、アートカルチャーへの波及も著しい。TikTokで注目を集めた「Sigma Boy(シグマボーイ」をパロディにした「LABUBU SONG」も YouTubeで200万回再生を超えている。そしてもちろん、コピー商品の流通も。

流行のピークを更新し続けるラブブだが、中国では価格崩壊が起こっている。転売屋たちがこぞって買い占めたラブブだが、正規販売業者が大量販売することによって、需要と供給のバランスが正常化された。完璧な転売対策によって、転売屋たちは次なるラブブはどのキャラクターか、虎視眈々と狙いを定めている。同じポップマートによって制作された、「CRY BABY」や、中国のライバル企業TOP TOYによる「nommi」などがじわじわ人気を集めている。

ネクストラブブとの呼び声も。「nommi」

また古くからキャラクターコンテンツが盛んな日本では往年のキャラが人気を伸ばしている。ラブブに見た目が似ている「モンチッチ」や、「ハローキティ」万博で爆発的なヒットになった「ミャクミャク」などこれからもキャラクターIPの人気は続きそうだ。実際にミャクミャクは様々なキャンペーンやプロモーションでも積極的に活用されており、ついにラブブとのコラボも決定。こうした異業種コラボレーションは、キャラクターという枠を越えて社会的な文化として認知される一因となっている。

50周年を迎える「モンチッチ」。若返りを図るアイテムを強化している。

ラブブの生みの親であるカシン・ルンは、現在、現代アーティストである村上隆が運営する”カイカイキキギャラリー”に所属し、個展などを通じてキャラクターをモチーフにしたポップアートを制作している。

私たちはラブブという親しみやすい存在を通じて、自然とアートやカルチャーに触れることになる。コレクターたちはラブブが持つ文化的な価値を見出し、アートの文脈でラブブを扱い、「アートトイ」という大きな市場を巨大化させた。

ラブブというキャラクターは、今を生きる私たちにとっての現代の様相を反映したポップカルチャーのアイコンとなる。アートはラブブの存在によって、ますますポップカルチャーとの距離を縮めることになる。レアなラブブがゴッホやデュシャンの作品と隣合わせに陳列される日も近いのかもしれない。

【インタビュー】かわいく弾けて。coalowlの意外な素顔 – 前編 

イラストレーター、アニメーション作家として活躍するcoalowlさん。
TVアニメ『チェンソーマン』のEDアニメーション、PEOPLE1の『常夜燈』MV、カンロ発売のグミ「Marosh」パッケージイラストを手掛けるなど、第一線で活躍する中、これまで自身について語ることは無かったのだが…。

初の個展を開催するこのタイミングで、彼女の生の声を、知られざる創作の裏側を、独自取材することに成功!これまで歩んできた道のりから、数々の作品が生まれた背景、ハイクオリティなアニメーション、謎に包まれたcoalowlさんのインタビュー記事を前後編でお届けします。

『チェンソーマン』第4話ノンクレジットエンディング / CHAINSAW MAN #4 Ending│TOOBOE 「錠剤」

本日はよろしくお願いします。これまでインタビューは受けてこなかったとのことですが、今回はどうして受けて頂けたのでしょうか?

coalowl –  よろしくお願いします!今までアーティストさんや企業さんからのご依頼でアニメーションを作ることが多く、そうするとあくまでその中でどうやるかっていう感覚なんです。MVだったら曲のためだし、CMだったら商品のために作ります。 だから、「改めて私から積極的に何かを語るような感じでもないな」と思っていました。ただ今回は自分の名前を冠した初めての個展ということもあって、お受けしようかなと思いました!

貴重な機会をありがとうございます!

【MV】人ってただの筒じゃないですか / 月ノ美兎

オリジナルの『パワーパフガールズ』を描いていた幼少期

「かわいい」イラストが印象的ですが、それは昔からですか?

coalowl – そうです!幼い頃からそういう絵は多かったと思います。幼少期はひたすら『パワーパフガールズ』を描いていました。髪型を変えてみたり、服装を変えたりして、存在しない架空のキャラクターも自分で考えて描いていたのを覚えています。

描いたものは何かにアップしたり、人に見せたりはしていた?

coalowl – ネットの掲示板とかに上げていました。アップしたイラストを、色々な人がコメントとかで評価してくれるような掲示板があって。そういう場所があったおかげで楽しく絵を描き続けられたんだと思います。

高校では美術部に入るなどはしましたか?進路の話とかも出てくる段階だと思うのですが、将来について、例えば絵で食べていくイメージは持っていましたか?

coalowl – 高校は新体操をやりながらも、絵はずっと描いてました。でも、絵だけで食べていけるとは思っていなかったんです。本業にできたら嬉しいけど、無理だろうなと感じていたので、副業で絵を描けたらいいなと思っていました。

副業!初めから副業前提なのは珍しいですね。

coalowl – 確かにそうですね。だから、将来的に潰しがきくようにと思い、普通に勉強して大学受験しました。

AIM×coalowlコラボマウスパッド用イラスト「ピコピコパタパタ」

「かわいい」だけじゃない!スプラッターやホラー映画にどハマりした学生時代

大学でも変わらず絵は描き続けていましたか?

coalowl – そんなにガツガツ描いてはいなかったです。ちょっとだけ絵の仕事をしたりもしましたが、中高生の時の方が描いていました。大学では映画にハマって、いろんな映画を観ていました。『パルプ・フィクション』とか『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』とか、有名なところをネットで調べて。「死ぬまでに観たほうがいい映画」とかそういうのを検索して。あとは、なぜか刺激が欲しくて、『シャイニング』や『レクイエム・フォー・ドリーム』等の鬱映画やホラー映画を見まくる時期もありました!

そうしたインプットが、当時描くイラスト、アウトプットに影響しましたか?

coalowl – 意外としていないと思います。自分ではちょこちょこホラーっぽいイラストとかも描いてはいたのですが、何かに投稿したりはしませんでした。この時のインプットは、今MVを作るようになってから活きているかもしれません。

何を投稿するか、選ぶ基準はありましたか?

coalowl – 今もそうですが、クオリティの面で納得いっていないものは投稿しなかったです。あとは、「恥ずかしいか、恥ずかしくないか」が結構あったかもしれないです。血とか、グロい絵を描いていた時期があったんですけど、黒歴史を現在進行形で作っている自覚があったので、それはあげないようにしてました…!

血!?今の作風からすると全くイメージがないので意外ですね(笑)。

coalowl – アップしていたものは「かわいい」系が多かったです。でも、実はそういうのも結構好きでした!

