【インタビュー】「アートは、言語や国境を越える」。Acky Brightの壮大な夢-前編

ニューヨークのマンハッタンのど真ん中にある「ジャパン・ソサエティ」。

そこではこれまで、草間彌生や村上隆など、数々の名だたる芸術家たちが名を残してきた。

そんな由緒ある場所で4ヶ月に及ぶ個展「Acky Bright: Studio Infinity」を開催したのが、日本の漫画家・イラストレーターのAcky Brightだ。

数々のDC COMICS等でコミックのヴァリアントカバーを手掛け、北米McDonald’sが世界40の国と地域で展開したグローバルキャンペーン「WcDonald’s」では、長いマクドナルドの歴史で初めて、紙バッグをデザインした個人アーティストとなった。

そんな海外での活動が目立つ彼が、ある意味逆輸入的に日本の最前線に割って入ったのだ。

Ado、YOASOBI、Vaundyら今をときめくミュージシャンたちを招聘してきた日本マクドナルドのキャンペーン楽曲「ティロリミックス」では、楽曲だけでなく、オリジナルのアニメーションMVが大きな反響を呼んでいる。圧巻の動画体験のあとは決まってクレジット欄を眺めてしまうもの。キャラクターデザインには、彼の名前がある。

「アートは、言語や国境を越える」

そう語るAcky Brightは、「アメコミ」と漫画を行き来した特有の作風で語られることが多い。

しかし話を聞いていくうちに、彼の見据える未来は、もっとずっと大きいものだったと気づくことになる…。

はじまりは裏方として

Acky Bright / Photo:Hyakuno Mikito

Acky Bright – 今の名前「Acky Bright」を名乗る前からデザイン会社を経営していたんです。その時の僕の本分は、いわゆるプランナー。色々な企業のプロモーションや広告、イベント企画などを考えていました。その時に、要所要所で「イラスト」が必要になるんです。

その時のイラストをご自身で描かれていたんですね。

Acky Bright – そうですね。元々幼い頃から絵を描いていて、漫画家を目指していました。高校生くらいの頃には、出版社の担当の方に付いて頂いていた時期もあったのですが、当時は尖っていたのと、状況をよく分かっていなかったです(笑)。結局漫画家ではなくて、デザイン会社を経営することになって。会社では、あくまでプランナー。イラストに関しては、名前を一切出さずに、完全に「裏方仕事」みたいな感覚でやっていました。フィクサーっぽくて面白かったし、名前を出さない、責任のなさがゆえの自由さも感じていました。ただ、会社も大きくなってきて、ちょっと思うところが出てきたんです。

BRIGHT WORKS東京スタジオ。近々引っ越し予定なんだとか。
Photo:Hyakuno Mikito

「世界ではこんなに面白いことになっているのか…。」

Acky Bright – 2017年、8年くらい、まだNetflixが今ほど有名じゃなかったときに、Gleeのライアン・マーフィーが、「5年契約で300億」っていう話を聞いたんです。300億ですよ?「メッシじゃん」って思いました(メッシはもっと稼いでますけど)。「脚本家とかエンタメの仕事で、メッシになれるんだ…!」って衝撃で。ただ、「お金を稼ぎたい」とか「有名になりたい」っていう意味ではないんです。

それまでの予算配分では、設備投資が9で、コンテンツが1くらいの割合でした。そこから設備への投資額は更に増額されているのにも関わらず、その比率がひっくり返ったんです。設備投資が1で、コンテンツが9になった。つまり、予算の規模自体が100倍とかの勢いになってきている。「世界ではこんなに面白いことになっているのか…。」と思いました。

インフラ的にも、例えば海外の方が日本のTVシリーズのアニメを視聴するには、違法アップロードのものか、もしくは円盤にならないと観られなかったのが、日本にいる僕らと同じで、ほぼリアルタイムで観られるようになった。それまであった、日本と世界の時間的、物理的な壁が無くなったんです。コロナ禍や日本の経済情勢もあり、国内での仕事には限界を感じていたのも相まって、海外に対して意識し始めたんです。リモートでの仕事が一般化したのも、海外との仕事を後押ししてくれました。

そうした流れで「Acky Bright」が生まれたんですね。

Acky Bright – はい。もともとプランニングをやっていたり、漫画家を目指していたのは、「0から何かを作る」というのが好きだったんです。まだ若いし、お金の為だけに働くのもつまらないと思っていたので、初めて自分の名前で絵を描こうと決心しました。

江戸川コナン方式で生まれたAcky Bright

Acky Bright

名前の由来はなんですか?

Acky Bright – 一番最初のアメリカでの仕事でクレジットを入れる必要があって、ペンネームを考えようってなった時に、外国人っぽくしようと思ったんです。あだ名で「アキ」と呼ばれていたので、江戸川コナンみたいに「アッキー」に何か付け足した名前にしようと考えて、会社の名前の一部である「ブライト」を付けました。コンベンションなどのゲストリストで名前が出た時に、AとBなので、上に来るのも目立って好都合でした。

名前が決まって、どういったことから始めましたか?

Acky Bright – 当時はSNSをほとんど活用していなかったので、XやInstagramにイラストを毎日投稿することから始めました。寺田克也さんやキムジョンさんらの影響もあり、イベントに出てライブドローイングをしていました。2021年には、憧れだった寺田克也さんと一緒にライブドローイングをさせて頂きましたが、あれ以上に緊張するシチュエーションはないので、どんな国や規模のイベントでも緊張しなくなりました。

Adobe MAX 2025(LosAngeles)

アメリカでの本格始動

WcDonald’s Promotion / McDonald’s / Package Design, Manga
Photo:Hyakuno Mikito

アメリカではどういった仕事をしましたか?

Acky Bright – 『トランスフォーマー』のTシャツのイラストが、アメリカに渡ってから初めての仕事でした。MoMAでキュレーターを務めるPaola Antonelliさんや、当時、DC Comics バットマングループ編集長だったBen Abernathyさんが僕のことを買ってくれていたのも凄く大きかったです。次第にドイツのBMWとの仕事やDCコミックス、北米のMcDonald’sのキャンペーン企画である「ワクドナルド/ WcDonald’s」のキャラクターデザインなど、たくさんの仕事を頂けるようになりました。DCコミックスでは、「ジョーカー」や「ハーレークイーン」、「KNIGHT TERRORS」などのスピンオフ企画なども描かせて頂いています。

日本の漫画とは異なる文脈の「コミック」を描くことに対して、どのように考えていましたか?

Acky Bright – 子供の頃からずっと漫画や「アメコミ」は好きでした。漫画家になりたい気持ちはあったけど、まさか自分が「アメコミ」の作家になるなんて全く想像もしていなかったです。いざ描くとなると、そもそも仕組みがわからないんですよ。あくまで“観る側”、コンテンツとしての『マーベル』や『DCコミック』、ヴァリアントカバーとかはなんとなく知ってはいましたが、具体的な裏側についてや制作についてはひとつひとつ、やりながら学んでいきました。

Harley Quinn / DC COMICS / VARIANT COVER
KINGHT TERRORS / Angel Breaker

「世界のMANGA」に感じたギャップ

Acky Bright – 海外で本格的に活動するにあたって、ビザを取れたことが本当に大きかった。渡航前から北米ですでに多くの実績があったことが認められてビザが取得できたんです。ビザは取得がものすごく大変な上に、取得前に現地で仕事をするのは犯罪にあたる。取得までの期間は、コロナ禍もあったので、スムーズに全てリモート。国内にいながら北米で実績がつくれたのは大きかったです。

無事ビザを取って、現地での活動はいかがでしたか?

Acky Bright – 現地での3年間は、本当に充実していました。ビザのお墨付きで自由に活動も出来ました。日本のアニメや漫画って、今世界を席巻しているじゃないですか。日本のメディアとかだとそ̇う̇い̇う̇こ̇と̇になっている。確かに、「アニコン」とか行くと、それはもうすごいんです。めちゃめちゃファンがいるし、街に出ても、車にアニメのステッカーを貼っていたりとか、『ドラゴンボール』のTシャツを着ている人を見かけたりはするんです。でも、現地で仕事をしているからこそ分かったのが、肌感覚で言うと、実態は「20年前の日本」みたいな感じなんです。いわゆる、「オタク」だけの文化という感覚。今の日本では、アニメや漫画は、もう完全に一般化しているじゃないですか。そういう意味では、海外でのポテンシャルはまだまだ余地があると思うんです。でも、なかなか難しいというか、壁があるとは感じています。

海外のマジョリティに刺さる漫画を目指して

Acky Bright –  これら目指すべきものはまさにそこで、日本から作ったものをただ輸出するのではなくて、本当の意味で漫画やアニメが世界のコンテンツとして広まっていくには、やっぱりプレイヤー、作り手側も日本以外の人が増えていくことも重要だと思っているし、実際海外のアーティストの描くMANGAやANIMEのレベルもどんどん上がっていると感じます。そしてそういう状況になってきたからこそ、世界中の人が参加して、この日本発祥のカルチャーを盛り上げていくことが非常に重要だと考えています。最近になって、出版社さんなどがそういう動きを見せてきてはいるんだけど、やっぱり課題はある。

MANGAやIPでアメリカで活動するとか、出版社の人もアメリカに駐在して、作家と膝つき合わせてやれるんのかって言ったら、なかなか難しいところがある。そこの壁、天井がある中で、僕はアメリカの中で混じってやることに意味を感じています。

僕は今北米にスタジオを作る準備をしていますが、まさにそれもいろんな国のアーティストが面白いものを作ることをアーティストの視点に立ってサポートしたいという考えからで、それが僕の一番の目標、夢です。

自分が人気になりたい、もっと売れたい、とはちょっと次元の違う話ですね。

Acky Bright –  そうかも知れません。

ANIME NYC

最後は“裏方”として

Acky Bright –  デザイン会社での裏方的な立場から変わって、今は名前を出して表舞台で楽しくやっていますが、最終的には、もう一度、僕自身が“裏方”になりたいと思っているんです。やっぱり「ゼロイチ」の仕事がずっと好きなんです。プロデューサーやプランナー、指揮系統を握るディレクションなど。フィニッシュワークに完全に興味がないわけではないですが、そういうことができる人材って、山のようにいるんです。僕よりも、すごく素晴らしい人たちがたくさんいる。その人たちと一緒に仕事をやればいい話で、僕はどちらかと言うと、新しい場所だったり、何か新しいものを切り拓いていきたいと思っています。さっきも言ったように、今まさに、ニューヨークにスタジオを作る準備をしているんです。

これは“裏方”としての第一歩です。ただ、資金集めや実績など、今の僕ではまだ至らない部分もある。今はありがたいことに表舞台のアーティストとして注目して頂いているのだから、一度自分で行けるところまでやっていこうとは思っています。そこで行き着く先が、“裏方”であればいいなと思っています。

アーティストとしての野心のようなものはないと?

Acky Bright –  そう思います。なぜかというと、それだけでは世界を変えることはできない。僕の満足だけで終わってしまう。僕がちょっと人よりモテる程度の話で終わってしまうと思うんです。

世界をアートやコンテンツの力で平和に

Anime Expo 2025

そこまで大きな視点を持つようになったきっかけはなんですか?

