あなたは、自分の作った作品が痛んでしまったらどうするだろうか?
美術作品の修復師がいるように、美術の世界では、作品そのものはなるべくオリジナルの物的要素を留めておくことが重要だ。
たとえばモネの絵画をモネ自身が完璧に描き直したところで、それはオリジナルのコピーにすぎない。
一方で、痛んだ作品が丸ごと別物にすり替えられた事件がある。
すり替えられた作品の名前は「生者の心における死の物理的不可能性」。巨大なガラスケースの中に、約4メートルの本物のサメの死骸をホルマリン漬けにした作品で、イギリスの美術作家ダミアン・ハーストによって1991年に制作された。

ハーストは1990年代のイギリス・アートシーン(YBA)を席巻し、いまなお現代美術の最先端を走り続ける業界の重要人物だ。彼の作品は、主に生や死といった人間社会の概念や、美術界の常識といったものをテーマとしており、よく物議を醸すことで知られている。
例えば彼は、孵化したハエが駆除器で次々と殺されていく作品「1000年」を1990年に制作しているのだが、この作品をめぐってはたびたび動物愛護団体から抗議を受けている。
彼にとってこうした物議は作品を社会と繋げるための戦略なのだが、今回紹介する事件は、彼の予期していない事態であった。
「生者の心における死の物理的不可能性」は、制作当初の防腐処理が不完全だったため、歳月が経つとともに中のサメが腐ってしまい、ホルマリン液も濁ってしまっていた。こうした事態にハーストは、2006年に中のサメを丸ごと新しいものにすり替え、オリジナルの作品として展示し続けたのだ。
この事実に、一部から批判が上がった。いくら似たサイズのサメを用意したところで、物理的にはまったくの別作品になってしまうはずではないかという批判があったのだ。
しかし、作品のオリジナリティを追及されたハーストは、次のように弁明した。これはコンセプチュアル・アートであり、物理的な要素が変わろうと、コンセプト自体が変わらないのだから何の問題もない、と。

タイトルが示す通り、この作品は生きている私たちが、死という概念をいかに物理的に実感で̇き̇な̇い̇か̇を提示したものだ。目の前にいる死んだサメを通して、僕らは「死」をただの概念としてしか理解できない現実を突きつけられる。
一方で、水槽の中で大きく口を開け、まるで生きているかのような姿を留めたサメの巨大さや力強さに、観る者は圧倒されてしまうだろう。だがハーストに言わせれば、その生きているかのようなリアリティは単なる僕らの概念に過ぎない。強烈な視覚的リアリティと、捉えきれない概念上の「死」。どちらも触れられない極限の狭間で揺さぶられることで、僕らは図らずも生と死の迷路へと引きずり込まれていく。
アートとは何か、生命とは何か。ハーストは世間を巻き込むスキャンダルをも作品に取り込みながら、今日も僕たちの概念や美術の常識を激しく揺さぶり続けている。