【インタビュー】ドット絵から3Dへ。過渡期を知るゲームキャラクターデザイナー吉川達哉の創作論 – 前編

名作RPG『ブレス オブ ファイア』シリーズや、スタイリッシュアクションの金字塔『デビル メイ クライ 4』など、数々の作品で印象的なキャラクターを生み出してきたイラストレーター・キャラクターデザイナーの吉川達哉氏。
個展「Xv」の開催を控え、独立15周年という大きな節目を迎えた彼のキャリアは、日本のゲーム史における技術革新と重なりながら歩みを続けてきた。

1992年にカプコンへ入社し、ドット絵が主流だった2D時代から、画面の奥行きと立体感が求められる3Dポリゴン時代へ。解像度や、文字通り「次元」が激変する過渡期において、制作現場の最前線では一体何が起きていたのか。
インタビュー前編では、当事者である吉川氏にしか語り得ない大転換期の裏話から、制約の中で研ぎ澄まされたドット絵の美学、そして名作『ブレス オブ ファイアIV うつろわざるもの』で辿り着いたビジュアル表現の到達点について話を訊いた。

アクション全盛期に求めた「思考型ゲーム」の魅力

吉川さんがカプコンに入社されたのは1992年ですよね。当時は対戦型格闘ゲームの大ブームもあり、採用倍率も非常に高かった時期かと思います。最初からゲームのキャラクターデザイナーを目指されていたのでしょうか。

吉川 – そうですね。元々はグラフィックデザイナーという道も考えていて、漫画も好きでしたし、ゲームも日常的に遊んでいました。ただ、当時流行っていたアクションゲームや格闘ゲームよりは、横スクロールのシューティングや『ポピュラス』のようなシミュレーションゲーム、いわゆる少し大人しめでじっくり頭を使う「思考型」のゲームが好きだったんです。

そんな中でグラフィックデザインの仕事を探しつつ求人情報を見ていると、ゲーム業界の募集が目に入って。それなら「大阪で大きな会社を受けてみよう」と思ったのが、カプコンに応募したきっかけでした。

「雷音 弐」

学生時代やカプコンに入社される前後では、具体的にどのようなゲームで遊んでいましたか?

吉川 – 一番ハマっていたのは、先ほど名前を出した『ポピュラス』ですね。土地を整地して文明を発達させて、人間がどんどん増えていくようなシステムに夢中になりました。あとは、ファミコンのディスクシステムなどで展開されていた『フェアリーテイル』(発売日: 1989年4月28日 / 発売元: ソフトプロ)のようなファンタジックな世界観のシミュレーションや、後にスーパーファミコンで出た『伝説のオウガバトル』のようなシミュレーションもよく遊んでいました。

ドット絵から3D表現への大転換

吉川さんが入社された当時のゲーム開発は、ドット絵による2D表現が主流でした。そこから時代の変化とともに、表現の主流は3Dポリゴンへと移行していきます。この技術的な転換期の中、現場ではどのような変化があったのでしょうか。

吉川 – それはもう、「激変」という言葉では足りないくらいの衝撃でしたね。3Dへの移行によって、現場のドット絵職人の方々も技術や制作スタイルの変革を余儀なくされました。ただ、その感覚の違いがあまりにも大きすぎて、変化を受け入れられずに会社を離れていく方をたくさん見てきましたし、特に当時の若いスタッフの中には表現のギャップに耐え切れずに辞めてしまう人もいて…。現場に残った人たちも、長い間表現を模索しているような状況でした。

「RED & WHITE」

ドット絵と3D制作では、具体的にどういったことが変わるのでしょうか。

吉川 – まったく違う種類の作業の連続でした。ドット絵というのは、どれだけ解像度が低く色数に制限があろうと、本質的には手で絵を描く作業なんです。それは描く人の絵心やセンスに直結してきます。

一方で3Dの技術は、ツールを扱うための専門知識はもちろん、当時は少ないポリゴン数でいかにモデルを滑らかに見せ、プログラム上で動かすかという、まったく異なる思考回路が求められます。何の絵も貼られていないグレーの立体ポリゴンを作り、そこにテクスチャという2Dの画像を貼り付けていく。作業工程も思考も根本から違っていたので、当時の「絵を描く感覚」を重視するクリエイターたちにとっては、非常にストレスの大きい移行期間だったと思います。

吉川さんご自身は、その移行期をどのように乗り越えられたのですか?

