【インタビュー】「アートは、言語や国境を越える」。Acky Brightの壮大な夢-後編

名前が世に出ることはない、“自由な裏方”から、働く喜びを探して表舞台に立ち、海を超えたAcky Bright。その先で目にしたのは、日本アニメ・漫画の“限定的な広がり”という現実だった。漫画とアメコミの表現を行き来しながら数多くの作品を手掛けてきた彼だからこその表現やこだわり、そしてAI時代に見据える物作りの本質に迫ります。

Acky Bright
Photo:Hyakuno Mikito

アメコミと漫画の相違点

Procreate POPUP東京 / 告知ビジュアル

アメコミと日本の漫画、両方を手掛ける中で、作り方の根本的な違いを感じるのはどんなところですか?

Acky Bright – 作り方がそもそも全く違うので、アウトプットの仕方が全然違います。日本の漫画は、基本的に「吹き出し」から作る、というと言い過ぎかもしれませんが、まずネームの段階で吹き出しの配置を決め、読者の視線の通り道を作ります。読んでもらうために、見せたい絵は吹き出しの動線上に存在しないといけない。

一方、アメコミはGraphic Novelと言われているように、基本的に「テキストと絵を別々で考える」作り方です。ライターが書くスクリプト(脚本)には、ページ数とパネル(コマ)の数が指定され、シーン、セリフ、そして「このパネルは一番大きくしたい」といった指示が入ります。コミックアーティストは、吹き出しやオノマトペを一切入れずに、ひたすら絵を描き進めます。吹き出しの配置やフォント(レタリング)は、レタラーという別の人が後付けで決めるからです。

僕は最初、その仕組みが分からなかったので、日本漫画のやり方で吹き出しまで全部自分で入れていたのですが、出来上がったものを見たら、全く関係なく配置されていました(笑)。

PLANET OF METAL/ASTERISM

異なる制作スタイルは、作風にどのように影響していますか?

Acky Bright – アメコミを描いていると、レビューで「東洋の漫画の影響を感じる」と書かれますし、日本で描くと「Ackyさんの絵はアメコミっぽい」と言われます。どちらにも居場所がある、ということは、独自性を保てているということかもしれません。

アメコミを描くときは、ネームから入るのではなく、まず全部脚本に落としてから作業に入ります。ライターを兼任するときも、編集会議を通すために、日本の漫画家のようにいきなり絵でネームを切るのではなく、アメコミのスクリプトの形式に則って、セリフ、シーン、パネル構成を文字で全て指定します。根本的にやることは漫画もアメコミも同じですが、プロセスは違うし、コマ運びやレイアウトに関しても、アウトプットの際に意図的に自分で変えるようにはしています。いずれは融合していきたいですが、試行錯誤している段階です。

DC Comics「KNIGHT TERRORS」の裏側 
Photo:Hyakuno Mikito
BRIGHT WORKS 東京スタジオ
Photo:Hyakuno Mikito

AI時代におけるクリエイターの「本質」

現在、AIに関する議論が世界中で起こっていますが、この時代にクリエイターが向き合うべき「本質」は何だと考えますか?

Acky Bright – この質問はどこへ行っても聞かれるのですが、僕は一つの答えを持っていて、それを「料理」に例えています。絵を描く人、ものを作る人というのは、基本的に「プロセスを楽しんでいる」はずなんです。しかし、SNSが出てきたことで、人から評価される「結果」(いいねを集める、大きな仕事をするなど)が簡単に得られるようになり、早くそこへ行くことが目的化してしまいました。AIは、まさにその「結果」を簡単にかなえてくれるツールです。でも、本来の喜びは、絵を描くこと自体にある。僕自身が、描いてる途中は楽しいけれど、描き上がったものにはさほど興味がないのはそのためです。料理にしても、自分で作ったものを人にごちそうして喜んでもらうのは嬉しいですが、インスタント食品を振る舞ってもそれは自分の料理ではない。AIに結果を出してもらうことは、インスタントを振る舞うことに近い。つまり絵を描く人にAIの作画を聞くことは、かつてウサイン・ボルトに、「新しいフェラーリが出たことをどう思う?」と聞いたという話と同じで、車が速くなろうが、人間が速く走るという“価値”は変わらない。ライブドローイングも、作品の完成度を評価してほしいのではなく、描いているプロセスにこそ価値があるという考えからやっています。だから、クリエイターは、AIがどうの、ルールをどうするか、という議論以前に、「そもそもこの仕事はなぜ楽しいのか」という本質的なところに立ち返り、自分のモラルと向き合わないと、この仕事を長く続けることはできないと考えています。

自身の創作における「核」と「キャラクターデザイン」の哲学

ONI MASK / 中央町戦術工芸とのコラボレーション作品

創作において最も大切にされている「核」や、こだわりの部分はどこにありますか?

Acky Bright – 根底にあるものは「ゼロからイチを産み出すこと」ですが、具体的な作画スタイルで言うと、「白黒表現」と「キャラクターデザイン」へのこだわりがあります。ただ、初期の頃の僕の絵が白黒だったのには理由があるんです。
デザイン会社をやっていたはじめのうちは、スタッフに隠れて仕事中にアーティストとしての作品を描いていたので、PCで色を塗ったり、大々的に描くとバレてしまう。なので、シャーペンとコピー用紙でやるしかなかったんです(笑)。もちろんそれだけではなくて、ルーツが日本の「漫画」であるということも相まって、白と黒がAcky Brightのひとつのスタイルとして認知されていきました。

Procreate鉛筆ブラシの習作

メカと女の子の融合したスタイルはどのようにして生まれたのですか?

