ニューヨークのマンハッタンのど真ん中にある「ジャパン・ソサエティ」。
そこではこれまで、草間彌生や村上隆など、数々の名だたる芸術家たちが名を残してきた。
そんな由緒ある場所で4ヶ月に及ぶ個展「Acky Bright: Studio Infinity」を開催したのが、日本の漫画家・イラストレーターのAcky Brightだ。
数々のDC COMICS等でコミックのヴァリアントカバーを手掛け、北米McDonald’sが世界40の国と地域で展開したグローバルキャンペーン「WcDonald’s」では、長いマクドナルドの歴史で初めて、紙バッグをデザインした個人アーティストとなった。
そんな海外での活動が目立つ彼が、ある意味逆輸入的に日本の最前線に割って入ったのだ。
Ado、YOASOBI、Vaundyら今をときめくミュージシャンたちを招聘してきた日本マクドナルドのキャンペーン楽曲「ティロリミックス」では、楽曲だけでなく、オリジナルのアニメーションMVが大きな反響を呼んでいる。圧巻の動画体験のあとは決まってクレジット欄を眺めてしまうもの。キャラクターデザインには、彼の名前がある。
「アートは、言語や国境を越える」
そう語るAcky Brightは、「アメコミ」と漫画を行き来した特有の作風で語られることが多い。
しかし話を聞いていくうちに、彼の見据える未来は、もっとずっと大きいものだったと気づくことになる…。
はじまりは裏方として

Acky Bright – 今の名前「Acky Bright」を名乗る前からデザイン会社を経営していたんです。その時の僕の本分は、いわゆるプランナー。色々な企業のプロモーションや広告、イベント企画などを考えていました。その時に、要所要所で「イラスト」が必要になるんです。
その時のイラストをご自身で描かれていたんですね。
Acky Bright – そうですね。元々幼い頃から絵を描いていて、漫画家を目指していました。高校生くらいの頃には、出版社の担当の方に付いて頂いていた時期もあったのですが、当時は尖っていたのと、状況をよく分かっていなかったです(笑)。結局漫画家ではなくて、デザイン会社を経営することになって。会社では、あくまでプランナー。イラストに関しては、名前を一切出さずに、完全に「裏方仕事」みたいな感覚でやっていました。フィクサーっぽくて面白かったし、名前を出さない、責任のなさがゆえの自由さも感じていました。ただ、会社も大きくなってきて、ちょっと思うところが出てきたんです。

Photo:Hyakuno Mikito
「世界ではこんなに面白いことになっているのか…。」
Acky Bright – 2017年、8年くらい、まだNetflixが今ほど有名じゃなかったときに、Gleeのライアン・マーフィーが、「5年契約で300億」っていう話を聞いたんです。300億ですよ?「メッシじゃん」って思いました(メッシはもっと稼いでますけど)。「脚本家とかエンタメの仕事で、メッシになれるんだ…!」って衝撃で。ただ、「お金を稼ぎたい」とか「有名になりたい」っていう意味ではないんです。
それまでの予算配分では、設備投資が9で、コンテンツが1くらいの割合でした。そこから設備への投資額は更に増額されているのにも関わらず、その比率がひっくり返ったんです。設備投資が1で、コンテンツが9になった。つまり、予算の規模自体が100倍とかの勢いになってきている。「世界ではこんなに面白いことになっているのか…。」と思いました。
インフラ的にも、例えば海外の方が日本のTVシリーズのアニメを視聴するには、違法アップロードのものか、もしくは円盤にならないと観られなかったのが、日本にいる僕らと同じで、ほぼリアルタイムで観られるようになった。それまであった、日本と世界の時間的、物理的な壁が無くなったんです。コロナ禍や日本の経済情勢もあり、国内での仕事には限界を感じていたのも相まって、海外に対して意識し始めたんです。リモートでの仕事が一般化したのも、海外との仕事を後押ししてくれました。
そうした流れで「Acky Bright」が生まれたんですね。
Acky Bright – はい。もともとプランニングをやっていたり、漫画家を目指していたのは、「0から何かを作る」というのが好きだったんです。まだ若いし、お金の為だけに働くのもつまらないと思っていたので、初めて自分の名前で絵を描こうと決心しました。
江戸川コナン方式で生まれたAcky Bright

