強さの奥にある儚さや、意味ありげな表情。全体を覆う毒々しい雰囲気の奥に垣間見えるのは、悲哀なのか、一種の諦観なのか。ORIHARAの繊細なタッチが織りなす繊細な描写は、観る者に何かを訴えかけてくる。細かなニュアンスが全体の印象を作り上げるといういわば正当な順序からちょうど逆転するように、作品を前にして感じるファーストインプレッションを、細部の微妙な表現により裏切り、解体する。人間は複雑な生き物だ。人一人を、イラストというカタチで真摯に描こうとするORIHARA。相反する要素を、なんら矛盾なく共存させてしまう彼女の仕事ぶりは、むしろ正当であり、それ故に末恐ろしくもある。Adoのイメージディレクターも務める彼女は、開催を間近に控えた「OSAKA INTERNATIONAL ART 2025」にて個人制作としては初となる展示を実現。イラストレーターやイメージディレクターなど、型にはまらない彼女の作家としてのあり方、その精神性に迫るインタビューを前後編でお届け。
はじまりは二次創作
B- まずは、絵を描き始めたきっかけを教えてください。
ORIHARA- もともと漫画やアニメがすごく好きでした。物語を見るのが好きで、その物語に、もしこんなキャラクターがいたらどうなるかっていうことを想像していました。
例えば、『ハリーポッター』でいうと4つの寮があるじゃないですか。その4つの寮には、100年前にこんな生徒がいたかもしれない、というような想像を膨らませるんです。そうして、想像したキャラクターのデザインを自分で視覚化できるような形で始めたのがイラストになります。二次創作みたいなことが好きでした。
B- 受け手として楽しむだけではなく、そうした物語を元に想像を膨らませるというか。
ORIHARA- そうですね。物語の余白がすごく好きなんです。そうやって仲間内で創作をして遊んでいました。これがだんだん進んで、オリジナルの物語を作るようになり、小説というか文字がメインになっていったのですが、それを誰かに共有するときにイラストを描いていました。
B- 漫画やアニメに限らず、普段から想像したり、何かを考えることは多い方ですか?
ORIHARA- そうですね。昔から結構色々な言葉を心にメモしています。恩師の一人に、「常にアンテナを張りなさい」と言われたことを凄く覚えていて。例えば、すごく特異なことをしていたり、人より一歩抜きん出ている人が最初から特別な存在というとそうではないと思うんです。周りの人が遊んでいたり、休んでいたり、見落としていたりする時に、何かに気づける人や、限られた時間の中で多くのことを考え、人よりも多く走っている人が伸びていくっていうのはすごく理にかなっているなと思います。なので、「今すごく雲がグレーだな。なんでグレーなんだろう?雲って白じゃないんだ」とか「なんで夕焼けの時にオレンジからピンクになって急にこの境界線が青になるんだろう」とか「そういえばなんで犬って四足歩行なんだろう」とか。人々がそういうものだよね、って認識しているものを「なんで?」って思う時間があればあるほど、人より一歩先に出られるんじゃないかなと思います。
B- なるほど、自分がいかにボケーっと生きてたのかっていうのが(笑)。
ORIHARA- 自分は考えすぎなところがあって、家の鍵を5回ぐらい閉めてあるか確認してしまって、よく周りの人に考えすぎなんじゃないかって言われます(笑)。
B- でもまあ閉め忘れるよりは全然いいと思いますけどね(笑)。
ORIHARA- 泥棒が入るよりかは(笑)。
B- ちょっと想像を絶するというか、人生の一コマへの没入の仕方が深いなというか。
ORIHARA- そう言っていただけて、5回閉めに行った鍵も救われます(笑)。
B- そうですね(笑)。でも、そうした普段からの観察眼というか、洞察力っていうのは絵に活きていますか?
ORIHARA- 絵に対してもイメージディレクターとしても活きていますね。人間の挙動であったり、今この場でこういう言葉を発する意味とか、なんで今泣いたんだろうとか、そういうことを考えているのは、結構活動に活きてきているというか、軸になっているのかなとは思います。
「その人一人の幸せを願い続ける」
B- 「イメージディレクター」は、それまでは無かった職業ですよね。
ORIHARA- そうですね。今となっては、将来イメージディレクターになりたいっていうような方からリプライをいただくこともあります。
B- 新たな職業を一個作ったんですね。具体的に何をするのか教えていただけますか?
ORIHARA- 技術的には担当する人のビジュアル、外見や所作などをイラストや様々な媒体、例えばグッズや衣装などのいろいろな形で、“この人はこういうキャラクターですよ、こういう人ですよ”というのをデザインとして置き換えていく職業です。メンタル的な部分では、その人一人の幸せを願い続ける仕事です。
B- そんなことを実現するには、例えば描く対象の方にすごく入り込んでいかないといけないというか、
ORIHARA- そうですね。
B- ORHARAさんの、例えば勘違いじゃないですけど、間違った風に描いてしまわないようにするっていうのは大変だと思うんですけど、その苦労はありますか?
ORIHARA- いつも苦しんではいますね。任せな!こうだよ!みたいな形にはできないですし、してはいけないと思っています。人というのは映画一本で感性が変わったりする生き物だと思うんですね。これで人生が変わりましたっていうことはたくさんある。たかだか2時間で人生観が変わってしまうかもしれないのに、1ヶ月前に得た情報で、“私はこの人を全部知っています”みたいには絶対にしないよう気をつけています。作品をあげる時も恐る恐る提出してみるみたいな。
B- さっきの話での「幸せを願い続ける」の、続ける、向き合い続ける、ということが凄く大切なんですね。
ORIHARA- そうですね。
B- 言ってしまえば、その人の人生を半分背負うぐらいの感覚というか、覚悟というか。
ORIHARA- 絵としてはこういう表現がいいけど、この人が誤解されてしまうかもしれないとか、本人の意図と異なる表情をする人間なんだと思わせてしまいたくない、とか。例えば、私自身がずっと同じ表現をとっていたら、この人は時間の止まった人間だと思われてしまうかもしれない。そういうズレが起きないように、常に「自分が間違っていたり、分かった気になっていないか」と考え続けるのが正常なくらいの職業だなと思っています。
イメージディレクターという、未だ踏みならされていない道を突き進むORIHARA。前編では、「その人一人の幸せを願い続ける仕事」と語る通り、自分を擦り減らしながらも相手に近づこうとする彼女の創作哲学を伺った。後編では、そうした状況下で彼女がどのようにして自分を保つのか、自己批判によって生み出される作品の軌跡を紐解いていく。
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