Acky Bright – 実は、「女の子を描くのが苦手だった」という苦手意識からだったりします。名前を出さないで描いていたころも女性は描いていましたが、それはどちらかというと企業のために描いたもので女性を魅力的に描くことは求められていませんでした。しかし、アーティストとして女性のキャラクターを魅力的に描こうと思ったとき、ただポートレートのような女性イラストを描くのが照れくさくて(笑)。それを誤魔化すように、角を生やしたり、メカをつけたりしていました。それがSNSでバズって、私のシグネチャーのひとつとなってしまいました。なので、いまだに「女の子を描くのが得意だ」とは思っていないというのが正直なところです。

MONICA / UNDERVERSE / ACTION FIGURE DESIGN

キャラクターデザインにおいて、特に重視している点は何でしょうか?

Acky Bright – 「シルエットでわかるものを作りたい」という点です。髪の色を変える、目の表現を変える、衣装を変えるといった日本的なスタイルのキャラクターデザインよりは、ピクサーやディズニーのように、シルエット(形)だけで何のキャラクターかわかることが、僕の中での基本です。北米マクドナルドでの仕事「WcDonald’s」の際にも徹底しましたが、多国籍なキャラクターを描くとき、ただ肌を黒くするだけでなく、骨格や筋肉のつき方、顔の形といった人種的な特徴を正しく反映させることにこだわっています。昔、ある漫画家さんの、「君のキャラクターは、骨にするとみんな一緒だね」と言われたエピソードを本で読んで以来、「骨も識別できるキャラクターにならなきゃいけない」と強く意識しています。

TIRORI MIX 3 / McDonald’s / MV CHARACTER DESIGN

日本のクリエイターへ送るメッセージ

若手の作家、クリエイター志望の方々に、何かメッセージをいただけますか?

Acky Bright – 僕は、日本のコンテンツをさらに世界に広げるためには、日本のクリエイターが「もっと外に出て交流すべき」だと強く思っています。コンベンションに行くと、日本からのゲストは英語が苦手だったり顔出しNGだったりで、ファンとの交流も限定的になりがちです。すごく気持ちもわかります。でも日本からのゲストとコミュニケーションしたいアメリカの人々からすると、とても「物足りない」と感じるはずです。僕がアメリカで認知されたのは、ファンとの交流を徹底してやったからです。英語が完璧でなくても、コミュニケーションはできる。僕も2022年にはじめてNYでコンベンションに参加したときは、アメリカでもまったく無名でした。しかし、この活動を通じて「そんなんでやれるもんなの?」と言われながらも、結果としてMcDonald’sをはじめ、MetaやRedBullとコラボしたり、NYのJapan Societyでの単独個展を実現するところまではこれました。そして、今の日本の仕組みの中で僕のような活動をしようとすると、既得権益の壁に阻まれてしまいます。しかし、外側(海外)から入ってくると、日本ではいとも簡単に多くのことをクリアできるという不思議な現象があります。

数々のイベントに参加してきたAcky Brightさん。300人以上のサインに対応したことも。
Photo:Hyakuno Mikito

僕の活動をきっかけに、これから「Acky Brightと同じようなことをやってみよう」と思う人が現れてくれたら嬉しいです。考えすぎで絵を描く人は、もう時代遅れです。コミュニケーションの手段はいくらでもあります。大事なのは、そこではない。そして、長く活動を続けるためには、目の前の「いいね」や「売れているもの」に流されるのではなく、僕なんかより、本当に30年、40年と現役で活躍し続けている「本物の先輩たち」を見て、その姿勢から学び、自分のモラルと情熱を保つこと。僕らの業界は、ありがたいことにそういうかっこいい先輩たちがたくさんいます。彼らがいるから、「今はまだ全然ダメでもあと何十年後には追いつけるかもしれない」と思える。そうやって、日本のクリエイターたちが世界で活躍し続けるための道筋を、今後は僕自身も作っていきたいと思っています。

【インタビュー】「アートは、言語や国境を越える」。Acky Brightの壮大な夢-前編

ニューヨークのマンハッタンのど真ん中にある「ジャパン・ソサエティ」。

そこではこれまで、草間彌生や村上隆など、数々の名だたる芸術家たちが名を残してきた。

そんな由緒ある場所で4ヶ月に及ぶ個展「Acky Bright: Studio Infinity」を開催したのが、日本の漫画家・イラストレーターのAcky Brightだ。

数々のDC COMICS等でコミックのヴァリアントカバーを手掛け、北米McDonald’sが世界40の国と地域で展開したグローバルキャンペーン「WcDonald’s」では、長いマクドナルドの歴史で初めて、紙バッグをデザインした個人アーティストとなった。

そんな海外での活動が目立つ彼が、ある意味逆輸入的に日本の最前線に割って入ったのだ。

Ado、YOASOBI、Vaundyら今をときめくミュージシャンたちを招聘してきた日本マクドナルドのキャンペーン楽曲「ティロリミックス」では、楽曲だけでなく、オリジナルのアニメーションMVが大きな反響を呼んでいる。圧巻の動画体験のあとは決まってクレジット欄を眺めてしまうもの。キャラクターデザインには、彼の名前がある。

「アートは、言語や国境を越える」

そう語るAcky Brightは、「アメコミ」と漫画を行き来した特有の作風で語られることが多い。

しかし話を聞いていくうちに、彼の見据える未来は、もっとずっと大きいものだったと気づくことになる…。

はじまりは裏方として

Acky Bright / Photo:Hyakuno Mikito

Acky Bright – 今の名前「Acky Bright」を名乗る前からデザイン会社を経営していたんです。その時の僕の本分は、いわゆるプランナー。色々な企業のプロモーションや広告、イベント企画などを考えていました。その時に、要所要所で「イラスト」が必要になるんです。

