【インタビュー】ハレルヤ!ロンザエモンが絶望を乗り越えた先の景色 – 前編

ある歌の中で、「あと一歩だけ前に進もう」という歌詞がある。あと一歩、あと一歩。どれだけ進めばいいのだろう。先の未来が真っ暗に見えて、それでも日々を生きなくてはいけない。

「僕、自分の人生を振り返って、思ったようにうまくいったことが二十代の前半は本当になくて。」

今やSNSで絶大な人気を誇るイラストレーター・ロンザエモンが振り返る壮絶な過去。頑張っても報われない世の中で、それでも闘う全ての人へ送る____________。

人気漫画に夢中だった島の少年

絵を描き始めた時のことを教えて下さい。

ロンザエモン – 1990年生まれで、描き始めたのが96年頃。デジタルで描くなんて情報はまだない時代でした。クレヨンと色鉛筆、ノートがあれば十分で、とにかく『ポケモン』や『ドラゴンボール』、『SLAM DUNK』、『NARUTO』など、見よう見まねで色々描いていたと思います。

生まれ育った奄美大島の風景を描いたりも?

ロンザエモン – そうですね。ただ、当時は特別なものとは思っていなくて。街中にはハイビスカスが普通に生えていたし、よく捕まえていた黄緑色のトカゲなんて、島を出たら高い値段で売られていて驚きました(笑)。大人になって後から思い返すと、ジブリの世界みたいな場所に住んでいたんだなって思います(笑)。

島にいながら、ジャンプを教科書にして

ふと目が合う

中学生頃から漫画家を目指し始めたそうですね。

ロンザエモン – その頃には、ノートにコマ割りして描き始めていました。で、「ジャンプ」の本編ももちろん読むんですけど、毎月の受賞ページをかじりつくように見ていました。受賞者の年齢と作品内容まで全部追って、何ヶ月後かに雑誌に読み切りで載ってくるのを名前まで覚えて「あ、この前のだ」って勝手に認識したりして(笑)。

完全に独学で、ジャンプが教科書だったんですね。

ロンザエモン – 高校の最後には原稿用紙とインクを買ってきて、一話丸々描いたりしていました。ちょうどある先生がジャンプ誌上でアシスタントを募集していたんですけど、奄美在住なのに応募しちゃって。「来年島から出ます」って書き添えて(笑)。高校卒業まで島から出ていないので、井の中の蛙というか、周りよりちょっと上手かもって思いながら描き続けていました。

夢を阻んだ、突然のリストラ

トライ&エラー

漫画家を目指すにあたって、進路はどのように考えていましたか?

ロンザエモン – 本当は進学して、同じように描いてる人たちと関われるようなところに進みたかったんです。地元では進学校だったので、同級生の大半は大学か専門学校に行くんですけど、家庭の事情で進学できないということになってしまって…。それが最初の大きな転換点でした。

お父様のリストラですね。

ロンザエモン – そう、会社が買収されてしまったんです。それもあって、周りが進学する中自分だけ就職して、しかも島に1年残ることになって。その時は相当メンタルにきていました。同級生がそれぞれの道に進んでいく中で、自分だけ取り残されたような感覚。進学できていたら、もっと違った未来があったかもな、という気持ちはずっとあります。

その後、島を出てからはどのようなことを?

ロンザエモン – 鹿児島のプログラム系の会社に入ったんですけど、全然合わなくて半年くらいで辞めちゃって。それで福岡に一番仲良い子がいたんで、そこに転がり込みました。バイトしながらもう一度漫画を描こうと半年かけて一話描き上げて、福岡でジャンプの編集者が見てくれる機会に持ち込んだんです。

満を持していざ、ジャンプへ

棘を抜いていく

ロンザエモン – 相当な時間をかけて、当時の自分の全てを注ぎ込むような渾身の作品を持っていったんです。島にいた時から絵だけは褒められてきたし、それなりに自信もありました。ところが、返ってきた言葉は、いわゆる「ボツ」。島を出てから2年半ぐらい経っていたので、結構がっつり心折られました。

その頃、どれくらいのペースで描いていたんですか?

ロンザエモン – コンビニで8時間働いて、家に帰ってきたら寝るギリギリまで描く。45ページの原稿を一人で、背景もキャラクターも全部描いて。そんな生活を半年間続けた結果がそれでした。しかも当時は今と違って、世の中に作品を出すには出版社を通す以外の方法がないに等しかったんです。「ボツ」と言われたことで、完全にその道が閉ざされた、「人に見せるに値しない」と言われたような気がしました。

追い打ちをかけた大病

ロンザエモン – さらに悪いのが、ちょうどそのタイミングで、特定疾患という国の指定の消化系の病気になって。進学も諦めて、就職も続かなくて、漫画もボツになって…。20代の前半は本当に何もうまくいかなかった。入院自体は2ヶ月くらいで済んだんですけど、その後も体調的に働けない期間が1年近く続いていました。

精神的にもかなり追い詰められていたんじゃないですか。

ロンザエモン – 毎日自分の人生じゃないと思って過ごしてました。コンビニバイトしてた時の同僚の大学生が「飲み会あるから休みます」とか言ってて、俺は絵描く時間が減るやんとか思ったり。

ラムネ・ノムネ

気力もなくなって、その時は流石に絵からも離れてしまったのでは?

ロンザエモン – むしろ、毎日何かしらは描いていました。自分に残っていたのは絵だけだったし、逆にフルタイムで仕事をしてない分、負担がかからない範囲で一枚描いたり、顔のパターンを描いたり。手が下手くそだから手だけ描いて、気づいたら1日が終わっていたり。体調的にはしんどかったのですが、それでも絵は、上手くなりたいから。一枚のもの、単発のものをたくさん描いていました。後から振り返ったら、それが一枚絵として成立する、今のようなイラストの描き方を探してたのかもしれません。

「おれがしたいのはこれじゃない」

社会復帰してからはどうされましたか?

ロンザエモン – ハローワーク系の職業訓練でPhotoshopとIllustratorを学べるところに行ったんですけど、そこの先生がたまたま『ヤングジャンプ』で受賞歴がある方で。漫画描いてたって話したら激励されて、まだやめないでおこうかなって(笑)。で、社会復帰してからはコールセンターで4、5年働いていました。コールセンターで頑張って残業しても、俺がしたいのはこれじゃないって思いながら、どんなに時間が短くなっても絵は毎日描き続けていました。

もがき続けた20代前半。諦めるチャンス、逃げ出すチャンスは、人生にはいくらでも用意されている。それでも、絵だけは手放さなかった。手放せなかった。ロンザエモンが、いかにして今の活躍に至ったのか。いかにして、絶望の淵から這い上がったのか。人生からしたら短すぎるインタビューの時間で、分かることはあまりに少ない。それでも、溢れてくるこの感情は何なのか。彼と話し、改めて思う。頑張っても報われない世界の中で、「それでも」と。

後編へ続く。

GAAAT ARCHIVE EXHIBITION

期間:2026/06/12(金)〜2026/06/15(月)
場所:東急プラザ原宿「ハラカド」3F THE COFFE BREW CLUBギャラリー
展示アーティスト:coalowl / 焦茶 / ロンザエモン / リチャード君
予約リンク:https://gallery.gaaat.com/collections/gaaat-archive-exhibition

EDIT: Ryo Kobayashi

SHARE

人気記事

RANKING