絵で食べていくということ 【前編】

“絵を描く”ことで食っていこうと頑張っている弱冠ハタチの友人が、僕にはいる。

そのひとつのカタチとして現在はアニメーターを志しているようで、そんな彼の動向を通して僕は、アニメ業界をはじめ、様々な「絵」に関する仕事の、特に外からは伺い知れない「お金の話」を興味深く聞いている。少し前、「好きなことで生きていく」というコピーがYouTubeに溢れた時期があった。夢を追うということの本当の意味、生々しい現実感は、キャッチーで耳障りの良いその言葉によって画面から押し出されてしまった。

絵は、夢は、甘くない。

アートとお金の話は折を見てするとして、ともかく「好きなことで生きていく」である。これに、正解や正攻法は、きっと無い。答えは本の中にも、あるいは誰も持ち合わせていないのだろう。ただ、ヒントを得る事は出来る。いや、むしろヒントはどこにでも転がっているのかも知れない。そう、ゴミ箱にだって……。

物心ついた時から絵を描いていたというGODTAIL。株式会社GODTAILを立ち上げ、今や活躍の場は、デザイン・演出・編集・広告・筐体デザインにも及び、存在感を放っている。『MARVEL/DC公式アーティスト』 も務める彼のこれまでの軌跡、業界での20年間を振り返るインタビューを前後編でお届け。

GODTAIL インタビュー前編

B – まず、絵を描き始めたきっかけを教えてください。

GODTAIL – 物心ついた時から描いていたと思います。自分ではあまり覚えてないですけど、幼稚園に入る前から描くのが好きだったみたいですね。

B – それからずっと絵は描き続けていたのですか?

GODTAIL – そうですね。学校の休み時間に描いたりしていました。友達に頼まれて『ドラゴンボール』のキャラクターを描いたり、オリジナル作品も描いたりしていました。

B – ストーリーの創作もされていたんですね。

GODTAIL – 完全に友達のウケ狙いです。だから、黙々とやるというより、絵が上手いやつっていう風に見られていて、友達を変に描いて腐すじゃないですけど、そんなことばっかりやっていました。先生の顔を伸ばして描いて、それで友達を喜ばせたり(笑)。

高校時代の自作漫画

B – 当時は将来の夢とか、何がやりたいとかはあったんですか?

GODTAIL – 絵ではなかった、絵はなかったですね。単なる趣味として描いていました。

B – 大阪芸術大学への進学はどのタイミングで決意されたのですか?

GODTAIL – もともとアルバイトで引っ越しをやっていたので、そのまま就職しようかなと思っていたんですけど、友達に「芸大受けてみたら?」って言われて、旅行がてら試験を受けに行きました(笑)。映像学科なんですけど、別に絵が上手くなくても絵コンテが描ければ受かるみたいに言われていて、漫画は学生時代から描いていたから、それで描いたら受かりましたね。

B – 凄いですね(笑)。大学ではどういったことを学んでいましたか?

GODTAIL – 映像学科なので、映画見るくらいしかしてなかったですね。絵に関して何か教わったとかはないです。今まで通り、ただ単に描いていました。どちらかと言うと発想が命なのかな。オリジナルの発想、ストーリーの展開を頭で考えるとか、そういう学科でしたね。

B – そういった内容を扱う学科だったんですね。当時は将来の展望というか、どんなイメージでしたか?

GODTAIL – 何もない、バイトばかりしてましたよ。ほんとに色々なバイトをしていたので、何かしらでやっていけるとは思ってました。ただ、周りが就活してるっていうので、自分もやってみて、結果的にゲーム会社に就職しました。それも絵を描く側とかキャラクターデザインっていうよりかは、プランナーとしての仕事でしたね。プランナーの中では描ける方だったから、そういうところは狙ってはいました。

B – そこは計算があったんですね。

GODTAIL – ある程度は。新しいキャラクターデザインのイメージとかを伝えたい時とかって、字で書くよりは絵で伝えた方が早いわけじゃないですか。普通はプランナーって絵は描かないけど、「こういうポーズでこういう風に描いてください」とかっていうのを、絵で指示出来た。

B – 絵で食べていきたいとか、直接的に絵を描く仕事をしたいっていう意識はなかったんですか?