その時のイラストをご自身で描かれていたんですね。

Acky Bright – そうですね。元々幼い頃から絵を描いていて、漫画家を目指していました。高校生くらいの頃には、出版社の担当の方に付いて頂いていた時期もあったのですが、当時は尖っていたのと、状況をよく分かっていなかったです(笑)。結局漫画家ではなくて、デザイン会社を経営することになって。会社では、あくまでプランナー。イラストに関しては、名前を一切出さずに、完全に「裏方仕事」みたいな感覚でやっていました。フィクサーっぽくて面白かったし、名前を出さない、責任のなさがゆえの自由さも感じていました。ただ、会社も大きくなってきて、ちょっと思うところが出てきたんです。

BRIGHT WORKS東京スタジオ。近々引っ越し予定なんだとか。
Photo:Hyakuno Mikito

「世界ではこんなに面白いことになっているのか…。」

Acky Bright – 2017年、8年くらい、まだNetflixが今ほど有名じゃなかったときに、Gleeのライアン・マーフィーが、「5年契約で300億」っていう話を聞いたんです。300億ですよ?「メッシじゃん」って思いました(メッシはもっと稼いでますけど)。「脚本家とかエンタメの仕事で、メッシになれるんだ…!」って衝撃で。ただ、「お金を稼ぎたい」とか「有名になりたい」っていう意味ではないんです。

それまでの予算配分では、設備投資が9で、コンテンツが1くらいの割合でした。そこから設備への投資額は更に増額されているのにも関わらず、その比率がひっくり返ったんです。設備投資が1で、コンテンツが9になった。つまり、予算の規模自体が100倍とかの勢いになってきている。「世界ではこんなに面白いことになっているのか…。」と思いました。

インフラ的にも、例えば海外の方が日本のTVシリーズのアニメを視聴するには、違法アップロードのものか、もしくは円盤にならないと観られなかったのが、日本にいる僕らと同じで、ほぼリアルタイムで観られるようになった。それまであった、日本と世界の時間的、物理的な壁が無くなったんです。コロナ禍や日本の経済情勢もあり、国内での仕事には限界を感じていたのも相まって、海外に対して意識し始めたんです。リモートでの仕事が一般化したのも、海外との仕事を後押ししてくれました。

そうした流れで「Acky Bright」が生まれたんですね。

Acky Bright – はい。もともとプランニングをやっていたり、漫画家を目指していたのは、「0から何かを作る」というのが好きだったんです。まだ若いし、お金の為だけに働くのもつまらないと思っていたので、初めて自分の名前で絵を描こうと決心しました。

江戸川コナン方式で生まれたAcky Bright

Acky Bright

名前の由来はなんですか?

Acky Bright – 一番最初のアメリカでの仕事でクレジットを入れる必要があって、ペンネームを考えようってなった時に、外国人っぽくしようと思ったんです。あだ名で「アキ」と呼ばれていたので、江戸川コナンみたいに「アッキー」に何か付け足した名前にしようと考えて、会社の名前の一部である「ブライト」を付けました。コンベンションなどのゲストリストで名前が出た時に、AとBなので、上に来るのも目立って好都合でした。

名前が決まって、どういったことから始めましたか?

Acky Bright – 当時はSNSをほとんど活用していなかったので、XやInstagramにイラストを毎日投稿することから始めました。寺田克也さんやキムジョンさんらの影響もあり、イベントに出てライブドローイングをしていました。2021年には、憧れだった寺田克也さんと一緒にライブドローイングをさせて頂きましたが、あれ以上に緊張するシチュエーションはないので、どんな国や規模のイベントでも緊張しなくなりました。

Adobe MAX 2025(LosAngeles)

アメリカでの本格始動

WcDonald’s Promotion / McDonald’s / Package Design, Manga
Photo:Hyakuno Mikito

アメリカではどういった仕事をしましたか?

Acky Bright – 『トランスフォーマー』のTシャツのイラストが、アメリカに渡ってから初めての仕事でした。MoMAでキュレーターを務めるPaola Antonelliさんや、当時、DC Comics バットマングループ編集長だったBen Abernathyさんが僕のことを買ってくれていたのも凄く大きかったです。次第にドイツのBMWとの仕事やDCコミックス、北米のMcDonald’sのキャンペーン企画である「ワクドナルド/ WcDonald’s」のキャラクターデザインなど、たくさんの仕事を頂けるようになりました。DCコミックスでは、「ジョーカー」や「ハーレークイーン」、「KNIGHT TERRORS」などのスピンオフ企画なども描かせて頂いています。

日本の漫画とは異なる文脈の「コミック」を描くことに対して、どのように考えていましたか?

Acky Bright – 子供の頃からずっと漫画や「アメコミ」は好きでした。漫画家になりたい気持ちはあったけど、まさか自分が「アメコミ」の作家になるなんて全く想像もしていなかったです。いざ描くとなると、そもそも仕組みがわからないんですよ。あくまで“観る側”、コンテンツとしての『マーベル』や『DCコミック』、ヴァリアントカバーとかはなんとなく知ってはいましたが、具体的な裏側についてや制作についてはひとつひとつ、やりながら学んでいきました。

Harley Quinn / DC COMICS / VARIANT COVER
KINGHT TERRORS / Angel Breaker

「世界のMANGA」に感じたギャップ

Acky Bright – 海外で本格的に活動するにあたって、ビザを取れたことが本当に大きかった。渡航前から北米ですでに多くの実績があったことが認められてビザが取得できたんです。ビザは取得がものすごく大変な上に、取得前に現地で仕事をするのは犯罪にあたる。取得までの期間は、コロナ禍もあったので、スムーズに全てリモート。国内にいながら北米で実績がつくれたのは大きかったです。

無事ビザを取って、現地での活動はいかがでしたか?