Acky Bright –  子供の頃の、苦しくて大変だった環境が影響していると思います。しんどい中で僕を救ってくれたのが、『ジャンプ』や『マガジン』をはじめとする漫画でした。毎週出るのを待ちながら、「生きよう」と思っていました。漫画があったから本当に人生が救われたので、恩返しというか、僕と同じような人がいるのなら、漫画を通して少しでも世の中が良くなれば嬉しいです。

例えば、鳥山明さんが亡くなった時に、本当に世界中の人が分け隔てなく哀悼の意を表しました。鳥山明、『ドラゴンボール』ってすごくないですか。宗教とか政治とか、もう全部超えちゃってる。音楽やアートもそうだけど、ファンの間では国境もないし、同じ好き同士。世の中への貢献の仕方はたくさんあると思いますが、エンタメを仕事にしている人間である以上、そういった部分は大切にしていきたいし、目指していきたい。そんな想いで、海外を拠点に活動しているんです。

名前が世に出ることはない、“自由な裏方”から、働く喜びを探して表舞台に立ち、海を超えたAcky Bright。その先で目にしたのは、日本アニメ・漫画の“限定的な広がり”という現実だった。後編では、漫画とアメコミという、東洋漫画と西洋漫画の根本的な相違点や、キャラクターデザインの裏側、日常レベルで日本メイドを広める為に尽力するAcky Brightが見据える、AI時代の創作活動に迫ります。

4次元で観る『YONEYAMA MAI EXHIBITION “arc”』

米山舞の個展が、およそ2年ぶりに開催される。

アニメーションの現場で長きに渡り活躍してきた米山は、2018年頃から、本格的にイラストレーターとしてのキャリアをスタートさせた。2019年の初個展「SHE」を皮切りに、2021年の「EGO」(anicoremix gallery)、2023年の個展「EYE」(PARCO MUSEUM TOKYO)と、意図してか、これまで2年おきに個展を開催してきた。
そして2025年、今回の『YONEYAMA MAI EXHIBITION “arc”』である。

それぞれ、青山、原宿、渋谷、銀座といった開催地の変遷を辿って来た訳だが、アニメーター出身であり、そのルーツを重視する彼女が、未だ会場に秋葉原を選ばないのは何故か。
私にはそれが、彼女の特徴のひとつである、アニメーション・イラストレーション・アートと、越境していくアーティスト活動と重なって見える。

今やこの国で、アニメを「オタク文化」と呼ぶ人はいない。むしろ、日常に“ありふれてしまった”アニメは、情報の氾濫する現代において、簡単に消費されてしまいかねない。現に私たち普通の視聴者は、アニメーションが一体どのようにつくられ、どれほどの人が関わり、どれだけの絵が描かれているか知らない。
アニメや漫画における原画の価値が囁かれ始めている昨今の潮流、放送画面からは見えない、画面の奥の影の部分を再評価しようとする気運は、そうした現状に一石を投じている。

そして米山は、その第一線にいる。

「時間」と「連続性」をテーマに据えたと語る今回の個展は、それまでの展示としては初めての試みとして、自主制作した映像を作品として展示・販売している。
そして何より特徴的なのは、会場の空間設計として、外壁・内壁・中央と、3つの異なるレイヤーで構成した点だ。それぞれ、外壁を走る1コマ毎のカット、内壁を飾るのは、大小様々なイラストレーション、そして中央に鎮座する3メートルもの彫刻作品。その背後の巨大スクリーンには、アニメーションが映し出される。

そうした流れの中での鑑賞体験は、ひょっとすると、米山から観た、ある1つのアニメーション作品への視線・思考をなぞり、追体験することに近いのかも知れない。
3つのレイヤーを通して、シームレスに、アニメーション・イラストレーション・アートへと接続されていく流れるような展開は、1つの絵の中で、流れるようなストーリー性を感じさせる米山舞の真骨頂と言える。

昨今の原画への再評価や、米山の言うセル画の価値を認めることは、すなわちアニメーションを取り巻く細分化された職種に目を向けるということに繋がり、ひいては、度々問題になるアニメーターの労働環境・賃金などの問題に光をあてるきっかけになるかも知れない。アニメーションをハイエンドな銀座の街に持ち込んだ『YONEYAMA MAI EXHIBITION “arc”』は、そういった意味でも、非常に重要な意味合いを孕んでいる。

YONEYAMA MAI EXHIBITION “arc”

会期:2025年12月6日~12月28日
会場:銀座 蔦屋書店 GINZA ATRIUM
アドレス:東京都中央区銀座6丁目10-1 GINZA SIX 6F
電話:03-3575ー7755
開館時間:11:00~20:00(最終日 ~18:00)
観覧料:無料
公式サイト:https://store.tsite.jp/ginza/event/art/50901-1725021030.html?srsltid=AfmBOooZH2OQWBIFdSqHDGHBGJyACjc9Owt21w-9hOArGwLmIlZlPQ2J

【インタビュー】  “憧れ”を追い越していく。Face Okaの現在地 – 後編

ひと目見れば彼の作品だとわかる。一度でも目にすれば脳裏に焼きつく作品群は、そのインパクトからはちょっと不思議なくらいにシンプル。それでいて、アイコニックなイラストに固執しない、自由で横ノリなスタイルは、憧れたアーティストたちの背中を追いかけることから始まった。仲間と始めたポッドキャスト「Too Young To Know」は、今や放送173回に及び、近年には「パペット」という操り人形シリーズ「THE KIDDING HEADS」も展開。自身の声と、時折見せるシュールな動きでパペットを操る、画面外のFace Oka。

この人、一体どんなアーティストなのか____。

「THE KIDDING HEADS」と併せて、前後編にわたり徹底的に深掘りします。

Face OkaとPETTI(ペティ)

「THE KIDDING HEADS」の舞台裏 – 操作編

近年新たな試みとして、パペットという操り人形のシリーズ「THE KIDDING HEADS」を展開していますが、これについて教えてください。パペットを動かすあの操作は難しそうですよね。

Face – そうですね。あれは最初に練習しました。1週間もやれば意外と慣れるんです。定点カメラを置いて、下から手を入れて動かす感じで撮っています。ちょうどパペットが1〜2体できた頃に、Netflixで「エルモ(セサミストリート)」の声をやっているケビン・クラッシュのドキュメンタリー『セサミ・ストリートへ愛を込めて ~エルモに命を吹き込んだ人形師』を観たんです。「その人がどうして声優になったのか」という話が中心で、パペットの扱い方自体はそこまで説明していなかったんですけど、その周りにいたパペットアーティストや講師たちの動かし方を見て、「なるほど、こういうことか」と思って、見様見真似でやりました。

Face OkaとPABLO(パブロ)

特徴的な高い声も全部ご自身で?

Face – はい、全部僕がやっています。僕の中で出せる声のバリエーションが限られていて、基本的に「高い声」と「低い声」しかないんです(笑)。このキャラは高めの声なんで、そういう設定にしてます。

キャラクターごとに声を変えている?

Face – そうなんです。でもそれが今の悩みでもあって…。もともとマイク・ケリーのポスターみたいな作品を作りたくて、最初に「登場人物を7体にしよう」と決めて作り始めたんです。でも声のことは何も考えてなかった(笑)。結果、出せる声が3つくらいしかなくて。今のところ声を当てられているのは、パブロとぺティ、ジェニー、うちの猫をモチーフにしたピカビアだけです。ピカビアは「ニャー」としか言わない(笑)。この4体は声も定まっていて頻繁に登場するんですけど、他のキャラはまだ声が決まっていなくて。だから今、そのあたりをどう整理するか悩んでます。

「THE KIDDING HEADS」の舞台裏 – 設定編

KELLY(ケリー) / Face Oka
JENNY(ジェニー) / Face Oka
MIKE(マイク) / Face Oka

それぞれの人格も違うんですか?

Face – そうですね。ただ、まだそこまで作り込めていなくて、今後もう少し固めたいと思っています。性格や背景をまとめた資料を作って、キャラごとの企画書を整理しています。パペットの番組を持つことが目標です。テレビでも、配信でも、YouTubeでもいいんですけど、ちゃんとシリーズとして成立する作品を作りたいと思っています。

彼らは謎の生物なのか、それとも人間的なニュアンスのどちらになるんですか?

Face – 「エルモ」とかだと、何かわからない生物じゃないですか。動物のようでもあり、抽象的でもある。僕はそうじゃなくて、「人間のパペット」を作りたかった。そこに差別化の意識がありますね。

マイク・ケリーのポスター

マイク・ケリーの作品とも違いますよね。

Face – そうですね。僕が意識しているのは、どちらかというと昔のNHKの『ハッチポッチステーション』。あの番組って、人間という設定のキャラクターが出てくるじゃないですか。ああいう“人間の形をしたパペット”の世界観が好きで、近いものをやりたいと思ってます。

ミシンとの衝撃の出会い

「THE KIDDING HEADS」シリーズ以前にミシンを使った経験はありましたか?

Face – 本格的には今回が初めてで、もともとミシンの知識も全くなかったんです。買おうと思った時も、どこで買えばいいのか分からなくて、とりあえずハンズ(旧東急ハンズ)に行ったんですよ。年配の店員さんがいて、詳しそうだったので聞いてみたんですよね。そしたら、「これだよ、これしかないよ。これ以外はありえない」って一点張りで(笑)。値段を聞いたら40万円くらいして、「えっ!」って、かなり衝撃でした。でもその方が、「高いけど、それだけの価値はある」と言うんです。半分騙された気持ちで買ったんですけど、使ってみたら本当に良かったですね。家庭用ミシンって、硬い生地を縫おうとすると針が折れちゃったりするじゃないですか。逆に工業用ミシンだと、薄い生地が縫いづらかったりもするんですね。でもこのミシンは、その中間というか、どんな素材にも対応できる感じで、すごく万能なんです。

購入以来ずっと使っているというミシン

職業用ミシンではあるんですか?

Face – いや、そこが謎なんですよ(笑)。厳密には職業用って感じでもないんです。でも、そう見えますよね。僕も初めて見たとき、「これ何なんだ?」って思いました。部品が壊れたときのパーツを買えるのがハンズしかなくて、しかも高い(笑)。それでも今もずっと使っています。

「THE KIDDING HEADS」の舞台裏 – 製作編

パペットは全てご自身の手作業で作っているんですよね。

Face – そうですね。生地屋に行って、頭の中にあるイメージに合いそうな生地を探して買ってきます。最初、どうやって作るのかなと思って調べたんですけど、なかなか情報が出てこなくて。調べていくうちに、日本のパペット協会みたいなところにたどり着いたんです。すごく昔のサイトに飛んだんですけど、そこに簡単な標本が出ていて、すぐに買いました。

じゃあ、その協会の出している作り方をベースに?

Face – そうですね。協会の出している“正解”というか、基本の作り方に則って作っているんですけど、ベースが一緒なだけで、あとは全部自分で考えています。どう個性をつけるかという部分は完全に試行錯誤ですね。正直、ミシンも3年前くらいにノリで買って始めたので、パターンの概念もほとんどないような状態でした(笑)。

「THE KIDDING HEADS」制作の参考になったという資料

DIYみたいな感覚なんですね。せっかくなので、頭から順に教えて頂けますか?

Face – 頭の作り方が本当にわからなくて。こういう形にしたいというイメージはあったんですけど、やり方が全然わからなかった。粘土などで立体を作るのとは違って、布で立体を作るのは難しかったです。試行錯誤しながら頭の部分は手で縫いました。

印象的なのが、パブロは目や口がなくて「鼻」だけがあるところですよね。今までのFaceさんの作品では、「口と目だけ」が描かれていることが多くて、これは、逆に鼻だけです。

Face – 特に深い意図があるわけではないんですが、目を入れてしまうと、個人的にあまりハマらない感じがしたんです。なので、あえて入れなかったというか、自然に「ない方がいいな」と思ってこの形になりました。

少し触ってみてもいいですか?足の部分はどうなっているんですか?

Face – 足は、これ本当に最近仕上げたばかりで、まだ塗っていない状態なんです。構造としては、上半身に縫い付けるだけなんですよ。まだ試作段階といった感じですね。

PABLO(パブロ) / Face Oka

よくよく見ると、着ている服もパーカー1枚で終わらせるのではなくて、中にTシャツを着せたりと、細かい部分まで本当にこだわっていますね。

Face – このキャラクターは、以前ニューバランスさんとご一緒したときに、CMに登場させてもらったことがあって。そのときに僕自身がアイロンプリントで作ったものなんです。

胸についている缶バッジも印象的です。

Face – 缶バッジは単純に僕が好きなんです(笑)。この赤い缶バッジは、僕の好きなアーティストの言葉をモチーフにして、自分で作ってつけたものです。もうひとつは、僕が好きなブランドの缶バッジですね。どちらも、自分の「好き」を身につけている感覚です。

靴もかわいいですね。これは…?

Face – これは最近仕事で頂いた人形が、たまたまこの靴を履いていたんです。「あ、これ使えるじゃん!」と思って、勝手に履かせちゃいました(笑)。サイズもぴったりで。そういう偶然の組み合わせがけっこう面白くて、気に入っています。

新宿の交差点、ウェストハムファンの合言葉

PETTI(ペティ) / Face Oka

ペティは、サッカーチームのウェストハムのユニフォームを着ていますが、もしかしてファンですか…?

Face – そう、ウェストハムのファンなんです。だからこのパペットにも今シーズンのウェストハムのユニフォームを着せています。子ども用サイズのセットで、上とショーツが一緒に売っているものを買ってきました。

アイアンズ(ウェストハムファンの愛称)…。かなりニッチですよね(笑)?

Face – そうですね(笑)。仕事でよく海外に行く知り合いがいて、その方に「ちょっと今度スペイン行きましょうよ」って軽いノリで言ったら、ほんとに「行きましょう」ってなって(笑)。その流れで彼らは仕事でロンドンに行かなきゃいけなかったんです。高校までサッカーをしていたので、ロンドン行くんだったらせっかくだし「プレミアリーグ観ようよ!」という話になって。ただ、その時に飛び込みでいきなり買えるチケットが、プレミアリーグだとウェストハムしかなかったんです。選手も1人も知らなかったんですけど、行ってみたらめちゃくちゃ面白くて。そこから完全にハマっちゃっいました。今は最下位から2番目くらいなので、頑張って欲しいですね…(笑)。

羨ましいです…。

Face – 普段からウェストハムのマフラーを付けることが多いのですが、新宿の交差点で外国人にいきなり、「アイアンズ!」って声掛けられたのが面白かったですね(笑)。(ウェストハムのチームエンブレムには、ハンマーがバツの字にクロスしたマークが施されており、ファンの間では手をクロスさせて挨拶がわりにしているんだとか)ちゃんとファンだったので、すぐに反応できてよかったです(笑)。

Faceはアート史に残るのか

以前、「美術史に残りたい」、「美術館に収蔵されたい」という発言が見られましたが、その気持ちは今も変わりませんか?

