「短歌×イラスト」という異色な掛け算に加え、総勢50名もの作家が一堂に介した大規模展覧会「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」。
BAMによるスペシャル対談シリーズ第二弾では、イラストレーター・イメージディレクターとして活躍するORIHARAと、Mika Pikazoによる対談が実現した。
彼女たちが語ったイラストへの想いは、希望か、絶望か______。
世界旅行で見つけた自分のルーツ

前編ではORIHARAさんの一世一代の大旅行のお話が出ましたが、何か制作に影響はありましたか?
ORIHARA – 世界のあちこちを回っているうちに、この国や街の雰囲気が、肌に合うなと感じる場所があったんです。スコットランドの薄暗い空の色は、自分の魂にしっくりくるものを感じました。ただ、元々私の“魂の原点”は京都にありまして。生まれ育ちは関係ないんですけれども、中学生の時に初めて京都に行った時に、「あ、私の人生ここにある」って思って。ちょっとくすんだ色を使うのも、神社や境内の木の色だったり、鳥居の赤色とかに惹かれるからなんです。基本的に少し時代が経ったものが好きなのかも知れません。それは、日本に帰ってきてからより強く感じました。Mika Pikazoさんはブラジルに住んでいたことがあるんですよね?
Mika Pikazo – そうなんです。高校卒業してから2年半ほど住んでいました。
ORIHARA -ブラジル出身のイラストレーターさんたちは彩度の高いイラストを描いていますし、スプレーアートの文化もありますよね。食べ物の色も日本とは大きく違っていて、ケーキもとてもカラフルで。だからMika Pikazoさんの「魂の色」は三原色なんだと、勝手に思っていました。
魂のルーツ――ブラジル、ラテン、そしてカラフルな色

Mika Pikazo – ラテン文化が持つ魅力に、魂が自然と流れていくというか、「あなたの魂はここにありますよ」って言われているように感じることはありますよね。私がカラフルな色が好きなのも、ブラジルだけではなくて、ラテン系の影響が強いんです。音楽だと、J-POPも海外のジャンルも好きですが、行き着く先は、やっぱりラテンになってしまう。
アメリカの音楽がパワフルなのに対して、イギリスの陰鬱な中の儚さとか、国によって印象が全然違う。そんな中で、ラテンは、凄く熱烈。あの熱烈とした感じが凄く好きなんです。生き物として生を謳歌しているというか。危ない部分は危ないんですけどね。太陽に照らされているような人類愛がある。
ORIHARA – アウトプットは、見るものや環境で決まるのかなって思っています。本人の原風景や、本人を取り巻く環境は、色の好みや色使いにすごく影響しますよね。ヨーロッパを回っていたとき、ローマやバルセロナにも行ったんですが、空の色を見ていると「Mikaさんの色だ…!」と思ったりしました。
Mika Pikazo – え、本当ですか!?行ってみたいな…(笑)。
Mika Pikazoの「エンジン」と「決断の力」
ORIHARA -Mika Pikazoさんの絵を見ていると、とにかく「思い切りがいい」というか……積んでいる「エンジンの大きさ」が、私とはまったく違うんじゃないかと感じることがあるんです。それこそラテンやアメリカンな感覚というか、とにかく「迷わずまっすぐ進んでいくな」という印象が強くて。
それは作品数の多さに対してなのか、それともブレない作風に対して、どちらのニュアンスですか?
ORIHARA – 両方ですが、第一に「信じる力」がバリ強いと勝手に思っています(笑)。
Mika Pikazo – へぇー! ORIHARAさんからそう見えているのは面白いですね。
ORIHARA – イラストって、常に「選択」の連続じゃないですか。色や構図を決める時、悩みが増えて、時間が掛かるほど精神的な体力が削られていく。Mika Pikazoさんも実際には悩まれているとは思いますが、傍から見ていると「これでいく」という決断を早い段階で下しているイメージがあるんです。もの凄い速さでラフスケッチを描いている姿が目に浮かぶんです(笑)。1日は24時間しかないので、その思い切りと決め切りで作品の量産数が決まってくると思っていて、それが筆の速さにも繋がっているし、色使いの力強さにも影響しているのかなと。
Mika Pikazo – 当たっていると思います。もちろんラフを絞り出すまでは悩みますが、一度「これだ」というラフが描けたら、そこから完成までは絶対にブレないようにしています。
ORIHARA – やっぱり。強い……!
Mika Pikazo – 逆に、制作途中でポージングや色味を大幅に変えなきゃいけなくなると、パニックになってしまうんです。「あ、完成形が見えなくなった、どうしよう!」って。最初にゴールを決めているからこそ、設計図が狂うと慌ててしまうんですよね。最初のラフの感動をいかに切り崩さないかが大事になってくる。ORIHARAさんはその辺りはどうですか?
ORIHARA – 私は「厚塗り」が苦手で、全体を少しずつ整えていく作業ができないんです。線画で全てが決まらないと塗れない「究極の順番人間」ですね。 だから、お仕事だと描きやすいんです。先方や自分の魂が「これが正解」と言ってくれれば、迷わず進める。でも、これが「自主制作」になると、途端にうだうだしてしまうタイプで…。
Mika Pikazo – 自主制作だと、また別の悩みが出てきますよね。
ORIHARA – そうなんです。「もっといい表現があるかも」って、締め切りがないと永遠に悩んでしまう。だから、Mikaさんの「これでいきます!」という潔さは、本当に見習いたいです。
Mika Pikazo – 私も、大作的な絵を描く時は最初から最後まで悩みますよ。「本当にこれでいいのか」って。もう少し気楽に考えて作りたいって思うくらい、自分の気持ちが、作品としてのカタルシスに向かわないと、作品を終わらせられないんです。