吉川 – 僕自身は3Dという表現自体にそこまで抵抗はありませんでした。ただ、当時は会社からデザインや作画の面で大きく期待されていた時期でもあったので、3Dツールを極めるというよりは、新しい時代に合わせた「デザインの特化」へと舵を切っていったんです。

「1ドットの制約」が生んだメリハリの美学

「メイドの拳」

ドット絵の時代と3Dの時代では、キャラクターデザインの組み立て方や発想そのものも変わってくるのでしょうか。

吉川 – 仕上がりに対する想定が根本からまったく違います。ドット絵は解像度が極めて低いので、あらかじめ「ドットに変換したときにどう映るか」を先回りし、仕上がりを想定したデザインを仕込む必要がありました。

たとえば、キャラクターの腕にリストバンドや手袋を付けるデザインがあるとします。ドット絵の世界では、このパーツひとつがあるだけで手首と拳の境目が明確になり、キャラクターのシルエットやポーズにぐっとメリハリが出るんです。もしリストバンドがないと、画面上では手首から先が同じ肌色の塊として繋がって見えてしまう。ブラウン管モニターの滲みも考慮しながら、同系統の色が隣り合ってボケてしまわないよう、明確なコントラストを意識して衣装やパーツを配置していました。

ドット絵の制約そのものが、衣装やパーツといったキャラクターデザインの理由になっていたのですね。

吉川 – そうですね。コントラストをしっかりとつけて、メリハリを表現できるように想定をしておく。ただ、そればかりだと面白くないドットデザインになってしまうので、そこは難しいところ。逆に3Dポリゴンの場合だと、同系色のデザインが隣り合わせに配置されていても、うまく表現できたりするんです。

カプコンに受け継がれる「ドットの美学」と現代での新しい形

「赤鬼青鬼」

そうした制限の中での差別化や表現の追求は、クリエイター個人の工夫だったのでしょうか。それともカプコンとしてのノウハウがあったのですか?

吉川 – カプコン社内には、アーケード時代から活躍されていた安田朗さんをはじめとする偉大な先輩方が築き上げた、圧倒的なドット絵の研究成果とノウハウが共有されていました。現場のデザイナーさんの経験と知識だったり、顔の輪郭をいかに表現するか、といった細かいイメージも、共通認識として持っていました。「良いドット」を打てば、きちんと評価してもらえますから。

そうしたドット絵時代に培われた「引き算とメリハリ」の感覚は、表現が自由になった現代のクリエイティブにも活きていると感じますか?

吉川 – すごく活きていると感じます。特にデフォルメされたキャラクターやイラストを描くとき、パーツのバランスや密度のメリハリをどうつけるかという感覚は、まさにドット絵をデザインしていた頃の経験がベースになっています。

今ではインディーゲームを中心に、ドット絵は「制約ゆえの表現」ではなく、「その美しさや愛らしさを選んで使う手法」として再評価されていますよね。道具や技術が変わっても、限られた要素の中でキャラクターの個性を最大限に引き出すという哲学は、今も僕の中で生き続けています。

安田朗氏からの助言______『ブレス オブ ファイアIII』で叩き込まれたプロのボーダーライン

カプコン時代、『ブレス オブ ファイア』シリーズなどの名作を手がけられた吉川さんですが、シリーズを追っていくと『III』から『IV』にかけて描き方や絵柄が劇的に変化しているのが分かります。まず『III』の制作期には、どのような変化があったのでしょうか。

吉川 – 『ブレス オブ ファイアIII』を制作していた頃、当時社内で絶大な信頼を集めていた安田朗さんから、プロとしての「絵の価値」について教えをいただく機会があったんです。

「お客さんがお金を払って買うレベルに達する絵には、こういうボーダーラインがあるんだよ」と。これについて話すには、それだけで何時間もかかってしまいますね(笑)。簡単に説明すると、人体の骨格構造やデッサン力を根本から徹底して理解し、違和感のない佇まいを描けているかといった、クリエイターとしての基礎姿勢について深く教えていただきました。

「RED」

安田さんからの教えは、クリエイターとしての吉川さんにどのような影響を与えましたか?