Acky Bright – 現地での3年間は、本当に充実していました。ビザのお墨付きで自由に活動も出来ました。日本のアニメや漫画って、今世界を席巻しているじゃないですか。日本のメディアとかだとそ̇う̇い̇う̇こ̇と̇になっている。確かに、「アニコン」とか行くと、それはもうすごいんです。めちゃめちゃファンがいるし、街に出ても、車にアニメのステッカーを貼っていたりとか、『ドラゴンボール』のTシャツを着ている人を見かけたりはするんです。でも、現地で仕事をしているからこそ分かったのが、肌感覚で言うと、実態は「20年前の日本」みたいな感じなんです。いわゆる、「オタク」だけの文化という感覚。今の日本では、アニメや漫画は、もう完全に一般化しているじゃないですか。そういう意味では、海外でのポテンシャルはまだまだ余地があると思うんです。でも、なかなか難しいというか、壁があるとは感じています。

海外のマジョリティに刺さる漫画を目指して

Acky Bright –  これら目指すべきものはまさにそこで、日本から作ったものをただ輸出するのではなくて、本当の意味で漫画やアニメが世界のコンテンツとして広まっていくには、やっぱりプレイヤー、作り手側も日本以外の人が増えていくことも重要だと思っているし、実際海外のアーティストの描くMANGAやANIMEのレベルもどんどん上がっていると感じます。そしてそういう状況になってきたからこそ、世界中の人が参加して、この日本発祥のカルチャーを盛り上げていくことが非常に重要だと考えています。最近になって、出版社さんなどがそういう動きを見せてきてはいるんだけど、やっぱり課題はある。

MANGAやIPでアメリカで活動するとか、出版社の人もアメリカに駐在して、作家と膝つき合わせてやれるんのかって言ったら、なかなか難しいところがある。そこの壁、天井がある中で、僕はアメリカの中で混じってやることに意味を感じています。

僕は今北米にスタジオを作る準備をしていますが、まさにそれもいろんな国のアーティストが面白いものを作ることをアーティストの視点に立ってサポートしたいという考えからで、それが僕の一番の目標、夢です。

自分が人気になりたい、もっと売れたい、とはちょっと次元の違う話ですね。

Acky Bright –  そうかも知れません。

ANIME NYC

最後は“裏方”として

Acky Bright –  デザイン会社での裏方的な立場から変わって、今は名前を出して表舞台で楽しくやっていますが、最終的には、もう一度、僕自身が“裏方”になりたいと思っているんです。やっぱり「ゼロイチ」の仕事がずっと好きなんです。プロデューサーやプランナー、指揮系統を握るディレクションなど。フィニッシュワークに完全に興味がないわけではないですが、そういうことができる人材って、山のようにいるんです。僕よりも、すごく素晴らしい人たちがたくさんいる。その人たちと一緒に仕事をやればいい話で、僕はどちらかと言うと、新しい場所だったり、何か新しいものを切り拓いていきたいと思っています。さっきも言ったように、今まさに、ニューヨークにスタジオを作る準備をしているんです。

これは“裏方”としての第一歩です。ただ、資金集めや実績など、今の僕ではまだ至らない部分もある。今はありがたいことに表舞台のアーティストとして注目して頂いているのだから、一度自分で行けるところまでやっていこうとは思っています。そこで行き着く先が、“裏方”であればいいなと思っています。

アーティストとしての野心のようなものはないと?

Acky Bright –  そう思います。なぜかというと、それだけでは世界を変えることはできない。僕の満足だけで終わってしまう。僕がちょっと人よりモテる程度の話で終わってしまうと思うんです。

世界をアートやコンテンツの力で平和に

Anime Expo 2025

そこまで大きな視点を持つようになったきっかけはなんですか?

Acky Bright –  子供の頃の、苦しくて大変だった環境が影響していると思います。しんどい中で僕を救ってくれたのが、『ジャンプ』や『マガジン』をはじめとする漫画でした。毎週出るのを待ちながら、「生きよう」と思っていました。漫画があったから本当に人生が救われたので、恩返しというか、僕と同じような人がいるのなら、漫画を通して少しでも世の中が良くなれば嬉しいです。

例えば、鳥山明さんが亡くなった時に、本当に世界中の人が分け隔てなく哀悼の意を表しました。鳥山明、『ドラゴンボール』ってすごくないですか。宗教とか政治とか、もう全部超えちゃってる。音楽やアートもそうだけど、ファンの間では国境もないし、同じ好き同士。世の中への貢献の仕方はたくさんあると思いますが、エンタメを仕事にしている人間である以上、そういった部分は大切にしていきたいし、目指していきたい。そんな想いで、海外を拠点に活動しているんです。

名前が世に出ることはない、“自由な裏方”から、働く喜びを探して表舞台に立ち、海を超えたAcky Bright。その先で目にしたのは、日本アニメ・漫画の“限定的な広がり”という現実だった。後編では、漫画とアメコミという、東洋漫画と西洋漫画の根本的な相違点や、キャラクターデザインの裏側、日常レベルで日本メイドを広める為に尽力するAcky Brightが見据える、AI時代の創作活動に迫ります。

