名前が世に出ることはない、“自由な裏方”から、働く喜びを探して表舞台に立ち、海を超えたAcky Bright。その先で目にしたのは、日本アニメ・漫画の“限定的な広がり”という現実だった。漫画とアメコミの表現を行き来しながら数多くの作品を手掛けてきた彼だからこその表現やこだわり、そしてAI時代に見据える物作りの本質に迫ります。

Photo:Hyakuno Mikito
アメコミと漫画の相違点

アメコミと日本の漫画、両方を手掛ける中で、作り方の根本的な違いを感じるのはどんなところですか?
Acky Bright – 作り方がそもそも全く違うので、アウトプットの仕方が全然違います。日本の漫画は、基本的に「吹き出し」から作る、というと言い過ぎかもしれませんが、まずネームの段階で吹き出しの配置を決め、読者の視線の通り道を作ります。読んでもらうために、見せたい絵は吹き出しの動線上に存在しないといけない。
一方、アメコミはGraphic Novelと言われているように、基本的に「テキストと絵を別々で考える」作り方です。ライターが書くスクリプト(脚本)には、ページ数とパネル(コマ)の数が指定され、シーン、セリフ、そして「このパネルは一番大きくしたい」といった指示が入ります。コミックアーティストは、吹き出しやオノマトペを一切入れずに、ひたすら絵を描き進めます。吹き出しの配置やフォント(レタリング)は、レタラーという別の人が後付けで決めるからです。
僕は最初、その仕組みが分からなかったので、日本漫画のやり方で吹き出しまで全部自分で入れていたのですが、出来上がったものを見たら、全く関係なく配置されていました(笑)。

異なる制作スタイルは、作風にどのように影響していますか?
Acky Bright – アメコミを描いていると、レビューで「東洋の漫画の影響を感じる」と書かれますし、日本で描くと「Ackyさんの絵はアメコミっぽい」と言われます。どちらにも居場所がある、ということは、独自性を保てているということかもしれません。
アメコミを描くときは、ネームから入るのではなく、まず全部脚本に落としてから作業に入ります。ライターを兼任するときも、編集会議を通すために、日本の漫画家のようにいきなり絵でネームを切るのではなく、アメコミのスクリプトの形式に則って、セリフ、シーン、パネル構成を文字で全て指定します。根本的にやることは漫画もアメコミも同じですが、プロセスは違うし、コマ運びやレイアウトに関しても、アウトプットの際に意図的に自分で変えるようにはしています。いずれは融合していきたいですが、試行錯誤している段階です。

Photo:Hyakuno Mikito

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AI時代におけるクリエイターの「本質」
現在、AIに関する議論が世界中で起こっていますが、この時代にクリエイターが向き合うべき「本質」は何だと考えますか?
Acky Bright – この質問はどこへ行っても聞かれるのですが、僕は一つの答えを持っていて、それを「料理」に例えています。絵を描く人、ものを作る人というのは、基本的に「プロセスを楽しんでいる」はずなんです。しかし、SNSが出てきたことで、人から評価される「結果」(いいねを集める、大きな仕事をするなど)が簡単に得られるようになり、早くそこへ行くことが目的化してしまいました。AIは、まさにその「結果」を簡単にかなえてくれるツールです。でも、本来の喜びは、絵を描くこと自体にある。僕自身が、描いてる途中は楽しいけれど、描き上がったものにはさほど興味がないのはそのためです。料理にしても、自分で作ったものを人にごちそうして喜んでもらうのは嬉しいですが、インスタント食品を振る舞ってもそれは自分の料理ではない。AIに結果を出してもらうことは、インスタントを振る舞うことに近い。つまり絵を描く人にAIの作画を聞くことは、かつてウサイン・ボルトに、「新しいフェラーリが出たことをどう思う?」と聞いたという話と同じで、車が速くなろうが、人間が速く走るという“価値”は変わらない。ライブドローイングも、作品の完成度を評価してほしいのではなく、描いているプロセスにこそ価値があるという考えからやっています。だから、クリエイターは、AIがどうの、ルールをどうするか、という議論以前に、「そもそもこの仕事はなぜ楽しいのか」という本質的なところに立ち返り、自分のモラルと向き合わないと、この仕事を長く続けることはできないと考えています。
自身の創作における「核」と「キャラクターデザイン」の哲学