ずとまよ×マロッシュコラボアニメーション

ちなみに、中高から比べて大学では絵を描くペースが落ちた理由はありますか?

coalowl – 中高で新体操をやっていて、それが本当にきつくて、辞めたくてしょうがなかったんです。周りの圧力で辞められなかったんですけど、その鬱屈とした感情を絵を描くことで発散させていたのかもしれないです。大学生になって新体操を辞められたので、抑え込められていたフラストレーションみたいなものは一旦なくなっていって、少しペースが落ちていった気がします。当時の感情は覚えてないですけど、今振り返るとそう思います。

「スペースシャワーTV STATION ID まちあわせ_ゆき編」

卒業後は何をされていましたか?

coalowl – 普通に就職しました。いわゆる事務的な仕事をしていたんですけど、忙しくてほとんど絵が描けなかったんです。 高校の時に考えていた、「副業として描こう」という考えが、その時点で実現できておらず、勇気はいりましたが会社を辞めることにしました。

「絵で食べていこう」と覚悟を決めた?

coalowl – 展望としては「絵を仕事にしたい」という想いはあるんですけど、退職する時点で目処が立っていたとかは全然なくて。「この先どうなるかわからないけど、とりあえず辞めよう!」という感じでした。

作品の「かわいい」イメージから反して、勢いで会社を退職したcoalowlさん。高校当時に思い描いていた、「副業として絵を描く」ことは叶わなかった。先行きが見えない中でも踏み出した一歩は、その先の未来にどのように通じるのか。
後編では、若くして経験した挫折から、“副業”どころかむしろ“本業”として活躍するイラストレーターcoalowlへと繋がる軌跡を紐解いていきます。開催間近の個展の裏話も登場します。お楽しみに!

買い物の高揚感をそのまま包む。デパートラッピングという魔法

“アート”と聞くと美術館で展示されているような絵画や彫刻を想像してしまいがちだが、最も身近な存在のひとつとして百貨店のショッピングバッグや包装紙がある。

例えば、物心ついた子供からおじいちゃん・おばあちゃんまで、共通認識として脳裏に刷り込まれている、「緑のタータンチェック=伊勢丹」「ピンクの薔薇=高島屋」が代表的だ。

むしろ人は買い物を楽しむ・・・というより、両手いっぱいに紙袋を持ち歩く姿に高揚感を味わうのかもしれない。そうでなければ、一点ずつ緩衝材と包装紙で丁寧に覆われ、手作業でリボンを結び、やっと手提げ袋に入れられるまでのラッピングの数分間、他愛もない会話を続けながら待っていられないだろう。

そもそもラッピング文化はいつ生まれた?

風呂敷が平安時代から存在していたことから日本では“包む文化”が古くから根付いており、ラッピングを目的とする包装紙が生まれたのは、日本初の百貨店・三越が誕生した1905年頃と言われている。三越の後を追うように、高島屋や松坂屋、大丸などの百貨店化が進んでいった。その後、各店がグラフィックデザイナーや画家に制作を依頼するようになり、現在に繋がるデザイン性に富んだ包装紙が次々と誕生していったというわけだ。特に日本では、ただ包むという名目だけではなく、プレゼントに贈り手の思いを込める手段として、クリスマスやバレンタインなど季節のイベントを楽しむ一環としてラッピングを活用する人も多いだろう。

日本ならではの繊細なデザイン

三越オリジナルデザインの包装紙「華ひらく」

包装紙を題材に取り上げるにあたってまず触れておきたいのが、三越によって生み出された日本初のオリジナルデザイン。川端康成や三島由紀夫とも親交の深い画家・猪熊弦一郎氏の手描きイラストに、当時の三越宣伝部の社員であり、後に『それいけ!アンパンマン』で名を馳せる漫画家・やなせたかし氏が「mitsukoshi」の筆記体を書き入れて完成した名品だ。現在放送中のNHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』では、やなせたかし氏の半生が描かれている。戦後間もない1950年、これからの時代は包装紙も自分をアピールするような強いものでなければならないとの理由から、鮮やかな朱一色のスキャパレリレッドが採用された包装紙は「華ひらく」と名付けられ、誕生から75年経った今もなお三越のシンボルとして現役で活躍している。どのような大きさでも、どの角度から見ても図案の美しさが変わらないとされるデザインも長年に渡り愛され続ける理由である。

伊勢丹オリジナルデザインの「マクミラン/イセタン」紙手提げ袋(左)・「ブラックウォッチ/イセタンメンズ」紙手提げ袋(右)

続いて、数年前にリニューアルし話題となった伊勢丹オリジナルの手提げ袋。通称・伊勢丹タータンと呼ばれるチェック柄の原点は、1956年に伊勢丹新宿店にオープンしたティーンエイジャーショップにはじまる。当時、ターゲットを10代に絞った売り場で展開されたタータン柄のスカートやマフラーが爆発的な人気を誇り、オープンから2年後には同柄のショッピングバッグを導入するまでに。その後、2012年の「タータン・アワード」の受賞を機に一からタータンの原型を作成し、タータンチェックの聖地・スコットランドでオリジナル生地を織りあげ、現在の形である「マクミラン/イセタン」(左)が誕生した。「ブラックウォッチ/イセタンメンズ」(右)は、スコットランドタータン協会理事であるブライアン・ウィルトン氏がデザインを監修。このタイミングで緑・青・黒の3色に加えて日本の伝統色である赤(丹色=にいろ)が加わる形となった。新しいタータンチェック2種は、スコットランドタータン登記所にも正式登録されている。

忙しない現代を生きる中で何気ない日常に目を配る余裕を持ってみると、そこにはアートが眠っていたりする。買い物をした時、家に持ち帰るまでの道中、自宅で開封する瞬間、ラッピングひとつで三度も心が踊ることに気づくと、毎日が少し楽しくなったりもする。これを機に自宅の奥底で眠っているであろう数多のショッピングバッグを引っ張り出し、整理するという名目で色々見比べて見るのもいいかもしれない。

【インタビュー】「初音ミク」と現代アートが出会う場所——「ART OF MIKU」が描く新たな文化の架け橋 – 後編

デジタルとリアル、サブカルチャーとアートカルチャー。一見相反する領域に見える世界を繋ぐプロジェクトが注目を集めている。
「ART OF MIKU」と銘打ったこのプロジェクトは、クリプトン・フューチャー・メディア株式会社が保有する日本が誇るIP(知的財産)である「初音ミク」を、株式会社W.creationが新しく“アート”として再解釈したプロジェクト。同社は様々なキャラクターやコンテンツを新たな価値想像によって国内外に届け、アーティストの情熱と多くのファンを巻き込んで繋いでいく。カルチャーを跨いでブーストしていく熱気ある現場には一体どんなドラマがあるのだろう。

その1つに、2024年に札幌と渋谷で初開催された「初音ミク」をテーマにした現代アート展「ART OF MIKU」がある。多くのファンを動員するなど、大成功を収めた。その後も横浜、六本木、神戸、福岡、大阪で新作を発表して展示を行うなど、勢い凄まじい展開からはほとんど目が離せなくなっている。そんな「ART OF MIKU」のプロジェクトの始動、これまでの軌跡を追いかけるべく、クリエイティブディレクターである池田元基さんとアートディレクターである大西正人さんにインタビューを敢行。前後編に分けてお届けします。

渋谷会期の様子

「ART OF MIKU」を支えた情熱の舞台裏

プロジェクト全体で400回近くミーティングをしたというのは驚異的な数字ですね。なぜ、それほどのミーティングが必要だったのですか?

池田氏 – 一言で言うと、関係者が非常に多かったからです。共同主催の企業をはじめ、権利元やコラボレーション先の企業、会場の設営企業、その設営企業が委託している部分的な制作企業など、それぞれで進捗が日々移り変わるんです。それを逐一共有し、最新の状況を追いながら、手戻りができるだけないように、私たちも素早くフィードバックを返す必要がありました。特に会期前2〜3ヶ月は、様々な締め切りや発注が重なるため、毎日ミーティングを実施していました。協賛企業もキャンペーンなどを並行して進めていたので、常に連携を取り合っていましたね。

「ART OF MIKU」のメンバーは、全員が本業を別に持っていたそうですね。どのように両立していたのですか?