【インタビュー】  “憧れ”を追い越していく。Face Okaの現在地 – 後編

ひと目見れば彼の作品だとわかる。一度でも目にすれば脳裏に焼きつく作品群は、そのインパクトからはちょっと不思議なくらいにシンプル。それでいて、アイコニックなイラストに固執しない、自由で横ノリなスタイルは、憧れたアーティストたちの背中を追いかけることから始まった。仲間と始めたポッドキャスト「Too Young To Know」は、今や放送173回に及び、近年には「パペット」という操り人形シリーズ「THE KIDDING HEADS」も展開。自身の声と、時折見せるシュールな動きでパペットを操る、画面外のFace Oka。

この人、一体どんなアーティストなのか____。

「THE KIDDING HEADS」と併せて、前後編にわたり徹底的に深掘りします。

Face OkaとPETTI(ペティ)

「THE KIDDING HEADS」の舞台裏 – 操作編

近年新たな試みとして、パペットという操り人形のシリーズ「THE KIDDING HEADS」を展開していますが、これについて教えてください。パペットを動かすあの操作は難しそうですよね。

Face – そうですね。あれは最初に練習しました。1週間もやれば意外と慣れるんです。定点カメラを置いて、下から手を入れて動かす感じで撮っています。ちょうどパペットが1〜2体できた頃に、Netflixで「エルモ(セサミストリート)」の声をやっているケビン・クラッシュのドキュメンタリー『セサミ・ストリートへ愛を込めて ~エルモに命を吹き込んだ人形師』を観たんです。「その人がどうして声優になったのか」という話が中心で、パペットの扱い方自体はそこまで説明していなかったんですけど、その周りにいたパペットアーティストや講師たちの動かし方を見て、「なるほど、こういうことか」と思って、見様見真似でやりました。

Face OkaとPABLO(パブロ)

特徴的な高い声も全部ご自身で?

Face – はい、全部僕がやっています。僕の中で出せる声のバリエーションが限られていて、基本的に「高い声」と「低い声」しかないんです(笑)。このキャラは高めの声なんで、そういう設定にしてます。

キャラクターごとに声を変えている?

Face – そうなんです。でもそれが今の悩みでもあって…。もともとマイク・ケリーのポスターみたいな作品を作りたくて、最初に「登場人物を7体にしよう」と決めて作り始めたんです。でも声のことは何も考えてなかった(笑)。結果、出せる声が3つくらいしかなくて。今のところ声を当てられているのは、パブロとぺティ、ジェニー、うちの猫をモチーフにしたピカビアだけです。ピカビアは「ニャー」としか言わない(笑)。この4体は声も定まっていて頻繁に登場するんですけど、他のキャラはまだ声が決まっていなくて。だから今、そのあたりをどう整理するか悩んでます。

「THE KIDDING HEADS」の舞台裏 – 設定編

KELLY(ケリー) / Face Oka
JENNY(ジェニー) / Face Oka
MIKE(マイク) / Face Oka

それぞれの人格も違うんですか?

Face – そうですね。ただ、まだそこまで作り込めていなくて、今後もう少し固めたいと思っています。性格や背景をまとめた資料を作って、キャラごとの企画書を整理しています。パペットの番組を持つことが目標です。テレビでも、配信でも、YouTubeでもいいんですけど、ちゃんとシリーズとして成立する作品を作りたいと思っています。

彼らは謎の生物なのか、それとも人間的なニュアンスのどちらになるんですか?

Face – 「エルモ」とかだと、何かわからない生物じゃないですか。動物のようでもあり、抽象的でもある。僕はそうじゃなくて、「人間のパペット」を作りたかった。そこに差別化の意識がありますね。

マイク・ケリーのポスター

マイク・ケリーの作品とも違いますよね。

Face – そうですね。僕が意識しているのは、どちらかというと昔のNHKの『ハッチポッチステーション』。あの番組って、人間という設定のキャラクターが出てくるじゃないですか。ああいう“人間の形をしたパペット”の世界観が好きで、近いものをやりたいと思ってます。

ミシンとの衝撃の出会い

「THE KIDDING HEADS」シリーズ以前にミシンを使った経験はありましたか?

Face – 本格的には今回が初めてで、もともとミシンの知識も全くなかったんです。買おうと思った時も、どこで買えばいいのか分からなくて、とりあえずハンズ(旧東急ハンズ)に行ったんですよ。年配の店員さんがいて、詳しそうだったので聞いてみたんですよね。そしたら、「これだよ、これしかないよ。これ以外はありえない」って一点張りで(笑)。値段を聞いたら40万円くらいして、「えっ!」って、かなり衝撃でした。でもその方が、「高いけど、それだけの価値はある」と言うんです。半分騙された気持ちで買ったんですけど、使ってみたら本当に良かったですね。家庭用ミシンって、硬い生地を縫おうとすると針が折れちゃったりするじゃないですか。逆に工業用ミシンだと、薄い生地が縫いづらかったりもするんですね。でもこのミシンは、その中間というか、どんな素材にも対応できる感じで、すごく万能なんです。

購入以来ずっと使っているというミシン

職業用ミシンではあるんですか?

