【「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」スペシャル対談第一弾】Mika Pikazo × 青松輝が語る、創作と感情の距離 – 後編

日本を代表するイラストレーターでありアートディレクターのMika Pikazo。彼女がクリエイティブディレクションを務める「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」が、角川武蔵野ミュージアムで開催されている。

「短歌×イラスト」という異色な掛け算に加え、総勢50名もの作家が一堂に介した大規模展覧会。既に会場に行った人はもちろん、これからの人も、足踏みしている人も、これを読めば、きっともっと、展示が楽しくなるはず。

前編に引き続き、今話題のYouTuberベテランちとしての顔を持ちながら、現代短歌の旗手として活躍する歌人・青松輝×Mika Pikazoによる対談の後編を、展示会場の様子と共にお届け。

Mika Pikazo / 「愛、恐れ」

「もめている状態」こそが、最も信頼できる

青松輝

青松 – 僕は「良い感情」も薄いタイプなので、それを表現して誰かと繋がってしまうことに、ある種の怖さを感じることがあります。自分の「楽しい」という純度を正しく共有できる自信がない。だからこそ、マイナスなことや暗いことを書く方がしっくりくるんです。

Mika – それは、純度が下がってしまうのが嫌だからですか?

青松 – うーん、「魂が通じ合う」みたいなことは、後から嘘になる可能性があるじゃないですか。それは愛なのか、友情なのかわかりませんが…。でも、「分かり合えていない」、「もめている」という状態は、絶対に動かない事実ですよね。殴り合いをしていれば、それはもうマイナスで確定というか。そっちの方が、僕にとっては嘘がない、誠実なものに感じられるんです。

Mika – 面白い……! つまり、「喧嘩している」という揺るぎない前提があるからこそ、逆に安心して対話ができる、みたいな。

青松 – そうです。憎しみや嫌悪って、自分に嘘をついてまで抱く必要がないものなので。自分にとっても他人にとっても、一番信じられる状態なんじゃないかと思っています。

それは、誰かと信頼し合った後に「裏切られる」のが怖い、という意味も含まれますか?

青松 – 裏切られるのが怖いというより、「裏切ったと思わせる」のが怖いのかもしれません。一種の期待値コントロールですね。最初から嫌なことを書くことで、自分を「加害者」のポジションに置いておく。

加害者になることで、自分を守っている?

青松 – 「僕はこういう嫌な面がある人間ですよ」と先に納得させておくことで、後から「実はヤバい奴だった」と思われるリスクを減らしたいというか。だから、しんどい思いをしながらも明るい作品を描き続けているMikaさんは、本当に偉いなと尊敬します。

Mika – 私は逆に、青松さんのように敢えて「嫌なこと」を言える人はすごいなと思います。私はどこかで「良い人」ぶりたいわけではないけれど、嫌味を言うのが怖くて。

青松 – 毒にまみれるのが怖い、ということですか。

Mika – そうなんです。言い返したいことがあっても、それを言葉にすることで自分自身が毒に侵されていくような気がして。だからこそ、SNSなどで言い返せなかった悔しさを吐露している人を見ると、「意図的に毒を扱える人」への憧れのようなものを感じますね。

作品の落̇と̇し̇所̇

CHAPTER 4「複雑な感情」の様子

Mika – 私は結構完璧主義なところがあって、完成までの30〜70%の状態でずっと悩んでしまうんです。色々な感情が渦巻きながらも、最後は結局勢いで突っ切っていくことになるんですけど、青松さんは短歌を詠む時はどこまで突き詰めますか?

青松 – 完璧主義の中でも、減点方式に近いかもしれないです。ただ、それだときりがないことももちろんあります。そういう時はあとで見返して、「ぬるさ」があるかを考えます。自分の中で「ぬるい」と思ったら、その部分を変えていく。それを繰り返して、ギリギリ許せるな、というところでリリースしています。作品自体がぬるいかどうかだけではなくて、自分がその作品を書いて発表した、そのこと自体がぬるいかどうかという感覚もあります。

Mika – わかります。それを出しちゃっていいのか、みたいな。

青松 – 逆に言うと、アウトプットしたものが客観的に見てぬるかったとしても、自分の中で冒険している部分とか、新たに発見した部分があれば、それは許せるんです。

Mika – 甘えと言うか、手癖と言うか…。それを出してしまうと、むしろ自分にダメージが返ってくるような感じがしますよね。自分自身を責めてしまう。

青松 – 短歌を書いてない人からすると一見凄く思えるようなテクニックというか、キャッチーでわかりやすいものを出したとしても、自分の中では他のやり方が出来るから、やる意味がないから辞める、みたいなこともあります。

Mika – 凄くわかります…!私もそうなった時は辞めますね。「同じじゃん、これ」みたいな。

ひとつの歌が示す分岐点

CHAPTER 2「時代を越える感情」の様子

今日(けふ)もまたぴあのの下にうづくまり人を憎めり汗かきながら

現代語訳
今日もまたピアノの下にうずくまるようにして、身体一杯、心一杯に人を憎む。汗をかきながら。

今回の展示区画のひとつである「時代を越える感情」では、近代短歌に対して現代の歌人が返歌する試みがあります。青松さんは上の岡本かの子さんの歌への返歌として、次のように詠んでいます。

ピアノから音が鳴るのはそのピアノがきみを拒んでいるから さっど

この2つの歌を見た時、Mikaさんはどのように感じましたか?

Mika – 岡本かの子さんのこの歌を見た時に、 私は、ピアノと自分が「一心同体」のようなイメージを持ちました。何か嫌なことがあって、自分の一部なのか、唯一の拠り所なのか、ピアノの下に潜り込む様子。ピアノが心の安定剤であり、救いであるようなイメージです。だから、青松さんが「ピアノが拒んでいる」という“拒絶”のニュアンスで解釈されたのが衝撃でした。

青松 – 僕はむしろ、「ピアノ大好きっ子」のようなイメージは全然していなかったです。以前ピアノをゴキブリに例えたことがあって。グランドピアノの蓋を開けた時の姿や、内側の構造、黒光りした直線的な感じが、ゴキブリの持つ無機質さや羽を開いた時の内側が見える生々しさに似ている気がするんです。嫌いなものの隣って、あんまり落ち着かないですよね(笑)。それが拒絶のニュアンスに繋がったんだと思います。

Mika – 一つの歌でも、これほど解釈が変わってくるのは本当に面白いですね。青松さんは、人生の経歴だけでなく考え方の根本が私と違っていて、まったく想像してない答えが返ってくる。

青松 – 本当にそうですね。

「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」が、角川武蔵野ミュージアムで絶賛開催中

「感情」という同じテーマを扱いながら、自らを作品に没入させるMika Pikazoと、精巧な装置として「感情」を設計したり発見していく青松輝。手法や言葉は違えど、二人の言葉の端々からは「表現」に対する誠実さと、底知れぬ熱量が伝わってくる。短歌とイラスト。一見なんの関わりもない2つの表現領域・様々な作家の「感情」が交差する「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」は、3月29日まで。

ぜひ会場に足を運んで、揺れる自分の“感情”を見つけにいこう。

「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」

会期:2026年2月13日~2026年3月29日
会場:角川武蔵野ミュージアム
アドレス:埼玉県所沢市東所沢和田3丁目31−3 ところざわサクラタウン
休廊:火曜
開館時間:10:00~18:00(最終入館:17:30)
※休館日、営業時間は変更となる場合があります。最新情報は公式HPよりご確認ください。
公式サイト:https://kadcul.com/event/251

EDIT: Ryo Kobayashi

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