名前の由来はなんですか?
Acky Bright – 一番最初のアメリカでの仕事でクレジットを入れる必要があって、ペンネームを考えようってなった時に、外国人っぽくしようと思ったんです。あだ名で「アキ」と呼ばれていたので、江戸川コナンみたいに「アッキー」に何か付け足した名前にしようと考えて、会社の名前の一部である「ブライト」を付けました。コンベンションなどのゲストリストで名前が出た時に、AとBなので、上に来るのも目立って好都合でした。
名前が決まって、どういったことから始めましたか?
Acky Bright – 当時はSNSをほとんど活用していなかったので、XやInstagramにイラストを毎日投稿することから始めました。寺田克也さんやキムジョンさんらの影響もあり、イベントに出てライブドローイングをしていました。2021年には、憧れだった寺田克也さんと一緒にライブドローイングをさせて頂きましたが、あれ以上に緊張するシチュエーションはないので、どんな国や規模のイベントでも緊張しなくなりました。

アメリカでの本格始動

Photo:Hyakuno Mikito
アメリカではどういった仕事をしましたか?
Acky Bright – 『トランスフォーマー』のTシャツのイラストが、アメリカに渡ってから初めての仕事でした。MoMAでキュレーターを務めるPaola Antonelliさんや、当時、DC Comics バットマングループ編集長だったBen Abernathyさんが僕のことを買ってくれていたのも凄く大きかったです。次第にドイツのBMWとの仕事やDCコミックス、北米のMcDonald’sのキャンペーン企画である「ワクドナルド/ WcDonald’s」のキャラクターデザインなど、たくさんの仕事を頂けるようになりました。DCコミックスでは、「ジョーカー」や「ハーレークイーン」、「KNIGHT TERRORS」などのスピンオフ企画なども描かせて頂いています。
日本の漫画とは異なる文脈の「コミック」を描くことに対して、どのように考えていましたか?
Acky Bright – 子供の頃からずっと漫画や「アメコミ」は好きでした。漫画家になりたい気持ちはあったけど、まさか自分が「アメコミ」の作家になるなんて全く想像もしていなかったです。いざ描くとなると、そもそも仕組みがわからないんですよ。あくまで“観る側”、コンテンツとしての『マーベル』や『DCコミック』、ヴァリアントカバーとかはなんとなく知ってはいましたが、具体的な裏側についてや制作についてはひとつひとつ、やりながら学んでいきました。


「世界のMANGA」に感じたギャップ
Acky Bright – 海外で本格的に活動するにあたって、ビザを取れたことが本当に大きかった。渡航前から北米ですでに多くの実績があったことが認められてビザが取得できたんです。ビザは取得がものすごく大変な上に、取得前に現地で仕事をするのは犯罪にあたる。取得までの期間は、コロナ禍もあったので、スムーズに全てリモート。国内にいながら北米で実績がつくれたのは大きかったです。
無事ビザを取って、現地での活動はいかがでしたか?
Acky Bright – 現地での3年間は、本当に充実していました。ビザのお墨付きで自由に活動も出来ました。日本のアニメや漫画って、今世界を席巻しているじゃないですか。日本のメディアとかだとそ̇う̇い̇う̇こ̇と̇になっている。確かに、「アニコン」とか行くと、それはもうすごいんです。めちゃめちゃファンがいるし、街に出ても、車にアニメのステッカーを貼っていたりとか、『ドラゴンボール』のTシャツを着ている人を見かけたりはするんです。でも、現地で仕事をしているからこそ分かったのが、肌感覚で言うと、実態は「20年前の日本」みたいな感じなんです。いわゆる、「オタク」だけの文化という感覚。今の日本では、アニメや漫画は、もう完全に一般化しているじゃないですか。そういう意味では、海外でのポテンシャルはまだまだ余地があると思うんです。でも、なかなか難しいというか、壁があるとは感じています。
海外のマジョリティに刺さる漫画を目指して
Acky Bright – これら目指すべきものはまさにそこで、日本から作ったものをただ輸出するのではなくて、本当の意味で漫画やアニメが世界のコンテンツとして広まっていくには、やっぱりプレイヤー、作り手側も日本以外の人が増えていくことも重要だと思っているし、実際海外のアーティストの描くMANGAやANIMEのレベルもどんどん上がっていると感じます。そしてそういう状況になってきたからこそ、世界中の人が参加して、この日本発祥のカルチャーを盛り上げていくことが非常に重要だと考えています。最近になって、出版社さんなどがそういう動きを見せてきてはいるんだけど、やっぱり課題はある。
MANGAやIPでアメリカで活動するとか、出版社の人もアメリカに駐在して、作家と膝つき合わせてやれるんのかって言ったら、なかなか難しいところがある。そこの壁、天井がある中で、僕はアメリカの中で混じってやることに意味を感じています。
僕は今北米にスタジオを作る準備をしていますが、まさにそれもいろんな国のアーティストが面白いものを作ることをアーティストの視点に立ってサポートしたいという考えからで、それが僕の一番の目標、夢です。
自分が人気になりたい、もっと売れたい、とはちょっと次元の違う話ですね。
Acky Bright – そうかも知れません。