Face – いや、そこが謎なんですよ(笑)。厳密には職業用って感じでもないんです。でも、そう見えますよね。僕も初めて見たとき、「これ何なんだ?」って思いました。部品が壊れたときのパーツを買えるのがハンズしかなくて、しかも高い(笑)。それでも今もずっと使っています。

「THE KIDDING HEADS」の舞台裏 – 製作編

パペットは全てご自身の手作業で作っているんですよね。

Face – そうですね。生地屋に行って、頭の中にあるイメージに合いそうな生地を探して買ってきます。最初、どうやって作るのかなと思って調べたんですけど、なかなか情報が出てこなくて。調べていくうちに、日本のパペット協会みたいなところにたどり着いたんです。すごく昔のサイトに飛んだんですけど、そこに簡単な標本が出ていて、すぐに買いました。

じゃあ、その協会の出している作り方をベースに?

Face – そうですね。協会の出している“正解”というか、基本の作り方に則って作っているんですけど、ベースが一緒なだけで、あとは全部自分で考えています。どう個性をつけるかという部分は完全に試行錯誤ですね。正直、ミシンも3年前くらいにノリで買って始めたので、パターンの概念もほとんどないような状態でした(笑)。

「THE KIDDING HEADS」制作の参考になったという資料

DIYみたいな感覚なんですね。せっかくなので、頭から順に教えて頂けますか?

Face – 頭の作り方が本当にわからなくて。こういう形にしたいというイメージはあったんですけど、やり方が全然わからなかった。粘土などで立体を作るのとは違って、布で立体を作るのは難しかったです。試行錯誤しながら頭の部分は手で縫いました。

印象的なのが、パブロは目や口がなくて「鼻」だけがあるところですよね。今までのFaceさんの作品では、「口と目だけ」が描かれていることが多くて、これは、逆に鼻だけです。

Face – 特に深い意図があるわけではないんですが、目を入れてしまうと、個人的にあまりハマらない感じがしたんです。なので、あえて入れなかったというか、自然に「ない方がいいな」と思ってこの形になりました。

少し触ってみてもいいですか?足の部分はどうなっているんですか?

Face – 足は、これ本当に最近仕上げたばかりで、まだ塗っていない状態なんです。構造としては、上半身に縫い付けるだけなんですよ。まだ試作段階といった感じですね。

PABLO(パブロ) / Face Oka

よくよく見ると、着ている服もパーカー1枚で終わらせるのではなくて、中にTシャツを着せたりと、細かい部分まで本当にこだわっていますね。

Face – このキャラクターは、以前ニューバランスさんとご一緒したときに、CMに登場させてもらったことがあって。そのときに僕自身がアイロンプリントで作ったものなんです。

胸についている缶バッジも印象的です。

Face – 缶バッジは単純に僕が好きなんです(笑)。この赤い缶バッジは、僕の好きなアーティストの言葉をモチーフにして、自分で作ってつけたものです。もうひとつは、僕が好きなブランドの缶バッジですね。どちらも、自分の「好き」を身につけている感覚です。

靴もかわいいですね。これは…?

Face – これは最近仕事で頂いた人形が、たまたまこの靴を履いていたんです。「あ、これ使えるじゃん!」と思って、勝手に履かせちゃいました(笑)。サイズもぴったりで。そういう偶然の組み合わせがけっこう面白くて、気に入っています。

新宿の交差点、ウェストハムファンの合言葉

PETTI(ペティ) / Face Oka

ペティは、サッカーチームのウェストハムのユニフォームを着ていますが、もしかしてファンですか…?

Face – そう、ウェストハムのファンなんです。だからこのパペットにも今シーズンのウェストハムのユニフォームを着せています。子ども用サイズのセットで、上とショーツが一緒に売っているものを買ってきました。

アイアンズ(ウェストハムファンの愛称)…。かなりニッチですよね(笑)?

Face – そうですね(笑)。仕事でよく海外に行く知り合いがいて、その方に「ちょっと今度スペイン行きましょうよ」って軽いノリで言ったら、ほんとに「行きましょう」ってなって(笑)。その流れで彼らは仕事でロンドンに行かなきゃいけなかったんです。高校までサッカーをしていたので、ロンドン行くんだったらせっかくだし「プレミアリーグ観ようよ!」という話になって。ただ、その時に飛び込みでいきなり買えるチケットが、プレミアリーグだとウェストハムしかなかったんです。選手も1人も知らなかったんですけど、行ってみたらめちゃくちゃ面白くて。そこから完全にハマっちゃっいました。今は最下位から2番目くらいなので、頑張って欲しいですね…(笑)。

羨ましいです…。

Face – 普段からウェストハムのマフラーを付けることが多いのですが、新宿の交差点で外国人にいきなり、「アイアンズ!」って声掛けられたのが面白かったですね(笑)。(ウェストハムのチームエンブレムには、ハンマーがバツの字にクロスしたマークが施されており、ファンの間では手をクロスさせて挨拶がわりにしているんだとか)ちゃんとファンだったので、すぐに反応できてよかったです(笑)。

Faceはアート史に残るのか

以前、「美術史に残りたい」、「美術館に収蔵されたい」という発言が見られましたが、その気持ちは今も変わりませんか?