Face – もちろん、変わらずありますね。ただ、今のアート業界を見ていると、少し距離を感じている部分もあります。少し前にアートバブルがありましたけど、その時期は「もしかしたら僕らのやっているアートの立ち位置も、もう少し上に行けるんじゃないか」という希望があったんです。でも、バブルが落ち着いたタイミングで、やっぱりその可能性をあまり感じられなかった。

いわゆる“アートブーム”の時、買われ方や市場の熱量も独特でしたよね。

Face – そうですね。ブームのとき、「誰が買ってたんだろう」と考えると、アートへの見方が純粋な鑑賞というより“投資”の側面が強かったと思います。例えば「全部売れた!」と話題になっても、「誰が買ったのか」というところまでは、あまり誰も気にしていなかった。そこを考えると、個人的には「本当に意味のある購入だったのか?」と疑問に思うこともあります。作品やアーティストのファンの手に渡っていないのであれば、それは僕のやりたいこととは少し違うなと感じたんです。だから今、バブルが落ち着いたタイミングで改めて考えると、僕が最終的に目指している場所、“美術史に残る”という目標は、ちょっと遠のいたというか、「やっぱり遠かったんだな」と再認識している感じがあります。

様々なアーティストへの“憧れ”が作風に色濃く影響しているFaceさんだからこそ、説得力がありますね。

Face – 額面の話だけじゃなくて、どういう形で評価されて、残るか。年表に名前が残るというよりも、作品そのものが“意味を持って残る”という形で、面白い展開になればいいなと思っています。だから、「アート史に残る」目標としては今もありますけど、具体的にイメージできるわけではないといった感じです。それに今は、あまりそこを意識しすぎるのも良くない気もしていて。やりたいことをやっていく中で、タイミングが合ってうまくハマっていけば嬉しいです。

カウズ、ジェームズ・ジャーヴィス、マイク・ケリー、バリー・マッギー…。彼らの背中を追いかけて進んだアーティストの道。そんな“憧れ”を飛び越えて、Face Okaはどこに向かうのか。自由な活動からは、目が離せそうにない。

【インタビュー】 “憧れ”を追い越していく。Face Okaの現在地 – 前編 

ひと目見れば彼の作品だとわかる。一度でも目にすれば脳裏に焼きつく作品群は、そのインパクトからはちょっと不思議なくらいにシンプル。それでいて、アイコニックなイラストに固執しない、自由で横ノリなスタイルは、憧れたアーティストたちの背中を追いかけることから始まった。仲間と始めたポッドキャスト「Too Young To Know」は、今や放送173回に及び、近年には「パペット」という操り人形シリーズ「THE KIDDING HEADS」も展開。自身の声と、時折見せるシュールな動きでパペットを操る、画面外のFace Oka。

この人、一体どんなアーティストなのか____。

「THE KIDDING HEADS」と併せて、前後編にわたり徹底的に深掘りします。

アーティスト、イラストレーターとして活躍するFace Oka

アパレルに打ち込んだ学生時代

子供の頃からご家族の影響で絵を描くようになったそうですが、高校、大学時代はどのように過ごしていましたか?

Face Oka(以下:Face) – 高校は普通科だったんですが、そのまま大学の美術系に進めるコースがあったんです。そのまま進学して、大学では芸術を専攻していました。高校までサッカーもやっていましたが、続けていたのはイラストや絵でした。幼少期からサラリーマンにはなりたくなかったんです。大学も2年で中退してしまって。

在学中の2年間はどのような生活でしたか?

Face – ほとんど何もしていなかったですね(笑)。高校からそのまま仲のいい友達も多くて、本当に自由に過ごしていました。友達が出ている全然関係ない授業に顔を出したりとか(笑)。あとは服が好きだったのもあって、アパレルでアルバイトをやっていました。当時、町田の大学に通ってたんですが、町田に「MARUKAWA」っていうお店があったんです。ジーンズメイトみたいなところで、そこでアルバイトしてました。すごく楽しくて入り浸ってました(笑)。

僕も地元が町田で…!!当時はどの辺りで遊んでいましたか?

Face – そうなんですね!!町田はもう本当にどこにでも行ってました。古着が好きだったので、「DESERTSNOW」とか。

「DAMAGE DONE」とか(笑)!

Face – ですね(笑)。「MARUKAWA」では、フィッティングルームに自由に絵を飾らせてもらったりもしていました。あとは、大学時代に25歳くらいの同級生がいて、彼はアートを本格的にやりたいタイプで、企画展をよく開いていたんです。それにいつも参加させてもらっていました。そのうちにだんだん大学から足が遠のいていって…。

Face Oka

当時、大学の授業で学んでいたことは今に繋がっていますか?

Face – 絵を描くのは好きなんですけど、「学んで描く」というのがあまり好きじゃなくて。今思うと、そこをちゃんと学べていたらよかったなとは思います。いろいろやっていく中で、自分がやりたいことを表現できなかったりするのは、やっぱり技術的な面もあるので。そこは今、補わないといけないところですね。

大学を中退してからは何を?

Face – それからSTUSSYで働くようになりました。当時は、カウズやバリー・マッギーらのアーティストを筆頭に、「売れたらTシャツを出せる」という流れがあった。ショップ店員としてだけではなくて、その「自分のTシャツを出す」ということに凄く憧れがありました。だから休みの時間には、ひたすらに絵を描いていましたね。

当時はどのような絵を描いていましたか?

Face – 当時からストリートのカルチャーは好きだったのですが、本当にゴリゴリのグラフィカルな文字にはあまり興味がなかったんです。なんと言うか、バリー・マッギーやカウズ、元を辿るとキース・ヘリングもそうですけど、グラフィティなんだけど、ちょっとグラフィティーじゃないというか。キャラクターを作ったり、色々なことをやっている人たちが好きだったので、常にオリジナルのキャラクターみたいなものを探っていたんだと思います。

アトリエの様子

Faceさんのイラストは、誰が描いたのかひと目でわかるし、シンプルながら一度見たら忘れることのないインパクトがあると思います。「この方向でいくぞ」と決めるにはなかなか勇気がいることじゃないですか?

Face – うまくいく確信なんてなかったですね。学生時代、授業中に落書きでキャラクターを描いていたんです。それを友達に見せて、「いいね」っていう反応が嬉しかった。今もその延長にいる感覚なんです。気づけば観てくれる人が、友達だけでなくもっと多くの人に広がっていきました。

影響を受けたアーティストたち

耳をすませば / Face Oka

作品を通して「平和ボケした日本人」というテーマが隠れているそうですが、Faceさんの描く「顔」の色は、日本人のいわゆる黄色人種とは違って、ピンクに近い色合いに見えます。

Face – ジェームズ・ジャーヴィスからの影響はかなりありますね。彼の作品にはピンクが多用されていて、あとは、Perks And Mini(P.A.M.)というブランドの服で、蛍光ピンク色っぽい感じのキャラクターがいるんです。発色がいいカラーを使うブランドで、そこのグラフィックからの影響もあると思います。

もうひとつは、最近はコンプライアンスが色々とある中で、ピンク色の肌の人種っていないじゃないですか。どこにも属さない中間を取れたらいいなという想いもありました。

現代アーティストで特に影響を受けている方はいますか?

Face – マイク・ケリーですね。今やっているパペット作品もそうですし、彼の影響は大きいです。あとはポール・マッカーシーとか。結構ハードコアな作風の人なんですけど、そうした海外のアーティストには強く影響を受けています。

会社の名前「ピカビア」にも意味があるそうですね。

Face – これはフランシス・ピカビアというフランスのアーティストから取っています。彼はマルセル・デュシャンと同時代の作家で、ダダイズムのメンバーのひとりでした。この人は、本当に“これがピカビアの作風”と呼べるものがないくらい、常に違うことをやり続けていたんです。その時々で作風がどんどん変わっていく。その自由さや、既存の枠に収まらない姿勢にすごく憧れています。

アトリエの様子

以前の個展のタイトル「都合の悪い存在」にも、その影響があったとか。

Face – そうですね。このタイトルは、ピカビアがかつて評価されたときに「都合の悪い存在」だと言われたというエピソードから来ています。流行や時代の空気に迎合せず、常に違うことをしていた。ちょっとカウンター的というか、反骨精神のある人だったんですよ。みんなが言っていることや思っていることと違うことをやっていたから、周りからしたら「都合の悪い存在」だったんでしょうね(笑)。

まさにアンチテーゼの体現者ですね。

Face – そうですね。デュシャンの「泉」もそうですが、「アートは絵を描くことだけではない」という感覚はあると思います。

軽やかな横ノリの如く

例えば「絵」において、全く別のスタイルにトライしてみたくなることはありますか?

Face – 好きなものはずっと変わっていなくて、例えばこの絵だと、黒くて太い線があって、キャラクターがあって、というものですが、もっと写実的なものを描いてみたい気持ちはあります。今の作風に固執していることは全くなくて、他にも色々な方向で試してみたいです。

Face Oka

カウズやバリー・マッギー、キース・ヘリングのように?

Face – そうですね。当時代官山にサイラス(SILAS)というブランドがあったり、トッド・ジェームスが「AMOS TOYS」というフィギュアを作ったり。そうしたムーブメントがあったんです。いつか僕もやりたいという想いはどこかにずっとありました。

昔は平面的なイラストが多かった印象がありますが、今は、ここにある作品のように影の表現が増えています。そのあたりの変化には、試行錯誤や意識的な変化がありますか?

Face – このシリーズに関しては、実はあまり試行錯誤というのはなくて、もう僕の中ではこのスタイルで完結しているんです。なので、新しいことをやろうというときは、これとは違う方向で取り組むようにしています。たとえばパペット作品もそうですが、もし「油絵をもう一度やりたい」となった場合には、このスタイルでは描かないようにしています。

バケツに吐いた香水 / Face Oka

油絵を描くとしたら、どんな風になりそうですか?

Face – 実は過去にやっていて、2年ほど前に「Gallery Target」で久々に個展を開いたとき、多くの方がこのシリーズのような作品を期待して来られたと思うのですが、展示の8割は全く関係のない油絵でした。

それは何か意図があったのでしょうか?

Face – 意図というよりも、単純に「同じものを描き続けていてもな…」という感覚がありました。あとは、「ずっと同じことを続けるのが正しいとは限らない」とは思っていて、油絵にも挑戦したんです。それに加えて、「油絵を描く中で、このキャラクター(シリーズ)と組み合わせる方法はないか」みたいな実験もしています。展示でもそうした試みを見せていますが、常に実験している感覚です。

「自分がやる意味」とは何か

いろんな表現を横断していく中で、「自分がやる意味」をどのように考えていますか。

Face – 「平和ボケした日本人」という創作のテーマがあるんです。だから「ピース(平和)」というワードは、ずっと根本にあります。見た人がハッピーになることはもちろんですが、その中に“隠れた危機感”のようなものも込めたい。そういうメッセージをうまく表現できるアーティストになりたいと思っています。

創作は「自分のため」と「見る人のため」、どちらの比重が大きいですか?

Face – 基本的には、自分が喜ぶかどうかが一番の基準です。ただ、それだけだとやっぱり食べていくのは難しい部分もある。だから、そのバランスを取りながらやっています。将来的には、もっと有名になっていかないといけないなとも思っていて。その理由は単に名声がほしいとかではなくて、子どもたちのためや、次の世代につながる活動をしたいからなんです。自分の表現を通して、次につながるようなことをやっていきたいと思っています。

後編では、近年話題沸騰中のパペット作品「THE KIDDING HEADS」の話から、応援しているサッカーチーム、物作りやアートへの想いを伺います。
お見逃しなく…!

