日本発・世界共通「非常口マーク」の秘密。実生活を陰で支える「ピクトグラム」とは?

スマホで日常的に使われる「👍」といった絵文字は、言葉を介さずに世界中の人々が「good」であると理解できる。しかしよく考えてみたら、これは結構不思議なことじゃないだろうか?つまりただの絵が、世界共通の言葉になっているのだから。こうした視覚記号を、より言語的にシステム化したものが「ピクトグラム」だ。2020年東京オリンピックでの話題を覚えている読者もいるだろう。

現在世界中で見られるこのシステムが本格的に作られ、世界中に広まった背景には、日本のデザイナーたちの知られざる挑戦があった。今回は、そんなピクトグラムと日本の関係を追いつつ、ピクトグラムの役割について紹介したいと思う。

世界共通というシステム

ピクトグラムの原型は第一次世界大戦直後まで遡ります。当時オーストリアでは文字の読めない子どもへの教育用として「アイソタイプ」と呼ばれる記号が使われ、ヨーロッパの鉄道でも国境の交通整備に視覚的に理解できる記号が用いられていた。しかし、これらは統一されたシステムではなく、1964年の東京オリンピックで日本が働きかけるまで地域ごとでバラバラなままだった。実際、東京オリンピック前の日本でも、空港の禁煙表示は手書きの文字デザインのままだった。

東京オリンピック前までの日本は海外からの旅行者が非常に少なく、世界90カ国以上の人々が東京に集まる状況は前代未聞だったという。すべての言語で施設案内を作るわけにもいかず困り果てた組織委員会は、デザイン評論家の勝見勝に相談した。勝見は、誰が見てすぐわかる言葉(視覚言語)の重要性を掲げ、田中一光や横尾忠則ら伝説的なクリエイター10人を集めてプロジェクトを立ち上げた。

1964年東京オリンピックのピクトグラム / Wikimedia Commonsより

彼らはトイレや休憩室を示す「施設シンボル」に加え、世界初の試みとして各競技を表す「競技シンボル」を開発。プロジェクトは見事に成功した。さらに勝見は、ピクトグラムは「世界共通」のシステムであるべきだという理念のもと、制作されたすべてのピクトグラムの著作権をあえて放棄した。この決断により、日本のデザインとそのシステムは以降のオリンピックでも受け継がれ、世界へと一気に普及していったのだった。

一人でも多くの人が理解できるための仕掛け

ピクトグラムの本質は「世界共通」であることだ。現在使われている多くのピクトグラムは、ISO(国際標準化機構)の規格に基づいている。その代表例が、日本人デザイナーの太田幸夫が1984年に設計した緑色の「非常口」ピクトグラムだ。

1970年代初頭まで、日本の非常口サインは「非・常・口」という漢字3文字が光るだけのものだった。しかし、火災事故をきっかけに設置が進む中、「外国人や子どもが理解できない」「施設全体が危険区域のように感じる」といったクレームが相次いだ。そこで太田は、日本代表としてISOに向けた新たな非常口ピクトグラムのデザインに着手することとなった。

太田らは全国から3373点ものデザインを公募し、煙の充満や照明の点滅といった災害時を想定した過酷な環境下で視認性の実験を繰り返した。老若男女がパニック時でも即座に理解できるかを科学的に検証し、1980年に洗練された「駆け込む人」のデザインを完成させたのだ。

ISO非常口ピクトグラム / Wikimedia Commonsより

非常口ピクトグラムのデザインは、単に多くの人種や年代といった「鑑賞者」を想定するだけでなく、視認が困難な「状況」すらも想定してデザインされている。しかも丸みを帯びた人のフォルムは緊張感を緩和し、緊急時の心理に配慮までされている。太田のピクトグラムが今日まで世界中で使用されてきたのは、こうした技術力の高さにあるだろう。

現代ピクトグラムの挑戦

そして現代でも、日本はピクトグラム先進国であろうとしている。渋谷区の公衆トイレプロジェクト「THE TOKYO TOILET PROJECT」では、世界的クリエイター16名による多様な検知デザインに対し、グラフィックデザイナー・佐藤可士和がデザインしたピクトグラムが全てのトイレに共通して使用されている。佐藤可士和は日本で最もよく使用されている種類のピクトグラムを参照し、新たなデザインを設計。一見すると標準的なピクトグラムだが、パーツの角をわずかに丸く面取りして成形されている。このデザインには、都会の冷たい印象を和らげ、利用者に安心感や優しさを感じさせる配慮がある。