池田氏 – はい、元々ルーツにアートを持っている人やアート分野に興味を持っている人が集まって始まったこのプロジェクトですが、とある日では昼間はそれぞれの部署で仕事をこなし、夕方からプロジェクトのミーティングを始めるという毎日でした。あまりに夢中になりすぎて、ご飯を忘れる時があったほどです。まるで放課後のプロジェクトのような感覚でしたね。

大西氏 – ミーティングが基本的にオンラインで行われていた一方で、業務の中には現場での打ち合わせが必要なものもあり、私は会場設営のディレクションを担当していたため、設営時には現地に入っての対応に追われました。実際の作品の配置や来場者の動線が想定通りになっているかといった確認に加え、設計段階ではわからなかった問題が現場で判明することもあり、その対応に追われました。正直、24時間では足りないと感じるほどの多忙な日々でした。

バーニーズ ニューヨーク六本木店

開催地での印象的なエピソードはありますか?

大西氏 – 横浜会期では、「初音町」でアート展を開催しました。「初音ミク」にちなんだ地名というだけでなく、初音町は多くの現代アート作家が集まる、文芸復興に力を入れている地域でもあります。来場者の中には、アート作品だけでなく「初音町」と書かれたバス停を撮影する方もいて、一般的なアート展では味わえない「聖地巡礼」のような楽しみをファンに提供できたことは、非常に興味深い成果でした。お客様にも大変満足していただけたようです。

渋谷会期で販売されたグッズの数々

お二人にとって、アートとは?「初音ミク」とは?

アートと「初音ミク」という異なる文脈を繋ぎ合わせる「ART OF MIKU」を主導されてきたお二人にとって、アートとはどんなものですか?

池田氏 – 私にとってアートは、子どもの頃から触れてきたもので、「生きる」ことそのものです。「アート」は様々な表現を通じて、その人が持つ世界や、他の人が持つ感覚という新しいものを生み出します。見る人それぞれの解釈によって作品の意味が変わったり、アーティストもそれを面白がってくれたりします。さまざまな規制や制限がされていく息苦しい現代社会の中で、アートだけは、その人の持つ思いや世界を否定せずに拡張し続けられる存在なので、僕にとっては生きがいでもありますし、アートそのものは「生きる」ということなんです。

大西氏 – 私はアートを「対話のプラットフォーム」だと考えています。アートは一方的に受け取るだけではなく、作品を見た鑑賞者がどう感じるか、どう思うかという部分も一つの表現です。作品を通して、鑑賞者と作家さんとの対話、コミュニケーションツールのようなものだと思います。鑑賞者が作品を見た上で何かを感じ、そこで新たな感情が生まれる。アート自体が対話と共創のプラットフォームに相当するのかなと思っています。

苦楽を共にしてきた「初音ミク」はどのような存在ですか?

池田氏 – 私にとっては、デジタルとリアルの境界を超える存在ですね。現代アートも、「ポップカルチャー」と「アートカルチャー」の境界をなくし、大衆的な部分とアート的な思考が混ざり合っていくような存在です。「初音ミク」は、まさにそのようにあらゆる境界を曖昧にしてくれる存在であり、あらゆるものの多様性を受け入れてくれるプラットフォームだと感じています。

大西氏 –  私は「初音ミク」を「クリエイティブの受け皿」だと捉えています。「初音ミク」は、ただ楽しむだけのコンテンツではありません。音楽やイラストなど、誰もが創作活動を始めるきっかけになる存在です。「初音ミク」をテーマに絵を描いたり、曲を作ったりすれば、それがもう立派なクリエイティブな創作活動になります。世の中の多くのクリエイターや、クリエイティブを志す人々は、「初音ミク」から多くの恩恵を受けているのではないでしょうか。

これからの「ART OF MIKU」を楽しみに

今後の「ART OF MIKU」の展望について教えてください。

池田氏 – プロジェクト発足当初からの思いの一つは、日本の魅力的なIPを、国内だけでなくもっと世界に発信したいということです。「初音ミク」というキャラクターを通して、日本の素晴らしいアーティストを世界に広めていきたいという側面もあります。国内での成功を受けて、どんどん海外に出ていく展開を考えています。

大西氏 – 見るだけでなく、より参加型・体験型の要素も取り入れていく予定です。「あの頃のワークショップで、こんなもの作ったよね?」と、体験をもとに思い出していただけるような仕掛けを作りたいですね。

最後に、「ART OF MIKU」のファンの方に一言メッセージをお願いします。

大西氏 – 「ART OF MIKU」では、今後も新たな現代アーティストにご参加いただき、より多くの作品や、新しい表現の「初音ミク」に触れる機会を提供したいと考えております。皆様のご期待に応えられるよう、引き続き尽力してまいります。

池田氏 – 皆さんが現代アートという文脈の多様な表現を、とても温かく迎えてくださったことに対して、心から感謝しています。その期待に応えられるよう、私たちはこれからも素晴らしいアーティストさんを介してたくさんの作品を見せられるようにしたいですし、初代「ART OF MIKU」から愛してくださっている方により良い還元ができるよう、今後も様々なイベントを組んでいきます。楽しみにしていてください。

最後に、権利元であるクリプトン・フューチャー・メディア株式会社 ライセンスビジネスチーム マネージャー 目黒 久美子様より、本インタビューに際して特別にコメントを頂いたので、掲載させて頂きます。

「ART OF MIKU」へ今後期待していることはありますか?

目黒氏 – 我々は「初音ミク」を何かと何かをつなぐ「ハブ」であると表現して話すことが多いのですが、今回の「ART OF MIKU」も、まさにそれを体現している企画だなと思っています。「ART OF MIKU」を通じて、アートに触れてみたい人たち、「初音ミク」が何者なのか知らない人たち、新たな「初音ミク」としての表現。アートは言葉も国境も時間も関係なく、心で感じることのできるものなので、「ART OF MIKU」は「初音ミク」をハブとして、様々な世界をつないでくれる企画になっていくと思います。願わくば、アート作品を通じて、100年後にも「初音ミク」という存在を伝えてもらえたらなと期待しております。

【Interview】Mika Pikazoにしか表現できない色彩 – 後編

Vtuberの輝夜月やハコス・ベールズ。ディズニーの作品をイラストで表現した『Disney Collection by Mika Pikazo』。更には「ファイアーエムブレム エンゲージ」、「Fate/Grand Order」などのゲーム内に登場するキャラクターデザインに至るまで、近年では「イラストレーター」の枠を超え、活躍の場を広げてきたMika Pikazo。個展の開催にも積極的な彼女の仕事ぶりを見ると、間違いなく多作と言っていいと思う。何がここまで、彼女を“創作”に向かわせるのか。

過去のたくさんの素晴らしいインタビュー記事、その当時から、2025年9月現在に、彼女は何を思っているのか。Mika Pikazoさんのインタビューを前後編でお届けします。

FLOWERS OF THE HEAD

メンターとの出会い

Mika Pikazo(以下、M) – 尊敬している方で、とある音楽会社さんのプロデューサーさんがいるんです。クリエイターとかアーティストって、外に向けて作品を表現していく人たちだと思うんですけど、その人は、何気ない日常の中で、ちょっとした瞬間、エンターテインメントのようなものを見せてくる。もう7、8年の付き合いになるんですけど、こんなことをできる人が世の中にいるんだ、と驚いた方でした。その方は多分、「この人に今こういったことを言うべきだ」みたいなことがすごく分かる人で、自分がどうしようもないくらいメンタルを崩していた時に、最後にこの人に会いにいこうと思って、泣きながら相談しに行きました。

GALVANIZE

そんなすごい方がいるんですね!