「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」現地レポート – その2

2025年11月1日からの3日間で開催された「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」。
Chim↑Pom from Smappa!Groupらがキュレーションを務めたオールナイトでのアートイベントは、東洋一の歓楽街と呼ばれる「歌舞伎町」を舞台に、街のあちらこちらに散らばった会場で、同時多発的に“何か”が起きている。

さて、歌舞伎町で一体何が起きていたのか。

鈴木喜兵衛から続く「歌舞伎町」のダイナミズム

「新宿歌舞伎町能舞台」

会場のひとつである「王城ビル」を後にして向かったのは、「新宿歌舞伎町能舞台」。先日のインタビューにて、Chim↑Pom from Smappa!Groupの卯城竜太さんは次のように語っていた。

「この場所が今後の歌舞伎町の文化活動のアイデンティティになっていくのではと思っています。」

「歓楽街に能舞台があることは、一見特殊に見えるが、文脈としては真っ当で、自然なことなんです。」

「新宿歌舞伎町能舞台」

近隣をラブホテルに囲まれたビルの一角に、「新宿歌舞伎町能舞台」はある。奥まった入り口を、さらに2階へと上がり、ようやく扉が現れる。確かに「普通」ではない。
だが、この場所の歴史は、1941年まで遡ることが出来る。
当時は「淀橋区角筈一丁目北町」という地名であったこの地は、戦時下に街の大部分が焼失。復興に際した町おこしとして、当時の町会長である鈴木喜兵衛が目指したのは、歌舞伎を上演する劇場を中心とした「文化の街」だった。歌舞伎座の誘致を目指し、1947年に今の「歌舞伎町」という名称に至ったのだが、結果的に歌舞伎座の誘致は実現せず、皮肉にも今の「歌舞伎町」という名称だけが残った…。

はずだった。

「新宿歌舞伎町能舞台」

そうした歴史の中で、1941年に誕生した「中島新宿能舞台」。2022年からは名称を変え、「新宿歌舞伎町能舞台」となる。ホスト事業を中心に展開するSmappa!Groupが施設を購入したのだ。会長の手塚マキさんは、歌舞伎町商店街振興組合常任理事を務めるなど、現在の「歌舞伎町」の文化的発展に尽力している。彼の話は【インタビュー】東洋一の歓楽街を回遊する。「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」の舞台裏 – 手塚マキ編で触れた通りだ。また、彼の著書『新宿・歌舞伎町 人はなぜ〈夜の街〉を求めるのか』に詳しい。

「中島新宿能舞台」に「歌舞伎町」という名前を加えたのは、そんな彼の、「鈴木喜兵衛の意志を継ぐ」という決意の現れなのかもしれない。

「新宿歌舞伎町能舞台」から外に出たところに居合わせた、飲食業に勤めるという女性に話を伺った。

「過去に開催された「ナラッキー」がきっかけで王城ビルを知りました。普段はあまり歌舞伎町には来ないですが、2Fの唐組の公演や、新宿歌舞伎町能舞台もすごかったです。」

鈴木喜兵衛の描いていた街の未来像まで、時間はかかるかも知れない。だが着実に、このラブホテル街にも、歴史の流れ、街の土壌から生まれるダイナミズムを感じた瞬間だった。

鑑賞者ではなく、誰もが参加者。歌舞伎町のロッカーには何がある…?

続いて向かったのは、会場の1つであるセレクトショップの「THE FOUR-EYED」。アーティストのぼく脳さんによる「フォー横闇市場」が開催されている。

ぼく脳

「フォー横闇市場」はどういった取り組みでしょうか?

ぼく脳 – 近年のフリマアプリや古着の高騰の仕方を見ていると、「闇市」に近いものを感じるんです。元々「闇市」って生活に必要なものが手に入らなくて生まれたものだと思うので、今回は闇市化した、フリマアプリなどのデジタルの世界に流れていったものを、あえて現実世界に戻す、みたいな文脈で考えています。体験とか概念に焦点を当てていて、「お金」じゃ買えないメニューもあったり。それをセレクトショップという華やかなお店の横でやるということに意味があると思います。

個人的な目玉商品はありますか?

ぼく脳 – 歌舞伎町の街中にあるロッカーを1つ借りて、その中に展示物を入れたんです。歌舞伎町ってかなりロッカーがあるんですけど、その中のどれか1つに展示があって、鍵自体がどこのロッカーの物かも探さないといけないんです。

ちょっと闇取引のようなイメージですね。参加者の人に何かコメントを頂けますか?

ぼく脳 – 普通に「アート」を観に来るだけでも勿論いいと思いますが、例えば今言ったような体験だったり、一緒に散歩したりとか、「一緒に何かをする」という形が多いイベントだと思います。だから誰ひとりとして鑑賞者なんていなくて、ここに来た全員が参加者。ぜひ積極的に呑んだり、買ったり、体験したりしながら街を歩いて楽しんでください!

歌舞伎町の真ん中で「みそ」を仕込み、踊る

「生活パーティー feat.みそ仕込み」の様子

続いて向かった先は「デカメロン」。
2020年にオープンしたアートスペースで、2Fに作品を展示、1Fには作品を鑑賞した後に対話が生まれるようにとbarが設けられている。
この場所で今夜行われているのが、アーティストの下司悠太さんによる「生活パーティー feat.みそ仕込み」だ。今夜仕込んだ「みそ」は、湿気の少ない常温で保存し、だいたい1年後に食べごろなんだとか。

DJが音楽を流しながらのみそ仕込みの現場とは、一体どのようなものなのだろう。

「生活パーティー feat.みそ仕込み」会場の様子。右側男性がアーティストの下司悠太さん。

歓楽街のど真ん中で、「みそを作りながら音楽に合わせて踊る」。かなり珍しい試みだったと思いますが、いかがでしたか?

下司悠太 – デカメロンのギャルバーのギャルたちが、みそ汁をこんなに楽しんでくれるとは思わなかったです。すごく嬉しかったですね。

開催に当たって何か想いはありますか?

下司悠太 – 家事労働とか、生のための行いは、「金銭価値」を得づらいですよね。そうしたことを「歌舞伎町」でやるっていうギャップは面白いんじゃないかなと思いました。ただ、みそ仕込み自体は3年前からやっていて、毎年20キロのみそを仕込んでいます。かなり大変で、こういう時こそ、「音楽があるといいな」と、そういう思いから始まりました。この活動を通して何かを訴えたいというよりかは、自分の中の欲望というか、そういった思いが大きくもあるんです。

続いて、偶然居合わせた「みそ仕込み」体験中のパフォーマーの坂口涼太郎さんに感想を伺った。

参加していたパフォーマーの坂口涼太郎さん

みそ仕込みを体験してみての感想を一言お願いします。

坂口 – 坂口涼太郎です。パフォーマーをやっています。歌舞伎町で踊りながら仕込んだみそが、1年後のこの時期に完成して、その感想をまたこの場所に伝えに行きたいです。

研究者として俯瞰する。齋藤直紀の見据える都市の姿

GROUP 齋藤直紀

「WHITEHOUSE」で開催されているのは、建築コレクティブGROUPによる展示、生きられた新宿「Parallax city」だ。
批評家の多木浩二の残した2000枚あまりの新宿の写真。そこに折り畳まれた彼の新宿への視線から、彼のいない2025年の新宿、ひいては100年後の都市に目を向ける。そんな建築コレクティブGROUPのメンバーであり、東京大学未来ビジョン研究センター特任助教でもある齋藤直紀さんに話を伺った。

今回の展示はどういったものでしょうか?

齋藤 – GROUPとしては映像だったり、インスタレーションだったり、あるいは群像写真だったりというものを、MoMAで開催された「Shinjuku: The Phenomenal City」に展示された作品をもとに作成しているんです。そうしたたくさんの要素の合わさった点は、今の新宿という街の、ある種雑多な感じと共通するかも知れません。

「BENTEN」では、歌舞伎町という街で、同時多発的にあちこちで色々なことが起こっています。都市の研究者である齋藤さんだからこそ出来ると考えていることはなんでしょうか?

齋藤 – 都市をテーマとしたアート作品というのはたくさんあって、僕自身もすごく共鳴するところではあるんですけど、一方で「都市」と言っていれば何でも成り立つような飽和状態に近いのかなと思っています。僕自身は都市空間の研究者として都市をリサーチした上で、成り立つアート作品というものを提示できればなと、それだけがテーマではないけれど、そうした点で別の姿を提示できるかなと考えています。

生きられた新宿「Parallax city」

こうしたイベントを通して、歌舞伎町という街がどのように変化していくと予想しますか?また、こんな風に変わっていってほしいという、願いのようなものがあれば教えてください。

齋藤 – 50年前に多木浩二さんが、「新宿には、モニュメントがない。目に見える構造というものがなくて、人々の活動によって、新宿というものが出来上がっている」と言っているんだけれども、50年経った今、その多木さんが言っていた新宿像みたいなものは、パッケージングされて、東京の都市のどこでも見られるようになっている。それでも多木さんは逆に鋭かったのかなと思っているんです。

今後、新宿に望むものとしては、特にこう変わってほしいとか、こうあってほしいというものはないんだけれども、新宿だけはこの猥雑さというか、ある種、怖さみたいなものはあり続けるのかなとは思います。都市開発は、そうした部分を少なくしていく作業の側面がありますが、グレーな部分が全て無くなるのはどうなのかとは思いますね。と言うより、何か操作をして変えられるようなものではないと思っているので、研究者として、もう少し俯瞰して見ていられればいいかなと思います。

王城ビルで待ち合わせ

王城ビル

再び「王城ビル」へと歩を進める。
「デカメロン」の「生活パーティー feat.みそ仕込み」で出会った方に、ミソが出来上がってひと段落ついたら話が聞きたいから電話が欲しい旨を伝えていた。「王城ビル」1Fで開催中の飲食店や物販が立ち並ぶ「アー横」で待ち合わせをした。

「デカメロン」で開催された「生活パーティー feat.みそ仕込み」に参加したお2人

イベントに参加したきっかけを教えてください。

– Instagramの広告で知りました!新宿や高円寺で活動しているアーティストの友人も知っていて、開催前から話題に上がっていました。「王城ビル」のアートイベントにも何度か行ったことがあったんです。

「BENTEN」を通して歌舞伎町のあちこちを歩いて回ったと思いますが、何か歌舞伎町への印象が変わったり、新しい発見はありましたか?

– 能舞台があることは全然知らなかったですね。建物の隙間に入り込んでいって、すごい場所にあるなと結構驚きました。

みそ仕込みはいかがでしたか?

– 「王城ビル」の受付のところにチラシが置いてあって、行ってみたらすごく楽しかったです。持ち帰って保管して、1年くらいしたらカビを取って食べられるみたいです。大豆の水分が抜けて浮き上がってきて、その部分は醤油として使えるとか、作る人の手の細菌によって味もちょっと変わるらしくて、色々と知れて楽しかったです。

わざわざご連絡いただき本当にありがとうございました。

2人にお礼を伝え、最後に、「東京砂漠」へと向かった。

東京砂漠

この日は13年ぶりに、「芸術公民館」が復活する。「芸術公民館」とは、会田誠さんが開いたbarで、若き芸術家たちの集うサロンであった。今はなきその場所、ならびにその意思の跡̇にできたのが、今夜の会場の「東京砂漠」だ。

今日は特別に会田誠さんがバーテンを勤めるとのこと。残念ながら会田さんがいる時間は過ぎてしまったが、23時から5時までは、会田さんの奥さんであり、同じく芸術家の岡田裕子さんが店頭に立つ。

深夜4時30分。「東京砂漠」の屋根裏部屋

東京砂漠

「東京砂漠」に着くと、そこはもう人でごった返していた。店内の椅子はもちろん、通路にまで人が溢れ、皆愉しげに酒を酌み交わし、会話を交わしている。ちょっと人が多過ぎたのと、酒の席を邪魔するのも癪だと思い、撮影だけさせてもらう。そしてもう1つ上の階、屋根裏部屋のような部屋へと階段を上がっていった。

東京砂漠最上階の様子。

壁中にペンで好き放題の文字やら絵やらが描かれ、それらは畳にまで及んでいる。「宅呑み」の中でも自由度の高い呑み場さながらの、出̇来̇上̇が̇っ̇た̇状態が広がっていた。後から聞いた話だが、会田誠さんの描いた絵の横にも、みんな好き放題に、なんでも描いているそう。ここはそういう場所。年代世代を問わないたくさんの人たち。酔いもかなり回っているであろうこの場から聞こえてくる言葉は、「村上隆」、「好きな〇〇文学」…。品のない行動は承知で、カメラの確認のフリをしながら盗み聞いていると、そこだけ聞いてももはや皆目理解不能の哲学の話までしている。堪えきれずに尋ねると、手前にいた2人、互いの「芸術論」での激論を繰り広げていたのだが、さっき、ここで出会ったばかりだと言う。

そう言えば、少し前に出くわした、会田誠を探して「BENTEN」にやってきたと言う某映画監督。「王城ビルにいるらしい!」と言って道に迷っていたので、ビルまで案内したのだが…。僕も探していた会田さん、ここで寝てましたよ…!