恵比寿駅前の公衆トイレ/デザインは佐藤可士和 / Wikimedia Commonsより

ガラス張りで透明になるトイレ、木材を多用した森のようなトイレ、レトロな一軒家風トイレなど、外観や素材はバラバラだが、そこに共通のピクトグラムを配置することで、「ここがTHE TOKYO TOILETの一環である」というシンボルになると同時に、バラバラなトイレに唯一の共通項を与えている。

「世界共通」という幻想

1920年に生まれ、今日も生活の中で進化を遂げているピクトグラムだが、ピクトグラムはシンプルであるが故に誤解を招きやすい。例えば公衆トイレのピクトグラムは時々、どっちが女性なのかわからない場合があるし、そもそもスカートを履いているから女性だという理解は現代的ではないのかもしれない。THE TOKYO TOILET PROJECTではこうした課題に対し、一部のトイレはオールジェンダートイレとして設計している。あえて男女両方のピクトグラムを一緒に提示することで、誰がみても「男と女」とわかるようにもなっている。

もちろん、この試みに終わりはない、誰かを満たそうとすると、常にそこからはみ出す人々が現れる。しかし、だからこそ「世界共通」のピクトグラムは進化し続けるのだろう。

【連載】Convenience ART Vol.8「現代アーティスト・オロスコはコンビニをどう捉えたのか」

「コンビニエンスアート」第8回。今回はコンビニにアートを持ち込むのではなく、コンビニをアートにした人物を紹介しよう。

ガブリエル・オロスコ / クリマンズット / メキシコシティ / 2017
ギャラリー公式サイトより

アートの歴史は、終わりのない実験の歴史だ。ある作家はアートを生活に持ち込もうとし、また別の作家は生活をアートに持ち込もうとした。しかし彼らは一体なぜ境界を越えようとするのか?道端で踊るダンサーは通行人にとってはジャマだし、空き缶をカンヴァスの代わりに使うなんてアートとは呼べない気もする…。

しかし「アート」はまさに作家の「生活」に大きな影響を与えており、「生活」はまた表現に影響を与えているが故に、これらを交差させたいのかもしれない。

そうしたアートを取り巻く状況の中で、「コンビニ」を起点としてアートと生活の関係に切り込んだのが、メキシコ出身の作家ガブリエル・オロスコだ。

オロスコの制作手法は、生活に潜むガラクタや雑貨などに少しだけ手を加えてユニークな造形を生み出す。「OROXXO」は、そんな彼がコンビニ全体を素材とした作品で、Oxxoというメキシコのチェーンコンビニ店の隅々に少しづつイタズラするようにして執り行われた。

ガブリエル・オロスコ / クリマンズット / メキシコシティ / 2017
ギャラリー公式サイトより

もちろんこれまでも、アートを生活に取り込む試みはなされてきた。しかしなんとオロスコは、コンビニを「丸ごと」ギャラリー内に再現してしまったのだ。ギャラリーの中にコンビニを作り、その中の商品に手を加えて作品化するという複雑な手順を踏むことで、ただアートと生活がぶつかり合うのではなく、互いに技を掛け合うような状況をもたらす。このように、これまで分けられてきた物事を無理やり繋げることで互いに変化をもたらすのが現代アートのやり方だ。つまり、オロスコの試みは、ギャラリー内コンビニを舞台として、アートと生活の技巧を競わせる格闘技であると言える。

オロスコ側の攻撃は、300あまりの製品に手を加え、コーラやポテチのパッケージを作品化したことだ。具体的には、半円状のシールを規則的にパッケージに貼っただけだ。それはこの架空コンビニのロゴでもあり、商品のロゴに別の造形性を持たせる機能もある。つまり彼は、コンビニのイメージをそのまま自分のイメージで上書きしたのだ、それも最小限の手つきで。なんてクールなんだろう。逆にコンビニ側は、これまで美術が大切にしてきたカンヴァスなどを廃止し、ポテチの袋を素材とさせることで美術に攻撃をしている。

