地域、表現形式、ジェンダーなどなど美術の歴史を概観するときに、様々なレイヤーがある。なかでもテクノロジー(≒技術)という面にフォーカスしてざっくり美術史を眺めてみる連載の中編。前回までは「技術」と「芸術」という言葉に注目したが、今回は具体的な作品を取り上げたい。
パリの名画に共通するもの
フランス・パリにある『ルーブル美術館』の改修の噂も話題の昨今。パリの名画を取り上げてみたい。ルーブルで鑑賞できる名画はたくさんあるが、常にひときわ人だかりができているのが、ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』だ。同じくパリに旅行した際に訪れたいのが、『オランジュリー美術館』。ここは画家クロード・モネの大作『睡蓮』があり、モネが構想していた通りに作品を鑑賞できる素晴らしい空間だ。また、『オルセー美術館』にはピエール=オーギュスト・ルノワールの『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』など、誰もが知る名画がある。やはり芸術の都だ。

これらの作品は、同じパリに置かれている点以外にも共通点がある。それは、「油彩画」であることだ。
油彩の広まり
この油彩技法が広く用いられるようになったのは、定説では15世紀のこと(数世紀前から油の使用があったという説がある)。それまでは黄卵を固着剤として絵の具と混ぜ合わせた「テンペラ画」が主流だったが、顔料と乾性油でできた「油絵の具」を用いた油彩画が誕生したことで、絵の具の乾く速度が遅くなり、優れた耐久性を兼ね備え、丁寧に作品を仕上げることが可能になった。

『モナ・リザ』は油彩ですが、『最後の晩餐』はテンペラ画。
この油彩を技法として確立した人物は、ヤン・ファン・エイク兄弟。時は先述したダ・ヴィンチはじめ、ミケランジェロやラファエロなどが活躍したルネサンスの時代だ。
ミケランジェロの弟子ヴァザーリが執筆した大著『画家・彫刻家・建築家列伝』にもその凄さが記されているほど、油彩を確立した功績は大きい。我々が美術館でかつての絵を満足に鑑賞できるのも、作品世界のクオリティが上がったのも、油彩のおかげ。彼らがもたらしたものは、その後の絵画史の流れを変える技術革新のひとつといってもいいかもしれない

チューブ絵の具とカメラの登場
絵画の完成度や表現が変化するきっかけが、油彩の登場だとすると、チューブ絵の具とカメラの登場が次なる大きな変化のきっかけだ。
それまで絵具は粉末の状態で売られていたため、画家たちは自ら卵や油で混ぜ込んでおり、手作りの絵の具を用いていた。豚の膀胱を袋にして、外へ持ち運んでいた例もあるが、保存に適する形とはいえず、外で制作することは珍しかった。
産業革命が起きた19世紀半ば。使い捨てできるチューブタイプの絵の具が発売された。これにより、アトリエ内で作業していた画家たちも外に出る「戸外制作」が可能になった。
時を同じくして、フランス人のダゲールが「ダゲレオタイプ」という撮影技術を発明し、続くようにイギリスのウイリアム・タルボットが「カロタイプ」というネガポジ方式を発明した。カメラ技術が広まり、現実を複製するメディア「写真」が誕生したのである。
では、そんなチューブ絵の具とカメラが芸術の世界にどんな影響を及ぼしたか。
当時の西洋美術における主流は、「新古典主義(neoclassicism)」だった。写実性を重視し、リアルで完成度の高い画面。歴史的な題材や宗教的なテーマを扱うほか、肖像画などが好まれて描かれていた。

現実を複製することが技術によって可能になったことで、絵画の役割は終了してしまうと思いませんか? そこで絵画の世界を押し広げたのが冒頭に書いたモネ、ルノワールら「印象派」と呼ばれる画家たちだ。
新古典主義の画家たちがパレットの上で絵の具を混ぜてあらかじめ色を作り、精緻な画面構成を目指していたのに対し、絵の具を混ぜずにそのままカンヴァスの上に置いていき、境界が曖昧な点画のような作品を描いた。屋外に出て、本当の「光」を見て、自分の目に映る景色(印象)をそのまま捉えたのだ。
印象派の画家たちにしてみれば、チューブ絵の具があるのだから外に出られるし、カメラがあるのだから、写実的に描くよりも、もっと自由に表現を模索して描こうよ、ということだったのでしょう。まさに技術が可能にした芸術の流れといえる。(ロマン主義やバルビゾン派など、印象派に先駆けた流れもありました。もし興味を持ったら調べてみて!)

19世紀後半における「写真」という技術革新が芸術の世界に多大なる影響を与えたように、現代アートと生成AIやVR/AR技術との間にも、類似のことが起こる(起きている)のは想像に難くない。