「TATTOO/タトゥー」 力の表象から、自己表現のデザインへ

タトゥーは怖い。はどうして生まれた?

タトゥー/刺青。それはかつてタブーの象徴であった。今でこそ街を歩けば、小さなワンポイントから腕いっぱいの和彫りまで、タトゥーを入れた人とすれ違う。パリやロンドンで開催されるラグジュアリーブランドのコレクションでは、ランウェイを墨で覆ったモデルが登場し、海外の有名なラッパーやアスリートがタトゥーアーティストを目指して来日している。SNSを開けば、有名人たちが誇らしげにタトゥーを見せている投稿が並ぶ。

その一方で、日本の温泉やプールでは今も「タトゥーお断り」と書かれた張り紙をよく見る。同じ絵柄、同じ肌の上の表現でありながら、ある場所では「アート」として称賛され、別の場所では入場を拒否される理由になる。この差は、いったいどこから生まれたのだろうか。

欧米の多くの国では、タトゥーはすでに一般的なファッションのひとつとして日常に溶け込んでおり、俳優やアスリート、政治家に近い立場の人物でさえ隠さず身につけている。「タトゥー=反社会的」という結びつきは、実は世界共通の価値観ではなく、日本という特定の社会が近代以降につくり上げてきた、比較的新しい感覚だとも言われている。

ファッション感覚でタトゥーを彫る人も。

世界を魅了する「WABORI」の国・ニッポン

日本における刺青の文化を紐解くためには歴史を遡る必要がある。日本は、世界でも類を見ないほど刺青文化が根付いている国だ。古代の遺跡からは身体装飾を表している可能性が指摘されている土偶や埴輪が見つかっており、こうした風習は少なくとも数千年単位の時間をかけて日本列島に根づいていることが分かっている。

その文化がひとつの頂点を迎えたのが、江戸時代だ。様々な大衆文化が花開いたこの時代、刺青は浮世絵文化と強く結びつきながら独自の発展を遂げた。歌舞伎役者や火消し、飛脚といった当時のトレンド最先端を行く”粋”な職業の人々の間で、身体そのものを装飾する文化が流行し、彫師という専門職人が生まれた。

彼らは浮世絵の版木を彫る技術や描線の美意識を、そのまま凹凸のある肌の上に応用し、単色の線画ではなく、陰影とグラデーションを持つ立体的な絵画を人体に描き出していった。これが今日「和彫り/WABORI」と呼ばれるスタイルの原型である。

海外からも注目される『文身 彫斎』の和彫り。/ 公式サイトより

この職人的な精緻さは、開国後、日本を訪れた異国人たちを驚かせた。彼らは母国に戻ると自らの肌に刻まれた和彫りを誇らしげに披露したんだとか。現在、世界中のタトゥーアーティストが日本を「聖地」として捉え、修行のために来日するのは、こうした背景が影響しているのかもしれない。海外の彫師たちからは「日本の和彫りは世界で最も美しいスタイルのひとつ」と評されることも多く、輪郭線の太さ、色の重ね方、身体の曲面を活かした構図の取り方は、今も国際的な教科書のような扱いを受けている。

これほど豊かな文化的土壌を持ちながら、なぜ日本国内では刺青がネガティブなイメージと結びついてしまったのか。その転換点は、明治維新にある。

タトゥー=ネガティブへの転換点

近代国家としての体裁を整えようとした明治政府は、西洋列強に文明国家として認められたいという外交的事情も背景にあり、刺青を野蛮な風習とみなして禁止した。その頃すでに海外では和彫りが芸術として評価され始めていたにもかかわらず、当の日本では法的にも社会的にも刺青は日陰の存在へと追いやられていった。

戦後になると、この禁止令自体は解かれるものの、今度は暴力団文化との結びつきが刺青のイメージを決定的に方向づける。組織の一員であることの証として全身に和彫りを入れる文化が広まったことで、「刺青=暴力団」という刷り込みがメディアを通じて社会に広がっていった。ニュースやドラマ、映画の中で繰り返し描かれる刺青と暴力団との結びつきは、世代を超えて定着していった。

ストリートで生み出されたクールなタトゥーカルチャー

長らく「怖いもの」として封じ込められてきたタトゥーのイメージが揺らぎ始めるのは、1990年代以降のことだ。海外から流入したヒップホップやパンク、スケートカルチャーは、体制への反抗や自己表現を核とする価値観とともに、タトゥーという身体装飾のスタイルも同時に持ち込んだ。海外のミュージシャンやアスリートが当たり前のようにタトゥーを見せる姿は、日本の若者たちにとって刺青のイメージを相対化するきっかけとなっていく。

さらに2010年代以降、InstagramやTikTokといったSNSの普及が、この価値観の変化を決定的に後押しした。海外セレブリティのタトゥーが日常的にタイムラインへ流れ込み、国境を越えたセンスがリアルタイムで共有されるようになったことで、タトゥーはよりファッショナブルな役割にイメージが転換されていく。

カルト的な人気を誇る西本氏。田代まさしらとのコラボ商品でも話題を呼んだ。

この変化を象徴する存在のひとつが西本克利だ。彼がブランドディレクターを務める「NISHIMOTO IS THE MOUTH」は、架空のカルトクラブという世界観がコンセプトのブランドで、海外のセレブリティが着用したことをきっかけに一気に知名度を高めた。全身を覆うタトゥーそのものがブランドの”顔”となり、ミステリアスな世界観とともにSNS上で拡散されていった。

こうした潮流の中で、タトゥーアーティストという職業そのものへの見方も変わりつつある。かつて「彫師」といえば伝統的な和彫りの世界に閉じた存在だったが、現在では和彫りの技術を軸にしながら、国内外の芸能人やミュージシャンを顧客に持つアーティストが数多く登場している。彼らの手がけるデザインは、日本の伝統的なモチーフと海外のスタイルを融合させたものも多い。

こうしたアーティストたちは、身体をキャンバスとする「彫り師」というクリエイターとして評価されている。絵を描くのと同じように構図を練り、クライアントの体格や動きに合わせてデザインを設計していく。独自のキャラクターやモチーフなども扱って消えることのない一生ものの表現を身体に描き出す。

オリジナルの天使モチーフが人気のtappei。アーティストとしてグラフィックやイラストも手がける。

原宿のタトゥースタジオ「TATTOO STUDIO YAMADA」を運営する山田蓮。ストリートグラフィティと和彫りのテイストが交錯する。

タトゥーを入れるかどうかは人それぞれだ。しかし、その背景にある歴史や文化を知ることで、「怖いもの」「悪いもの」という単純なイメージだけでは語れない世界が見えてくる。日本が育んできた和彫りの美意識と、ストリートカルチャーが生み出した自由な表現。その二つが交わる今、タトゥーはあらためて「身体に描くアート」として、新しい時代を迎えようとしているのかもしれない。

EDIT: Ryo Hamada

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