互いに物差しを突きつけ合い、既存の境界線を変えていくことがアートであることが分かっただろうか。

ガブリエル・オロスコ / クリマンズット / メキシコシティ / 2017
ギャラリー公式サイトより

私たちの日常を支えるコンビニの棚。その裏側に、作家のイタズラが潜んでいると想像するだけで、いつもの買い物が少しだけスリリングなものに変わる。

アートは今日も、商品のパッケージというカンヴァスの上で、私たちの常識をひっくり返そうとしている。

【連載】Convenience ART Vol.7「夜中のコンビニが、ダンスフロアに」

「コンビニの姿をそのままに、全く新しい意味を与えるには?」

これはクイズではない。アートには、物の見た目は変えずに、その「意味」だけを塗り替える魔法がある。今回紹介するのは、深夜のコンビニが、ある夜、熱狂的なクラブハウスへと変わった出来事だ。

見た目をそのままに使用方法を変えるとはどういうことか。例えば母親が着古したコートも、読者が着れば全く別の輝きを持つだろう。こうして「平凡なコート」は「最新のファッションアイテム」へと様変わりする、見た目を変えずに。つまり、物と関わる人や、物を取り巻く環境を変えてあげることで、物は全く意味を持つのだ。

2026年3月、ニューヨーク。

街の一角に突如として出現した、日本のコンビニ。しかし、これはただの再現ではない。棚に並ぶおにぎりやサンドウィッチのその奥には、秘密のクラブへの扉が隠されていた。

しかもその扉は、飲み物用の巨大な冷蔵庫を模している。スパイ映画の秘密基地が、かつては隠れ家や仕立て屋の裏口に設定されていたように、現代の物語は「コンビニ」から始まるのかもしれない。

「コンビニ」という場がアメリカという土地で放つ煌めきは、強烈だ。日本では、コンビニで買った缶チューハイを帰り道にプシュ、なんてことはよく見る光景だ。けれど、歩き飲みが厳しく禁じられ、缶チューハイという文化そのものが存在しないアメリカにおいて、それは異文化のお祭りに他ならない。

また、チューハイやフルーツサンドなど、日本では当たり前のものもアメリカにはない。また日本の何気ないおにぎりも、フルーツサンドも、ここでは眩いパーティのためのアイテムとして再定義される。爆音のダンスミュージック、踊り狂う聴衆。その光景はティックトックのタイムラインを駆け巡り、平凡な日本が見たことのない「日本」として拡散されていく。

場所を変え、関わる人々を変えるだけで、日常はいくらでも姿を変える。コンビニでさえも、ニューヨークの夜には煌びやかなダンスフロアへと変貌する力を持つ。

次に読者がコンビニの自動ドアをくぐるとき、その先にどんな扉が隠されているか、少しだけ想像してみてほしい。

ただの買い出しのつもりが、そこから夜の物語が始まっているのかもしれないのだから。

ファッションショーがワカラナイ!

服は好きだけど、パリコレやランウェイはわからない!と感じる人も多いだろう。一見すると奇抜で、時には理解を拒むようなものすらあるけど、なぜだか目が離せない…。この記事では、そんな不思議なファッションの世界を、アートの視点から紐解いてみたい。


一直線に伸びたランウェイを堂々たる姿でモデルが歩いてくる。その姿は、日々、誰かを見て思う“お洒落”とは違ったりする。ここでは、必ずしもデイリーに着るものを提示している訳ではない。「アート」が美術館やお金持ちの家の中にしかないように、ここでいう「ファッション」は、ランウェイやセレブのパーティなどに限った話。服の造形的側面を高めるべく、それが存在する場所を限定するという、一種の方法論に近い。

それでも昨今のファッションは、その「場所」から飛び出し、私たちの「生活」と「アート」の間をゆらゆらと行き来することに新たな可能性を見出している。そうした昨今の潮流を、3つのキーワードと共に駆け足で紹介する。

意外な組み合わせを楽しむ:Maison Margiela、sacai

「君主たち」 / エドガー・エンデ /ドイツの シュルレアリスム画家であり、かの絵本作家・ミヒャエル・エンデの父親でもある。

何か変なものをみた時に「シュールだね」なんていう人がいるが、シュールという言葉はシュルレアリスムに由来している。シュルレアリスムは、本来結びつかないもの同士を組み合わせることで、意識の外側にある現実(超現実)をあぶり出す美術運動だ。この手法は現代ファッションにも多大な影響を与えている。

