表現者の政治的立場──分断する世界の「現在地点」

かつて「政治とエンタメは切り離すべき」と言われる時代があった。しかし2026年の今、そのものが揺らいでいる。政治について、社会について、声を上げること。そしてあえて沈黙を貫くこと。そのどちらもが観客やファンから「政治的な選択」として評価され、時に代償を伴う時代になった。国内外の事例から、その現在地点を追ってみたい。

ライブで憲法9条護憲を演出した小泉今日子と、政界入りした生稲晃子

小泉今日子は2026年5月2日・3日、還暦記念ライブ「KK60〜コイズミ記念館〜」の日本武道館2days公演で、開演前のDJタイムにミュージシャンの高木完が憲法9条の条文を朗読するリミックス音源を流すという演出を行った。

小泉今日子 – なんてったってアイドル (Live at 中野サンプラザホール 2022.3.21)

5月3日の憲法記念日に合わせた小泉自身の意図的な演出とみられ、客席には「戦争反対!! 平和な世界希望!!」と記された銀テープが撒かれた。

護憲派として知られる小泉個人の思想を反映した演出であり、これをめぐってネット上では「カッコよすぎて鳥肌たった」という熱烈な支持の声がある一方で、「小泉今日子ではなくキョンキョンを見たい」という複雑な反応、さらには「ただの公私混同」といった落胆の声も上がった。キョンキョンの愛称でアイドルとして一時代を築き、その後も俳優・歌手として最前線を行く小泉今日子だからこそ大きな話題を呼び、憲法改正に踏み切ろうとする現政権への政権批判とも重なった。

対照的な道を歩んだのが、おニャン子クラブの元メンバーである生稲晃子だ。2022年の参院選で自民党から出馬・当選し、2024年11月には第2次石破内閣で外務大臣政務官に起用された。実績を疑問視する声や、選挙時にNHKの候補者アンケートで無回答を連発したことへの批判は根強く残るが、その後もモンゴルやオーストラリア、東南アジア各国への外国訪問をこなし、外務政務官としての職務を継続している。

声を上げる小泉、当事者になった生稲──表現者の政治参加のあり方として、対照的な二つの軌跡がここにある。

国際協力・人道支援と平和構築について質問する生稲晃子。 / 生稲晃子公式サイトより

映画の領域では、より静かな形の異議申し立てが続く。

濱口竜介監督の新作『急に具合が悪くなる』は第79回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品され、主演の岡本多緒、ヴィルジニー・エフィラが最優秀女優賞を受賞するなど高く評価された。

がんを患う演出家と介護施設ディレクターの交流を描く本作は、生と死、ケアのあり方を静かに見つめる主人公たちの物語だ。ヴィルジニー演じるマリーは新しい認知症患者へのケアの手法を導入するために必要なコスト、それにかかるスタッフの負担、オーナーや出資者からのプレッシャーに悩み、行き詰まりを感じている。そこに、病に犯されつつある演出家、真理が現在の社会の枠組みではどうしても解決できないことを諭し、マリーを癒す。様々なシーンに散りばめられた丁寧な描写は、私たちが社会をどう考えていくべきなのかという示唆に富む。

映画『急に具合が悪くなる』90秒本予告

同様に、団塚唯我監督の長編デビュー作『見はらし世代』は、渋谷の再開発を背景に、都市の変化に取り残される家族10年の姿を描き、日本人史上最年少でカンヌ国際映画祭監督週間に選出された。

家庭という最小単位のコミュニティが崩れた一家の姿を、都市が更新され続ける中で取りこぼされた時間と感情として描いている。都市開発という社会構造の問題を、家族という小さな単位から読み解いていく手法は、身の回りに起こった出来事が、社会や政治という仕組みの中で繋がっていることを改めて痛感させられる。

監督自身の父親との関係性を元に制作された『見はらし世代』 / 『見はらし世代』公式サイトより

海外における対立と、ボイコットの連鎖

海外では、立場表明がより直接的に、そして組織的な行動へと発展している。

ビリー・アイリッシュは2026年11月、テスラの株主が承認した巨額報酬パッケージによって世界初の「兆万長者」に近づいたイーロン・マスクを、SNS上で痛烈な言葉で批判した。