M – そうなんです。私が「本当に辛くてしょうがないけど、絵のことを考えず休むべきだと周りから言われたけど、でも休みたくないんです、描いても休んでも辛くて、どうしたらいいかわからない」って。そしたらその方に「じゃあ今のMikaさんの想いを絵のコンセプトとして昇華させるべきだ」って言われて。「 絶対それ、絵に入れた方がいい。元気になっちゃったら今の気持ちはもう描けなくなるよ」と。 それから、今の自分にしかできないことってなんだろうと考えに考えて、辛い気持ちを日記に書くようにしたんです。辛い、悲しいとか、同じような言葉がすっごい書かれてるんですけど、それを書くことによって、展示会のコンセプトにできないかな、とか。 今の気持ちををちゃんと物語とか絵に入れようって思って。 辛いってすごく主観的じゃないですか。その主観的なものっていうのは、もう、周りが見えないような状況でしか作れないから。 当時はめちゃめちゃ辛かったし、自分が描いた絵がいいかどうかもわからなくなっちゃって。もっとできたんじゃないかとかも思いながら完成させたのですが、今その絵を見たとき、「本当にそのときにしか描けないものがあるんだ」と思います。あんなに辛くて悲しかったのに、自分が描いた絵は優しい顔をしていた。しっかり当時の感情が込められていて、本当に好きだなと思いますね。描いてよかったです。

宇宙を漂う1人の少女

それはちなみにどの作品ですか?

M – 「UNDER VOYAGER」です。展示会のタイトルの絵ですね。宇宙に漂ってる女の子の絵なのですが、当時の自分の心理状況とかもそうですし、呼吸ができなくて、いろんなものが浮遊して止まっていて、でも信号だけは発せられている…みたいな…。

個展「UNDER VOYAGER」メインビジュアル

宇宙探査機「UNDER VOYAGER」に
乗っていた人間少女”ライカ”(LAIKA)は
探査機の故障トラブルにより、
宇宙のどこかに墜落してしまった。
意識不明のライカが目を覚ますと、
そこには見たことのない世界が広がっていた…
探査機はもう壊れて動かない、
この星で生きていかなければいけない
身体負傷、混濁した記憶の中、
ライカの生きる希望を探す旅が始まった。

展示「UNDER VOYAGER」のプロローグにはこのように書かれています。今の話も踏まえると、当時のMikaさんの心情と本当にリンクしていますね。展示を企画する時は、大抵どういったプロセスで制作に入るのですか?

M – タイトルとコンセプトから決めます。その後に展示の空間的な演出を決めて、ようやく絵の制作に入ります。もともと描いてあった絵を展示することもあるのですが、既にある絵をどう見せるかというよりかは、空間があって、その後に、ここの部分にはこういう連作を描こうかとかっていうイメージです。

そのベースの中で、一枚一枚の絵に、その時点での感情を込めて描いていくと。

M – そうですね。

個展「UNDER VOYAGER」会場の様子

短歌とイラストの化学反応

ちなみに今計画している展示などはありますか?

M – 「感情展」という展示を来年に開催予定です。これまでの自分の個展とは違って、クリエイティブディレクション的な挑戦としての意味合いが大きい展示企画です。自分の絵は一つの表現ですが、やってみたいことは自分の絵だけではなく、もっと複合的に面白いものを作ってみたい…。そういった想いで今回こうした形を試しています。

Mika Pikazo「感情展」メインビジュアル/2026年2月13日より開催予定

展示のテーマについて教えてください。

M – テーマはタイトルにある通り、「感情」です。短歌に関しては、著名な短歌作家である方々の作品や、現代のイラストレーションを盛り上げている様々なイラストレーターの方々に参加していただきます。

短歌とイラスト!それぞれの表現はどのように絡むのでしょうか?

M – 短歌とイラストは、一見文字と絵といった異なる表現手法を用いて作品へと昇華していますが、根本的には、クリエイティブというものは、人間の中から沸き立つ感情があって、そこから生まれると思うんです。楽しいから描く、怒りや悲しみを表現する、そういった感情そのものが作品の起点になると考えました。だからこそ、作るに至るプロセスはみんな同じところから始まっているのではないかって。今回は、そうした「感情」がテーマの展示にしたくて、「感情展」という名前を付けました。形容詞としてはひとつの感情の表現でも、文字としてはこういった複雑な表現が絡んでいて、絵ではまた全く異なる、言葉にできない表現になるとか。あとは、怒りとか楽しさを感じる時って、いろんなものを内包していると思うんです。怒ってるけど、本当は悲しい、とか、楽しいけど焦ってる、みたいに、表面だけではわからない何重にも重なった思惑がある。そういったところにフォーカスした作品で構成しています。

Mika Pikazoは「アート」なのか

そうしたディレクション的な要素をはじめ、「イラストレーター」として型にはまらないご活躍だったり、イラストに和柄を取り入れている点からは、日本と海外を繋ぐ意識、アートと日本のカルチャーの融合、といったような、例えば村上隆のような感覚もあったりするのかなと思ったのですが、いかがですか?

M – 例えば、日本を代表する芸術表現のひとつに、「浮世絵」がありますが、元々の始まりとして芸術ではなく、グラフィックというか、エンターテインメントの文脈が強いですよね。 「漫画」とか「アニメ」も娯楽として作られたものとして既に確立している。だからこそ、それ自体が何事にも代え難い世界に匹敵する芸術表現だと思いますし、すごくそこに対するリスペクトがありまして。アートとして表現をするというよりも、誰かを楽しませるために作った浮世絵や日本の漫画・アニメがあって、そこから多角的な解釈が広がっている。そういったエンターテインメントに強く影響を受けたんだと思います。だからこそ、娯楽から生まれる芸術表現を突き詰めていきたいのかもしれません。

和装少女

再解釈したり、それこそディレクターズカットをしなくても、本来のもの自体がいいよねっていう。

M – もの自体が本当にすごいものだから。そこに誇りを持ってるし、自分も影響を受けて表現をしている。

Mikaさんの作品で言うと、「アート」という認識よりかは、“エンターテインメント”として出しているという感覚なんですね。

M – そうですね。  アメリカの音楽などのポップシーンでは、 彼らは作品に込める社会的なメッセージが強いんですよ。例えば政治的・宗教的な観点がクリエイティブと一体になっている。それを軸に自分はここに立っているっていう感覚がすごく強いと思うんです。日本の場合は、それが結びついてい̇な̇い̇ことの面白さだなって思うんです。空想の世界、ストーリーというか。信念や思想があえてぼやかされているからこその狂気があると思います。「初音ミク」とか、Vtuberとか、空想を空想の世界で描ききることって、ある種、日本独自の世界だなと思います。 そこに私はリスペクトと誇りを感じています。私自身がそのコンテンツに囲まれて育って、熱狂して、このエンターテインメントにしか表現することのできない希望の光がある、と思っています。