今年5月に東京と京都で大規模な個展を開催した美術作家マルタン・マルジェラは、Maison Margielaの創設者でもある伝説的なファッションデザイナーだ。彼の衣服は常に、衣服と別のものを意図しない形で組み合わせることで作られてきた。例えば2001年に作られたベストは、古着の手袋のみで構成されている。

Artisinal white glove top

彼は一見価値のない安物の手袋でベストを作ることで、着用者の身体に触れるような色気を導き出し、衣服産業における価値の転換を図った。

現代では阿部千登勢が手掛けるsacaiが、最も洗練された「シュール」を体現している。

彼女の作る服はマルジェラとは異なり「え、そこでつなぐの?!」と声が出るような縫製が魅力だ。ニットとシャツ、コートとジャケットなど、別々の生活服を切り貼りするようにして作られた衣服は、結果として見たことのないシルエットやドレープを作り出す。

sacai Spring &Summer 2026 Collection

Maison Margielaもsacaiも、身近なものの不意な組み合わせが、気づかなかった美を提示する。それこそがファッション的なシュールさの醍醐味だ。

アートとデザインの融合:Dior、visvim

「りんぼく」 / ウィリアム・モリス

ファッションは、単に見た目が美しいだけでなく、社会に対する「問い」や「行動」であることもある。19世紀イギリスの作家ウィリアム・モリスが提唱した「アーツ・アンド・クラフツ」運動は、工業革命による手仕事の減少を批判し、生活とアートの一体化を目指した。この精神は、現代のブランドにも脈々と受け継がれている。

代官山に「パビリオン」と名付られた美しい店舗を構えるDior。創業者のクリスチャン・ディオールは、時代と呼応した服作りが特徴だ。「ニュールック」と呼ばれる彼の初期作は、なんと戦時中であるにもかかわらずとても動きづらい。

Christian Dior; Spring-Summer 1947 / wikimedia commonsより

このシルエットは戦時中の貧しい人々の心を刺激し、デモ運動まで起こったという。ディオールは、ただ美しい服を作ったのではなく、戦争にもへこたれない優雅な女性のための服、あるいはそうなれる服を作っていた。生活には向かないシルエットがむしろ生活を刺激するような挑発は、彼の作品が生活とアートと強く関わり合っている証拠だ。

また中村ヒロキによるvisvimは、ヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻」というアイデアを背景に持っている。社会彫刻とは、あらゆる人間活動は社会という素材を形作る彫刻活動であるというアイデアだ。

彼の美しい素材の探究から職人の技術までを徹底する姿勢は、単なる服作りを超えた社会活動でもある。「Social Sculpture」と名付けられた定番ジーンズは、名の通り職人と着用者の関係を通じて完成する「彫刻」といえるだろう。

「見えないもの」をアートする:THE ROW、Fragment

私たちの生活は目に見えるものだけで成り立っているわけではない。現代アートもまた、目には見えない「概念」や「イメージ」を作品化してきた。例えば画家・河原温は、1960年代から、カンヴァスに日付だけを描く「日付絵画」というシリーズを展開している。この作品は一日丸ごと使って描かれたと言われているのに、それを記録した写真は一切残っていない。何が本当で何が嘘なのか…もしそれが嘘だとしても、日付絵画の向こうに河原温の1日を感じてしまう…というのが河原の目論見なのだ。つまり彼の作品は、鑑賞者の想像力そのものでもあると言える。現代ファッションもまた、形のない「ブランドイメージ」や「先入観」をデザインの対象としている。

2006年にオルセン姉妹によって設立されたTHE ROWは、極めてシンプルなデザインの中に最高級の素材を封じ込めている。特筆すべきは、彼女たちの宣伝方法だ。SNSやルックブックにおいて、服と並んで彫刻や建築の写真を提示することで、着用者の中で、彫刻の曲線と縫い目の曲線が等しく美しいことに気づかせようとしてくれている。

また藤原ヒロシ率いるFragmentは、服を作らずに「イメージ」を操作するプロジェクトだ。

Louis VuittonやMonclerといったラグジュアリーブランドとのコラボレーションにおいて、彼はロゴを載せて色を黒に変えるといった最小限のデザインしか行わない。

MONCLER FRAGMENT/MONCLERはコラボレーションラインとして定期的に他デザイナーを招いている

一見すると手抜きのようにも思えるデザインは、しかし、そのわずかな変化が、相手ブランドが持つ「伝統」という重苦しいイメージを、現代的な「ストリートの文脈」へと一気に書き換える。最小限のデザインの変化だけで服のイメージを全く変えてしまう手つきは、ものを媒介として「ブランド」という形のないものをデザインする現代アート的手法と言える。THE ROWはブランドを通じてもののイメージを、Fragmentはものを通じてブランドのイメージを作り替えているのだ。