東洋一の歓楽街「歌舞伎町」を舞台に、3日間のオールナイトイベントとして幕を閉じた「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」。街のあちらこちらで同時多発的に、様々なイベントが巻き起こる。
戦後間もないこの地を「道義的繁華街」として復興すべく尽力した鈴木喜兵衛が、未来に託した願い、「歌舞伎町」命名に際した願いは、未だ旅の途上にある。「BENTENは長期的に考えている」と語る手塚マキさんの描くこれからの歌舞伎町が、未来の歴史にどう絡んでくるのか。街のダイナミズムは留まることを知らない。

「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」※イベントは終了しました。

2025年11月1日〜11月3日に開催された回遊型アートイベント「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」。「都市の再野生化」をテーマに掲げ、昨年の「BENTEN 2024」に続き、Chim↑Pom from Smappa!Groupらがキュレーションを務める。
当日は新宿歌舞伎町能舞台、王城ビル、デカメロン、WHITEHOUSE、東京砂漠などを回遊しながら、光と影の交錯するカオティックな都市のリアルを、文化としての「歌舞伎町」を味わうことができる。

日時:2025年11月1日(土)15:00-5:00/11月2日(日)15:00-5:00/11月3日(月・祝)15:00-23:00

HP : https://www.benten-kabukicho.com/

Instagram:https://www.instagram.com/benten2025_kabukicho

イラストレーター・焦茶の足跡を辿って

2020年に急逝した今もなお、数多くのファンを抱えるイラストレーターの焦茶さん。待望の初作品集の刊行に併せて開催される個展『Reproduction』を前に、彼の発表してきた数々の作品、その軌跡を眺めていこう。

さて、イラストレーターの焦茶さんはどんな人だろうか。

デジタルで表現する日本画由来の“線”

デジタルイラストへの憧れと、あくまで「アナログに近い感覚を残したまま描く」というこだわりを両立させる為、彼が手に取ったのは“液タブ”だった。日本画をやっていた経験から、“線”には自信があった。吉田博、伊藤若冲、鈴木英人、わたせせいぞう、等の影響について後に語っている※1が、自身の“線”を、彼らの「パキッとした」作風と重ね合わせ、それをデジタルで表現する。その為に“液タブ”に可能性を見出したのだろう。

アルバイトでお金を貯め、「Cintiq 13HD」を購入。当時一番好きだったという、『アイカツ!』の二次創作を描いて、描いて、次第にコツを掴んでいった。SNSへの積極的な投稿から、徐々に支持を集めるようになる。また、イラスト集、同人誌の制作にも精力的だった。

そのはじめの2冊が、『PEOPLE ARE PEOPLE』と『BLACK DOG』。

『BLACK DOG』

どちらもイングランド出身のロックバンドの曲名と一致するのは関係があるか無いか…。『PEOPLE ARE PEOPLE』は偏見や差別への悲しみ、怒りを歌ったデペッシュ・モードのその後の活躍の火種になった曲。『BLACK DOG』はレッド ツェッペリンの言わずと知れた名曲。セーラームーンのオマージュ合戦の一つとして、8年ぶりの来日公演を行ったばかりのアメリカのラッパー、タイラー・ザ・クリエイターを描いたXの投稿も併せて考えると、音楽への関心の高さは単なる誤読ではないだろう。

タイラー・ザ・クリエイター

「SNOW MIKU 2017」

そんな彼に転機が訪れる。「SNOW MIKU 2017」のビジュアルの依頼が舞い込んだのだ。同イベントの特設サイトには、イラストギャラリーが設けてある。提出された作品には、本人も口にしていた、「パキっとした作風」や、「日本画の影響」が色濃く出ており、他のイラストレーターの作品の中でもすぐに彼のものだとわかる。
実際のイラストはSNOW MIKU 2017の公式サイトで是非チェックしてみて欲しい。

『重力アルケミック』

同年はこれに留まらず、表紙イラストを務めた柞刈湯葉著『重力アルケミック』が発売。実際に取材に赴き、訪れた実在の場所を背景として描く彼のスタイルは、この時から既に取り入れられていたのではないか。重力を司る“重素”の採掘によって膨張を続ける地球では、東京大阪間が5000キロを突破し──。といった作品の内容の通り、網目上に空間が分断されたイラストの薄い水色の部分が東京──スカイツリーが見て取れる──で、青紫に近い色の部分が、大阪のどこかの街並みを描いたものかも知れない、と想像が膨らむ。

その後のいくつかの作品においては、Xで実際のロケーションの写真をアップすることもあった。

創作過程から見えてくる“焦茶スタイル”

ロケーションに限らず、焦茶さんはしばしば、制作の過程をXにて公開していた。目にした景色をラフに書き起こし、それを元に本描きに入るが、手前から奥までびっしりと棚に並んだスニーカーの箱の山を描き切った画力、胆力は想像を絶する。

紫吹蘭 / jordan why notシリーズなどのナイキをはじめ、様々なスニーカーを愛好していたという焦茶さん。スニーカー愛が完成まで背中を押していたのかも知れない

また、wacom公式YouTubeにて、制作過程の一部始終が収録された動画がアップされており、完成したイラストも見ることができるから是非チェックしてみてほしい。

こうしたSNSを通して、完成前の状態やいわゆる元ネタまでも見せてくれるサービス精神に感謝しつつ、最も目に留まったものがある。Xの投稿にて、完成後の作品から、彼の代名詞と言っていい“線”を消して見せたのだ。

左画像がオリジナル、右画像が“線”なし。

“線”なしの淡くのっぺりとしたアノニマスな雰囲気と、まるで自己紹介かのようなパキッと締まった“線”アリは、並べてみるとこうも違うのかと驚かされる。抽象が一気に具体化するような、1人のキャラクターが、眼前に、まさに“輪郭”を帯びて鮮やかに立ち現れる感覚。

そしてもちろん、彼の絵の魅力は“線”だけではない。精緻な線と対照的にべたっと描かれた箇所、全体の色のバランスなど、1枚の絵とは思えない奥行きにより、次、また次、と視線が休まる暇がない。本人曰く、何層にも分かれたレイヤーのように、1枚の絵で「視線誘導」していくゆく。それが彼の作品の叙情性に繋がっているのだろう。

2018年には、翔泳社から発行された『ILLUSTRATION 2018』に掲載。『ILLUSTRATION』とは、毎年その年の注目イラストレーター150人が掲載される図録で、平泉康児氏が監修を務める。掲載する作家は2013年の創刊当初からほとんど全て平泉氏の慧眼によるもの。

そして、この本のブックデザインを手掛けたのが、後に「影響を受けまくっている」と語っていたデザイナーの有馬トモユキ氏。自身の作品でのデザインの要素において、有馬氏の影響を多分に受けていたようで、日頃からも親交があったそうである。
2018年は商業的な仕事が増えつつも、同人誌などのオリジナル作品も精力的に発行。この年に発行されたものが、『DIE LORELEY』『AUTOMNE MALADE』『Second’s』『SUPERSTITION』『TAKE ON ME』と相当な数に昇る。このうちの『AUTOMNE MALADE』に関して、ご親族によって語られた貴重な記事があるので、そちらも併せてご覧いただきたい。

激動の2019年。イラストを通して広がっていく人の輪

そして2019年は、それまで培ってきた技術、経験を遺憾無く発揮。コマーシャルワークも一挙に増え、完全に人気に火がついた年だった。特筆すべきは、YOASOBIとして、ボーカロイドプロデューサーとして、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったAyase氏の楽曲『幽霊東京』のMVを担当したことだろう。「初音ミク」ver.、self cover ver.合わせて5008万回再生のメガヒットを記録している(2025年9月15日現在)。

「幽霊東京」Ayase MV

そしてこの年は、バーチャルシンガーAZKiの2ndビジュアル、衣装デザインも手掛けている。自身の作品が自在に動いているのはこれが初めてで、新しい可能性を示したひとつの転換点だったと言える。特徴的なスニーカーのデザインは、焦茶さん自身がスニーカー好きだった背景が感じられるし、ストリート系のファッションデザイン、コートの内ボタン、メッシュの入ったヘアスタイルなど、随所にこだわりが感じられる。

バーチャルシンガーAZKiの2ndビジュアル

また、同年には詩集『あの夏ぼくは天使を見た 』が発売。焦茶さんのイラストと、毎日歌壇賞を受賞し2019年期待の新人詩人である岩倉文也の詩が交わった同作品。若き才能の邂逅から生み出される作品は唯一無二の彩を放っている。

この他にもたくさんのコマーシャルワークを手掛けながら、この年2019年は初となる個展も開催。「HELLO HELLO HELLO」と銘打ったこの展示は、これまでの作品40点に加え、アナログ作品10点を展示。後に買い替えた「Wacom Cintiq Pro 32」の大画面で、さらに拡大しながら細部を描き込む彼の絵のスタイルに合うように、1.8メートルもの巨大パネル作品や、2メメートルほどもある巨大タペストリーなど、大判の作品が立ち並ぶ会場は、丁寧に描き込まれた彼の作品をたっぷりと堪能できたはずだ。

翌年2020年には、Vtuberの樋口楓の衣装デザインを担当。すぐに「でろーん」ってしてしまう彼女の可愛らしさに、かっこよさを上手く掛け合わせたデザインは、それまでの雰囲気を踏襲しつつ、焦茶さんらしい新たなビジュアルイメージを提案している。

樋口楓衣装デザイン

最後に

これまで、焦茶さんのまさしく気鋭の若手作家としての活動の軌跡を辿ってきた。そしてそれらは、確かに過去のものだ。でも、「時間」という、幽霊のように実在が曖昧なものは、本当にその人を忘れさせてしまうのだろうか?過去のものになってしまうのだろうか?

作家は絵で語る。僕たちが、失うことに慣れていく中で、大事な想いを失さないでいるのなら、それは決して一方通行のやりとりではない。彼の作品を前にした生々しい感情のやり取りは、例え「時間」でさえ奪うことはできない。どれほど時が経っても、彼の作品は後世に残っていく。

そう思うのには、理由がある。

生前の彼のXの投稿で、こんなものがあった。

#誰かの推し作家になりたい

そこにはファンの方のコメントで溢れていた。焦茶さんの物語は、これからも続いていく…。

焦茶作品集『Reproduction』

2020年に急逝した今もなお、国内外で絶大な支持を得るイラストレーター・焦茶。
待望の初作品集「Reproduction」が刊行。本書は、作家に縁の深かった「音楽」をテーマにデザインされ、制作途中だった未発表の漫画作品のネーム(下描き)も掲載される。

https://www.shoeisha.co.jp/book/campaign/Reproduction

個展『Reproduction』

「Reproduction」の刊行に併せた、個展も開催。同展示では、クライアントワークから貴重な個人作品まで、彼の活動の軌跡を幅広く展示。
さらに、これまで誰の目にも触れることのなかった未発表作品が、アートブランドGAAATによるMetal Canvas Artとして、アートとして、生まれ変わる。
金属の光沢と立体感、そして永くその美しさを保つ性質は、 彼の作品世界をより魅力的に表現し、生活の中でふと目をやった時に、そこに焦茶の世界が在り続けるという、新しいアートとの関係を提案する。
貴重なこの機会を、ぜひ会場でご覧ください。

https://gallery.gaaat.com/pages/cogecha

「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」現地速報レポート

2025年11月1日からの3日間で開催中の「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」。
Chim↑Pom from Smappa!Groupらがキュレーションを務めたオールナイトでのアートイベントは、東洋一の歓楽街と呼ばれる「歌舞伎町」を舞台に、街のあちらこちらに散らばった会場で、同時多発的に“何か”が起きている。

さて、歌舞伎町で一体何が起きているのか。

閉幕まで残り2日の今、初日の現場レポートを速報でお届けします。

「うしろさん、今2階にいます!」

15時ちょうどに現場入りをする。スタッフの方とは開催直前のインタビューに際して既にやり取りをしていたので、挨拶もそこそこに「王城ビル」の奥へと入った。今日はやることがたくさんある。新米ライターとして、できるだけたくさんの素材を集めようと躍起になっていた。

「王城ビル」のB1Fから5Fまでひとまず目を通そうとしていた矢先、スタッフの方から連絡があった。「うしろさん、今2階にいます!」

Chim↑Pom from Smappa!Group 卯城竜太

来場者に向けて一言だけ頂けませんか?

卯城 – 必ずどこかしらで何かが行われているので、タイムテーブルをよく見てもらって、色々楽しんで頂けたらと思います。
僕は今日、2階で「状況」劇場を担当していて、16時頃からは演劇があったり、歌ったり、それからパフォーマーたちがいろんなことをやり始めます。パフォーマティブな空間になっているので、是非見に来てください。

「活弁」は、最新技術をも凌駕する

次に向かったのは5Fの「活弁天映画祭」。
はっきり言って、初めて触れる「活弁」は衝撃だった。

日本の映画の歴史を辿ると、1896年に国内で初めての映画が公開されたそう。映画と言っても当時は「無声映画」で、その内容を解説する専任の解説者として、「活動弁士」が存在していた。

1998年に活弁界初の文部大臣賞を受賞した麻生八咫(あそうやた)さん演じる「浮世絵活弁」、「血煙荒神山」では、抑揚の効いた声に圧倒されたのはもちろんのこと、その間̇は全く初めてのものだった。時折生まれる完全な静寂は会場に緊張をもたらし、観る者を強烈に惹きつける。そして麻生さんの大きな身振り手振りが、臨場感を加速させていく。

3D、4DX、IMAX…と、新時代のテクノロジーがリアルな映像体験を追求する中、同じ場所、同じ空間での“生演奏”にもはや敵うはずがないのかもしれない。

麻生八咫 / 活弁士・池俊行の活弁「坂本龍馬」との感動の出会いにより活弁士の道へ。

「BENTEN」に参加した率直な感想を聞かせてください。

麻生八咫 – 素晴らしい会場(王城ビル)で感動してますよ。本当に40年、50年前、僕らが新宿で遊んでいたときの、そのまんまが今、よみがえってくる。残っているのが奇跡的。本当になかなかあるものじゃないんですよ。僕たちの世代を20代、30代の頃に若返らせてくれる、そういう現場でした。

無声映画への解説としての「活弁」だと思いますが、時折BGMで音楽、それもロックを差し込んでいたのが驚きでした。

麻生八咫 – 他の活弁士の方に聞かせると怒られちゃうかも。そんなのあるわけねえだろうみたいな。でも、昔じゃなくて、お客さんは今だから。今の人たちにサイレント映画というものを「血湧き肉躍る」みたいな形で提供するには、それもありだろうと。芸能が生き延びていくには、色々な時代を経て、それを乗り越えていかなければいけないから。今のお客さんにいかに喜んでいただけるかという勝負のしかたをしましょう、ということでございます。

観に来ていた若い世代に何か一言頂けませんか?