Face – もちろん、変わらずありますね。ただ、今のアート業界を見ていると、少し距離を感じている部分もあります。少し前にアートバブルがありましたけど、その時期は「もしかしたら僕らのやっているアートの立ち位置も、もう少し上に行けるんじゃないか」という希望があったんです。でも、バブルが落ち着いたタイミングで、やっぱりその可能性をあまり感じられなかった。

いわゆる“アートブーム”の時、買われ方や市場の熱量も独特でしたよね。

Face – そうですね。ブームのとき、「誰が買ってたんだろう」と考えると、アートへの見方が純粋な鑑賞というより“投資”の側面が強かったと思います。例えば「全部売れた!」と話題になっても、「誰が買ったのか」というところまでは、あまり誰も気にしていなかった。そこを考えると、個人的には「本当に意味のある購入だったのか?」と疑問に思うこともあります。作品やアーティストのファンの手に渡っていないのであれば、それは僕のやりたいこととは少し違うなと感じたんです。だから今、バブルが落ち着いたタイミングで改めて考えると、僕が最終的に目指している場所、“美術史に残る”という目標は、ちょっと遠のいたというか、「やっぱり遠かったんだな」と再認識している感じがあります。

様々なアーティストへの“憧れ”が作風に色濃く影響しているFaceさんだからこそ、説得力がありますね。

Face – 額面の話だけじゃなくて、どういう形で評価されて、残るか。年表に名前が残るというよりも、作品そのものが“意味を持って残る”という形で、面白い展開になればいいなと思っています。だから、「アート史に残る」目標としては今もありますけど、具体的にイメージできるわけではないといった感じです。それに今は、あまりそこを意識しすぎるのも良くない気もしていて。やりたいことをやっていく中で、タイミングが合ってうまくハマっていけば嬉しいです。

カウズ、ジェームズ・ジャーヴィス、マイク・ケリー、バリー・マッギー…。彼らの背中を追いかけて進んだアーティストの道。そんな“憧れ”を飛び越えて、Face Okaはどこに向かうのか。自由な活動からは、目が離せそうにない。

【インタビュー】 “憧れ”を追い越していく。Face Okaの現在地 – 前編 

ひと目見れば彼の作品だとわかる。一度でも目にすれば脳裏に焼きつく作品群は、そのインパクトからはちょっと不思議なくらいにシンプル。それでいて、アイコニックなイラストに固執しない、自由で横ノリなスタイルは、憧れたアーティストたちの背中を追いかけることから始まった。仲間と始めたポッドキャスト「Too Young To Know」は、今や放送173回に及び、近年には「パペット」という操り人形シリーズ「THE KIDDING HEADS」も展開。自身の声と、時折見せるシュールな動きでパペットを操る、画面外のFace Oka。

この人、一体どんなアーティストなのか____。

「THE KIDDING HEADS」と併せて、前後編にわたり徹底的に深掘りします。

アーティスト、イラストレーターとして活躍するFace Oka

アパレルに打ち込んだ学生時代

子供の頃からご家族の影響で絵を描くようになったそうですが、高校、大学時代はどのように過ごしていましたか?

Face Oka(以下:Face) – 高校は普通科だったんですが、そのまま大学の美術系に進めるコースがあったんです。そのまま進学して、大学では芸術を専攻していました。高校までサッカーもやっていましたが、続けていたのはイラストや絵でした。幼少期からサラリーマンにはなりたくなかったんです。大学も2年で中退してしまって。

在学中の2年間はどのような生活でしたか?

Face – ほとんど何もしていなかったですね(笑)。高校からそのまま仲のいい友達も多くて、本当に自由に過ごしていました。友達が出ている全然関係ない授業に顔を出したりとか(笑)。あとは服が好きだったのもあって、アパレルでアルバイトをやっていました。当時、町田の大学に通ってたんですが、町田に「MARUKAWA」っていうお店があったんです。ジーンズメイトみたいなところで、そこでアルバイトしてました。すごく楽しくて入り浸ってました(笑)。

僕も地元が町田で…!!当時はどの辺りで遊んでいましたか?

Face – そうなんですね!!町田はもう本当にどこにでも行ってました。古着が好きだったので、「DESERTSNOW」とか。

「DAMAGE DONE」とか(笑)!

Face – ですね(笑)。「MARUKAWA」では、フィッティングルームに自由に絵を飾らせてもらったりもしていました。あとは、大学時代に25歳くらいの同級生がいて、彼はアートを本格的にやりたいタイプで、企画展をよく開いていたんです。それにいつも参加させてもらっていました。そのうちにだんだん大学から足が遠のいていって…。

Face Oka

当時、大学の授業で学んでいたことは今に繋がっていますか?

Face – 絵を描くのは好きなんですけど、「学んで描く」というのがあまり好きじゃなくて。今思うと、そこをちゃんと学べていたらよかったなとは思います。いろいろやっていく中で、自分がやりたいことを表現できなかったりするのは、やっぱり技術的な面もあるので。そこは今、補わないといけないところですね。

大学を中退してからは何を?

Face – それからSTUSSYで働くようになりました。当時は、カウズやバリー・マッギーらのアーティストを筆頭に、「売れたらTシャツを出せる」という流れがあった。ショップ店員としてだけではなくて、その「自分のTシャツを出す」ということに凄く憧れがありました。だから休みの時間には、ひたすらに絵を描いていましたね。

当時はどのような絵を描いていましたか?

Face – 当時からストリートのカルチャーは好きだったのですが、本当にゴリゴリのグラフィカルな文字にはあまり興味がなかったんです。なんと言うか、バリー・マッギーやカウズ、元を辿るとキース・ヘリングもそうですけど、グラフィティなんだけど、ちょっとグラフィティーじゃないというか。キャラクターを作ったり、色々なことをやっている人たちが好きだったので、常にオリジナルのキャラクターみたいなものを探っていたんだと思います。

アトリエの様子

Faceさんのイラストは、誰が描いたのかひと目でわかるし、シンプルながら一度見たら忘れることのないインパクトがあると思います。「この方向でいくぞ」と決めるにはなかなか勇気がいることじゃないですか?