ファッションを読み解く双眼鏡

最近ではJWアンダーソンが手がけたLOEWEのように、これら3つの要素を絶妙にミックスしたブランドも多い。

ファッションショーをただ「着るための服」としてではなく、「何を使って、どんな新しいことを提案しているんだろう?」という視点で眺めてみよう。この3つの傾向は、きっとファッションの世界を見渡す双眼鏡となってくれるだろう。

独立系映画スタジオの美学

表現物は、全て独りによって作られるものとは限らない。

ある種の人々は、展覧会に並ぶ全ての作品は作家たちが独断で作りあげ、その後からプロデューサーやキュレーターが並べ上げると考えているが、作品制作における判断という意味では、それは間違いだ。

たとえば美術の領域では、ギャラリーや美術館での展示に際してキュレーターが監督となり、作家たちと対話をしながら一緒に展示物を作り上げていく。作品が公にされている限り、作家以外の判断が制作に介在することを考慮すべきだ。

この構造は、資本と技術が大人数の手によって作られる「映画」という領域において、より顕著となる。映画スタジオは単なる出資者ではない。それは監督と共に、作品のDNAそのものを書き換える「第二の監督」なのだ。本稿では、巨大資本から自立した「独立系映画スタジオ」をいくつか取り上げ、彼らが映画文化において刻んできた固有の判断(キュレーション)を浮き彫りにしたい。

「独立系映画スタジオ」とは

そもそも記事の題名にもある「独立系映画スタジオ」とは何を指すか?

それは、大手企業の傘下で莫大な他事業の利益をそのまま製作費に充てられるメジャースタジオとは一線を画す。独立系映画スタジオとは、自社で資金調達から配給までを完結させる映画スタジオを指し、その構造は、一見すると脆弱だが、裏を返せば「表現の自由」を担保する大きなアドバンテージとなる。

メジャーは「絶対に外せない」興行収入のために王道映画を作り続けるのに対し、独立系は配給段階でミニマムな資金回収を設計することで、先進的な映画の実験場を確保する。それゆえに、作家自身が自らの城(スタジオ)を築き、自身の表現を守りながら他作家の制作を支援するというシステムがしばしば誕生するのである。

1. エリック・ロメール:Les Films du Losange

戦後フランス映画界を震撼させたヌーヴェルヴァーグ。ジャン=リュック・ゴダールらの活動によって映画文化に大きな影響を与えたこの運動は、即興的な撮影を取り入れ、従来の演劇的な映画文化に新たな可能性を提示した。この潮流から現れた巨匠エリック・ロメールは、自身の表現により柔軟性を持たせるため、1962年に映画スタジオ「Les Films du Losange」を設立する。

ロメールはここを拠点に、連作『六つの教訓話』という映画史に残るシリーズの制作を開始した。注目すべきは、この極小のスタジオが、映画の作品商標を巧みに運用することで資金を循環させている点だ。現在までにミヒャエル・ハネケらの傑作を含む80本以上のライセンスを保有している。この資金繰りを卓越した経営センスで動かしてきたのが、本スタジオの代表であり名プロデューサー、マルガレット・メネゴズである。彼女の経営スキルとロメールの審美眼が交差し、60年代にひっそりと始まったスタジオは、フランス映画史のアーカイブとしての役割も果たしている。

2. アピチャッポン:Kick the Machine Films

時代と国を跨ぎ、タイの現代映画に目を向ければ、スタジオは「政治的シェルター」としての機能を持つ。映画監督アピチャッポン・ウィーラーセタクルが1999年に設立した「Kick the Machine Films」がそれだ。

アピチャッポンの映画は、タイの土着的な神話と静寂な空気を交差させた詩的なものだが、それを語る上でタイの過酷な政治事情は無視できない。上映前には国王への起立が義務付けられ、検閲が日常化しているこの国において、直接的な政治批判は大きなリスクとなる。アピチャッポン自身も、非常にわかりづらい方法で政治的なメッセージを映画に取り入れている。アピチャッポンは、自身の国際的な人脈と資金を元手に、このスタジオを通じて若い作家たちの尖鋭的な表現を支援し続けている。大手がリスクを恐れて忌避する表現を自前のスタジオで担保する。ここでのスタジオの「判断」とは、単なる美学的チョイスではなく、政治的弾圧に対する抵抗なのだ。