麻生八咫 – やっぱり生身で、本物をいつも皆さんに提供していきたい。僕もそういうふうに生きてきたし、これからもそう。自然というかね、もっとワイルドに生きていってもいいんじゃないかな。新宿のこういう場所はそれを受け入れてくれる。妙に遠慮して、ある程度の年齢になったら、隅っこでおとなしくしていなければいけないんじゃないかみたいな、そういう忖度は一切せずに、生の人間で僕たちは生きていっていいんだということです。

チャンバラ映画の「活弁」を、英語に乗せて

麻生子八咫 / 麻生八咫の実子であり、同じく活弁士として活躍

そして同日18時30分からは、「活弁」が英語で実演された。演じたのは麻生子八咫さんで、麻生八咫さんの実の娘にあたる。「活弁士」としてのデビューは10歳という彼女に、英語での実演での難しさを伺った。

麻生子八咫 – 特に日本のチャンバラ映画で、日本特有の活弁調、活弁のイントネーションを英語に持っていくっていう、これをしないとあまり意味がないかなと思っていて、それが一番苦労しているところですね。
あとは逆に、『チャップリンの冒険』とか、そういう海外の映画に関しては、俳優さんたちはみんなネイティブな英語を喋っていらっしゃる方々なので、演じている彼らのテンションが、日本語よりも英語のままの方が私にとっても伝わりやすい、共感しやすいんです。そういう面では非常に面白いところです。

スペインからの来訪者

そしてこの公演中、たまたま私の真隣にいた「彼」の話を聞くことが出来た。英語の全く話せない私の差し出すAIの翻訳をじっくり読んで答えてくれた「彼」に、この場を借りて御礼申し上げます。

スペイン出身だという「彼」。翻訳に必死で、あろうことか名前を聞きそびれてしまった…。またどこかで出会えることを願って。

これまでに「活弁」を観たことはありますか?

-こんな経験は今まで一度もありません。声優さんはとても上手だと感じました。彼女は自分の中にある様々な声を使い分けられていて、おばあさんの声も男性の声も出せるんです。彼女が映画に多大な付加価値をもたらしているので、とても興味深かったと思います。それだけでなく、映画に豊かな表現力も与えています。3Dのようにスクリーンで映像を観るだけでなく、語られている内容に感情を動かされる人の姿も見て取れるのです。

それに、これは少し物語風というか、誰かが本を声に出して読んでいるような感じがします。だから私は本当に気に入って、とても興味深いと思いました。

「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」を訪れたきっかけを教えてください。

– 今夜ここにいる何人かのアーティストのInstagramをフォローしていて、彼らはとても興味深いと思いました。それでInstagramの投稿を見て、参加しようと決めました。

実際参加してみていかがでしたか?

本当に素晴らしいと思います。これまでの人生で参加した中でもトップクラスのアートイベントです。新宿のあちこちで企画されているという点がとても興味深いですし、新宿や歌舞伎町の歴史にも触れられていて面白いです。さまざまな部屋があり、とても魅力的でした。

いろいろな建物があって、それらは本当に素晴らしいです。私はとても気に入りました。とても良かったです。

日本の芸術の印象を教えてください。

– わあ、難しい質問ですね。私は日本の芸術がとても好きで、独特の違いがあると思います。西洋の芸術とはかなり違うと思います。なんというか、どう説明していいのかわかりません。ただ、日本の芸術にはとても特別なものがあります。どう説明していいかわからないのですが、とても繊細で、微妙なニュアンスを感じます。細部にまで注意が行き届いていて、とても丁寧に作られている印象です。私が思うに、やはり「繊細」という言葉が一番ぴったりくると思います。でも時には、とても野性的でありながら、同時にその野性を受け入れているので、少し刺激的でもあるんです。子供の頃から日本の美術に夢中で、本当に心から感謝しています。

Thank you very much!!! Have a nice day! 

彼とは、「王城ビル」の入り口でハンドシェイクして別れた。

唐組「紅テント」スタイルはそのままに、自由な出入りの新鮮さ

「恋と蒲団」

時間軸を元に戻そう。

この麻生八咫さん演じる「活弁天映画祭」を観た後すぐに、はじめに卯城さんを見つけた2Fに足を運んだ。始まって10分ほど経過してはいたものの、生きられた新宿「状況」劇場唐組を鑑賞する。
初回の「恋と蒲団」では演劇的な実演が、続く「唄い読む唐十郎の言葉」では、ギターとチェロの音色と、今は亡き唐十郎の美しい言葉が見事に合わさった。

「唄い読む唐十郎の言葉」

唐組の公演の大きな特徴の一つが、その鑑賞スタイルだ。紅テントと呼ばれるテント劇場の中で、観客は、さながらピクニックや花見のように、所狭しと詰め合って座る。座席の区切りはない。今回の「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」ではテントの設置こそないが、敷物に直に座って鑑賞するスタイルが取られた。

「恋と蒲団」と「唄い読む唐十郎の言葉」の両方に出演した役者の福本雄樹さんは、「いつもの座席の感じもありながら、来られた方が自由に出入りする様子が新鮮でした」と語る。

同じく「唄い読む唐十郎の言葉」にて、チェロ奏者として福本さんと共演した佐藤舞希子さんの2人と「王城ビル」入り口付近で遭遇し、話を伺う事が出来た。

福本雄樹 / 俳優。劇団唐組で活躍中。

福本 – 唐組の公演の時とはお客さんの層も違って、それでいていつもの感じの御座に座っているのがまたちょっと不思議でした。公演が始まって、だんだん人が増えたり減ったりするのが見える点も新鮮でしたね。

初めて観る方に対して、どんなところに注目して貰いたいですか?

福本 – 唐十郎さんの書いている言葉の美しさだったり、少しでも「残る」ような、なんかいいな、と思うような言葉を見つけて貰えると嬉しく思います。ひと言ひと言の台詞の妙だったりとか、言葉がすごく詩的になっていたり、リズム感が五、七五になっていたり。ストーリーが分からなくても、そうした少しの言葉の部分だけでも「なんかいいな」って感じて頂けたら嬉しいです!

佐藤舞希子 / チェリストとしてのソロライブだけでなく、箏や三味線との和洋折衷ユニット、インストゥルメンタルバンドの編成など、型にはまらない新たなジャンルを開拓している。

チェロと朗読という新たな試みでしたが、演奏されていかがでしたか?

普段から楽器を演奏するにしても、自分の声のようにセリフに乗せて奏でているの感覚なんです。今回の場合も、相手がどう来るのかとか、次のセリフの言葉に寄り添いながら、チェロの音とかリズムを変えたり、音程を変えていったりしました。

セッションに近いイメージですね?

そうですね。今後も、その時にしかないライブ感、その時にしかない音というものを、びしびしと、おもしろい方とやっていきたいと思っています。

続編では、Chim↑Pom from Smappa!Groupのエリイさん、ぼく脳さんらが登場予定です。
続く→

BENTEN 2 Art Night Kabukicho

2025年11月1日〜11月3日に開催される回遊型アートイベント「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」。「都市の再野生化」をテーマに掲げ、昨年の「BENTEN 2024」に続き、Chim↑Pom from Smappa!Groupらがキュレーションを務める。
新宿歌舞伎町能舞台、王城ビル、デカメロン、WHITEHOUSE、東京砂漠などを回遊しながら、文化としての「歌舞伎町」を味わうことが出来る。光と影の交錯するカオティックな都市のリアルを、ぜひ現場でご覧ください。

日時:2025年11月1日(土)15:00-5:00/11月2日(日)15:00-5:00/11月3日(月・祝)15:00-23:00

※会場によって開場時間が異なります。公式WEBサイトやSNS等によりご確認ください。

前売りチケット発売中

https://artsticker.app/events/94416 ※10/31 23:59まで

当日券

一般(1DAYチケット)¥3,500 / 前売り券¥3,000

一般(フリーパス)*3日間入場可 ¥7,000 / 前売り券¥6,000 

18歳未満*¥2,500

中学生以下無料

※24:00以降は 2,000円(1ドリンク付き)で入場可能。

※一部プログラムは別途料金の支払いが必要です。

HP : https://www.benten-kabukicho.com/

Instagram : https://www.instagram.com/benten2025_kabukicho

【インタビュー】東洋一の歓楽街を回遊する。「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」の舞台裏 – 手塚マキ編

「歌舞伎町」の光と影を、街の文化を通して再発見するアートイベント「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」が開催される。キュレーターを務めたChim↑Pom from Smappa!Groupにとって、改名前のChim↑Pomから現在に至るまで(改名に至る詳細は美術手帖掲載のインタビュー記事「Chim↑Pom from Smappa!Groupはなぜ改名を選んだのか? 「変異」することの重要性」に詳しい)、手塚マキ氏は「歌舞伎町」と彼らを繋ぐ重要な役割を担ってきた。そしてこの手塚マキ、彼らだけでなく「歌舞伎町」と“外界”を繋ぐハブ的な役割でもある。

1997年にホストとして足を踏み入れ、現在は数多くのホストクラブや飲食店、美容サロンを展開する経営者である手塚は、歌舞伎町商店街振興組合常任理事やボランティア団体「夜鳥の界」を立ち上げるなど、歌舞伎町のイメージアップや文化的側面に貢献してきた。(彼と歌舞伎町の激動の物語は、彼の著書『新宿・歌舞伎町 人はなぜ〈夜の街〉を求めるのか』に詳しいので是非読んでみてほしい。)

そんな彼の見つめるこれからの歌舞伎町は、一体どのようなものなのか。「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」を通して目指す未来と、揺るぎない「歌舞伎町」への愛を紐解いていく。

「また明日も観てくれるかな? So see you again tomorrow, too?」2016年 / 青写真を描くversion 2
サイアノタイプ、部屋、インスタレーション
撮影:森田兼次
Courtesy of the artist, ANOMALY and MUJIN-TO Production

歌舞伎町の“深部”を、現代アートに乗せて

卯城さんからはアート的な視点でのお話でしたが、手塚さんは行政との連携を含め、歌舞伎町で様々な活動をされてきました。今回の「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」への想いを聞かせてください。

手塚 – 元々、戦後にこの街を文化で復興させようという流れがあったんです。その中で現代アートというものは、社会現象をしっかり捉えて表現できる。今回の場合は「都市の再野生化」というテーマですが、表層的な部分だけを見せるのではない現代アートは、変動が著しい歌舞伎町にぴったりだと思います。

手塚さん自身、今回のイベントにおいて、歌舞伎町で働く人たち、もしくは歌舞伎町の外の人たち、どちらにより重点を置いていますか?