一般的に、美術館や展示会において、1枚の絵に対する鑑賞時間は15秒から30秒とされる。SNSをはじめ加速化する情報社会において、ひょっとすると、デジタルのイラストに与えられた時間はもっと少ないかもしれない。ただ、例えそのほとんど一瞬においても、Mika Pikazoの作品はみずみずしい躍動感を放つ。「私はここにいる」と。そして気付けば暫く眺めてしまう。それは“絵を描く”技術力の結晶であると同時に、それ以外の“何か”が影響している気がしている。迷信は信じないタチの私だが、想いの込められたモノには、魂が宿る。そう信じ始めている。

朝ドラ『ばけばけ』でも注目。日本の夏の風物詩「怪談」。その魅力の源泉とは?

花火、蝉の声、山登り……。夏の風物詩は様々あるけれど、日本の夏の「夜の」風物詩で忘れてはならないのは「怪談」だ。肝試し、ホラー映画など、日本には古くから「怖いもので涼をとる」という独自の文化があるわけで、なかでも本日お話する「怪談」は、おそらく誰しも一度は聞いた(体験した?)ことがあるはず。いや、ご安心を。怖い話をするのではなく、本稿では、怪談がいかにアートの世界と密接なのかをご紹介していきます。

今こそ、怪談。

「怖いなー怖いなー」などの特徴的な語り口で現代における怪談話ブームを切り開いた稲川淳二をはじめ、「怪談」は今でも人気コンテンツのひとつ。今年9月スタートのNHKの新たな朝ドラ「ばけばけ」は明治時代に怪談を研究した小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)とその妻、セツの人生にフォーカスした作品。YouTubeでも怪談、オカルトなどのホラー系動画は人気ジャンルの一つであるし、ポッドキャストにも数多くのホラー番組が。テレビ番組でも「ほんとにあった怖い話」をはじめ、「TXQ FICTION」(テレビ東京)といったモキュメンタリー系や「世界で一番怖い答え」といったクイズ系などなど「恐怖」の解釈は広がっている。後述するホラー映画、小説、漫画も隆盛を極め、雑誌では毎年のようにホラー/怪談が特集される。もはや怪談はポップカルチャーの一大ジャンルなのだ。

YouTube上で人気を博す怪談師「ぁみ」の動画
放送されるやいなやSNS上でも話題となったテレビ東京のモキュメンタリーホラー番組「飯沼一家に謝罪します」

怪談ってアートなの?

ポップカルチャーと書きましたが、本来、日本の美術史の中には、怪談的な怖ーい絵がたくさんある。著名な浮世絵画家、歌川国芳は『相馬の古内裏』(1845年頃)という作品にて、物語『善知安方忠義伝』をもとに、登場人物の1人である平将門の娘が巨大な「骸骨」の妖怪を呼び出す場面を描いている。

歌川国芳『相馬の古内裏』、Wikimedia commonsより引用

他にも、「円山派」の祖であり、写生を重視した画風が特色の江戸の絵師、円山応挙は『幽霊図』なんて作品を残している。

円山応挙『幽霊図』
Wikimedia commonsより引用

日本で伝承されてきた民間信仰がもととなっている妖怪や、18世紀にまとめられた『雨月物語』 『四谷怪談』、江戸の絵師たちがこぞって描いた幽霊画などなど、日本画や浮世絵の世界では、物語、造形、想像力、恐怖/悲しみなどの感情にインスピレーションを受けた作品が多く生み出されている。冥界、霊界、魔界、そうした「あやかし」の世界は、日本人にとってより身近な存在であり、芸術の源泉の一つであったわけだ。

明治期、古くから伝わる日本各地の怪談や奇談、民間の伝承を集めた小泉八雲は「怪談の書物は私の宝」と語ったように、「耳なし芳一」「ろくろ首」「雪女」などの話を『怪談』という文学作品として一冊にまとめあげたジャパニーズ・ホラー界の父。朝ドラ放送にあわせてぜひ一読を。このように時系列で追っていくとわかってくるけれど、怪談は今だけのブームではなく、歴史上ずーっと人々の心を揺さぶってきた最強コンテンツでもある。

日本の各地に散らばった民話、伝承、伝説。心を刺激する恐怖、悲哀の物語、不可思議な世界。感情、思想、創造性を表現するのがアートであるならば、そんな日本的「ホラー」は、単なる「話」の枠を越え、アート的ともいえる領域にまで、とっくの昔に到達していたのではないだろうか。

世界へ羽ばたく怪談

そんな怪談も、今現在に目を向ければ様々な創作ジャンルへと展開している。まず、ホラー漫画の躍進は無視できない。今年、「マンガのアカデミー賞」とも呼ばれるアメリカのアイズナー賞を授与された伊藤潤二は現代ホラー漫画界の巨匠の一人。「うずまき」「富江」シリーズで知られる同氏だが、昨年にはNetflixにてアニメ化された作品「伊藤潤二『マニアック』」もあるし、BTSのメンバー、ジミンがお気に入りの作家として挙げていたこともある。

Netflix「伊藤潤二『マニアック』」予告編

そんな伊藤潤二の精神的師匠ともいえるのが楳図かずお。今年逝去されたことでも話題となったが、『ねこ目の少女』『へび女』など、初期から恐怖とユーモアを巧みに融合させた独自の世界を展開。長編ホラー映画『マザー』の監督などマルチに活躍し、フランスの「アングレーム国際漫画祭 遺産賞」を受賞した。芸術的な側面をさらに先鋭化させ、自身の漫画をアートへと展開させた展覧会「楳図かずお大美術展」も記憶に新しい。

「楳図かずお大美術展」公式Xより引用。

アメリカのアイズナー賞にて伊藤潤二と同時に殿堂入りを果たしたのは水木しげる。『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』などを発表し、妖怪漫画の第一人者でありながら、日本人に妖怪文化を定着させた功績は凄まじい。独特にデフォルメされたキャラクターらは様々な商品にも活用され、作家が亡くなった後も、世界中に羽ばたいている。

「鬼太郎ポスト」水木しげる記念館公式サイトより引用。

映画の世界でも日本的怪談の人気は止まらない。『死ぬまでに観たい映画1001本』(スティーヴン・ジェイ・シュナイダー・著)でも紹介された『リング』(中田秀夫・監督)はハリウッドリメイク版まで製作されるほどで紹介するまでもないか。これがきっかけとなりジャパニーズ・ホラー人気の口火を切り、三池崇史監督による『オーディション』、清水崇監督による『呪怨』、黒沢清監督による『回路』などなど、巨匠たちによる名作が多数発表された。今年、第78回ロカルノ国際映画祭で最高賞にあたる金豹賞を『旅と日々』で受賞した三宅唱監督によるドラマ『呪怨: 呪いの家』も記憶に新しい。そのどれもがクオリティが高く、日本文化的な暗さ、切なさを有し、オリジナリティに溢れている。