GODTAIL – 絵はずっと好きだったし、上手くはなりたかったんですけど、それまではきっかけがなかった。ただ、ゲーム会社で色々なデザイナーの方を見たり、一緒に仕事をしていく上で、そこでようやく意識し始めるというか、絵で食っていきたいなとは思うようになっていったと思います。

B – 具体的にはどんなことから始めましたか?

GODTAIL – デザイナーの方たちが、デッサンとかラフをゴミ箱に捨てるんですよ。ちょうど僕がゴミ当番をやっていたので、それをかき集めて、ホチキスで留めて、自分で教科書みたいにして、それを見ながら練習していました。当時はインターネットなんかないから、本を買うしかない。でも、本買うお金もそんなにないし。

B – 捨ててある物だけど、ある意味全然ゴミではなかったというか。

GODTAIL – うん、そうですね。教科書みたいな。パッと見て、いいなとか、上手いなと思ったやつをかき集めてました。

B – そのあたりから、本格的に絵を描き始めたんですね。

GODTAIL – そうですね。やっぱり絵がいいなぁと思って、仕事しながら毎日描いてました。あとは、仕事の絵とはまた全然違うキャラクターとか、そんなのを描いてたと思います。オリジナルキャラクターとかを描いて、南の道頓堀とかに売りに行くんですよ。今は多分ダメだけど、当時は橋の上でクリエイターがズラーっと座っていて。そのエリアだったりとか、路上売りみたいなことをみんなやっていた時代がありましたね。

B – 凄い光景ですね、見てみたかったです。

GODTAIL – 当時はホームページとかも無いから、手で売ったり現場に行って自分の絵を見せるっていう時代でした。もちろん今はダメだと思いますけど。

B – 贅沢な話ですよね、だって原画っていうことですよね?

GODTAIL – 原画もだし、あとはプリンターを買ってプリントしてとか。でも全然売れないですよ。

B – そういうものなんですね、

GODTAIL – 売れない売れない。だから、キャラクターとかを描いても売れないんだと分かって、いろいろ試行錯誤して、なんとかお金にしたいなと思った時に、クレパスで描いた似顔絵が売れだしたんです。

ひっかけ橋で描いていた似顔絵

B – 学生時代に友達を喜ばせる為に絵を描いていたのと通ずるところがありますね。誰かに喜んでもらう為に描くというか。

GODTAIL – そうかもしれないですね。

B – そうしてゲーム会社を経て、パチンコパチスロ業界に行かれたと思います。具体的にはどんなことをされていましたか?

GODTAIL – 企画からデザインから、全部やっていました。図柄だったり盤面のデザインだとか、印刷方法とかもそこで覚えました。元々映像学科時代に監督みたいなこともやってたんですよ。企画して、撮影して、編集してっていうことを全部やっていたから、まあ、それに近い感覚ですね。写真を企画して、内容を企画して、自分でデザインして、そのキャラクターの図柄を揃えるっていうような物を作っていました。キャラクターの色数も当時は16色とかに限定されていたので、その中で遊んでいました。

B – 遊び心というか。

GODTAIL – やりたいことを混ぜながらやってたわけです。

B – ひとりで最初から最後まで全部やられてるみたいな感じだと思うのですが、相当大変ですよね?

GODTAIL – 大変ですよ、今は無理だと思います。際限ない量だし。楽しいというか苦しかったですね。もう夜中なんて当たり前だし、今だったらもうブラック企業ですよ、休み無いし。寝泊まりするのが当たり前の時代でした。

B – そんな中で、どうして7、8年も続けられたんですか?

GODTAIL – オリジナルを作って、一発当てたかったっていうのがありました。自分の手で当てたいっていう野心はすごくあったし、頑張ってたかな。一発当てれば夢があったような気がした。そういうのもあって、ずっとオリジナルのものを作り続けてましたね。

ゴミ箱に、橋の上に、路上にと、あらゆるところにチャンスを見出してきたGODTAIL。そうした場所を経由しながら、遊びから仕事へと、徐々に活躍の場を移しつつも、根底にあって変わらないのは“人を喜ばせたい”という気持ち。後編では、独立して会社を立ち上げ、今に至るまでの軌跡から、彼にとって「良い絵」とは何なのか、斬り込んだ内容をお届け。

EDIT: Ryo Kobayashi