吉川 – 自分の描き方や意識がガラッと変わるほどの衝撃でしたね。言われたことを消化し、再現しようと必死に挑戦した期間は、自分の成長を感じられて嬉しい反面、プロの壁の高さを思い知らされる非常に苦しい時期でもありました。

でも、その壁を乗り越えたことで自分の描く絵の説得力が一段上がったと実感できたし、何よりカプコンにおける安田さんのデザインに対する信頼は絶対的でした。だからこそ、続く『IV』ではその教えと信頼を後ろ盾にしつつ、自分のやりたいビジュアル表現を徹底的に押し込むことができたんです。

ディレクターとの雑談から立ち上がった『ブレス オブ ファイアIV』の世界観

そうして迎えた『ブレス オブ ファイアIV うつろわざるもの』ですが、先にストーリーや簡単な絵コンテがあってデザインを起こすのか、あるいは同時並行だったのか、どのようなプロセスでキャラクターデザインや世界観の構築が始まっていくのでしょうか。

吉川 – 『ブレス オブ ファイアIV うつろわざるもの』のときは、ストーリーが細部まで決まり切っていない早期の段階から動き出していました。同期のディレクターと雑談を交わしながら、「こういう世界観はどうだろう」とアイデアを出し合い、僕が自由にラフイラストを描いたり、ドット絵の表現方法を実験したりする模索の期間をしっかりいただいたんです。

当時描いたアイデア段階のラフや構想段階のスケッチは、後に資料集などにもたくさん収録されています。テキストによる設定資料や絵コンテを渡されて描くというよりは、開発の初期段階からビジュアル主導で世界観を膨らませていくようなアプローチでしたね。

時代への抗いと、トータルデザインで掴んだ集大成

「MELTED RED」

『ブレス オブ ファイアIV うつろわざるもの』は、今なおゲームファンから「グラフィックと世界観の完成度が極めて高い作品」として高く評価されています。トータルデザインを統一するために、現場でどのような工夫をされていたのですか?

吉川 – この作品に関しては、ドット絵の表現手法や色使い、画面内での映え方に確信が持てるまで、僕ひとりで事前に研究を重ねていました。その研究結果をベースに、「このドット表現で統一しよう」と現場へ提案したんです。

さらに、キャラクターだけでなく背景美術の担当の方とも綿密にコミュニケーションを取り、「こういう色合いで世界観をまとめたい」というイメージを共有しました。その意図を見事に汲み取って再現してくれたおかげで、作品全体のトーンに強い統一感を生み出すことができたのだと思います。ひとりの人間がブレずにビジュアルの芯を通せる環境があったからこそ、あそこまでのビジュアル表現が実現できたのかなと。

当時のゲーム業界はまさに3Dへの過渡期でしたが、そうしたテクノロジーの潮流との葛藤はありましたか?

吉川 – 時代としては会社からも「3D技術を取り入れろ」という強い要求がありました。実際『ブレス オブ ファイアIV うつろわざるもの』でも、背景や一部の大型ボスなどには3Dポリゴンを採用していました。

ですが、個人的な理想を言えば、背景もすべて含めてフルドットの作品として仕上げたかったんです。それができれば、カプコンにおける「ドット絵技術のひとつの到達点・集大成」として綺麗な区切りをつけられたのではないか、という思いもありました。時代の波には抗えませんでしたが、あの制限の中で突き詰めた表現とトータルデザインの追求は、今振り返っても自信を持って「美しかった」と言える成果だったと思っています。

『ブレス オブ ファイアIV うつろわざるもの』でドット絵表現のひとつの到達点を見た吉川氏。それでも早過ぎる時代の流れは、「完全3Dポリゴン」という新たな表現へと突き進んでいく。
後編では、シリーズ5作目『ブレス オブ ファイアV ドラゴンクォーター』での完全3D化がもたらした空間演出の革新、3Dゆえに突きつけられる「情報密度」の恐怖、そして独立15周年を迎えた現在の一枚絵への挑戦を訊いた。どれだけ時代が変わろうとも、決して揺るがない「良いキャラクター」とは__________。
後編に続く。

吉川達哉個展 |Xv – Tatsuya Yoshikawa Art Exhibition

・会期:2026年10月16日(金)〜10月19日(月)
・営業時間:11:00〜21:00 ※初日のみ16時開場
・会場:GAAAT GALLERY(〒150-0001 東京都渋谷区神宮前六丁目20番10号MIYASHITA PARK South 3階)
・公式サイト:https://gallery.gaaat.com/pages/tatsuya-yoshikawa

EDIT: Ryo Kobayashi

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