創作において最も大切にされている「核」や、こだわりの部分はどこにありますか?
Acky Bright – 根底にあるものは「ゼロからイチを産み出すこと」ですが、具体的な作画スタイルで言うと、「白黒表現」と「キャラクターデザイン」へのこだわりがあります。ただ、初期の頃の僕の絵が白黒だったのには理由があるんです。
デザイン会社をやっていたはじめのうちは、スタッフに隠れて仕事中にアーティストとしての作品を描いていたので、PCで色を塗ったり、大々的に描くとバレてしまう。なので、シャーペンとコピー用紙でやるしかなかったんです(笑)。もちろんそれだけではなくて、ルーツが日本の「漫画」であるということも相まって、白と黒がAcky Brightのひとつのスタイルとして認知されていきました。

メカと女の子の融合したスタイルはどのようにして生まれたのですか?
Acky Bright – 実は、「女の子を描くのが苦手だった」という苦手意識からだったりします。名前を出さないで描いていたころも女性は描いていましたが、それはどちらかというと企業のために描いたもので女性を魅力的に描くことは求められていませんでした。しかし、アーティストとして女性のキャラクターを魅力的に描こうと思ったとき、ただポートレートのような女性イラストを描くのが照れくさくて(笑)。それを誤魔化すように、角を生やしたり、メカをつけたりしていました。それがSNSでバズって、私のシグネチャーのひとつとなってしまいました。なので、いまだに「女の子を描くのが得意だ」とは思っていないというのが正直なところです。

キャラクターデザインにおいて、特に重視している点は何でしょうか?
Acky Bright – 「シルエットでわかるものを作りたい」という点です。髪の色を変える、目の表現を変える、衣装を変えるといった日本的なスタイルのキャラクターデザインよりは、ピクサーやディズニーのように、シルエット(形)だけで何のキャラクターかわかることが、僕の中での基本です。北米マクドナルドでの仕事「WcDonald’s」の際にも徹底しましたが、多国籍なキャラクターを描くとき、ただ肌を黒くするだけでなく、骨格や筋肉のつき方、顔の形といった人種的な特徴を正しく反映させることにこだわっています。昔、ある漫画家さんの、「君のキャラクターは、骨にするとみんな一緒だね」と言われたエピソードを本で読んで以来、「骨も識別できるキャラクターにならなきゃいけない」と強く意識しています。

日本のクリエイターへ送るメッセージ
若手の作家、クリエイター志望の方々に、何かメッセージをいただけますか?
Acky Bright – 僕は、日本のコンテンツをさらに世界に広げるためには、日本のクリエイターが「もっと外に出て交流すべき」だと強く思っています。コンベンションに行くと、日本からのゲストは英語が苦手だったり顔出しNGだったりで、ファンとの交流も限定的になりがちです。すごく気持ちもわかります。でも日本からのゲストとコミュニケーションしたいアメリカの人々からすると、とても「物足りない」と感じるはずです。僕がアメリカで認知されたのは、ファンとの交流を徹底してやったからです。英語が完璧でなくても、コミュニケーションはできる。僕も2022年にはじめてNYでコンベンションに参加したときは、アメリカでもまったく無名でした。しかし、この活動を通じて「そんなんでやれるもんなの?」と言われながらも、結果としてMcDonald’sをはじめ、MetaやRedBullとコラボしたり、NYのJapan Societyでの単独個展を実現するところまではこれました。そして、今の日本の仕組みの中で僕のような活動をしようとすると、既得権益の壁に阻まれてしまいます。しかし、外側(海外)から入ってくると、日本ではいとも簡単に多くのことをクリアできるという不思議な現象があります。

Photo:Hyakuno Mikito
僕の活動をきっかけに、これから「Acky Brightと同じようなことをやってみよう」と思う人が現れてくれたら嬉しいです。考えすぎで絵を描く人は、もう時代遅れです。コミュニケーションの手段はいくらでもあります。大事なのは、そこではない。そして、長く活動を続けるためには、目の前の「いいね」や「売れているもの」に流されるのではなく、僕なんかより、本当に30年、40年と現役で活躍し続けている「本物の先輩たち」を見て、その姿勢から学び、自分のモラルと情熱を保つこと。僕らの業界は、ありがたいことにそういうかっこいい先輩たちがたくさんいます。彼らがいるから、「今はまだ全然ダメでもあと何十年後には追いつけるかもしれない」と思える。そうやって、日本のクリエイターたちが世界で活躍し続けるための道筋を、今後は僕自身も作っていきたいと思っています。