ORIHARA – Mika Pikazoさんの場合、その「悩む時間」の配分が上手いんだと思います。例えば100枚描く展示会があるとして、全部で悩むのではなく、「一番悩むべき場所」をロジカルに決めている。悩むことが必ずしも正義ではないから、量産すべきところと、深く潜るところを切り分けている「ロジカルなエンジン」だなって。
“自由”の難しさと、スランプの正体
Mika Pikazo – 確かに、その辺りはロジカルかもしれません。ただ、展示会となると感情が乗りすぎて、それが「悩み」に変わることもあります。空間のテーマを決め、それを拡張しようとすればするほど、感情が無限に浮かび上がってきて、収拾がつかなくなるというか……。イラスト単体ではその絵だけに気持ちを集中させればいいけど、展示会はもっと膨大な、複雑な感情が自分を乗っ取ってしまう。
ORIHARA – 想いが強すぎると、プレッシャーで腕が重くなりますよね。
Mika Pikazo – そう、腕が重いんです。ちょっと話が逸れるかもしれませんが、スランプって、インプット不足だけでなく「自分の中の感情や責任が重くなりすぎた時」に起きやすい気がしていて。
ORIHARA – 分かります。
Mika Pikazo – 正解が見つけづらくなるんですよね。「頭の中でこんなことが浮かぶならもっと深いところを伝えられる作品を作れるはずだ」とか、「この感情をもっといい形で昇華すべきなんじゃないか」とか。自分の感情には底がないから、どこまでも沈んでいってしまう。
ORIHARA – お仕事だと、あくまで「エンタメ」という枠組みの制限のおかげで、基礎体力で乗り切れるんです。でも、“自由”を与えられると、エンタメから外れたような、もっと深い「高尚」なところに行かなければいけない気がして、悩んでしまいます。
Mika Pikazo – 広告などの仕事はある意味「制限」があるからこそ、どこまで伸ばしていいか明確ですよね。でも展示は、全てを自分で決めなきゃいけない。自由度が高すぎると、エヴァンゲリヲンのシンクロ率じゃないですけど、どこかでブレが生じ始める。
ORIHARA – 「自由」ってなんて難しい言葉なんだろう、って毎回思いますね。私は言語化してから絵を描くタイプなので、「言葉にならない感情」を形にする難しさを今回の展示からすごく感じました。
「感情展」にどう向き合ったのか

コマーシャルワークと自主制作の違いについてお話がありましたが、今回の『感情展』はかなり自主制作的な側面が強いと思います。制作において悩んだことや、抱いた感情について教えてください。
Mika Pikazo – 今回は私がディレクターとして「感情」というテーマを設定したので、自分が出したお題に対して、ある種「クライアントワーク」としてイラストを描いた感覚なんです。沢山の感情が渦巻く展示にしたいからこそ「捉えきれない感情を、見ている人に複数個の感情がブレて表現されるものを描こう」と思って。その導入として、感情を決めつけない、あやふやなものを提供したかったんです。いかに「気持ちを落ち着けて描くか」を意識しました。なにかの感情に支配されないこと。描き込みの要素が多くて作業としては大変な絵ではあるのですが、そこに想いを「込めすぎない」というか。力が入っている状態なんだけれど、あえて力を抜く。軽い気持ちを維持した状態で感情を捉えるべきだ、と考えながら描いていました。
ORIHARAさんの今回の作品『鏡』についてはいかがですか?