Face – うまくいく確信なんてなかったですね。学生時代、授業中に落書きでキャラクターを描いていたんです。それを友達に見せて、「いいね」っていう反応が嬉しかった。今もその延長にいる感覚なんです。気づけば観てくれる人が、友達だけでなくもっと多くの人に広がっていきました。

影響を受けたアーティストたち

耳をすませば / Face Oka

作品を通して「平和ボケした日本人」というテーマが隠れているそうですが、Faceさんの描く「顔」の色は、日本人のいわゆる黄色人種とは違って、ピンクに近い色合いに見えます。

Face – ジェームズ・ジャーヴィスからの影響はかなりありますね。彼の作品にはピンクが多用されていて、あとは、Perks And Mini(P.A.M.)というブランドの服で、蛍光ピンク色っぽい感じのキャラクターがいるんです。発色がいいカラーを使うブランドで、そこのグラフィックからの影響もあると思います。

もうひとつは、最近はコンプライアンスが色々とある中で、ピンク色の肌の人種っていないじゃないですか。どこにも属さない中間を取れたらいいなという想いもありました。

現代アーティストで特に影響を受けている方はいますか?

Face – マイク・ケリーですね。今やっているパペット作品もそうですし、彼の影響は大きいです。あとはポール・マッカーシーとか。結構ハードコアな作風の人なんですけど、そうした海外のアーティストには強く影響を受けています。

会社の名前「ピカビア」にも意味があるそうですね。

Face – これはフランシス・ピカビアというフランスのアーティストから取っています。彼はマルセル・デュシャンと同時代の作家で、ダダイズムのメンバーのひとりでした。この人は、本当に“これがピカビアの作風”と呼べるものがないくらい、常に違うことをやり続けていたんです。その時々で作風がどんどん変わっていく。その自由さや、既存の枠に収まらない姿勢にすごく憧れています。

アトリエの様子

以前の個展のタイトル「都合の悪い存在」にも、その影響があったとか。

Face – そうですね。このタイトルは、ピカビアがかつて評価されたときに「都合の悪い存在」だと言われたというエピソードから来ています。流行や時代の空気に迎合せず、常に違うことをしていた。ちょっとカウンター的というか、反骨精神のある人だったんですよ。みんなが言っていることや思っていることと違うことをやっていたから、周りからしたら「都合の悪い存在」だったんでしょうね(笑)。

まさにアンチテーゼの体現者ですね。

Face – そうですね。デュシャンの「泉」もそうですが、「アートは絵を描くことだけではない」という感覚はあると思います。

軽やかな横ノリの如く

例えば「絵」において、全く別のスタイルにトライしてみたくなることはありますか?

Face – 好きなものはずっと変わっていなくて、例えばこの絵だと、黒くて太い線があって、キャラクターがあって、というものですが、もっと写実的なものを描いてみたい気持ちはあります。今の作風に固執していることは全くなくて、他にも色々な方向で試してみたいです。

Face Oka

カウズやバリー・マッギー、キース・ヘリングのように?

Face – そうですね。当時代官山にサイラス(SILAS)というブランドがあったり、トッド・ジェームスが「AMOS TOYS」というフィギュアを作ったり。そうしたムーブメントがあったんです。いつか僕もやりたいという想いはどこかにずっとありました。

昔は平面的なイラストが多かった印象がありますが、今は、ここにある作品のように影の表現が増えています。そのあたりの変化には、試行錯誤や意識的な変化がありますか?

Face – このシリーズに関しては、実はあまり試行錯誤というのはなくて、もう僕の中ではこのスタイルで完結しているんです。なので、新しいことをやろうというときは、これとは違う方向で取り組むようにしています。たとえばパペット作品もそうですが、もし「油絵をもう一度やりたい」となった場合には、このスタイルでは描かないようにしています。

バケツに吐いた香水 / Face Oka

油絵を描くとしたら、どんな風になりそうですか?

Face – 実は過去にやっていて、2年ほど前に「Gallery Target」で久々に個展を開いたとき、多くの方がこのシリーズのような作品を期待して来られたと思うのですが、展示の8割は全く関係のない油絵でした。

それは何か意図があったのでしょうか?

Face – 意図というよりも、単純に「同じものを描き続けていてもな…」という感覚がありました。あとは、「ずっと同じことを続けるのが正しいとは限らない」とは思っていて、油絵にも挑戦したんです。それに加えて、「油絵を描く中で、このキャラクター(シリーズ)と組み合わせる方法はないか」みたいな実験もしています。展示でもそうした試みを見せていますが、常に実験している感覚です。

「自分がやる意味」とは何か

いろんな表現を横断していく中で、「自分がやる意味」をどのように考えていますか。

Face – 「平和ボケした日本人」という創作のテーマがあるんです。だから「ピース(平和)」というワードは、ずっと根本にあります。見た人がハッピーになることはもちろんですが、その中に“隠れた危機感”のようなものも込めたい。そういうメッセージをうまく表現できるアーティストになりたいと思っています。

創作は「自分のため」と「見る人のため」、どちらの比重が大きいですか?

Face – 基本的には、自分が喜ぶかどうかが一番の基準です。ただ、それだけだとやっぱり食べていくのは難しい部分もある。だから、そのバランスを取りながらやっています。将来的には、もっと有名になっていかないといけないなとも思っていて。その理由は単に名声がほしいとかではなくて、子どもたちのためや、次の世代につながる活動をしたいからなんです。自分の表現を通して、次につながるようなことをやっていきたいと思っています。

後編では、近年話題沸騰中のパペット作品「THE KIDDING HEADS」の話から、応援しているサッカーチーム、物作りやアートへの想いを伺います。
お見逃しなく…!

人気記事

RANKING