プリクラはなぜ消えなかったのか? “盛る文化”の30年史から読み解く日本の自己表現

「どのポーズにする?」と相談し、カーテンを閉めて、機械の音声に合わせ「3、2、1」で慌ててピースサインを作る瞬間。撮影後の小さな落書きスペースに友達と詰め込まれて、時間切れの焦りの中でペンを取り合う。

プリクラは、日本人にとってあまりにも当たり前の存在になっている。しかし世界的に見ると、これほど長期間にわたって独自の進化を遂げた写真文化は極めて特殊だ。フォトブース自体は世界中にあるのに、プリクラのような文化はなぜ日本にしか生まれなかったのか。その歴史を辿ることは、日本の若者文化そのものを読み解くことでもある。

1995年、ゲームセンターから始まった「友達と撮る」体験

プリクラが生まれたのは1995年。ゲーム会社・アトラスとセガが共同開発し、ゲームセンターに登場した「プリント倶楽部」が原点だ。当初のコンセプトはシンプルで、写真を撮ってシール状のプリントを持ち帰るというものだった。

しかし、想定外だったのはその「使われ方」。プリクラはゲームと違って、本質的に複数人の体験だった。狭いブースに友達と身を寄せ合い、ポーズに悩み、できあがったシートをハサミで切り分ける。写真そのものよりも、「撮る」という行為と、その後の「分け合う」時間こそが目的化していった。

90年代後半には「プリクラ帳」という文化が定着する。専用のノートにプリクラを貼り、友達同士で交換し合う。SNSが存在しない時代に、すでに自分の人間関係を可視化し、物理的に「シェア」する文化が生まれていたのだ。

ギャル文化とともに進化した2000年代

「姫と小悪魔」落書きイメージ / PR TIMESより

2000年代、プリクラに大きな転換点が訪れる。「落書き機能」の登場だ。

撮影後にタッチペンで写真に直接書き込めるようになり、ハートやキラキラ、太めの手書き文字、その日だけの内輪ネタが1枚に詰め込まれていく。

この時代はギャル文化の全盛期。派手なメイクや盛りだくさんのファッションと同じように、「とにかく盛る、とにかく詰め込む」というエネルギーが、プリクラの装飾文化とぴったり噛み合った。プリクラはギャルたちにとって、自分を演出するための最高のステージとなっていく。

平成には、ガラケーの待ち受けをプリクラが彩っていた ※画像はイメージです

同時期、日本ではガラケー(折りたたみ式携帯電話)が急速に普及。プリクラ機はこれにすぐに対応し、撮影画像を携帯の待ち受け画面に設定できるようになった。「友達とのプリクラを待ち受けにする」のは、ちょっとした関係性のステータスでもあった。

この時代に定着したもうひとつの変化が「美肌補正」と「目の拡大」機能。プリクラはもはや現実の自分を記録するツールではなく、理想の自分を作り出す装置へと進化していった。

「盛る」が技術になった2010年代

「盛る」という言葉が広く使われるようになったのが、この時代だ。より大きな目、より滑らかな肌、より小さな顔。プリクラメーカーはこれをエンターテインメントとして洗練させ続けた。

2010年代中盤には、リアルタイムの顔認識技術や、映画セットのような照明システムを備えた機種も登場。完成した写真はほとんどアニメのキャラクターのようで、「これ誰?」と自分でツッコミたくなるくらいの仕上がりになることも珍しくなかった。それでも「盛れていない」プリクラの方が、なんだか物足りなく感じる。

ちょうど同じ頃、インスタグラムが世界的に広まり、「自己演出」「フィルター加工」「友達とのシェア」がSNSの文法として定着していく。しかし日本の若者たちは、その何年も前からプリクラを通して同じことを実践していた。プリクラはSNSに追いついたのではなく、その原型をずっと先に生きていたのだ。