ORIHARA – 「言葉にならない感情」というお題をいただいたのですが……私、自分自身の放つ「言葉」をあまり信用していないんです。
Mika Pikazo – どういうことですか?
ORIHARA – これは言葉そのものの話ではないのですが、私自身は自分の気持ちを伝える言葉を選ぶとき、自分を「高尚」に見せようとしてしまうタイプなんです。自分の内面を実物よりも少し綺麗に「ラミネート」して出そうとしてしまう。でも、散々泣いてボロボロになった後に、ようやく出てくる情けない言葉が「本音」であって、それ以外はすべて、ある種の「武装」なんです。だから今回の作品では、これまでインタビューなどで話してきたような「美しい言葉」を全部削ぎ落とした後の、一番醜くて原始的な気持ちを描きたいと思って、『鏡』という作品を描きました。
Mika Pikazo – なるほど……。でも私、この絵はすごく「優しい絵」だなと感じました。自分のファッションや言葉って、いくらでも知識で武装したり、よく見せたりできるじゃないですか。でも、作っている最中にそれが全部剥がれ落ちてしまう瞬間って確かにある。 さっきORIHARAさんが言っていた「信じる力」というのは、そういう自分自身を受け入れること、ともに生きていくことなんだと、今思いました。醜さも含めて自分を認めるという『鏡』の在り方は、すごく優しさに満ちていると感じました。
ORIHARA – 嬉しいです。結局、「愛されたい」とか「目立ちたい」といった原始的な感情を出すのは恥ずかしいことだと思って生きてきたんです。そんなもの外に出したって誰も聞いてくれないし、自分はもっと複雑なところにフォーカスして絵を描くんだ、と信じて数年間やってきました。でも最近、自分が嫌悪を感じる感情や対象こそが、本当は自分が一番持っていたり、なりたかったりしたものだと気づいて。「まあいいか、愛されたいですよ私も」という気持ちになれました。それを込めて描いたので、それが優しさとして伝わったなら、私は今、自分を許せているのかもしれません。
創作は「幸福」をもたらすのか、それとも…
お2人にとって、絵を描くことは幸せですか?創作を通しての悩み、苦しみを聞くと、ある種の呪いのようにも聞こえるのですが…。
Mika Pikazo – 私の場合、制作自体にすごく時間がかかりますし、常に自問自答を繰り返してしまいます。しかも、その自問自答が悪い方向へ行くことが多い。描き切るまでずっとネガティブというか、他人から見たら「そこまで考えなくてもいいんじゃない?」というところまで沈んでいってしまう。 そう考えると、作っている最中が幸せかと言われれば、あまり幸せそうではないなと自分でも思います。ただ、「絵が一番、苦しまない」とも思うんです。
どういうことですか?
Mika Pikazo – 絵以外の現実が辛すぎる、という感覚が強いんです。楽しいとか幸せとかを感じないというわけではなく、沢山の嬉しい思い出があっても、器の底が欠けてしまっている。日々過ごす中で直面する「現実」から逃避できる場所が「絵」なんです。自分が向き合いたくないものから逃げて、自分が信じたいものに向き合わせてくれる。 「絵を描いていたから、かすり傷で済んだ」という感覚。それくらい現実には大変なことが多いと感じてしまうので、私にとって絵を描くことは「幸せ」というより、「救い」なんだと思います。
言語を超えた「コミュニケーション」としての絵
自分に他の能力があれば、「絵」以外の手段でも構わない?
Mika Pikazo – もし楽器が扱えたら音楽でも良かったのかもしれません。でも、絵が一番、自分の理想や想像したものを理想の形で吐き出せるんです。 以前、言葉が全く喋れない状態でブラジルへ行ったことがありました。その時、メモ帳に絵を描くと、現地の人に自分の言いたいことが伝わったんです。翻訳機能も使わずに、「これが欲しい」「ここへ行きたい」という意思が、「絵」を通して伝わった。その原体験もあって、私にとって絵は言語に匹敵する、あるいはそれを超えるものなんです。