最後に、日本における大規模な独立系スタジオの老舗、東京テアトル(1946年設立)の功績に触れておきたい。彼らの戦略は、制作から興行(映画館)までを一貫して行うシステムにある。

このスタジオは他事業の運営と並行して、テアトル新宿やキネカ大森といった個性的な劇場を運営することで、彼らは独自の資金回収ラインを確保している。これにより、日本の映画文化に「ミニシアター」という豊穣なジャンルを定着させたのである。『さかなのこ』や『南極料理人』に代表される彼らの作品群は、決してハリウッド的なメガヒットを狙うものではない。

3. 東京テアトル

メジャーの熾烈な競争からゆるやかに離脱し、インディーズの実験性をメジャーの流通に乗せる。この絶妙な「架け橋」としての経営判断こそが、日本の映画ファンに多様な選択肢を提示し続けてきた。東京テアトルは興行を自らコントロールすることで、映画文化そのものを耕し続けているのだ。

不可視の共犯者

映画のクレジットに流れる無数のスタジオのロゴ。それらは単なる資金の出どころの証明ではない。ロメールの自由も、アピチャッポンの抵抗も、東京テアトルの文化的多様性も、スタジオという「枠組み(システム)」がもたらした判断の産物だ。

私たちがスクリーンに見る光と影の裏側には、常にこうした不可視の共犯者たちの、冷徹で、かつ情熱的な「キュレーション」が存在しているのである。

アートな事件特集

アートは、その本質において常に社会からの「逸脱」を孕んでいる。哲学者イマヌエル・カントがントが美的判断を「一切の関心にかかわりがない」*1 としたように、アートは私たちの生活の関心の外側にある。しかし、その「外側」にあるはずの純粋な美しさが、社会の法、経済、あるいは道徳の境界線と触れ合ったとき、そこには避けられない摩擦が生まれる。

それは時に世論を焚き付け、時に「事件」や「裁判」へと発展することもある。この記事では、アートが法廷や犯罪の場に引きずり出された三つの事例を紹介する。そこに見えるのは、私たちの生活とアートの関係の揺らぎと、表現を飼い慣らそうとする社会の圧力である。

1. アンディ・ウォーホルのプリンス(2017年)

ポップ・アートの巨匠、アンディ・ウォーホルは、資本主義の産業システムそのものを作品制作システムに取り入れた。彼はテレビや雑誌同様、複製と流用によってアメリカ社会の現状を美術に持ち込んだのだ。しかし、彼の死後、その「流用」の正当性が現代の法廷によって厳しく裁かれることとなった。

2017年に端を発したウォーホル財団と写真家リン・ゴールドスミスとの裁判。争点は、1984年に制作されたロックスター・プリンスの肖像画シリーズ(通称:プリンス・シリーズ)が、素材となった写真の「フェアユース(公正な利用)」に該当するか否かであった。

Orange Prince / Andy Warhol / 引用元:https://en.wikipedia.org/wiki/Orange_Prince

フェアユースとは、アメリカ法において、著作物が公正な利用であれば著作権者の許可なく著作物を使用しても良いとするアイデアで、これまで、ジェフ・クーンズの事例*2 に見られるように、美術作品における流用はフェアユースのもと容認される傾向にあった。

しかし、2023年の米国最高裁はウォーホル側に敗訴の審判を下した。裁判所は、ウォーホルの加工が素材写真に新たな美術的意味をもたらしていないとし、フェアユースには当たらないとした。

この判決は、流用と再構築によって拡張してきた現代美術の表現に対し、法が明確な「境界線」を引き直したことを意味する。かつて資本主義に制作の全てを捧げたウォーホルの手法が、現代の資本主義な権利保護によって封じ込められたのは、皮肉というほかない。

2. 赤瀬川原平の「千円札裁判」(19653年)

ウォーホルが資本主義のイメージを流用したとすれば、1960年代の日本において、国家の象徴である「通貨」を流用することで、社会制度そのものを挑発したのが赤瀬川原平である。