アイリッシュはマスクを「哀れな臆病者」と評し、富を貯め込みながら人道支援に使わない姿勢を非難した。マスク自身がX上でアイリッシュのファンアカウントの投稿に反応し、彼女はあまり賢くないという趣旨の発言を返すと、以降も両者の応酬は続き、マスクは自身のAIチャットボット「Grok」にアイリッシュの矛盾を皮肉らせるといった攻撃まで行っている。

反骨のアイコンとしても評価されるアーティストのビリー・アイリッシュ。 / ビリー・アイリッシュ公式サイト

アイリッシュはこれ以前にも、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の授賞式でビリオネアに富の再分配を呼びかけるなど、一貫して経済的不平等を主要なテーマに掲げてきた活動家肌のアーティストであり、この対立は単発の炎上ではなく、両者の価値観の根本的な相違を映し出している。

最も劇的な展開を見せたのが、長年「政治的中立」を公言してきたエド・シーランをめぐる一件だ。

今年9月、自身のツアー「Loop Tour」の前座を務めていたラッパーのマクルモアが、ニュージャージー州メットライフ・スタジアムでの公演中に「Free Palestine」と訴え、抗議ソング「Hind’s Hall」を披露し、イスラエルによる攻撃を非難した。これを受け、NFLニューイングランド・ペイトリオッツのオーナーでもある富豪ロバート・クラフトらの圧力により、マクルモアは以降の公演のラインナップから外された。

シーランは「マクルモアの降板はプロモーターの決定であり自分のものではない」とインスタグラムで釈明したが、この対応が「中立」の仮面を被った事実上の加担だとして猛批判を招いた。シーランが自らの立場を守っていると主張する一方で、実際には親イスラエル派の富豪に自分の政治を代弁させているだけだと指摘する声も上がっている。

さらに事態は組織的な連鎖反応を生んだ。シーランの声明からわずか数時間後、前座を務めていたアイルランドのアーロン・ロウやベオガ、デンマークのルーカス・グラム、そしてビリー・アイリッシュの実兄で音楽的パートナーでもあるフィニアスが、相次いでツアーからの離脱を表明した。全ての前座出演予定者を含む4組がシーランのツアーから離脱したことになる。フィニアスはインスタグラムで「虐げられた人々のために声を上げるアーティストが、沈黙させられてはならない」と投稿した。

世界最高興行収入を誇り、1都市あたり平均700万ドル以上を売り上げる、スター中のスターのツアーが、政治的立場をめぐって瓦解しかけたのである。最終的にシーランは、9月20日のフィラデルフィア公演を前に「ガザの状況は正当化できない」と発言し、それまで貫いてきた沈黙を破らざるを得なくなった。

なぜ「中立」もまた、批判の対象になるのか

自身の経験から、移民や難民問題、ガザでの人道的停戦を訴えてきたデュア・リパ。 / 「Service95」より(「Service95」はデュア・リパが創設したグローバルなカルチャー・ライフスタイル系のエディトリアルメディア)

エド・シーランの一件を踏まえると「発言しない」という選択自体が、もはや中立ではいられなくなっているという現実が浮かび上がる。「政治的に中立であること自体が一つの政治的行為だ」という見方が、SNS時代のファンやファンダムの間で急速に説得力を持ち始めているからだ。日本でもサカナクションの山口一郎が自身のスタンスを表明した上で、「知識不足であることから政治的な作品を制作することは無い」と発言しており、中立の立場にも説明を求める声に対処した。

様々な要因が複雑に絡み合う中で、「発言すべきか、沈黙すべきか」はもはや個人の自由な選択ではなく、どの立場を取っても何らかの代償やリスクを伴う構造になりつつある。それが2026年現在、アーティストたちが置かれている現在地点だと言えそうだ。

EDIT: Ryo Hamada

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