手塚 – 中の人たちをもっと楽しくしたいという思いが強いです。それは実際に今歌舞伎町にいる人たちだけではなくて、これから働きに来る人たちに対しても。一般的な今の歌舞伎町の印象とは違う、文化的な側面を見て来てくれる人たちや、このイベントを一緒に作りたいという人たちも含めて。実際、「BENTEN」はリクルート的な側面もあると思っていて、昨年のイベントに来てくれた人がそのまま働いて頂いているケースもあるんです。

「BENTEN 2024」©上原俊
王城ビルで開催される表現・物販・飲食が交錯するカオスな横丁「アー横」

「中の人」の意識を変え、通り過ぎない街へ

手塚 – SNSを生活の中心にしている人は多く、そこは紋切り型のわかりやすい偏った表現で溢れています。歌舞伎町の刹那さは、そういうマインドが顕著に現れやすい。そして表層的なわかりやすいものが注目されやすい。だからこそ集まる人たち、働いている人たちの自我だったり、現場の実際の感覚が希薄化していく。そうした大方の印象と、リアルな内情との齟齬を少しずつ調整させていければいいな、という思いがあります。
でないと、自分たちがこの街に対する地元意識というか、「俺たちがここで何かを生み出しているんだ」「ここが俺の地元なんだ」と思えなくなってしまう。通り過ぎるだけの街になってしまう。それもそれで魅力的な部分はあるんだけれども、僕らは「居続けている人間」。そのことに対する意味付けができるようにしていきたい。どのように街の中の人たちを巻き込んでいくかを常に考えています。「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」は長い目で見ていて、徐々にそうした流れを生み出していきたい。

「BENTEN 2024」©上原俊

歌舞伎町の歴史の中で、同じように街を変えようと試みた鈴木喜兵衛さん(※戦後の歌舞伎町復興に尽力した人物)も、最初は周囲から理解されなかったり、失敗もあったそうですね。

手塚 – そうですね。鈴木喜兵衛の後を継いで街に文化を落とし込んでいったのは、商売で財を成した台湾人の方々が中心だったりするんですよね。綺麗事だけではなく資金的な部分と、追い求めている理想の部分、どちらが欠けてもダメなんです。そのバランスを僕が持たなきゃいけないものだと思っています。今回のイベントでは、我々Smappa!Groupが借りているテナントが半分以上の会場という点は非常に不甲斐ない。今後はそういう思いを持った歌舞伎町の中の人間を集めて、もっと街全体を巻き込んでいきたいです。

今以上に街全体を巻き込んだ形を実現する為に、何か考えていることはありますか?

手塚 – 今回のように現代アートを皮切りに海外も含めてリーチできるのは良いことだと思いつつ、僕としては、もっとエンタメ的なこととか、気楽に中の人たちが商売にも繋がりやすく関われるものも増やしていきたい。

「BENTEN 2024」©上原俊

アートを核に「文化のアートイベント」へ

今、ゴールデン街は外国人観光客で溢れ返っていますが、その辺りのインバウンドの増加についてはどうお考えですか?

手塚 – お金儲けを考えるなら、外国人向けにガンガンやればいい。ただそうすると、表層的なわかりやすい歌舞伎町というものにしかならない。先ほどの話のようにそれはそれで必要ですが、中の人間たちで彼らとも交わりながら文化を醸成していくようになると良いですよね。

そのバランス感覚で、一番重要なポイントはどういったところになるのでしょうか?

手塚 – 自分の役割としては、まずアーティストじゃないというところがあって。だからこそ、現代アートがどういうものであるかということをちゃんと理解しつつ、アートだけでない街の行く末を、どうやって外と繋げるか。その時に伝わる歌舞伎町像というのが、いかに現場の実像と齟齬がないかの舵を取ることだと思います。

なるほど。第三者視点的なイメージで。

手塚 – そうですね。歌舞伎町の解釈を間違ったりすることに関しては気を付けないといけない。

歌舞伎町を知り尽くしている方ならではのアドバイスですよね。いわゆるアートキュレーションというよりは、歌舞伎町キュレーションをしているような。

「BENTEN 2024」©上原俊
「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」の会場の1つである「東京砂漠」

手塚 – 要は「どういう風に見られてるか」ということの理解がとても大事。歌舞伎町という街を今後どうしていきたいかというより、それを理解しつつ現代アートの文脈にしっかりと乗せて、尚且つそのクオリティが担保された上に、エンタメ的な要素を入れて間口を広げる。そうしてできたものは筋が通っていると思うし、アートだけではない、街としての芸術祭のように変わっていくと思います。その真ん中に、きちんと現代アートが立っているというのが一番綺麗な形。これが僕のやりたいことです。そうすると、現代アートに興味がない人たちも、アートの力で街に関して自分ごととして考えれられるし、積極的な街の人間になっていくんじゃないかなと思います。

あくまで街の文化がありつつ。

手塚 – そうですね。外部からの見え方もある程度調整しつつ、内部から変えていきたい。わかる人たちだけくればいい、みたいなことは全然思ってないです。あとは、昔うまくいったアイススケートリンク(※鈴木喜兵衛が試みたプロジェクト)のように、もう一度歴史を紐解いてやりたいというのもあります。昔と同じことやったってしょうがないけど、何かしらそういう、街の歴史を継承しつつ、今の時代観の中でできることをやっていきたい。

「BENTEN 2024」©上原俊

歌舞伎町で得る「人生の肥やし」

今回のアートイベントは、鑑賞者が街を回遊してはじめて成立するものだと思います。参加者が能動的に街を歩くことで、結果的に歌舞伎町をより理解できる仕組みだと思いますが、その辺は意識されていますか?

手塚 – かなり意識していますね。回遊イベントにしたのは、実際参加した人が、自分で街をどう捉えるか、ということは大事にしたい。自分の力で夜の繁華街に来て、「おもしろいな」って思ってもらう。そうしてはじめて、開催の意義があると思います。

将来的に歌舞伎町がどんな街になってほしいですか?

手塚 – 中でいろんな人たちが歌舞伎町で働いていたことが、人生の肥やしになっていくようなところです。今でも「歌舞伎町で働いたことがいい経験になってます」と言う人はいるけど、その中には、「文化」が足りない。歌舞伎町で様々な文化に触れたことが良かったと思ってもらえるようになると、とても嬉しいです。そうなると嬉しいし、その素養がある街だと思う。自分自身がどういう風に生きていくかということを考えるきっかけになる場所だから。

改めて、手塚さんにとって歌舞伎町はどんな街ですか?

手塚 – やっぱり、すごく激動しているのが歌舞伎町。この街は、世の中の激動、例えばAI革命だとか、ネット社会だとか、コロナが起きたとか、そういった歴史の「あの時変化したよね」っていうことを、物凄いスピード感で感じられる。外国人観光客の問題とかも、ネットで何かと話題だけど、画面の向こうではなく、目の前の出来事として存在している。そうした変化を肌身に感じられる。だからある意味、さっき言った世相が表層的に現れやすい。その中で、自分たちがどういう風な生き方をしていこうか、どんな人間でいるのかってことを考えられる。机上の空論だけじゃないし、綺麗事だけでも済ませられない。それがとても魅力的なことだと思います。

最後に、来場者の方に一言お願いします。

手塚 – 僕の場合、アートをたくさん楽しんでもらいたいというのもあるけど、そのついでに、街を回遊して、いろんな飲み屋とかご飯屋さんとか、街にいる人とかを眺めてもらえたら嬉しいですね。

来る11月1日、「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」を通して街を回遊する___。

すると怖くて危ない街・歌舞伎町というイメージが一変し、みずみずしい輪郭を帯びて捉え直すきっかけになるはずだ。そんな革命前夜に、本記事が少しでも寄与出来れば素敵だなと思っている。

BENTEN 2 Art Night Kabukicho

2025年11月1日〜11月3日に開催される回遊型アートイベント「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」。「都市の再野生化」をテーマに掲げ、昨年の「BENTEN 2024」に続き、Chim↑Pom from Smappa!Groupらがキュレーションを務める。
新宿歌舞伎町能舞台、王城ビル、デカメロン、WHITEHOUSE、東京砂漠などを回遊しながら、文化としての「歌舞伎町」を味わうことが出来る。光と影の交錯するカオティックな都市のリアルを、ぜひ現場でご覧ください。

日時:2025年11月1日(土)15:00-5:00/11月2日(日)15:00-5:00/11月3日(月・祝)15:00-23:00

※会場によって開場時間が異なります。公式WEBサイトやSNS等によりご確認ください。

前売りチケット発売中

https://artsticker.app/events/94416 ※10/31 23:59まで

当日券

一般(1DAYチケット)¥3,500 / 前売り券¥3,000

一般(フリーパス)*3日間入場可 ¥7,000 / 前売り券¥6,000 

18歳未満*¥2,500

中学生以下無料

※24:00以降は 2,000円(1ドリンク付き)で入場可能。

※一部プログラムは別途料金の支払いが必要です。

HP : https://www.benten-kabukicho.com/

Instagram : https://www.instagram.com/benten2025_kabukicho

【インタビュー】東洋一の歓楽街を回遊する。「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」の舞台裏 – 卯城竜太編

光と影が交錯する街「歌舞伎町」。東洋一の繁華街と言われるこの地で夜通し行われる、回遊型アートイベントの開催が間近に迫っている。

2025年11月1日からの3日間で開催される「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」は、昨年の「BENTEN 2024」に続く2度目の開催。キュレーションはChim↑Pom from Smappa!Groupらが務める。

我々BAM編集部は、気になるその実態、地理的イデオロギーを探るべく、開催を目前に独占インタビューを敢行。前編ではChim↑Pom from Smappa!Groupリーダーの卯城竜太氏に、後編ではSmappa!Group会長の手塚マキ氏に、それぞれプロジェクトの背景や開催への想いを伺った。

「また明日も観てくれるかな? So see you again tomorrow, too?」2016年 / ビルバーガー
3階分のフロア、事務用品、空調、家具、照明器具、カーペットなど
撮影:森田兼次 / Courtesy of the artist, ANOMALY and MUJIN-TO Production
手塚氏が常任理事を務める解体予定の歌舞伎町商店街振興組合ビルの床を1階まで繰り抜いて開催された。

世にも珍しいアートの生態系

まずは開催に至る経緯を教えてください。

卯城 – Chim↑Pomのこれまでの活動は、歌舞伎町と密接な繋がりがありました。手塚さんと協働し、色々なプロジェクトをやってきたりしたんです。振興組合のビルでプロジェクトをやったりとか、メンバーの結婚式を路上でやったりとか、にんげんレストランみたいなものをやったりとか。で、僕自身も「WHITEHOUSE」というアートスペースを展開したり。僕ら自身の活動以外にも、歌舞伎町界隈にアートスペースや文化活動の場がコロナ禍を起点に続々と出来てきた感じがあって、それを俯瞰して見た時に、「世にも珍しいアートの生態系が出来つつあるな…」と思ったんです。

「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」 会場マップ

海外の音楽やアート関係の知人をそういった場所に連れて周ると、やはりその特異性を面白がるんですね。歓楽街でジェントルフィケーションするアートプロジェクトみたいなものはそれまでもあったけど、そうでない形でボトムアップに文化的なスペースが立ち上がってきているのが面白がられているんだなと感じました。
それは何より、「デカメロン」もそうですし、新宿歌舞伎町能舞台も王城ビルもみんなコロナ禍にオープンしてきたことに関係があると思うんです。歌舞伎町が「夜の街」として批判されていた一方で、逆にそうした場所だからこそ集まってきたものや人もいる。磁場が働いているように、他の場所がフリーズせざるを得なかったからこそ、居場所や隙間を求めて色々な人たちが集まって新しい活動が始まっていく。そんな感じがありました。

そうした文化的な土壌が、アートイベントとしての「BENTEN」の構想に繋がったんですね。

卯城 – そうですね。いわゆる「芸術祭」も考えましたが、長期に渡る上、かかる労力がかなり変わってくる。「展覧会」をやるにしても、歌舞伎町にはそもそも美術館などがない。それよりも、「劇場」とかライブスペースとか、パフォーマンスイベントだとか、アートで言えば「路上」で起きたハプニングがこの街の特徴のはず。だからこそ、身体的で、イベント的な活動が展開されるものがいいな、と。アートナイトだと3日間程度だし、夜の歓楽街との相性もいいな、というところがあって、昨年の開催に至りました。

「また明日も観てくれるかな? So see you again tomorrow, too?」2016年 / BLACK OF DEATH
2008、2016 / ビデオ
撮影:森田兼次 / Courtesy of the artist, ANOMALY and MUJIN-TO Production

再開発、そして相変わらずのカオス

イベントのテーマが「都市の再野生化」とのことですが、これはどういったものでしょう?

卯城 – 王城ビルも「新宿歌舞伎町能舞台」も「デカメロン」も「WHITEHOUSE」も、コロナ禍と再開発の時期に始まりました。再開発は東京のあちこちで起きていて、渋谷をはじめ都内の各地が秩序化されて変化していった。歌舞伎町にもその流れはあるにはありましたが、後から見てみると、実際に再開発によって秩序が生まれたかというと、むしろその真逆のことがたくさん生まれていた。再開発によって人々が集まりやすくなったのはたしかですが、しかし歌舞伎町は歌舞伎町らしく、色々な人たちが逃げてきたり集まってきて、カオスな状態が生まれていった。それは他の都市には見られない特異な状況でした。歌舞伎町の相変わらずっぷりには、歴史的な裏打ちもありそうな気がしていて、今回のテーマとして考えています。

「LOVE IS OVER」2014
撮影:篠山紀信 / Courtesy of the artist

「Love is Over」のデモ行進、「また明日も観てくれるかな」では“解体ビル”内でのプロジェクトであったり、印象的な取り組みでしたが、「BENTEN」の特徴はどういったところでしょうか?