1963年、前衛芸術グループ「ハイレッド・センター」の一員として活動していた赤瀬川は、赤瀬川原平は1963年に模型の千円札に手を加えた印刷作品と、千円札を200倍に拡大模写した作品「復讐の形態学(殺す前に相手をよく見る)」を制作、読売アンデパンダン展で発表した。これが通貨模造の罪に問われた際、赤瀬川とその周辺の表現者たちは、法廷という場を美術館へと変化させるという、前代未聞のハプニングを敢行した。

証人として出廷した作家、中西夏之や高松次郎は法廷内で自作の陳列を行い、特別弁護人として瀧口修造や針生一郎といった美術批評家たちが前衛美術についての説明を裁判官に行うため出廷した。赤瀬川は、裁判そのものを作品へと変容させ、法制度の崖際で戯れたのだった。

結果として、最高裁は「表現の自由は無制限ではない」として執行猶予付きの有罪判決を下したが、この「事件」が残した爪痕は深い。赤瀬川は流用や複製という行為を通じて、法制度を逆に表現の場として乗っ取ってしまったのだ。ウォーホルとは逆に、その制度自体に美術を持ち込んだ彼の制作方法は、今なお日本の戦後美術史における過激な「作品」として光を放っている。ちなみに赤瀬川は、裁判に協力してくれた人物たちに「木の葉のお札」を一軒一軒回って渡したという。最後まで抜かりのない戯れ具合だ。

3. ルーヴル美術館窃盗事件(2025年)

最後に、より現代的、かつ暴力的な形でのアートと社会の接触例を挙げたい。2025年、世界で最も堅牢な美の殿堂の一つ、パリ・ルーヴル美術館を襲った大胆な窃盗事件である。

4人組の窃盗団は、開館直後の午前9時、クレーン車で2階の窓を壊して侵入。彼らは蛍光ベストを着用して作業員に扮し、フランス王室ゆかりの宝飾品を総額155億円相当を強奪した。スクーターで逃走するという、スパイ映画的のようなその手口は、美術館の脆さを白日の下にさらした。

この事件の特筆すべき点は、犯行の「物理的な粗暴さ」にある。芸術品が持つ歴史的・文化的文脈を一切剥ぎ取り、ただの「換金可能な物質(宝石と金)」として扱うその暴力性は、私たちが美術品に投影している「オーラ」がいかに人間の欲望の前では非力であるかを突きつける。盗まれた宝飾品が解体され、裏市場へと消えていく過程は、純粋な美しさが世俗的な欲望から強奪されていくプロセスそのものだろう。館長はこの件によって辞任したが、その結末は、美術館という制度が、物理的な「破壊」や「暴力」に対して無力である現状を示している。

鏡としての「事件」

これらの「事件」は、アートが単なる鑑賞の対象ではなく、社会を揺さぶる「異物」であることを再認識させる。ウォーホルは「権利」を、赤瀬川は「法」を、そしてルーヴルの窃盗団は「物理的な障壁」を、それぞれが異なる形で境界線を犯した。

アートが事件になるとき、私たちは初めて、普段は不可視化されている「社会のルール」や「価値の拠り所」を自覚する。表現が法に敗北し、あるいは暴力に屈したとしても、その衝突の跡に刻まれた問い——「何が表現を価値づけるのか」——こそが、私たちがアートと向き合い続ける唯一の理由なのかもしれない。

*1  カント『判断力批判』(篠田英雄訳・岩波文庫)
*2 https://www.kottolaw.com/column/190620.html

【連載】Convenience ART Vol.6「ローソンデザイン物語」

「コンビニエンスアート」第6回。

優れたデザインは、時に「沈黙」する。

デザインの世界には「解決すべき問題が消えたとき、デザインは完成する」という考え方がある。雄弁に語りすぎず、背景のように静かに佇みながら、使う人の振る舞いを美しく整える。そこには、極めて高度な「沈黙のアート」が仕掛けられているはずだ。

今回取り上げるのは、私たちの街に静かに佇む「ローソン」である。

2020年、ロゴや店舗デザイン、さらにはゴミ箱のアイコンに至るまでが一新された。

かつての「どこにでもあるコンビニ」という顔つきから、どこか凛とした、整理整頓された知性を感じさせる佇まいへの変革。このプロジェクトを包括的に手がけたのは、デザインオフィス・nendoを率いる佐藤オオキだ。

佐藤氏といえば、あの「明治おいしい牛乳」のパッケージを手がけたことでも知られる。潔いレイアウトで食卓の風景を塗り替えた彼が、今度はコンビニという生活空間を丸ごと一本の線で引き直そうとしたのだ。