ORIHARAさんはどのように考えますか?
ORIHARA – 絵には「人を幸せにする力」があるとは思います。ただ、私自身が絵に幸せにしてもらったことは、自認では一度もないんです。
一度も、ですか。
ORIHARA – ファンの方やクライアント、見てくれる第三者のところに届いて、コミュニケーションが生まれたとき、初めて幸せか不幸かが決まると思っています。絵を描くことそれ自体は、私的には基本的に悩みをもたらしてばかりの「とんでもない趣味」ですから(笑)。自分のためだけに描いたこともほとんどないし、ただ「伝わってほしい」から絵を描いているんだと思います。
チーム戦への転換。Mika Pikazoが目指す「遠く」への道
ORIHARA – せっかくの機会なので、これまでの流れに関係なく聞いてみたいことがあるんです。Mika Pikazoさんは、多くのアシスタントさんと一緒にお仕事をされていますよね。ご自身の限られた時間をどう使い、どこまでを「自分の絵」として認識して割り切っているのか。制作とは全く別の脳を使う作業だと思うのですが、どのように考えていらっしゃいますか?
Mika Pikazo – もちろん「ここは自分で描く」というラインはあります。最終的な仕上げには必ず自分の手を入れますが、自分一人の手では描けないくらい、もっとたくさんのものを作りたいという思いが強いので、スピードを重視して分担しています。だれかに描いてもらった部分があっても、「これは自分の絵である」と思えるのは、ロジカルというより感覚的なものかもしれません。
ORIHARA – それって、人によっては「自分で描いてないじゃん」と見えるかもしれないけれど、Mikaさんのチームプレーって、もっと「向こうに行きたい」という概念に向かっている気がするんです。
現代美術家・村上隆さんのカイカイキキに近しいものを感じますね。
ORIHARA – Mikaさんは「深さ」というより「遠く」に行きたい人なんだなと感じました。この消費の早い社会で、自分一人で描く限界を超えて、どこまで「団体戦」で遠くへ行けるか。それが現代におけるイラスト表現の可能性なのかもしれませんね。
作家としての寿命と「今」かけるべき熱量
作家として生涯あとどれほどの作品を残せるかなど、残り時間について考えたりしますか?
Mika Pikazo – 凄く考えていますね。これは20歳ぐらいのときから考えてきました。今の自分と同じようにこれからもずっと描けるかを全く信じていなくて(笑)。5年後、10年後に体を壊しているかもしれないし、描く時間が取れなくなるかもしれない。実際に20代ではまったく思いつかなかったことが目の前に広がるようになりました。だからいつでも終わってしまうリスクを考えて、今のうちに出来ることはやっておきたいんです。私自身は死ぬまで苦悩しながら筆を握っている作家が大好きなので、そうでありたいと思っていますが、 「来月10枚描こう」と思っても、状況次第では3枚しか描けないかもしれない。だから、次の展示、その次の展示まで「道筋」を決めていたりします。
ORIHARA – プロデューサーみたいですね。
Mika Pikazo – そうかもしれません(笑)。ORIHARAさんはどうですか?
ORIHARA:私は、もちろんずっと見てもらえる存在だとは思っていないので、残り時間というよりは「あと2、3年で突然死ぬかもしれないし…世界がどうなっているかもわからないし……」という、時限爆弾の残り時間への焦りのようなものがあります。なので、「今見せるべき最短で最高の絵を描かなきゃ」という思考はあります。「あと50枚しか描けない」としたら、その50枚をどれだけ早く、悔いの残らないアイデアで選択するか、という感じです。
その1枚に対して、出し惜しみなどはしないですか?
ORIHARA – 出し惜しみできるほど、私は絵が上手くないぞ、と思っているので(笑)。1枚1枚に詰めたいことを詰め切った上で、伝えたいことが伝わってほしいタイプです。
「感情展」を訪れる方々へ

最後に、この「感情展」に来場される方々へメッセージをお願いします。
Mika Pikazo – 今回はディレクターとしての側面もありますが、イラストと短歌を掛け合わせるなど、あえてイメージを使わない表現を多く取り入れました。参加頂いた方々、一人ひとり違う「感情」というものに真摯に向き合って作ってくださっています。展示作品を通して、自分自身の感情や、誰かを見た時の思いを照らし合わせて、「今の自分自身の答え」のようなものを探っていただけたら嬉しいです。
ORIHARA – 創作が救いになるかはわかりませんし、今見て必ずその場で何かを感じる必要もないと思います。それでも、ここで見たものが、なんとなく誰かの人生の棚に入って、いつか思い出したときに、悩みや幸福の足がかりや大義やきっかけになり得るのであれば。それがプラスでもマイナスでも、いつか人生に使える棚にしまっていただけたら、いち絵描きとしてはこれほど嬉しいことはありません。
Mika Pikazo – 嬉しい。本当にそうですね。ORIHARAさんありがとうございました!
「感情展-短歌で詠み、イラストで描く-」
会期:2026年2月13日~2026年3月29日
会場:角川武蔵野ミュージアム
アドレス:埼玉県所沢市東所沢和田3丁目31−3 ところざわサクラタウン
休廊:火曜
開館時間:10:00~18:00(最終入館:17:30)
※休館日、営業時間は変更となる場合があります。最新情報は公式HPよりご確認ください。
公式サイト:https://kadcul.com/event/251