最後は“裏方”として
Acky Bright – デザイン会社での裏方的な立場から変わって、今は名前を出して表舞台で楽しくやっていますが、最終的には、もう一度、僕自身が“裏方”になりたいと思っているんです。やっぱり「ゼロイチ」の仕事がずっと好きなんです。プロデューサーやプランナー、指揮系統を握るディレクションなど。フィニッシュワークに完全に興味がないわけではないですが、そういうことができる人材って、山のようにいるんです。僕よりも、すごく素晴らしい人たちがたくさんいる。その人たちと一緒に仕事をやればいい話で、僕はどちらかと言うと、新しい場所だったり、何か新しいものを切り拓いていきたいと思っています。さっきも言ったように、今まさに、ニューヨークにスタジオを作る準備をしているんです。
これは“裏方”としての第一歩です。ただ、資金集めや実績など、今の僕ではまだ至らない部分もある。今はありがたいことに表舞台のアーティストとして注目して頂いているのだから、一度自分で行けるところまでやっていこうとは思っています。そこで行き着く先が、“裏方”であればいいなと思っています。
アーティストとしての野心のようなものはないと?
Acky Bright – そう思います。なぜかというと、それだけでは世界を変えることはできない。僕の満足だけで終わってしまう。僕がちょっと人よりモテる程度の話で終わってしまうと思うんです。
世界をアートやコンテンツの力で平和に

そこまで大きな視点を持つようになったきっかけはなんですか?
Acky Bright – 子供の頃の、苦しくて大変だった環境が影響していると思います。しんどい中で僕を救ってくれたのが、『ジャンプ』や『マガジン』をはじめとする漫画でした。毎週出るのを待ちながら、「生きよう」と思っていました。漫画があったから本当に人生が救われたので、恩返しというか、僕と同じような人がいるのなら、漫画を通して少しでも世の中が良くなれば嬉しいです。
例えば、鳥山明さんが亡くなった時に、本当に世界中の人が分け隔てなく哀悼の意を表しました。鳥山明、『ドラゴンボール』ってすごくないですか。宗教とか政治とか、もう全部超えちゃってる。音楽やアートもそうだけど、ファンの間では国境もないし、同じ好き同士。世の中への貢献の仕方はたくさんあると思いますが、エンタメを仕事にしている人間である以上、そういった部分は大切にしていきたいし、目指していきたい。そんな想いで、海外を拠点に活動しているんです。
名前が世に出ることはない、“自由な裏方”から、働く喜びを探して表舞台に立ち、海を超えたAcky Bright。その先で目にしたのは、日本アニメ・漫画の“限定的な広がり”という現実だった。後編では、漫画とアメコミという、東洋漫画と西洋漫画の根本的な相違点や、キャラクターデザインの裏側、日常レベルで日本メイドを広める為に尽力するAcky Brightが見据える、AI時代の創作活動に迫ります。