今回のプロジェクトが凄まじいのは、その徹底ぶりにある。

ロゴ、商品パッケージ、サイン計画、さらにはスタッフのユニフォームに至るまでを一社でプロデュースした。 例えば、新しくなったユニフォーム。それは単なる作業着ではない。店内の壁や棚とトーンを合わせることで、スタッフさえもが空間の一部として機能するように計算されている。佐藤氏の手にかかれば、店員さんまでもが、緻密に構成された静物画の中の「点」になってしまう。

しかし、この「沈黙の美学」は、予想外の大きな波紋を広げることとなった。 

「おいしい牛乳」で見せたあの洗練を全ラインナップに適用した結果、「どれが納豆で、どれが豆腐か分からない」という困惑の声が相次いだのだ。SNSでは「デザインの敗北」という言葉さえ踊った。 これまでのコンビニが、分かりやすさのために「叫ぶようなデザイン」を重ねてきたのに対し、佐藤氏が提示した「語らないデザイン」は、日常のスピード感とあまりに鋭く対立してしまったのである。

けれど、この波紋こそが、私たちがどれほど無意識にデザインに支配されていたかを浮き彫りにした。 佐藤オオキが仕掛けたのは、単なる模様替えではない。コンビニという、思考を停止して消費する場所に「静寂」を持ち込むことで、私たちの選択という行為を問い直そうとした、ある種のアナーキーな実験だったのではないか。

「気づかないうちに、生活の前提を揺さぶってくれるもの」をアートと呼ぶのなら、物議を醸したローソンの試みは、日本で最も巨大な体験型アートと言えるだろう。 

今日も、整然と並んだパッケージの前に立つ。 

そこは、世界的な知性が私たちの日常に静かな問いを投げかける、最も身近なギャラリーなのだ。

【連載】Convenience ART Vol.5「忘れられない65ml」

「コンビニエンスアート」第5回目。今回は定番の健康ドリンク「ヤクルト」についてご紹介。

誰しも一度は飲んだことのあるヤクルト。思えば独特な味なのに、とても馴染みが深い気がする。

その馴染み深さには訳があり、実はこの容器、1968年の誕生から半世紀以上にわたって、一度も姿形を変えていないのだ。ぼくらは50年以上もの間、この形を手に取ってきた。

このデザインを手がけたのは、日本のインダストリアルデザインの先駆者、剣持勇。建築家ブルーノ・タウトに師事し、日本の暮らしと近代デザインを融合させた巨匠だ。彼は常に、日本人の暮らしを一番に考えていた。和室の畳やふすまと調和するデザイン。それがデザイナー剣持勇の真髄だろう。

1935年の発売当時、ヤクルトは重いガラス瓶で売られていた。しかし普及に伴い軽さと量産性を考える必要が出てくる。そうした事情が相まって白羽の矢が立ったのが、当時すでに名を馳せていたデザイナー・剣持勇だった。彼のもとに、新しいプラスチック容器の設計依頼が舞い込んだ。

ヤクルトの特徴は、その容量の少なさにある。65mlという少量がピッタリと収まる容器をプラスチックで作れば、手の中で安定せず、一気に流れ出せば飲み口の制御も難しくなる。そこで剣持は、容器の中ほどに大きな「くぼみ」を作った。

指にぴったりとはまるホールド感。そして、内容量に反して安定する重量操作。この「くぼみ」というシンプルなアイデアが、二つの課題を鮮やかに解決した。今やこのシルエットが、ブランドを象徴するアイコンとなっている。言うなれば、一石三鳥といったところか。

実は剣持勇は工業デザイン以外にも、アーティストとの共同生活も行なっている。

1950年代、彼は来日していた彫刻家イサム・ノグチと共同制作を行っている。竹を籠状に編み上げた「バンブー・チェア」。現存こそしないが、そのしなやかな構造は、後にノグチが生み出す名作照明「AKARI」の骨組みへと繋がっている。

表現の形は違えど、二人の作品はどちらも、日本人の生活に不思議とフィットする。

日本人の胃腸を見つめたヤクルトと、日本人の暮らしを見つめた剣持勇。一方は身体を整え、一方は生活を整える。ぼくらは知らず知らずに、彼らの「配慮」を飲み干しているのだ。

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