Netflixドラマ『呪怨: 呪いの家』予告編

インターネット上の怪談も見逃せない。英語圏のインターネットコミュニティ(4chan等)のユーザーによって「SCP-173」として創作され、不気味なストーリーで一躍話題となった「怖い画像」。これはアーティスト、加藤泉による作品「無題 2004」だ。作家本人の意図とは無関係に、ネット上の都市伝説的にオカルトに接続されてしまった例だが、アートと怪談の奇妙な繋がりを感じる。

また他に世界展開した例では、ウェブライター雨穴による小説「変な家」だろう。これは2020年に公開されたミステリーフィクション。ノンフィクションのレポート風に綴る記事が元となり、そのYouTube版は現在2500万回以上再生。実写映画化や漫画化もされ、翻訳版も世界30の国と地域(北米、ヨーロッパ、南米、アジア)で出版。世界的な大ヒット作となっている。

雨穴【不動産ミステリー】変な家

怖いけど楽しい。一見矛盾するような価値観をもったカルチャーだからこそ、他の何にも変え難い面白さがあるし、だからこそ「怪談」ひいてはホラーコンテンツは現代社会でも人気を博しているのかも。もしあなたが何か新たなアート作品を手に取ろうと考えたとき、「恐怖を感じた」なんて理由があっても面白い。

ちなみに、かつて小泉八雲はこんな言葉を残している。

外国人の旅行者にとっては、古いものだけが新しいのであって、それだけがその人の心を、ひきつける。

古いものは新しい。価値の転倒をあえて楽しむような在り方は、不安や怖さにただ怯えるんじゃなく、あえて楽しむ「怪談」の行為にも似ているかもしれない。不安や恐怖、未知の体験にも楽しく耐える術はこの先もきっと必要とされる。「怪談」の可能性は未来に大きく開かれているはずだ。我々も異界への旅行者として、心が惹きつけられる怪談話、ホラーの世界を探索しに行ってみよう。

【Interview】Mika Pikazoにしか表現できない色彩 – 前編

Vtuberの輝夜月やハコス・ベールズ。ディズニーの作品をイラストで表現した『Disney Collection by Mika Pikazo』。更には「ファイアーエムブレム エンゲージ」、「Fate/Grand Order」などのゲーム内に登場するキャラクターデザインに至るまで、近年では「イラストレーター」の枠を超え、活躍の場を広げてきたMika Pikazo。個展の開催にも積極的な彼女の仕事ぶりを見ると、間違いなく多作と言っていいと思う。何がここまで、彼女を“創作”に向かわせるのか。

過去のたくさんの素晴らしいインタビュー記事、その当時から、2025年9月現在に、彼女は何を思っているのか。Mika Pikazoさんのインタビューを前後編でお届けします。

MANNEQUIN

変わるものと、変わらないもの

これは僕の所感なのですが、色々なイラストレーターやアーティストの方にお話を伺うなかで、Mika Pikazoさんって特にインタビュー記事が多い印象があるんです。もしかすると何か意図はありますか?

Mika Pikazo(以下、M) – ありがたいことにインタビュー依頼をいただくことは多いですね。意識しているのは、その時々の自分を記録しておきたい、ということかもしれません。例えば3年前のインタビューと今の自分の考えを比べると、全然違っていたりするんですよ。それは自分自身も社会や周囲の環境なども。もちろん、自分が創作をやる上で変わらない「芯」の部分はありますけど、そのときにしか残せない思考や表現ってあると思っていて、「今の自分はこう考えている」と残しておくことに意味を感じています。

XやInstagramの投稿でも、その辺りは考えていますか?

M – これまではSNSでプライベートのことなどはあまり発信してこなかったんです。ネガティブなこととか、普段自分が感じたこともそこまで言わないようにしていたんですけど、今後はそういうこともやっていきたいです。実はクリエイターの知り合いとかと話すときに、ずっと喋りながら制作してるくらい、話すことは好きなんですよ。 本当はXとかでも、140字びっしり思ってること書きたいくらいです(笑)。

心境が変わってきた理由はありますか?

クリエイターは作品を出すことが1番だって思っていたんです。ご飯屋さんがご飯を出すというか、美味しいご飯を出すことに意味があるみたいな感覚?ただ、“絵を描いていくこと”に関してもっと言葉でも伝えていくべきだと思ったんです。 もちろん今後もたくさん描いていきたいしそのつもりですけど、「この絵についてどういう想いで作ったのか」とか、「こういうのが自分は好きなんだ」っていう話も見ている方に伝えていきたい想いはあります。

ペンネームが、いつしか本名のように

過去のインタビューで、「「ありのままの自分」という言葉に違和感があって、「つくられた自分」をもっと見てほしい」といった発言がありました。それこそ今お話しているMika Pikazoさんは「ありのままの自分」と、「つくられた自分」、どちらになるんでしょう?

M – 今は混ざり合ってきていると思います。昔は、表と裏が分かれていた感覚がありましたけど、今は一体化してきた。パーソナルな部分と、Mika Pikazoとしての自分が、そんなに違わなくなってきた感じがします。

Mika Pikazo

プライベートのご自身とのギャップが無くなってきた?

M – 正直、Mika Pikazoとしての時間の方が長くて、むしろ家に宅配が来てインターホンで出る時に、本名を言われると「あ、そうだったか」と驚くくらいです(笑)。いつもクリエイティブな事ばかり考えているけど、もうそれが無いと無理というか。私のイラストは観ていると元気になるって言ってもらえることが多くて、すごく嬉しいのですが、私自身はすごく不安がりで、ずっとネガティブなんですよ。でも、その不安が強いからこそ、作品を作っているし、パワーを感じさせる絵を描きたいのかも。休みとかが逆に怖くて、創作について取り組んでいない時間が怖いです。

深く潜った先には、同胞がいる

不安な気持ちを創作によって解放するようなニュアンスかと思うのですが、以前他のインタビューで、ジバンシーなどのファッションデザイナーを務めたアレキサンダー・マックイーンからの影響について語られていました。彼は、徹底的に自己の内面と向き合うことでアバンギャルドな作品を発表し続けた人物という印象で、必ずしもカタルシスとしての芸術表現ではなかったかもしれない。その辺りも共鳴する要素としてありますか?

M –  様々なアーティストさんの話を横から聞くときに、「いい人だったよ」みたいな話には、そこまで惹かれないんです。どちらかと言うと、創作に想いが行き過ぎちゃってる、ストイックすぎて、こだわり過ぎちゃって、変になっちゃってるような、そういう話を聞くとすごく安心するんですね。「 ああ、よかった」って思う。だからああいう素敵な作品を作れるんだ、と思う方もいる。自分も考えが行き過ぎちゃう時があったりするので、側から見ればやめたほうがいいっていうような精神状況になっていても、でも突き詰めていく先に何かあるんじゃないかと思ってしまうし、願いを込めています。

Mikaさん自身はデッドラインというか、これ以上いったら引き返せなくなるなみたいな局面はありましたか?これ以上悩んだり向き合い続けたら、戻ってこれない、おかしくなってしまう、といったような経験。

M –  今、そこに入り始めたなって思います。メンタルを病んでるとかではないんですけど、展示会をやったり、自分がやりたいことのコンセプトに向き合っていくと、すごく自分を削るんですね。自分の中にあるものをひとつひとつ削って出している感覚があって。 その中で、自分が求めるクリエイティブが、どんどん研ぎ澄まされていく感覚もある。それこそさっき、「絵を描いていないと不安になる」みたいに言いましたけど、自分の一日、生活が、それに染まりすぎてしまって、それ以外の生活に関する判断基準が、自分の創作に取り込めるか取り込めないかみたいに考えてしまうときがある。そういうところに入ってしまったんだって、最近本当に感じます。

マックイーンに対して、クリエイターとして素晴らしい人生を送ったのではないか」とおっしゃっていましたが、現在のMika Pikazoの理想の人生とはどういったものですか?