卯城 – 今回のメインアーティストとして、やなぎみわさんを位置づけてはいるんですけど、どちらかと言うと何かひとつの事というより、もっと重層的で、同時多発的であることが、アートイベントとして重要だと考えています。歌舞伎町という街を徘徊したり、目移りしないと、どの会場で何が起きているか分からない。現代アートのみならず、パフォーマンス、演劇、音楽、クラブイベント、横丁、バー、活弁映画、味噌汁……と、あらゆるジャンルが入り乱れ、タイムテーブルそのものが表現のカオスと化していますが、そのイベントを通して、街のあちこちを回遊して頂きたいです。

歌舞伎町の“ローカリティー”を世界に

Chim↑Pom from Smappa!Groupとしての国際的なご活躍と、近年のインバウンドを背景にした歌舞伎町ゴールデン街の外国人観光客の増加、その辺りはイベントに関わってきますか?

卯城 – 現代アートの視点で世界を見渡した時に、東京はアジアの中で相当プレゼンスが下がっていると思うんです。香港やソウルは国際的なアートフェアを中心に、その周辺でパーティーや展覧会が充実している。台湾の台北も、中国との対立の中で表現の自由がものすごく推し進められています。しかし、香港やソウルのように西洋のやり方をそのまま輸入してイベントを作っても、東京には似合わないと思っています。東京は独自にサブカルチャー的に育ってきたものがあったり、1世紀を余裕で上回るほどの美術の歴史がある。その中でも歌舞伎町で熟成されてきたゲリラ的な文化活動とか、小さなバーで繰り広げられてきた文化活動を土壌としたアートイベントとして構想していたので、自ずとフェアや美術館など欧米的なグローバリズムとは違うローカリティーを推しだすものになったように思います。

「BENTEN」は歌舞伎町公園に祀られる弁財天が由来だと伺いました。

卯城 – 新宿のシンボリックな神様みたいな部分があり、芸術と芸能の境界線みたいなものを考えるのにすごく良いアイコンでした。そうした歴史や文化が色濃い街なので、西洋的な美意識と枠組みでやるよりも、ここで熟成されてきたものを普通に発信した方が独自のものとして受け止められると思ったんです。いずれ特異なものとして世界的に認知されていくだろうなと思っていて、回数を重ねて実験していこうかなと考えています。

「BENTEN 2024」©上原俊「新宿歌舞伎町能舞台」

「BENTEN」は今後の別の活動やイベントの指標になりますか?

卯城 – いや、ならない気がします。他のイベントへの影響だとか、ノウハウがどうっていうことはないと思います。むしろ「歌舞伎町」でしか通用しないやり方でやっていかないと、独自のものにはならなかったりもするし、逆に他の土地にはまた全然違う事情や理屈があるはずで。

あくまで歌舞伎町だからこそできるイベント、表現であると。

卯城 – そうですね。今後は表現の部分だけではなく、運営の部分で、より歌舞伎町独自のものにしていきたいです。そうすれば、もっと世界に例がないようなものになる気がします。

芸術と芸能の交錯地点「新宿歌舞伎町能舞台」

アーティストの選定に関しては、菊池成孔さんなどのミュージシャンが出演されていたり、必ずしもアートだけではない、様々な方を招聘されています。選定の基準やこだわりをお伺いできますか?

卯城 – DOMMUNEの宇川直宏さんに昨年から参加して頂いていて、テーマである「都市の再野生化」を踏まえて山本裕子さんと一緒にキュレーションやブッキングを考えて頂きました。「BENTEN」の立ち上げの段階から、DOMMUNEのイメージは僕の中にあったんです。2013年に開催された「FREEDOMMUNE 0<ZERO> ONE THOUSAND 2013」が、当時飽和していた音楽祭の中で、ノイズだったり、コンテンツが特殊にも関わらず大規模のイベントとして、全く独自のお祭りを作っていた。「BENTEN」に関しても、日本国内にたくさんの芸術祭が存在している中で、似たような立ち位置のものがあれば面白いだろうなとは思っていました。例えば、歌舞伎町シネシティ広場で、Merzbowがノイズミュージックをやるなんて事件だってあり得る訳で。

もう一つは、スペースをたくさん使っている点で言うと、「新宿歌舞伎町能舞台」が、今後の歌舞伎町の文化活動のアイデンティティになっていくんじゃないかと思っています。と言うのも、今回のやなぎみわさんも、前回のメインアーティストでAsian Dope Boysというコレクティブをやっているチェン・ティエンジュオさんも、能舞台があることに凄く惹かれているんです。もっと言うと、能舞台が歓楽街にあること自体が特殊……。特殊には見えるのですが、さっき話した、弁財天や芸術と芸能の境界線を考える上では、河原者による儀式や、「湿った場所」で勃発した歌舞伎など、文脈としては真っ当で、自然なことなんです。歓楽街の中に能舞台があって、そこに、考え抜かれたものがコンテンツとして出てくるっていうのは、脱西洋中心主義的な表現を考えるにあたって、大変重要な部分。今後もその部分を大切に活かしながら展開するイベントになっていくといいなと思います。

その土地の文化的な土壌や時代観を色濃く反映させながら、Chim↑Pom from Smappa!Groupが作り上げるアートイベント「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」。それまで多くの人が描いていたであろう、怖くて危ない街・歌舞伎町というイメージは、彼らの投げかけるアートを介して見つめ直すと、全く異なる街の輪郭が立ち現れてくる。そしてそれは、通り過ぎていた街の外の人も、中にいる「歌舞伎町の住人」も一緒だ。

後編では、1997年にホストとしてこの街に足を踏み入れ、以来「歌舞伎町の住人」として、酸いも甘いも噛み分けながら、ほんとうの歌舞伎町を目の当たりにしてきた手塚マキ氏の想い、彼の描く今後の歌舞伎町の未来像を紐解いていく。

「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」

2025年11月1日〜11月3日に開催される回遊型アートイベント「BENTEN 2 Art Night Kabukicho」。「都市の再野生化」をテーマに掲げ、昨年の「BENTEN 2024」に続き、Chim↑Pom from Smappa!Groupらがキュレーションを務める。
新宿歌舞伎町能舞台、王城ビル、デカメロン、WHITEHOUSE、東京砂漠などを回遊しながら、文化としての「歌舞伎町」を味わうことが出来る。光と影の交錯するカオティックな都市のリアルを、ぜひ現場でご覧ください。

日時:2025年11月1日(土)15:00-5:00/11月2日(日)15:00-5:00/11月3日(月・祝)15:00-23:00

※会場によって開場時間が異なります。公式WEBサイトやSNS等によりご確認ください。

前売りチケット発売中

https://artsticker.app/events/94416 ※10/31 23:59まで

当日券

一般(1DAYチケット)¥3,500 / 前売り券¥3,000

一般(フリーパス)*3日間入場可 ¥7,000 / 前売り券¥6,000 

18歳未満*¥2,500

中学生以下無料

※24:00以降は 2,000円(1ドリンク付き)で入場可能。

※一部プログラムは別途料金の支払いが必要です。

HP : https://www.benten-kabukicho.com/

Instagram:https://www.instagram.com/benten2025_kabukicho

【インタビュー】かわいく弾けて。coalowlの意外な素顔 – 前編 

イラストレーター、アニメーション作家として活躍するcoalowlさん。
TVアニメ『チェンソーマン』のEDアニメーション、PEOPLE1の『常夜燈』MV、カンロ発売のグミ「Marosh」パッケージイラストを手掛けるなど、第一線で活躍する中、これまで自身について語ることは無かったのだが…。

初の個展を開催するこのタイミングで、彼女の生の声を、知られざる創作の裏側を、独自取材することに成功!これまで歩んできた道のりから、数々の作品が生まれた背景、ハイクオリティなアニメーション、謎に包まれたcoalowlさんのインタビュー記事を前後編でお届けします。

『チェンソーマン』第4話ノンクレジットエンディング / CHAINSAW MAN #4 Ending│TOOBOE 「錠剤」

本日はよろしくお願いします。これまでインタビューは受けてこなかったとのことですが、今回はどうして受けて頂けたのでしょうか?

coalowl –  よろしくお願いします!今までアーティストさんや企業さんからのご依頼でアニメーションを作ることが多く、そうするとあくまでその中でどうやるかっていう感覚なんです。MVだったら曲のためだし、CMだったら商品のために作ります。 だから、「改めて私から積極的に何かを語るような感じでもないな」と思っていました。ただ今回は自分の名前を冠した初めての個展ということもあって、お受けしようかなと思いました!

貴重な機会をありがとうございます!

【MV】人ってただの筒じゃないですか / 月ノ美兎

オリジナルの『パワーパフガールズ』を描いていた幼少期

「かわいい」イラストが印象的ですが、それは昔からですか?

coalowl – そうです!幼い頃からそういう絵は多かったと思います。幼少期はひたすら『パワーパフガールズ』を描いていました。髪型を変えてみたり、服装を変えたりして、存在しない架空のキャラクターも自分で考えて描いていたのを覚えています。

描いたものは何かにアップしたり、人に見せたりはしていた?

coalowl – ネットの掲示板とかに上げていました。アップしたイラストを、色々な人がコメントとかで評価してくれるような掲示板があって。そういう場所があったおかげで楽しく絵を描き続けられたんだと思います。

高校では美術部に入るなどはしましたか?進路の話とかも出てくる段階だと思うのですが、将来について、例えば絵で食べていくイメージは持っていましたか?

coalowl – 高校は新体操をやりながらも、絵はずっと描いてました。でも、絵だけで食べていけるとは思っていなかったんです。本業にできたら嬉しいけど、無理だろうなと感じていたので、副業で絵を描けたらいいなと思っていました。

副業!初めから副業前提なのは珍しいですね。

coalowl – 確かにそうですね。だから、将来的に潰しがきくようにと思い、普通に勉強して大学受験しました。

AIM×coalowlコラボマウスパッド用イラスト「ピコピコパタパタ」

「かわいい」だけじゃない!スプラッターやホラー映画にどハマりした学生時代

大学でも変わらず絵は描き続けていましたか?

coalowl – そんなにガツガツ描いてはいなかったです。ちょっとだけ絵の仕事をしたりもしましたが、中高生の時の方が描いていました。大学では映画にハマって、いろんな映画を観ていました。『パルプ・フィクション』とか『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』とか、有名なところをネットで調べて。「死ぬまでに観たほうがいい映画」とかそういうのを検索して。あとは、なぜか刺激が欲しくて、『シャイニング』や『レクイエム・フォー・ドリーム』等の鬱映画やホラー映画を見まくる時期もありました!

そうしたインプットが、当時描くイラスト、アウトプットに影響しましたか?

coalowl – 意外としていないと思います。自分ではちょこちょこホラーっぽいイラストとかも描いてはいたのですが、何かに投稿したりはしませんでした。この時のインプットは、今MVを作るようになってから活きているかもしれません。

何を投稿するか、選ぶ基準はありましたか?

coalowl – 今もそうですが、クオリティの面で納得いっていないものは投稿しなかったです。あとは、「恥ずかしいか、恥ずかしくないか」が結構あったかもしれないです。血とか、グロい絵を描いていた時期があったんですけど、黒歴史を現在進行形で作っている自覚があったので、それはあげないようにしてました…!

血!?今の作風からすると全くイメージがないので意外ですね(笑)。

coalowl – アップしていたものは「かわいい」系が多かったです。でも、実はそういうのも結構好きでした!

ずとまよ×マロッシュコラボアニメーション

ちなみに、中高から比べて大学では絵を描くペースが落ちた理由はありますか?

coalowl – 中高で新体操をやっていて、それが本当にきつくて、辞めたくてしょうがなかったんです。周りの圧力で辞められなかったんですけど、その鬱屈とした感情を絵を描くことで発散させていたのかもしれないです。大学生になって新体操を辞められたので、抑え込められていたフラストレーションみたいなものは一旦なくなっていって、少しペースが落ちていった気がします。当時の感情は覚えてないですけど、今振り返るとそう思います。

「スペースシャワーTV STATION ID まちあわせ_ゆき編」

卒業後は何をされていましたか?

coalowl – 普通に就職しました。いわゆる事務的な仕事をしていたんですけど、忙しくてほとんど絵が描けなかったんです。 高校の時に考えていた、「副業として描こう」という考えが、その時点で実現できておらず、勇気はいりましたが会社を辞めることにしました。

「絵で食べていこう」と覚悟を決めた?

coalowl – 展望としては「絵を仕事にしたい」という想いはあるんですけど、退職する時点で目処が立っていたとかは全然なくて。「この先どうなるかわからないけど、とりあえず辞めよう!」という感じでした。

作品の「かわいい」イメージから反して、勢いで会社を退職したcoalowlさん。高校当時に思い描いていた、「副業として絵を描く」ことは叶わなかった。先行きが見えない中でも踏み出した一歩は、その先の未来にどのように通じるのか。
後編では、若くして経験した挫折から、“副業”どころかむしろ“本業”として活躍するイラストレーターcoalowlへと繋がる軌跡を紐解いていきます。開催間近の個展の裏話も登場します。お楽しみに!

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