“逆輸入” された韓国の「盛らないプリクラ」

韓国フォトブース / Klook公式ブログより

実は、韓国プリクラのルーツも日本にあるという。1998年、日本のプリクラ機が韓国に持ち込まれ、「스티커사진(ステッカー写真)」として若者の間に広まった。その後、2017年に誕生した「인생네컷(人生4カット)」は、10枚ほど連続で撮った中から4枚を選び、1枚のコラージュとして印刷するスタイル。顔をほとんど盛らないのが最大の特徴で、目を大きくしたり顔を小さくしたりする加工は基本的にない。日本から伝わった文化が韓国で独自に育ち、「盛らない」という新しい価値観を獲得して、2020年頃から新大久保や渋谷などを中心に今度は日本へと “逆輸入” されている。

加工で盛らない代わりに、韓国スタイルのフォトブースには、カチューシャや被りもの、ぬいぐるみ、サングラスといった小物が無料でずらりと用意されている。そして壁には、過去にそこを訪れた人たちのプリクラが1枚ずつ貼られていて、自分も撮った1枚をそこに残していく。誰かの記録が積み重なった空間に、自分の1枚もまた加わっていく。この感覚は、日本のプリクラにはあまりない体験だ。

推し活としてのプリクラ

そして現在のプリクラ文化を語る上で欠かせないのが、推し活との接続。好きなアイドルやキャラクターを応援する推し活では、チェキ、アクリルスタンド、トレカなど、「物として手元に残す」体験が重視される。プリクラもまた、その欲求と深いところで重なっている。

フリューは2023年、推し活専用プリ機「Luvholi」をリリース。「推しごと撮影」モードでは、うちわやアクスタなどの推しグッズを「無加工エリア」に配置することで、自分の顔は盛りながら推しのビジュアルはそのまま残すことができる。推し色に合わせて50色以上から選べるペンカラー、うちわ文字風フォントスタンプなど、オタクのニーズをピンポイントで突いた設計に「神機能」と称賛の声が集まった。

『GIMMI』『totolu』の「LE SSERAFIM」との期間限定イベント / PR TIMESより

さらに一歩進んだのが、K-POPグループとのコラボだ。セガの機種では2025年4月、「LE SSERAFIM(ルセラフィム)」との期間限定イベントを開催。メンバーとのツーショット撮影が体験できる26種のフレームが用意され、BGMとして楽曲も流れるという本格的な推し体験を提供した。「アイドルと一緒にプリクラを撮る」という、かつてはファンの夢物語でしかなかったことが、現実のものになったのだ。

プリクラ自身が「思い出」になっていく

30周年特別企画「DEAR 令和&平成 ウチらの伝説プリ」 / PR TIMESより

プリクラが30周年を迎えた2025年、フリューはひとつの興味深い企画を実施した。「DEAR 令和&平成 ウチらの伝説プリ」と名付けられたこの企画では、平成時代に一時代を築いた「姫と小悪魔(2006年)」や「LADY BY TOKYO(2011年)」、そして令和の「Melulu(2019年)」といった”伝説のプリ機”の写り・落書き・デザイン・BGMを、最新機種「Bloomit」上で当時の雰囲気のまま再現するというものだ。さらに、平成女児に絶大な人気を誇ったキャラクター「一期一会」とのコラボも実施され、プリをテーマにした描き下ろしデザインが追加された。

すでに実施期間は終了しているが、こうした企画が成立すること自体が面白い。かつて「最新」だったプリクラの加工スタイルやBGMが、今では懐かしさとともに振り返られる対象になっている。「あの頃よく行った機種」「あの加工感、見覚えがある」という感覚は、もはや世代を区切る共通言語のひとつだ。

なぜ、プリクラは消えなかったのか

写真を撮れるブースは世界中にある。しかしプリクラ文化がここまで深く根付いたのは日本だけだ。

スマホでいくらでも写真が撮れる時代になっても、プリクラを撮りに行く人は減らない。それは、プリクラが単に写真を撮る機械ではなく、「誰かと一緒にいた時間」を形にする機械だからだ。技術は95年から今までずっと進化し続けてきたけれど、その根っこにある役割は、ずっと変わっていない。

プリクラ帳を見返したとき、加工技術の進化よりも先に思い出すのは、きっと「その時、誰と何を話していたか」だろう。プリクラが30年間消えなかった理由は、そこにある。

EDIT: Shimako Otake

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