M –  今の気持ちは…寿命で死ぬまで描いていたいです。70、80になっても描いていたい。

寿命まで。マックイーンは、デッドラインを超えて帰って来なかった。

M –  マックイーンは過労やプライベートの不幸な出来事が重なってしまって、自殺をしてしまったとこの映画では描かれていましたが…私は自殺はやっぱりするべきではないと思います。でも、すごく苦しいとき、そういうことを考えてしまうことはあるし、どれだけ周りがよくないといっても、苦しさの渦中にいる本人には別の視点が見えている。「自分なんか生きててもしょうがないんじゃないか」って思ってしまったり。じゃあ、知り合いがそういう状態になったら、絶対良くないって止めるし、話をずっと聞いて少しでも気持ちが楽になる方法を見つけたいって思うけど…。でも、マックイーンは最期まで、自身の内面も織り交ぜて、作品にした。それは狂気にも似たカタルシスを含んでいて、他の人には到達できない表現を作った。その姿勢にはリスペクトしています。ただ、なんだろうな。個人的には、自殺はよくないという想いは変わりません。自分が彼の作品のファンでもあるので、もっと見たいっていう気持ちもあるし、彼が残した限りある作品を何度も観ていて勇気をもらっているので、そういう意味でも、ずっと…。 ずっと描き続けていたいです。

展示会「ILY GIRL」

展示会に行く前からが展示会です

絵を描く以外に、趣味とかはありますか?休みの日も、本当に絵のことだけ…?

M –  例えばインプットが足りないなと思って、旅行に行ったり、美術館に行ったり、自分が普段やらないようなことをやってみるというのはあるんですけど、それも創作と切り離したことはしたくないですね。 普段の生活的な部分では行動力もないしビビりなんですが、それがクリエイティブにつながった瞬間、すぐ「行こう!」「やろう!」ってなります(笑)。

それは具体的に何か情報を知りたいのか、感覚的に浴びたいのか、どういったニュアンスですか?

M –  どちらもありますね。特に展示会をやるときに、お客さんがどのような想いで来て頂いているのか、シミュレーションというか、イメージすることが多くて。その参考の為にも、色々な展示会に出掛けます。例えば二年前に開催した展示会「ILY GIRL」は、コンセプトが決まる前、開催が決まった会場へ色々な駅から歩いてみて、道中のお客さんの気持ちを想像したりしました。どんな思いで観に来てくれるのか、嬉しいことがあったのか、不安なことを抱えているのか、今日1日原宿楽しむぞ!って気持ちなのかとか。たどり着くまでに何を求めていて、何を見たいかっていうのはかなり考えました。

展示会「ILY GIRL」での東急プラザラッピングの様子

そこまで考えているんですね。

M –  そうですね。朝イチで行ったらどうかとか、夕方行ったらどうか、とか。
いろんな方向から、この展示会に向かうときの見え方と気持ちを深く掘り下げてみたり。

本当にどうしようもなくなったことなどはありますか?これは自分一人じゃ解決できないな、みたいな。

M – 一度メンタルを大きく崩してしまったことがあって。その時は、ずっと尊敬している、とある音楽会社さんのプロデューサーさんの方がいるのですが________________。

彼女の創作に向き合う姿勢や、不安と表現の関係性について深く語っていただいた前編。後編では、Mika Pikazoがこれから挑みたいこと、そして描き続ける先に見据える未来についてさらに迫っていきます。

ジャケットデザインから紐解くアナログレコードの魅力。時代のスタイルを生み出し、今リバイバルへ。

BAM読者のみなさんは普段どうやって音楽を聞いているだろうか。Apple Musicや Spotifyなどの音楽配信サービスが音楽体験の主流となって久しいが、テクノロジーの進化に反動を受けるかのように、今アナログレコードの人気が再燃している。

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なんと言っても、アナログレコードの魅力は音質と迫力のレコードジャケットだ。特徴的な正方形のアートワークとサイズの大きさは細かい部分までじっくりと鑑賞することができる。アナログレコードは、音楽だけでなくアート作品として視覚でも楽しむことができるのだ。

ノスタルジーだけじゃない、再燃するアナログレコード

加速するトレンドに疲弊した若者たちが、かつて流行した古き良き文化にアクセスし始めている。音楽も例外ではなく、サブスクリプションサービスで昭和歌謡がヒットしたり、TIK TOKでは懐かしい曲に合わせてティーンたちが振りをつけて踊っている。しかし、アナログレコード人気の再燃は、昔を懐かしむ“ノスタルジー”的な感覚にのみによって消費されているわけではないのだ。

下北沢「フラッシュ・ディスク・ランチ」

日本にはレコードショップの大きなマーケットが存在している。ありとあらゆるレコードが揃う「ディスクユニオン」から、あの「PERFECT DAYS」にも登場した下北沢「フラッシュ・ディスク・ランチ」など、大小様々かつセレクトも個性的で、掘り出し物を求めて世界中の音楽ファンが訪れるのだ。また80〜90年代にかけての日本の音楽が有名アーティストにサンプリング1されることによって当時の音源にプレミアがつき、良質な中古アイテムが求められた。そして、保管状態の良い日本の中古マーケットが世界に注目された。

多角化するアルバムジャケット

また、デジタル音源が普及したことによって、よりフィジカルな音楽体験を重要視する時代性も後押しした。アーティストのKAWSやジュリアン・オピーなど、現代アート界の巨匠たちがかつて手がけたアルバムジャケットは、もはやアート作品としての需要が高まっている。ポップアートの原点でもあるアンディー・ウォーホルは「ラッツ&スター」や「ローリングストーン」、「ジョン・レノン」らのレコードジャケットを手がけており、アートと音楽が一体となってポップカルチャーが盛り上がって行くことにもつながる。アルバムジャケットは、アート作品やインテリアのように所有欲を満たすコレクションとなっていったのだ。

ジョン・レノン「Menlove Ave.」(1980)

また最新のアーティストたちも、この流れに乗る形でアナログレコードを新譜としてリリースしている。2019年12月に薬物の過剰摂取によって21歳でこの世を去ったシカゴ出身のJuice WRLD(ジュース・ワールド)は自身の2枚目の遺作アルバム「The Party Never Ends」をアナログレコードでも発売。村上隆の手がけたアートワークは彼が亡くなる2週間前に東京で直接対面して制作が勧められたそうだ。

Juice WRLD「The Party Never Ends」(2024)

名作ジャケットから紐解くデザインの力

アート作品としても支持を受けるレコードジャケット。コンセプチュアルなビジュアルの原点ともされているのが。ビートルズ「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」(1967)だ。デザインはピーター・ブレイク&ジャン・ハワースで、アルバムジャケットに集合するのは、マリリン・モンロー、ボブ・ディラン、アレイスター・クロウリーなどのスターたち。アルバム自体を一つのコンセプチュアルな芸術作品として提示することによって、音楽とビジュアルの相乗効果を狙った。

日本では現在“シティポップ”と呼ばれるジャンルの大瀧詠一「A LONG VACATION」や山下達郎「For You」などの作品に代表される独特のイラスト表現が花開いた。それぞれ永井博・鈴木英人が手がけており、都会的なイメージや陰影のない表現が、現実の雑念やひずみを忘れさせるユートピアのような場所として想起させられる。

大瀧詠一「A LONG VACATION」(1981/2021)

現代音楽家のブライアン・イーノはアートワークを“瞬間芸術”と呼んでいる。聴く前の0秒の瞬間に、音の世界を予感させるジャケットは「音楽の扉」であり、視覚的なイントロダクションでもあるというわけだ。音楽表現と切っても切り離せないアルバムのアートワークは、音楽体験の拡張と、終わりなきアートへの旅に連れていってくれる存在としてこれからも注目し続けたい。

  1. サンプリング:他人の作品の一部を抜粋することで楽曲を構成していく手法 ↩︎

新しいレコードに出会えるショップ

【旅とアート】目で見て感じたものを作品にーさけハラス インタビュー後編ー

前編に引き続き、さけハラスのインタビューをお届け。創作から離れた時間の過ごし方や、最近ハマっていることなどを通して、さけハラスの価値観や人間的な魅力に迫っていく。

ホラー映画で価値観の転換点を味わう

制作の時以外は何をして過ごしていますか?

さけ – 基本的には自宅兼作業場のデスクで1日を過ごすことが多いです。あまり仕事とプライベートを分けていなくて、映画や動画を見ながらなど毎日何かしらの作業をしてしまいます(笑)。活動時間も不規則で今日も夜中の0時に起きて昼までずっと作業していました。それ以外の時間ではやはり旅にでていますね。あとは散歩したりするのも好きです。

マルチタスク、羨ましいです…!どのような映画を見られるんですか?

さけ – 実はホラー映画が好きで。ホラー映画って、制作費に制約のある作品も多いので、同じ空間を使って違う見せ方をしたり、脚本を工夫したりして制作されているものも多く、その発想自体が興味深いんです。アイデア次第では全く新しいジャンルが生まれたりとか。

それから、ホラー映画の根幹でもある怖がる対象物が時代によって変わっていることも面白いです。例えば80から90年代頃の作品ではビデオテープが呪いの道具として使われたホラー映画がありましたが、それが携帯電話に、そしてスマートフォンになり、最近ではSNSの恐ろしさを切り取ったホラー作品があったり。様々なデジタルデバイスが生まれてきましたが、それを使う私たちのリテラシーも問われているような気がします。

ホラー映画を追うことで時代の転換点が見えるんですね…!私自身初心者なのですが、おすすめの作品はありますか?

さけ – うーん…。ドリュー・ゴダード監督の「キャビン」という映画は好きです。今までのホラー映画の定番を詰め込みながらもそれらをメタ的な視点で展開していくんですが、ある意味禁じ手というか。ホラー映画自体の価値観をひっくり返したような映画です。

映画「キャビン」

ホラー映画以外に影響を受けた作品はありますか?

さけ – 単純に絵として影響を受けているのは、やはり新海誠さんです。「言の葉の庭」(2013)という作品を観て知りました。日常の風景をめちゃくちゃ綺麗に表現していて。ただ新宿という街に初めて訪れた時に、新海誠さんの絵と実際の風景の落差に驚きました(笑)。

幼い頃から絵を描くのは好きだったんですか?

さけ – 小学生の時に遊戯王カードが流行っていたのですが、それのオリジナルカードを手描きで作って友達と遊んでいました。今考えると創作活動の原体験かもしれないです(笑)。あとは好きな漫画の模写をしていました。漫画のキャラクターに空想のセリフを喋らせて友達を笑わせたりとか。

思い出の味は車中泊した日に食べた貝汁

今までにたくさんの場所を旅されてきたと思うのですが、思い出の料理はありますか?

さけ – 最近山陰地方を旅したのですが、山口県で食べた貝汁が絶品で。地元の人も集まるというサービスエリアがあるのですが、東京の自宅から車で出かけてそこで車中泊をしたんです。貝の出汁がたっぷり出た味噌汁だったのですが体に沁みました。温泉などもある広い施設で、地元のかたが足しげく通われるのも納得でした。

山口県を訪れた際に食べた貝汁定食

旅先でお土産を買うのも好きで、一時期はご当地のお酒を買って飲み終わった瓶をコレクションしたりもしていました。並べると達成感も味わえます(笑)。

ご自身の活動の中で転機になったタイミングはありますか?

さけ – やはりフリーランスとして独立できた時だと思います。私自身が0から1を作る作業の方が向いているなと思っていて。会社に所属してた時は、実績や信頼を積み重ねた一握りの人しかそういった現場に立ち会うことはできませんでした。一つのものを極めてクオリティを上げていく、ということにも価値はあると思うんですが、色々なことを試して実践していく、というスタイルが自分にあっていると気づいて。2019年に「写真加工で作る風景イラスト」という指南書を出版した時も、“甘えじゃないか!?”などの批判の声もいただきました。けれど時が流れて今では当たり前の出来事になっていると思います。

「散策」何気ない瞬間を切り抜いたさけハラスさんの作品

小さなアクションから社会に貢献したい

随所でさけハラスさんご自身への客観的視点に感服してしまいます…!最近Xにて選挙についての投稿をしていましたよね。ご自身と社会との関係性についてどのようにお考えですか?

さけ – 私は鳥取県出身なのですが、自分が住んでいた頃から10万人以上も人口が減ってしまっていて。また、行政の方々からの仕事を進めていく上で、地域の様々な問題に直面することもあります。はじめは地道に活動していくしかないか、と思っていたのですが、そもそも根本から変えないと意味がないのでは?と思い始めて。そこからさらに政治や社会に関心を持ちました。とはいっても自分にできることと言えば、選挙に行ったり、対話をしたり、地域の話を聞いて活動をしていくしかないと思うので。

ただ、ASOBI SYSTEMに所属してからは自分自身だけではアプローチできなかった場所や仕事をご紹介いただくことも増えました。マネジメントのお話しをいただいた時はびっくりしましたが(笑)。

私自身の武器はイラストなので、少しでも社会に役立つものを作れたらいいなと思っています。

これからアーティストを目指す方々やファンのみなさんにメッセージをお願いします。

さけ – イラストだからこういったことしなきゃいけないっていうよりは、ちょっとだけ発想を変えてみたり、新しい表現や発信方法を考えてみたりしてみてほしいです。立場とか関係なく、なんか面白いことを考えて一緒にイラストに関わるカルチャーを盛り上げて行きたいな、と思っています。

イラストレーター・さけハラス。旅することで生まれた作品と、地域への思いに胸が熱くなる。彼の描く未来が、これからもっと明るく素晴らしいものになると信じて、私たちも行動して行きたい。

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